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【ライブ】ずっと避けていたものは、いつかまた帰ってくる
2026-06-13 18:37

【ライブ】ずっと避けていたものは、いつかまた帰ってくる


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サマリー

社会保険労務士でキャリアコンサルタントのかなやなおこ氏が、自身の父親とのコミュニケーションにおける長年の課題と、母親の病気をきっかけに避けられなくなった状況について語る。父親の加齢による物忘れや、昭和の頑固親父にありがちな受け身な姿勢に直面しながらも、母親の抗がん剤治療が始まるにあたり、父親に具体的な役割を「仕事として」与え、毅然と伝える必要性を感じている。これは、自身が避けてきた父とのコミュニケーション課題を乗り越えるための、数少ないチャンスかもしれないと捉えている。

自己紹介と番組紹介
はい、こんばんは。社会保険労務士でキャリアコンサルタントのかなや なおこと申します。
はい、お久しぶりでございます。 えっと、ちょっと冒頭の挨拶みたいな感じのを読み上げていこうかと思うんですが、どこかな?
久しぶりにね、ちょっとライブを立ち上げるとこんなわちゃわちゃしておりますが、はい。
改めまして、社会保険労務士でキャリアコンサルタントのかなや なおこと申します。 社労士なおこの働き方・多様性研究ラジオでは、働き方・ジェンダー
子育てをテーマにこうするしかないなという考え方を、こういう考え方もあるかもしれ へんなと思えるような小さなきっかけを届けする番組です。
これってなんでこんななんやろうとか、えーこれおかしない?という感触発展に、歴史や 制度、統計や海外の事例もたどりながら考えていきたいと思います。
ライブ配信の告知とテーマ提起
はい、それでは本日なんですが、はい。 あのスタンドFMとかはね、毎日実は配信していないんですが、
あとそうそうお仕事図鑑もね、しばらくちょっとお休みまでさせていただいているんですけれども、
ノートの記事は、質はどうばれ、毎日書いております。
で、本日のね、記事に関してなんですが、
このライブのタイトル通りずっと避けていたものって、いつか帰ってくるよねっていうお話をしたいと思います。
父親とのコミュニケーションの難しさ
父とのね、コミュニケーション、私は一番苦手なんですよね。
どうしてもなんかね、緊張してしまったりとか、してしまって。
で、やっぱり形状とかもね、学んではきたけれども、
一番ね、私は父の話を聞くのは本当にきつい。
夫の話とかはね、聞けるんですよね。
自分の感情を置いといて冷静に話するとか、むしろ夫の方が一番聞きやすい。
で、妹とか母の話もね、
なんかあの、一応自分の感情は横に置いといて聞くことができるんですけれども、
父はね、聞こうと思ってもまた難しいなっていうふうに感じてます。
というのも、なんかやっぱり自分自身がね、父に対して苦手意識があったりとかするからかなっていうのは思うんですけどね。
で、父もね、すごく置いたなっていうふうに感じるんですよね。
母親の病気と父との関わりの変化
で、実は私の母がガンっていう診断を受けたんですよね。
で、母のね、通院だったり、検査の結果聞きに行ったり、
あとは入院手術とかね、私も付き添いに行ったりしたんですけども、
やっぱり父がね、一番時間あるんで、
うちの父と共に付き添う日がね、結構増えてたんですよね。
手術の日なんかね、うちの母の手術、4時間あったんですけど、
なんかその、開始時間がね、結局2時間半かな、遅れて。
一緒にね、父といるのもね、もうなんかね、6時間半、7時間半ぐらいかな、
もうずーっといてて、久しぶりにそんなにいましたけどね。
で、それで、やっぱりその、今までは母を通して、
なんか父とやりとりをしていたんですけれども、
今母が病気になってしまって、
母のことで家族が協力してやっていかなければいけないっていう場面に入ってて、
だからなんていうのかな、
今まですごく父とのコミュニケーションを避けていたんですが、
もう避けられない状況に今なっているんですよね。
父親の加齢と記憶力の低下
で、ちょっとね、カチンとくることもありますし、
本当にいろいろありますけどね。
で、そうですね、なんか父も老いたなってすごく思ったことがあってね。
で、その手術の時って、本当に4時間、5、6時間ぐらいかな、
うちの父と、あと私妹がいるんですけど、3人で話をしてて、
で、なんかね、うちの父と妹がもうめっちゃ喋るんですよ、
マシンガントークで。
