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2025-05-02 47:14

【ミルあげライブ】人生の短さについて(途中)


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サマリー

このエピソードでは、社労士ママのかなやなおこさんが、セネカの著作『人生の短さについて』を通じて、時間の価値や、人生を充実させるための時間の使い方について考えています。また、現在と過去という時間の概念にも触れています。人生の短さや時間の使い方について深く考察しており、具体的には家族や過去の思い出の重要性、未来への期待や不確実性についても語られています。人生の短さについての考察が行われており、時間の過ごし方が人生に大きな影響を与えることが示されています。さらに、セネカの手紙を通じて、日常の忙しさがどのように人生を短くするかについても触れられています。

入院からの帰宅
はい、どうぞ。
飲まないの?そう、まだ?
おはようございます。
社会保険労務士でキャリアコンサルタントのかなや なおこが送る、社労士ママのしごと×子育て交差点。
ということで、本日のミルクあげライブをスタートしていきたいと思います。
はい、本日は5月2日ですね。
大阪は雨が降っております。
今日は全国的に雨なんですかね。
今日はですね、4月30日から入院しておりました、
うちの第一子3歳と夫が本日帰宅する予定でございます。
午前中には帰ってくる予定なので。
一応検査結果はね、5月の下旬、ちょうど5月29日のセミナーに被ってきそうな感じなんですけど、
それぐらいに結果を聞きに行くことになりそうです。
びっくりしたのがね、
主治医がね、変わってたんですよね。
夫とマラインでやりとりしているんですが、
検査結果とか入院中に聞けるのかなとか、
後日になるんだったらいつぐらいなのかなとか、そういうの聞いといてって、
一応その確認事項をいくつかまとめて夫にお願いしたんですけれども、
そもそも主治医が変わってたっていう。
結構その主治医がね、
割とおじいちゃんで、
もしかしたらご定年のタイミングだったのかどうかわからないですけど。
そしたら一応今年の2月か、行った時に定年であれば定年って言ってほしかったですけど、
もしかしたらそういう定年じゃなかったのかもしれないですけどね。
もう退任されていらっしゃらない状態だったみたいでね。
そう、専門の先生じゃなくても大丈夫なのかな。
一応成長ホルモン分泌の検査とかって、
専門の先生がやっていただけるっていうことで、
かかりつけから紹介されてね、受診しているはずなんですけれども。
ちょっとそこのところはね、私素人にはよくわかんないですけどね。
本題に入っていきたいと思います。
人生の短さについての考察
人生の短さについてっていうね、今タイトルの本を読んでいます。
昨日ちょっとね、読む時間があったので、パラパラパラーと読み進めていたんですけれども。
このね、人生の短さについて。
セネカさんっていう方がね、確かね、ギリシャ時代の人だったかな。
ローマ帝国の、遥か昔にね、存在していた方なんですけれども。
結構ね、あ、出してる。
ミルク真面目に飲んでください。
一応140ml作って飲ませてるんですけど。
そう、この人生の短さについてっていうね、タイトルがやっぱり、何でしょう。
私は結構心惹かれてしまって。
昔の人の話なので、結構読みにくいところとかがあるんですけど、周りくどいというかね。
でもなんかすごく、心に響いた言葉がたくさんあったので、ちょっとそこを紹介していけたらなと思います。
でもなんか、私も全然その、いかんせんなんていうのかな。
噛み砕けてなくて、なんか表現が結構ね難しいんですよ、私にとっては。
全然噛み砕けてなくて、これどういう意味?みたいな感じで、何回も何回も同じ歌詞を読んだりすることがほんと多かったんですけど。
時間ってどうですか?
