1. 今日も明日も授業道~国語教育をゆるっと語る~
  2. 384_福永先生とコラボ!こんな..
2025-12-28 46:04

384_福永先生とコラボ!こんな時代の国語教育を考える。

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福永先生は福永先生は高等学校の国語科の先生で、あちこちのオンライン研究会に参加しているうちにニアミスを繰り返し、とうとう意気投合し、さまざまな話題で情報交換をするようになりました。今回、特別に私のポッドキャスト配信に参加してくださることになりました。ついつい国語教育について熱く語り合った45分となっておりますので、皆さん覚悟してお聞きください。

サマリー

福永先生との対話を通じて、現代の国語教育における様々な改革や課題が探られます。福永先生が実践してきた工夫や、新しい教育手法についての考察が共有され、今後の国語教育の方向性について示唆に富む内容となっています。福永先生との対談では、時代の変化に伴う国語教育の役割が考察され、ICTやAIを活用した新しい学び方に焦点が当てられます。また、デジタルツールの活用が教育現場での生徒の成長にどのように寄与するかが語られます。福永先生と共に国語教育の現状やAIの影響について議論され、デジタル教材からの情報取得や教育における人間の身体性の重要性、さらには授業のあり方について考えられます。福永先生との対話を通じて、現代の国語教育における課題やAIの活用について考察されます。

福永先生とのコラボレーション
皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道、黒瀬直美です。この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についてゆるっと配信しています。
今日は、384回、福永先生とコラボ、こんな時代の国語教育を考えるというタイトルでお届けしたいと思います。
福永先生は、現在、宮崎県で高等学校の国語科の先生をしていらっしゃいます。
こんな時代の国語研究会というタイトルのオンライン勉強会を何回も開催していらっしゃり、私もかつては出演させていただきました。
あちこちのオンラインの勉強会で、福永先生と遭遇し、なぜか息、統合してしまい、今回、このポッドキャストにコラボ配信をお願いしたところ、快諾していただきました。
今日は、私と福永先生の国語教育愛あふれる対話を聞いていただきたいと思います。
はい、みなさんこんにちは。今日は、宮崎県の高等学校の国語の先生である福永先生をお迎えして配信したいと思います。
それでは福永先生、自己紹介をまずよろしくお願いします。
はい、みなさんこんばんは。宮崎県で高校国語の教師をやっています。福永と申します。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
僕は、最初から言っていいですか。
どうぞ自己紹介をガンガンに。
僕はですね、今44で、最初に延岡市っていう宮崎県の北のところから、最北のところからスタートして延岡商業から行って、次飯野高校っていうところがまた海老野市で最西ですね。最も西のところにポーンと飛んで。
定時制に1回落ち着いて、その後今最南端の福島市ってところにある福島高校というところで続けているというか、戻って今頑張って2年目っていう次第の男です。すみません。
ずっとそういうふうに国語の先生をしていらっしゃってて、結構小規模だったり商業化だったり定時制だったりということで、生徒実態としてはどっちかっていうと、支えてあげなきゃいけないというか支援を要する生徒が多かったじゃないですか。
そうですね。
そのことで先生が一番自分に変化が起きたとか、こういうところが変わったとかいうところありますか。
そうですね。やっぱり、そもそも机に向かったことがないとか、国語とか他の教科に興味のない子をどうやって最初の言葉って面白い、結局そこなんと思うんですけど言葉って面白いなとか、なんか俺の知らない世界があるなって思わせるのにどうするっていうのをずっと考えてきましたね。
それしかないので。
私も似たような感じで、初任から結構大変な学校でどうやって授業を成立させたらいいかっていうことからスタートしたから、結局生徒の主体性をどうやって喚起させようかっていうことばっかり集中してたんですけど、やっぱり福永先生も同じような感じ。
僕の場合は、福永先生には前言ったかもしれないけど、もう解明すぎに授業が下手なんですよ。
いやいやいや。
本当そうですよ。
そんだけ喋れて何を言われる。
喋りすぎるとかね。
分かってないんですよ。
自分で最初組み立て考えるんですよ、ちゃんと。
でも授業始まったら、それを何故か自ら崩しちゃうんですよね。
雑談とかして。
あれ?何を?みたいな。
そういうことなので、授業が下手なので。
ただやっぱり下手なりに危機感というか、このまま本当に人並みの国語教師になりたいなっていう思いがあって、いろいろ勉強とかをしていかないといけない。
自分まだまだっていう気持ちはずっとあって。
面白い授業って何だろうっていうのを考え続けるモチベーションになってる。
それが逆にですね、感じですね。
なるほどね。
じゃあ、それまでこんな時代の国語研究会という研究会立ち上げる前はどうやって勉強されてたんですか?