私は話を聞いてて、ちょっと話すぐらいなんですけど、
もう父と妹がめちゃくちゃよく喋る。
で、その中で、私の子供がちょっと領域に通っているんですけど、
数ヶ月ぐらい前かな、私の子供が領域に通ってて、
そういう発達に課題のある親の会みたいなのがあって、
そこで結構そういう話をしてるとか、そういう人たちの話によればとか、
そういうのを数ヶ月ぐらい前かな、父に情報共有はしてたんですよね。
そういう話をしてて、で、ふとこの間の手術の時に、
なお子もさ、そういう親の会とかに行ってみたらどうや、みたいな。
って言うんですよ。
いやいやいや、私行ってるしって。
もう行ってねえけどって言ったら、
まあね、あんたのことやからそういうのもやってるんやろうけどって。
たぶんね、私が言ったこと忘れてるんですよね。
私がそういう親の会とつながってるっていうのも忘れてるし。
で、忘れてるけど、何て言うのかな。
父の情報源って、まあ本やテレビ。
で、あとは私が過去に話したことだったりとか、妹が話したこと。
まあきっと父の情報源になってると思うんですけど。
なんか時間が経つにつれて、たぶん、
過去にこの情報をどこで得たのかっていうのを、たぶん出どころを忘れるんでしょうね。
で、忘れて、あの自分、私が親の会にそういう参加しているって言ってるのを、
たぶん親の会という存在があるになんか変換されてて。
で、そういうのが、そういうのを、まあうちの子、領域通ってるから、
そういうのに参加したらどうやって言うとき、たぶん私にとっていいアドバイスになるんだろうなって、
なんか思ったんでしょうね。
そう、そういうふうに、私この間アドバイスされたんですよ。
父親の老いに対する観察と不安
そう、なんかそういうのをね、聞くとね、何て言うのかな。
前やったらね、また口しか出せへんな、この親父って思ってたと思うんですよね、私も。
でも、なんかそれよりもね、
ああ、もうなんかお父さんも老いたなって感じたんですよね。
その、うん、本当にそう思ったんですよね。
老いてこういうところからもやってくるんかっていう。
もちろんね、私も記憶がね、錯綜することってあるっちゃあるんですよ。
記憶錯綜するっていうのかな。
なんかいろんな人にこの話をしすぎて、誰にこの話したかわかれへんとか、
結構そういうのはあるんですけど。
今んところは、この情報を私この人から聞いたな、
この情報はこの人から聞いたなっていうのは、まだ記憶に入っているんですよね。
なんかそういうのが、なんか父はもうできなくなったんだなってすごく感じたんですよね。
で、なんだろう。
私も、私今40なんですけど、父がちょうど30上なんですよね。
70歳で。
あの、すごく老いのプロセスっていうんですかね。
こういうふうに人って老いていくのかっていうのを、なんか今一つのサンプルを見ている感じなんですよね。
だから、なんか悲しかったとかそういうのはなくて。
私ももしかしたらこういう過程を踏んでいくのかもしれないなっていう観察的な感じですかね。
ただ、やっぱり観察をしつつも、なんていうのかな。
いろいろ悩みもあるわけですよ。
なんか父がもしそういう状態だったとしたら、
これから多分母のことで、まだまだ治療が続いていくんですよね。
おそらく抗がん剤治療もしていかなければいけなくなってきて。
抗がん剤治療ってなってくると、やっぱり副作用の問題もあるので、
母の生活のサポートがね、より重要になってくる部分もあると思うんですよ。
その時に、父だけじゃね、すっごい不安だなっていうのもあります。
置いた父に全てを背負わせるのは不安でしかないし、
もう多分父は父で、これから置いていく一方やから、
私たちのレベルでこれをしてあれをしてっていうのも、
多分できないだろうなっていうのも実感してるんですよね。
だから正直、私と妹が意思決定にすごく必要な思考であると思うんですけど、
必要なところは、そういったところは私と妹が分担していく必要があるのかなというふうに感じています。
昭和の頑固親父と受け身な姿勢
ただ、だからといって私と妹が全部やっていくのかっていうのも違うかなと思うし、
結局それをしてしまうと、どっちかにやっぱり負担が偏ってしまうかもしれない。
お父さんいつもこんなんばっかりで、愚痴ばっかりやって、
多分それがどんどん本当に解消できないぐらいの恨みに膨れ上がっていく可能性もあるのかなというふうに思っているので、
やっぱりここのところで、私がずっと避けていた父とのコミュニケーションを、
多分正解はないと思うし、良くもならないとは思うんですけど、
良くならないなりに、なんかやっぱりこっちも言わなあかんことはやっぱり言わなあかんなっていうのは思います。
