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2026-02-09 12:14

ビジネスが壊れる仕組み|100年前の経営者が気づいた「当たり前」の真実

note記事

ビジネスが壊れる仕組み|100年前の経営者が気づいた「当たり前」の真実
https://note.com/je_joue/n/n2723e066fe8a

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サマリー

明治大正時代の日本の労働市場では、10代の女性が主な労働力として活用されており、非常に過酷な労働環境が問題視されています。1911年に公情法が成立したものの、その施行には時間がかかり、労働条件の改善が実現するまでの道のりは容易ではありません。

00:05
こんばんは、社会保険労務士でキャリアコンサルタントのかなや なおこです。
社労士なおこの働き方・多様性研究ラジオでは、働き方・ジェンダー・不調でお手元にこうするしかないなという考え方を、
こういう考え方もありかもしれへんなと思えるような小さなきっかけをお届けする番組です。
これってなんでこんなんなんやろうとか、えーこれおかしない?と違和感を周波数点に、歴史や制度、統計や海外の事例もたどりながら考えていきたいと思います。
最近ちょっと夜の配信が続いておりますが、頑張っていきたいと思います。
2月9日のタイトルで、ビジネスが壊れる仕組み、100年前の経営者が気づいた当たり前の真実、です。
日々ですね、いろんなことに対して違和感というか、結構私自身モノモーしたい気持ちをね、あのモヤモヤという言葉に包んで考えることが好きです。
働き方の研究をしたいと、12月11日ですかね、昨年の、その時に言葉にしてからですね、すごくアドバイスをいただいたりとか、
あとはいつも新たな視点を見せてくれるインフルエンサーさんに出会えたりとかしたんですよね。
やっぱりそのおかげで、その物事の成り立ちだったりとか、経緯についてまず知りたいなと感じるようになったんですよね。
ついつい法律の条文だけをね、結構見てしまいがちだったんですけれども、その背景にある当時の人たちの葛藤だったり、思いだったりを深掘りしてみる。
すると、今の私たちが当たり前だと思っていることが、実は全く当たり前ではなかったことに気づかされます。
というわけで、今回から連続というか、数回に分けて、女性に関する日本の労働法の歴史について、ゆるく振り返ってみたいなと思いますので、お付き合いいただけると嬉しいです。
連続ではなくて、多分、断続的にやっていきたいと思いますので、よろしくお願いします。
明治大正時代の労働環境
本日は明治大正時代のお話となります。
明治時代の日本って、今でいうと急成長中のスタートアップ国家みたいな状態なんですよね。
とにかく外貨を稼いで、近代化を急ぐ必要がありました。
そのメインエンジンを担っていたのが、実は地方から集められた10代の女の子たちだったんですよね。
実際の数字を見ると、その構造が見えてくると思います。
労働者の約88%が女性だったと言われています。
当時の主力である繊維産業においてなんですけれども、すごくびっくりしたのが、その中で14歳未満の子どもが全体の約1割いたそうです。
中には、その資料によると7歳から8歳の子どももいたそうです。
人口の25%が10代の女高さんですね。
これは愛知県豊橋市の記録なんですけれども、すごい割合だと思いませんか。
街を歩けば、4人に1人が10代の働く女の子なんですよね。
彼女たちがキートを作って輸出し、その化石で国は軍艦を買ったりとか、テストを引いていきました。
つまり、日本の近代化は彼女たちの労働によって買い支えられていたとも言えます。
私が読んだ資料では、彼女たちの状態を肉体的摩滅と表現されていました。
すごい字ですよね。
わかりやすく言うと、体がボロボロになるまで使い倒すということなんですが、
摩耗は聞いたことがありますけど、摩耗を大概、人に対して使うと結構なひどい状態かなと思うんですけれども、
摩耗の間に滅する、摩耗よりももっとひどい状態なのかな。
それぐらい女性が酷使されている環境にいたのかなというふうに感じました。
公情法とその課題
これが社会問題になり、ようやく1911年に誕生したのが、日本初の労働者保護法である公情法です。
この法律の中で、年齢を問わず女子とされている人と15歳未満の人は保護職校と呼ばれていました。
公情法の中で、保護職校に対していくつか制限というか、さらに保護をしたんですよね。
例えば、労働時間は1日12時間までだったりとか、
あと深夜用ですね、午後の10時から午前4時までは原則ダメ、
あとは休日は月に2回設けること、
3・5休業は5週間、意思が支障ないですよというふうに判断した場合は3週間、3・5に取れるとされていました。
3・5休業に関しては以前ノート記事にも書かせていただきましたので、詳しくは省略したいと思いますが、
