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こんにちは。横浜で15年以上、犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
本日は旅配信をさせていただきたいと思います。
私が、中学・高校時代の親友と2人で21日間のインド旅行バックパッカーの旅をした時の記録
プチセレブ・バックパッカー💛インドへ行く🇮🇳B級グルメとタイヤはお好き
こちらの続きを読んでいきたいと思います。
前回は、5月12日、3日目
アウラン・ガバードからエローラの遺跡を巡ったところを前半お話ししました。
とても長い1日でしたので、前半・後半に分けさせていただき
今回は後半、エローラ遺跡第16つ
この遺跡の中での最大の見どころ、カイラ・サラタ・ジーンを見終わって
そこからまたアウラン・ガバードに戻り、夜行列車に乗って
一番最初に降り立った町、ムンバへ戻るという旅の記録をお話しいたします。
それでは始めていきましょう。
時を越えてなお、人々を惹きつけてやまない魅力がここにはあった。
もう一つ、ここでは思いかけない時代に出会った。
後に思い返すと、この後もずっと同じ出来事は起こるのだが、ここがその出発点であった。
それは、私たち自身が観光名物になってしまったこと。
遺跡の見学の始めから終わりまで、ひっきりなしに
一緒に写真撮って、握手して、名前教えて、と大人気だ。
特に子供たちには大表、中にはお父さんやお母さんらしき人が子供たちに
ほら、横に並んで一緒に写真撮ってもらいなさい、と子供をけしかけたり
ちょっとそっちに立ってもらえますか、とアングルを指定されたり
ちょっとこの子を抱っこして、と赤ちゃんを抱かされたり
その向かいで親族労働であやしているのが面白い
肩組ませてもらっていいですか、と肩を組まれたり
一体何?とこの旅の最後まで不思議で不思議で仕方なかったけれど
どうやらそれほどに日本人観光客が珍しいみたい
珍珠扱いか。せっかく来たんだから遺跡取りなさいよ遺跡、と思うんだけど
ひょっとしたら生まれるところ間違ったのかな
インドに生まれたら私たちバリバリのアイドルだったかもね
と熱さのため軽く自己投水をしてみた
03:01
それにしてもこちらの子供たち本当に可愛い
特に女の子は衣装もきらびやかでカラフル
アクセサリーも華やかでみんなみんなお姫様みたいだ
あんまり可愛い子たちは私も断って写真を撮らせてもらった
もちろんこういうところに観光に来るようなインド人は中流階級以上なので
金よこせなんてことは絶対言わない
だからこそこんな薄汚い汗だくの外国人と一緒に写真に収まって
何が嬉しいんだと思うんだが永遠の謎である
やっぱり彼らには私たちがトップアイドル
インジャパンに見えるんだろうか
しつこい
写真撮らせてもらえますかという問いに
もちろんどうぞと笑顔で答えていた私たちだが
それでも最後の方はさすがにうんざりした
静かに鑑賞できないのである
芸能人の苦労が少しわかった気がした…かも
結局第16屈だけで2時間ほどいただろうが
それはますます上がってくる気温に対応できない私たちの体が
悲鳴を上げ始めていたため休憩の意味合いを含んでいたから
十分に回廊や人員の風通しの良い日陰の中で休んではみたものの
二人ともに強烈な眠気と頭痛に襲われていた
この頭痛…薬を飲んでも一向に治る気配はなく
むしろ時間とともにひどくなっていく
体をますますほてりだるくなっていく
これはもしかしたら熱中症かもしれない
水は2リットル以上飲んでいるのにな
