2024-01-27 23:56

《旅》プチセレブバックパッカーインドへ行く💛2日目【インド、デビュー❣】

《プチセレブバックパッカー💛インドへ行く🇮🇳
~B級グルメとダイヤ💎はお好き❓》

2日目をお届けします!!
ムンバイの駅の待合室で雑魚寝し、
目覚めたら・・・・

「人生のすべては道の上で繰り広げられている」
そんなムンバイの熱気を感じていただけたら嬉しいです💛

サムネは謎多き魚市場🐟🐟🐟

前回はこちら👇
1日目「いざ、出陣!」
https://stand.fm/episodes/65a8d5aff86bbfccead40adc


BGMはハッピーピアノヒーリング🎹
あきよさん💛オリジナル曲
【インド🇮🇳】です☺️

あきよさん、ありがとうございます✨️🙇‍♀️

これから数ヶ月にわたり
週一回のペースでインド🇮🇳旅模様をお伝えしていきますね🍀*゜
近くて遠い未知の魅力に溢れたインド🇮🇳✨️
一緒に懐かしい旅に出かけてみませんか

よろしくお願い致します🙏

#なおちゃん先生インドの旅  ②
#インド
#旅
#バックパッカー
#旅の思い出
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犬のトレーニングの実践🐕話、犬業界の裏話、アニマルコミュニケーション等は、《メンバーシップ限定》でお話しています❣️

