1. なんでもディレクション
  2. #23 Webディレクターに芸人か..
2025-07-28 45:03

#23 Webディレクターに芸人から未経験で転職した話を聞いてみた【ゲスト:MUKUTOUみやしたさん 2/3】

なんディレゲスト第2弾!

今回のゲストは芸人からWebディレクターになり、現在は『ウェディングブーケ1000組につくった夫婦』MUKUTOU(ムクトウ)のみやしたさんにお越しいただきました。


前回のエピソードは、芸人からなぜWebディレクターになろうと思ったのか、芸人人生からWeb業界への転身までをお聞きしました。

#22 芸人からWebディレクターに転身した話【ゲスト:MUKUTOUみやしたさん】

https://open.spotify.com/episode/4P2YnrhzIO9Wc6PZkaOmrW?si=1d3b6d6cf2994074


お聞きいただきましたら、ぜひ感想をお聞かせくださいね!

Spotifyでもコメントできますし、メールフォームもございます。https://forms.gle/hgcpSnkiw9DGCLgy5


みやしたさん、とくさとさんの元後輩ということで、制作会社時代のディレクター、プロデューサーのお仕事についてお話いただきました。


芸人からWebディレクターに転身したのは彼しかないのではないでしょうか??

軽やかに転身してきたみやしたさんの半生から、ディレクターに必要なこと、ディレクターができることなどを交えて、楽しくお話させていただきました。


【みやしたさんプロフィール】

元Web制作会社で約9年間、Webディレクター・プロデューサーとして勤務。

会社員時代から副業として夫婦で「MUKUTOU(ムクトウ)」というブーケとギフトのオンラインショップを開始し、現在は本業として運営中。

Instagram:https://www.instagram.com/mukutou/(ウェディングブーケ1000組につくった夫婦|MUKUTOU)

X:https://x.com/miyashitank


Web制作会社の経験を活かして、SNS運用やEC構築、お問い合わせ対応、発送、経理など作品づくり以外の業務を担当。

Web業界に入る前はお笑い芸人として活動していたという少し変わったキャリアの持ち主です。


========================


【告知】Web Creator Podcast Day2025になんディレが出演します!

https://webcreator-podcast-day.com/

11組のWeb系ポッドキャスターが出演!

2025年9月13日(土)ライブ配信でお届けします。

Xで最新情報配信中:https://x.com/WC_Podcast_Day



▼お便り待ってます!

https://forms.gle/hgcpSnkiw9DGCLgy5


▼Xもフォローしてね♪

https://x.com/toksato

https://x.com/mocaaaasan



▼とくさとさんのブログ

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠笑顔を創りたいWebディレクターの日常⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

某事業会社勤務のWebディレクター。つまり「なかのひと」やってます。Web業界からひょんなことで専門学校の先生に。そしてまたWeb現場に戻ったWebディレクターのブログ。

https://toksato.hatenablog.com/



▼モカあさんの個人ポッドキャスト

ママディレクターズライフhttps://open.spotify.com/show/2O7gyxMBsn1pJKxd83LtLr?si=a38fd628e7a54e9d



▼なんでもディレクション公式サイト

https://sites.google.com/view/nandire



- - - - -

この番組は、東京の大きめな事業会社で20名の部下を持つディレクターとくさとと、名古屋のかたすみでひとりディレクターをしているモカあさんのふたりがWebの概念にとらわれずディレクションを長年生業としてきた中で、あれやこれやなんでも話すポッドキャスト番組です。