ここに書かれてるのはね、なんかその時間って、今もこの瞬間もそうですけれども、形ってないですよね。
形もなくて、目に見えなくて。
だからこそ、このセネカさんっていう方は、形もないし、目に見えないから、とっても安く見積もられてしまう。
価値がないように思えてしまうっていうふうにね、書かれてるんですよね。
やっぱりその時間は大事っていうのは、本当時は金なりじゃないですけど、お金のように大事っていう。
日本語のことわざとかもあったりとかね。
時間は私たちの命、とかね。
確かに時間は大事っていう認識は持ってはいるものの、
なんかどうしても、なんていうのかな。
安く、安くというのかな。
なんでしょうね。
うまく言えないですけど。
どうですかね。
もし、うまく言えない、うまく言えない。
本当話しながら、自分の中で解釈していく感じなんですけど。
でも、いつ尽きるかわからないですよね。
始まりはわかります。
始まりは、私の場合であれば、39年前の2月、誕生日が私の時間の始まり。
夫であれば、夫の誕生日だったりとか。
それぞれの誕生日の人生というか、時間の始まりだと思うんですけど。
でも、終わりってわかんないじゃないですか。
もしかしたら私が80くらいまで生きるかもしれないし、
20年後に終わるかもしれないし、
もしかしたら1ヶ月かもしれないし。
今のところ、余命の予定はないんですけど。
いつ尽きるかわからないものに関しては、
より慎重に守らなければならないっていうふうに、
過去から学ぶ
ここではセネカさんはおっしゃってるんですよね。
けれども、やっぱり形もないし、いつ終わるかもわかってないから、
まだきっとたくさん続いていくんだろうなっていう感じがしますね。
そういう考えがあるからこそ、
やっぱり時間の使い方に関しては甘くなってしまう。
この方をね、人生は短い短いって言うけれども、
人によっては、人の行動っていうんですかね。
その人の行動によっては短くもなったり、
すごく長すぎるものであったりとかするっていうふうに、
確かおっしゃってて。
読むのが、一応ノートにはまとめてるんですけど。
動かんといて。
なんかね、威力を上げながらやから。
どっかに書いた。
どっかに書いた。
セネカさんと、
エッセンシャル思考もどっかで読みながらやったから。
忘れたわ。
そう、そんな感じ。
人生を長くする時間の使い方。
時間の使い方で短くもなり長くもなったりするんですよっていうことをね、
この方書いてるんですけど。
じゃあ人生を長くする時間の使い方ってなんや。
っていう箇所を昨日読んだんですよね。
もう飲まないな。
そしたら、こう書いてあって。
未来に頼らず、現在を逃さず、過去と向き合う。
ちょっとね、私ここから何残っちゃうかよくわかってないんですけど。
やっぱり何でしょうね。
未来。
人生の、なんか、全体の時間の区切り方として。
過去、現在、未来。
っていうね、三区分できるっていう風にセネカさんはおっしゃってるんですよね。
この三区分の中、現在ってもう今ですよね、今。
今現在。
今現在。
私がこの今現在って喋ってる瞬間に、
時間も流れていって、
めちゃくちゃ短いですよね。
数秒前に言った現在って、過去のものになってますね。
現在っていうのは本当に今この瞬間のことを言ってとても短い。
じゃあ未来。
未来ってまあ、10年後もそうですけど。
まあね、あさってとかもそうですけど。
これって、絶対これが起こるって言えないですよね。
あくまでも予定、予測であって、不確かなもの。
まあね、ちょっとは予測可能な部分はありますけど。
この中で一番確かなものっていうのって、過去。
私がこの先ほど人生で三区分できますって言ったものが、
過去現在未来。
で、過去っていうのはもうすでに起こったこと。
なので、
運命。
運命の力が及ばずに、自由にもう絶対動かない事実がそこに流れているので、
運命の力は過去に対しては及ばない。
過去が変わるとかね、そういったことは起こることはない。
自由にもできない。
