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どうも、WATAです。
TAZAWAです。
人生の短さについて語ろうと思います。今日唐突ですが。
ちょっと二人でね、オフのトークですけど、僕らいろいろ本とか読んで話してるじゃないですか。
で、ちょっとなんか最近、まあ現代的な本とか紹介しつつ、この前TAZAWAさんは武士道。
ネトビー謎の武士道を紹介したりとかっていう感じで、割と古典に寄っていくのがいいかもねみたいな感じの話してて。
ちょっと早速報道に移しましてですね。僕はちょっと割と世界史よりの古典に行くみたいな話をしてたんですけど。
セネカ。セネカ、ご存知ですか?ご存知ですか?っていうかTAZAWAさんからリクエストもらって話してるんで。
そうなんですよ。セネカを僕もちょっと知りたいなって思ってて。僕は怒りについて。
怒りについてね。
その本をちょっとだけ読んでて、で、TAZAWAさんにやってくださいってリクエストをしたという。
怒りについてちょっと僕もちょっとだけ把握してるんで、ちょっとその話もできればと思うんですけど。
そう、ちょっとなんか全然違う本読んできてすみませんね。人生の短さについて。
でも一番有名ですか?
あ、そうそうそうそう。これがまあ、この人なんかね、何個かそういうね、書物ではないんだけど感傷っていうのかな。なんかそういうの結構書いてて。
で、この人生の短さについてっていう。
これあれですよ。確かセネカさんって哲学者なんですよ。ちなみに。で、いわゆるストア派って言って。
ストア派って何かっていうと、ストイックの語源になっているんですよ。だから金欲主義的な哲学思想の派閥なんですけど。
ストア派の哲学者として大変有名なセネカさん。ローマ時代の方ですよね。
で、まあこの人生の短さについてっていうのは、書物っていうよりも確かね、この人弟子がいて、パウリヌスっていう弟子がいたんだけど、
その子に向けて書いた手紙みたいな感じのが本としてまとまってるみたいなやつで。
だからなんかね、実際の本はかなりカタリックチック調で、こうこうこうした方がいいよ、こうこうこうした方がいいよ、こう思うよみたいな感じで書かれてるんだけど、
実際の本もそういう感じになってて、なかなかこう最近の現代的な書物のテイストからすると割とストーリーテリングみたいな感じになってるから、なかなか難しい本ではあるんですけど、
ともかく言ってる本の内容的には至極シンプルでして、もうこのタイトルの通りですよね。
だからパウリヌスに対して人生っていうのは短いから、本当にあれだよ、ちゃんと意識しないとすぐ人生短いなって終わっちゃうぞみたいなことを、こんなカタリック調ではないと思いますけど、そういう感じで説いてる本なわけですよ。
で、セネカが言っていることをせっかくなんで本の紹介もしたいなと思うんですけど、
人生の短さについてっていう本なんだけど、セネカさん自身は別に人生は短くないって言ってるんですよ。人生は短くねえからって。
短いと感じさせてるのはお前だからみたいなことを言ってる本ですと。
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まさもその時間なんてもう実はすごい、だってあれでしょ、病とか何時間とかにしたら人生何十何年、すごい膨大な時間ですよ。
もういくらでもあるんだけど、結局人っていうのは忙しさにかまけたりとか、あとは時間ないとか言いつつ、変などうでもいいことに時間を使っちゃってたりとか、
あとはなんか人と喧嘩したりしてなんかイライラして時間を無駄に費やしたりとか、そういうことで結局そういうのが積み重ねちゃうと、もうあの人生がね短く感じちゃうんだと。
なるほど、だからあれか、お前が言うところの人生の短さについてって本なんですね。
そういうことです。そうそうそうそう、まさに。で、これはねえ、これ2000年前の本ですよ、ちなみに。
秘言前ぐらいの人ですか?
いやそうですよ。秘言前ぐらいのおじさんですよ、本当に。
だからもう2000年前からこの時間の大切さとか、そういうことをもう説いてるわけで、2000年間不思議その人の感覚って変わってないんですよね、言いちゃうと。
だからみんなその結局ね、セネカさんが2000年前にこういうふうに説いてくれてはいるんだけど、結局現代の人たちってまさにこのセネカが言ってる通り、すごいどうでもいいことに時間を費やしちゃって、
で、それなんか結果として人生が終わりになった時に、いやなんかつまんない人生だったなとか、あとは何やってたかよくわかんない人生だったなみたいな感じになっちゃうよっていう。
昔の人も紀元前の人も今の人たちと同じように時間がない時間がないって言ってたってことなんですね。
そうなのよ。だからこれ意外や意外にその感覚って現代的な感覚ってよりも昔からやっぱあったらしくて、
で、特にこのセネカさんっていう人が結構大変な人生を歩んでいる人なんですよ。で、多分すごい性格的にねお人良しな方だったんだろうなって思う。
なんかすごい性格が良かった人だったんだと思うんだけど、なんか元々この人ってね、哲学とかそういうまあそういったその学者としてなりわいを、生計を立てた方だったんですけど、
人生の中盤以降になってくると割と皇帝とかに仕えたりとか、あとはこれ大変有名ですけど、第五大ローマ皇帝のネロってします。
ネロの家庭教師としてちょっとネロ教育してくんねえかつってネロのお母さんから頼まれていろいろ教えた。
ネロってねすげーやばい奴なんだよ本当に。本当にイカれてる奴で、でこれちょっとね最終的にセネカさんも結局ネロによって死んじゃうんですけど、自害しろって言って殺されちゃうんですけど、