- 配信プラットフォーム

SpotifyApplePodcaststandfmLISTEN


サマリー

ウェブディレクターとして活躍する宮下圭介さんが、芸人からの転職の経緯や面接の経験について語ります。転職活動では多くの面接を経て選ばれた制作会社でのリアルな体験が紹介されます。MUKUTOUの宮下さんは初めてのディレクター業務に挑戦し、その中で経験する厳しい試練や教育の重要性について述べます。特に、プロデューサーとして移動後のコミュニケーション能力の活かし方や、提案業務での苦労について詳しく説明しています。このエピソードでは、芸人からウェブディレクターに転職した宮下さんの経験や、仕事における苦労、コミュニケーションの重要性が語られています。また、転職活動や制作会社でのエピソードを通じて、チームワークの大切さと信頼関係の構築についても触れられています。ウェブディレクターとして働く宮下さんは、以前の職場でのストレスから体調を崩し、副業を始めるきっかけを探ります。コロナ禍の影響を受けつつ、彼がどのように新たな道を模索しているのかが語られます。

みやしたさんの転職活動
この番組は、東京の大きめな事業会社で、20名を超える部下を持つディレクター、とくさとと、
名古屋の片隅で1人ディレクターをしているモカあさんの2人が、
ウェブの概念にとらわれず、ディレクションを長年なりわいとしてきた中で、
あれやこれやなんでも話すポッドキャスト番組です。
こんばんは、モカあさんです。
こんばんは、とくさとです。
本日はみやしたさんゲスト回、第2回目ということで、
本日もみやしたさんに来ていただいております。
こんばんは、今週もよろしくお願いします。
MUKUTOUというお花屋さんをやっています。
みやした圭介です。よろしくお願いします。
今週から聞いた人のための。
そうですね、みやしたさんの。
聞いてるでしょ。
前回聞いてるでしょ。
ぜひこれ続けて聞いていただきたい。
続けて後編なんでね。
いやほら、僕、名村さんの回4回出てるんでね。
トータル6回だけど。
2回目以降自己紹介してないんで大丈夫だと思いますよ。
やりました。
今回は後半ということで、前回はみやしたさんが、
芸人を実はされていたということで、
そこからなぜウェブ業界に転職されたのかっていうところまで
お話していただいたんですけど、
制作会社に入った時のお話から聞きたいなと思っております。
というよりは、何社受けてどういう風に選んだのかとか聞いてみたいですね。
転職活動。全然違う業種からの転職活動の時は、
受けたのは、面接したのは、たぶん5、6社ぐらい。
最終的には。
面接の体験
もともと最初は、先週の回で話しました。
かやくさん、面白法人かやくさんに入りたいと思ったんですが、
当時エンジニアとかしか募集してなかったので、
ディレクター職がいいなと思って。
一社、就職活動してる中で、一社ここにめっちゃ入りたいっていう会社があったんですよ。
今もある、今もあるのかな。
ある会社とある、渋谷にある制作会社。
ちょっとかっこいい系、クリエイティビティ系の。
プロジェクトマネジメントとかを推してる会社さんに入りたくて、
でも最初そこ一社しか受けなかったんです。
あ、あれか。まあいいや、なんでもないです。
そこで書類通って、一次面接通って、
二次が最終って言われてて、社長さんと面接して、
二次面接で、え、なんか未経験だけど行けそうかもねみたいな。
これ受かったんじゃねみたいな。
でもちょっとあまりにも異例の人材すぎるから、
もう一人代表がいて、その人にもちょっと会ってくれるかなって。
急遽、もう一回面接、三次面接が行われ、
三次面接でも、死者が京都にもあるんだけど、
京都に行ってって言ったら行けるみたいなこと言われて、
え、えっと、行けますみたいな。
大丈夫かな。
でもさ、彼女と同棲してるって言ってたからさ、
彼女のとこに聞かなきゃじゃないと。
それは確かにそうだったら、ちょっと彼女に聞きますって。