だからこそ過去っていうのは永遠に所有することができるんですよ、
っていうことをこのセネカさんはおっしゃってるんですよね。
で、私たちが人生は長く短いよ、とかいうのを
いかに長くしてする時間の使い方っていうのは、
この過去と向き合うことで人生が長くなっていくっていうのを言ってはったんですよね。
うーん、なるほどなーと思って。
で、その過去って、私ここ呼んだ時にね、
自分の過去。
っていう部分のことを指しているのかなって思ったんですよ。
でもそうしたらどうやらそういうわけでもなくて、
なんかその、私が、自分の時代もそうなんですけど、
私が生まれる、自分が生まれる、
なんかその、私が、自分の時代もそうなんですけど、
私が生まれる前の時代っていうのを、
例えば、私が今セネカさんの本を読んでるから、
ローマとかそれぐらいの人たちですよね。
その時代のことだったりとか、
あとは何だろうか。
うーん、何でしょうね。
まあ、昭和に学ぶとか、戦国時代の武将に学ぶとかですかね。
なんかそういったことを過去でやれば、
自分の過去に自分の時代だけじゃなくて、
いろんな方の知恵とかを付け加えることができる。
なんかそこが、人生を長くする時間の使い方だよみたいなことを書いてて、
おほほー、みたいな。
うん。
だから何でしょうね。結局その、今って私たちとても忙しいじゃないですか、現代人って。
未来にこういうふうにしていこうっていう、
じゃあ、今この瞬間にはこれをしていきましょうとかね。
なんかそういうことをしていくと思うんですけど、
うーん、何でしょうね。
なんかそれを知っていったら、人生短くなりまっせっていう話をしてはんのかな。
私もよくわかんない。
そう、読み方がね、全然浅いんですけど。
これ飲まないの?全然飲んでないよ。
ほんと朝飲まないね。
飲まないね。
そう、もうねちょっとこれ、
あくまでも自分の中の頭の整理としてちょっとライブしているので、
何のこっちゃかよくわからない。私も何のこっちゃかよくわからない。
なんかね、もうミルクあげながらなんで、だいぶ注意さんもあんなんですけどね。
そう。
このセネカさんから言うと、
究極人生が長く感じられる生き方、究極ですよ、究極。
世俗的な営みから離れて生きる人の人生。
なんかもう、世俗的な営みやから、
普通に社会生活を送っている人から、
社会生活から離れて生きる人の人生は、何一つ奪い取られない。
だからもうその人にとって人生はとても長すぎるぐらい。
時間に支配し、時間の奴隷になるわけじゃなくて、
ちゃんと時間を使っている。
こういう人はいつ最後の日が訪れようとも、
もうためらうことなく、死に向かって生きるんだよっていうことをね、書いてたんですよね。
まあでも世俗的な営みから離れるって、生きるってね、ちょっと、
どんなんでしょうね、世俗的な営みから。
私であればきっと、今こういうふうに子育てしてる人すらも、なんでしょうね。
きっとこの人からしたら、これいいんかな、世俗にまみれてるというかね。
お酒を飲んでるとかね、ギャンブルして時間を溶かすとかね、
そういうのはこの人からとっても言語道断なんでしょうね。
そんなこと書いてあったな。
そうなんですよね。
なんかもうわかんない。
本当いろいろ確認したいんですけど、
いろいろね、読みながら確認したんですけど、いかんせん、ミルク飲ませながらなんでね、ちょっと、
もう手塞がってるんで、自分の頭の中とノートが頼りなんですけどね、今開いてるページ。
っていう感じでした。
なんのこっちゃって感じですね。私もなんのこっちゃかわかってない。
まあでも本当人生はね、こういうふうに、
なんかほんまにそうやなーって思うのがね、
なんか私は今、
いつ最後の日が訪れてもいいように生きてるんかなっていうのはすごく考えさせられましたね。
どうですか?
いつ最後の日が訪れてもいいように生きてるんかなっていうのはすごく考えさせられましたね。
どうですか?
人生の短さと確かなもの
いつ最後の日が訪れても、ためらうことなく、確かな足取りで、死に向かって生きてますか?
