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はい、こんにちは。社会保険労務士でキャリアコンサルタントのかなや なおこです。
社労士なおこの働き方・多様性研究ラジオでは、働き方、ジェンダー、腐れている手間にこうするしかないなという考え方を、こういう考え方もありかもしれへんなと思えるような小さなきっかけをお届けする番組です。
これってなんでこんなんなんやろうとか、えーこれおかしない?という違和感を出発点に、歴史や制度、統計や海外の事例もたどりながら考えていきたいと思います。
はい、では本日のタイトルですが、第4回、私が生まれた年に法律が生まれた、男女雇用機会均等法の話、です。
はい、昨日に引き続き、女性に関する日本の労働法の歴史についてゆるーく振り返るシリーズ、第4回目です。
はい、えー今回はですね、男女雇用機会均等法についてお話ししていきたいと思います。
はい、男女雇用機会均等法なんですけれども、昭和60年5月に男女雇用機会均等法が成立しました。
で、施行は1986年4月1日ですね。
なので厳密に言うと、私が生まれる1年ほど前に法律が成立して、実際の運用は私が生まれた年に施行して運用になったっていう感じですかね。
はい、なので私が生まれた年に施行されたので、もうすぐ男女雇用機会均等法が施行されてから40年なんですよね。
結構長いですね、どうでしょうね。
少しこの法律ができる背景に振り返っていきたいと思います。
1980年代まで振り返ってみたいと思うんですが、女性の雇用者数は著しく増加していました。
1975年ではですね、女性の雇用者数は1167万人だったそうなんですよね。
均等法施行直前の1986年ですね、この1167万人から1584万人へと増加しています。
大体この11年で36%ぐらい増加している計算になりますね。
昭和35年と比べると実に2倍以上の数字なんですよね。
働き続ける女性が増えて学歴も上がり、継続就業への意識も高まっていました。
でも一方で職場の現実はこんな感じでした。
労働基準法で時間外労働は1日2時間、1週間6時間、1年は150時間と女性の労働は制限されていたんですよね。
深夜用は減速禁止です。
昨日書いた記事には例外規定として例外が広がっていって深夜業は例えば今ではキャビンアテンダントさんだったりとか
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そういうものに関しては深夜業も認められるっていう風になっていたんですけれども、深夜業は減速禁止だったんですよね。
男性は仕事、女性は家庭へという役割分担意識が社会にも職場にもまだまだ根強く残っていた時期です。
賃金はどうかというと、1986年当時は女性の給料は男性の59.6%
同じ職場で働いていても女性の給料は男性の6割にも満たなかったそうなんですよね。
国が制度として制限している場合、企業は女性を男性と同じように扱いにくいんちゃうかなと思うんですよね。
どうですか、ご自身が企業側だと。
その構図が女性の活躍を阻む壁になってしまってたんですよね。
男女雇用機械均等法の成立に関して、国際的な動きもこの法律を後押ししました。
1975年の国際婦人都市、1979年の女子差別撤廃条約の採択。
日本は1980年にこの女子差別撤廃条約に署名して、批准のための国内法整備が必要となったんですよね。
こうして生まれたのが男女雇用機械均等法です。
1986年に施行されたこの男女雇用機械均等法、画期的な法律ではあったんですけれども、
正直に言うと、最初の一歩は限定的なものだったと思います。
なぜかというと、募集・採用・配置・昇進については、均等に取り扱うように努めることという努力義務に留まったんですよね。
努力義務だから、罰則もないし、強制力もないんですよね。
何がこの男女雇用機械均等法で最初に禁止されたかというと、
定年に関すること、退職に関すること、解雇については差別が禁止されました。
でも、この募集・採用とかって、会社に入る、働くための入り口みたいなものですよね。
その段階では均等に扱ってもらえないのであれば、そもそも働く機会すら得られないと私は感じました。
ゆるく振り返りながら調べていたときに、そう感じたんですけども、
努力義務で罰則がないからといって、それを軽く見ていい理由にはならないんですよね。
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努力義務が強制力を持った義務規定に格分けされることももちろんあります。
損害賠償請求をされるリスクだってあります。
でも、強制力がなければなかなか動きませんよね。
企業も人も。
例えば、車の話をしましょうかね。
車の法定速度って60キロですよね。一般のところって。一般道か。60キロですけど。
それがね、例えば努力義務だったら、多分もっと飛ばしてる人がいると思うんですよ。
だって罰則規定があったとしてもビュンビュン飛ばす人いるでしょ。
この間、熊本県の八千代市長も法定速度100キロのところ、
え?なんだったっけ?
