2024-02-18 21:25

《旅》プチセレブ・バックパッカー💛インドへ行く❣4日目・「さよなら、ムンバイ」

《プチセレブバックパッカー💛インドへ行く🇮🇳
~B級グルメとダイヤ💎はお好き❓》

4日目をお届けします!!
大都会・ムンバイに夜行列車で戻り
1日観光、そして国内線でコルカタへ。

空港に向かうタクシーの中から
私は一生、忘れられないであろう光景に出会いました・・・

「日本に生まれ育ったこと」
「自分が自分であること」
がこれだけ幸せである、ということを
こんなに強烈に感じさせる体験は
インド旅行を置いて他にはありませんでした。


サムネは、謎すぎるゲーム(ゲーム機?)
《ピカゲーム》。。。。
右上の謎の日本語も・・・・
これはピ●チュウなのか・・・❓


1回目はこちら👇
1日目「いざ、出陣!」
https://stand.fm/episodes/65a8d5aff86bbfccead40adc

2日目はこちら👇
https://stand.fm/episodes/65b2307647a599985d7be273

3日目はこちら👇
3日目・エローラ石窟寺院(前半)
https://stand.fm/episodes/65bb6afdaae00175137ed03a

4回目はこちら👇
3日目・エローラ石窟寺院(後半)
https://stand.fm/episodes/65c47be34247697bf70901b7

BGMはハッピーピアノヒーリング🎹
あきよさん💛オリジナル曲
【インド🇮🇳】です☺️

あきよさん、ありがとうございます✨️🙇‍♀️

これから数ヶ月にわたり
週一回のペースでインド🇮🇳旅模様をお伝えしていきますね🍀*゜
近くて遠い未知の魅力に溢れたインド🇮🇳✨️
一緒に懐かしい旅に出かけてみませんか

