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皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道ス黒瀬直美です。この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についてゆるっと配信しています。
今日は464回、こころで荒れた掲示板、私が挑んだICT授業、進化の20年というタイトルでお届けしたいと思います。
今回の配信は、いつもお世話になっている笠原先生のボイシー第353回、授業用の掲示板を生成AIで作ってみたという配信を聞いて思ったことをお話ししたいと思います。
笠原先生のボイシーのリンクは概要欄に貼っているので、ぜひそちらも聞いてみてほしいと思います。
このエピソードをきっかけに、私自身が過去に何度も挑戦してきた掲示板を使った授業実践というものを振り返ってみたいと思っています。
20年以上前の試行錯誤から現在のAIの活用まで、時代の変化とともに見えてきたことをお話ししたいと思います。
まず最初に、掲示板というものについてなんですけれども、これはインターネット上にスレッドを立てて意見交換を行う仕組みのことなんですが、古くはBBSとも呼ばれていました。
私は20年以上前に自分のホームページを開設したことをきっかけに、掲示板の魅力に授業の可能性を感じまして、これは授業に取り入れたら面白いんじゃないかなとずっと思っていました。
当時はまだ一人一台端末がない時代、授業で使うには情報教室に移動して、そしてログインして書き込むということが前提となっていました。
学校のネットワークでは、レンタル掲示板のURLがアクセス拒否の設定になってしまっていて、ちょっとこれは不可能だなと思ってはいたんですけれども、
自分が借りているホームページ領域にCGIプログラムという掲示板を動かすプログラムをインストールすれば独自の掲示板を作ることができて、このリンクを生徒に投げかければ掲示板が使えるということを思いついたんですね。
そういうことで、学校の情報教室のパソコンからでもアクセス拒否に合わずに掲示板を使えるということが確認されて、これで授業投入することになりました。
最初の実践では、夏目漱石の心について様々な視点から意見をもらうということを目標にして掲示板を導入したということになりますが、
実際のところ、生徒たちは掲示板交流そのものに慣れていなくて、もの珍しさが先に立ってしまいました。
心の内容を考えることよりも、友達とすぐにやりとりができるという、そういった掲示板自体の魅力にどんどん引き込まれていってしまって、
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結果、内容の薄い一言メッセージが延々と続くという、いわば荒れた掲示板状態になっちゃったんですね。
例えば、「やあ、こんにちは、誰?」とか、「誰か当ててごらん?」とか言ったような短いやりとりが続くばかりで、
作品について本質的に深め合うというような、そういう段階には全然至らずに、ただただ友達とのコミュニケーションが楽しいという、そういう状態になっちゃったんですね。
今振り返ると、いきなり実践投入するんじゃなくて、まずお試しとして掲示板の使い方に慣れさせたり、やってはいけないルールやマナーについて考えさせたりという、
そういったリテラシーを考えさせる時間を設けるべきだったと感じているんですけれども、
当時はスマートフォンもないし、ガラケーでのメールやショートメッセージのやりとりに慣れていたっていう、それぐらいの生徒実態だったんで、
生徒が掲示板で公の場でやりとりするっていうような、そういったスキルがなかったっていうことも大きな原因だったと思います。
その後、何回かの失敗を重ねて、一定度、掲示板を通じて意見交換できるっていうふうにはなったんですけれども、
やっぱりこのやりとりには、ある程度その場で読んだり書いたりっていう、結構高い読み書きの能力が必要だというふうに思いました。
自分の考えをすぐにキーボードに載せて書くっていう力、これやっぱり未熟だったですね、生徒はね。
その未熟な記述を未熟なまま読まないといけないので、行間とか余白を解釈して、それで応答する力も求められます。
生徒にはまだ十分そういう力は備わってなくて、未熟なアウトプットに未熟な理解でやり合うっていうような、本当に薄いやりとりになっちゃったということで、
