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こんばんは、社会保険労務士でキャリアコンサルタントのかなや なおこです。 こんばんは、社会保険労務士でキャリアコンサルタントのかなや なおこです。
社労士なおこの働き方・多様性研究ラジオでは、働き方、ジェンダー、子育てのテーマにこうするしかないなという考え方を、
こういう考え方もありかもしれへんなと思えるような小さなきっかけをお届けする番組です。
これってなんでこんなんないやろとか、えーこれおかしないという枠の出発点に、歴史や制度、統計や海外の事例もたどりながら考えていきたいと思います。
はい、本日はかなり久しぶり、女性の日本の労働法についてゆるーく振り返る、そんな感じでお送りしたいと思います。
タイトルは第3回、退職日はいつにしますか?母の話から考えた法律と現実の間です。
はい、今回は女性に関する日本の労働法の歴史についてゆるーく振り返るシリーズということで第3回目です。
前回、もう結構かなり前にはなるんですが、1947年に誕生した労働基準法についてお話ししました。
男女同一賃金の原則、生理休暇だったりとか、3前3後休業というものが労働基準法の中にあるんですけれども、このように労働基準法は女性を守るルールがパッケージのように詰め込まれて画期的な法律でした。
今回はその法律と現実の間にある話をしていけたらなと思っております。
はい、まず私の母の話をしたいと思います。
私の母は今は60、もうすぐ70近いですね。
はい、今68ぐらいなんですけれども、私の母は1980年代に結婚しました。
確かね、1984年やったかそれぐらいだったかな、ちょっと記憶にあまりないんですけれども。
で、結婚が決まった当時、職場ではこう言われたそうです。
うちの母がね、結婚することになりましたって多分上司に言ったと思うんですけど、その時に上司が一言。
じゃあ退職日はいつにしますか。
そう、ちょっと違和感ないですか。
辞めるかどうかではないんですよね。
退職しますか、退職しませんかって、多分今退職するかせいへんかってわざわざ聞くこともほぼほぼないと思うんですけど。
退職日はいつにしますかっていう質問って、もう辞めることは決定事項で、
じゃあその辞める期間というか辞める日はいつ辞めるかを聞く問いですよね。
選択肢はあるけれども選択はほぼ許されない。
なんかそういう空気感がね、社会にも職場にも漂ってた時代なんかなというふうに母の話を聞いていて感じました。
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ここでちょっと犯例というか、そこも紹介したいと思います。
1966年に隅友セメント事件の判決が出ます。
この隅友セメント事件というのはですね、結婚を理由とした退職制は公女両族に反し無効であると。
事件の概要をさらっとお伝えしますと、原告が結婚したところ、会社が結婚退職制度を理由に解雇したんですよね。
そんな解雇は無効やっていうことで、雇用契約関係の確認だったりとか賃金の支払いを求めた裁判です。
すごいですよね。結婚したから解雇って、なかなか今の時代だったら一発アウトですもんね。
続いて1969年、隅友セメント事件の3年後に、東急技館工業事件で男女差別定年制も無効とされました。
このように結婚を理由とした退職制に関しては、公女両族に反して無効ですだったりとか、男女差別定年制も無効とされたりとか、
そういうふうに裁判では、とて続けに無効というふうに決まっていて、
法律の上では、女性は結婚しても働き続けることができる。そう認められた瞬間なのかなとは思うんですよ。
実際そう認められたから、会社の整備とかちゃんと整えたりとかしようかなっていうふうにやっていた会社もあると思うんですけど、
でもですね、母の話を聞く限り、現実ではそうでなかったのかなっていうふうに感じたんですよね。
母は当時の状況で辞める選択肢しかなかったって話してくれたんですよね。
会社も、じゃあ退職別にするって聞いてくるし、母の夫である私の父も専業主婦であってほしいだったりとか、
おじいちゃんおばあちゃんがどういうふうに考えてたかどうかわからないですが、
おそらくおばあちゃんに関しては、ちゃんと女性が家庭を守るものっていう認識はあったと思うので、
母の周り全員がね、うちの母が結婚したら仕事を辞めて家庭に専念する、そういう方向に向いていたと思うんですよね。
法律としては仕事を続けるっていう方法ももちろんあるし、その上で家庭に専念して仕事を辞めますっていう方法もあったと思います。
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フルタイムは難しかったとしても、例えば時間を短くしてパートタイマーとかで働くっていう方法はあったかもしれない。
