別れと感謝の季節
皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道ス黒瀬直美です。この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育について、ゆるっと配信しています。
今日は181回、3月は別れの季節だけど、生徒から花束や色紙をもらえない先生方へと題してお届けしたいと思います。
3月も末の末になりましたね。3月31日月曜日は、事例交付があって、この学校を去る先生もいらっしゃいますので、本格的な別れの日になります。
そして、FacebookやTwitterでは、移動する先生方が、花束や色紙を生徒からもらって、別れを惜しんで、次のステージに向かっていくという情報が流れてくる季節になりました。
10年とか長い間勤めた人とか、その学校で様々な生徒と関わって、いろんな積み上げがあった先生、そして尊い先生なんか、たくさんの花束や色紙に囲まれて、感謝の言葉をかけられて、華やかに。
そして、別れを惜しまれ、祝福され去っていく姿というのは、毎年毎年のように見られます。
私は、教員生活の後半は、こういった花束や色紙や別れを惜しむというセレモニーに恵まれることが多かったわけですが、
でも教員になってから20代、30代半ばまでは、そういったシーンに恵まれることはほぼありませんでした。
ちょっとそう言われると意外に思われる方もいるかもしれませんけれど、生徒はセレモニーでは、学校とかPTAが用意してくれた花束とか、おせんべつは渡してくれるんだけれども、
自分のことで精一杯で、先生に何かをしてあげる余裕とか、気遣いとかができないぐらい、精神的にいっぱいいっぱいな生徒がたくさんいたわけです。
私なんかは、前半は商業高校で非常に大変な学校に勤めていましたし、次は定時制に勤めていましたし、その次は県下でも名だたる教育困難校に勤めていましたので、
他人思いやるとか、気の利かたことをするとかいうような生徒があまりいなかったわけなんですよね。
先生にそそのかされて色紙を書いたりという、そういう生徒だったので、花々しく綺麗な色紙とか、大量の花束とかっていうのはなかったですね。
かたやうちの旦那さんは、その間3回ぐらい卒業生を出して、大量の花束と大量のお手紙と大量の色紙に囲まれて、いつもそれを家に持ち帰って、お部屋の中があふれるぐらいでした。
かたや私は、てんてんてんというわけなんですよね。
最も際立ったのが、結婚式の時でした。結婚式の時、うちの夫の教え子たちは寸劇やスピーチ、朱黄の凝らしたいろいろな出し物をしました。
とっても面白い演出で、来てくれた人たちを大変に楽しませてくれて、会場も大盛り上がりで、本当に思い出になりました。とっても楽しい出し物でした。
私の方といえば、定時線に勤めていましたので、生徒はそういった力量もありませんし、知恵もないし、そういったことを思いつきもしないわけで、
そういうふうな、私の勤めている生徒実態と、夫の勤めている学校の生徒実態とのあまりにもひどい落差に、
私は本当にね、私ってみじめなんじゃないだろうかとか、かわいそうなんじゃないだろうか。
私が今やっているこの教育活動っていうのは、本当に何かになってるんだろうか。
みんな私のことを生徒に好かれてないと思ってるんじゃないだろうかというようなね、とってもみじめな気持ちになったことをよく覚えています。
このことはその時あまりにもみじめなので、誰にも言わなかったんだけど、感謝もされず、感謝してるのかもしれないけど、実際に感謝を表に出すということもなくて、
成果も見えない17年間をずっと過ごしてきました。
それを救ってくれたのはね、実は河本新刊先生、もうお亡くなりになったんですけれど、
河本新刊先生っていう国語教育の先生でした。
私を月間国語教育の特集に勧めてくれたんですね。
東京法令出版にこの人はどうかと勧めてくれたのが河本先生でした。
そしてその特集記事を投稿したことがきっかけで、月間国語教育に10年間連載することになったわけですけれど、
ここで私は本当にずっとずっと大変だった日々、教科指導能力もつけられない日々を過ごして、