本当にいろんな先生の授業を見に行って、同じ学校の中に中規模いくとおれききれきというかベテランの先生とかいるじゃないですか。
それ空いてる時間にもうズンズン入っていって。
だからもう3巻授業しまくって、なんか古コマみたいな。
そんな感じで。
しかも1回見るとわからないから授業って1時間。
単元で見ようって言って、単元でずっとその週空いてる時間をなるだけ張り付いて、張り付いてっていう風にしていくのを知ってましたね。
それかなり勉強になったんじゃないですか?
めちゃくちゃ勉強になりましたね。
授業は上手くなったかどうかよくわからないですけど、
こういう視点で授業するんだ、プロというか一流の先生っていうのが視点がついたのは本当にありがたかったですね。
私も国立大附属に勤務したときに先生方の授業を見る機会がたくさんあるわけなんですよ。
必ず月に1回か2回ぐらいは誰かの授業を見に行って。
そういうふうに人の授業を見るとものすごく自分の授業で全然足りないところがめちゃくちゃ明らかになって。
見えてきますね。だから若い時は見ても何がすごいかがわからなかったって感じなんですよね。
だけどちょっと歳とってキャリア積んでから改めて見ると同じ先生の授業でもこんなに行き届いた配慮が1時間の中に設定されてたんだっていうのを見ると、
その深さというか国語の授業って本当に奥深いし、まだ全然果てが見えないですよね。すごい今日かなって思います。
私なんかも生徒自体が厳しいところに長くいたもんだから、生徒のやる気を喚起させるっていうところばっかり集中して、
生徒が面白がったらもうそれだけで良しとするっていうぐらいの、もういいじゃん、楽しくしてるんだからっていう感じで深めるとかそういったところまで行きつかないまま終わってたから、
自分もかなりそういうところに苦手意識があったわけなんだけど、やっぱり福永先生もそういうふうな気持ちで外の世界にお勉強に行かれたと。
そうですね。このままだとっていう、それこそ2019年、定時制って今言ったように、定時制にいたの2019年だったんですけど令和元年。
その時に学習資料要領の改定とか観点別とか探求っていう、そういう言葉がバーっと出始めた頃だったので、
勉強するべきことに関してはこと書かなかったですよね。分かんないことだらけだったんで、その意味では良かった。
良かったですね。フェイスブック先生も言ったんですけど、フェイスブックがずっとやってたんですけど、2020年のコロナの時にみんな偉い勉強会を始めたんですよね。
教育現場の課題
多分みんな先生方全国で危機を感じてたと思うんですけど。
そうですね、あの頃はね。
コロナはもちろんすごく甚大な被害をそれは分かるんですけど、それによってあの時に得た繋がりっていうのが、本当に時代って分からんなと思って、化学は分からんなというところで、
そこが僕の超転機だったかな、転機というか。ありがたかったですね、あれは。
あのコロナの危機的状況が、かえって新しい教員同士のね、ボーダーレスなコミュニティが形成されて。
僕もコロナ来て、ズームとか繋いじゃなかったら、黒瀬先生とは、絶対黒瀬先生が僕を認知することは永久にないですからね。
いや、そんなことはない。
いやいや、永久にないですよ。だって、なんでこんな分かんないんだろうね。だから会わなかった人とか繋がれなかった人とかもたくさんいるだろうから。
私ももうね、思いますよ、福永先生みたいに面白い先生と出会うっていうことね。
いやいやいや。
もう、なかなか得がたいものがありますよね、本当こういう機会がね。
だからそういう意味では本当に感謝して。
感謝してますね、本当本当。
そのこんな時代の国語研究会っていうのはそういう思いで立ち上げられて、
だいたい先生が企画して、こういった内容でお呼びするゲストを考えながらやられていたと。
そうですね。なんかこう本とか読んだり、別の研究会とかありますよね。
そこに行って、「おっ!」っていう人をいきなりメッセンジャーで突然するっていう。
そういうなんか失礼極まりない方法で。
いやいやいや、それはいいですね。
読解放略の美和先生とかも、本見て読解放略の。
おもれ!と思って学芸大にジムにメールして取り付けて無理やりっていう。
今思うと失礼極まりないですよね。
でもそれぐらいのチャレンジ精神というか開拓精神がやっぱり大事かなと思うんですけどね。
飛び込むっていうのがね。
だから面白いと思うからやるわけでしょ。
面白い。もうピンときますよね。ビビッと。
やっぱりね。それが面白い。福永先生の面白いところ。
後から後悔するんですけどね。あれめっちゃ怒らせたかなとかですね。
いやいやいや。
その意味で黒瀬先生のすごいとこって、今授業堂やってるじゃないですか。
今日も明日も。これ41回でしたよね。この前。
はいはい。
