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こんにちは、横浜で15年以上、犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
本日は、旅日記の配信をさせていただきます。
今回は、父と娘のヨーロッパ旅行記、なおこ編ですね、私編の2回目になります。
こちらの旅行記はですね、私の両親が結婚25周年を記念して、
ヨーロッパに家族で5人、5人家族なんですけれども、旅行した時の記録になっています。
こちらで5人で回った記録につきましては、前半の父と娘のヨーロッパ旅行記、父編として10回に分けて、過去配信をさせていただいております。
こちらの配信は、父の日記をそのまま、私が読むというスタイルになっていて、
前半何回もかはライブの形式になっています。
そして前回からは、私と弟たち、そして両親と別れてですね、両親は帰国をして、私たち兄弟3人が兄弟旅に出るというところでスタートをしました。
そしてパリからブリュッセルですね、フランスのパリからベルギーの首都ブリュッセルに行きまして、そちらで一泊をしたという模様を前回お届けいたしました。
今回は娘編の第2回目、ブリュッセルからウィルスブルグまでのお話をお届けしたいと思います。
それでは始めていきますね。
第2日目、ブリュッセルからウィルスブルグ。
一人でもロマンチック。
8月21日土曜日。
朝久しぶりに8時近くまで眠った。
一番早くに寝た次男は起きる遅さも一番遅い。
弟二人が寝ぼけてぐつついていたので、食堂に降りて行ったのは8時半を過ぎていただろうか。
朝食付きという文字に期待はしていなかったけれど、巨大なクロワッサンと釘が打てそうなほど固いバケットが一つずつ、白い皿に乗せられて運ばれてきただけ。
とにかくミルク入りのコーヒーで飲み下す。
与えられたものに文句は言ってはいけない。感謝感謝。
天気は悪く応急に行こうという計画は、降り出した雨のために断念した。
10時過ぎにはホテルに戻った。
そしてチェックアウトし、別行動に備えて、ドイツのガイドブックをコピーして駅に向かった。
私は目的地、ドイツロマンチック街道のスタートとなる街、ベルツブルグの今夜の宿を手配。
こちらはユースホステルだった。
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ランチ用に駅のカフェでベルギーワッフルを買ってホームへ。
弟二人と別れて、私は一人、快適なドイツICEに乗って、まずはフランクフルトへ。
フランクフルトで乗り換えて、ロマンチック街道の出発地点、ベルツブルグに着いたのは、17時半頃であった。
私はユースホステルに予約を取ってあったので、地図を見ながらこの街の観光名所、マリエンヌ城西のすぐ下にあるユースホテルまでに歩くことにした。
土曜日ということもあるんだろうが、まだ18時前だというのに街はひっそりとしていて、店は閉まっているか閉めつつあるということがほとんどであった。
岸畳の広い通りには、路面電車トラムが走っているのか、電線が張り巡らされている。
ヴィルセルにはチョコレート屋さんとベルギーワッフルのお店がそこかしこに見られたが、ここドイツではそれがプレッツェルの形の看板に変わった。
と言っても閉まっているばかりでしたけど。
尖った茶色い屋根の並ぶ街を抜けると、大きな石橋、アルテマインバシに出る。
下はマイン川がゆっくり流れ、成人像の立ち並ぶ橋から視線を上に向けると、丘の上に大石橋の権力の象徴、マリエンヌ城斎が、そのすぐ下に位置するユースホステルを目指す。
私はユースに泊まるのは初めてだったので、少しドキドキした。ユースの建物は教会のすぐ隣で、とても広く立派だったけれど人気はなく、少し寂しい気がしていた。
受付を済ませ、きれいに洗ったシーツをもらって部屋へ。
二段ベッドが一つの部屋に四つ並んでいて、私は右端の下の段にシーツを置き、荷物を置いて再出発した。
街並みはとても美しい。しかし、しばらくすると雨がぱらつき始めた。
地球の歩き方に乗っていたグラタン屋さんに行ってみると、一人でも入れそうな雰囲気だったので、席に着いてブロッコリー&カリフラワーのグラタンと温かい紅茶を注文する。
シンプルなグラタンだったけれど、おじさんも親切で体も温まってよかった。
帰りは大司教の宮殿であるレジデンツに立ち寄って行こうと思ったのだけれど、前の広場でコンサートがあったようで、素通りしただけで終わってしまった。
素晴らしい建物だったのでゆっくり見学したかったんだけどな。
その後すぐに雨がひどくなって、仕方なく郵出へ戻る。
入口をくぐると日本人の男の子と一緒になり、しばらく話をして部屋に戻った。
すでに一人の子は寝ていて、二人の中国人の女の子がひそひそ話をしていた。
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軽く挨拶をして寝る支度をし、部屋に戻るとすでに真っ暗、22時前に寝ることになろうとは。
しかしながら、隣の人のいびき、そして突然夜中に入ってきた二人組のせいで深く眠れたとは言いがたかった。
本日の歩数、14300歩。
