1. 今日も明日も授業道~国語教育をゆるっと語る~
  2. 297 私が音楽を聴かなくなった..
2025-07-27 10:13

297 私が音楽を聴かなくなった理由

spotify youtube

私は音楽をあまり聴きません。最近はやりの歌も知らないです・・・。紅白歌合戦を見てもほぼ知らないアーティストです。若い頃はそれなりに流行した音楽を聴きましたが、本当に音楽に慣れ親しんでいません・・・。その理由をお話し、教育の影響について語ります。

 

#音楽嫌い #授業作り #聴音嫌い #絶対音感

サマリー

音楽に対する関心が薄れた理由について語ります。中学校時代の音楽の授業での屈辱的な体験が、音楽への興味を失わせるきっかけになります。また、娘の絶対音感や音楽教育について振り返りながら、教育の大切さにも触れます。

音楽に興味を失った理由
皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道ス黒瀬直美です。この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についてゆるっと配信しています。
今日は、297 私が音楽を聴かなくなった理由というタイトルでお届けしたいと思います。
いやー、暑くなりましたね。車では私はもっぱらポッドキャストを流していて、音楽をほとんど聴きません。
流すには流すんですけど、全然興味がなくなって、ついついポッドキャストとかラジオとかを流してしまいます。
そう、私は音楽に慣れ親しみ、聴く習慣がないんですよね。
最近、流行りの歌も全然知らないですし、紅白歌合戦を見ても全然知らないアーティストばっかり出ていて、全然興味関心が湧かないんです。
流行りのアーティストと言われても全然話題が合わないし、音感もないし、リズム感も悪いし、音楽っていうものについては私は本当に遠慮多いなというふうに思っています。
そういうふうになったきっかけについて、今日は深掘ってみたいと思います。
そもそも幼年期、幼稚園とか小学校時代は、私は音楽の時間が好きで、歌ったり踊ったり、それから小学校ではみんなの歌っていう楽曲集ばっかりが集まった小冊子を持たされて、
それを家に持って帰っては歌ったり、それから笛を吹いたりして遊んだりして、文部少々科っていうのに慣れ親しんだ年月を小学校時代に送ってきました。
この時はいろんな歌を知れるのがとてもとても嬉しくて、歌ったり笛を吹いたり、学校の音楽を楽しんでいたと思います。
私が決定的に音楽っていうものと遠慮多くなったのは、中学校1年生の音楽の時間でした。
私は中古一貫校で国立大附属に通ったんですね。国立大附属に入ったのはいいんだけど、やっぱり家庭環境の違いっていうのは本当に実感したんだけど、ピアノを習っている人がすごく多いんですよ。
男の子も女の子もピアノ率が高くて、おまけにバイオリンとか習っているようなそういう同級生もいたりして、本当私は自分の家庭環境と友達の家庭環境の違いに、本当に何なんだろうって思いながら、抑えないながらちょっとひけ目を感じていたっていう状態でした。
音楽の時間だったら早めに行ったらピアノの周りにみんな集まってきて、独演会が始まるわけですね。
次から次へとショパンとかブラウスとか、ああいったクラシックの有名な難しい楽曲を次から次へと友達が交代で弾いていて、すごいなあっていうふうに圧倒されていました。
そして音楽の先生が来て音楽がスタートするわけですね。
ある日私たちが友達がですね、友達がそういった難しいピアノの楽曲を弾いているっていうのを先生が耳にして、思いつきで今日は超音をやろうというふうに提案なさいました。
超音っていうのはもうお分かりの通り先生がピアノで弾いたその音符音階を五線紙に書き写すっていうやつですよ。
事前指導も何にもありません。
それまでは五線紙にいろいろドレミを書いたり四分音符書いたり、付点音こういうふうなものなんだよって仕組みを書いたり和音を書いたり、先生が習ったことを五線符に書くっていうことはやったんだけど、
この超音っていう授業の時、先生は何の説明もなく事前の練習もなく。
じゃあ今日はちょっと今から先生がピアノで簡単なフレーズを弾くからそれを五線紙に書きましょうということでスタートしたわけですよね。
私は何のことやらさっぱりわからなくて、えーって戸惑いながら、そして先生のピアノのフレーズが始まったわけですよ。