なんかね、時間の使い方って人それぞれだと思うんですけどね。
なんか私これを読んでて思ったのが、
これもね、未来に期待してる生き方なのかもしれないけれども、
ちょっと例えば、
私はよく考えるときに、
自分が死んだときに何を人生に残していたら、
私はすごく、なんか、満足できるのかなって考えたときにね、
過去って確かなものってここで言ってるので、
何があったらいいのかなって思ったときに、
やっぱり確かな存在って、うちの夫であり、子供たち。
なんかもう、先の言葉を借りるとね、
過去って運命の力が及ばずに、ずっと、永遠に私が生きてる間は所有できるもの。
ということであれば、
私はやっぱり家族との時間、それが確かなものなので、
なんかそれをすごく大事にできるような、
なんていうのかな、生き方をしたいなっていうのはとても思いますね。
なんか、ちょっと話がね、変わるんですけど、
本が変わる。
私、サピエンス戦士っていうね、本の上巻下巻があるんですけど、
中には上巻、中?中もあるかもしれないけど、
上巻のところをね、オーディオブックで読んで、
なんか感じたのが、この世の中って人間が作った曲って結構できてるんだなってちょっと思ったんですよね。
どういうことかというと、
私たちが日本人であるっていうのとかね、
別にそういう政治的な話じゃないですよ。
そういうところとかも、結びつきを強くして大きな目標を達成するために、
線引きされた曲の一つなのかなっていうふうに思うようになったんですよね。
実体もないというかね。
日本っていう国って実体あります?
実体ありますって言ったらおかしいな。
でもそれ形ってどんな形なのかなとか。
法人格っていうのも人として存在してるわけじゃなくて、
人としては存在してないですよね。
それってそこに意味を持たせてる曲というか。
でもね、そうなった時に、
確かなものってすっごい少ないんだなってちょっと読んでて思ったんですよね。
確かなもの。
それって私にはパートナーがいて、
それが夫っていう存在は、
別に婚姻関係とかじゃなくて、
夫のことをすごく信頼していて、
夫も私のことを信頼してくれていて、
私のそばにいてくれる。
で、この二人の間には、
第一子3歳と、
第二子の今抱っこしてる、
0歳7ヶ月の子供がいる。
それってもう動かの事実。
で、私には父と母がいて、
妹がいて、
これももう変わらない事実ですよね。
で、後、すごい事実って、
本当に確かなものって、
とても少ないもんなんだなっていうのを、
その方をね、
感じたことなんですよね。
過去と現在の境界
だから、なんだろう。
よくわかんないですけど。
だから、すごく確かなものに関して、
私は大事なものを大事にしていきたいなっていうのは、
サピエース前史とか、
このセネカさんの話を聞いて、
より感じたところですかね。
なんかこれって、
別にもう本当にね、
私に子供が二人いる、
町を分けた子供が二人いるっていうのは動かの事実ですし、
で、夫と一緒に生活してるっていうのも動かの事実なので。
そこを、
なんでしょうね。
過去の思い出として、
別に離婚するとかそういうわけじゃないですけど、
それは、
大事なものとして、
なんていうのかな。
多分大事にしていくと、
自分の中で、
一番、
もし、明日最後の日が来ますよってなった時でも、
なんかためらうことなく、
生きていけたりとかするのかなっていうのはちょっと思いましたね。
だからなんか、
人生の短さっていうか、
まだ私全然読めてないんですよ。まだ途中でね。
これいつ終わるのかな。
いつ終わるんでしょう。
人生の、もうそこ終わるのかな。
あ、そんなことないな。まだまだ続きそう。
あ、でも、今私68ページまで読んで、
終わりが89ページか。
なので、まだちょっと続きそうですけど。
そう、人生の短さね。
ちょっと今、ミルク飲み終わったんで、
あれなんですけど、
さすがにね、この人の人生、
時間に何一つ奪い取られない生き方っていうのがね、
世俗的な人並みから離れて生きる人の人生って、
そんな生き方はさすがにできないなと思うんですけど、
ちょっと、
自分がこの人生のね、
生き方によって長くもなれば短くもなるのであれば、
今ある確かなもの。
子供の存在だったり、
夫の存在だったり、
そういった確かな存在を、
いっぱい増やしていけるような生き方をしたいなっていうのは感じましたね。
この人の言うね、
過去の鉄人に学び、平地を求める生活をするみたいな。
そんなことは私もできないんで。
いつの人かな、ちょっと見よ。
ローマ帝国。
ローマ帝国の人か。
ローマ帝国の人なんですけど。
この人ね、また生活がね、全然、
生きてる時代も全く違いますしね。
ローマ帝国。
何千年前?
