挑戦の始まり
皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道ス黒瀬直美です。この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についてゆるっと配信しています。
今日は340回、全然キラキラしていない、私の初実践発表、生き生きと取り組む国語科学習指導の様々な工夫Part1と題してお届けしたいと思います。
私が教員になって2年間、特に高等学校国語科で生徒たちが生き生きと授業に取り組めるように試行錯誤した日々についてまとめた実践発表をお話ししたいと思います。
2年間の悪戦苦闘ぶりを大学の学会で実践発表したものです。私のスタートラインというものを皆さんにつぶさに語りたいと思います。
私は大学を卒業してすぐ新任教員として県立の商業高等学校で教鞭を取ることになりました。
本当にあの当時、新任ということで期待と不安に胸を膨らませて教団に立ったことを思い出します。
この学校はかつての優秀な生徒社会に送り出していたんですけれども、私が赴任した頃は学歴社会という時代の中で、高校の受け皿のような役割を担うようになっていました。
特に私が着任する2、3年前、生徒の激減を見込んだ私立高校が進学保障を強化したということで、ますます受け皿傾向が強くなってきました。
そういう状況の中で私が着任して強く感じたのは、学力によって切り捨てられた生徒たちに何とかして学ぶ喜びや楽しさを味わせて、生き生きと授業に取り組ませてやりたいという思いでした。
これで私の挑戦が始まりました。
ところが、やっぱり現実は想像を遥かに超えていました。
私自身はたくさんの先生方がそうだったように、いわゆる新学校で学んできました。
だからなおさらのこと、自分自身が受けてきた授業というのは生徒たちには通用するわけはないだろうと、ある程度覚悟して臨んだわけなんですけれど、いざ実際に授業を始めてみると、現実は想像を遥かに上回っていました。
ノートも鉛筆も持ってこないほどの学習意欲のなさ、授業とか教員への否定的反抗的な態度、私はただただ呆然自筆するばかりでした。
大学で習ったように導入の工夫というのを凝らしても、私の話には全く耳も傾けず、教室のあちこちで騒いでいます。
いつ授業が始まったのかも生徒にはわからず、今何してるの?と尋ねてくることもありました。
もちろん授業中に教室や廊下をロールする生徒もいますし、盤書計画を立てていってもノートも鉛筆も持ってこない生徒がいるから学習が継続できずにますます学習意欲がなくなっていくと、そういった悪循環、つまり全く授業が成立しなかったんです。
私は大きな挫折感を味わっていました。
なぜ生徒たちがそんな態度を取るのか、その背景を考えてみると、まあわからなくはないですね。
やっぱり中学校3年生の時に学力によって進路を決められて、ここしかお前はいけないっていう風に教員にレッテルをはられて、劣等感を感じたまま、傷ついたまま、やとの思いでここにたどり着いた生徒たちなんです。
彼らにとって一番自分自身を表現できない授業っていう場は、本当に嫌なものであったに違いありませんし、先生は自分たちを学力で判断する人物にしか見えなかったんじゃないかなって思いますね。
彼らこそ挫折感というものを抱いて学校に来ているっていう風なことを感じた時に、生徒たちがもっと前向きに自信を持って学校生活を送れるようにできるにはどうしたらいいだろうかっていう気持ちが高まりました。
やっぱり考えた結果、学校生活の大部分を仲間と共に過ごす授業の場、この授業の場でしっかり生き生きと充実させた活動をさせることが一番なんじゃないかと、そういう結論に達しました。
学校の特性上、生徒指導にものすごい時間を割かれるっていうこともあったんだけども、やっぱり大学で習った授業っていうものをあれをベースにしながら、もう生徒ファーストの生き生きと授業に取り組むことができる、そういった授業を全くの一から作り直そうと決意し直しました。
そして私の本格的な挑戦が始まりました。
まず直面したのはノートの学習。
生徒たちはノートを持ってこないし、他の教科と兼用したり、白紙からノートを作ったりするっていうのがかなり苦手なんですね。
それに書くっていう作業に時間がかかりすぎて授業にいいリズムが生まれにくいという問題もありました。
そこで私は国語科の先輩の先生方がもうすでに実践されていたプリント学習に全切り替えすることにしたんですね。
ノートは一切使わずに、私が学習の手引きを印刷した手作りのプリントを用いました。
やっぱりワークシートっていうのは今では定番になってるし、もうワークシートでないと授業にならないっていう、そういった先生も大半いらっしゃるんじゃないかと思うけど、