先生が簡単だけど四分音符とか八分音符とか付点が入ったような、あるいはフラットとかシャープが入ったような、簡単なリズムなんだけどちょっと音階が複雑なものをやり始めたわけです。
もう私はね全然できなかったです。
もう本当に緊張して焦って、ものすごく心臓がドキドキして、さっぱりわからないまま五線紙に適当に書かざるを得ませんでした。
その横でピアノを習っているお友達はサラサラサラサラと書いていくわけですよ。
もうね、私本当に惨めでした。
答え合わせの時間がやってきて、黒板に先生が五線紙の上にチョークで書いているわけですよね。
まあそれ自己採点するんだけど、私は全部×で、友達は全部○。
本当に何か置いていかれたような、自分が本当に惨めで格下げされまくったような、圧倒的な屈辱を味わったのが、あの音楽の調音の時間でした。
友達はピアノを習っているから、ある程度音階もとれるしリズム感もあるし、
ピアノの時間に調音もやるんじゃないかと思うんだけど、音感もいいわけですよね。
ということで私は屈辱的な調音の時間を過ごし、
もうその時はたかんな中学校1年生ですから、もう半分涙を浮かべながらの音楽だったわけです。
もうあれから私は音楽というものが嫌いになりました。
友達と全然圧倒的な開きがあって、何をやっても自分は惨めでできないんだ。
音楽の時間というものが、自分自身の惨めさを再確認するだけの時間になっていくような、そういうショックを受けたと思います。
まあそれからも音楽はね、私にとってはもう全然えんどういものなんだ。
教育の大切さと自己反省
音楽って私に合わないんだっていうことのすり込みがずっと続いて、
音楽に興味関心がなくなっていたというふうなことだったと思います。
その私がですね、子供を産んだんですけど、女の子です。
小学校の3年生ぐらいですかね、夕食を作っている時に台所に来て、
外で暴走族がファンファーレを流しながら歩いているあの音を聞いて、私の娘が言いました。
母さん、私ね、あの音がドレミに聞こえるの。びっくりしました。絶対音感ですよね。
私は夫の推薦で娘にピアノを習わせていたので、ピアノでそれを再生させたんですけれど、
本当にその音でした。
なんで私のような音感が鈍くて、本当に音楽的センスのないそういう親に絶対音感が備わっている子供が生まれたのか、
全く全く思って不思議なわけですけれども、
うちの子はピアノも習っていたということで、音楽についてはとても感覚が鋭く、飲み込みも良かったですね。
その娘は今現在小学校の先生になり、音楽の時間ではピアノを弾き、それから入学式とか卒業式では指名を受けて伴奏を受けようという役割も果たすようになりました。
音楽教育についても小学校の教員なので習っているだろうと思って、私の思い出話を彼女に話しましたところ、彼女は言いました。
それ最悪の指導法じゃない?単なる音楽嫌いを生産しまくるだけじゃないか。それは先生悪いお母さんと言ってくれたんですね。
小学校で音楽教育を習った娘にそういうことを言われて、今更ながら音楽が嫌いなのは私のせいではなかったのかもしれないというふうに少し嬉しくなりました。
ということで私が本当に惨めな思いをした音楽の授業を振り返りましたけれど、そういうふうなことから言えることはやっぱり教育って大事なんだなというふうに思いますね。
優劣の差をつけるということが教育でもないですし、今回の長音の授業のようにできる子だけを相手にし、先生も趣味でそういうことを思いつきでされたっていうことだったんですけれど、
できない子たちをどんどん格先してしまうような授業になってしまった。そういったことではなくて、優劣が見えにくく教室中が一体になって楽しんだり面白がったり、
そういった中でお互いが切磋琢磨していくような、そういった授業作りをこそ求められるのではないかというふうに、この音楽嫌いになった私の原点であるあの授業を思い起こして、そして私自身もそういった授業になっているのではないかと。
苦手な子をどんどん格下げしてしまっている授業になっていいやしないかと、ここでも自らを点検しないといけないなというふうに思い直しました。
ということで、私の音楽嫌いから自分の教室作り、授業作りを内省するというふうに考えがいったという、そういう配信でした。
それでは今日の配信はここまでです。聞いてくださりありがとうございました。
またお会いいたしましょう。
10:13

コメント

スクロール