それさ、一応彼女に聞いて、結果わかったら教えてって言われて、
で、彼女にも相談して、いよいよ全然行くよってなって、
で、行けますって連絡したら落ちたんです。
再検討されてたのかな。
ずこーってなって、ちょっとなんだよって思って、
さすがに一社だけって中小活動としておかしいなと思い、
そっからもうちょっと広げて、5社ぐらい。
でも書類を送ったのが5社で、
面接したのが3社みたいな、そんな感じですね。
そのうちの一社が徳里さんと出会った。
思い出しました。今の話を思い出しました。
ありましたね。
どこの会社かも思い出しました。
徳里さんが面接されたんですか?
いえいえ、まだ僕は、先週お話しした通り、
入社半年も経ってない。
宮下さんが面接受けた頃はもうちょっと前のはずなんで。
そうですね。
入社3、4ヶ月の頃なんで。
その後するようになるんですけどね。
数ある中の政策会社からまた選ばれたってことですが、
何かポイントあったんですか?
そうですね。
一つは、ディレクターとかプロジェクトマネジメントってところを推している。
そこに強みがありそうな会社っていうところと、
もう一つは、何て言うんですかね。
理念にちゃんと共感できるかみたいなことを当時は重視してましたね。
なるほど。
どうやって見つけたの?
普通にファインドジョブとかそういうのだった気がします。
そうなんだ。
職業訓練校から探したくないんだ。
全然、全然。
そうなんだ。
そういうのもあったんでしょうけど、
僕は普通に自力で探してましたね。
すごい。
ディレクターって仕事ってどんな仕事っていう?
分かってたのかな?
分かってたのか?
分かって、あんまりちゃんと分かってなかった気がする。
そもそもディレクターの募集だった?プロデューサーじゃなくて。
いや、でもね、アシスタントディレクターみたいな募集だった気がします。
ああ、そうだったんだ。
なるほど。一番いいやつですね。アシスタントディレクターいいですよね。
仕事の実際の印象
未経験でもアシスタントディレクターから始めて、適正に応じてみたいな感じの書き方だったんじゃないかな。
でも芸人されてたから、例えばテレビ番組とかね、あれのいわゆるディレクターみたいな、あんな感じかなみたいな。
そうですね、いわゆるなんか進行管理みたいなことをするのかなっていう話と、
もうちょっと企画とか提案っぽいことを想像してた気がしますね、当時は。
なんかね、ディレクターでもそんなに企画までされ、企画立案までしないよってディレクターさんも意外と聞いてみるといらっしゃるってのは聞いてたけど、
私はそれを最初からやらされたんじゃないかなって思ってたんですけど。
なんかいろいろ就職活動してる間に職業訓練校で話し聞いたりとか、
同級生にもそのウェブ系の会社に行ってる人が何人かいたんで、そういう人にこういろいろ聞いてましたね。
それで何となくこういう仕事なんだろうなみたいな、想像してたかな。
最初に聞いて知ってからね、そうやって就活するってなかなか、さっきドクターさんが最初に前回言った通り、
別のデザイナーからなるとか、分かんないですけどね、何かを経て、
ディレクターになる方もいらっしゃるんじゃないかなとか。
まだ宮下さんが、そうでもないかな。もういたか。いきなりウェブディレクターになる人もいるけど、
まだ他を回ってる人の方が多いんじゃないですかね。
多分2020年前後はもういっぱいいると思いますね。
デザイナー、エンジニアを通ってないウェブディレクターとか。
僕がそうですね、やり始めた頃は、デザイナーがいわゆるコーダーみたいなことから、
自分で手を動かすところからやって、適正ありそうな人がディレクターとかをやるみたいな流れだったかな。
2012年とかだとまだ、2012年、13年とかまだ上位職種だと誤解されてる時代でもあった気がしますね。
デザイナーやエンジニアが、マークアップエンジニアが、コーダーが。