僕38回、この前1年ぶりに38回目したんですけど、先生のその月ごと、間別であれやるのが本当すごいと思う。
最初ね月1回やりよったんですよ。
はいはいはい。
そうそう。それで月1回で、それでだんだん年もとってきてから。
いやいやいや。
月1はしんどいなと思い始めて。
なんて言ったらいいんだろう。他にも私立に定席した途端、登壇が増えて。
確かにそうですね。
公務員っていう身分はどうしても縛りとかあるじゃないですか。
私立の教員になった途端にもう登壇の依頼が結構増えて。
確かに。
そのアウトプットする機会も増えたから、毎月はしんどいなと思い出して2月に1回にしたんですよ。
それが2月に1回がすごいですね。
でも自分の思いは自分がどうしても教育困難校等々長くやってきた上で、
若い人たちにいろいろ伝えないといけないっていうゾーンに入ってきて、
それで何か残した方がいいなっていうのでやってるんで、かなりいいマイルストーンっていうか。
だから僕もこんな時代の国語研究会立ち上げた時に思ってたのは、
こんなにいろんな新しい科目が出てきて課題が出てきたら、若手の人たち困ってるだろうなと思ったんですよ。
だからオンラインでやって参加しやすいようにアーカイブとかも作ったりとかして、
県内の先生たちに告知っていうかしてたんですけど、
結論としてあんま困ってない風な感じが。
僕の自由だったという。
みんな勉強したいとは言うんですよ、お会いすると。
先生の研究会参加したいんですと言いつつ、参加されないし、別にみんな困ってないのかっていう結論だとね。
コロナのせいで授業が全く出張で見る機会がなくなっちゃって、
それがやっぱり僕は本当、あんまり言ってないんだけど、
県は本当にもう一回研修、そういう郊外のすごい先生たちの自由を見せる制度を復活すべきだと思う。
これ無しになったんですよ、コロナ禍でバチって。
だからもう無しになったまんまコロナ禍終わってもやらないんですよ。
なんなんだろうなと思って。
一つは、私が教員になった時に比べて多分仕事量が1.5倍から2倍ぐらい増えてるから、
みんなそういう授業を研究する余裕とか、それがすごいないんじゃないかなと思って。
私、教員になった頃は、研究会も保証されてたんですよ。
丸々1日、県下で研修日を設けて、どこぞの学校にこぞって集まって研究して、
その研究成果を起用とか出すような余裕があったんですけど、
今なんかもう、カリキュラムオーバーロードがすごくて。
次から次へ仕事がある。
処理に追われて、研究しようとか勉強しようっていう時間的余裕とか精神的余裕がなくなってきてるんじゃないかと思う。
それが大きいんじゃないかな。
確かにね。
そうなんですよね。
先生方の話聞いてても、授業の話をあんまされないっていうか。
それがなんか、でも僕ら教科で採用されてますからね。
1日の3、4時間は授業ですよね。
勤務時間の2分の1は授業。
国語教育の現状
給料の2分の1、授業でもらってるって考えると、結構大したんじゃないかなって思うんですけどね。
やっぱりカリキュラムオーバーロードどんどん降ってくるっていうのと、
それから授業が例えば上手くなったっていうところで、なかなか数値的に定測できないじゃないですか。
先生その通りなんですよ。
そこで何か自分がバージョンアップして、数値が見えて、だからお給料増えてっていうこともないので、
現状維持でお金も増えないんだったら研究しないわっていう人も多い。
部活動とか結構結果で跳ね返ってきやすかったりしますよね。
それから公務文書もきちんとやって、それなりに組織で評価されると、次のステップにつながったりするじゃないですか。
だからそっちの方に注力してしまって、授業がやっぱり2の次3の次になってるっていうのは否めないんじゃないかなと思うんですけどね。
なるほどね。授業上手くなると生徒が嬉しそうな顔をするのが一番良くないですか。
どんなに公務が上手くなっても誰も喜んでくれないっていう。
だから結局そういうところが軽視されているというか、本当はそこなのに、
だからそういうところで勉強会を開いたりっていうところがなかなか震わないのもそういうところに起因しているけれども、
結局のところ教員のメインは授業だと思っているので、私も福永先生にはちょっと親近感が湧くんですよ。
先生、全くレベルが違うんで、そういうのはあんまり良くない。
しかも自分で喋っていろいろ録音されて、それの蓄積もあるっていうじゃないですか。
もう2010何年かなの時から思ったことをiPhoneのボイスメモに全部録音していくっていうことをやってて、
もう多分200話あるのかな。もう一度バックアップしたやつとかもあって、聞き直すと面白いですよ先生。
それをポッドキャストで配信してください。
