00:03
皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道、黒瀬直美です。
この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についてゆるっと配信しています。
漫画を活用した授業
今日は341回、全然キラキラしていない、私の初実践発表
生き生きと取り組む国語科学習指導の様々な工夫 Part2というタイトルでお届けしたいと思います。
これは前回の同じタイトルのPart1の続きになります。
私が初めて教員となった2年間、生徒たちが生き生きと授業に取り組めるようにと試行錯誤した日々について語った実践発表
これのPart2になります。私のスタートラインを皆さんにつぶさに語りたいと思います。
2年目は1年目の反省を活かして、さらに踏み込んだチャレンジをしました。
具体的には漫画を取り入れた授業をしました。
生徒たちは本よりも漫画をよく読んで、漫画は資格にも訴えるし、多くの情報を伝えることができるという、そういう利点がありますよね。
この利点を活かして部分的に授業に取り入れれば、授業にメリハリが生まれるし、生徒の興味を引くことができると考えました。
私は小さい頃から漫画とかお絵かきとか大好きで、一時はノートにストーリー漫画を書くなんかして、結構漫画に慣れ親しんで成長してきました。
だから漫画をさささっと書くのはとても得意だったんですね。
そこでラショウモン、これにチャレンジした時にはラショウモンの場面を漫画で書きました。
だいたい文学作品の漫画家はタブーしされがちですよね。
生徒の想像力を阻害するっていう風に大学の先生にも本当にね、バッシングされたことがあります。
だけどもそんなこと言ってられないわけですよね。
漫画を契機に生徒がしっかり考えてくれたら、それはとても有益なことなんじゃないかなと私は思うんだけれども、
どうもね、なかなか資格化するっていうことは安直にはやってはいけないと思いながら、この時はしっかり漫画を取り入れました。
授業では漫画にセリフを入れさせたり、教科書を見ながら空欄を文章を埋めさせたりっていう、そういう風な精読に使いました。
生徒は漫画に興味を持ってセリフ入れに熱中したり、それから穴埋め問題に熱中したり、
漫画に色をつけたり、もっと暗いイメージになるように鉛筆で手を加えたりっていうような想像力を膨らませる生徒も発生しました。
本当によく集中していましたね。
ただ、最終的な感想で作品に深く迫るっていうクラスの生徒は2,3人ぐらいしかいなくて、私の力量不足もあったんじゃないかと思うんだけれども、
それにしても比較的たくさんの子たちが羅生門をしっかり読んだっていうことは、まあね、初任の私にとっては本当に感動を覚えました。
古典と漢文の工夫
次に古典、つれずれ草の場合です。
古文は短くてまとまりのある作品が多いから、生徒にとっては比較的取り組みやすかったと思うんだけれども、
特に文語文法は動詞の活用の理解に10時間以上費やすみたいな、そういう風な制度実態だったんで、
文法にはこだわらず、補助訳付きのプリントをちゃんと原文からしっかり読んで、
なんとか全文現代語訳したぞという達成感を味合わせて、それから内容の読み取りに入るという形式を取りました。
内容の読み取りの際には部分的に漫画を添えて、原文を自分なりにアレンジした自分流訳のセリフっていうのを入れさせる工夫をしました。
だから、原来語訳通りにセリフ入れするんじゃなくて、そこで自分の解釈を入れて、自分の読み取った上でのセリフを作れと。
生徒はいきいきと楽しんでセリフ入れをしてましたね。
やっぱりアウトプットするってことはインプットを豊かにしないといけないので、しっかりつれずれ草を読んでいたと思います。
それから次、漢文の調算母詞の場合です。
漢文入門記によく用いられる調算母詞では、読み方をしっかり鍛えたり、内容を分析したり、いろいろやりましたけれども、
結局ツボとなるソコーっていう猿回しが取った作品っていうのをいかに言語ができるか、わかっているかっていうふうなことで、4コマ漫画を書かせることにしました。
絵が苦手な生徒は、丸と線だけの単純な棒人間みたいな絵でいいから、その分セリフをしっかり書くように。
こういうふうに言いました。
生徒たちは友達の作品を見ながらキャーキャー言い合いながら楽しそうに書いていました。
漫画にすることで初めて、こういう内容だったのかっていうような生徒もいたっていうのは本当に面白いですね。
未来を考える単元
というように、現代文、それから古文、漢文と工夫をし続けてきたんですけれども、
私が大学時代に大村浜先生の単元学習を学んできた。
その単元学習を授業では取り入れることができずに、単発指導のままでいました。
ところがある日、主題単元未来を考えるというのを思いついたんです。
生徒に好評だったのが、保守新一の服を着た像。
これは教科書の中に入っていたんですね。
この保守新一の服を着た像、大変面白がっていた生徒を見て、
私が保守新一作品において文明化した社会の持つ落とし穴っていう、そういうテーマの教材と、
それから当時新聞を賑わせていたフロンガスや地球女化の問題を組み合わせて、
生徒に未来を考えるという単元はどうかなというふうに思い立ったんです。
この単元は9時間にわたって展開しました。
まず、服を着た像の後で、筒井康隆さんの賑やかな未来、
それから保守新一さんの行き届いた生活っていうのを読解して、