よろしくお願い致します🙏

#なおちゃん先生インドの旅  ⑤
#インド
#旅
#世界遺産
#ムンバイ
#英語
#バックパッカー
#旅の思い出
#健康
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00:05
こんにちは、横浜で15年以上、犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生です。
はい、本日は旅の配信になります。
プチセレブ・バックパッカー💛インドへ行く❣4日目・B級グルメと、ダイヤはお好き💛
今回は、5月13日土曜日、4日目のお話をしていきたいと思います。
このプチセレブ・バックパッカー💛インドへ行く旅行記は、私が学生時代からの親友と2人で、
インドを21日間かけて、バックパックを背負い旅をした時の模様を旅行記にしたもの、そちらを朗読している形になります。
まだ、最初の聞いてないよ、という方はぜひ、第1日目から聞いていただけると楽しめるんじゃないかなと思います。
前回までの旅の行程を一度おさらいします。
日本からムンバイ、昔のボンベイですね、そちらに着いた私たち。
駅で一夜を過ごし、アウラン・ガパートへ。
そこで、インドが誇る世界遺産、エローラセックスジーンを観光し、その後は再びムンバイに戻る、というところまで来ました。
アウラン・ガパートから夜行列車に乗って、ムンバイで朝を迎え、
この日中にムンバイからコルカタン、旧カルカッタンまで移動する、4日目の様子をお伝えしたいと思います。
それでは始めていきましょう。
朝6時、目が覚めた。窓の外はすでに明るく、人々が活動を始めている。
個室を出てみると、トイレのドアを開け放って、誰かが大きな声でうがいをしている。
その盛大な音にびっくりしていると、開いたドアから覗いた顔は、
昨日出会ったおじさんだった。
おはよう、と、うがいに負けないくらいの大声で、おじさんは、いい、にかーっと笑う。
聞くと、ムンバイにはあと40分ほどで着くよ、ということだ。
お礼を言って、私たちの個室に戻り、降りる準備を始める。
毛布を片付けに来たり、さっきに出会ったおじさんが、
二度寝しちゃダメだぞ、と、モーニングコールをしに来たりと、朝から想像し、
朝7時25分、列車はムンバイに到着。
もうなんか、懐かしさを感じるな。
03:00
ひとまず荷物をおなじみの駅のクロークに預け、
昨日買ったマンゴーを食べると、今日のプラン。
それを立てて、日記を書きに、オフィス、チケットオフィスへ向かった。
ここは冷房が効いているので、ゆっくり休みながら作戦を練るのはうってつけなのだが、
この冷房、少し寒いくらいだ。
今までの二日間の疲れは相当に溜まっているはずなので、無理はしないことにする。
今日は、プリンスオブウェールズ博物館に行って、
早めにムンバイ空港に行って、コロカタ駅に備えようということになった。
もちろん、博物館そのものに興味があるというよりは、
ここはエアコンがあるはず、と我々は睨んだのであった。
コロカタへは唯一、国内線の飛行機で移動になる。
外に出てみると、やっぱり暑い。
だが朝方なので、行く分待ちとめて、すぐ近くのベーカリー&スナックのスタンドに立ち寄る。
寒さ。
中華風のパイ、カレー味のチキン入りのパン、そしてチョコブラウニーを買った。
公園か陸地で食べようと思ったのに、探しても探してもそれらしきところがないので、
仕方なく歩道の遠跡に腰掛けて朝食をとる。
もうどこだってへっちゃらだもんね。
近くでは子供たちがサッカーをしていた。
開店と同時に、便箋、封筒、カード屋さんの店、チラマールに行って再びいくつかカードを買った。
ここは何度来ても可愛いものがたくさん、目移りしてしまう。
クーラーもガンガンに効いていて涼しいのだ。
こうやって体を冷やしつつ観光しないと、炎天下にずっといたら文字通り死んでしまうだろう。
次は博物館に行く予定だったけれど、取りやめにした。
代わりにエアコンのあるとこで休み休みしながら、ムンバイの街を散策することにする。
ムンバイは大都会なので、エアコンの入っている高級店やレストラン、カフェも結構あるのだ。
歩道には露天がびっしり並び、しきりに声をかけてくる。
まるでお祭りか何かのにぎわいのようだが、おそらくここは毎日こうなんだろう。
なんといっても人口1000万人以上のインド有数の大都市なのだ。
色とりどりのサリーの生地を売る店、謎のピカゲームを売る店。
このピカゲーム、ピカチュウのパクリにしてもひどすぎる。一体どんなもんだろう。
ピカチュウに似てもなくもないイラストが描かれていて、
このイラストの真ん中にいるピカチュウもどきはアメリカの国旗をついた服を着ている。
06:00
そして目の下はなぜかクマ鳥がある。
一体これはどんなゲームなんだろう。気になって仕方がない。
エアインディアのビニール風船を売る露天を歩きつつ眺めつつ、
私はまだ小さないとこの服を買ったり、自分の移動用の小さなリュックを買ったりした。
12時半頃になってシズリヨーコというエアコン入れのカフェで一休み。
ヨーコってなんだろう。私はフレッシュミントたっぷりのミントティーを飲んだ。
本当に暑いということは、どうしてただそれだけでこれほど体力を奪うのだろう。
