00:05
こんにちは、横浜で15年以上、犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
はい、本日も引き続き、前回に引き続きですね、旅の配信をしたいと思います。
プチセレブ・バックパッカー💛インドへ行く💛B級グルメとダイヤはお好き?
今回は、前回に引き続き、5月14日、5日目の後半になります。
こちらは、私が学生時代からの親友と2人で、
21日間のバックパッカー💛インド旅をした時の模様をお伝えしています。
当時残していた旅日記を、書籍化しようと思ってですね、
物語風にまとめたものを、私が配信をしているという形になります。
それでは、5月14日、5日目、
関はなくとも情熱はある、いざダージリンへ旅の後半をスタートしていきましょう。
前回は、ムンバイからコルカタへ国内線に乗って、深夜、移動した旅の様子をお話ししました。
コルカタに着いたのは、午前3時頃。
そのまま、その日中には移動する予定がありましたので、
移動の拠点である駅に移動したところでした。
ところが、そのコルカタシダルター駅で、私たちはカルチャーショックを受けてしまいました。
それまで、ムンバイとか、他のところでも出会ってきた光景には、相当カルチャーショックを受けてきたんですけれども、
ムンバイのカルチャーショックというものは、このコルカタに比べればまだ可愛いものだったという感じでしたがね、
旅のお疲れも溜まってきた頃だったと思います。
そして、暑さ、匂い、熱気、人の多さ、音の多さ、そういったものに、私たちは疲れ果ててしまって、なかなか駅から動くことができなかったんですね。
しかも、乗るはずだった長距離移動の電車、この席が取れていないキャンセル待ちのままであるという事態もありました。
キャンセル待ちは1番、2番ということで、あと1人でもキャンセルが出れば1席は確保できるという状態だったんですけれども、
そのキャンセル待ちが開かないまま、時は一刻と発車時刻に迫っているという状態だったんですね。
03:01
それでは、旅の後半からスタートしていきましょう。
12時まではあと1時間ほどあったので、私たちは女性専用待合室を発見し、交代でシャワーを浴びることにした。
これからの長い長い列車の旅に備えるためだ。
この国に来て一番の快感の瞬間の一つ、それは間違いなく汗だくの後のシャワーである。
汗だくの後のシャワーである。
この時も、かー気持ちいい!と思わず叫んでしまったほど、もう立派な親父である。
待合室の監視のおばちゃんたちは、割といい人たちだったんだけれど、最後に荷造りをしていたらお金を要求された。
もちろん列車のチケットを持っている人たちは無料で待合室を利用できるの、このことを私たちは知っていた。
それがたとえキャンセル待ちでもである。
だが、この子たちは日本人の旅行者だから、お金を出せと言えば出すかもしれない、とおばちゃんたちは思ったんだろう。
それで私はルピーの代わりに割り箸をプレゼントした。
あっきに取られているおばちゃんたちを残し、待合室を去り、いざ運命のホームへ。
またまたレベルアップをした。習得した得意は身代わりの術。
列車の発車時刻は13時35分。ホームに行くとほとなくして列車がやってきた。
とりあえず駅員にこのウェイティング1&2のチケットを見せる。
すると黒いジャケットを着ている車掌のところに行け、と言われたので見つけ出して駆け寄る。
黒服のおじさんの周りにはおそらく私たちと同じように田舎のばあちゃんが既得で、とか娘の結婚式があって、とか言ってるのかどうかは定かではないが、何とか理由をつけて乗せてもらおうという大勢の人たちがじきそしている。
私も負けじとお願いをしてみる。
彼は私のチケットをちらりと見ると、もう一人のチーフの黒服の方へ行け、という。