成長するとディレクターになるみたいな、全然違うんだけどみたいな。
求めるものがむしろマークアップなんですけどっていう。
そういう、僕はやらずに入ってるんで、上位っていうイメージはなかったですけど、
でも普通のセンターに入ってくる人が多いんですよね。
やらずに入ってるんで、上位っていうイメージはなかったですけど、
でも普通の政策会社だとそういう感じなんだなっていう印象ではありましたね。
あの会社入った後にも言っていいかな。
入った後、あ、違う、その前に聞きたいことがあったんだ。
面接はいきなり社長だった?
いや、違います。
部長。
スプラトゥーンの人?
S部長。
S部長、そうかそうか。
が一時面接。
一時なりに1時、2時を突破してるわけですよね。
そうですね。
すごいな。
全然全然。
でも一時、S部長に後から聞きましたけど、入ってきて5分で通そうって怒ったって言ってました。
そういえばあの人よく言ってたわ。
すごい。
それは本当に人が欲しかったとかそういうことじゃなくて、宮下さんの経歴だとか。
経歴というよりかは多分コミュニケーション能力みたいなところ。
多分そうでしょうね。
話してわかったってことでしょうか。
すごい。よかったですね、でもそんな。
いや本当にありがたかったですね、あの時は。
本当に職務経歴書とか履歴書みたいな強気なこと書いてますけど、全然何にもわかってない人なんで。
でも聞かれますよね、絶対。なんでこの業界来たの?
そうですね、だから本当に先週話したようなことをとうとうと喋り、
今後やるならちゃんとお金のこともわかるようになるんだっけねとか。
いわゆるその会社だとディレクターとプロデューサーみたいな感じで分かれてて、どちらかといったらプロデューサーの方に適正感があって、
始めるのも遅いし。
あの会社における職種だとそのウェブディレクターはもう少し制作の知識とかがちゃんとないとできない。
そうですね。
プロデューサーの方もあったほうがいいんだけど、むしろ顧客対応できちんとお話ができて提案ができる人の方が求められるので、
そういう意味でも確かに適正はそっちでしょうね。
実際でもどうでした?そのディレクターになってすぐ実際仕事してみて、こんな感じなんだみたいな印象はありますか?
そうですね。結構しんどかったイメージですね。やっぱり全然わかんないことだらけだし、
まあ本当にそんなに教育がバッチリされるよみたいな感じでもないじゃないですか。
ちっちゃい20人ぐらいの会社なんで、まあOJTみたいな。
その中でも徳里さんはちゃんとしてくれてたもちろん方ではありますが、
全然わからんこといきなりやらされるみたいな。
で、やってみたらすっごい腹で笑われるみたいなことがやっぱりいっぱいありました。
NAS部長がね、あの人って知らないですよ。
絵はね、全然いい人なんですけど、とにかく何て言ったらいいんだろう。
嫌なコミュニケーションをする人なんですよね。
本当に何かバッチリな人なんですよね。
なんか僕は本当にディレクトリのつくり方みたいな書法的なことがわかってなくて、
変なディレクトリの作り方して、それに対して本当に僕は、
なんていうか、なんかこう、
ちょっとこう、
ちょっと、
で、
なんか、
なんか、
でも、
マグマにつくると、
で、
で、
で、
で、
で、
で、
で、
で、
で、
で、
それに対して、え?そんなことも知らねえの?
あ、分かりやすそうです
ちょっと、ちょっとみなさんみたいな、ほんとにこんな感じ
うんうんうんうんうん
どういう意味それって、ほんとに
それさ、誰にそれを
ほんとムカついた記憶がある
でもやっぱり凹むじゃないですか、そんなこと言われたら
確かにね
普通に悔しな気をしながら帰った
そうなんだ
確かにね、大人になってからね、そういう対応されてるとちょっと辛いですよね
今では仲良しですけどね
あの人がね、なんかちょっと特殊な
いわゆるパワハラとは全然違う
たぶんね、悪気がないんです
悪気がないんですよ
