働き方の背景
おはようございます。社会保険労務士で、キャリアコンサルタントのかなや なおこです。
社労士なおこの働き方・多様性研究ラジオでは、働き方、ジェンダー、子育てを手間にこうするしかないなという考え方を、
こういう考え方もありかもしれへんな、と思えるような小さなきっかけをお届けする番組です。
これってなんでこんなんなんやろうとか、えーこれおかしない、という違和感を出発点に、
歴史や制度、統計や海外の事例もたどりながら考えていきたいと思います。
はい、それでは本日1月28日のタイトルです。
100年前から届いたバトン。神戸で見つけた「八時間労働発祥の地」で考えたこと、です。
昨日は1月27日ですね。第一子の4歳の誕生日でした。
皆さん、ダダンダンってご存知ですか?
あの、バイキンマンが作ったバイキンメカの一つなんですけども、
あのもううちのね、第一子の推しなんですよね。
もうほんとめちゃくちゃ大好きです。
昨日もね、夫がダダンダンのぬいぐるみをプレゼントしてましたね。
ダダンダンが一番好きで、次にバイキンマン。
で、あともう3位とか4位はちょっと私も、多分3位とか4位とかないのかな?
とにかくダダンダンとバイキンマンがめちゃくちゃ大好きなんですよね。
まあ第一子にとっての最大の推し勝つ、これはアンパンマンミュージアムへ行くことなんですよね。
なのでね、昨日は神戸のアンパンマンミュージアムで大好きなアンパンマンワールドを楽しんでおりました。
特にね、そのバイキン秘密基地というのがあるんですけども、
そこでね、1時間ぐらいかな、たぶん遊び倒していたかと思います。
私はその時はカフェで1人で、1人じゃないな、一切のことをゆっくりぼーっとしておりました。
でですね、このアンパンマンミュージアムの近くに8時間労働発祥の地があるのはご存知でしょうか?
神戸のアンパンマンミュージアムの歩いて5分ぐらいかな?
はい、なのでね、ちょっと大阪へ帰る前にちょっと久しぶりにね、行きたくなったので立ち寄りました。
本日の配信ではですね、8時間労働発祥の地から働き方の原点について考えていたことをお話してきたらと思います。
8時間労働制の確立
まず現在の労働基準法からちょっと見ていきたいと思うんですが、
労働基準法第32条にはですね、ここ定められています。
使用者は労働者に休憩時間を除き、1週間について40時間を超えて労働させてはならない。
続いて使用者は1週間の確実について労働者に休憩時間を除き、1日について8時間を超えて労働させてはならない。
こういうふうに書かれてるんですね。つまり1日8時間、1週間40時間を超えてはならないよというふうに基準を定めています。
これはあくまでも最低基準です。
なので時間外労働とかあるんですけど、まずはこの基準を超えちゃダメなんですよ。
どうやったら時間外労働だったりとか休日労働をさせることができるのか。
それは過半数の組合だったりとか、過半数代表者というのがあるんですけども、
労働者の方とちゃんと使用者の方が話し合って、それで労使協定というものを締結して、
労働基準監督署に届けてた場合、いわゆるサブログ協定と呼ばれるものなんですけども、
それをちゃんと届けてたら時間外または休日に労働させることができるんです。
なのでそもそもこういう働く人とのお約束をちゃんと労働基準監督署に届けてなければ、
1週間に40時間を超えて労働させてはいけないし、1日に8時間を超えて労働させてはダメなんですよね。
これをサブログ協定と言うんですけども、サブログ協定を締結しても、
その超えた部分でありますよね、1日8時間、1週間40時間だけれども、
例えば1日8時間半、30分を超えて労働しましたとか、1週間45時間働いてたな、
5時間分を超えてしまったなという部分に関しては、割増賃金を支払わなければいけません。
これが今の日本の労働基準法の最低基準です。
でもこの8時間というのは、実は100年前に戦った人が勝ち取ったものだったんですよね。
では100年前、労働者は何時間働いていたのか。
1919年、大正8年のことなんですけども、兵庫県神戸市にある川崎造船所では、