親友一さんの気温計によるとこの時の時点で気温41度
第16屈カイラーサラータから出て
17屈以降を見るだけの体力は私たちには残されていなかった
結局15時ごろ乗り合いタクシーに乗ってエローラ遺跡を後にする
第17屈以降はジャイナ教の素晴らしい壁画が見物だ
とガイドブックに載っていたけれど
さすがに頭痛が吐き気まで催してしまっては限界だ
バスと同じ値段でアウランガバードの町まで戻ってくれるという
タクシーのうんちゃんの言葉を信じて乗り込んだジープ
これはすごかった
もうこれ以上人は乗らないよというほど
道々で客を捕まえては乗り込んで
ガタガタの山道を走る
暑いし揺れるしきついし窓も全開なのでほこりっぽい
けれど窓からは地元の人々の生活
やてかん高原の高地を見渡すことができて興味深かった
タクシーを降りマンゴーを2つ買って
再びオートリクチャーに乗って駅に戻った
荷物も取りに行かずアッパーウェイティングルーム
お約束に引き返し石の床の上に倒れ込む
06:02
貴重品カバンだけをしっかりと抱きかかえて
石の床の上で1時間くらい熟睡
目が覚めると17時30分になろうというところだった
さっきまでの吐き気を戻すような頭痛はすっかり消えている
クロークルームに戻りバックパックを取りに行く
アチアイスのシャワーを交代で浴びてさっぱり
流れる水の汚いこと
1日でほこりまみれだ
そのまま再び石の床の上でゴロゴロ横になったり
ベンチに洗濯物を干したり
日記を書いている私たちをアッパークラスのインド人たちは
これまたインド人びっくりの表情で見つめていた
もうネズミが走ろうがゴキブリがうろつこうが
私はびくともしなくなっていた
あーどんどん嫁のもらい手がなくなっていくな
19時30分頃までゆっくりしながらレストランを探しに出かけた
駅の周りは案外にぎわっていて
屋台や食堂がびっしりと並んでいる
休憩して元気と食欲の回復した私たちは
店々を冷やかしつつネオンのド派手な一軒のレストランに入った
ここは本場のタンドリーチキンを食べなくとはと思っていたのに
チキンもマトンも終わりという
くそーじゃあ書くなよ
というか注文し終わってから家に来るな
仕方なく卵入りのビリヤーニ
チョコレートのピラフみたいなものである
チャパティ無発酵のパン
パニール
ヤギのカッテージチーズと野菜のカレー
中華風の焼きそばを注文
お腹が空いていたせいだけではないだろう
長い長い待ち時間の後
全部いっぺんに注文の品が出てきた
でもどれもこれもとってもおいしい
パニールは初めはなんだかわからず
かまぼこと思ってしまった
辛い中にも野菜の甘みがあって
とてもおいしいカレーだ
ビリヤーニは初挑戦だったけれど
とても良いお味
焼きそばは焼きというよりもあんかけみたいで
野菜もいっぱい入っていてかすかにインドテイスト
胃に優しい味がした
さすがに全部は食べられず
もったいないけれど残してしまった
2人で167ルピー
なんと約600円以下だ
エネルギー補給を済ませた後は
駅の周りをうろうろ
アウランガバードはムンバイと比べて
ずっと街灯が少ない
しかし夜空には満月
月明かりがその代わりだ
駅の周りにはたくさんの屋台
露店がひしめき合っていた
中でも面白かったのはナン屋さん
焼き釜の中にペタペタと半発酵した
09:00
ナンの生地を貼り付けていく
熱くないのかな
その手際の良さったらさすが職人
ちなみにこちらのナンは
日本で見るような涙型ではなく丸
あの形は日本独特のものなのだろうか
駅に戻り席の確認をしに行く
まだ乗客リストが貼り出されておらず