どれもこの労働条件、今の私が見ると、本当に今の社労主としての感覚ならおそっこアウトな条件なんですけども、
当時は1日15時間労働だったりとか、中夜2交代のぶっ通しが結構当たり前の時代だったそうなんですよね。
なので、この1日12時間までという規定だったりとか、月に2回は休ませてあげてくださいねというのが、
当時の国にできたすごく革新的とか革命的な一歩ではあったんですよね。
ただ、以前ノートにも書いた3・3・5休業の歴史というところにも書いたんですけれども、
実際この公条法が実施されたのは、できたのは1911年なんですけども、5年後の大正5年、1916年ですね、のことでした。
ではここから個人的なモヤモヤというのかな、すごく当時の人たちの苦悩を感じる部分なんですけども、個人的には。
実はこの法律、決まったはいいけど、すぐには施行されなかったんですよね。
先ほど作ったのが1911年、施行されたのが1916年、5年後ですよね。
でも、なんていうのかな、深夜業の禁止って先ほど言いましたね。
午後の10時から午前4時まで保護職校、女性と15歳未満の子たちは、いくつか制限というか、さらに保護されたというふうに書いたんですけれども、
今の感覚だと、法律ができて施行されてるんだったら、もうその日からダメですよね。
例えば、一番イメージしやすいのは最低賃金かなと思います。
大阪の最低賃金、2025年の10月16日から1177円時間給に改定されました。
普通通常で言えば、10月16日から1177円以上、労働者の方に時間給として支払わなければいけない。
これが最低賃金って決まっていますので、10月16日から適用しなければいけない。
ですけれども、それって例えば11月に入っても、例えば1177円を下回る場合であれば、もう完全にアウトじゃないですか。
でも当時の生意業界が、今すぐ辞めたら国際競争に負けるって、もう反対したんですよね、この法律に関して。
その結果、深夜業の禁止。施行からなんと15年間の猶予が認められました。
なかなか長いですね、15年間。なので規定としては置いているけれども、
深夜業だから女性は午後10時から午前4時まで原則働いてはいけませんよというふうになっているけれども、
1916年の施行からさらに15年間は猶予されているということですね。
さらに、労働時間の12時間という宣言すら最初から守れたわけではありませんでした。
金糸や輸出絹織物の現場では、施行から5年間は12時間じゃなくて14時間。
その後は10年間、13時間までの延長を認めて、織物とか編み物の業務は、
法施行後2年間、14時間までの延長を認めました。
そう、制度は作ったけれども、現実にはなかなか使うことができない事情があったんですよね。
なので、やっぱりそんな当時の人たちの葛藤や、すごく行政側の調整が見えてくるような気がしました。
ここで疑問がわきます。なぜそれでも公情報という制度を作ったのか。
以前、私が3359業の歴史を調べたときなんですけども、
一つは、廃棄結核などの疾病が蔓延したんですよね。
本当にすごく死亡率が高くて、そうした状況を受けて、
政府は労働者保護の必要性を認識するようになったのが、まず一つなんですよね。
これは政府側の必要性の認識だったんですが、
じゃあ、業界は反対意見も出てるじゃないですか。
でも、なぜ制度を作ることに、ある一定の部分で賛成したのか。
調べると、経営者側のある種の気づきも見えてきました。
当時の記録にはこんな内容が残っていました。
徹夜作業をさせると、行員も監督者も睡魔に襲われて、注意力がなくなってしまう。
その結果、製品の品質がボロボロになってしまう。
これを防ぐためには、深夜業を廃止するしかない。
つまり、このまま人を使い潰していたら、自分たちのビジネスが立ち行かなくなるという、
そういう司法の立場における反省があったそうなんですよね。
産業を高度化させるためには、労働者を亡滅させるのではなく、
健全な働き手として定着させないといけない。
女性を人の人間として作り出したいという道義的な思いと、産業を維持したいという実利。
その両方が重なったポイントが、この工場法だったというわけなんですよね。
女性と労働の未来
明治大正の女性たちが置かれていた環境は、今の私たちから見れば、信じられないほど過酷です。
でも、14時間から12時間、12時間から11時間へ。
以前も発信したんですけれども、神戸発祥の8時間労働制の導入というのも同じく1911年だったかな。
数十年かけて少しずつ時間を削り取ってきた先人たちの足跡が、今の私たちの働き方を形作っているのかなということが見えてきました。
条文の裏側にある当時の人たちのモヤモヤや反省を知ると、今の当たり前がどれほど貴重なものなのか、改めて考えさせられました。
さて、次は戦後の女性に関する労働の歴史のお話ができたらなと思っております。
それでは最後までお聞きくださりありがとうございます。
本日も素敵な夜をお過ごしください。
金谷菜子でした。おやすみなさい。
12:14

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