https://stand.fm/channels/5fd49189dd3aea937b455b50
00:05
こんにちは。横浜で15年以上、犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
本日は、旅配信をさせていただきます。
こちらの旅行記は、私と学生時代の親友2人で、大きなリュック、バックパックを背負い、インドへ3週間のバックパッカー旅行に出かけた時の旅の記録となっています。
今回は、旅の2日目。
それでは、読んでいきましょう。
プチセレブバックパッカー インドへ行く💛
B級グルメとダイヤはお好き?
5月11日、木曜日、2日目
インド デビュー
ムンバイ
2時間ほど眠っただろうか。
目を開けると、その真上に、いきなり3人の男の顔。
え?女性専用じゃなかったの?と思い、慌てて羽を切ると。
どうやら、隣で眠っていたインド人、女性団体の家族らしい。
見張りをしていたと思われる、制服を着たお姉ちゃんたちはどうしたんだ?と思いきや、
なんと中央に置かれたテーブルの上に、3人で器用に寝ている。
女性専用待合室の扉は大きく開け放たれ、男も女も茶色売りも犬まで出入り自由状態になっている。
出発の用意をする人々の慌ただしいざわめきの中で、そのまま寝続けられるほどには神経のずぶとさが足りなかったようだ。
それに私たちは人々が奥のトイレやシャワールームに向かう通路の真ん中で寝ていたのだから、
踏んづけられたり蹴飛ばさりされても仕方がない。
やれやれと思いながら、私たちも短い睡眠で準備を始める。
荷造りをし直し、顔を洗い、クロークルームに荷物を預ける。
時刻は朝6時近くを指していた。
あれだけ校内に寝ていた人々は、今はもう列車に乗って移動したのだろうか。
数は少なくなっていて、駅の中のベンチに座っている人や、急ぎ足で行き交う人々の方が多い。
人の流れに押し出されるようにして駅の外に出ると、昨夜は暗闇で全くわからなかった。
ムンバイCST駅の周辺の光景が広がっていた。
まだ太陽が昇ったばかりだというのに暑い。
人も車も犬もバイクも忙しく行き帰り、私たちに目を向ける人はほとんどいなかった。
とにかく駅の周りを散策してみることにする。
大通りを苦心して渡り、てくてく歩く。
なぜなら信号がないからだ。
03:01
これがインドか、と次第に自分たちが置かれている状況が把握できてきた。
たくさんのチャイ売りが駅の前に並んでいて、せわしない朝のひととき、
人々は少しだけ足を止めて甘いチャイをすすっていた。
私たちもチャイデビューをすることにした。
小さな素焼きのおチョコのような入れ物に注いでくれる。
日本の甘飲料も真っ青の甘さだけど、これがスパイスと相まっておいしい。
ムンバイ、旧名ボンベイはイギリス統治時代、
拠点となっていた場所だったせいか、世界遺産にも登録されているムンバイCSTの駅のほか、
荘厳で重厚、立派な西洋風建築物が多い。
街中に建てられているアパートやオフィス、商店ビルなどもどことなく勝者なヨーロッパの香りが漂うものが多く、
それに南国の暑さと太陽、街の喧騒、汚さが相まって、どことなくキューバの葉花を思い出せた。
もっとも葉花のほうが街中はきれいで、牛はいなかったけれどね。
ムンバイ、インド西部、マハーラーシュトラ州西部にある州都。
1995年、ボンベイより海上、アラビア海に面した港湾都市。
インドにおける経済の中心地、商業、輸送、工業の中心地でもある。
インドの西の玄関口でもあるムンバイ。
整然とした市街と美しい景観で知られ、西部の丘陵地帯からアラビア海とそこに浮かぶ島々、
さらに壮大な西ガーツ山脈の望むことができる。
旧市街には18世紀の建物が数多く残されている。
日本ではお目にかかれないようなインド人びっくりの光景に何度も出くわす。
車道にチラシ類を撒き散らしながら配達をする新聞を地べたでまとめている新聞屋さんたち。
これ、人に配るんだよね。
サトウキビジュース売りのスタンドの横で頭からシャンプーをしている少年。
もちろん、道路際である。
トラックのボンネットの上で器用に熟睡をしているおっさんたち。
落ちないんだろうか。
一通り散策を終えて、では、クロフォードマーケットという市場に行ってみようか、ということになった。
再び歩き出した。
と、歩き出したはいいが、方向がいまいちわからず、誰に聞いてもあやふやな答えだ。
結局、5人ぐらいに聞いて、指した方角が一番多い方面に向かうことにした。
なぜなら、正反対の答えも返ってきたので。
結局、たどり着いた先は、なんと巨大な魚市場。
ここ、絶対クロフォードマーケットじゃないよね。
はじめに、頭にカゴを担いだたくさんの人々とすれ違い、その来る方向に向かって歩いていくと、
06:00
大小さまざまな魚が道端に山積みされて売られている。
その種類、量は半端ではない。
魚のほか、エビや貝、貝類も豊富だし、見たこともないような巨大な魚やエイみたいな魚まで売っている。
一体どうやって食べて、どんな味がするんだろう。