けれどもとてもじゃないけど選べるとは思えない。選択肢はあっても選べるとは思えない。そういうことだったのかなというふうに感じるんですよね。
結婚退職制とことぶき退社、これは別物です。
結婚退職制というのは、結婚を理由に会社から自動的に退職となったりとか、
退職を会社が強要したりすることを結婚退職制と言います。
一方でことぶき退社、こちらはあくまでも家庭に専念するという本人の意思によるものなんですよね。
でもね、私すっごく疑問に感じるんですよね。
母の話を聞いていて、ほんまにそれって本人の意思による選択だったのか。
選べる社会と選べると思える社会、全く違います。
法律が変わっても周りの人が作り出す空気感が変わらなければ、人って選べないですよね。
強い意思がなければ、自分にね。
本当にね、母の話を聞くたびにそう思います。
この時代、もう一つの動きがありました。
1947年の労働基準法には、女性を守るための規定がたくさん詰め込まれていたと書きました。
ところが1951年、占領政策、GHQの占領下の下で作られたものだったので、
占領政策の再検討を求める声をきっかけに、経営者側から規制関羽の要求が次々と出されるようになりました。
女性の時間外労働だったりとか、深夜業の禁止とか、いろいろあったんですよね、この労働基準法には。
そこに、女性の時間外労働の制限緩和、深夜業禁止への例外追加。
どういう職業が追加されたかというと、
あえて私が調べた資料の表記通りに発言させていただくんですけれども、
今はキャビンアテンダントさんですけれども、スチュワーレスさんだったりとか、放送局のアナウンサー、
あとは缶詰工場の加工業務かな。
そんな感じで、少しずつ少しずつ例外規定が広がっていったんですよね。
最初は確かスチュワーレスさんだったんですけど。
これは戦前の工場法、労働時間がめちゃくちゃ長かったりとか、
そういう今からしたらブラックオブブラックみたいな、そんな感じの労働基準だったところからかけ離れた高い水準ですよね。
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高い基準で当時の労働基準法というのは作られていて、
そのすごい差がありますよね、開きが。
経営側からの揺り戻しだったとも言われています。
一方で、女性を活用しなければならない現場の実態に合わせた緩和だったとも言われています。
守るためのルールが削られていったのか、現実に合わせて調整されていったのか、
どちらの見方もできる、結構複雑な時代だったのかなとも言えます。
ちょっとこちらから国際的な動きというか、そこもご紹介できたらと思うんですが、
1967年、日本はILO第105条約に批准しました。
この条約が何かというと、男女同一報酬条約という名前なんですが、
同じ価値の労働には性別による差別なしに同一の報酬を、
めちゃくちゃ簡単に言えば、同じ仕事をしたら男女関係なく同じ給料を払いなさいということですね。
今では当たり前に聞こえるんですけど、これが国際条約と定められたのが1951年なんですよね。
日本が批准したのが1967年のこと、実に16年後のことですね。
前回お話しした男女同一賃金の条文、ちょっと労働基準法を振り返ってみますと、
労働基準法ってこんな条文があるんですよ。
労働基準法第4条に、男女同一賃金の原則というのが今も明文化されてるんですよね。
使用者は労働者が女性であることを理由として、賃金について男性と差別的取り扱いをしてはならない。
この条文は当初の草案には入ってなかったと言われてるんですよね。
きっかけはソ連代表のデレビヤンコ中将による勧告。
なんて言ったかというと、技能が同じやったら男女二同額の賃金を支払うべきちゃうか言うたんですよね。
そういう強い発言があったから、急遽盛り込まれることになったという背景がありました。
日本の女性労働の歴史を振り返ると、平等への一歩はいつも外からの圧力なのかな。
外からの圧力と共にあるのかなというふうに感じました。
内側からだけではなかなか動かないものがあるのかなと思います。
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そのことをこの時代の歴史は静かに教えてくれているような感じがしました。
もう令和の時代になって8年経ちました。
もう昭和じゃなくて令和なんですよ。
ちょっと何とか参考部みたいになってますけど。
どうですかね。
この昔の空気感、完全に今もなくなったって言えない感じがするのは果たして私だけでしょうか。
全く一緒とは思わないですけど。
なんかまだ今もそういう負の空気感というのは、私が女性だからこそ感じるのかもしれないんですが、とても感じます。
本当に法律と現実の間にある空気を、その空気の違和感をこれからもいろいろ丁寧に紐解いていきたいと思います。
それでは最後までお聞きくださりありがとうございます。
本日もご機嫌の夜をお過ごしください。
金谷奈子でした。おやすみなさい。