ネロってね、自分の兄弟とか親とか殺してるんですよ。で、すごい性格的に寛釈文字だったらしくて、なんか自分が気に食わないことがあるとすぐ贖罪しちゃうんです。
そういう自分の側近の人たちに対してもすごいパワハラがひどくて、それにずっと耐えながらこのセネカさんっていうのは、そんなネロに対しても優しくいろいろ伝えてあげたりとか、
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ネロといろいろ教えてあげたりとか、あとは失勢感って言って、実際政治を動かす側のこともやってたんで、そういうこういう大変な上司を抱えた上司というかね、上司でもあり教え子でもあるんだけど、そんな中ですごい日々忙しく過ごしつつ、
いろいろこう無理難題を言われながらパワハラに耐えみたいな人生だったんで、それがやっぱりこの人生の身近さについてっていう方にすごい現れてるらしいんだよね。
そう、だからなんかね、あとはそのネロの前にもカリギュラっていう有名な皇帝がいて、カリギュラ時代にもすごいパワハラめっちゃ受けててみたいな、だからこの当時の皇帝とかすごい某君が多いんで、某君に振り回されながらもう何とか書物を書いたりとか、弁学の方をやったりとかっていうのを、
たぶんすごい、そういうのに耐えながらやってた人なんだよね。だからたぶんその人生感が彼の書物というか手紙の中に描かれてるっていう感じで、もう一回ちょっと書物の方に戻すんだけど、そもそもなんで人生が短く感じちゃうのかっていうところっていうのが、
才能とか富に恵まれてて、それがその人の幸福度を表したりとか、あとは充実してるっていうふうに錯覚しやすいんだけど、結局短くなっちゃう原因っていうのが、それが本当に自分がやりたいかどうかっていうところで言うと、やっぱりやりたくないことをやっちゃってるから短いわけですよ。
だから本来的に自分がお金儲けのためにこのビジネスやって、それが本当に自分がやりたいことで、それに向き合って時間を費やすんであれば、それはそんなにこうな時間の使い方じゃなくて、時間の短さっていうところもそこまで影響が与えないらしいんですけど、やっぱりやりたくもないことをやりつつ自分を偽りながらというか偽装しながら何かをやってる時間っていうのが、
多分すごい時間を消耗させてる感じになっちゃうんですよね。時間を浪費しちゃってるような感覚。これ前ちょっと話した、暇と退屈の倫理学の話でもちょっと話したんですけど、時間の使い方において、本質的に自分が自分本人の本心として通しすべき時間なのかどうかっていうところを誤ってしまうと、暇なのか退屈なのかみたいな、どこで分岐してしまうみたいな話が前回その回ではあったと思うんですけど、
ちょっとそれに近い感じで、時間の使い方、ちゃんと自分がやりたいと思うことをやらないといけないよっていう。なんでそもそも自分がやりたくもないことをやっちゃうのかというと、要するに人のために時間を使いすぎちゃうんですよ。
だからさっきポー君、ネロの側近として頑張ってたわけですよ、セネカは。だからセネカはネロのために時間を大変投資して、いろいろネロに対して使えて、いろいろ教えたりとかしてていうとこで、そこで疲弊したっていう、たぶんその経験談としての話なんだと思うけど、
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時間に対して使う時間っていうのが、結局それが自分の人生、最終的に振り返った時に、自分のために時間を使えなかったっていう結果論になっちゃって、それが要は自分が本来使うべき時間だったものを使ってないので人生が短く感じちゃうっていうところも言ってて、だからこれも時間の使い方の話なんだけど、ほんとおっしゃる通りだなって。
これはね、もうほんと現代人にさ、みんなに言えることだよね。なんか自分のために時間使わずに、基本的には仕事であったりとか、あとはもしかしたら行きたくもない付き合いとしての何かに時間を使っちゃってるとか、なんかそういうところを言ってるのかなっていうところで、だからこれすごいよね、2000年前やっぱりさ、あったんだよこういう感覚。
なんか人のためにさ、行きたくない飲み会とかに行っちゃうとか、なんかね、そう無駄な時間だよっていう。
もしかしたら今よりも人付き合い、人との繋がりの大切さっていうのはダイレクトにあったのかもしれないですよね、当時を渡って。
そうだよね。今だとさ、やっぱり現代的なそのコミュニケーションの仕方、まあ本当にそのバーチャルな方法もあるし、あとはまあ、人と人が直接会話しなくてもコミュニケーション取れる時代なんで、いろいろこうやり方あるんですけども、ほんともう何かを伝えるには人と話さなきゃ解決できなかった時代。
まあせめて手紙とか書いてみたいな時代だから、あとなんていうの、今みたいにさ、民主主義じゃないですよ、ほんともうあの、すごい封建的な時代だと思うから、やっぱ偉い人に逆らったらいつ殺されるかわかんないとかね、多分いろんなそういうところもあるでしょうし。だからコミュニケーションっていう意味で言うとね、すごい大変だった時代でしょうが、より今よりも現代よりもすごいそれに費やしてしまう時間っていうのは多かったんじゃないかなっていうのも思うんですけど。
まあでもそういうふうに言ったとしても、とはいえって言われそうですよね、その辺はどう思ってるんですか。
そうなんですよ、とはいえなんですよこれは、とはいえどうしたらいいのよと。だからその社会っていうのはさ、そもそもそういう成り立ちでできてるものじゃない。だからこれ現代人に置き換えたときに、完全な断捨離はやっぱり無理、無理だとは思うんですよ。
ただこれはちょっとね、二人で議論したいポイントなんですけど、なんで僕らは辞められないんだろう、なんていうの、本当はこれ自分無駄だと思ってること、例えば仕事でもいいよ、ゲームでもいい、そういうのをなんで辞められないんだろうね、何が操作しちゃってるのかなっていうのは、ちょっとねそのトークテーマとして話したかったら。
