00:05
いやー、えーと、大相撲14日目が終わりまして、高康負けちゃいましたねー。
大野里も勝ってですね、えー、大野里と高康、2敗同士で並んで明日先週落と言うところで、えー、
2人のですね、顔合わせ終わっているので、別の取り組みで優勝が決まるという形なんですけど、いやー、
高康、うーん、今日勝っておきたかったですねー。
まあ多分多くの大相撲ファンがそう思ってんじゃないかというふうに思いますが、
えー、まあちょっと言い方悪いですけど、まあ岸野里が、兄弟子岸野里となんか似てんですよねー。
うーん、最後勝ちきれないというかですね、優勝が遠いですね。
まあ頑張ってもらいましょうということで、えー、次の5月場所はですね、あの友人がマス席を取ってくれているので、
久々に生で観戦してこようかなと思っております。
はい、今日はちょっと私の食歴に絡んだ話をしてみようかと思います。
今日またですね、あの、NHKBSでラジオの時間、三谷光輝のやってましたねー。
これもやってるとつい見ちゃうんですけれども、たまたま最後の1時間ぐらいだったので、まあ結局全部見ちゃいましたね。
これがですね、調べたら1993年に舞台で上演されていて、97年に映画として公開されているようです。
まあこれをいつ初見だったのかというのは記憶してないんですけれども、
当時の自分の仕事にですね、まあ相当シンクロしてるなというふうに思ったので、
よく覚えてるし、まあなのでよく見ちゃうっていうところもあるんですけれども、
当時ですね、転職でですね、大幅にジョブチェンジしてですね、
今でいう名前でいうウェブディレクターですかね、に身を投じたんですよね。
それが1999年のことですね。
03:01
でまあ、映画のあらすじは皆さん、大方ご存じだと思いますけれども、
ある素人の作家、作家志望の素人の応募作品ですかね、コンテストみたいのがあって、
それの賞を取った作品がですね、ラジオドラマ化されるっていうような話でして、
そのシナリオ自体がですね、声優陣というんですか、役者さんたちとかの思惑とかですね、
わがままとかによってですね、シナリオが大幅にズタズタにされていくというかですね、
名前は変えられるわ、設定は変えられるわ、国は変えられるわ、みたいな話でして、
一人の大物女優がですね、わがままを言ってですね、
それでシナリオがむちゃくちゃになっちゃうんですね、辻褄も合わなくなってしまったりするんですけど、
それをですね、ラジオ局のプロデューサーとか編成局長みたいなものを申せなくてですね、
いわば無責任にどんどん話が変わっていってですね、むちゃくちゃになってしまうんですけれども、
最後、エンディングぐらい筋を通させてくれと、エンディングぐらい変えてほしく、変えないでくれというですね、
そのシナリオライターの懇願をですね、みんな無視しようとするんですが、
それにですね、最後、あれは音声、音響担当なんですかね、の唐澤敏昭君がですね、
男気を出してですね、そこをどんでん返し、その筋を通すと、
その作家さん、作家のですね、希望に沿ってですね、シナリオを元に戻すというようなですね、話なんですけれども、
まあドタバタなんですが、なんかこう、妙に後味が良いというかですね、
その唐澤君が良い役やりすぎっていうところもあるんですけど、そういった映画でして、
まあ、なんかなんか見ちゃうんですよね。
で、当時ですね、そのウェブディレクターになるにあたって、というかこれ、
あれなんですよね、ウェブディレクターになるにあたって、それ以前ですね、
はですね、あの、社老司事務所とかですね、
とある企業の総務とか人事とかですね、IPOの業務とかですね、いわゆる企業のバックオフィスですね、
それを私ずっとやっていたんですが、まあ、特にそのIPOのところが非常にブラックでして、
06:07
特に上々間際とか全く家に帰れないとかですね、そういった目にあいながらですね、
少しクリエイティブな仕事をしたいというふうに思ってですね、
ウェブの専門学校ですね、デジタルハリウッドっていうのが今でもあるんですか、に通ってですね、
で、とある放送会社のですね、ウェブ制作部門にですね、
なんとか滑り込むことに成功したのが、ちょうど1999年のことでしたね。
で、もう右も左もわからない、いわゆる業界なので、
まあ、いろいろ初めての経験ばっかりだったんですけれども、
まあ、初めて知ったんですが、プロジェクトの進行というのはいろいろありますよね、
スポンサーがいて、クライアントがいて、プロデューサーがいて、企画者がいて、
プログラマーがいて、デザイナーがいて、ライターがいて、
まあ、それをある種取りまとめるディレクターというポジションがあってという部分で、
まあ、その部分を担わされたんですけれども、
まあ、とにかく連日連夜ですね、
まあ、がんじがらめの利害関係をですね、調整する日々だったように記憶しておりますね。
まあ、その時にですね、
ちょうど、これはラジオの時間の唐澤俊昭くんのポジションだんだなぁとかっていうふうに、
自分はそういう立場に置かれてるんだなぁなんていうふうに思ってですね、
まあ、あんなかっこよくないんですけれども、
まあ、とにかく難しい仕事でしたけれども、
調整してですね、とにかく話を前に進めることにですね、
話を前に進めていくことしかないわけで、
それにですね、楽しみを見出すこともなんとなくできてくるようになりましたし、
まあ、日常のドタバタもですね、その映画のシーンを思い出すにつけてですね、
まあ、こんなもんだろうと妙にですね、
映画がですね、気持ちを後押ししてくれたんですよね。
まあ、とにかく何でもいいんでやるしかないし、
始めたプロジェクトは必ずローンチしなければいけないみたいなですね、
そんな一心で、とにかくプロジェクトをこなしてたっていうのを思い出しますね。
09:03
で、まあ、こうやってですね、もう20年以上経ったんですよね。
経ってしまってましたけれども、
まあ、そういういわゆるウェブディレクターみたいなものから、
もう離れてしまって久しいですが、
まあ、今でもですね、ラジオの時間というのはなんとなくですね、
ベースになっている作品だなというふうに思ったりしてます。
まあ、プロジェクトはですね、クライアントから作り手、受けて、
全方位的にですね、納得感を持つものにしなければならないというふうに強く思って、
いろんなことを進めていまだにおります。
まあ、そんななんて余っちゃらいこと言ってんじゃねーみたいに、
みんな幸せになるようなプロジェクトなんて目指さずにですね、
目指すとですね、エッジにかけたつまらないものになって、
結果的にみんなが不幸になるよとかっていうふうにですね、
言われるのも重々承知なんですけれども、
いまだにですね、全方位的にですね、納得感のあるものを作りたいと、
そういう思いでですね、プロジェクトなり仕事っていうのはやるべきだというふうに思っています。
ラジオの時間を見てですね、当時のそんな青臭いですね、記憶をですね、
思い出しましたね。
もちろんですね、映画の内容はですね、全方位的に納得感のあるですね、
結果を出しているとは到底言えないんですけれども、
ある種のカタルシスみたいなのがありますよね。
そんなふうに思って、ちょっと仕事の思い出などを話をしていました。
で、その全方位的に納得感があるとかですね、
クライアントにも納得され、クリエイターにも愛され、みたいなことってなかなか難しいので、
どちらかというと僕はクライアントにあんまり向かないでですね、
クリエイターに満足してもらうというかですね、
クリエイター利益にですね、仕事を進めてきたという、
ちょっとそういったさじ加減がどちらかというと加わってきたかなというふうに思っていたりします。