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皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道、黒瀬直美です。
この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育について、ゆるっと配信しています。
今日のタイトルは、教育は林業に似ていて、PDCAサイクルを回すもんじゃない(笑い、というふうにテーマを名付けてお届けしたいと思います。
ちょっと変わったタイトルだなと思うのですが、私の知り合いの先生で、学生時代から仲良くさせていただいている先生がいらっしゃるのですが、
よく教育は林業のようなものだから、というふうにおっしゃっていて、なるほどそうだな、と私も思うのです。
苗を植えて育てて、雑草を取って、日当たりを良くして、いらない枝を切って、スクスクと伸びていって、
いろんな災害があったりして苦難を乗り越えながら、20年後、30年後にやっと結果がわかるという、そういう林業のようなものなんですよね。
そういったことをよく言われるので、ある制度のことを思い出しました。
私が定時制に勤めていた時のことです。A君としましょう。
A君は中学校の時、野球をやっていて、私立高校を受けたんだけど、合格せずに定時制にやってきました。受験に失敗したんですよね。
家庭もお母さん1人、おばあちゃんも一緒に住んでいたのか、そういった状況でお父さんが何らかの理由でいらっしゃらなくて1人1個でした。
受験に失敗したというのもあるし、定時制に入ってきた仲間たちが、それこそいわゆるヤンキーのような夕食少年の集まりだったり、生活が安定しなかったり問題を抱えていて、非常にいわば荒れている制度が多かったので、
A君もその仲間と一緒になって、いわば荒れた生活をするという状態になっていきました。
あろうことか、夕食少年たちなので塗装工もいるんですよね。塗装工ということは仕事場に診断もあるわけで、薬物を手出したんじゃないかな、非常に良くない雰囲気で、
ベロベロになっているような雰囲気で学校に来たりして、そのたんびに先生たちは別室に入れて収まるのを待って面談してというようなことをしていました。
これは今だから語れることで、時効なんで語るんですけれど、私が勤めていたあの頃の定時制は、今では考えられないぐらい深刻な問題、
反社会的な行動をする制度がたくさん、暴走族とかもたくさんいて、とても通常の教育ができるような状況ではなかったんですよね。
そんな中で私は担任をすることになって、彼の担任をすることになりました。息子一人、お母さん、そして祖母ということで、息子の荒れた生活状況をお母さんがどうすることもできず、
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反抗期でおそらく家でも暴れたりすることがあったんじゃないかな。学校には遅れてきて適当に遊んで勉強もせずに帰り、夜遅くお家に帰宅してという、本当に大変な状況だったと思います。
私は一生懸命取り組むんだけど、いかんせん、その時たぶん24、5歳ぐらいで、もう何もできなかったですね。一生懸命やるんだけど。
生徒と話はできるんだけど、生徒が私を見て、自分の生き方を変えようというような気が起きるようなわけないんですよ。まだ24、5歳のお嬢さんを見てよ。
友達感覚なんですよね。私もどうすることもできなくて、ただただお母さんと話したり、その子と話したりっていうようなことを繰り返していました。
家庭訪問して、もうお母さんちょっとこれは大変だから病院に行った方がいいんじゃないんですか。依存症ですよっていうようなことを言っても、お母さんは決断がつかないままでしたね。
そうしているうちに二学期になり、なかなか収まらないということで、年配の先生が私に決断した方がいいよっていうふうにおっしゃって、私も動くことになりまして。
教頭先生がその時はバックについてくださって、お母さんを呼んで、いろいろ話をして、とうとうその子は入院をすることになってました。
お母さんは泣くんですよね。私はその時、なんで泣いてるのかっていうのがピンと来なかったんだけど、今だからこそいろいろわかることがあります。
お母さんも苦しいし、A君も苦しいし、本当に苦しかったんだと思いますね。
結局A君は入院して学校には戻ってきませんで、私も2年後に転勤をすることになって、A君とはそのまま連絡を取らないままでした。