なるほど、はいはいはいはい、まあ怖いんですよね、だからね、失うものがね。 怖いんですよね、でもそれやっぱ失っちゃうものなんですかね、それなんか。
失わないんだけど、失うと思い込むんでしょうね、だからね。 思い込んじゃうんですよね、だからそれがさ、完全は無理だよ、完全体は無理だと思ってる。
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あの本当に、本当の意味での自分が本当にやりたいことに100%集中できるって、それは多分物理的に無理だと思うしできないと思うんだけど、多分ほとんどなんでしょうね、ほとんどって言い切っていいのか分かんないけど、多分これを聞いてくれる人で共感してくれるだろうなって思うのは、ほとんどこうサラリーマンとか会社勤めしてて、ほとんどの人がめちゃめちゃそれをやりたいかって言ってやってない可能性の方がやっぱり高いと思ってるんですよ。
だからあれですよね、これは前も話したかもしれないけど、本質的に自分がやりたいことが何なのか分からないとか、そういうところに繋がってくるんですかね、やっぱね。でもあれでしょ、別にさ、自分探しとかそんなことする必要はないんだけど、現代人で言うと、そういう自分がやりたいこととか、本質的にこういうのに惹かれるなっていうことを、そもそも見つける時間もエネルギーもないっていうところが根源的にあるからそうなっちゃうっていうことなんですかね。
でも見つかってる人が別にエネルギーを抑えて見つけてるわけでもない気もするから、どういうふうに見てるかですかね、普段。
確かに。だからこの本質的な時間の考え方とか、あとはやりたいことの話ってすごいやっぱりいつも難しいんですけど、だからそこが現代的に、セネカさんのこの時代にも結構同じことが書いてあるんだけど、やっぱり本当にやりたいことを見つけるのは難しいことだし、
それが見つかればすごい有意義になるし、時間の使い方っていうのも、より無駄な時間を使ったっていう感覚にはならないっていうのは書いてあるんですけど、そこは結構つまずいちゃうポイントではあるなっていうところ。
見つけることで解決するっていう感覚なんですか、セネカっていうのは。例えば今やってる仕事を面白く感じ取るみたいな視点の工夫で解決していくっていう方法もありそうですけどね。
だからそれが結局自分にとって何か価値として還元できてればいいんでしょうね。これやっぱちょっと最終的な、この本で僕が一番抜粋したいところなんですけど、やっぱり自分にとって何らかの知識、知識を得るために勉強したりとか、やっぱりセネカの言い方をすると、
英知に専念するものっていうのが本質的に本当の意味で生きてる証拠になるっていうふうには言ってるんですよ。要は自分を自己計算するために勉強できてる状態を作れてるかどうかっていうことですね。
だからそれがやっぱり、これ過去僕ら何回も議論してますけど、やっぱりそしゃげやってるとか、単純に自分の時間にならなそうな感じで余暇を使ってるっていうのはやっぱり浪費でしかなくて、やっぱ何らかこう自分の自己計算するために時間を使ってるっていうこと自体が本来人生の一番の価値であって、そうあるべきであるっていう。
だから実際、無意識に実際は僕みんなそうだと思うのは、例えばストレス解消の方法としてそういう発散するような方法を取ると逆にストレス溜まるって言うじゃないですか。だけど実際本読んだり前向きな自己計算っぽいことをすると逆にストレスが解消されるって言いますよね。
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だから例えば読書すると、読書を普段慣れてない人からすると本読んだら余計ストレス溜まりそうと思うけど、読書する習慣を作ると逆にストレス解消として長期的にはすごく良いものになっていくとか言うから、その通りなんじゃないですかね。
自分が本来求めてるものをおそらくインプットするわけじゃん、そういう時って。だからそういう建設的な状況に持っていけるっていうのが、人間の本能的に機能として備わってるところだから、それを補っていくっていうことがやっぱり身近さを感じない秘訣なんじゃないかなっていうところはすごい言ってるのかなと思って。
その結果多分だからいろいろ紐づいてくるんですよ。やりたいことが見つからない人も実はそのインプットの中で見つかってきたりとか、あとさっきいいことをおっしゃってましたけど、過去の栄光とか快楽が大きければ大きいほどそれを失うことを恐れちゃうっていうのを言ってるんですね。
だから仕事で大きい量もらって、大きい量もらって生活できてるっていう、これはある意味報酬じゃないですか、自分に対して誰かからもらってる。その快楽的な状況というか、それを持って生きてるっていう感覚があるから、やっぱりそこから逸脱できなくて。
逆に言うと、今でいうと生産活動に時間を費やさせられるんで、僕らは。だから学習の時間がなくなっちゃってるっていうところも、僕らが時間がない時間がないって言っちゃう原因の一つなのかなっていうところで。
だからちゃんと学びを得ながら、まずそこから始めるっていうのは、この本で僕はすごいいいこと言ってるなというか、やっぱり2000年前も同じように悩んでる人がいてね、セネカさん特に本人が悩んでたと思うから。だから自分の好きだった学問とか勉強に励むことで、自分自身それを持って生きているっていうことを言いたかったんじゃないかなっていうのは思うんですよ。
人生、セネカが言ってる、お前らが言ってる人生の短さっていうのは、やっぱあれですかね、ネガティブな人生の短さってことなんですね。
夢中になって時間が早く過ぎるとかじゃなくて、無駄な時間を過ごしてたよって、もうこんな年だよみたいな。