何百年前?
いつの時代よねって感じですけど。
なるほどなって思う部分もあったりとか、
しながら読んでますね。
あと結構笑える表現もとかもあってね。
長い。
くどいっていう感じ。
人生は浪費すれば短いが、
過ごし方次第で長くなると説いてる兄弟作って書いてるように。
そんな感じで書いてましたね。
だからなんかお酒飲んではとかやってる過ごし方はもちろん論外ですけれども、
未来に期待する生き方。
未来なんて不確かなものに関して、
そっちの方ばっかり向いてる生き方に関しては、
どうなんかなっていうようなことを書いてるような気はしますね。
腰が痛いわ。
なんかね、やっぱり、
ローマ帝国の人たちは、
ローマ帝国の人たちは、
腰が痛いわ。
言葉は、
言葉のリズム感というか、
結構それは面白いなと思ってて。
生きる上での最大の障害は期待。
なんと、
読み方が本当浅くて。
ただ単に年齢を重ねているとか、
っていうのは、
長く生きていたのではない。
単に長く存在していただけなのだとかね。
この時代の平均寿命ってどれくらいかわからないですけど、
今39歳なんですけど、
単に長く39年間存在していただけって言われると、
なんかドキッとしますね。
この人の言っていることはともかくとして、
自分の人生って短い短いって嘆くんじゃなくて、
自分の時間の過ごし方によっては、
人生を短くもしたり長くもすることもできるんだなっていうのは、
考えさせられる一冊になってますね。
人生は使い方を知れば長いとも書いてますね。
どうですかね。
使い方を知れば。
本当多分この人にとっては、
育児をしている時間とか、
ライブをしている時間とかも、
なんと時間を浪費してるんだって。
育児はどうなるのかな、子育ては。
でも子育てはもうどうしてもね、
忙しくならざるを得ないというかね、そんな気はしますけど。
ローマ帝国の男性人って子育てしてたんですかね。
なんか私ローマじゃないですけど、
ソクラテスの時代とかって勝手な偏見ですけど、
昼間からね、
若者捕まえて、
無知の地とか言ってそうな印象。
そんな感じがしますけど、どうなんでしょうね。
価値観もだいぶ今とは違うんでしょうけどね。
人生って過去と現在と未来に分けることができるので、
過去が本当に確かなもので、
現在はめちゃくちゃこの瞬間にも流れているので短くて、
未来は不確かで、
未来は不確かで、
未来は不確かで、
未来は不確かで、
現在はめちゃくちゃこの瞬間にも流れているので短くて、
未来は不確かで、
未来に頼らず、現在を逃さず、
過去と向き合う、
こういう生き方が人生を長くする時間の使い方なんですよっていうことを、
この本では今教えていただいている最中ですかね。
本当に赤ちゃんを見ていると、
未来への期待と時間の感覚
この子は多分未来も過去もなくて、
今を生きているんだなっていうのは感じますね。
寝返りしようとか、
おいしそうとかね。
もしかしたらですけど、
子供の時ってとっても時間って一日すごい年長く感じたんですよね。
今しか考えなかったりとかすると、
時間ってすごく長くなるのかなってちょっと思ったりしました。
やっぱり、
大人になってくると、
先のことも考えてこれをしようとか、
あまり過去のことを考えてこれしようってないと思うんですけど、
今この時間をどう過ごそうかとかって、
あんまり考える時間ってなくて、
例えば、
これ晩御飯にこれを食べたいから、
これを食べたいから、
例えば、
これ晩御飯にこれを食べたいから、
この晩御食事の準備しようとかね。
そういうことを結構、
身近な未来のことに関して言うとそんな感じだったりとか、