仕方なく人々の長い列に並ぶことにした
となんとここで停電
こんな前後左右をむさくるし
ひげ親父に囲まれた中で停電なんて
あらゆる意味で怖すぎる
とドキドキしていたら
5分ぐらい経ってからいきなり電気がついた
よかった
チケットを見せたらちゃんと席はあるようだ
そしてその席の番号は
HAL&U
なんじゃこりゃ
とりあえず23時25分の列車は
30分ほど遅れているということは確実にわかった
ホームのベンチに座っていたら
片腕の物恋がやってきた
彼は私たちの前に立ち
かなり威圧的な態度で脅すように手を差し出し
マネーマネーと要求してくる
もともとこの旅ではできる限り
せがんでくる物恋にお金を出さないようにしよう
親友と決めていた
わっと虜が組まれたり
財布を貴重品入れから取り出したり
しまったりする時のリスクだったり
そこでひったくりもあり得ると聞いていたからだ
それにこの場限り
慰めの金銭をあげても
彼らの救いにはなるんだろうか
とはいえ物恋にお目にし
せがまれ追いかけられるたびに
後ろめたい心苦しい思いをしていた
そのたびに日本が
自分が何という恵まれた国に生まれ育ったんだろう
という当たり前の奇跡に
深く感謝することしかできなかった
けれどこの時の彼は
他の物恋と明らかに違っていた
その高圧的な態度に疲れていた私は
ちょっと面食らってきっぱりと
NOと言った
それでも引き下がらず
私の手を掴もうとしてきた彼を見て
近くにいたみなりの良いインド人の男性が
離れるようにと
彼に厳しい口をで言った
すると彼は途端に
切れたようにそっちに食ってかかった
その後他の人たちにも同じように手を突き出していたが
誰にも相手にされず
結局ホームの端で
ふてくされたように
寝てしまったのだった
片腕のない彼は気の毒だと思う
彼の置かれている状況が
どんなものなのか
私には知るべくもない
12:01
それでももう少し
違う態度で接してみたら
結果はちょっと違ったのではないだろうか
と私は思ってしまった
結局彼は自分の行動と態度の結果
私たち以外の誰からも
お金を恵んでもらうことができなかったのだ
24時
少し過ぎて列車が到着した
私たちは最初で最後の一等車
1Aに乗り込んだ
が
誰かがものすごい勢いで私の腕を後ろに引っ張る
振り向くと
それはさっきの物語だった
「なあ!」と叫び
急いで荷物ごと転がるように飛び乗ると
これに気がついた列車のスタッフが
外に飛び出て追い払ったようだ
驚きの後は
暗い重い気分で
今夜の寝床を探した
チケットを見る
LU
って実は
UPPER
LOWER
つまり上段下段ってことじゃん
ということに気がついた私たちは
誰かに聞いてみようと思って車内をうろうろ
すると2Aの列車に入ってすぐの床の上に
妙なおじさんが寝ていた
うっかり蹴飛ばしそうになって
SORRYと謝ると
起き上がったので
これなんだけど私たちの席どこだかわかる?
とチケットを見せて聞いてみる
むくっと
起き上がったおじさんはチケットを眺め
こっちだ!
と意気揚々と私たちを案内し出す
1Aのコンパートメント
扉付き個室はこの車両には3つしかない
一番出入口に近い個室のドアを開けると
中にはインド人の青年が一人寝ていて
反対側は誰もいない
本当にここ?
おじさんに聞くと
うーんたぶんちょっと確認してくるね
と言って
おじさん
私たちのチケットを持っていってしまった
おいおい大丈夫か?
昨日は車両を移動させられたことを思い出し
荷物はほどかずに気をつけていたら
車掌さんがチケットを確認にやってきた
ごめん後でもいい?