まあ、おそらくカレーでカレー味だろうな。
見ているだけで驚きや発見があって面白い。
私たちは観光客なので、魚はもちろん買わないけれど、人々は陽気に声をかけてくるし、
カメラを向けると魚を持ち上げてパフォーマンスをしてくれる人もいる。
屋内の魚市場はさらに迫力満点。
築地もこんな感じだろうか。混雑で前に進めないほどだ。
ムンバイは海に面した町で、昔から漁師町としても栄えているようだ。
今でもこうして盛況な魚市場が毎朝開かれているのだろう。
頭にカゴを乗せて魚を運ぶ人々は、魚から出る水で濡れるのを防ぐためか、みんなプラスチックのお椀みたいな帽子
と呼ぶのもはばかれるような代物だが、それをかぶっている。
けれど肩から下への服はびっちょり濡れているので、魚臭いったらないだろうな。
しかもこの暑さ、彼氏には絶対願い酒である。
朝の魚市場を抜け、ぶらぶらしながら駅まで戻る。
途中、魚市場ならぬ鳥市場。
トラックいっぱいに鶏が詰め込まれ、哀れ彼らは逆さに釣られて重さを量られているのであった。
そんな光景に遭遇したりしながら。
わざわざまた駅に戻ったのは、来る方からダージリンに向けての列車を予約するためである。
チケット予約センターは8時にならないと開かないのであった。
他のすべての列車の手配は日本からインターネットで予約ができたのだが、この列車だけは予約ができなかったのだ。
駅に戻ると、ちょうど予約センターが開いたところで、チケットオフィス、ローカル線売り場とは別の建物に行くとすごい人だかり。
でもエアコンが入っているのでほっとした。文明乗り切ってありがたいな。
ほっとしたのも束の間、どこへ行くんだ、俺がチケットを手配してやる、と見るからに怪しいおっさんが現れ、あっという間に私たちはなぜだかチケットオフィスの外で待たされていた。
ガイドブックにチケットの手配は他人に任せず自分でしましょう、当たり前である、と書かれていたのを思い出す。
ここは奪われた手動券を取り返さねば、後で手数料ちょうだい、とか言ってくれる。
いくら請求されるかわかったもんじゃない。
まずはここでチケットオフィスの外で待ってろ、と言われ一緒に待たされていた別のおじさん、たぶん監視役であろう。
その人にここは暑くて嫌だから中に入る、と言って彼が静止するのも聞かずにオフィスに入っていった。
手配をしに行ったおっさんを探すと予約のため列車の空席状況を見られるパソコンの前に並んでいる。
09:04
身を乗り出して一緒にいろいろ検索をした結果、
当初はコルカタからニューチャルパグリに行くのに乗ろうと思っていた急行列車、ダージリン、メイルは満席で、そのほかニューチャルパグリまで行く列車もすべて満席とのこと。
ええ、このおっさんではラチがあかん、とうまいこと、おっさんを撒いて2階の外国人専用窓口へ行った。
ニューチャルパグリに一度たどり着かないとダージリンまでは行けないのだ。
外国人専用窓口には大きな駅には対外ある。外国人、旅行者には大変ありがたいシステム。
だが土地の人間は不慣れな旅人から手数料をせしめようとして、ここに行くのをあの手この手で妨害してくるのだ。
今日は休みだ、とか、1ヶ月前に閉鎖した、とか、今日はやってない、とか。
その工房船に一体何人の先人たちが涙を飲んだことだろう。
先ほどのおっさんも、外国人窓口は2階だ、とか、一言も言わなかったが、運良く私たちは見つけることができたのだった。
窓口には西洋人2人組がいたので、ベンチに座って待つことに。
ここでついに、待ってる間に朝ごはーん、と言っても、
昨夜エアインディアの機内食で出たコーンパンと成田空港で買ったキャラメルクッキー、
親友の持ってきたスナック菓子とミネラルウォーターだけである。
おもむろに食料を取り出して無言で食べ続ける東洋人の女子2人をインド人たちは凝視していた。
が、そんな目線にはもうめげないもんね。
ああ、どんどん可愛くなくなってない私。
さて、窓口が開いたので、チケット予約のために再度チャレンジ。
全く相性のない親父に無理やりキャンセル待ちをかけてもらった。
私たちがここでしたい予約は2つだった。
コルカタからニュージャルパグリ、5月14日行き。
ニュージャルパグリからコルカタ、5月19日の往復の電車チケットである。
もちろん、ドンコウだって時間だって前行したって平気だ。
とにかくエアコン付き寝台車が2席取れればいいのだ。
ところが、粘りに粘ってコルカタからニュージャルパグリの全ての列車を検索してもらったのだが、
一番待ち人が少ないところで、14日が11人、19日は6人。
一体全体どうなるんだろう。
すごく楽しみにしてるんだけどな、タージリン。
とりあえず、キャンセル待ちだけ手配し、それでも90ドル払わされた。
これ、ぼったくられたかも。
ムンバイの町へ再び散策に出た。
一番有名なムンバイのシンボル、インドモンと隣接するのはタージホテル。
その2つを目指して地図を見ながら、行けばものの3、40分と思っていたのに、
かかった時間は約2時間。
ザ、方向音痴の私たち。
暑さにやられて、2人ともヘロヘロだった。