それは配信したら配信した。でももし間違って聞いた人で、あいつ偉そうなこと言われてってなるのも困るじゃないですか。
そういうのをこれからアウトプットしていくのも新しい時代の国語教育ですよ。
でも生徒にはポッドキャストはチャレンジさせたいと思ってて、やっぱりその即興で誰かに語るように喋るっていう活動って、僕すっごい益があると。
笠原先生がポッドキャストを生徒にさせてるっていうのを聞いて、僕絶対やってみたいと思って。
こんな風に読む聞く話す角が高速でデジタル化されて、インプットとアウトプットが回る時代になってるんだから、
国語教育もそれに適応して変わっていかないといけないと思うんだけども、
それをいち早く目つけて、福永先生、嗅覚鋭くやってらっしゃるのがすごいなと思ってて。
その時の見ると思いますけどね、なんでこれ撮ったんだろうみたいなね。何を思って撮ったのかがよくわからなかったけど。
でもこの前話したようにAIがそれを文字起こししてくれたり、インフォグラフィックにしてくれたりっていう時代が来たので、
すごい良い時代になったなって本当に思いますね。
福永先生の録音を全部ノートブックLMに入れ込んで、何かと何かを組み合わせて、もう一回配信ができたりするから、やってみてくださいよ。
面白そうですよね。何言ってるかよくわかりませんみたいに返されたらチョックですよね。
でもノートブックLMはシナリオも作ってくれますよ。
そうですよね。
なんか変なごちゃごちゃとしたところを整理整頓してくれるから、また新たにリメイクして話のネタにはつきないかなと思うんですけど。
だから先ほど先生が研修とか研究の昔はそういう余裕がっていう話に続くと、研究をされた企業ってあるじゃないですか、研究企業っていうのが県とか九州全国ってあるんですけど、
あれって結構出されで終わりっていう感が僕はあって、しかも僕は継承とかが好きなんですよ。つながるとか引き継ぐとかいうのが胸熱になるタイプなんですけど、
研究企業を見たときに誰々先生の思いを受け継いで私がしますっていう研究企業にあまり出会ったことがなくて、僕の中で。
なんかみんな文献は大瀧先生とか引っ張ってくるじゃないですか。
じゃなくて身近の先生の研究を引き継いで俺がこれやってバージョンアップさせましたっていうのがあってもいいなっていう思いがあって。
そうなったときにノートブックLMで研究企業とかのPDFを飲ませてスライドにしたりインフォグラフィックにして継承しやすくできるっていうのに僕目つけてて、
これは今年来年でぜひやってみたい。アーカイブ。今までの先生方のやってきたことをアーカイブする。僕のボイスメモリーは100倍有益だと思うんで。
だから宮崎県の実践者のアーカイブを作って、福永先生がそれにコメントして発信するっていう感じですかね。新たなコンテンツができそうな。
めちゃくちゃ怒られそう。
ICTとAIの活用
いやそんなことはない。でまた話がちょっと前後するかもしれないですけど、そもそもAIの前にICTかなりされてたじゃないですか。
ICTが好きなきっかけっていうか、のめり込むきっかけっていうか、そもそもどういう素地があったんです。
もともとデジモノが好きっていうのはあったんですけど、なんかでも正直それこそコロナ禍のとき、GIGAスクールのときにコロナと合わせ技になって、
高校で一人一台がもう何年か、もう何年かな、だいぶ早く先送りされたじゃないですか。早められて一人一台だよみたいになったのがきっかけですねやっぱり。
あれでじゃあ生徒の手元にICTが入ったんだったら今までのとちょっと違う学びが展開できるのかなっていうので興味を持った感じですね。のめり込んだっていう感じですね。
特にあまり学力がそこそこなくて、支援を必要な生徒、そういう生徒にICTってぴったりなんですよね。
ぴったりですよね。だからロイロノート、それこそ先生のロイロノートもそうなんですけど、ロイロノートで書かせるっていうときと打たせるっていうかな、それと鉛筆で書かせるだとアウトプットの量が全然違うっていうことと、自信持って書くんですよね生徒が。
すぐに反応返ってくるからどんどん考えていくし。ICTは革命でしたよね。
革命。だからずっと不満だったのが手挙げた人しか意見が反映されないっていうのがずっとどの授業見てても、この静かにしてる子はなんか深く考えてるかもしれないじゃないって思ってたのがロイロノートで可視化されたじゃないですか。
共有もできると。あれは本当革命。今みんな当たり前にあれ受け止めてるけど、すごいことが起きたんだぞっていうのは若手には伝えていきたいですよね。語り目のようにね。
そのICTもものすごくトライしたりして、MIROまで使われて。
MIROその伝説のね、やりますって言ったら黒瀬先生と佑太先生しかいなかったんだよね。
あの会話で本当僕ね、MIROは僕相当自信あったんですよ。これは。
