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こんにちは、横浜で15年以上犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
今回は、父と娘のヨーロッパ旅行記⑨の配信をさせていただこうと思います。
こちらの旅行記は、父と母、私の両親が結婚25周年の銀婚式をお祝いで
ヨーロッパ旅行をした時の旅行記になります。
当時、イギリスに留学していた私に会いに、まず両親が私のイギリスの滞在先に来ました。
そして、イギリスを少し旅した後、スペインに渡り、スペインで日本から来た弟たちと合流。
スペインのアンダシア地方、それからバスク地方に旅をして、
今回は13日目、8月18日、フランスへ向かう移動日のお話をしたいと思います。
今回もBGMは、ハッピーピアノヒーリング、秋代さんのオリジナルソング、オリジナル作曲で、
今回からはスペインではなくフランスの曲になりますので、BGMも合わせてお聴きいただけると嬉しいです。
それではスタートしていきましょう。
8月18日水曜日、朝7時過ぎに目が覚める。
今日、スペイン最後の日の午前中はフリーである。
12時45分、エンダエ駅の電車に乗り、国境の街、エンダエでフランスの超特急TGB、パリ行きに乗り着く予定だ。
天候は晴れ、少し雲があるせいか気温は低く、さらっとしていてすがすがしい朝である。
テラスに出て久々の呼吸法を実践し、バスクの空気を胸いっぱいに取り込んだ。
8時30分、朝食。午後の朝食も行き届いていて、ジュース、卵、ハム、果物の各種が洗練されており、食堂時代もこじんまりとして落ち着いた作りであった。
9時、外出。少し坂を下り、途中宮殿の庭を抜け、右手に海岸を見下ろしながらシティセンターへ向かう。
高天の下、すでに多くの人々がビーチに繰り出していたが、日本とは違い、その多くが高齢者。海水浴というよりも、砂浜をリハビリのための歩行練習をしているようだ。
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残りの買い物やポストオフィスで履歯書きを出して急いでホテルに戻り、12時にチェックアウト。
タクシーを2台チャーターして、昨日着いたサン・セバスティアン駅へ。
12時10分、窓口で12時45分発の円台駅の切符を買おうとすると、駅員が、「この駅ではない。」と片言の英語で言うではないか。
えーっと一瞬青くなるもん、すぐに地図を取り出して、「どこの駅だ?」と尋ねると、意外にも親切で、その地図上に行き方と位置を書いてくれた。
グラシアスセニョーと言って、「タクシーで5分だ。それ行け。」と家族を急かす。
と外の客待ちのタクシーに地図を見せて、「この駅に行ってくれ。」と告げると、なんとそのウンちゃんは、「円台?ノートレイン?」と答えるではないか。
どうもその駅からは円台駅はないと言っているらしい。
もう一人のウンちゃんも来て、ノートレインノートレインと首を振った。
しかしここは、さっきの駅員は丁寧に、「20分おきに円台駅が出ているぞ。」と言っていた。
首をひねる。
待てよ、ここはスペイン。
こいつらもしかしたら、円台までタクシーを使わせる気だな?と思いつき、地図を指で指して、OK、This station。
と言うと、まだノートレインと言いながらしぶしぶ大きなトランクを3個積み込みで走り出した。
12時30分、ドノスティア・アマラ駅に到着。
小さな駅の電子ボードを見ると、ちゃんと円台駅12時45分とある。
稼ぎ損ねても、タクシー運転手はうるびれた様子もなく、今度はトランクが3つなので少し多くチップをよこせと来た。
ふざけるなと言いたいところだが、ここでひともんちゃくやる時間もない。
とにかくこの先の円台駅、円台発パリ行きのTGBに乗り遅れるわけにはいかない。
しかし危なく引っかかるところであった。
急ぎタクシーを降りて、校内の切符売り場に直行したが、今度は窓口に人がいない。
中には一人の活腹のいいおばさんがうろうろしている。
少し待っていると、後ろにも列が出来始めたが、そのおばさんは窓口に来る気配はない。
おかしい、この人は店員なのだろうか、駅員なんだろうか、それともただの事務員なんだろうか。
とにかくこの電車に乗らなければ次のTGBに乗り遅れてしまう。
そして時間は容赦なく過ぎていく。
今回の旅行は意識して今までおとなしくしていたが、いよいよその時が来たかと、
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まずは駅構内全員に聞こえるような声で、