そういうことそういうこと。
それはでもお前の時間の使い方に問題があるぜみたいな感じ。
そうそうそう。あとやっぱりすごい、本来有意義な意味で時間を使った人って、そんなに人生短かったなって思わないんじゃないかなっていうのもちょっと思うんですよ。だってそれだけ充実してるからって。記憶に残したいことがたくさんあるからね。
やっぱりね、子供の時って長く感じますもんね。
いやそうそうそうそう。それは常に学びだからじゃないですか、たぶん。あと楽しいことも多いし、自分の本能的にやりたいことをやってるっていうのはね。
まあ新鮮な経験が多いと長く感じますもんね。
そうだね。
僕は去年の年末ぐらい長く感じましたもん。自宅の家事とかね。
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家事とかね。新しいことを作ったり。
そうそう。あの1ヶ月ぐらいすごい長く感じますね。
日々目まぐるしく生活しなきゃいけなかった。ホテルとかも予約しなきゃいけないんだよね。そういうのもあるんだろうけど。
そういうものをね、自分で新鮮な経験を常に生み出し続けたら、ものすごく充実した人生になるんだろうなって思いますよね。
いやでもそうでしょ。だって刻まれるじゃん、1日1日が。でやっぱね、これもうほんと月並みなやつだからあんまり言いたくないけどさ、
スティーブ・ジョブズ理論って言うとさ、今日が死ぬ日だと思って、今日死ぬと思ったら今やろうとしてることやるかみたいな。
やっぱああいう問いかけがなんだかんだ大事だよなって思うよね。
だって僕らはほんとね、これがやっぱりセネカの本でも言ってるんだけど、死なないって思ってるのよ。
で、時間っていくらでもあるって思いすぎちゃってるんですってやっぱり。それはもう痛いほどわかるじゃん。
死なないって思ってるし、今日。で、時間も別にまあ明日ぐらいまで、あと何時間もあるし、まあ後でやればいいかとかって言ってやんないわけよ、今日ね。
で、たぶん本来やらなきゃいけないことを後回しにするっていう癖が僕らのライフサイクルにはついてて、
タザワさんはね、ストイックな人だから、ストア派の人だから、あんまりその
タザワ 僕はストア派なんですよ。
タザワさんはそれでいいよ。時間の管理が異常だからそう。僕なんかね、もうほんとそのルーズの塊だから、
なんか物事を先延ばししてる時点で、結局やっぱ時間の浪費をしてるわけなんですよ。
今やんないっていう選択をしちゃうっていう。だってそれは、今やらなくてもいいことを逆にとやってて、本来やらなきゃいけないことを後回しにしてるってことだから。
そういうとこで言うとなんか、僕そのなんか、例えば後回しにした場合に、それやんなきゃってずっと思わなきゃいけないストレスが嫌で、
それ考えたら憂鬱になるんですよ。ずっとこれ気にしなきゃいけないのかと思うと。
あんな無駄な時間ないんだよな、正直言うとね。なんかその時間ってやっぱりさ、その、なんていうの、何もせずダラダラしてる時間が終わってほしくないからって思うからさ、
なんか無駄に早く感じるじゃん。終わってほしくないからこそ。明日が来なきゃいいのにっていう。すごい明日が早く来るんですよ。そう思ってると。
そうですよね。
でもさ、僕らの日常って本当想像以上にそんな感じだよね。だって僕なんてもうその塊だよ、本当に。
確かに僕も言っても、なんかたまに現実逃避の時間とかあるわけですよ。もうほんとYouTubeで普段見ないようなくだらない動画ばっかり見るときとか、すっごい時間経つの早いですもん。
めっちゃ早いですよね。僕もさ、だからさ、ショート動画というかTikTok的なやつ、やっぱり癖でちょっと見ちゃうとかあるよね。
面白いですもんね。
面白いんですよ。やっぱりね。本当に可愛い女の子が踊ってるだけなんだけど、なんか見ちゃうんですよ。なんかの。あの時間マジで脳溶けてる。
自分自身現実逃避してるの分かってますもんね。
分かってる分かってる分かってる。明らかに逃避してる。
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そのときってやっぱり本当はそのときやらなきゃいけないことって分かっているときじゃないですか。
めっちゃそうなんですよ。だからそういうときこそ他にやらなきゃいけないときがあるときなんですよ。
ただ思うのは、僕はそれって本当はもしかしたらやっぱりやりたくないことなんだろうね。
だから本当はもうタスクとして抱えててやりたくないことだから後回しにして、夏休みの宿題みたいになっちゃうみたいな。
それが続いちゃうとどんどんどんどんやりたいことをやれる時間がなくなっちゃうからっていう理屈なんだと思うけど。
だから本当ね、これね、今自分に言い聞かせたい本ナンバーワンなんですよ。それで言うとこの人生の短さについて。
そういうことはじゃあ、やりたくないことを自分のタスクに包まなければ解決しますかね。
そうだね。そういうこと。
そうですよね。やりたいことしかやらない人生だったら現実逃避にTikTokを見なくても済むってことですか。
ってことです。理屈としてはね。
だってさ、普通に見たいから見てないでしょ。
いや、TikTokの動画を見てるのが見たいならいいよ、別に。
それをやることが自分にとって充実した時間なんだから。
それは別にやってもいいんだけど、そうだとしたらね。
だからさ、そう思うと逆に言うと、そういう意味合いで自然に自分がそういう時に自然にできることって本当にやりたいことなんだよね、多分ね。
僕ちょっとね、たださん喜んじゃうかもしれないですけど、僕だから仕事よりもこのポッドキャストの編集優先しちゃいますからね。
だから本当にやらなきゃいけない仕事が溜まってるんだけど、こっちを優先しちゃうっていう癖があるんですよ。