50キロ以上オーバーで、確か出してて。
確か高速道路だったかな。
で、罰金8万円。
免定30日ってかなり重いのを食らってましたけど。
で、もしそれが法律で罰金もない、音が目もなかったら、
もっと多分これってビュンビュン飛ばす人いると思うんですよ。
また、なんていうのかな、捕まったら罰金がある。
で、免許停止になるかもしれない。
で、警察とかもね、パトカーも走ってるし、譜面パトカーもいるし。
で、なんていうのかな、城場にもおるし。
そういうふうに強制力が働いてるからこそ、今この現状がね、
なんとか保たれてると思うんですよね。
こんだけ強制力が働いてても、まあ違反する人はいますけど。
で、まあ働き方の話に戻っていきたいと思うんですけども。
あとはね、すごくやっぱりこの努力義務に留めた、
私は当時の政府が、すごく働く女性の環境をね、
そこまで重要視していなかったから、努力義務に留めたんかな、
と感じたんですよね。
だってもっとすごく重要だと、女性のね、募集とか採用とか、
そこで不利益にあったら、すごく女性側が苦労するだろうなっていうのを、
もっと危機意識を感じていればね、時の政府が。
であれば、最初から努力義務じゃなくて、
おそらく義務規定で強制力がある形にしていたと、私は感じます。
あ、すいません。今更なんですけど、
そもそも男女雇用機会均等法とは何ぞや、というところですね。
もうすごくざっくり言うと、性別を理由とした差別はしてはいけませんよ、
っていうことを書いた法律です。
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はい。で、努力義務が一部あった中で、
いろいろ改正が、男女雇用機会均等法の中でもあるんですけれども、
まず平成9年、1997年の改正で、大きな一歩が踏み出されました。
それまで努力義務だった、募集、採用、配置、昇進、この4つについても、
女性であることを理由とする差別的取扱いが禁止となりました。
また、セクシュアルハラスメント防止の規定も新設されます。
この対策を怠る企業に対しては、一発アウトではないですけれども、
企業のお名前も公表されるという、そんな制度も始まりました。
さらにですね、平成18年、2006年の改正では、
男女双方に対する差別の禁止、間接差別の禁止、
妊娠・出産を理由とする不利益取扱いの禁止へと、
保護の範囲が広がっていきました。
いろいろ改正を重ねていく中で、数字にも少しずつ変化が現れてきました。
例えば、女性の課長級以上の管理職の割合。
1986年、40年前ですね、40年前は1.4%でした。
そこから2024年には、12.3%へアップしました。
あと、男女共同参画白書というところから数字も見たんですが、
男女間の賃金格差。
これもですね、1986年の時は59.6%だったものが、
2022年には77.5%へと縮小傾向が続いています。
つまり、男女の賃金格差がだんだん縮まってきているということですね。
まだ十分とは言えないです。
でも、法律が変わることで制度が変わり、数字が動いてきた。
もし、法律が変わっていなければ、今はもっと遅れていたと私は考えています。
法律が変わるだけでは、意識はすぐに変わらないです。
それでも、法律という形が変わることの意味。
法律を変えるのにも時間がかかります。
でも、変えることができます。
意識を変えることも、多分法律を変えることにも、もっと時間はかかると思います。
けれども、きっと必ず私は意識も変えることができると思っています。
意識も文化も変化してますよね。
多分江戸時代のような考え方の人たちって、今いないと思うんですよ。
戦国時代のような考え方。
何かムシャクシャしたらというか、合わなかったら殺しちゃえとかって考える人って、
今の世の中というのかな、少なくとも日本の世の中でそういうことを考えている人っていないですよね。
ほとんど。ゼロとは言わないけれども。
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だから、きっと文化とか意識とか、時間はめっちゃかかるけれども、いつか変えられると思っています。
女性の働き方って、私も苦労しているところはあるし、まだまだ課題は山積みだなって感じている部分はあります。
でも、やっぱり、祖母の時代より母の時代、母の時代より私の時代の方が、
格段にどんどん働きやすくなっていますし、女性が働くことへの理解だったりとか、
男性が子育てとか家事をしていくっていうことに理解があったりしますよね。
そういうふうに、今の私たちの世代では、課題が山積みだったとしても、
子どもたちが大きくなる頃には、そういう格差がどんどんなくなっていったらいいなっていうふうに感じながら配信しました。
はい、それでは最後までお聞きくださりありがとうございます。
本日もご機嫌な一日となりますように、金谷奈子でした。