彼の指差す方向にはさらに大勢のじきそする人々を従えた黒服のおじさんがいた。
とにかく時間がない。私はここぞとばかりずっと憧れていたダージェリーに行きたくて、はるはる日本から来たむ。
日本にいる時からずっと待ってたむ。どこでもいいからお願い乗せて、と必殺技うるうるの瞳で泣き落としにかかる。
だが裏若き美少女、というかむしろただのガキの涙目にも彼は全く動じなかった。
きっと私がアンジェリーナ・ジョリー並みのセクシー美女だったら、彼は無才インド人男性を一人二人くらいおろしても私を乗せていたいに違いない。
全く幼児体型と同顔に泣けてくる。すげなくノースイッチ、席はないと言われてしまう。
ええ、それって私はこの列車に乗れないってこと?と涙ながらに叫ぶと、どうしろって言うんだ。この列車は満席なんだ。どこにも空席はない。と無惨なお答え。
06:10
はあ、もうここまで言われちゃったらかっくりしてしまった。本当に涙目になりながら物恋につきまとわれながら待っている親友のもとに戻った。
ダメだって、もう私には交渉しに行く勇気がないよ。ああ、アンチェリーナ・ジョリーになりたい。パトンタッチ。
ええ、何それ意味わかんないよ。と言いながらも、友人はセンチに赴いた。
親友が交渉している間、私は列車から出てきた乗務員の人にチケットを見せて。
私たちがいかに絶望的な状況に置かれているか、涙ながらに愚痴っていた。
すると彼は、大丈夫、乗っていいよ。何とかなるから、と言う。
お、ここに来て必殺技が効いたのか。
その時、友人が走って戻ってきた。
なんかわかんないけど、とりあえず二等車に乗ってしまえ、と指さされたよ。
この瞬間、列車はゆっくりと動き出していた。
そして私たちは、その列車の動きにつられるようにして、物恋たちの腕を振り切り、この列車に飛び乗ってしまったのだ。
もう後戻りはできない。
大丈夫、と言ってくれた乗務員。
バブーの働いで、私たちは客室とトイレの間、枕や毛布がしまってあるところの横のスペースに座り込んでいた。
席はどうやら本当にどこも空いていないようだった。
最初に私が話をしに行った黒服の車掌さんは結局乗り込んできた。
日本人の女の子二人に、やれやれという顔をしたが、怒ったり追い出したりしようとはしなかった。
それもきっとバブーのおかげかもしれない。
彼はわざわざ日本から来て、どうしてもこの列車に乗りたいんだ、という私たちにとても同情してくれて、黒服のチーフ車掌に事情を説明してくれていたのだ。
そして4、5時間たった頃であろうか、チーフの黒服とバブーが荷物を持ってついて来い、と言う。
もしや席が空いたのであろうか、と思ったらことはそううまくいかない。
一つ前の車両の連結部、トイレのドアの前の荷物置き場スペースを私たちに使うように、と準備してくれたのだった。
荷物置き用の固い棚の上は決して座り心地のいい場所ではなかったし、エアコンのない連結部はやっぱり暑かった。
そして徹夜明けで横になれないのはとてもつらかったけれど、バブーや食料配膳係のおじさんたちとたくさんお話をしたり、
最初は怖いと思っていたチーフの黒服おじさんも、実は笑顔の素敵なお茶目なおじさんだ、ということがわかった。
その他、車両行き来するさまざまな物売りたち、チャイ、ココナッツジュース、スナック、クッキー、サリー、タオル、おもちゃ、
09:03
土着のお土産や日本や冊子、靴下、実にさまざまなものだ。
彼らともお話をしたり、開け放した列車のドアからインドの素晴らしい田園風景を眺めることもできた。
これはこれで貴重な体験だ。きっと誰もができるわけないだろう。
そう考えると、このウェイティングリスト1&2の身分も捨てたもんじゃない。私はこの幸運に感謝した。
なんかちょっと世界の車掌からとか、深夜特急っぽくない?