エックスキューズミー、するとそのおばさんは身振り手振りを加えたスペイン語で勢いよく幕下手で来た。
しかしどっこい声の大きさでは負けませんよ、もっと大きな声でチケットプリーズ、
おばさんは渋々席についてブツブツ言いながら発見始めた。
もう少しのところでカウンターを叩き日本語でふざけんな早くしろというところであった。
12時45分、4番ホームより無事発着。
トランク4個を乗せてやれやれと一駅着く。
この電車はエウスコトレンという施設のようで、どうもそのためにこの区間だけはUレールパスが利用できなかったのだ。
かわいい電車で短い区間の小さな駅に泊まりながらゆっくりと走る。
料金は1.25ユーロ、170円と安い。
そして円台は国境を越えたフランス側の街でTGBの最終駅でもあるのだ。
13時25分、円台着。
トランクを引っ張って一度改札を出る。すぐ隣の駅へ。
14時2分、パリ、モンパルナス、TGB8558の表示を確認して一安心。
我ら3人は1等車。息子2人は2等車。駅近くのカフェで昼食用のパン、飲み物などをテイクアウトした。
車両はさすがにフランスの誇る新幹線TGBの1等車両。
横3列のうち2列は向かい合わせで間にテーブルがセットされていて内装や色彩もおしゃれでセンスの良さを感じる。
音もなくいつしか走り始めた電車の乗り心地もよく。車窓を眺めながらクロックムッシュとビールで昼食をとる。
日記の整理を始めるも間もなく記憶が遠ざかっていった。
16時。ふと目を覚ますと外はこれまでの風景と異なり緑豊かなフランスの田舎町フィールドが広がっていた。
そして雨。それも音を立てて窓ガラスを打つ。
お昼までは晴れていたのに果たしてパリのお天気はどうだろう。明日のモンサンミッシェル観光は大丈夫だろうか。
TGBは高速で快適に走り続ける。
時折小さな集落を通過。そこには必ずある教会の十字鏡に入る。
17時20分。ボルドーからアングレームを通過。いよいよワイン本場の国へ。
各種カフェ専用の自動販売機が車内にはあり。さすがここはフランス。
ただし1.5ユーロを入れてカフェラテのボタンを押すも反応なし。返却ボタンを押しても戻らない。叩いてもダメ。
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蹴飛ばしてもダメ。やはりここはフランスである。
スペイン滞在を通じて感じたことは、まず物価が安く、特に食べ物、ワインが安くてうまい。
しかし街中においてはほとんど英語が通じず、不便であった。
生活時間の間隔が日本とは完全にずれていて、特に夏は3、4時間はずれているのではなかろうか。
レストランは夜8時過ぎにオープンし、老いも若きも真夜中まで騒いでいる。
かの国の将来はいかに。しかしこれが人間らしさでもあるかもしれない。
列車の長旅を経験したが、一等車でもトイレは汚く、ドアが壊れたものもある始末。
働く者も我々にはチャランポランに見えるが、レストランやバルの店員だけは脇目も振らず一生懸命に働いていた。
この違いは何か。多分それぞれの受け持ちテーブルから上がるチップのせいだと思う。
19時25分、雨も上がり、列車は予定通りパリ・モンパルナス駅に到着。そのまま駅の窓口案内へ。
マドリッドで予約しそびれた子どもたち3人のブリュッセル行き、8月20日の列車の予約のためである。
その後、子どもたち3人だけで、オランダ、ドイツ、スイスを守り、8月29日に帰国予定だ。
娘はその後、飛行機の都合で一度イギリスに戻り、9月1日に日本に帰国の予定だ。
タクシー2台をチャーターして、ホテルカステリオンに20時チェックイン。
コンコルド広場近くのこのホテルは大きなホテルではないが、周りにはセリーヌ、エルメス、カルチェをはじめとした有名ブランド店がずらり。
のロケーションで、我が友人の店ライライ券にも相当来ない。
地図を頼りに20分ほど歩いて、夜21時20分ライライ券に到着。友人の出迎えを受ける。
9年前に来た時とほとんど変わらない店構えで、娘、息子の記憶にもその時の思い出がよみがえってきたようだ。
早速用意された奥の席で乾杯。
友人とは去年の冬に彼が帰国した際、日本でフグを食った時以来である。
100席ほどある店内はほぼ満席。清香で何よりである。
久々の餃子、シュウマイ、エビチリなどおなじみの日本風中華の味はなぜかホッとさせる。
ラーメン、チャーハンもうまい。
消耗紙をロックでグイグイやりながら、これまでの旅の回想で会話が弾む。
すると、友人が他の席にいたある女性を連れてきた。
女性?
