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おはようございます。社会保険の無視でキャリアコンサルダントの、かなや なおこです。
社労士なおこの働き方・多様性研究ラジオでは、働き方、ジェンダー、子育てをテーマに、こうするしかないなという考え方を、こういう考え方もありかもしれへんなと思われるような、小さなきっかけをお届けする番組です。
これってなんでこんなんなんやろうとか、えーこれおかしない?という違和感を出発点に、歴史や制度、統計や海外の事例もたどりながら考えていきたいと思います。
はい、それでは早速本日の記事を読み上げていきたいと思います。
弱視の指摘と気づき
タイトルが、健康とは、より自分らしく心地よく生きられること、子どもの弱視から気づいたこと、です。
2025年7月、第一子3歳の3歳半健診がありました。
3歳夫と私、当時0歳の妹と一緒に行った時のことです。
3歳半健診で、子どもの弱視の可能性を指摘されました。
えー、なんでうちの子が?
夫と私は、子どもが見えていると思っていたからそう思いました。
うちの3歳は、車に乗っていると、遠くの看板のリンゴをすぐ見つけることができる。
遠くの飛行機を見つけ、飛行機と指差し教えてくれる。
うちの子、動体視力がいいんやなーって思ってたんですよね。
でも実は、見えていなかった。
正直、すぐに信じることはできませんでした。
私自身は、小さい頃から視力が1.5から1.7。
今でも1.2はあるかなーっていう感じで、目は悪くはありません。
つまり、見えないという経験をしたことがないんですよね。
だから子どもが、見えていないなんて想像もしていませんでした。
今年の9月に病院を受診しました。
メガネによる変化
2度の検査を受け、10月から強制用の眼鏡を着用する生活へ。
最初は、かけてくれるか不安でした。
うちの子は、発達の遅れがあり、感覚過敏もあります。
例えば、保育園規定の帽子も、なかなかかぶってくれません。
いつもとは違う洋服を着せたいとき、帽子をかばらせたいときには、
これ着たら、じゃがりこあるでー、とか、
そういう行動した先のメリットをちらつかすったら、ようやく応じてくれるような、そんな感じなんですよね。
眼鏡も最初は、そうでした。
そして、かけたときには、めっちゃかっこいいやん、と
黄色い声を3歳にたくさん浴びせました。
時々外すこともありますが、今では渋々ながらも、長時間かけてくれています。
うちの子が眼鏡をかけてから、まだたった2ヶ月ほどなんですけれども、
子供は変わっていったように思います。
人の顔をじーっと見てくれるようになりました。
今までは、こちらが話をしていても、見てくれなかったんですけれども、
今は私の話を、目を見てじーっと聞いてくれるようになりました。
会話にも変化がありました。
今までは、単語と単語をつなぎ合わせてのお話だったのが、
手に歯をつけられるようになったりとか、文章になったような感じで、
お話も上手になってきました。
それでね、今までは、人の顔にめちゃくちゃ近づいてたんですけれども、
すごい急接近というか、めちゃくちゃ接近することも減ってきて、
人の表情を読み取ろうとするような、そういう感じも見受けられるようになってきました。
目に見えて変化したのが、遊び方です。
以前はね、感覚遊びが中心でした。
感覚遊びというのは、例えば積み木を持ち上げて、バラバラバラバラーって崩すだけ。
組み立てもせずに、本当に木の葉ありますよね。枯葉とか。
枯葉とかを持ってワッサーってするような感じのものを積み木でもバッシャーン。
他のものでもバッシャーンってして、そういうのを感覚遊びと言うそうなんですけども、
そんな感じで、一人で手の感触とか音を楽しむ遊びをね、感覚遊びって言うんですけど、
それが中心だったんですよね。
でも、眼鏡をかけてから、一人遊びをする中で、赤ちゃんのお世話というのをするようになりました。
そして、1歳の妹がいるんですけども、2人でも結構遊ぶようになってきましたね。
すごく単純な遊びで、3歳の子がギャーって脅かして、1歳の子がそれを見てゲーって笑う。
それを見てね、3歳の子が嬉しいのか、またギャーって脅かして、