1時間ぐらいすると体力も回復してきて、再び街の雑踏の中へ繰り出した。
そこで見つけた写真屋さんでデジカメのデータをCD-ROMに落としてもらう。
これでたくさんまた写真が撮れるぞ。
遅めのランチは15時ごろ。マクドナルドのそばの屋台村で撮ることにした。
何軒かの屋台がずらりと並び、地元の人たちでおにぎわいだ。
朝、街中をうろうろしているときに、一軒の屋台でお兄さんがおいしそうなオムレツを作っていて、
それとパンのセットがとてもおいしそうだったので、卵の置いてある屋台を選んだ。
親友のリクエストの鶏の唐揚げとビリヤにもオーダーした。
すぐ目の前に地下道が見えたので、何気なく入ってみると、
うげー暑い!
慌ててすどおりしたけれど、あんな中にもたくさんの人がいたことに驚いた。
やっぱりインド人は暑さに強いようだ。
地下道の出口は駅に続いていた。
その周りのフレッシュジュース屋さんが気になっていた私たちは、
インドには至る所にフレッシュジュースのスタンドがある。
マンゴー、パパイヤ、パイナップル、ザクロ、スイカ、バナナ、メロン、
色とりどりの柑橘類、それとサトウキビを絞ったジュース、
ライムとミントのジュース、ラッシー屋など飲み物屋さんだらけだ。
チコという果物のジュースを飲んでみた。
んー、なんかバナナと洋梨を足した感じ?
おいしい!お腹壊しそうだけどね。
いやいや、豪に入ったら豪に従い。
その国の人と触れ合い、その国のものを食べてこそ旅は楽しいものなのだ。
そして私は客引きとの値段交渉にずられて、
インドの民族衣装、パンチャビドレスを購入した。
民族衣装好きとしては買っておかなくては。
ひざまである半袖の上着は腰の下あたりからスリットが入っており、
下にはゆったりしたズボンを履き、ストールを肩周りにかける。
09:01
これがインド人女性の普段着の姿。
サリーよりも動きやすそうだ。
上着、ズボン、ストールで合わせて200ルピー。
約600円ぐらい。
なんとお安いのだろう。
結局16時過ぎまでムンバイの街をうろうろして、
十分にムンバイを楽しんだ私たちはタクシーで空港へ向かった。
途中私は決して忘れられないような光景を目にした。
それは永遠に続くかと思われるようなスラム街。
埃、悪臭、そして灰色と泥色にまみれた世界。
車道横にはびっしりと家なのかガラクタなのか廃墟なのか、
家と呼べないようなガラクタやトタンの集合住宅が寄り添って立ち並んでいる。
どれぐらい続いているのだろうか。
裸で飛び回る子供たち。
ボロをまとって道の上で寝そべっている人。
体を洗っている人。
木の枝で歯を磨いている人。
ゴミの山を漁る人とカラスと犬。
片足のない犬、猫、ヤギ、鶏、牛。
中には生きているのか死んでいるのかわからない人間や動物もいる。
とてつもない世界だ。
私はただただ、息を飲まれてすごい、の一言しか出てこなかったが、
目をそらすこともまたできなかった。
こんなにも大勢の人が、大勢の生き物が、こうやって自分の人生を一日一日、必死に生きているんだ。
ここに生まれたら私の一生はどうなっていただろう。
それを考えると、自分が日本に生まれたということだけで、どれほど幸運なことなのか身に染みてくる。
生まれてくる環境によって変えられないものが確かにあるのだ。
ここで生まれ、物を有し、ゴミを漁って日々の命をつなぐ親兄弟、隣近所を見て育った子は、
それ以外の生き方を知るチャンスは巡ってくるんだろうか。
したとして命をつなぎ、義理の生活を保つ以外の仕事や義務以外に、自分のお金や時間を使うことができるのだろうか。
逆に考えると、自分が自分の行動を選択することができる。
そのために使える時間やお金があるということこそ、自由というのではないかと思えてくる。
そう、私はなんで自由なんだろう。
なんて幸せなんだろう。
食べ物にも、健康にも、時間にも、お金にも、今は何も苦労することがない。
夢を、目標を、希望を持つことができる。
12:04
望めばいくらでもそれに向かって努力をする。
そのことができるのだ。
これはものすごい幸運なことに違いない。
もし、ここに生まれて育っていたら、その可能性は今と同じではないだろう。
スラマ街を抜け、タクシーは国内線ターミナルに着いた。
運転手が車のトランクを開けると、頼んでもいないのに、
どこからかポーターを名乗る男がやってきて、カートを荷物を乗せ、さっさと運んでいく。
タカが100メートルくらいの距離で、ターミナルの入り口に着くと、
50ルピーを払え、と言ってきた。
これはさすがに頭に来たので、相手の目を見据えてはっきりと言う。
私は、このカートを持ってきて、と、あなたに頼んでないし、
あなたのことを必要ともしてない。
これは、あなたが勝手にやったことなんだから、
私はあなたにお金は払わない。わかった?
と、ゆっくり、一単語ずつ英語で言ってやると、
相手は急に岩越しになって、OK?と引き下がっていく。
まったく日本人の少女をなめんなよ。
まあ少女というとしてはないんだが、そう見えるらしいので。
勢い込んでターミナルに乗り込んだものの、あれで、どうやら乗り場が違うみたいだ。
国際線ターミナルに行け、と言われてショック。
そして、国内線ターミナルから国際線ターミナルへ。
これはフリーのシャトルバスを乗り継いで、やっとこさ空港に着いたのは18時を過ぎていた。