でもなんかおもろいと思ってそういうこと言っちゃうんですよね
そうそう
典型的なのはね、よく嘘をつくんだけどね
ちゃんと本当のことも言って、そのトーンが全く同じだからね
嘘なのか本当なのかよくわかんねえみたいな
嘘の絵
ぼけない、ぼけってことですよ
嘘っていうキャラ、嘘つき人間みたいなやつ
初めてのディレクター業務の試練
結構、ぼけなんだけど
分かる分かる、でもそういうタイプ
そういう嫌さはあったし
他の人もでも嫌な人いっぱいいました
おいおい、いいじゃないか
あとね、他にもねデザイナーをやってた先輩
デザイナー兼ディレクターみたいな先輩の人に
僕が初めてなんか本当にちっちゃい仕事の
これちょっと進行してみてみたいなこと言われて
でもまだ何にも本当に何にも一回もそんなことをしたことがない
で、パートナーさんから上がってきたデザイン
ほんとバナーとかだったかな
そういうのを修正するみたいな
それをなんかその先輩のデザイナー兼ディレクターの人
これどうしたらいいですかって言われて
何にも分からないじゃないですか
僕はそういうの教えてもらえるのかなと思って
これどうしたらいいですかって言われて
どういうふうにしたらいいんですかね
ディレクターなのにそんなことも分からないんですかって言われて
その人は僕が初めてそういうことをやるって分かってるんです
これは嫌がらせでした
聞いたわけじゃないですけど
これは100%嫌がらせだったなって今でも
分かってやってたやつですね
それはね、擁護できないな
15分ぐらいかけてやっとそれを言い出してくれて
何だったの今の15分みたいな
俺を恥ずかしめるためだけの時間みたいなのあったよね
なんか試されてたんですかね
変な人もいましたね
ちょっとマウント取りがちな人ですね
そういうのもありましたが
なかなか厳しい
でも本当に新鮮なことも山ほどあったんで
楽しい、最初の方は新鮮だったけど
やっぱりそういうしんどいこともあったかなって感じでしたね
初めてだとディレクターの仕事って
なんか正直言葉も分かんないかもしれない
そうです、言葉とかも分かんないし
徳里さんのアシスタントみたいになってから
違った種類のプレッシャーがありましたしね
徳里さんならではのプレッシャーの掛け替えがある
ちょ、なんそれ
でもよく言ってるようなことですよ
本当にまずやらせてみて
別にさっき言ったみたいな
訳わかんないやらせる方じゃなくて
分かりやすく本当にちゃんと
例えばこういうことを調査しておいてみたいな
何十歳とか事例とか集めてみてみたいな
それを僕が漫然とエクセルにまとめてやったら
これって本当に見やすいって思った?みたいな
これで私は徳里は目的を達成できるって思って
これ?みたいな
あ、あ、あ、えっと、うーんとみたいな
あんま考えてませんでしたみたいな
それじゃダメだよねみたいな
そういうのを本当に何回もやった記憶があります
それは教育ですからね
本当に教育、本当にそれで鍛えられたなっていう思いではあります
プロデューサーとしての移動
別にどなったりもしないし
そういうのは全然ないです
なんか自分の時はすごい先輩に泳がされてたっていうか
あんまり相談に乗ってもらえないっていうか
わざとね、わざと、冗談で
いいんじゃない?みたいな感じですけど
言われたことがなくて
本当にこれでいいのかな?ずっと連続やったんですけど
なんとかすればいいかっていう気持ちにはなったんで
なんとかなりました
なんとかなりました
まあそういう意味で言うと
宮下さんがどういう教育をされたか覚えてるのであれば
僕がもうその何年も後にスライドで出した
更新教育の進めというのは
もうその時にほぼ完成してるんですよね
スライドにしたのはだいぶ後なんですけど
そのスライドに書かれてることは
もう宮下さんがやってるから実践をしているので
実はアップデートなんか全くしてないので
例えば宮下さんに出した課題に対して
おそらくもうどういうことを出してくるか
AからDぐらいのパターンがあって
