1. 社労士なおこの働き方・多様性研究ラジオ
  2. #201 【序章】「よかれと思っ..
2023-10-04 08:48

#201 【序章】「よかれと思って」が犯罪につながるのはなぜなのか

【犯罪心理学者が教える子どもを呪う言葉・救う言葉】
出口保行先生の本を読んでいます。

本日はpp16~18まで

内容によって省略して読む部分もあります。

ところどころ詰まったり噛んだりしていますが
ご容赦いただけると幸いです♡

最初から聴きたい方はこちらから
https://stand.fm/episodes/651b2de945141adf2a9e9c64


#出口保行 #犯罪心理学が教える子どもを呪う言葉救う言葉
#社会保険労務士 #特定社会保険労務士 #育休後アドバイザー
#本読み #読書 #朝の読書会 #読書の時間
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/63a3d1d47655e00c1c7338cf
00:05
おはようございます、かなや なおこです。
はい、では今から朝の読書会を始めていきたいなと思います。
読んでいる本は、犯罪心理学者出口康幸先生の
「犯罪心理学者が教える 子供を呪う言葉 救う言葉」という本です。
では本日から序章に入っていきたいと思います。
序章のタイトルが「よかれと思っては親の自己満足」というタイトルです。
では16ページの「よかれと思ってが犯罪につながるのはなぜなのか」
というところに本日読んでいこうかなと思います。
第1章に入る前に、この章では子育てで大事な前提をお伝えします。
親は子供のためを思って、ああしなさい、これはしてはダメ、と様々な声かけをするものです。
人間は社会の一員として生活することが求められ、一人では生きていけませんから、社会性を身につける必要があります。
人のものを取ってはいけない、暴力を振るって人を傷つけてはいけない、といったことも
親が教えなければならない社会のルールの一つでしょう。
社会に出て困らないよう最低限のルールを教えるのは親の務めです。
私が見てきた非公正念の親の中には、あまりにも法人主義で親としての責任を放棄しているように感じる人が一定数いました。
子供が何か問題行動を起こした時、子供のしたことであって自分には関係ない、自分の責任ではない、という態度をとり続けるのです。
こうした態度が子供に良い影響を及ぼすわけがありません。
少年院に収容された非公正念の親について、少年院の先生、かっこ法務教官といいます、かっことじが問題だと感じていることを調査したデータがあります。
これによれば、最も問題とされているのは、子供の行動に対する責任感がない62.5%、
ついで子供の言いなりになっている50.2%、子供の行動に無関心である49.1%となっており、
親の責任感の乏しさを問題として認識している先生が多いことがうががえます。
03:04
子供に対して社会のルールを教えることもせず、問題を起こした時に、子供が勝手にやったことだから知らない、という親の下では、子供は責任について考えることができません。
当然ながら、公正への道も険しいものとなります。
一方で、ああしなさい、これをしてはダメ、といった社会性を身につけさせるために言った言葉の数々が、子供をがんじがらめにし、非公へ向かわせていることがあります。
よかれと思って、非公少年の保護者から何度聞いたかわかりません。
子育てを放棄しているわけでもない。
虐待をしているわけでもない。
自分なりに一生懸命やってきた。
子供のためを思って、よかれと思って、いろいろな言葉をかけてきた。
そう思っている親も多いのです。
うちの子がまさかそんなことをするなんて。
よかれと思ってしたこと、言ったことが、一体なぜ、非公犯罪につながってしまうのでしょうか。
ということで、今からここの部分の感想とか気づきを少し考えていきたいなと思います。
この本にはデータとして載っているんですけど、
一応、法務教科の感じる保護者の問題というところで、
最初に、文章では子供の行動に対する責任感がないというところがまず1位。
2位が子供の言いなりになっている。
3位が子供の行動に無関心であるというところで、
結構、法人主義的な面が見て取れるのかなと思うんですけども、
よかれと思ってっていう部分ってどこら辺にあるんだろうっていうのを見ていくと、
6番目ぐらいに、子供に対して可感症的である。
7番目に、父母の指導が一致していない。
8番目に、子供に親の考えを一方的に押し付ける。
4番目に、子供に言うことがその場その場で変わるとか、
あと5番目に、子供に期待過剰であるとか。
で、そんな感じで続いてるんですよね。
だから、この本書では文章的には載ってないんですけど、
結構このね、6、7、8ぐらいのところで、
法務教官としてはやっぱり、よかれと思ってっていう部分、
よかれと思ってやる親の行動に対しては問題視してるんだなっていう風に見て取れました。
うん、まあそうですよね。
06:02
私も結構よかれと思って、
自分が今まで子供の立場の長かったので、
ああしなさい、こうしなさいっていうのって結構言われてましたね。
特に父かな、あんまり母はね、これしたらあかん、あれしたらあかんってあんまり言わなかったんですけど、
結構父がね、言うんですよ。
で、そのね、本当に小さい時に、
もうあかんって頭のこなしに結構怒られることが多くて、
でも私はなんでこの行動があかんかったのかがわからなかったんですよ。
小学校に入っても私わかんなくて、
もうあかんとかとにかく言われて、
怖くて、だから何か自分の今までの行動であかんことをしたんやなって思うんですけど、
どの行動があかんかったのかがわからなかったのと、
だから本当に後はすごく父が怖くて、
もうじゃあ父の、私の行動のどこが父の激震に触れたのかとか、
そこが本当になんか自分の中で怖かったなっていうのもあって、
怖かったから私は多分そういう、
なんかね、もっとこれ以上悪いことをしてしまったら、
きっともっと恐ろしい目に遭うっていうのがある意味ストッパーになって、
飛行っていう道に私は走らなかったのかなと思うんですけれども、
ただ飛行という道に走らなかった代わりに、
結構自分のところに刃を向けているような感じだったので、
それはそれでね、全然、
なんていうかな、
メンタル的にすごく不健康なことだと思うので、
改めてね、やっぱりこういう、
何ていうのかな、宝物共感が感じるお子さんの問題っていうところって、
もちろん子どもを犯罪者にしてしまう呪いの言葉にもなり得るんでしょうし、
子どものこれから健康的に生きていく未来を奪っていくことなのかなというのも、
この章を読んでいて、
この章を読んでいてというのかな、
この宝物共感を感じる保護者の問題っていうのが一応グラフにして載っているんですよね。
そのグラフを見て改めて感じた次第でございます。
ということで本日は以上です。
最後までお聞きくださりありがとうございます。
本日もご機嫌な一日となりますように、
金谷菜穂でした。
いってらっしゃい。
08:48

コメント

スクロール