ところが、私の担任の後を引き継いでくれた、私より一回り以上上ぐらいの先生がいらっしゃって、男性の方で非常に穏やかで芯があって、
生徒をずっと遠くの方まで見ていて、決して近く、現象だけに踊らされなくて、その子を本当に成長した先まで見通すような、そういう態度で生徒に接する穏やかな先生がいらっしゃいました。
その先生が引き継いだんだけど、A君に対して2、3ヶ月おうきに家庭訪問してどうやとか、ちょろっとフラッと来ては10分ぐらい離して玄関先で帰っていくっていうのを2、3ヶ月ぐらいずっとされてたそうです。
1、2年経った後に、その子はもう学校に退学しちゃって、アルバイトや肉体労働をずっとしてたわけなんですけれど、その先生は2、3ヶ月おうきにまた来てはどうやとかっていう感じで。
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彼がちょっと落ち着いたかなっていう時に、学校に来てみるかとかって言って、福学届を渡したりして、いやもう学校行かんよとかって言いながら、2、3ヶ月おうきにしつこくしつこく、その先生はその生徒に学校に戻ってこいやとかってずっとねわり強くされてたそうです。
3年後ぐらいかな、あまりにしつこいので、その子はもうしょうがねえなっていうことで福学したんだそうです。これを聞いて私すごいなって思いましたね。何という粘り強さと、それから生徒を根底で信じる気持ちがあるんだろうと思いました。
で、その子はしょうがないな、あまりにもしつこいから来てやったよとかって言って福学して、それでちゃんと通って高校卒業の資格を得ようっていう時に、4年生の時に生活発表会っていうのがあって、自分の今までの経歴を彼が発表するっていう機会がありました。
その時に私はその男の先生に呼ばれていきましたね。そしたらもう結婚して3人の子持ちで運送会社を友達と一緒に立ち上げて頑張っているっていう状況だったんですよ。
で、私は高校1年生の時に彼を見た時は本当にひょろひょろとしてすごい線が細くて食事も満足にとってなかったと思うので栄養も足りてなくて、もう本当に汗こけてて大変だったんですけど、その時会った時にはもう筋骨リュウリュウとしていてたくましい、本当にたくましい青年に変わってました。
あの時ボロボロだった彼がこんなにもたくましい男の人になるんだなぁと思って、またそこで私大号泣ですよ。
本当に生徒を信じるとか、成長を共に並走して見守るとか、そういったことを全然知らないお嬢さん育ちの私がまさに生徒っていうものをどこまで遠くまで見て支えるものなのかっていう教育の尊さと言いますか、辛抱強さと言いますか、そういったものを感じさせられる事件でした。
そういうことを思い出しては、教育って人形だなって本当に思うわけです。
今、目の前にいる生徒たちも本当に様々な生徒がいるし、様々な問題を抱えているし、非常に不安定だし、そういった生徒が10年先、20年先にどういう大人になるのか、そのために今私たちはどういう声がけをしていくのか、どういうサポートをしていくのか、
そしてどういう道を指し示すのかっていうのは、林業のように長いスパンで考えていかないといけないなっていうふうに思いました。
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かたや、今、教育界は非常に成果主義になっていて、ビジネスチックな用語が飛び交うようになりましたね。PDCAサイクルを回そうとか、それから数値目標とか、エビデンスとか、データ化、数値化して生徒の成長を可視化して、その数値によって判断するようになりました。
その最たるものが受験勉強なんですけど、受験も模擬試験の偏差値で測って、それからリテラシーとかコンピテンシーとかも数値化して、その子にぴったりするような大学を数値によって炙り出して進路指導していきますよね。
そんなふうに教育が中はビジネス化してしまっている。で、進学成績も数値にして出して学校の評価になっているっていう、そういうふうなビジネス化の時代にあって、私が定時制に勤めたあの頃のA君を思い出しては、やっぱり教育は林業なんじゃないかなっていうような思いを新たにしています。
ということで、教育っていうものの奥深さ、尊さ、それを今一度かみしめて、生徒をもっともっと長いスパンで見ていきたいなと思った、そういうふうなエピソードでした。
それでは今日の配信はここまでです。聞いてくださりありがとうございました。またお会いいたしましょう。