私たちに気を使ってくれた乗務員バブーは、エアコンや車内内の電気系統のメンテナンスをするエンジニアでもあるそうだった。
インドの男性たちがよくやっている真っ赤な紙タバコを噛んでいて、しょっちゅうペッとタンを吐き出している。
本人は悪い癖なんだと言ってたけれど、確かに話の途中で何度も何度もタンを吐かれるなんていい気はしないな。
仲良くなってきたおじさんたちやバブーの写真を撮ってみた。
みんな、もうちょっとかわいい顔してほしいな。
夜7時、駅弁がやってきた。
ベジタブルとチキンを一つずつ頼んだつもりだったのだが、2つの大きなベジタブルカレーのボックスとチキンカレーの小さなボックス、それと袋に入ったお水が2つ配られた。
これは事前に夕食2人分と食料配膳係のおじさんたちに頼んでおいて、後で料金を払うシステムだ。
大きなボックスの中身はびっしりと敷き詰められたご飯の上に、ダール豆のスープとひよこ豆のカレー、じゃがいものカレーの3種類が小さなプラスチックの容器に入ってご飯の中に埋め込まれている。
そして空いた場所には4つに折りたたまれた2枚のチャパティ、袋に入ったマンゴーの漬物チャツネ。
カレーはどれもこれも涙が出るほど辛い。特にチキンカレーは涙ものであった。しかしとっても美味しい。
チャパティももちもちしている。それにしても間違って青唐辛子を噛んでしまった時には涙と汗と鼻水と咳がいっぺんに出た。
空腹も手伝って私は駅弁を夢中で耐えられた。後でどうなるかも知らずに。
食べ終わってうとうとしていると、大きな声で呼ばれて目が覚めた。
と言ってもきっと普通に呼んでるんだろうけど、何しろこちらの人は実に声が大きいのだ。
どうやら寝台を1つ譲ってもらうらしい。おお、なんという幸運。
どうやらインド人の4人家族が1人の子供が小さいため母親と一緒のベッドで寝ることにして、その上の寝台を1つ私たちに譲ってくれるようだった。
もしくは社長がそう頼んだのかもしれない。とにかく横になれるのはありがたい。
12:02
私たちは連日の疲れのために限界に達していた。
俺を言って、親友と2人で頭と足を交互にして寝ることに。
落ちやしないかとヒヤヒヤしながら、私はすぐに底なしの眠りの沼に引きずり込まれていった。
本日の歩数、11,320歩。
はい、ということで、私たちはコルカタ初ニュージャルバグリ行きの長距離列車に無事に乗り込むことができました。
と言っても席はないんですけどね。
この電車は13時35分に出発し、私たちが席を確保できたのは19時過ぎ。
むしろ夜8時過ぎくらいだったと思うので、7時間くらいは車両の連結部だったり固い床の上に座っていたわけですね。
これも若さのなせる技ですね。
でですね、この車内の様子、私はこれもよく覚えています。
もう本当にね、インドの電車って、皆さん何か映像とかで見たことあると思うんですけども、至る所に人がいるんですよね。
自由席というのは本当にカオスですよね。
網棚の上が特等席と言われるように、色んな所に人が至る所にいるわけです。
なので、地元の人たちと自由席で張り合っても勝ち目はないと思ったので、屋根の上とかにも載っている映像とかありますよね。
ああいう感じです。鉄格子の間から人が入ってくるとかね。
そういう感じなんですけど、あれは窓ガラスじゃないのは窓を割られてしまうからなんですよね。
あと暑いっていうのもあるんですけど。
なので私たちは自由席ではなく、全て支店席で劣って旅をしていました。
ただ、やっぱりなかなか席が空いていないというのもあって、このコルカタからニュージャルパグリまでの長距離列車は本当に全然空きがありませんでした。
普段であればそう言っても乗ってこない人とかね、突然キャンセルとか途中で降りちゃう人とかいて、
どっかしら空いているはずだから乗っちゃえばっていう風に駅で係員の人にも言われたんですけど、まあまあいい加減ですよね。
日本だったら絶対そういうこと言わないと思うんですけどね。たとえ十何年前だとしても。
こちらでは乗ってしまった後に席があればそこに座るっていうのは全然普通のことなので、
それをして乗っちゃえばいずれ空くよという感じだったんですよね。
私たちはかなりドキドキしながら乗ろうか乗るまいかっていう感じでいたんですけど、
よく考えればこの席費料というのは事前に払っているんですよね。
なので乗ってしまったとしても料金を払っているわけですから、何もそんなビクビクすることなかったなって思いましたね。
15:03
後から思いました。
この電車は非常に長い時間ですね。
