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2025-12-22 09:02

心理的ブレーキの正体|『迷惑』という言葉の歴史

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心理的ブレーキの正体|『迷惑』という言葉の歴史
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サマリー

このエピソードでは、心理的ブレーキとしての『迷惑』の概念がどのように形成されてきたのか、歴史的背景が紹介されています。明治以降、都市化が進む中で公共マナー違反としての迷惑が強調され、現在の価値観に深く根ざすことになった経緯について考察されています。

心理的ブレーキの考察
おはようございます。社会保険のお主で、キャリアコンサルダントのかなや なおこです。
社労士なおこの働き方・多様性研究ラジオでは、働き方・ジェンダー・子育てをテーマに、こうするしかないなという考え方を、こういう考え方もありかもしれへんなと思えるような小さなきっかけをお届けする番組です。
これってなんでこんなんないやろう?とか、えー、これおかしない?という違和感を出発点に、歴史や制度、統計や海外の事例もたどりながら考えていきたいと思います。
はい、それでは早速本日のノート記事を読み上げていきたいと思います。
タイトルは、心理的ブレーキの正体、迷惑という言葉の歴史のお話をしていきたいと思います。
先日私は、制度があるのに使えない理由として、2つの層があると書きました。
第一層として制度設計と現実のずれ、第二層として使う側の心理的ブレーキ。
今日は心理的ブレーキの正体について、自分の経験から考えていきたいと思います。
この第一層、第二層のお話、なぜ日本では制度があっても使えないのか、制度と心理の二層コードの話については、ノートの記事をまたURLですね、リンクを貼り付けたいと思いますので、ご興味のある方はそちらもご覧いただけると嬉しいです。
はい、それでは早速本題に入っていきたいと思うんですが、まず迷惑をかけるのでは?という心理について少しお話をしたいと思います。
夫が育児休業の仕事をためらった理由なんですが、周囲に迷惑をかけるのでは?という思いからでした。
この迷惑をかけてはいけないという感覚、日本で生まれ育った方であれば結構身近な感覚なんじゃないかなというふうに思うんですが、皆様いかがでしょうか。
迷惑の意味と歴史
私も公共の場で3歳の子供がいるんですけれども、その3歳の子を結構騒ぐことがあるんですよね。
その騒ぐことをしてしまった時に、つい人の迷惑になってしまうからやめなさいという言葉が出てしまうことがあります。
私も幼い頃にですね、親を含む周囲の大人たちから迷惑になるからやめなさいとよく叱られたようにも思います。
本当に私は小さい頃はめちゃくちゃおてんばだったので、めちゃくちゃよく注意されました。
その中でもよく父から言われた言葉があったんですよね。
まずは自分で調べなさい。
この言葉には2つの意味があったのかなと思っています。
まずは自分一人で調べる力を身につけること。
2つ目が人の手を患わせてはいけないという意味も含まれていたんじゃないかなと振り返ると感じるんですよね。
つまり人に頼ることで誰かの手を止めてしまうイコール迷惑をかけてしまうという感覚なんですよね。
迷惑をかけるという言葉の先には自分自身の行動が及ぼす他者への影響を考えるようにしなさいよ、みたいなそんな意味が含まれているようにも感じるんですよね。
夫が育児給与の取得をためらった時の周囲に迷惑をかけてしまうからという言葉の裏側には長期間休むと会社全体の仕事が止まってしまうかもしれない。
同僚の仕事量が増えてしまって負担をかけてしまうという気持ちが込められていたんじゃないのかなというふうに感じます。
それではこの価値観はいつからこれほどまでに強くなったんでしょうか。
次は明治以降に形作られた迷惑というお話をしていきたいと思います。
まず迷惑とはどのような意味を持つのでしょうか。
孔子園には3つの意味が書かれていたんですよね。
1つ目がどうして良いか迷うこと。
2つ目が困り苦しむこと、難儀すること。
3つ目が他人から厄介な目に合わされて困ること。
さて、どの言葉が一番意味合いとしてしっくりきましたか。
おそらくなんですけれども私たちにとっての迷惑って
他人から厄介な目に合わされて困ることという意味合いがすごく身近なんじゃないかなというふうに感じているのですがいかがでしょうか。
この迷惑という言葉についてすごく面白い研究があったのでそちらを紹介したいと思います。
東京大学の岩本教授の研究によればですね
迷惑という言葉が現在のような公衆マナー違反を指すようになったのは明治以降だそうなんですよね。
では少しあの言葉の編成をね見ていきたいと思うんですがまずこの迷惑という言葉は万葉集や平家物語で出てくるそうです。
でこの万葉集や平家物語での迷惑というのは戸惑うだったりとかどうしていいかわからない。
一つ目に紹介したどうして良いか迷うことですね。 そういう意味合いで使われていたそうです。
それが室町時代になってくると2番目の意味である困り苦しむことという言葉も追加されて意味として持つようになるそうです。
この3つ目の他人から厄介な目に合わされて困ることへ変化していったのは第一次世界大戦後にサラリーマンとして働く割合が増えたことがきっかけというふうに言われています。
現代の影響と課題
それまでの日本社会は農村社会 なので農村社会なのでそれぞれの村単位でのルールに従って生活をしていたんですよね。
それがサラリーマンが増えていくことによってそれぞれが違った常識を持っている者同士がサラリーマンとして都市部で働く。
そうなってくると都市社会を円滑にするルールの整備が必要になってくるんですよね。
なので都市化で生じる混雑とか冷静とか時間を守るとかそういったところですね。
その時の政府は生活改善運動を推進したんですよね。
その中には結構細かいルールがたくさんあって、例えば通勤電車で騒がない、時間を厳守する、秩序をしっかり守り順番を満たさないことといった
今の日本で当たり前とされている公共の場で他人に迷惑をかけないマナーを徹底してきました。
つまり迷惑をかけないという価値観には、まず一つ目がサラリーマンで働く割合が増えていって都市化が進んでいったという事情と
その都市化が進んでいくことによって都市社会を円滑にするルールの整備が必要とされていく
統治の要請ですよね。そういう政治的な文脈の中で迷惑をかけてはいけないという規範が強化されていったとも言えるんですよね。
さてこの価値観は現代にも受け継がれています。この明治以降に作られた価値観ですね。
この令和の時代でも受け継がれています。この迷惑をかけないという価値観には秩序だったりとか
思いやりをもたらす側面もあります。でも同時に制度を使うことへのブレーキにもなっているんですよね。
この迷惑をかけないという考え方、それは公共のマナーだけではとどまらず職場や組織での振る舞いとしても広がっているのではないでしょうか。
だから本来は制度として認められている育児休業でさえ迷惑をかけてしまうと遠慮してしまう。
ここに制度を使えない心理的ブレーキが生まれるんちゃうかなーって思うんですよね。
今、私たちの中で当たり前となっている価値観や制度、そうなりた時には必ず歴史的背景ってあるんですよね。
その歴史的背景を知ることで、ほんまにこれでいいんかなーと問い直すことができるのではないでしょうか。
はい、それでは最後までお聞きくださりありがとうございます。本日もご機嫌な一日となりますように、カナナヤコでした。いってらっしゃーい。
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