はじめに:番組紹介とテーマ提起
こんにちは、社会保険労務士でキャリアコンサルタントのかなや なおこです。 社労士なおこの働き方・多様性研究ラジオでは、働き方・ジェンダー・腐るというテーマに、こうするしかないなという考え方を、こういう考え方もありかもしれへんなと思えるような小さなきっかけをお届けする番組です。
これってなんでこんなんなんやろとか、えーこれおかしないという違和感を出発点に、歴史や制度、統計や海外の事例もたどりながら考えていきたいと思います。
はい、それでは本日のタイトルです。
なぜ日本人はすみませんと言いすぎるのか。論文から学ぶ謝罪の裏にある心の補償金、です。
「すみません」と言いすぎる日本の文化
はい、スタンドFMでは配信していないんですが、昨日のノートの記事ではですね、
復職を前にしてお休みいただきすみませんでしたと、今から謝る自分を想像してしまっているという話をしました。
詳しく言いますと、うちの1歳の子がね、4月からならし保育と通常の保育の生活が始まる予定なんですけれども、
なんとなくですけど、日本の会社の文化って、仕事を休んだり遅刻したり早退した時とか、そういうことってありますよね。
で別にそれはズル休みでもなんでもなくて、年中休暇だったりとか、この間こと休暇だったりとか、ちゃんと法律に則って会社の手続きを踏んで休んでいるにもかかわらず、
出勤した時にすいませんでしたーとか、申し訳ありませんでしたーとか、ご迷惑おかけしましたーってね、いうことって割と普通になってますよね。
私も基本的にはすみませんでしたっていうよりも、お休みいただきましてありがとうございましたっていうふうに声かけするようにしてるんですけど、
職場で休んだ人が出勤してきた時に、やっぱりすみませんでしたって言って、同僚とか私とかに言葉として伝えてくださる方が非常に多いなという印象です。
私は先ほどにもちょっと話したんですけど、どちらかというとごめんなさいっていうよりは、お休みいただきましてありがとうございましたと言える文化をね、文化であってほしいなっていうふうに思っているんですが、
でも自分でさえやっぱりスッと出てきてしまうのはすみませんでしたっていう謝罪に近い言葉ですよね。
この謝罪の文化って何なのかなっていう話を昨日書きました。それはノート記事に書いたんですけれども。
論文紹介:謝罪表現の多義性
今日はすごく興味深い論文に出会うことができたので、こちらを紹介したいと思います。
その名も、日本と中国の謝罪表現に関する研究です。
そこにはですね、私たちが無意識に使っているすみませんの意外な正体が書かれていました。
一つ目、二つ目、三つ目、一気に紹介していきたいと思います。
一つ目、すみませんは心の保証金。
二番目が関係を結び直す大切な一歩。
三つ目が潔さをたっ飛ぶ文化です。
一つ目のすみませんは心の保証金という話を詳しくしていきたいと思います。
「すみません」の第一の意味:心の保証金
その論文によりますと、日本語のすみませんには単なる謝罪を超えた多義性があるそうです。
多義性というのは一つの言葉に複数の意味が入っているとか、そういう感じですね。
例えば、すみません、謝罪という意味だけではなくて、感謝や依頼という意味を持っていると言われています。
そういえば、電車から降りようとした時に、ドアの前に人がいるとしますよね。
その人が私に気づかなかった時に、「すみません、降ります。」というふうに声をかけるんですよ。
このすみませんというのは別に謝罪というよりも、通りますので道を開けてくださいという依頼の意味合いが強かったなって思います。
言語学者の近代智史はこれを日本人にとっての保証の挨拶だと分析しています。
ではこの保証の挨拶、どのようなものなのでしょうか。
このようなニュアンスで捉えると分かりやすいかもしれません。
あと一つ目が心のバランスを整える。
人間関係ってお互いにフラットな状態が心地よいとされています。
でも誰かに何か手伝ってもらったりとか、急な休みで負担をかけたりすると、
自分の中で申し訳ないなぁとか、なんかおかしいなぁかなって、そういうふうに思ったりしませんか。
それを心理的な仮というふうに表現されています。
心理的な仮が生まれるんですね。可視仮の仮ですね。
その可視仮がある状態のままでは居心地が悪いので、
すみませんという言葉を差し出すことで、その場を心理的に清算しようとする働きが保証。
例えば私の復職後のケースで、想定されるケースで当てはめてみると、
子どもの体調不良で例えば仕事を休もうとしますよね。
すみませんと言ってしまうのは、自分のせいで同僚に余計な負担を負わせてしまったという