けれど迷ったおかげで、ムンバイの町とインド人の日常生活をたくさん見ることができた。
12:00
海の近くで漁も栄えていた、インド有数の大都市は、
まさに人生のドラマはすべて道の上でこそ繰り広げられている、
ということを私たちに教えてくれた。
ヒゲ剃り、包丁研ぎ、チャイ売り、シャンプーをしている人、
寝ている人、物恋、客引き、さまざまなスナックや怪しいお菓子、
果物を売る屋台、陸車、洗濯する人、露天ショー、遊ぶ子どもたち、
ゴミを漁る人、ただぼーっとしている人、犬も牛も、すべてが道の上。
それにしてもなんて暑さ、騒音、そして人、人、人、どこもかしこも人だらけだ。
でもどうやら観光客はあまり多くないらしく、日本人にも合わない。
12時頃になってやっとたどり着いたタージホテル。
ロビーでお茶でも、と思い、恐る恐るエントランスに近づく。
蝶がつくほどの高級ホテルなので、
こう汚い格好の宿泊客でもない私たちは入れるだろうか、と思ったけれど、
きゆうきゆう、ドアマンのひげのいいかめしいおじさんはどうぞ、とドアを引いてくれた。
完全にオーバーヒートした体には天国のような涼しい空間。
おいしいコーヒーでも、と思いカフェに立ち寄るが、
一つ多いゼロの数に恐れをのぬき、早速早速退散することにした。
代わりに、みめうるふわしいトイレでゆっくり休憩。
ばっちり水洗、ペーパーつき、そして一階ごとにトイレ係のおばちゃんが
お手拭きのいい香りのするタオルをかえてくれる。
パウダールームで化粧直しをするふりをして、
次にどこに行くか、私たちは計画を立てた。
結局、暑さのためインド門はちらりと見るだけにして、
このホテルの近くにあるレオポールドカフェに昼食を取りに行くことになった。
ここはガイドブックに安くて料が多い、
欧米人に人気と書かれていたが、その通り、
店内にはインド人ではない白人系やアフリカ系の人々のほうが多かった。
とにかくお腹がぺこぺこだったので、疲れから腹ごしらえをすることにする。
冷たいソーダで喉を潤し、ロティ、チーズナン、エビのタンドリーを注文。
あれだけ魚が出されるのだから美味しいんだろうと推測の下、
フライフィッシュインソースを頼むが、出されたものは想像と全く違っていて、
揚げ魚の甘酢あんかけみたいなものだった。
そして甘すぎるケチャップみたいなのに浸っている。
ナンやロティと合わないな。
私たちはベジタブルコルマを追加した。
これはカレーでちょっと辛いけれど美味しい。
たくさんの野菜がゴロゴロ入っている。
焼きたてのチーズナンもものすごく美味しかった。
暑さで少しめげかけていたが、お腹はしっかり空いていたようで、
15:03
すごい量の料理を黙々と食べ続けた。
ムンバイは比較的物価の高い都市だが、やはり肉本慣れしている身には安い。
一番高いエビのタンドリーグリルでも200ルピー、約600円。
普通のカレーなんかは50から60ルピー、
約150円から180円で山盛りの量だ。
お腹いっぱい食べた後もゆっくりレストランで休憩して、
栄気を養う。
午後2時ごろ、再び外へ出る。
日陰に逃げ込むようにしながらガイドブックに載っている
酒張バンダールというスーパーと、
チマンラールという封筒、便箋、カード屋さんへ向かう。
途中、屋台のサンダル屋さんで革のサンダルと、
エアコンの効いているちょっと高級な靴屋さんで、かわいいサンダルを買った。
はじめからなんだってこんな靴ばっかり買ってるんだろう私。
締めて1310ルピー、3700円。
でも安くてかわいいサンダルがちゃんとした靴屋でも、
4000円以下で買えるんだからお得だ。
サイズを探すと天井の穴から靴の箱が落ちてくるというシステムはどうだろう。
売り物なんだからもうちょっと大事に扱えばいいのにな。
もちろん地面に着く前に店員がキャッチするのだが、
たまに連絡不幸届で地面に直撃。
中身が飛び出してくることがあるので、
客はこの穴の下周辺には近寄らないようだ。
立ち並ぶ露店の誘いや値切り交渉を楽しみながら、
はじめはバックパッカー御用達というカラハリバンダールスーパーへ。
あまり興味を惹かれることはなく、
チラリミするだけで。
レターショップのチマンラールへ。
こちらはすごい。ちょっと見つけにくいところにあるんだが、
中に入ると美しい色彩とさまざまなデザインのカード、
ビンセン、封筒、レターセットが小さい店内にずらりと並んでいる。
そしてどれもこれもものすごく安い。
お土産にいくつか買って店を出て、駅に戻って休む。
駅に到着したのは午後5時15分頃。
9時5分の夜行列車まで、
女性専用待合室でゆっくりシャワーを浴びて横になり、
今日の疲れをとった。
もちろんこんなんじゃとりきれないけどね。
夜8時過ぎ。
初のインド列車で全く勝手のわからない私たちは早めに外へ出てホームに座る。
電車が来るとプラットホームに移動する。
駅のホームの掲示板には列車の発車予定時刻が近づくと乗客リストが貼られる。
乗客はそのリストで自分の席の予約確認をするのだ。
私たちの名前もちゃんと載っていた。