と言うとあっさり行ってしまった
そう私たちはチケットをさっきのおじさんに
渡したままだったのである
よく考えると危ないことしてたな
しばらくすると先ほどのおじさんが帰ってきて
いろいろ聞いたけどよくわからないから
車掌がチェックしに来たときに
チケットを見せて確認してみればいいよ
と言う
おいおいあんたがチケット持って行ってる間に
車掌さんも来ちゃったよ
とりあえずこのリアクションの激しい
陽気なおじさんにお礼を言って
車掌が再び回ってくるのを
この個室の中で待つことにした
15:01
うどうどとしていると
車掌がやってきてチケットをチェック
結果ここでよかったようだ
何のお手紙もなし
この度唯一の一等車室の
個室のふかふかベッドに体を横たえた
本日の歩数約14,873歩
はいということで
本日は旅の3日目
5月12日の3日目ですね
アウランガバードからエローラ
セクツジーン
そしてそのエローラを後にして
アウランガバードの町に戻ったところまでを
お話ししました
この旅の後半
この日の後半ちょっとショッキングな
出来事がありましたね
この時のことを私は
この日記を久しぶりに開くまでは
すっかり忘れていたんですけれども
読んで思い出しました
今はどういう風になっているか
わからないんですけれども
とにかくインドの旅というのはですね
物語との戦いでもありました
物語と熱さと
行きたい方向にスムーズに行く
ということの戦いでもあったんですね
例えば団体旅行
JTBだとか
日本旅行とかね
そういったツアー
旅行会社のツアーでも
運10万でね
インドの3大都市を回る
というツアーがありますよね
そういう場合には
団体3で動きますし
ある程度守られているところもありますし
移動も団体バスだったりとか
もちろん宿探しなんて
しなくてもいいわけですから
騙されたりとか
物語に追いかけられたりとか
っていう体験はなく
安全に快適に
旅ができると思うんですよね
だけど私たちは
そういう旅ではなく
しかもねまだ
20歳そこそこの裏若い
娘2人
ということでもありましたので
やっぱりいろいろと気はつけて
気をつけてはいました
インドに関してはですね
当時バイブルと言われていた
地球の歩き方ですね
皆さんもよくご存知の
あれはですねインド編
今はちょっとわからないんですけれども
インド編の地球の歩き方というのは
例えばそうですね他の
ハワイとかに比べて
倍ぐらいの分厚さがあるんですよ
そのうちの
かなりの
最初のそれこそ
40ページは
デリーの
18:00
マハトマ・ガンチー空港の
悪さについて書かれて
当時ねいるぐらい
とにかく
すり
詐欺ひったくり
物恋
そういった人々に
気をつけるようにということに
かなりのページを裂かれて
いたんですよね
行かなきゃいいんですけど普通に
なんですけど
インドに行かれた方は
お分かりになるかなと思うんですけれども
それも
全て
含めてインドなんですよね
後ほど
もっとすごい光景が
出てきますけれども
光も闇も
生も死も
明るさも暗さも
全て
全てが路上に
繰り広げられている
そういう印象を
私はインドに受けました
なので
インドの魅力
は
好きになる人と
嫌いになる人が
別れるというふうに言われる国でも
ありますけれども
インド洋というんですかね
その全てをひっくるめて
それが魅力だと
感じられないと
インドはもう二度と
行きたくないという
国になるんじゃないかなと思います
ただし私が旅を
したのはかなり昔のことですので
今はまた
かなり状況が変わっていると思います
それでも
この20代
前半の時期に
インドの旅行を
友達と二人
したことは
私の人生において
非常に大きな
影響を与えました
日本に生まれて
日本で
生きていく
ことができる
それだけで
私は
とてもとても恵まれている
人間なんだということを
ここまで強く感じさせて
くれる国というのは
私が行った国の
中では他にはなかったなと
感じます
最初はね
物恋の人に
高圧的に
お金を要求されたり
その後
電車に乗ろうとしたところ
手を掴まれて
引き寄り下ろされそうになったり
すごいショックを受けて
怖いと思った私ですけれども
まあこの後
21:00
ズルズルしく強く
最終的には喧嘩するくらい
手くましさを
見せるようになっていきますので
それは物語の後半に
撮っておきたいと思います
それでは本日も長くなってしまいました
最後まで聞いていただいた皆さん
ありがとうございます
次回はですね
ムンバイですね
夜行列車が
ムンバイに着きまして
いよいよムンバイから
唯一の
この旅唯一のですね
行動しまして
コルカタ
旧カルカタですね
マザーテレサの
死を待つ人々の家のある
コルカタへ参ります
4日目も
ぜひ
お楽しみにお待ちください