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そう、この方はカルーセル・マキさんであった。
23時。
閉店とともに友人と別れ。
帰り道のカフェ・デラスでカプチーノ。
石畳に街路灯。
ライトに浮かぶコンコルド広場。
そして後方にはうっすらとエッフェル塔。
やはりここはスペインとは一味違うオシャレな台とか花のパリである。
本日の歩数。
マンポ系が壊れて不明。
ホテル・カステリオンハク。
はい、ということでここまでが父の旅の13日目、8月18日の日記でした。
それでは後半のお決まりとなりました。
私の個人的な記憶から付け加えていきたいと思います。
この日の移動日のことははっきり言ってあんまり覚えていません。
私たちは父が一人で全部日本から時間や電車、切符などの手配をしていたので、
なので全く当てにしてしまって本部に抱っこで
あっち行け、何時に集合、何時にあの電車に乗るって言われたら
はい、はい、はい、という感じでね、そんな感じで移動していたので
こんな大変だった、こんな予想外のことが起きたということは
自分の記憶から抜け落ちていました。この日記を読むまでは。
おそらくこれが全て自分で手配したものだったら
きっとあの時は電車が思ってた駅から出るのじゃないと聞いて
本当に焦って、まさに予約をしていた
パリ行きの新幹線に乗り遅れる寸前だったということを
絶対忘れることはないと思うんですが、自分で手配していない旅というのは
ハプニングも忘れてしまうものですね。
ただですね、このくだりで私が一番覚えていることがあって
電車に乗ってですね、TGBですね、フランスが誇る新幹線
これは素晴らしい新幹線だったことを今でも覚えているんですけどね
これに乗る前に駅のカフェ、カフェというかパン屋さんみたいなところに寄って
それで昼食を買って乗り込んだんですよ。
そしたらね、その時にショーウィンドウというかショーケースがあって
クロックミッシュがあったんですね。
私はスペインとフランスの国境の街なので
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もうフランスの有名な名物パン料理、クロックミッシュが置いてあるんだと思って
クロックミッシュがある、お父さんあれにしよう、あれを買ってほしいという風に言ったんですよね。
クロックミッシュだって言ったその瞬間にですね、母が
え、クロックミッシュって言ったのだけはものすごい覚えてるんですよね。
クロックミッシュをクロフクミッシュと聞き間違えるお茶目な母
きょろきょろとね、クロフクのミッシュを探しておりましたが
クロフクミッシュはいるはずもなく、我々はクロックミッシュを買ってTGBに乗り込んで
電車の中でそれを食べたというのはね、いまだに笑い話になっております。
すごい聞き間違いをするなと思いましたね、想像力豊かですね。
きっと母はクロフクのミッシュに会いたかったんだと思います。
そしてですね、パリに着いたのがもう7時半ということで
その後、ライライケンというパリはオペラ座のすぐ裏手にあった中華料理屋さんに行くことになりました。
実はですね、このライライケンさんというのは今はもう違うんですが
もう店残ってないのかな。
私の父の親友が長年経営をしていました。オーナーをしていたんですね。
なぜそんなことを、そんなところに親友がいるのかというとですね
父はもう半世紀ぐらい前、半世紀以上前ですね
彼がケムリッチの語学学校に留学をしていた時の語学校時代の日本人仲間というのが
今でもお付き合いがあるんですね。
その語学校時代の親友、2年半いましたので
その時に仲良しになった一人がその後、パリでライライケンという
結構有名な日本食、日本式の中華料理屋さんですね。いわゆるマチ中華というやつですね。
それを経営することになっていて
その親友に会うために、数年に一度パリを訪れていました。
私たちもフランスに行くと必ずね、パリに行くと必ず
Mおじさんのところに行って、そうすると彼もすごく喜んでくれて
いろいろサービスしてくれたりとか、パリの安くておいしい店とかね
そういったところを教えてくれるんですよね。
ここではお話に上がらないんですが、数年後ですね
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私と母はフランスを2人で旅行します。
その時にフランス、パリに立ち寄った時にもこのMさんのライライケンには立ち寄っていますし
フランス語が全くわからない私のために
私が本場、マルセイユ南仏ね、マルセイユで世界的に世界三大スープといわれる
ブイヤベース、マルセイユが発祥といわれるんですが
本場のブイヤベースが食べたいというふうに言って
無理をお願いして、マルセイユのね、有名なブイヤベースのお店を
わざわざフランス語で予約をしてくれたという経緯があります。
そのMおじさんは今はもうね、いろいろあって日本に帰国されているようです。
父と同年代なのでね、もう70オーバーなんじゃないかなと思うんですけどね。
全くね、ズルズルしい話だと思います。
我ながら親友の娘ということで、かなりいろいろとね、フランスに関しての情報はいただいたりしていました。
ということで今回の父と娘のヨーロッパ旅行記13日目、放送回数にしては9回目の配信はこちらで終わりにさせていただこうと思います。
このヨーロッパ旅行記、父のヨーロッパ旅行記に関しては残りあと2日になりました。
14日目、15日目と移ります。
ちょっと迷っているんですが、15日目は最終日で短いので、14日目とまとめてしまえるようだったらまとめてしまおうかなと思っています。
そして父の日記、15日目までの日記が終わりましたら、その後は私の日記が始まるという流れになっております。
まだまだ少しのんびりとね、私のペースで不敵に配信させていただく父と娘のヨーロッパ旅行記になりますが、後半もお楽しみにお待ちいただければと思います。
最後まで聞いていただきありがとうございました。