だからそれは多分僕が単純にこっちがやりたいからっていう。
いやでもその実際は自分がやりたくないと思ってる、やりたいと思ってるっていうことに気づくことって僕すごい大事だと思ってて。
みんなやっぱりその結果的にやらなかったことを本当はやりたくなかっただけなのに他のせいにしたりとかするじゃないですか。
するね。
何かのせいで時間がなかったせいでとか、でも本来はやりたくなかっただけだったっていうね。
やりたくない、そうなのよ。
うん。
そうなのよね。
それがね、こう分かってくると整理できるしね。
そうなんだよね。
そう。
だからまあその時に、だから難しいのがその生産活動としてやらなきゃいけないこと。
やっぱ日々の仕事みたいなね。
だからね、サラリーマンやってて、それはちょっと外せないっていう。
だからそれをどうするかですよね。
そうなんだよ。
どんなに前向きに捉えられるかというか、クリエイティブにやることで楽しいものに変えていくみたいな、そこがその人のその人間力が問われるところでしょうね。
いや、だと思います。
そうそうそうそう。
でもなんかね、僕はこれちょっと理想論過ぎるかもしれないですけど、本質的に自分がそういう少しでもやりたいって思ったことを選択していけば、それがいずれは何らか仕事に紐づくってやっぱ思ってるんですよ。
なぜなら、例えばさ、これ僕らよく話しますけど、勉強が好きな人ってさ、勉強をして自分が頭良くなりたいからやってるんじゃなくて、楽しいからでしょ。
で、それが結果的に勉強ができることによって、いろんな仕事に紐づいていくというか。
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なんかそれで結果論でしかやっぱない気がしてて。
だから逆に言うと、消極的な選択をした場合って、それが見出せないからさ。
本当はそこを恐れちゃいけないんだけど、僕だって怖いし、所得がなくなったらどうしようとか。
趣味でYouTuberみたいなことやって、それが本当に金になるのかって言われたら、全然わからないとか多分ならないと思うし。
ただそういうのを積み重ねて、そういう行動をどんどんしていかないと、本当にやりたいことで自分の人生を豊かにしていくことはできないわけだから。
前、趣味の話。
趣味の話。
コスパがいい趣味かどうかみたいな話じゃないですか。
あの時で話した話と一緒で、やっぱりやりたいこと、自分がやりたいことが生産的なものだったらいいと思うんですよ。
それこそ勉強とかね。
それが好きだったら、好きでやってることはどんどん結果的に仕事とかね。
最初に自分の所得に帰ってきたりとかすると思うんですけど、やっぱりやりたいことが消費の方だと悪循環始まっちゃったりするかもしれないですよね。
確かにね。そうなんだよね。
だからね、好きこそもののなんちゃらじゃないんですけど、消費行動もでもやり続ければやっぱり生産的なものに結びつけることはできなくはないのかな。
例えば何がありますかね。
プロEゲームスポーツ。プロEスポーツ選手とか。
ゲームが好きでプロゲーマーになるみたいな。
そうですよね。だから昔だったら消費で終わってたところが今の時代生産になる例ですよね。
例。
ゲームはね。
でもエンタメ作品とかめちゃくちゃもう、エンタメ作品とかを消費するにしてもアグレッシブに消費してたらそれが評論とかの仕事になるかもしれないし。
確かにね。確かに確かに。
もしかしたらその本質的にそういう、結果的に何かそういうビジネスにつながらないこともやっぱあるのかもしれないですけど。
でもそこまで、もしかしたらコミット面、そこまで最終的に行き着かないものってそんな好きじゃないものなのかも。
ただ消費したいものだけなのかもしれないっていう。そこの切り分けは難しいよね。
あとあれですね。やっぱ生産性があるものだろうが消費のものであろうが、自分がその本気で取り組むものって最終的に哲学が生まれるわけですよ。自分に。
その哲学が生まれるから、その哲学を何かに役立てようという働くから、結果的にわかりやすいリターンが返ってくるわけであって。
だから何か取り組むときに哲学を持てるぐらい熱くなれるかどうかじゃないですかね。
なるほどね。
消費が最終的に自分に返ってくる場合って、その消費の中に自分の哲学があるからだと思うんですよね。だからそれが仕事になったりとかして。
確かにね。
本気で消費すればいいってことですかね。
本気で。それはあるんじゃない?その本気さみたいなところはね。だからそれぐらい自分が夢中になってるってことでは何より証拠ではあるわけだから。
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よく何かその子育ての中で子供がゲームプロゲーマーになりたいって言い出した時に、お前は本当にプロゲーマーとしてやっていく覚悟あんのかみたいな。そんな甘いもんじゃないぞみたいな。
もっと練習するんだぞみたいな。
そういう何かやり取りが頭に効くぐらい。
そうだよね。
いや、そうだよね。だからそれやっぱり結構さ、紐づいていくのがさ、教育の部分とかそういう方にも紐づいてきますよね。
やっぱり僕らって何であんまりその夢中なことを見つけられないかとか時間の使い方間違っちゃうっていうと、そういう教育を受けてるからでしかないかなと思ってて。
だってそうでしょ。小学校の勉強とか全部そうじゃなくて。やりたくてやってないでしょ。好きな人が好きなふうにやって頭良くなるってパターンもあるけど、ほとんどの人はそうじゃなくて。
で、それ以降も体が馴染んじゃってるからその時間の使い方しかできなくなっちゃってるっていうのはあるんだよね。やっぱね。