ということで、2日目は少し短い旅の記録になっているので、ここまでのちょっとした解説をしていきたいと思います。
前回の1日目も少し解説しようかなと思ったんですけれども、ちょっと収録時間として長くなってしまったので、
いろいろはしょって、ただただ日記を読んだだけで終わっていました。
まずですね、この時代、この時代がですね、平成16年ということで、今から19年前のお話になるんですね。
ですので、なんとこの時代はまだWi-Fiとかの概念がね、確かなかったように思います。
地図を見ながら歩いている図がとても出てきていると思うんですけれども、
地図しかありませんでした。
そして地球の歩き方、ガイドブックで有名なね、地図を事前に一冊持っていくと思うので、事前にですね、
ベルギーはブリュッセル少ししかいなかったので、行く場所の地図と町の様子だけ、図書館でそれも借りてコピーをして持ってきたわけなんです。
ブリュッセルではですね、非常に家族探しに苦労していたんですけれども、
なぜガイドブックをコピーして持ってきたはずなのに、そんなに苦労したのかというとですね、
当然私は一番最初の旅行記、父の方の旅行記から聞いてくださっている方はわかると思うんですが、
私は当時イギリスに留学をしていたんですね。
なので、ガイドブックをコピーをして持ってくるのは弟の役目だったわけです。
なんですけど、この町なんですね、何を勘違いしたか、ベルギーブリュッセルのガイドブックをコピーしてきたんですけれども、
地球の歩き方をご存知の方は思い出していただきたいんですけどね。
一番最初に町の概要があって、そして地図があって、観光名所がまず載っていて、
最後にレストランとホテルの情報とそれぞれの地図が載っているという、だいたいそんなような形になっていると思うんですよ。
ところがところがですね、うちの弟は何を勘違いしたか、レストラン情報は全部コピーしてきたんですけど、
ホテル情報をコピーしてくるのを忘れてしまったので、肝心なホテルの情報が一切わからないままブリュッセルに到着をするという大失態を我々は犯してしまったんですね。
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今であれば、パリにいる時点で、何ならパリ以前ですね、スペインとかいる時点で、インターネットを使ってね、エクスペディアとかアゴダとか、
トリップアドバイザーとかで、違う国のホテルをいろいろ選んで予約をできると思うんですけれども、
当時はね、まだそんな便利なものは一切なく、しかもね、ベルギーの人、英語はほとんど通じるんですけど、フランス語の表記とかも多かったので、もう全然お手上げ状態でした。
そしてですね、そんな感じで、まずはブリュッセルのホテル探しに苦労した理由がここにありました。
そしてここから、この旅の中で電車で移動することが結構あったと思うんですけれども、
Uレールパスをね、使ってっていう、そのUレールパスとは何かというと、ユーロ圏ですね、ヨーロッパでユーロ圏、ユーロに加入している国をメインに鉄道網が張り巡らされていて、
多分今でもあると思うんですけれども、その国をまたいで電車が通っているわけなんです。
そのパスですね、切符、特別切符みたいなものがありまして、それは例えば3カ国を選んで何日間っていうのを選ぶっていう感じで、それによって値段が変わっていく。
あとは1等車両なのか2等車両なのかとかっていうので変わっていくんです。
で、弟2人はもともと日本から来る前にスペインと、どこだっけな、スペイン、フランス、あとドイツかな、なんか3カ国ぐらいのUレールパスを持っていたんですね。
なぜかというと彼らはまだ20歳前とかだったと思うので、ちょっと記憶が全然定かじゃないんですけど、
Uレールパスユース、要するに額割りみたいなものをですね、それが使えるので、正規料金というか一般の大人料金よりかなりお安くその電車の旅ができるわけです。
ただUレールユースの場合は安い分いろいろ条件があって、1等車両には乗れないとか、あとは新幹線とか特急列車には乗れないとか、いろんな条件があります。
なので前半で聞いてくださった方はあれと思ったと思うんですけど、常に私と両親は1等車両で移動して、同じ電車なんだけど弟2人は2等車両に乗ってたのはそういう理由で、
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Uレールパスユースが使えるのがほとんど2等車だからということでした。
この頃はね、時刻表とかも、今は全部ネットでどこの国のどんな時刻表も瞬時に調べられますけれども、当時は全くそういうことがなかったんですね。
駅に行ってもいまいちどこに書いてあるかわかんないみたいな感じだったので、
旅慣れた方なら、当時鉄道旅をされていた方だったら一度は見たことがあるであろう、分厚い、昔の電話帳みたいな工事員みたいな分厚さのトマスクック鉄道レールタイムテーブルという時刻表ですね。
あれを買って、世界各国の電車の時刻表が全部載ってるんですよ。
全然私、日本でもそういうのを見たことがなかったので、本当にちゃんと読むのには時間がかかったんですね。
