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427_論理国語に小説は必要か?現場の戸惑いと読解力育成の真実
2026-04-02 10:23

427_論理国語に小説は必要か?現場の戸惑いと読解力育成の真実

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「論理国語」に小説は本当に不要なのか?高校の国語教育で今、大きな議論が起きています。文科省の指針と現場の先生方の思いの間に横たわるギャップ。読解力育成の真実とは?生徒の興味を引き出し、深く学ぶための小説の役割について、私なりの視点から深掘りします。教育の未来を考える皆さん、ぜひお聞きください!

#論理国語 #国語教育 #読解力 #小説教材 #教育改革

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皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道ス黒瀬直美です。この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についてゆるっと配信しています。
今日は、427回、論理国語に小説は必要か、現場の戸惑いと読解力育成の真実というタイトルでお届けしたいと思います。
今回は、ヤフーニュースで飛び込んできた、高校の国語教育、特に論理国語という科目についてお知らせしたいと思います。
最近の教科書検定で、論理国語の教科書に小説が掲載され始めた、そういうケースが増えてきたというニュースだったんですね。
実は、文部科学省の学習指導要領では、論理国語というのは、論理的で実用的な文章を扱うというふうな科目なわけなんですけれども、
教育現場からは、これまで通り小説を教える機会が欲しいという強い要望がありまして、教科書会社も学習指導要領と現場のニーズの板挟みになっちゃっているというのが現状なんです。
実際問題、共通テスト対策として、カリキュラムの時間数が論理国語か文学国語かのどっちかを選ばなくてはならなくなって、
どうしても論理国語を選んで文学国語の授業が行われないという学校も多くなってきちゃったので、有名な小説に触れることなく卒業するという生徒が増えているという現状なんです。
例えば夏目漱石の心とか三月記とか、それから舞姫とか、ああいった小説に触れることなく卒業するという問題が起きているという、
そういうふうな現場の実態にあって、論理を学ぶ教科書から文学を排除するという方針は、かえって学びの幅を狭めてしまうんじゃないか。
文学にも論理性はあるんじゃないかというような現場の声もあって、やっぱり教科書会社としては売れる教科書を作らなくてはならないから、
そういったことでどうにかこの論理国語の中にQRコードで小説教材への関連付けを行ったり、あるいは別冊という形で小説教材を載せたりということで、
論理国語を選んでも小説教材が勉強できるような仕組みにしているという教科書が検定を通って増えてきたという、そういう実態にあるわけです。
この記事を私が紹介したところ、ある方からコメントがありました。
素朴な純粋な質問、疑問なんですが、読解力をつけるにあたり、新聞記事のように事実を記載した文章や、
論理的に思考展開した論説文を読む能力の方が構築しやすそうに思うのですが、
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英語を学習した人の多くは、論文を読む方が小説を読むよりよほど楽だと言っています。
日本語を教える場合は違うのでしょうかというようなご意見でした。
質問です。私はこう答えたのですが、読解力を育む上でやはり最も大事なのは、
生徒がその文章を主体的に深く本気になって読めるかどうかという点にあると思っています。
興味関心の低い文章を授業で扱っても、学力の高い生徒や知的好奇心のある一部の生徒は、
それは何でも与えたら本気になって読むのですが、その他多くの生徒にとっては学習効果が狭まる可能性があるのです。
だけれども小説教材というのは普遍的な魅力があるので、
私も様々な学力帯の生徒に教えてきたけれども、
大体は学力が厳しい生徒でも、学力が高い生徒でも興味関心を喚起しやすいというのが小説教材だったのです。
だから小説で深く考えさせて、その背景にある社会というものに興味を持たせ、
そこから評論文へとつなげるというのが、生徒にとって最も効果的なんじゃないかと思っているわけなんですけれども、
もちろんそれ以外にも教員がどれほど熱意を持ってその授業を展開するかによっても、
生徒は先生の熱意に引きずられて主体的になるという面もあるので、そういう面も重要だとは思っているんだけれども、