だから教育の観点でもう少しちょっとそういう何て言うんですかね。消費なのか生産なのかどちらでも大丈夫なんですけど、どっちかの視点で本気で夢中になれることを見出せるかどうかみたいなところってやっぱすごい改めて重要なんだろうなっていうのこと。
だからそれが親の押し付けとかではない価値観の育み方ができれば、もう少しちょっとあれじゃない。やりたいことが見つかりやすくなるんじゃない。
確かに学校教育だと知的考慮心が育たないんですよね。
そうなんだよね。だからこれ言い方がちょっと悪いけど、わざとつまんなく教えるでしょ。歴史の話とかでもよくしてるけど。
だってさ、こんなセネカの話なんでさ、セネカの話教えればいいんだよ。そしたら多分すごい勉強になるよ。
やっぱり勉強ってさ、結果的にアウトプットにつながった時にすごい成功体験があると思うんですよ。
だからそれを結構見せてあげればいいんじゃないかなっていうのを思ってて、結びつかないからなんでこんなことやらなきゃいけない。
なんで理科とか勉強しなきゃいけないの。社会とか。意味わかんないんだけど、世界地図全部名前覚えて何になるの。
確かに。それがこう、その意味を実社会で、そろそろ古文漢文が役に立つかどうかって話と一緒で、
しっかり考えたら本質的には役に立つ部分ってあるけれど、やっぱり教えてる先生自身もそれなかなか説明できる人いないんですよ。
たぶんですけど、割と教えてる人たちもこれ別にこの後の人生役立たないんだよなって思いながら教えてる。
悲しいかな。
それが大きいんじゃないかなとは思いますけどね。そもそもその興味を、知的好奇心とかを持ちづらい体質になっている僕らであるっていうのと、見つけづらいというか夢中になれることみたいなね。
あとね、ちょっとごめんなさい。時間の使い方っていうところで言うと、さっきの怒りの話をちょっとしたいなと思ってて、
たぶんね、これも現代人に置き換えると、ストレスですよ。もうストレスを抱えて生きるっていうのが宿命になっていますと。
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で、何らかの怒りを抱えてそれを打ちにためてストレスになるわけですよね。だからそこからの脱却っていうのがやっぱりすごいキーワードですよね。
アンガーマネジメントじゃないんですけど、僕もカリカリするの得意な方じゃないし、人がカリカリするの見るのもあんまり嫌な方なんですけど、
いい意味での喧嘩と悪い意味での喧嘩ってあるんですけど、悪い意味での喧嘩って本当に不毛というか、自分の精神も揺さぶられて相当時間持ってかれるじゃない。
たぶんナンバーワンじゃない。時間を持ってかれる順位、ランキングとかあれば、誰かからストレスを与えられて、それに精神的に揺さぶられている時間っていうのが一番時間を失っている時間だと思ってて。
冷静な判断もできなくて、物事をちょっと間違ったやり方で何かを進めちゃったりとかもするし。ここなんですけど、なんかこれはありますか?タザワさんがこう、タザワさんってそういうのコントロールできる人じゃないですか?
タザワ だから僕、それこそ僕がなぜセンナカーの怒りについてを興味持って読んでたかっていうと、僕自身もやっぱりそのコントロールって知っていかなきゃいけないなって課題意識を持ってたからで。
そうなんですか。
タザワ いや怒りって、やっぱりなんだかんだ言ってみんな、怒ることもある程度大事だろうってなんとなく思ってるからこそ、怒っちゃうんだと思うんですよ。やっぱりそうは言ってもね。もっと言うと、ちょっと怒ってる俺よくないみたいな感覚すらあったりすることあると思うんですよ。
あるよね。だから、怒れるってすごいっていう理屈あるじゃん。あの価値観。だから、いや普通は怒れないんだけど言えるってことがすごいみたいな。
タザワ まあでも、心を鬼にして言うことも大事だとは思いますけどね。ただ、切れちゃう自分もいいでしょみたいな、という愚かな感覚ってあると思うんですよ多分。
ナルシズムとして。
タザワ その考え方を変えることで、怒らない人間になって、無駄な怒りを持たない人間になってくるのかもしれないなというか。
タザワ やっぱり僕、仏教とかの怒りに関する本とかも読んでると、やっぱね、なぜ怒るのがよくないかとかじゃなくて、もう問答無用で怒りっていう感情自体が大きな間違いだっていうことをとうとうと書いてる感じがあるんで。
ばっさり。
タザワ そうそう、もう怒ってる時点でもう人間ではないみたいな、それを言ってて。だからどんなことがあろうが、怒った時点でもう人ではないって言うんですよ、怒ってる人は。だから怒ってる人いたら、これを人ではないって思った方がいいらしくてね。そこまで全否定するんですよ、やっぱ怒りをね。
タザワ で、そう思うと、自分がなんか頭に来たなって思った瞬間に、絶対にダメな感情なんだと思ったら、怒りって割と一瞬でなくなるんですよ。
そうだよね、なんだっけ、7秒ルールとかなんかあるよね。
タザワ 確かに。怒り自体がもうダメなんだって思ったら、なんかね、いかんなくなるんですよ。だからね、どっかしらで怒りたくて怒ってる部分もあると思うんですよね、人間。
タザワ そうだね、だから確かに。それ自体にちょっとだから変な気持ちよさ、ナノシズムを感じてるからやっちゃってるというか。
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そうですよね。
タザワ それはありますよね。あとはなんかその怒るメカニズムとして、要はその原因があるわけじゃないですか、何かを言われて何かをされてとか、だいたいそのパターンで怒るわけでしょ。
タザワ で、多分そいつもちょっとなんか怒ってるわけですよ。怒ってるというか、何かそのネガティブなエネルギーがあるから私たちにぶつけてくるわけなんですけど、