それってこんな時代の国語研究会で、今日はMIROやりますって言われて、開催した時に私がうわと思って言ったら、少人数だったっていう感じですね。
黒瀬先生ともう一人、学校の教員じゃない福島さんっていう方が来るっていうね、謎の会ができた。
あれは本当に二人には申し訳ない気持ちでね。
そんなことないです。
あれ何なんだと思って。あれこれ俺Zoom間違えたかなと思うんですよね。
Zoomの部屋間違えて設定間違えた。
あの時私が入るや否や福永先生がね、まずいぞこれはって。
まずいって言いますよ。
つぶやかれてたのがすごい。
先生をさお呼びしてさ。
いやいやいや。
何だよなんて。
いやもうね、本当楽しかったですよそういうのね。
でもね、あれいうオンラインホワイトボードツール。
あれでグループ活動のやりとりを可視化するプロセスも加えて、
どういうふうなやりとりがあったのかというか、全部ログで撮れたのであのみろとかは。
だからあれでまた一つグループ活動がおもろくなるなっていう。
あれはでも本当。
今はAIにちょっと心奪われててみろをがっぽり稼げてないんですけど、
多分今のジェミニーとみろは多分僕の中では来年ぐらい結成するはずなんですよ。
つながっていくような感じがする。
そうですね。
やっぱりそういうデジタルが好きっていうところからスムーズにICTに行って、
いよいよ今話題のAI活用へっていう感じですね。
ですよね。
最初はどうでした先生。
最初僕、2022年の11月、友達に紹介されたんですよ。
チャットGPT。
でもその時は、だから何っていう感じだったんですよ正直。
そうですね。私も吐き出す言葉が魅力を感じなかったので。
さすがです。
壊れた機械が喋ってるんじゃないかっていうぐらいの、
あんまり質が高くなかったから興味なかったんですけど、
だんだんとこれはやばいんじゃないかっていうぐらいの言語生成能力を有し始めて、
これからあれからなんかもうこれは見過ごせないなっていう感じになりましたかね。
そうですね。僕もジェミニーが出た時も、
ジェミニーが出た時も、なるほどねみたいな。
ジェミニーはバードって言ってたんですよね、前。
もうバードだからね。
僕ね、バードは本当使えないというのはあれだけど、
本当まだまだな状態だったので、
Google終わるんじゃないかなってその時思ったんですけど、
今蓋開けてみたらね、やっぱジェミニー3か、
ナノバナナがね、やっぱすごいなと思いましたね。
デジタル時代の学び
画像生成能力がすごい高いし、
ノートブックLMにものすごいいろいろなできることを注力して。
載せすぎなくらい載せてますからね。
Google来たなって感じですよね。
来ましたね。来たと思う。
ただ先生それこそ、ジェミニーとかだけじゃなくて他のもいろいろされてるじゃないですか。
僕が質問したってあれだけど、
なんで知るのかというか、使おうって思う。
こうするところのモチベーションというのかな。
それ僕すごい気になるんですよ。
チャットGPTとかジェミニーっていうのだけじゃなくて、
他のツールが欲しくなるのはやっぱりこうチャットGPTや
ジェミニーを使って何かしてる動画を見てるときに
おすすめ動画が出るんですよ。
それにつられてたまたま見た動画が
爆速で情報処理して新しいコンテンツを生み出している
うちの息子みたいな年代の男の人。
やばいじゃん。
こんな若い男の人がこんなことをやって
はっきり言うけど負けたくないって思いました。
それでその時に見たのがオブシディアンとカーソルっていう
アパーティで。
そこからもうね。
何これと思って。
これなんでうちの息子みたいな人がとんでもないことをして
申し訳ないけどこんな評価されてるっぽい。
こんな若造に負けてなるものかおばさんみたいな感じで。
いやいやすごいわ本当にそれがすごい。
この話は誰にも言ってないけど実はそういう本音だったんですよ。
でも負けたくないって。
負けたくないでちゃんと勉強して使うとこまで持っていくじゃないですか。
でもなんか今AIって教育現場で語ると
みんな使ってないのになんとなくのイメージで
語るじゃないですか。
それっぽい感じで。
ハルシネーションマルシネとか
いや所詮はみたいな。
もういいかなっていう。
そろそろ本気でみんなこれちょっと勉強しようかみたいな。
ちゃんと学ばないといけないんじゃない。
それぐらいインパクトがありますよね。
ありますあります。
国語教育の課題
でもなんかこの間の授業堂でも話あったけど
検索程度で使うところからある程度活用できるまでに
すごく落差が障壁が高くて
なかなか登っていかないっていう笠原先生のデータ見たじゃないですか。
あれを考えるとまだまだ難しいかなと思いますね。
そうですよね。
でもなんか本当使った分だけなんで