心理的なアンバランスを言葉を尽くすことで必死に埋めようとしている、
均衡を取ろうとしているということになります。
なので迷惑をかけたことへの謝罪と、業務をカバーしてくれた同僚への感謝や気遣いを
すみませんという言葉という形の心の保証として先払いしている側面があるのかな
というふうにもとれますね。
「すみません」の第二の意味:関係を結び直す一歩
では2つ目の関係を結び直す大切な一歩ということで、
次のお話に行きたいと思います。
日本人は人間関係を重視し、お互いの関係を確認してから秩序を立ててからでないと
話が始まらない精神を持っているとも指摘されています。
なのでどういう関係かも分からないのに本題になかなか入れないというのも
もしかしたらこういう精神性の中にあるのかなと思います。
なので休み明けのすみませんというのはご迷惑おかけしましたが、
また今日からチームの一員としてよろしくお願いしますという
関係性を結び直す大切な一歩のような役割になっていると考えられます。
「すみません」の第三の意味:潔さを尊ぶ文化
3つ目、潔さをたっ飛ぶ文化。
さらに日本では言い訳をせず、潔く謝ることが美徳とされる文化的な背景もあります。
たとえ自分に非がなくても、あるいは今回みたいに正当な権利、
年中休休暇だったりとか、この看護等休暇とか、正当な権利ですよね。
そのこうしてあったとしても、あえて低姿勢で謝ること。
それが人間関係の潤滑油として、相手との調和を保とうとすると言われています。
まあ確かにね、なんか私もこれ聞いて思い浮かぶことがあってね。
例えばアスリートの方でね、結果が振るわなかった時のインタビューがありますよね。
その時に言い訳をするアーティストより、アーティスト、アスリートよりも言い訳をしないアスリートの方が
私の場合はですよ、自然と好感を持つたりするんですよね。
この人言い訳せんと、なんか歯を食いしばってるなとか。
なので、一作業者はお好み、言い訳は発すべきものという意識が、
確かに自分の中にも息づいてるなっていうふうに実感したんですよね。
例えばですよ、待ち合わせの際に1時間遅刻してきた相手がいるとします。
Aさんは、「ほんまに申し訳ない。」と、とにかく謝罪をしてくれたとして、
Bさんは、「いや、電車が遅れて、ついうっかり待ち合わせ場所を間違えてしまって。」とか、
謝罪の前に遅れた経緯を話す場合。
AさんやBさんがね、私とどんな関係によるかもわからないし、
背景を無視して単純に判断するのは難しいです。
難しいですけど、皆さんどちらの方が好感を持てますか?
私はAさんの方が好感を持てます。
Bさんについては、「怒りはしないです。私の1時間遅れてきたかって。」
まずはどちらにせよ相手を待ち合わせてしまったことには変わりへんねんから、
謝罪が先行っちゃうかなと心の中では思いますね。
電車が遅れてしまうのは不可抗力だと思うんですけど。
皆さんはいかがですか?
「すみません」の正体を知ることの意味
もちろん職場だと負担というのかな、そういうのが発生してしまうのも事実なので、
一詐欲たらすいませんって謝ることだけで解決しない業務もね、課題とかもあると思うんですよ。
でもまずはこのすみませんって反射的に口をつく言葉の正体を知ることで、
自分や相手を少しだけ俯瞰してみられるようになるんではないかなと思いますし、
そこからより良い関係性が始まるのではないかと思うんですよね。
私、論文を読んでみて少しだけ心が軽くなったんですよね。
私が感じていた申し訳なさ、これは単なる弱気ではなくて、
日本社会の中で円滑に生きていくための知恵だったり、
相手への敬意の表れでもあったということを知ったからです。
もちろんですよ。冒頭にも再三言いましたが、
権利を堂々と使って休ませてくれてありがとうだったりとか、
ありがとうがスッと言い合える文化が素敵だなって思いますし、
それを理想だとも私は思っています。
でも、もしすみませんが口からとっさに出てしまったとしても、
それを、そんな自分を責めるんじゃなくて、
周囲への感謝をこの言葉に託しているんだなと思えば、
少しだけ自分だったりとか、周りにすみません、すみませんっていう方を目にした時とかでも、
いろんな気持ちを許せる気がしたんですよね。
まとめと今後の展望
復職まであと少しです。
このすみませんの正体を胸に、少しずつ自分の中の当たり前をアップデートしていけたらと思います。
また、復職を控えた一人の母親として、そして働く人のサポーターとして、
この問いを考え続けたいとも思っています。
はい、それでは最後までお聞き下さりありがとうございます。
本日もご機嫌な一日をお過ごしください。
カネヤナアコでした。