それは喧嘩とかじゃなくて、なんかそういう、なんていうのかな、
いつもは母を通して言っていたことを、今度は私が父にどういうふうに伝えたらいいのかっていう部分。
で、最低限これをしてもらうためにはどのように伝えなければいけないのか、どう伝えると届くのか、みたいな。
まあね、本当になんか嫌ですけど、
でもやっぱりこれがきっと私も、もしかしたら父とのコミュニケーションでめっちゃ課題だなって思ってて避けてた部分を解消する、
なんていうのかな、あくまでも自分の中での課題としてクリアする数少ないチャンスなんかなっていうふうに思っています。
なんかね、本当に多分もう父がね、変わることはないだろうし、
変わっていくのを、なんていうのかな、
変わっていくことを知るのもちょっと違うのかな、自分の中ではね。
やっぱりそれは父の老いとして老いていくのをきちんと見届けていくって、
自分もこうやって老いていくのかもしれないなっていうのを受け入れていくっていうのもすごく大事かなって思いつつ。
どうなるんでしょうね。
そう、本当になんか課題ですね。
また明日の記事に書こうかなと思うんですけど、ノート記事にはね、父とのコミュニケーションでちょっと避けていた課題に結構当たってる的なことを書いてるんですけど、
明日書こうと思ってるのが、私今日美容院行ったんですよ。
そこの美容院のスタイリストさんが、本当に10年近いお付き合いの方で、
その方と話をしてて、全員が全員とは言わないですけど、昭和の頑固親父って言いますよね。
うちの父は昭和の頑固親父の部類に入ると思うんですが、昭和の頑固親父は本当に受け身で、
仕事のことはもちろん自分でやってたと思うんですけど、家のことは口は出せども動かない。
基本的には、家庭の仕事以外のことで能動的に動くのは、うちの母。女性が多くて。
全部口は出すけど、うちの母とかが先回りしてやるとか、そういうのに慣れてしまってるんですよね、うちの父も。
だからそういう受け身の状態の人は、きっとあれしてくれへんかな、これしてくれへんかなって思っているだけやったら、
絶対しないですってスタイリストの方から言われて。
そうやったら、もともと仕事以外のことに関して、家庭のこととか受け身で動いてきた人がいきなり能動的になるのはきっと無理やから、
仕事として役割を与える。これはできるできないじゃなくて、やってくださいって強気で言うっていうふうに教えていただきました。
父親への具体的な依頼と決意
なるほどな、強気で言うかも。でも確かにね。
何をお願いしようかなって思ってるのかというと、
私の母が、今度抗がん剤治療、いつからかしかわかんないんですけど、抗がん剤治療をする可能性がかなり高くて、
抗がん剤治療って副作用があるそうなんですよね。
私、国立がん研究センターから出ている料理ブックみたいなのがあって、それ読んでたんですけど、
お腹下したりとか、食欲不振だったりとか、嘔吐したりとか、いろんな症状が本当に出るそうなんですよね。
私の知人が言ってはったのは、口内炎で痛くて食べられないとかっていう症状もあったりするんですよね。
そういう時に、やっぱり食事って結構大事な部分になってくると思うんですよ。
私もそういう本を買って、一応3週間か2週間に1回ぐらいかな、母に食事をちょっと届けて、
しんどい時に食事作るのって大変じゃないですか。
なので、せめてちょっとでもサポートできるようにっていう感じでは考えてはいるんですけど、
でも、うちの父とかは徒歩10分もないとこに住んでるので、
父はね、母と別居してるんですよね。
一人暮らしも長いから、何かしら作れると思うんですよ。
ちょっと母が食欲なかったら、ずりーとか何か買いに行ったりとか、もちろんそういうのも父にしてもらって、
あと食事ですよね。食事もできへんとかじゃなくて、やってっていう感じで、
私がこの本貸してあげるからみたいな感じで、ちょっとうちの父にもね、
これはあなたの仕事ですっていう風に毅然として言おうかなと思ってます。
言えるかな?
ずっと父とのコミュニケーションを避けていたので、言えるかどうかわかんないですけど。
ライブ配信の終了
はい、じゃあそんな感じでライブをポチポチ終わりにしたいと思います。
なんか久しぶりにライブをするとちょっと緊張しますね。
何を言っていいやろとかね。
はい、ということで最後までお聞きくださりありがとうございます。
それでは素敵な夜をお過ごしください。金谷奈子でした。おやすみなさい。
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