そして、またこのフリーのシャトルバスに料金をよこせと言われたけれど、
このシャトルバスが無料だということをもう私たちは知っていたので、とぼけて切り抜けた。
ここでまた得意技ゲットしたぞ。
荷造りをしたり、日記をつけたりして、時間をつぶし、予定通り24時5分に、
飛行機はムンバイ空港を後にし、コルカタへ向かって飛び立った。
さようならムンバイ、そして運命の地コルカタへ。
果たしてダージリン行きのキャンセルは出ているんだろうか。
本日の歩数、17500歩。
ということで、今回はプチセレブバックパッカーインドへ行く4日目。
エローラ石窟寺院からまたムンバイに戻ってきて、ムンバイの街を1日観光したというところまでお話をしました。
そしてコルカタに向かう飛行機に乗り込んだところで旅が終わりましたね。
こちらの旅行記を改めて読んでいて、
15:03
ムンバイがこの時に既に人口が1000万人を超える大都市であると書いてあったので、
本当かなと思って調べてもう一度見ました。
そうしたらですね、今は1840万人が暮らしている都市だということです。
穴勝ち、おそらく1000万人は嘘じゃなかったなと思います。
インドは本当に人口が多くて、大都市には本当に人が多いですね。
1840万人と言ったらですね、変な話、小さな国ぐらいの人口が一つの都市にあるということですよね。
その規模感を聞いただけで、ムンバイがどれほど混み合っていて大都市かというのを皆さんご想像いただけたんじゃないかなというふうに思います。
この日のムンバイの、うろうろ街を歩いた時の思い出というのも私はよく覚えています。
パンジャビドレスをね、民族衣装の一つなんですけれども、
パンジャビドレスというのは上下が別々になっているパジャマの語源になった民族衣装とも言われています。
サリーが有名ですけれども、女性の衣装としては。
ですけれども、結構このパンジャビドレスを着ている女性もとても多くて、やはりサリーよりはかなり動きやすい。
そして小さな子供や、若い女性なんかはこのパンジャビドレスを着ている方がとても多いようなイメージがありました。
私が買ったパンジャビドレスは、オレンジと緑、薄いオレンジと薄い緑がグラデーションになっているようなやつだったんじゃないかなというふうに記憶していますけれども、
写真を見る限りね、そんなに物が良いものではなかったので、そんなに長くは持たなかったんですけど、この旅の間かなり活躍をしてくれました。
上着とパンツ、そしてストールがセットになっているんですけど、このストールがですね、いろんな役割を果たすんですよね。
頭に巻いて日焼けにしたり、手や口を拭くタオルの役目もしたり、もちろん首元を折ったりとか、冷房で寒い時には肩掛けになったり、いろんな役割を負っているストールなんだなというのを実感をしました。
でですね、最後ですね、コルカタへ向かうために、ムンバイの街中を突きって空港へ向かう途中に私はスラム街を通ることになります。
ここが第一のスラム街で、本当に永遠に続くように思われた一帯、そんなに本当は広大なところではなかったと思うんですけれども、渋滞も相まってですね、スラム街の中をタクシーが通り抜けていく間にも、車が止まるとタクシーに乗っているのはお金を持っている人なので、
18:13
スラム街の子どもたちがわっとタクシーを取り囲むわけですよね。そして口々に何かを叫びながら窓ガラスをどんどん叩いて、その中にはそれこそ片腕のない子、傷を負っている子や、そんな子どもたちもいて、誰一人きれいな格好をしている子たちはいませんでした。
服なのかボロなのかわからないような何かを身につけて、髪もくちゃくちゃで、それでも目だけは本当にキラキラというかギラギラしているんですよね。
私はその時にすごくショックを受けたと同時に、何か決意のようなものをもらったんですよね。
この後コロガタに行って、また似たような経験をしますけれども、そういったスラムで生きる、たくましく生きる人たちの姿を見るたびに、自分はこれだけ恵まれている人間なんだから、自分ができること、それを精一杯する。
自分が与えられた命を精一杯生きる、それしか私ができることはないというふうに思ったのは、このインドの旅がスタートだったと思います。
そしてそれは確実に今に引き継がれています。
やっぱり他の国でも物語には合いましたけれども、このインド、もしかしたら、今はちょっと違うかもしれないですけど、まだ結構昔のお話ですのでね、
やっぱりこのインドが与えてくれた経験というのは、他の国で得られたものとは全く異質だったなというふうに思います。
ちょっとね、後ろで、後ろというかリビングの方で子供が非常に騒いでいるので、その声が入っているかもしれないですけれども、今回はここまでにしたいと思います。
それでは今回も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
次回はコルカタですね。
21:03
本当にコルカタにいたのは一瞬の大罪でした。
ですが非常に印象の強い年だったことを今でも覚えています。
次回は5日目、コルカタの旅の模様をお伝えしたいと思います。
最後まで聞いていただきありがとうございました。
21:25

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