未来の社会で人間がいかに人間らしさを失っていくかっていう、
そういう状況について考えさせました。
それからさらに生活維持症っていう保守新一の小さなショートショートを読解して、
人口増加によって引き起こされる世界的な混乱を避けるために計画的に人口を減らす、
つまり殺人を行うっていう、そういった未来の問題にも目を向けさせました。
そしてこれまでの問題は単にお話だったっていうことに対して現実をちょっと見てみようということで、
フロンガスや地球温暖化の問題を新聞で読み、
さらにチェルノブイリ事故に関連した原子力発電所の問題にも触れて、
便利な生活と環境破壊という時代の状況を捉えさせるという、そういうふうな単元構造。
そして最終的に未来を考えるというテーマで1000字以上の作文を書かせました。
生徒たちはやっぱり長い単元だったんで多少息切れをしているようだったんですけれども、
作文を書かせるときはえーとかなんとか嫌な人しきり文句言った後すごく落ち着いて書いていましたね。
作文の大部分はどうしてもなかなか思考が深まらなかったみたいなんですけれども、
集中して書いていたっていうところはとても私自身嬉しかったところです。
もっとね人間疎外の状況分析とか、未来において自分の生き方役割っていうのはどうだったかっていうのを視点にして書かせるように、
作文指導を工夫すればよかったなって思うんだけども、そこまで引き出せなかったのは当時の私の完全な力量不足。
それから千字って量をもう少し減らして800字とか600字でもよかったんじゃないかなと思いました。
ただ生活維持書を読んでいる時の教室がシーンと静まり返った様子とか、それから原子力発電所の問題について、
私が朗読というか本を読んだ時の真剣な生徒の表情っていうのはとても印象的で、
作品そのものの魅力にこんなにも生徒が引き付けられるんだ。
プリント学習の導入と反省
そして生徒たちにとっても身近な問題っていうのが非常に重みを持つんだと肌で感じることができた単元でした。
授業が成り立ちにくい状況をどうやったら良い方向に持っていけるか、
どうやったら生徒を生き生き取り組むことができるようになるかっていうことを考えて一生懸命プリント作りに取り組んでいきました。
最初はなかなか慣れなかったプリント学習だったんですけども、
2年目からはしっかり自分ながらプリント学習をうまく回転させることができたと思います。
そして今では、今ではじゃないですね、この当時はプリントを配布するとすぐ、
今日は何だろうって、そういう表情で興味深くプリントを見てくれる生徒も多くなっていったように思います。
そして毎回毎回ファイルにプリントを閉じていくと100枚を超えるようになります。
それを自分で作った本のように嬉しそうに一枚一枚めくっている生徒もいましたし、
授業中わからなくなると過去のプリントをめくっている生徒もいました。
そして学年末の授業の振り返りでも、毎回毎回プリントを書くことは面倒くさかったけれど、
1年たまったプリントを見るととても嬉しくなったとか、
僕はいつもプリントが楽しみでしたっていうような、そういったコメントもありました。
多くの生徒にプリント学習が受け入れられたんだなって思います。
でも、だからといってプリント学習という形だけ取っただけでは授業に参加するようにはならないということは思いましたね。
最初のうちはどうしても騒がしいし、ちょっとでも面白くなかったり中だるみになったりすると、
それこそ収集がつかないほど騒ぎ始めたり、私も何とか集中させようと思って叱り飛ばしたことがあります。
そんなことを1年やっているうちに、だんだん学習に集中するようになっていきました。
ただ、プリントを毎日作っていて思ったことはありますね。
生徒の自由な考え方というものをプリントという形式で除外してしまって、
1つの決まったレールの上を歩かせていることになりはしないだろうかと、
プリント提出で縛り付けて生徒の自由な発想というのを出させることができていないんじゃないかと、
そういうふうな反省もありました。
まだまだその時は経験も浅くて力量不足だったと思います。
その時にはできなかったもっと自由な学習の場、そういったものをプリントに頼っていたその時の私。
そしてプリント学習に傾倒しすぎたために、私自身話す部分での成長があまり見られなかったのではないかという反省もあります。
生徒との心の交流
だけどね、授業では生徒とよくぶつかって、生徒のいろいろなところで指導に失敗したりとか、
そういうふうな試行錯誤・悪戦苦闘を繰り返す中で、生徒一人一人の気持ちに触れ、生徒の痛みに触れていくうちに、
だんだんと生徒の声かけもうまくなり、
そして生徒の心をつかみながら、冗談やりながら、雑談しながら、一人一人を見ているという気持ちで授業をやり続けた2年間。
なんとか生徒と心を通い合わせる授業ができていったなと思います。
その生徒たちのおかげで、自分にはなかったもの、自分には全く不足していたものが見えて、
自分が本当に豊かになっていた2年間だと思います。
この2年間の後、私は定時制に勤務することになって、
この時よりもさらに厳しい教育状況の中で、教員生活を送ることになります。
ということで、私の初任の頃の話を、実践報告が掘り当てたので、これを元にお話ししてみました。
私の実践報告については、概要欄にリンクを貼っておりますので、興味のある方はぜひご覧ください。
それでは、今日の配信はここまでです。聞いてくださりありがとうございました。またお会いいたしましょう。