良かった、良かったとホッとする一方で、
2Aは長い長いホームの一番先。
荷物を背負って遥か先の車両まで歩く。
ここかなと乗り込んだ初のインド車両は、
ワオ、またしてもエアコンって素晴らしい。
18:03
一体このセリフはこの旅で何回出るんだろうか。
日本の寝台列車よりも広々としていて、
毛布やカバン、シーツ、枕までついている。
私は下段、親友は上段。
早速寝台に落ち着き、にほどきをしていたら、
あららら、車掌さんが来て、
ここは2Aではなく1Aだから隣の車両に移るようにと言われてしまった。
前日の夜には石の床の上で過ごした私たちは、
寝台の固いベッドも涙ものの快適さである。
隣のベッドは移動前の車両で、
向かいのベッドにいた家族のおばあちゃんとお母さん、
そしてまだ小さい男の子だった。
しかしこの子がまあ騒々しいこと、
人の水を勝手に飲むわ、泣くわ騒ぐわ、
全く勘弁してくれと思ってしまったけれど、
その隣にいたおじさんは優しくて、
スナック菓子を私たちにくれたりして、
ここは我慢じゃ。
という間に私たちはすっかり眠り込んでいたのであった。
本日の歩数、27721歩。
はい、ということでここまでの旅行記。
ステルブ、バックパッカー、インドへ行く、
B級ギルメット、台湾、オスキンの
2日目の記録を読んでいきました。
この日はムンバイですね。
ムンバイの町を散策するということを私たちはしていました。
女性専用室に行ったのが、
おそらく午前3時過ぎぐらいだったと思うんですよね。
それで6時ぐらいには起きて活動を始めているので、
睡眠時間は2、3時間あるかないかということで、
30度以上ある湿度の高いムンバイの町をひたすら歩いた私たち。
まあ若かったですよね。
20歳、20何歳ぐらいだったかな。
20何歳ぐらいの体力があってこその話だったと思います。
そして当時はやっぱりかなり物価が安かったと思うので、
今ではカレー1種類150円とかでなかなか食べられないんじゃないかなと思っています。
こちらのムンバイ、町の中を歩いている時にあまり観光客に会わなかったと書いてあるんですけども、
おそらくただただ私たちが観光客が行くところに行っていなくて、
ただただ町を歩いている、うろついているだけだったからだなと思いますが、
とにかくですね、インドというところがどういったところなのか、
人々がどんな日常生活を送っているのかというのを、
この第1日目の朝に本当に感じることができました。
このムンバイという町はですね、今でも非常に栄えていまして、本当に大都市なんですよね。
大都市の中央駅の一つの近くの光景でですね、路上に人が寝ていたり道端でシャンプーをしていたりですね、
21:10
もういろんなことが起きておりましたね。
その一歩先に進むとどんな光景があるのかわからないという想像のつかない世界、
これがですね、最初は恐ろしくもあり、ちょっと戸惑いやね、
それこそ自分の中の常識にないということでカルチャーショックを受けたりするんですけれども、
だんだんとそれが楽しくなってきちゃうんですよね。
これがね、インドの魅力だなというふうに私は思いました。
とにかく暑かったのを覚えています。
そして超高級ホテル。
インドはですね、やっぱり貧富の差が今でもかなり激しいところではあります。
私たちはどちらかというとバックパッカー旅で超高級路線ではありませんでしたので、
このタージュホテルというのは超名門、超有名な五つ星ホテルなんですよね。
王族なんかも来るような感じのホテルだったりするわけです。
そして伝統もある、格式もある。
なので、私たちがホテルのカフェを断念してトイレで休憩しながら作戦会議をしていたというのを
皆さんね、何しとんねんと思ったと思うんですけれども、
トイレがね、もうめちゃくちゃ綺麗なんですよ。
今でも覚えてますけれども、なんていうんですか、
トイレブースと別にパウダールームがきちんとあって、
冷房も入っていて、なんかいい香りがして、音楽もかかっててみたいな感じなわけですよね。
なので全く苦にはならなかったですね。
今でもここのトイレ、トイレしか行ってないんですけど、それはよく覚えています。
いつの日かね、タージュホテルに泊まれるような身分になりたいなというふうに思って立ち去ったことをよく覚えています。
はい、ということで1日目のムンバイ、とても濃いスタートになりましたね。
そしてこの移動ですね。
次は3日目になりますけれども、今度は私たちは寝台列車に乗って移動をしていきます。
次回はムンバイからアウランガバードという場所へ行きます。
アウランガバードがメインの目的地ではなく、エローラ遺跡というところが私たちの目的地でした。
エローラ遺跡についてはまた次回お話をいたしますが、インド有数の遺跡の一つとなっています。
それでは2回目のインド旅行記も聞いていただきありがとうございました。
次回もまたお楽しみにお待ちください。
23:56

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