もうお互いワー、キャーというやりとりだけで、言葉のやりとりは何もないです。
でもね、そこには確実に他者とのやりとりがあるんですよね。
あとはすごく大人に遊んでもらうだけじゃなくて、自分から妹と遊ぼうとする。
主体的な遊びの中に他者が加わっているような、子供の社会に確実に人が加わっている、広がっているなあって、そう感じてるんですよね。
まああの、またメガネをかけた状態なんですけども、視力は0.8から0.9。
健康の本質
でもほんとこの2ヶ月で、子供の言葉の発達、行動力、遊び方が全然違うんですよね。
私ね、こう思ったんですよね。
本当に世界の見え方が変わると、本人の行動がこんなに変わるものなのかと教えてもらったんですよね。
で、ふと気づいたことがあってね、子供は見えていないという認識がね、なかったんですよね。
赤ちゃんは生まれた時はほとんど目が見えてない状態なんですよね。
成長していく過程で視力がどんどんどんどん上がっていきます。
うちの子の場合はその成長段階で視力がストップしてしまった。
でもうちの子供にとっては、生まれた時の全然見えない状態から3歳半まで、この3歳半までの時が一番見えている状態だったんですよね。
だからきっと、視力があまり見えていない状態であったとしても、そこまで不自由さは感じていなかったと思います。
なので、本人としてはおそらく困っていなくて、困っていないから支援しなくていい、そう思うことも考えようによってはできるのかなって思います。
でも、メガネをかけることによって、本当にうちの子の世界が広がっていったんですよね。
行動も変わりました。
本人が困っていないというのは、困っていることに気づいていないだけなのかもしれない、支援することで世界が広がるかもしれない、そう思ったんですよね。
メガネという道具が子供の人生の背中を押してくれた。見えることで世界が広がった。
3歳の様子を見ると、こう感じずにはいられません。
道具が人生の背中を押してくれる。
例えば、領域の創芸でこの看護等休暇を使えることを知る。
年次有休休暇を使う以外にも選択肢が増え、年休が減っていくのをハラハラして過ごすことがなくなったり、余った年休を自分のリフレッシュの時間へ充てることができたり。
例えば、AIという道具。
今まで自分の考えを表現することが不得意だったり、時間がかかっていても、AIに任せることで自分の意見をAIに乗せて発信することができるようになる。
障害を持っている人にとっても、AIを使うことでできることが増え、可能性が増えていく。
それは、働き方にも通じるのかもしれません。
制度という道具、情報という道具。
それが人の行動を変える。働き方を変える。
人生の背中を押してくれる。
子供の弱視を通して、私は親として、そして社会を見る目も少し変わったように思います。
健康って何やろう。病気じゃなければ健康なのか。
本人が困っていなければ健康なのか。
うちの子は、メガネをかけることで世界が広がった。
子供の遊びの世界に、いろんな人が参加するようになりました。
健康とは困っていないことじゃなくて、より自分らしく心地よく生きられることなのかもしれない。
3歳半健診で弱視を指摘された時、私は正直なんで?と思いました。
でも今は3歳半健診に感謝しています。
もし3歳半健診で指摘されていなかったら、子供はずっと見えない世界で生きていたかもしれない。
子供の視力の成長は6歳から9歳くらいまでと言われています。
もっと遅れていたら、早期発見の大切さ、健康を守ることの大切さ、健康を考えることになって私はそのことに気づきました。
そしてもう一つ、健康は子供の可能性を広げる。
視力という健康が子供の人生の背中を押してくれた。
遊び方が変わった。他者との関わり方が変わった。
健康があるから子供はより自分らしく生きられる。そう思うようになったのです。
自分の現在地を知る。その上で必要性があれば道具を取り入れていく。
健康を守ることは自分らしく心地よく生きることにつながっている。
子供の弱視を通して私はそのことに気づきました。
はい、それでは最後までお聞き下さりありがとうございます。
本日もご機嫌な一日となりますように、金谷直子でした。