タザワ なせねえかの理論で言うと、そもそもだからその怒ってるっていう時点で、やっぱりその人間として怒ってない人からすると、その怒ってる人に対して、
タザワ それは立場的には有意なである状態であって、その同レベルに合わせちゃうと結局自分も同じレベルに下がっていっちゃうから、
タザワ だからそれはそもそもその怒ってるっていう人、傷つけてきたりとか言ってくる人たちっていうのが、そもそも次元とか波長が低いものであって、
タザワ だからそれがそもそも恥ずかしい状態。恥ずかしい状態のものが何か言ってきてるわけだから、別に自分は何も恥ずかしくないんですよ本来は。
タザワ 何も言われる義理はないし、自分が自分を落としめる必要がない状態なんだけど、それをやっぱり反応しちゃって、
タザワ 同じレベルに持っていった時に初めてそれが形になっちゃうから、まずそうしないっていうことがすごい大事みたいなね、怒りについての方でちょっと見ましたけど、
タザワ 結局そうですよね、反応しちゃうというか、別に普通に来てればそんな普通に怒ることってないでしょ、何かに反応して怒ってるわけですよ僕らは。
タザワ 何かそのレベルを合わせちゃうっていうことを思ったら、確かにそうだなってちょっと一呼吸を受けるというか、例えば赤ちゃんが泣いてて怒ってるじゃん、赤ちゃんもう泣き喚いてて、そのレベルになって一緒に泣くかって言うと泣かないわけじゃないですか僕らも。
怒ってる人はその赤ちゃんがやってる主張と一緒ってことですね。 タザワ そうそうそう一緒ですよ、どっちかというとこうあのあれでしょ、なだめてあげるっていう方でしょ、普通の大人だったら。
本来そうあるべきなんだけど、同調しちゃうから揉め事が始まってめちゃめちゃ時間を搾取されるんですよそれで、だから怒りは深いよね本当にそういう意味で言うとね。
感情の中でちょっと特殊だと思った方がいいんですよね。 タザワ 一番特殊だよね怒りってね。なんかね僕ね悲しみとその喜怒哀楽で言うと悲しみと楽しみのところはすごいねやっぱどっちもこの振り子ですごい学びがあるじゃないですか。
悲しみもないと人間って成長できないと思ってて、なんか悲観する気持ちってのは結構僕重要なんじゃないかなと思ってるんですけど、怒りはねちょっとねいらないって思ってるんですよ正直あんまりこう自分の人生にはそんななくて大丈夫。
タザワ でなんか僕も怒りでやっぱり僕もね勉強したいし知りたいんですけど、例えばそのこの世の中を変えなければいけないっていう怒りは不要ですかね。
だからそれを怒りで変えるかどうかじゃない。
タザワ でも変えなければいけないとか生きどおりってやっぱり結果的に世の中を変えてきた時の原動力って生きどおりだったりするわけじゃないですか。でそれっていらないのかななんかね。
そうなんすかね。
タザワ まあ少なくともこう日常生活の中で突発的なね怒りみたいなやつは完全にいらないとは思うんですけど。
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そうだね。
タザワ そういうこう社会に対するそういう。
変えるための動力としてね。
タザワ あれのってなんかね。
そうね。
タザワ でもこんな風に考えてしまうと怒りを多少正当化してしまうからまた怒るときに怒りもいいのかとかって思っちゃったりとか多分するんだと思うんですよね。
難しいですよね。確かになんかすごいそのさ怒りって難しいのがやっぱその普通に生きてるとさめっちゃその原動力になることはやっぱ正直あるんですよ。
怒りがあることで普段出せない力が出るっていうスーパーサイヤ人的なことがたまに起こるから否定はできないんですけど。
ただ結果的にそれがなんか結果論で考えてよかったかというとやっぱ良くないケースがすごいあったなっていう中で。
何かその世の中を変えるエネルギーとして怒りを使ったときに何かこう歪みが生まれるものなんではないかなと思うから。
まあそうね。例えばそのなんか悪いことをしてくる人たちに対してやっぱり怒りで制裁しちゃうとそれやっぱりこう負の連鎖が生まれるのかなと僕は思って。
だから何らか別のその感情やっぱりその赤ちゃんだと捉えてね。その悪いすごい悪い犯罪をしてくる人たち。
だからやっぱりなためなきゃいけないと思うんですよ。それがもしかしたら愛情なのかもしれないしまた違うその何ですか人間の感情。
だからその辺はねあのなんて言うんですかね。まあ多分その日本人独特の考えなのかもしれないけどなんか輪を持って尊しとなせないかなっていうのはなんか思っちゃいますね。
怒りの定義にもよるんだと思うんですけど悔しさすら怒りだっていう感じらしいですよ。
悔しさね。
そう考えると何かの原動力がすべて怒りになっちゃうんですよね。
なるほどなるほどなるほど。
そうすると時には大事じゃないですか。
悔しさは大事かもねそういうとね。
それも怒りらしいですよ。自分たちそれ怒り。
そうか確かにね。
でもちょっと僕本当に僕は勉強不足でここはあのやっぱり理解が全然できてないんでまあそれこそ怒りのことは僕そのうちちゃんと喋ろうかなって思ってたぐらい全然わかってないです僕は未熟です僕は本当に。
ちょっとじゃあこれまたちょっと突き詰めて話してもまた別のテーマで切り出して話してもいいかもしれないですね。これ深いですよね。
なんか悔しさとかって言われると悔しさはちょっと大事だなって今ちょっと思っちゃいました。
自分をこう奮い立たせるための燃料というところになったりする。あとやっぱその誰かに何かを言われて悔しさを感じながら成長するって結構大事じゃないなんかその絶対みんな経験としてあるでしょそれをバネにして何か成長するっていうそれがみんなブッダみたいなさもう無の境地になった時に。
全員が無の境地だったらそれそれって大丈夫かなって思ったしまた何か成り立ってんのかなみたいな。