この電車が到着するのが翌日の明け方だったと思うので、ほぼ24時間近く乗っている感じになるんですけれども、
まあまあ距離もだいぶあるんですよ。ニュージャルパグリとこれからの間の距離というのはかなりあるんですけど、
とにかく電車が新幹線とかじゃなくて鈍行というか遅いので、歩みもね。
なのでそれだけ時間がかかるわけです。
だけどね、このインドの車窓から見る田園風景だったり、あといろんな人が乗ったり降りたりするんですよね、もちろんのことなんですけど。
面白いのが物売りたちです。
昔は日本も新幹線の中でお姉さんがね、お茶にみかん、お弁当はいかがですかみたいな感じでね、ワゴンを押しながらサービスしてくれたのを思い出されますよね。
あそこまでじゃないんですけど、感覚的にはああいう感じの物を売る人たちが駅ごとに乗ったり降りたりするっていう感じです。
さらに面白いのがですね、これが車内販売を勝手にというかどういうシステムになっているのかわからないんですけれども、勝手にやっているのでそれぞれ専門分野が違うわけですよね。
チャイ売りは定番ですね。チャイチャイチャイチャイと言いながら各駅で乗ってきて、チャイの人たちは乗っているというわけではなくて、電車が出発する前に降りていくことがほぼだったと思います。
ただお弁当だったりお菓子、スナック類、それからフルーツとか、あとは面白いのがおもちゃ。おもちゃは実現販売なんですよね。
ピーって鳴って膨らむような笛あるじゃないですか。膨らむというんですかね。ピーって鳴らすと先端についているくるくるしたカラーの紙みたいなのがピーってまっすぐになるみたいな、
ああいう昭和の園児で売られてたようなおもちゃをピーピー言いながら子どもたちに売るおじさんがいたりですとか、お母さん用には化粧品とか、ヘナですね。ヘナの模様を腕とかに描くそういった人たちが乗り込んできて、何駅か商売をして何駅かの地に降りていくみたいな。
あとはちょっとした大道芸ですよね。お手玉みたいなのとか、剣玉みたいなのとか、あとは結構動物を、小さいお猿さんとかを見せてお金をもらうみたいな、写真撮ってお金もらうみたいなね。そういう人たちが乗っては降り、乗っては降りするので、あと歌う人とかね。そういうのを見てるだけでも本当に飽きないんですよ。
18:06
本当にね、面白いですね。日本ではなかなかお目にかかれない風景なのでね。そんな人たちと、私たちはね、日本人なのに連結部とか、窓のドアのところに座っているわけですから、その人たち一番最初に出入りするときに会うわけですね。お前たちここで何やってるんだみたいな。私たちはこうでこうでみたいな感じでね、話が弾んでいたりとか。
新幹線の、新幹線でいうドアがある場所ですよね。座席がある場所ではなくて、ドアとかちょっとしたスペース、降りる人がそこで待機するようなスペースに私たちはずっといました。最初の7時間ぐらいですよね。
よくそのとこにいたなと思うんですけど。びっくりするくらい、びっくりすることにですね、新幹線を想像していただければわかるんですけど、新幹線のドアの出入り口のシュッと開くドアのね、ドアが、扉がない状態です。だから駅に着いても、駅から出るときも人が乗り降り自由なんですよね。
電車がスピードを上げちゃうと降りたりするのは難しいんですけど、ギリギリに乗ったり降りたりする人も結構見られました。なので私たちもゆっくり電車が走り出したときに、これは乗らないとまずいと言って、ドア閉まってしまったらもう乗れないじゃないですか。日本とかもね、電車が出発する前にドアがもちろん閉まりますよね。
閉まるんですけど、閉まらないんですよ、ドアがないから。ということで、そういったギリギリの乗り降りをする人も結構いました。それもインド名物ですよね。
駅弁なんですけど、これ面白いシステムで、全然私たちも駅弁があるってことは知らなかったんですけど、そこに連結部に座っていて、乗務員の人にいろいろと目をかけてもらってたので、お前ら夜ご飯をどうするんだって言ってもらいました。全然そんなことを考えてなかった私たちはですね、どうしたらいいんだろうと思ってたら、ランチボックスは手配できるけどいるかって言われたんですよ。夜だけどランチボックス、まあこれはいいとしましょう。
で、一つを知るんですけど、インドってお弁当大国なんですよね。これ皆さんご存知の方もいらっしゃると思います。