5月の29日にセミナーがあるから、
そのセミナーの資料の作成するために、
この時間当てようとかって結構、
未来のための準備みたいな使い方。
トンスコさん、おはようございます。
すいません、
人生の短さについてっていう本を、
ちょっと潜り気味ですが、ありがとうございます。
なんかもう私ね、
この文章難しくて、
なかなか読み解けないというか、
私は多分バカなんでしょうね。
全然読めなくて、
何回もね、
行ったり来たりして、
本当、
読み解けなくて、
難しそう。
多分トンスコさんなら全然、
私何回読んでも、
この人のまどろっこしい表現、
意味がわからないみたいな感じで、
なんですけど、
あの、
とりあえず、
すごくちょっと、
今、
自分の中で壁打ちしながら、
読んでる最中です。
そう、人生を長くする方法。
なんかね、子供時代って、
なんかすごく一日長くなかったです。
今年は本当に長くて、
あの、
遊んでるけどなんか長い感じ。
で、今は、
もう一日ってめっちゃあっという間なんですよね。
まあ、
ね、仕事をしている時、
仕事をしている時よりは、
割と緩やかな時間なんですけど、
本当、
ね、第一死もおったらもうあっという間。
第一死もって、
おったら、
お風呂入れなあかんとか、
なんか、
なんかタスクに追われてる時って本当に、
あれもう、
もうすぐ6時やんみたいなね、
そんな感じやったりとか、
するので、
うーん、やっぱりそれって、
なんか、
未来のための準備に、
我々現代人って結構追われることが、
本当に多かったりとか、
日々のタスクってやつですよね。
だからなんか、
なんだろう、
人生の短さと時間の過ごし方
うーん、
そう、
だからすごく時間って、
短く感じられる?
だからそういう生き方がきっと時間を、
人生を短くしている生き方なんだろうな、
とは、
感じましたね。
究極、
言ってしまえば本当に、
なんだろう、
社会の、
こういう枠組みから外れて、
世俗的な生き方を捨てたら、
これからの人生、
これからの人生、
めっちゃ時間長くなるんでしょうね。
かといって、
そういう過ごし方したいかって言ったら、
どうなんでしょうね。
だって今から仕事も全部辞めて、
この間、
久しぶりにね、
お家がない人見たんですよね。
お家がない人。
昔、新居間宮にいたような感じの人。
多分、大阪にの人だったら、
ああ、って分かると思うんですけど、
今の新居間宮、
多分そんなことないと思うんですけど、
昔の新居間宮。
多分、ああいう生活をしたら、
すっごい時間って長くなるんだろうな。
あとは、
ポツンと一軒家にあるような、
人生。
人生?
人?
そういうところだと、
本当にきっと時間って、
とっても、
長くなる過ごし方。
会社とか辞めてね。
いやー、
それなー、
できへんわ。
って思いますね。
ブロックとか、
いろいろ言われるかもしれないですけど、
なんか、
その過ごし方をしたいのかなー、
とかね、
長けりゃいいってもんでも、
ないですね。
たぶん重要なところって、
長い短いっていうよりは、
それこそここに書いてる一文でね、
なんか、
いつ最後の日が訪れようとも、
ためらうことなく、
確かな足取りで死に向かっていく。
そういう生き方が賢者、
っていうふうに、
言われてるんですよね。
だから、
たぶん私今、
明日があなたの最後の日ですよ、
って言われたら、
めちゃくちゃためらうと思うんですよ。
えー、マジでどうしよう、みたいな。
たぶんもう、
それを言われた瞬間に、
たぶんもう、
1日だけじゃなくても、
たぶん1ヶ月後?