この方がいう論文を読む方が小説より楽だと言われるというのは、
やっぱり小説自体に持っている背景が多様だったり、前提条件が必要だったりということがありますよね。
評論文の方が論理構造が比較的明快で捉えやすいという面はあります。
しかしこれは英語の場合に当てはまることが多くて、実際教科書教材に載っている評論文というのは、
含みや飛躍がすごくあって、一筋縄ではいかない難解な文章も少なくありません。
だから英語と日本語ではかなり状況が異なると思っています。
うちの学校にはネイティブの先生がいて、ネイティブの先生は言われるには日本語はハイコンテクストだからというのをよく言われるんですね。
やっぱりその文章の背後に様々なものを背負っているハイコンテクストな文章だからというのが一つの大きな原因なのかもしれません。
さてその方からは次のようなご意見も寄せられました。
まだ物語の形でしか世界を理解できない小学生なら話はわかります。
でも論理国語って高校生の話ですよね。
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社会科の教科書に何が書かれているかをちゃんと理解できない生徒や、数学や理科の問題で何を問われているのかを理解できない生徒を何とかするのが専決ではと思ってしまうのです。
極論かもしれませんが多教科の教科書を国語の授業のテキストにしても良いように思いますというご意見でした。
まさにその通りなんですけれども、実は教科書の内容を十分に理解できない生徒は数多く存在するというのが現状です。
実際そういった学習指導要領を策定したりされる先生方にはそういう現場を体験している先生たくさんおられるんですけれども、やっぱり教科書というのは一つのスタンダードを作らないといけないわけなので、
どうしても学力が厳しい生徒に対する文章というのはスタンダードを入れる関係上、そこまでレベルを落とすのかと言われかねないので、やっぱりスタンダードが乗るわけなので、そのために教科書の内容がわからない生徒が数多く存在することになっています。
おまけに日本語を習得するというのは自然に身につくという側面が大きくて、家庭環境やこれまでの生育環境が大きく影響するということがありまして、その差を縮めるというのが難しいという特徴があるんですよね。
この読解力の格差というのをなんとか是正していくには、ある程度の量の文章をたくさん読ませるということが非可決なわけですけれども、今の学習指導要領のカリキュラムのシステムでは、週に2回の授業になってしまうということがあるんですね。
多くて3回、週に2回でたくさんの文章を多読させるということは限界があるわけなんですね。
だから生徒が文章に興味を持って自分で進んで読みたくなるような、そういった文章をその授業で入れて、なんとかそういう機会を確保するということにするというのが近道になってしまいます。
だから生徒が興味関心を持つ文章をたくさん読ませるということになると、この方がおっしゃるように多教科の教科書をテキストにしたり、投げ入れ教材を多用したりということが必須になりますし、私が非常に厳しい生徒実態の時にはもう投げ入れ教材を多用してましたね。
またそれだけではなくて、言語活用能力っていうのを向上させるためには、読むと書くをスピーディーに回していくということが非常に大事になってきます。
だから投げ入れ教材を多用してインプットとアウトプットをくるくる回すっていうのがかなり言語活用能力を向上させるのに必要なことなので、これは私自身も多様な学校に勤めてこれだなって思うやり方があるので、これが非常に有効な手段だなっていうのはあります。
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だけれども、スタンダードを投げかけられる教科書教材、その中で限られた時間で行うっていうのは非常に難しいなっていう思いがあります。
だから論理国語っていうものにおいて小説をどうやって扱うかっていうのは本当に教育の本質に関わる重要なテーマにつながっていくんじゃないかと思うので、この問題を解決するにはものすごくいろいろなことをずっと考え続けていかないといけないという非常に難しい複雑かつ困難なテーマではないかと私は思います。
これを聞いていらっしゃる皆さんはどう思われるでしょうか。もう本当にこういうふうにやったら解決に近づくよっていうことがあればぜひお寄せいただければと思います。
それでは今日の配信はここまでです。聞いてくださりありがとうございました。またお会いいたしましょう。
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