それこそ使い続けるとそこが見えてくるんですよね。
だからそれをどう職場の中で
それこそこの前YouTubeの中で
AIを教員、これ教員って言い換えられると思うんですけど
教員がAIを使うメリット、インセンティブがほぼないっていう
だからAIで業務を早く終わらせたとて
別に給料が上がるわけでもない
というか先生たちはもう仕事を早くしたら
その分仕事が詰め込まれとしてるので
あえてやらないっていう話聞いて
デジタルと身体性
その通りだなと思って
でもそれもちょっと悲しいけどな。
でも結局未来を生きる子どもたちに
どういう教育を提供するかっていうことが
実は大事なんで
自分たちの仕事がどうのこうのとか
言ってるレベルじゃないと思うんだけど
だから結局そういうところを考えていける人は
ジャンジャンいっちゃって
どうせどういう風な課題が起きようと
2、6、2の割合はほぼ変わらないんだから
私はもう2の2番手ぐらいで
6の人を少し引っ掛ける位置で
頑張り続けるしかないなと思って
2番手理論出ましたね
僕は3番手理論でいけます
いやいや、福田先生そんなこと
本当に
ただ、そうですね
それこそさっき言ったナノバナナ
ジェンミニ3が出てきての
からの生徒と
例えば古典とか古文とかを
繋ぐものができるようになったし
評論とか小説も
もう正直出せるんですよね
その読めるレベルまでのものが
作れるし選択肢も作れる
解説も作れる
でも小説も作れるんですよね
だから昔は小説違和感があったんですけど
今は全然普通に
センターとか共通テストとかで
ちょっとはめられそうなぐらいの
小説は出してくるので
教材を選ぶじゃなくて
教材をこっちは生成する
無限生成するターンに入ったと
だからそれを使って
受験もだいぶ形が変わってくるっていうか
国語の受験指導とか
受験勉強の形が
彼らが教科書データを持って
PDF持って
ノートブックエルメに飲ませたら
解説もしてくれるし
テストも作ってくれるじゃないですか
俺らの役割って
何だと思いますか
私は実はAIの吐き出す文章を
あまり信じてなくて
人間にとってあんまりそこまで
有益なものじゃないと思ってるんですよ
なるほど
先生も実感されてるかもしれないけど
私、女性は特に実感してると思うんだけど
人間って
肉性とかじゃないとダメなんですよ
なるほど
私のお腹の中にいるときから
ずっと会話してるわけだから
子供たちは
その会話でもって育ってきてるから
母親の体温とか
スキンシップとか
肌感とか
声の響きトーン
それこそ声の皮膚で響く感じ
全てが情報なんですよ
それで目と目を合わしながら交流していて
脳が活性化して言葉が刻まれていくわけで
デジタルにはそういう身体性が抜け落ちてるから
私はデジタルだけで子供を育てると
人間にはならないと思ってるので
だから中学生を教えてても
言語運用能力が未発達な子に
愛をがっつり与えるのはすごく疑問で
そんな時間あるんだったら
坊ちゃん読ませてた方がいいなとか
せめて夏目漱石が
自分の魂込めて書いた文章
今は紙面でしか残ってないけど
夏目漱石の身体性の後が
残る文章を読ませた方が
人間の発達にはいいという風な
これは女性ならではの
エビデンスのない感覚ですね
前も話したと思うんですけど
小さい頃にやるべきことって
そういうデジタルというよりは
どうせできるならもっと泥臭いとか
アナログな中でぐちゃぐちゃの中で
一時情報ってそういうことじゃないですか
感動とか感情が揺れ動くとか
うまくいかないこととか
友達と喧嘩してみるとか
トゲトゲしたものも含めた
一時情報による体験みたいなのは
これデジタルかAIじゃ
ちょっと再現が難しいですよね
これは
だからそういった
AIに吐き出す言葉が
どうやって中高校生
もしくは小学生に
どういう影響を与えるのかっていうのは
それは研究者の方に研究していただいて
結果を待ちたいところなんだけれども
少なしスティーブ・ジョブズとか
ビル・ゲイツが子どもたちに
小さい頃あいうのを与えなかったということが
もうそれを示してるんじゃないかと思っているので
授業の未来と出力
私はあんまりAIは
ちょっと距離を置きながら
それこそアクセル踏みながらブレーキ踏んで
っていうのが正しいかなと思ってますね
進みつつ止めつつっていうところですよね
でもこの前話の中で
授業堂の中で野中先生がおっしゃった
AIと子ども対話の中に
お父さんがハブとしてはまって
僕教師ってそうだなっていう感じがしてて
あれ聞いた時に
だからAIが吐き出したものと
子どもだけのワンオンワンじゃなくて
それをいろんな可能性を与えてあげる
他に話してみたり
他の子どもたちに話してみたりとか
あんまり使いたくないけれど
ファシリテーションみたいな
そういう役割なんだろうなっていう
アシスタント?