例えばイギリスに行ってる電車もあるんですけど、英語表記だったらまだわかるんですけど、駅名がフランス語とかドイツ語とかそうなっちゃうともう全然わからなくて、
イタリア語、スペイン語だとなんとなく発音している、例えばトレードとかマドリットとかだったらマドリットってなんとなく読めるようなスペルがアルファベットで書いてあるんですけど、
ギリシャ文字とかロシア文字とかドイツ語、その辺は全然想像がつかない文字があって、
ここからスペインのマドリットからフランスのアルルまで行きたいんだけど、アルルってこのスペルで合ってるのかなとかね、
それもね、今だったらスマホでアルルのフランス語のスペルを一瞬で調べることがもちろんできるんですけど、当時はね、もちろんそういうことないですから、
本当にこの時代は行き先を決めてフラッと行く、電車の時刻を調べる予約を取るっていうだけでも、本当に今とはね、全然便利さが違っていましたね。
それも一ついい思い出にはなるんですけれども、寝台列車の時刻表を見たりとか、地図もついているのでね、地図を見ながら、
あ、この電車はこういう土地を経由してここまで行くんだとかね、そういうのを見ているのは非常に楽しかったです。
今だったら目的地から目的地までの時間とか時刻表とか料金とかすぐにパパって出ちゃって、出ちゃってっていうか出て、クレジットカードでパッと決済ができますけどね、当時は全くそんなことはなかったですよね。
そしてですね、とにかくこちらの旅行をした時に非常にお金がない状態でした。
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お金はどうしていたのかと言いますとですね、やっぱり現金をたくさん持って歩くっていうのがちょっと怖かった時代なんですよね。
怖かったんですよね。いかにヨーロッパで治安がいいとはいえ、あんまりそれは良くないということでですね、家族カードを持たせていただいてですね、父に。
それで帰ってから使った分を日本円で生産して父に払うという約束になっていました。
ですがですが、前半の旅行でカードのね、限度額が来てしまったんですね。
これは参ったーっていう感じで、家族カードだから出所が全部一緒なわけですよ、私や弟が持っていたとしてもね。
これは困りましたね。はい。
それで父が先に日本に帰って、その限度額の引き上げをするからちょっと待ってろということだったんですけれども、それまで対しながらなきゃいけない感じでしたね。
今はちょっとわからないんですけども、当時はそのレッド料買屋さんっていうのが本当にたくさんどこの国もいっぱいあってですね。
どこが一番換金率がいいか、損をしないで換金ができるか、要するに手数料がそれぞれ違うので、いろんなところを見て一番手数料が安い料買屋さんで料買いをしてもらうっていうのが鉄則だったんですよね。
なんですけど、クレジットカードを使うと海外キャッシング、クレジットカードを使って私は特に海外のATMからキャッシングをしていたんです。
そうすると、料買いの手数料、カードの手数料、カード会社への手数料は取られますけど、それがあまりぶれることがないので、料買屋さんによって10円も違う、20円も違うということが少ないんですよね。
なので海外キャッシングは安全だし、履歴がぶれないし、騙されることもないから、なるべくそっちを優先して使っていました。
そしてですね、両親と別れて兄弟3人になったのもつかの間、次の日から私は別行動を取るということです。
なぜかというと、この後また出てくるんですけれども、このベルギーブリュッセルの後、弟たちはどこに向かうかというと、オランダのアムステルダムに向かうということだったんですね。
私は一度その前にですね、世界一周の船旅でアムステルダムに立ち寄っているので、私はもうアムステルダムには行かなくてもいいやというふうに生意気にも言ってですね、兼ねてから行きたいなと思っていたドイツロマンチック海道を旅をすることにしました。
そして3日後だったかな、2日後、3日後か4日後にブリュッセルでね、3日後か4日後にじゃあドイツのフィッセンっていうところでバスターミナルがあるんですけど、バスターミナルで5時に集合しようというまあアバウトな携帯電話もね、スマホもない時代ですよ。
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その時代にじゃあ4日後の夕方5時にドイツのフィッセンのバスターミナルで集合みたいな本当軽いノリで別れて一人旅に出たというところになっております。
はい、ということで8月21日の記録を読ませていただいたんですけれども、もうこの時寒かったですね。夜とか特に天気が悪いともう寒くて、私寒がりなのでね、半袖1枚なんて取っていられない感じでした。
やっぱりヨーロッパは8月の後半になるともう寒い時期になるなというふうに感じていました。もしかしたらね、今は全然気候がまたちょっと変わってきているかもしれないですね。
ということで今回は私の旅行記、2日目のブリッセルからウィルツブルグまでの旅の様子をお話ししました。次回はウィルツブルグからローデンブルグ、ロマンチック街道の街並みをお話ししていきたいと思います。
では最後まで聞いていただきありがとうございました。