むしろじっくり考えて丁寧に自分で記述した、そういった手を動かして鉛筆で書くということになれた生徒は、じっくりと書いたものを交換し合う方が適していたんじゃないかというふうに今では感じています。
この一連の試行錯誤は、BBS上での意見交換、ネット上での意見交換というものについて深く考えさせられる勉強になる体験でした。
次に掲示板を投入したのは国立大附属校勤務時代で、この時もまだ一人一台端末ではなくて、情報教室に移動しての意見交換を行う形でした。
この時も掲示板のもの珍しさというのから、やりとりを楽しむ生徒は一定数いたんですけれども、附属校の生徒らしく、一定度楽しんだ後はすぐに本質的なやりとりへと進んでいきました。
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黙々と自分の意見を書き、友達の意見を読み、それに変身をつけると、つけていくという対話的なやりとりになっていきました。
やっぱり附属校の生徒なので、すぐに考えたことをキーボードで打つという質的に高い文章になるという力を持っていたので、やっぱり本質的なやりとりになっていきましたね。
いうことで、この成果というのは、附属校の生徒がもともと持っていた力に支えられた部分が大きいと思っています。
その一方で、授業の終わりにある賢い女子生徒が、「先生、隣に人がいるのに話し合わずに黙々と掲示板に書き込むというの、意味がそもそもあるんですか?」という、そういう鋭い、鋭い指摘を受けたんですね。
実はこの疑問というのは、自分自身も授業中に考え始めていたことであり、率直にその思いを伝えてきてくれるというのはとてもありがたかったですね。
生徒もそう思っていたのかと思うと、私の中で結局のところ、話す、聞く、読む、書くというリテラシーがある程度高い生徒にとっては、情報教室に集まって掲示板に書き込むよりも、目の前の友達とリアルに対話する方が充実したやりとりになる場合もある。
だけど掲示板でのやりとりも意味もあるというような手応えを得ることができました。
といった数々の試行錯誤を経て思うのは、やってみなければわからないということがあるなということと、目的に合った環境が整えなられているかどうかというのも極めて重要だなと思いました。
これは一人一台端末だったら、授業時間外にもじっくり考えたことをアウトプットして、そのアウトプットをまたじっくり考えてインプットしアウトプットするという授業外の時間も活用するやりとりができたんじゃないかなと思うんですね。
それからこうしたやりとりの形式に生徒自身が慣れていたかどうかというのも大きく結果を左右するんじゃないかと思いました。
20年以上前の取り組みでは、書き込んでやりとりするという行為自体が生徒にとって刺激的すぎて、アドレナリンが出まくるほど新鮮なものであって、本来の目的というものが吹っ飛んでしまうほどだったと思います。
当時は掲示板でのやりとりが授業の当たり前としての形として定着していなくて、これが混乱を招いた要因の一つではなかったかと思います。
そういった中で笠原先生がボイシーで紹介してくれた取り組みに触れて、時代は確実に流れているんだなということを感じました。
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それから技術面でも、掲示板を立てるのにCGIプログラムのインストールという技術的ハードルがあったんですけれども、今では生成AIでViveコーディングで掲示板を作るということもできる時代になっています。
デジタル技術が進化して様々な可能性を開いてくれました。
これからも私自身失敗を重ねながらも試行錯誤を続けていって、自分の手持ちカードをどんどん増やしていきたいと思っています。
ということで、20年以上にわたる私の掲示板実践の歴史を振り返ってみましたけれども、やっぱり生徒の実態や環境、こういったものがいかに重要かが見えてきました。
笠原先生のボイシーの発信のおかげで、私自身も20年以上前を思い出して、本当にその頃からの違い、これを比較・検討して考え方を深めることができました。
今、掲示板とかを授業に取り入れようとしている先生方も、こういった私の失敗を参考にしていただければ大変嬉しく思います。
この配信では、感想やメッセージを応募しております。概要欄からのメールフォームからお気軽にメッセージを寄せください。
笠原先生のボイシーへのリンクも合わせて概要欄に貼っておりますので、ぜひそちらもチェックしてみてください。
それでは今日の配信はここまでです。聞いてくださりありがとうございました。またお会いいたしましょう。