例えば、出勤されてたりとか、今はちょっとわかんないですけどね、今はやっぱりUber Eatsとかになったのかな。なんだけど、子どもの学校とかあとは職場でですね、専用の宅配弁当の業者がいて、お昼なんかはその宅配弁当の業者がたくさん駅にいたりとか電車で移動したりとかね、あるわけです。もちろんみんな彼です。
だいたい彼です。全部彼です。今はわかりません。今はサンドイッチとかね、もしかしたらおにぎりとかあるかもしれないですけど、当時は彼です、全部。
21:05
そういうので、どっかの駅で手配をして乗客のね、もちろん自由席じゃなくて、1等車2等車っていうのの限定だと思うんですけれども、予約を取って配線係の人に言っておくと、どっかの駅でそれを回収して乗せて予約の人に配るというシステムで引き換えに料金を払うというシステムになってたみたいです。
これも面白いですよね。インドならではですね。なので私たちの手元に来た時には、その駅弁がホカホカだったんですよね。
日本で言うとね、駅弁って冷たいイメージありますけど、そういった感じで、わりと温かいものが届いてびっくりしました。ただ現地、本当に現地の人が食べる用のものなんですよ。
はい、なので一切日本人的味付けがないのでめちゃくちゃ辛い。めちゃくちゃ辛かったです。
ただ我々はですね、朝ごはんも駅でチョコバーとマンゴージュースを飲んだだけ、昼ごはんも結局物売りたちから買ったチャイですとか、スナックですとか、菓子パンみたいなのをちょっと食べただけだったので、非常にお腹が空いてた。
なので、もう辛かろうが何だろうがヒーヒー言いながら、目から涙、鼻から鼻水を垂らしながらですね、ヒーヒー言いながら食べたわけなんですね。
でもね、非常に美味しかったです。めちゃくちゃ辛かったけど。
そしてですね、最後には多分同乗してくれたんでしょうね。日本人の女の子2人があのままあそこにいたら死んでしまうと思ったのか、インド人のご家族が同乗してくれたのか、もしくは車掌さん、もしくは乗務員の方が掛け合ってくださったのかわからないんですけれども、
コンパートメント、個室ではないんですが、寝台列車をね、想像していただければわかるんですけれども、
向かい合席みたいな感じで、寝台が1、2、3、4、4個ある、そういった列車だったんですね。
で、1つのご家族が、4人家族が、お子さん2人、ご両親2人という形で、寝台車のその、向かい合った寝台の半個室を使われていたんですけれども、
お子さんが1人まだ小さいということで、お子さん用に使おうと思っていた上の寝台ベッドの部分ですね、1つ譲ってくださったんですよね。
本当にありがたい、本当に良い方、本当に涙がちょちょ切れましたね、あの時はね。
なので、そのインド人のご家族にお礼を言って、私たち2人は、青年の女子2人ですよ、かなり狭いですよ、寝台なのでね。
なので、1つ譲ってもらっても、もう足を下ろして座るということはできないわけですよね。
普通に座ると頭が疲れちゃいますし、下にいるインド人のご家族に迷惑かかってしまうので、もう寝るしかない状態ですよね。
寝るしかないんですけど、本当にね、2人が頭を同じ方向に向けていたら、多分1人がはみ出るだろうという感じなので、
24:08
考えた末に、足と頭を交互に寝るという感じですね。
お魚の詰め合わせみたいな感じで、死者も死者もとか、死者もあれか、頭が通っている感じなので、頭と尻尾が交互になっている状態ですね。
そんな感じで、我々は並んでそこで寝ました。
ただ、相当疲れていたようで、もう横になったら即寝でしたね。
ということで、夜多分8時とか9時とか、そんなぐらいだったと思うんですけれども、ようやく横になれた我々でございました。
相当汗もかいたし、親友とはいえ、人の足を目の前に、もしくは頭の後ろにして寝たわけなんですけれども、
こんなことができるのは恋人ではなく親友ですね。
ということでですね、次回は5月15日、「突然それはやってきた!」というタイトルで送りたいと思います。
この後から非常に大変なことが起きます。
よかったら次回も楽しみにしてください。
ということでですね、レターをいただきました。
お写真をもっと見たいです、というレターをいただきました。ありがとうございます。
ですので、このサムネイルはね、一つの写真しか載せられないので、
Xの方に、これからXも4枚しか載せられないですけれども、
旅の過去配信のハッシュタグ付けと、あとはそれにまつわる写真を掲載していきたいなと思っていますので、
写真見たいよという方は、ぜひXの方に飛んでいただいて楽しんでいただければと思います。
それでは今回も長くなりましたね。最後まで聞いていただきありがとうございました。