まあだからそのさこれもういつもこの話にしちゃって申し訳ないんだけどクリエイティブに置き換えた時にクリエイティブの感覚って難しいなって思うのは結構あれだからそこのカウンターなマインドがないとなかなかこう乱せない芸術ってあるじゃないですか。
そうそうそう。
なんかその岡本太郎とか存在できないじゃん。
39:03
確かに確かにいやまさにそうなんですよでもそうでもんな本当そうなんですよね。
そこ難しいね確かにね。
だからどうしてもね僕も怒りを考えるときにこういうふうなところを持ち出してしまうから全然分かんないですよ。
逆に言うと言の明かり主義って言い換えられるじゃないですか。
言い換えられますね。
悪く言うと。
言い換えられますね。
まあこのふうに言ってしまうだからそう分かってないからこんなこと言っちゃうんだろうなと思うんですよ僕は怒りの本質を人間にとっての怒りって。
ちゃんと分かってる人はいやそういう事の明かり主義とかそういうネガティブなものとは違うんですよって多分教えてくれると思うんですけど。
分かんないからそう一瞬で結びついちゃうんですよね。
でもこれなんかで読んだんだけど多分なんかやっぱ本能的な問題があるって言うじゃん。
だから人間が戦争しちゃうのも本能的な問題。
せざるを得ない状態だからみたいな。
そういうのもありますよね。
それを繰り返して進歩していくみたいな。
人類の過程を見るともう既にそうなってるからなんかそれは否定できないなっていうのは思っちゃう。
愛があるから戦うって言いますよね。
そうそうそう。
だからそれって愛とも取れるし相手に対してその怒りというかその排除しなきゃいけないっていう強い感情を持たないとできない行為。
愛だけだったらやっぱり身を守れないというか本質的に守れないかもしれないなっていうのを思うから。
生理と怒りはどう違ってくるんですかね。
それねその問題ねありますよね。
怒り全然わかんないです。
深いんだよ多分そこの話は。
ただやっぱりその本当に理想論としては本当にだからもう性伝説でしかないけど、
全体的にこう全世界に怒りがなくなった時にその争い事ってやっぱ本質的にはなくなるはずなんだけど、
ただやっぱでも人間の本能としてその証人欲であったり仏欲であったりというところで必ず競い合いは起きるから、
それを怒りっていうもの以外のもので表現できるのかなっていうのは。
例えば喜怒哀楽って言いますけどそれは度があるからこそ危機が存在してるとかってないのか。
相反するってなるよね。
他全部なくなっちゃうとか。
あの反発で反動で喜びになるとか、
それは悲しみも一緒ですね。悲しさがあるから逆に嬉しい時はすごいもっと嬉しいとかその反復があるんで、
怒りっていう感情が育っている以上はそのバランスで形成されるんだろうなと思うんだけど、
だからこれ怒りがもし本当仮に怒りっていうものがない世の世界、世界線っていうのがあったらどうなるのかっていうのはすごい興味ありますよね。
どういう世界になるのか、それが本当にユートピアなのかどうか。
面白いですね。
面白いですね。次またこの怒りとかそういう視点でテーマ切って話してみてもいいか。
ちょっとそういう本読んでおきますよ。
だから哲学の観点では割と無駄だよっていう。
あと仏教とか。
42:00
そんな深く考えなければ日常生活における怒りは無駄ですね。
無駄だよね。
僕らが考えるのはその程度でいいのかな。
まあ日常レベル。そんな怒らなくていいとこで怒らないのみたいな。
それはそうかもしれない。ライフハック的では間違いない。
僕前禅の修行に行ったことあって、あの時に座禅を教えてもらって、
座禅を覚えたんですけど、座禅ちょっとでも30秒くらいでもいいから瞑想すると怒りってフッてなくなるんですよね。
なくなりますよね。不思議なものね。
そうそうそう。たまにやりますね。
1日寝て起きた感じになるんですよ。あれさっきまでなんだった。
あれは何だったのかみたいな。
ってなるんですよね。
だからいかに反射的な物質的な行動かってことですね。
そうそうそう。
自分の感情って思い込んでるけど、脳の作用で反応してるだけだったっていう。
そうですよね。
アレルギー反応みたいな感じ。
だからこそ賢者タイムとかね、あるわけだもんね。
なんかあんな怒る必要なかったなとかね。ああいうのほんとあるよね。
気道愛楽がない状態のことを何というか知ってます?
後ろ前。
教えてあげましょうか。アンジャッシュって言います。
アンジャッシュの語源意味知ってます?
知らない。その心は知らない僕。
アンジャッシュってアンジャッシュじゃないですか。だからジャッシュがない。
でジャッシュってJAじゃないですか。JAS。あれ気道愛楽の頭文字。
で気道愛楽がないアンジャッシュなんですよ。
ああそうなんだ。
ってことらしいですよ。
そんななんかね、ちょっと深い知的なコンビ名だったっていう。
もうね哲学的な感じですけどね。
まあただちょっと最近はなんか悲しみがすごい。その割には。
一番アンジャッシュだったね。
悲しみの単一は。
そうなんですね。
それはじゃあアンジャッシュのコンテそういうメッセージ性がちょっと入ってるというか。
ちょっとそこまではわからないですけど。
へえ。
面白いですよ。
面白いですよ。
うんうん。
おお。
すいません。なんかいい話の後に。
一ネタ。一ネタ差し返し。
でちょっとそのアンジャッシュ。アンジャッシュがどういう世界観をイメージしてるかは知らないですけど。
ほんとアンジャッシュ的な世界の話はまたちょっと別で。
そうか。きっとすれ違ってるんですかね。
うまいこと言わなくていいですよ。
なんとか今うまいことして落とそうとしてきてますけど。
ちょっとじゃあまた別で話しましょう。また深い話になりそうなんで。
ということでご視聴ありがとうございました。
ありがとうございました。