たぶんボールペンとか鉛筆とかを
ゲットしたのと同じように
高速のボールペンを得たとか
これは先生
危なすぎるボールペンですよこれは
そうですね
自動速記するボールペンで
それをこっちが呪文で制御しないといけない
そういう意味で今日それこそ
前田先生の漫画で読む
あれ僕読んだんですよ
今日遅ればせで
涙が出ますね
涙出ますねあれ
あれ何ですか
前田先生の絵かな
初手のおじいちゃん先生が
まだ定年退職して再任用なのに
教育の本を読むと
奥さんが何でそんな
もう終わったのに読むのって言ったら
いい授業したいからっていう話をした時に
もう涙が出てきて
開いて20ページ目で
これに比べて俺の授業はっていう
そんなことない
いい授業したいな
いい授業ってのは何なのかっていうのが
だいぶ変わってきつつあるから
その感覚
俺らはどういう立ち位置で
国語の授業をすべき
今までのティーチャーズベースじゃない
それがまだ見えてない
ただ単に面白い授業をしようっていうのでしかやってないから
それは生徒ファーストから出てる言葉なので
福永先生は多分それをやり続けていくと
見えてくるんじゃないですか
そうねまだね
70定年退職としたらあと25年はね
まだまだ時間もあるし
まだまだやることはね
まだまだですよ本当本当
奥が深いんで
私もやっぱり年代ごとに全然また
授業観とかも少しずつ変わってるから
それは変わるもんですか
変わりますよねやっぱりね
少しずつ少しずつ
なので時代も変わるから
少しずつ変わっていくから
これからAIが入ってきて
その変化の速度も激しくなってるから
常にアップデートし続けないといけないなと思って
だからその中でやっぱりちょっと僕も
古いところというか先生方の授業を
若い頃ずっと見続けさせてもらった影響もあって
1時間1時間をどうちゃんとやっていくか確実にっていうところと
今の単元っていう5、6時間ぐらいの
ここをどう両立させるかっていうのが結構悩みどころで
そこもそろそろみんなと話し合ってみたいなっていうか
本次ってやつですよね
結構今指導案がなめられてるなって感じがしてて
ぶっちゃけ研究授業とか校内でするじゃないですか
それももう負担だから本次案の略案だけでいいよとか
管理職が言っちゃうんですよ
いや待てよっていうね
単元だろっていうね
本次案だけの略案で何なのっていう
そこら辺がなんかすごい
本次がなんか逆に軽く見られてるような感じがして
それも学校の先生がすごく多忙化してるから
働き方改革でそういうふうな案が出て
なかなかうまくいかないところですよね
でもやっぱりこうやって私たちのような
授業を何とかしたいなって思う人たちが集まって話をして
今はもういろんな人にアウトプットする機器が出てきたんで
私なんかポッドキャストもしたりとか
SNSで発信したりなんかしたら若い人に引っかかって
時々質問メールが来たりするんですよ
これに困ってますどうしたらいいんですかとか
ああやって少しずつ自分のできることを広める機会があるので
じゃんじゃんアウトプットしていったらいいんじゃないですかね
福永先生是非ポッドキャストなり何なり
もちろんこんな時代の国語研究会っていうのも続けていただいて
是非是非ポッドキャスト強烈に進めておきます
進めてますよね
多分ポッドキャストを笠原先生おっしゃってたけど
私はポッドキャストに向いてるっておっしゃってたんですよ
それは何なんですかって聞いたら
新章一冊新章の一冊の中に章ってあるじゃないですか
あれを書くようなものなんですってポッドキャスト
なるほどね
だから始め中終わり終結っていうのを常に考えながらしゃべるから
授業に対する影響もすごく大きいですよ
私の尊敬する国語の先生ですごい授業の上手な方がいて
その先生がおっしゃったことがすごい印象的で
僕は今日胸に何か一つ大きなものを持って教団に上がるっておっしゃってて
ここに落とすぞっていうイメージを持って教団に上がるんだそうですよ
それを作る
ここに落とすぞっていうイメージを持って教団に上がるから
それがぶれないからいろんな質問とかが来ても