嘘やん、もう。
えー、
1ヶ月後に私死ぬんって思うと、
あのー、
そのー、
言われた瞬間に、
1週間、2週間、
もしかしたら1ヶ月後ぐらい、
ずっと落ち込んでるかもしれない、
と思うんですよね。
うーん、
なんか、
もしかしたら1週間ぐらいかな、
どうなんでしょう、
言われたことないからわからんけど。
うーん、
だからなんか、
そういう賢者的な生き方は全くできてないな、
って思うんですけど、
じゃあ、賢者的な生き方、
どうなんでしょうね。
でも、
小さい子おったら、
ためらえません、やっぱり。
ねえ、なんか、
なんやろ、
やっぱりね、今私、
7ヶ月の子供もいますし、
3歳の子供もいるので、
あと半年、
って言われたら、
えー、私この子の、
ランドセル背負った姿見られへんのか、
とかね、
この子たちが結婚することに関しては別に、
ノータッチなんで、
そこまでは何も思わないですけど、
なんか、この子が、
小学校行く姿見れないのか、
中学校行く姿見れないのか、
とかね、
なんか、
子供いる人とかあったら、
無理ちゃうって思いますけどね、
うーん、
どうなんやろ、
ねえ、
そのことに関して、
この、
セネカさんに聞いてみたいですけど、
もしかしたらね、
私これまだ途中なんで、
後半に書いてるかもしれないですけど、
もうローマの人なんで、
聞きたいんですけど、
ちょっと、
聞いてないですけど、
もうローマの人なんで、
聞けないですね、
どうなんだろう、
もしかしたら問いを投げかけてくれてるだけ、
だけじゃないけど、
問いを投げかけてくれてるのかもしれないですけどね、
これってなんかその、
人生の短さについて、
あの、
書いた本、
なんですけど、
なんかセネカさんがね、
ある人に対して、
書いた手紙、
らしいんですよね、
だからなんか、
不特定多数の人に対して、
人生って短いんだよ、
っていうことを、
この人は言ってるわけじゃなくて、
なんかこの人の、
すごい身近な人に対して、
なんかその、
書いてる、
なんか、
忙しいって、
人間から、
意味のある時間を奪って、
人生を狼煙させて、
短くしてしまうんだよ、
っていうのを、
すごくもいろんな例を出しながら、
書いてるお手紙なんですよね、
そう、
だから、なんだろう、
なんか、
本になってはいるんですけれども、
なんか、
この人に対して、
なんかいろいろ、
いろんな例を出しながら、
だからそんな浪費しちゃダメなんだよ、
っていうことを、
頑張って説いてるお手紙、
を今読まさせていただいてる感じですかね、
だってローマで、
多分、
そうそう、
なんかセネカさんが、
何さんやったっけな、
セネカさんが、
セネカさんが、
ちょっと爪伸びすぎて、
パウリヌス、
っていう人に当てたお手紙で、
このパウリヌスさんっていうのが、
セネカさんの奥さんの、
妊娠者だった、
もしかしたら、
奥さんの、
お父さん、
に対して当ててるんじゃないかな、
っていう風に書かれてますね、
めっちゃ喋ってるよ、
ということで、
これを人生の短さについて、
読んで、
あんまり時間を浪費してはいけないな、
っていうのは、
私も改めて、
痛感しましたので、
ぼちぼちライブを終わりにしようかな、
と思います。
ライブもダラダラしちゃダメですね、
時間の浪費になっちゃうのかも、
もうね、
すごい皆さんの時間を溶かしてしまってる、
ような、
ライブになっているのかもしれないので、
そこは改めないといけないな、
っていう風に、
反省しながら、
時間の使い方についての考察
読んでおりました。
人生って過ごし方によっては、
短くもなり、
長くもなったりする、
ということなので、
もし、
こういう話をしたいな、
とかってありましたら、
こっそり教えていただけると、
嬉しいです。
時間の使い方とかって、
本当に聞きたいですよね。
ということで、
もう8時17分か、
ぼちぼちと、
この子の離乳食とかも、
準備しようかなと思います。
では、
大阪は本日雨ですが、
素敵な一日をお過ごしください。
かねえなおこでした。
47:14

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