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皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道、黒瀬直美です。
このチャンネルでは、中学・高等学校の国語教育、働く女性の問題、教育のデジタル化について発信しています。
今日のタイトルは、国語教育界の大家、野地潤家先生にもらったもの、です。
皆さん、国語教育界ではレジェンドと言われている、野地潤家先生をご存知でしょうか。
私は直接習ったことはないのですが、広島大学の教育学部、国語教育で長い間教授をなさっていました。
野地先生は、本当に国語教育については、オールラウンド的に研究をされていて、
しかもその研究の厚み、深さ、どれをとっても素晴らしいということで、
理論から実践まで、オールラウンドに研究を深め広げてきた方です。
私は先輩に、いろいろと野地潤家先生のエピソードを聞いていたのですが、
例えば、演習とかそういう時に至らなかったら、急に黙り込んで真っ赤になって、すごく怒られるんだとか、
発表時間とか教員の話し方とか、そういうのに厳しいとか、
厳しい先生ということを先輩の先生からお伺いしていて、黙ってずっと真っ赤になって、
突然、私は決して怒っているわけではありません、というふうに声を震わせながら怒っておられるとか、
ご自身は自分にも厳しいし、教育するということについての覚悟とか信念とか、すごくお持ちなので、
学生にも教育者であるということをきちんと求める先生だったので、厳しいということはお伺いしております。
そういう先生のお話をちょっとしてみたいと思います。
私は野口先生に直接お会いしたことは数少ない。お見かけしたということぐらい数回しかないのですが、
一番思い出に残っていることがあります。
それは、私が教員になって、いきなり教育困難校、厳しい生徒実態、
本当に校内暴力で荒れていた時代だったので、極善とか、あんなの思い出してもらえればいいと思うんですけど、
そういう非常に厳しい生徒実態の中で、いつも悪戦苦闘していて、授業をするということの前に、
授業をどうやって成立させるかということに悪戦苦闘していた、そんな時代が結構長かったんですよね。
その中で、ちょっとでも生徒に授業をきちっと受けてもらいたい。授業に前を向いてもらいたい。
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そういう思いで、いろんな苦労をしていました。
そういう苦労を聞きつけた、当時大月香坂先生という私の大恩師の先生がいらっしゃるんですけれど、
恩師の先生が、あなたがやっていることをそのまま、ある学会で発表したらどうかと言われて、
確か青島学園擬音高等学校の国語研究会じゃないかと思うんですけど、
生徒をどうやって主体的にさせたらいいのか、さまざまな工夫を実践発表したことがあったんですね。
その時の発表内容は、今でもうっすら覚えてますけど、とてもとても実践発表と言えたようなもんじゃなくて、
ハンコついてプリント返したら、生徒が喜んでやるようになったよとか、
それこそ自分の漫画を書いたら、生徒が一生懸命になってやるようになったよとか、
それから、服を着たぞっていう、星真一のショートショートすごい生徒ノリノリだったよみたいな、
本当にね、なんていうんですかね、深めるどころじゃない。
生徒がどうやったら面白がるか、私は苦戦苦闘していろいろやりました。これからも頑張りますみたいな、そんなかわいらしい発表だったんですね。
その時に野次淳也先生もいらっしゃってて、私はあんまりお会いしたことないんですけれど、
えらい先生が来ちゃったなということでビクビクしながら発表を終えました。
一応全部の会が終わりまして、さあ帰ろうかって言った時に、
その時の多分大島学園でお世話をしてきた事務局の女の先生が私を呼び止めて、
野次淳也先生がお話があるからお部屋に来てくださいって言われたんですよね。
私はその時真っ青になって、うわー怒られるんじゃないだろうかと思って、
もう足がガタガタガタガタ震えながらドアをノックしたことをよく覚えています。
そうしたら野次淳也先生は、本当に控室で姿勢をキリッと伸ばして、怒られるのかなと思ってた私に、
あなたの発表は素晴らしかった。頑張りなさいと、すごい温かなキリッとした声でおっしゃってくれたんですよね。
もう今にして思えば、あんなしょうもない拙い発表を野次淳也先生が褒めるっていうのは考えられない。
だけど私は本当に苦労に苦労していた日常だったので、その時の野次淳也先生の言葉がすごい温かい励ましになりました。
まあしんどくてもね、やっぱり授業頑張ろう。そして実践発表これからも続けていこうっていうような、本当に大きなエネルギーをいただいたんですよね。
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というふうなことがあって、私は結構こうやって情報発信したり、実践を発表したりするっていうのも、
結局、野次淳也先生にこの時に頑張って発表しなさいと、どんなことでもどんどん実践報告を発表しなさいっていうようなことを本当に言われたからじゃないかなと。
その時はわからなかったけれど、今にして思えばそういうふうなエンジンをいただいたんじゃないかなと思います。
そうやって何か振り返ってみると、やっぱり生徒を褒めるとか、そういうことってすごい大きなエネルギーを与えることになるんだなって思い始めていて、
その結果が1年後とか2年後とかには出ないけど、あの時に言われた一言、大きな励まし、応援、そういう言葉が人をこんなにも支えるんだなっていうのを今にして思えば感じていて、
野次淳也先生は紛れもない本当の教育者だったなと、私に身をもって生徒を励ます、支える、応援するっていうことを見せてくれたなと思います。
後々知ったんですけど、私のこの苦労っていうのは大村浜先生が戦後荒れ果てた中で中学生の指導に非常に苦労されたっていうエピソードを読んだことがあって、
野次淳也先生も大村浜先生のスタートラインと私を重ねてそういうことをおっしゃってたんじゃないかなっていうようなことを感じることもあります。
ということで、本当に野次淳也先生っていう先生も直接教えいただいたわけではないんですけれど、
存在感、それから発する言葉の重さ、本当にこういう人が人を教え導くっていうことについてずっと自己を鍛えて研鑽してきた人の放つオーラっていうのを感じて、
全く野次先生には及びませんが、私も精進し続けてそういったオーラを発することができたらいいなと思ってます。
オーラのオぐらいは行ったかなとは思ってるんですけれど、もっともっと精進してオーラが出るような、そういう風な先生になれたらいいなと思っています。
今日もなんかちょっとガチャガチャ喋った感じだけれど、やっぱり感動的なエピソードだったんで、皆さんにぜひお届けしたいと思ってお話ししました。
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それでは聞いてくださりありがとうございました。またお会いしましょう。