この当時はプリント学習っていうのはまだまだ認知が低かったというか、そんなにたくさんの先生はやってらっしゃなかったんですね。
このプリント学習はやっぱり驚くほどの効果がありました。
プリントに何をすればいいのかが書いてあるから目標は明確になりますし、それからプリントをちゃんと仕上げて提出すると達成感が味わえるし、
ある程度書き込みがしてある上に書くことになるから、書く量が少し少なくなって全員の書くスピードが揃いやすくなって、授業にリズムが生まれることになりました。
特に学習が継続しにくい生徒にも比較的取り組みやすいし、何よりもこのプリントを配ると生徒が一瞬見るんですね。
一瞬見るということによって導入の役割を果たしていたと思います。
さらにプリントには私が説明する部分と生徒が私の発問に対して答えを書く部分、そして生徒自身が考えて書く部分というのを必ず入れるように工夫をしました。
次に評価です。従来のテスト重視の評価、いわゆるできたできない○×という評価では生徒は真面目にやりません。点数が取れないからですね。
そこで私もプリントを学習にした結果、毎回プリントを提出させてどれだけよく考えているかを重視して、自分で考えて書く部分というところにはすごく励ましのコメントを入れるようにしました。
試行錯誤と反省
そして個別添削もしました。
それから通常のプリント提出には必ず私の買ってきたユニークな反抗を押すことにしました。
小学生みたいだっていうことを言う生徒もいましたけど、やっぱり反抗に良い評価がつくと、やったー、え、なんかこれどこがいけなかったとか言いながら、かなり真剣に評価を受け止めてそれに対して反応する生徒多かったですね。
次こそはよくできましたの反抗をもらいたいと意気込んでいく生徒も現れました。
ということでプリント学習に全切り替えして取り組んだんですけれども、やっぱりあの着任したてはどうしても生徒の実態をつかみにくかったなっていうところがあって行き当たりばったりの授業になりがちでした。
生徒からもバラバラやってて何してるのかわからないっていう反応が返ってくることもあったんですよね。
なのでこの1年間の取り組みを通して私が大きな反省をした点があります。
一つの主題単元とか大きな単元っていうのを長期間でやるっていうのは継続的な思考が苦手な生徒にとっては向いていないので、小さめの単元、まああっても中くらいの単元って言いますか、なるべくコンパクトな単元がいいということはわかりました。
それから季節や行事によって大きく左右される生徒たちは、その時々のタイムリーな教材の方が意外と興味を持って取り組めます。
それから一つの教科書に沿って教科書の順番通りにやるんじゃなくて、やっぱり教材をその時々の状況に即して効果的な配列に編成し直すということが大事だなと思いました。
教材は教科書や特に他の教材から変異で面白そうなものを自分でセレクトして、投げ入れ教材を対応することにしました。
国語の授業を、なんかよくわからないけど面白くて楽しいなって、そういうふうな授業にしたいっていうのをまず主眼に置きました。
最初の年は本当にまとまりがなくて、生徒もなかなか理解できなくて大変だったと思うんだけども、私自身も良いでも良いでも前に進まないようなもどかしい1年だったと思いますけれども、
こういったもどかしい1年、試行錯誤の1年を過ごすということは、非常に自分の力量を高めてくれる期間だったなっていうふうに今思います。
長い間教員やってきているけれども苦しい時、試行錯誤の時、行き詰まりを感じている時、このことをしっかり耐え抜いて頑張っていく、レジリエンスを発揮するっていうことが一番自分の利器用になったとそういうふうに思いますね。
こういった奮闘期っていうのは本当に最近あんまり目にしないなと思っています。
目にするのはやっぱりキラキラキラーとした実践発表とかすごく多いですよね。
みんなキラキラキラキラしたような実践発表をなさっているっていうのが多くて、私のような泥臭いと言いますか苦労話というのは流行らないんだなと思うんだけれども、
時代の流れか、私のこういうしんどい教育現場の実態をセキララに訴えるっていうのはSNSでは発信しにくいですからね。
私も超昔の話だから言えるのであって、今の教育現場のことをSNSで軽々に言うことができないので流行らないんだと思います。
その分キラキラした実践というのに光が当たりすぎているような嫌いがありますので、私自身そのことをちょっとね、
良くないんじゃないかと思って自分自身の過去をさらけ出して語ってみました。
この話は次回パート2へと続きます。
皆さんぜひパート2も聞いてくださればありがたいです。
それでは今日の配信はここまでです。聞いてくださりありがとうございました。
またお会いいたしましょう。