朝6時半に仕事に行って、終わるのは午後5時。
お昼休憩が30分なので、10時間労働制だったそうなんですね。
休憩時間が30分って短って思ったんですけども、それも置いといて、
1日10時間、どうですか。
私はもう想像するだけでめちゃくちゃ疲れてしまいます。
当時の労働者たちは、賃上げだったりとか、商用支給などの労働条件を求めたものの、
当時の川崎造船所社長、松畑光二郎さんですかね、
そのことに対して、じゃあこうしますねとか、そういう回答をしなかったみたいなんですね。
そこで労働者はサボタージュ、サボロがサボロの語源ですよね。
その手段で戦いました。約10日間ですね。
そのサボタージュ、葬儀の末、社長だった松畑光二郎さんが、
8時間労働制の導入を決断したんですよね。
これが日本で初めての本格的な8時間労働制と言われています。
この出来事がですね、全国に大きな反響を呼びました。
他の工場でも8時間労働制を求める動きが広がっていったそうです。
この約1年半後に大きな葬儀が起きます。大葬儀ですね。
1921年、大正10年、川崎造船所と三菱造船所で戦前最大規模のストライキが起きました。
この川崎造船所での8時間労働制の導入を受けて、
他の工場労働者も時間労働制の導入を要求したんですよね。
規模がね、約4万人の労働者が45日間戦ったそうです。
大葬儀に関しての詳しい話は省略させていただけたらと思うんですが、
結果この葬儀は労働者側の全面敗北に終わりました。
ただ、この戦いがあったからこそ、
現代の働き方の課題
労働者の権利について考える人が増えていったのかなとも感じます。
自分の今までの常識に対し疑う視点を持つことができるようになったのかなとも感じました。
この石踏みが建てられたのは、ちょっと話を現代に戻していくんですけども、
8時間労働発祥の地の石踏みが混流されたんですけども、
それは1993年、平成5年のことです。
1919年から約70年以上経った後のことです。
こんなCMはご存知でしょうか。
リゲインのCMなんですけども、
1989年に24時間戦いますかっていう恐ろしいキャッチフレーズが流れていたんですよね。
私その時まだ3歳だったので、リアルタイムでは見ていなかったんですけども、
このキャッチフレーズは聞いたことがあります。
そんな中で、当時の兵庫労働基準連合会は、
働き方を見直していくという思いから、この石踏みを混流したそうです。
まあね、24時間戦いますかっていうね、
そういう長時間労働の極みですよね。
そんな風潮がある中で、8時間労働という原点に立ち返ろう、
長時間労働を変えていくために立ち上がった労働者の思いを原点に、
そんな長時間労働を良しとする当時の空気に一石を投じる、
そんな思いがあったのかなと感じました。
100年前の川崎造船所の人たちは10時間働いていました。
時間労働制の導入を求めたと参考資料には書かれていたので、
もしかしたら、もう労働時間すら決められていなかった企業もあったのかもしれません。
川崎造船所から8時間労働制が導入され、
今は労働基準法の最低基準として否定に設けられています。
働き方改革の中で、ワークライフバランスという言葉も登場しました。
少しずつ少しずつ声を上げていた人がいたから、
今の労働時間があるし、今の労働条件があります。
この石踏みは、働き方を見つめ直し、声を上げていく原点のように感じました。
働き方改革が叫ばれてもう10年近く経っています。
でもまだまだ課題は多い現状です。
日本の男性は世界的にも長時間労働です。
パワーハラスメント、非正規雇用、ジェンダー格差、
100年前の人たちが声を上げてきたように、
私も横のつながりを大切にしながら声を上げていきたい。
働き方を変えるのは遠い未来の誰かではなく、
今を生きる私たち一人一人の小さいけれど確かな声なのかもしれません。
そんなことを考えていた子どもの誕生日でした。
それでは最後までお聞きくださりありがとうございます。
本日もご機嫌な一日になりますように。
金谷奈子でした。
いってらっしゃい。