拾ってそこに持っていくイメージを常に持ちながら行く
でその生徒がその授業を受けた生徒が言った名言があるんだけど
なんとか先生っていうのはいつも僕たちに何かを授けてくれるっていう風に言って
だからやっぱり一本何か持って授業に上がるっていうのを
期待続けるっていうことはポイントで
それはやっぱりポッドキャストっていうのをやることによって
鍛えられる部分だと思うんですよ
ポッドキャストによって
ポッドキャストも何か一個結論を持って話すわけじゃないですか
タイトルもあってスタートがあって説明があってここに落とすっていう
かなり良い練習になると思うんですよね
確かにですね
福永先生との対話
なんかボイスメモも慣れてくると15分ぐらいで大体一つ話が終わるんですよね
こういう練習をしているような感じ
ちょっとやっていれば多分話す時もここに落とすぞと思いながら話している人と
その着地点をイメージせずに話す人では聞き手も引き付けられ方が違うと思うんですよ
耳が痛いですね
さっきの授業の上手い先生っていうのは本当に引き付けるお話をされてたので
これがポイントだったんだって思いました
なるほど
授けてくれるって生徒が僕そこすごく大事と思ってて
授業なんで授けるのをそこを意識するってめちゃくちゃ大事ですよね
それを毎日トライアンドエラーしながら続けて磨いていくと
知らず知らずの間に落としどころのある授業ができるように
無意識になっていくんじゃないかと思うんですよ
だから福永先生ポッドキャストしましょうっていうね
そういう配信会になってしまいました
怖いなぁ
なんかもう見ろ会がトラウマで
じゃあそろそろだいぶ多分30分ぐらい話したんじゃないかと思うんです
すみません本当に話したいこと話したのでごめんなさい本当に
いいえなんとなく福永先生とのお話はそうなるんじゃないかと思っていました
じゃあ激烈に福永先生のポッドキャストをして
これで笠原先生も喜ばれると思いますので
子育てでお忙しいと思いますけど1ヶ月に1回でもいいので
ポッドキャストは通勤中でもいけますから
配信してみてください
気軽に言っていいのか
もしわからなかったら笠原先生も私もいろいろ応募しますので
先達はあらまおしきですかね
絶対にためになりますよ
別に毎日配信する必要はないんで
1週間に1回か2週間に1回か自分で決めて
笠原先生はボイシーは毎日だけど
普通のポッドキャストは週に1回月曜日です
先生毎日してません
私は毎日配信は8月31日でもう練習終わりで
9月から週に3日にしました
週に3日かすごいな
今度は質を上げていくような
それを目指そうと思っています
ということで
福永先生をポッドキャストに誘う回となってしまいましたけれど
福永先生また今後ともAI活用等々よろしくお願いします
本当に申し訳ない先生
大丈夫ですかこれで
大丈夫です
ということで今日は福永先生にご登場いただきまして
こんな時代の国語教育を考える回お届けしました
福永先生どうもありがとうございました
ありがとうございました
またよろしくお願いします
どうでしたか福永先生と私の対話ぶり
20分から30分で終わらせるつもりが
なんと40分も喋り続けてしまいました
この後録音が終わっても
2人ともAIについての話ICTについての話
そして国語教育全般についての話
それからデジタルの機器のこととか
もう話は尽きることはありませんでした
そんな福永先生を強烈に
ポッドキャストにも参加するようにとお誘いしましたので
今後の福永先生のご活躍が大変期待されます
それでは今日の配信はここまでです
聞いてくださりありがとうございました
またお会いいたしましょう
46:04

コメント

その場にいないのに三回くらい呼ばれましたね笑 福永先生、ポッドキャスト始めましょう?笑

あらら、そこまで聞こえてしまいましたか(笑) 福永先生はきっと始めてくださるでしょう♫ この配信で4~5回は誘いましたし、なによりおしゃべりがお好きなようですw

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