漫画を書くということで授業を打開していった私、それに光を当ててくれたのが河本先生であり東京法令出版の編集者の皆さんでした。
これを毎月毎月連載するということで、いわゆるグレードの高い国語教育じゃなくて、
悪戦苦闘している現場っていうものを発信することができて、そこでいろいろなきっかけをいただくことができて、
私は本当に成長することができたと思います。
相互しているうちに長い長い教育混乱後時代は終わりまして、
移動してからは花束も色紙も感謝の言葉ももらえるようになりまして、別れを惜しんでもらえるようになりました。
人間関係をずっと形作ってきた生徒たちとの確かなつながりを実感する、
感謝の言葉や花束や色紙という形でそれを確認することができて、達成感や充実感や幸福感でいっぱいになって、
それが次の移動先での原動力になっていったように思います。
そういった私のキャリアなんですけれども、
教員生活の反省
私は卒業式とかリタイ認識で、一回だけ泣いたかな、卒業式とかリタイ認識でなかなか泣けないんですよね。
それ自分でずっと不思議に思ってきたんだけれど、忙しすぎて
とてもいっぱいいっぱいで泣けないということもあると思うんだけれども、
たぶんどこかでずっとこういう虚しい気持ちとか情けない気持ちとか悔しい気持ちが奥底にあって、
それを眺めていた自分がいて、こんな感謝とかこんな花束とかこんなお涙頂戴的な、
そういうセレモニーで泣いてたまるものか。
何もなかったあの時の自分の悔しさを思い出せという無意識の私のストッパーみたいなのが働いていたんじゃないかと。
そういう冷めた自分がこういう状況に埋没できないという状況を作っていたのではないかと。
そういうふうに今更ながらこの配信というきっかけをいただいて、
というか自分で作ったわけだけど、この配信をすることによって自分の分析をしてみました。
でもね、こうやって生徒たちに感謝の言葉や別れを惜しむ言葉をたくさんかけてもらい続けてきて、
次第に私もだんだんと癒されてきたと思います。
結局生徒に癒してもらったんだなと思います。
そういうふうな月日を過ごしてみて、今振り返ってみるに、
やっぱり花束とか感謝の言葉とか色紙とかもらえない先生、必ずおられると思うんですよ。
以前私がダイレクトメールをいただいた定時制にお勤めの若い女性の先生もそうだと思います。
その方は、そういう皆さんは決して花束をもらえないということは別に、
普通の先生より劣っていたわけでもないし、頑張っていなかったわけではないと思うんですよ。
だけどどうしても光が当たらない。
ある程度能力が高くて、自分のこと以上に他者を思いやられるような恵まれた状況にいる生徒のところでずっと働いていた先生には、
見えないものが私には見える。
そうやって苦しい中で誰にも感謝されずに報われずに厳しい言葉ばかりかけ続けられている、
そういう教育現場で働いていらっしゃる先生こそ、もっと光を当ててもいいと思うんですよね。
今、SNSなんかの情報を発信する手段が得られるようになってきて、
私はそういう光の当たらない先生たち、光の当たらない部分にもっと光を当てて、
その先生を応援したいなというような気持ちになりました。
希望のメッセージ
というか、していかないといけないというふうに思っています。
ということで、決して花束とか色紙とかをもらえない先生方、
もらえなくても積み重なっているものがたくさんありますし、
もらえない自分を卑下する必要はありませんし、
ただ、今置かれているところで自分のベストを尽くして、自分に誇りを持って顔を上げて、
非常にいい顔をしながら歩いていってもらえれば、
その先には、ものすごく暖かで大きな光が当たる日が絶対に来ます。
普通の光ではなくて、大きく暖かく、身も心も癒してくれるような光が当たる。
そういう日が来ると思います。
そのために今のしんどさがある。
私もそうでした。
ということで、3月31日がやってまいりますけれども、
そういったなかなか難しい状況で頑張っていらっしゃる先生への応援、励ましの配信でした。
では、今日の配信はここまでです。
聞いてくださりありがとうございました。またお会いいたしましょう。