出してきてそうきたかって言って
じゃあこれは何でなの?みたいな
こいつめをしていくんですよね
こういう失敗してくるだろうなって予想してるので
何がダメじゃないんだけど
何が目的だったんだろうっていうところまで見れずに
わからないですけど
作業はちゃんとやれてるけど
本当に必要なことっていうのは
気づいてもらわないとなかなか生かせないっていうか
そういう感じでしたね
本当にでもなんかその時は結構成長実感みたいなのがあったし
徳里さんの考えを先回りしてやろうみたいな
意識もさせられるというか
ただそういう意識まで行く人は稀なんですよね
そっかって頑張って分かって
また次に10分のうち1歩も進まない
0.5分ぐらい進んでうーんみたいになる人が多いので
先回りしてやろうまで思う人はなかなかいない
そんなに別に自分が優秀だったとは思わないですけど
飲み込みは別にそんな悪くなかったんじゃないかな
そうそうそうですよ
もう全然そうですよ
負けず嫌いだったりとか
あんまり人から言われるのもあんまり得意じゃないなとか
性格的には
性格的にはそうですね
でもその頃はひたすら言われたことをこなしているっていう感じなので
なんか負けず嫌いとかも別にないんですよね
僕でも徳里さんとは気が合ったっていう感じだと思います
もう聞いててそんな感じはしますね
徳里さんが今あの時言ってたことを
僕も部下にやって欲しいって普通に思うっていう
どうですか徳里さん
全然そうだよ別に自分を褒めるんじゃなくて
教育成功
成功パターン
大成功
やめてるけど
同じようにやれば
だいたいの人はダメな人もいますけどね
そういう意味では三石さんは吸収力があったので
逆に言うとそんなにボロカスに言って
大丈夫なタイプだと思ってなくて
きちんと言葉を受け取る人だからこそ
なんかもうボロカスに叩いたら
たぶんシュンってすぐなっちゃうので
そこは適度に褒めるというか
適度に褒められるような仕事の出し方しなきゃいけないですけど
それこそ三石さんより前に僕のアシスタントについて
ずっとむしろ僕が一番教えた
三石さんは誰かわかってると思うけど
あの子なんてのはボロカスに言わないとわかんないので
そういうタイプですよね
おそらくその子は幼少期から
確か上にお姉さんたちがいたのかな
お姉さんお兄さんみたいな
それでこれはこうでしょって
しつけられて育ってきた子で
だからその理屈で説明しても伝わんないんですよね
理屈で考えろっていうことを
ちゃんとリズムで理屈で考えろって言っても
伝わんないんですよね
君さもしかしたらご両親からこうやって育てられたったら
はいそうですってかそうだよねって
僕なんか出会って1,2年ぐらいで
そんなちょろっと言ったくらいで通じねえと思って
だから40回言われた子には
41回言わなきゃいけないんですよ
もはやその子にはね
三石さんはそういうタイプじゃないから
回数の問題じゃないから
その辺は変えてた
だから吸収力のいい人なので
そこは全然違いますよね
おはようございます
今帰ってくると
その当時も言ってたと思うけど
12年越しの
当時から言ってたよ普通に
半年ぐらいだったんで
その特撮さんの部下だったのは
そうですね
半年シリーズですね
本当だ確かに
別に本人が狙ったわけじゃないけどあれ
半年続き
半年って短くないですか
でもずっと何かあればフォローしてくださるみたいな
プロデューサーが変わって
営業プロデューサーチームっていうところになり
割と営業のアシスタントとか
プロデューサー業務のアシスタントみたいな方を
メインにするようになったって感じですね
そっちがねそもそも人材以内だったんですよね
人数的にそんなにいなかったの
1人しかいなかったからその先輩
そうそうそう
2人目
社長とその人がやってるみたいな感じだった
早く成長させなきゃいけないし
早く戦力を持ちっていう会社のね
都合もあったんだと思いますけどね
なるほど
まあでもそのコミュニケーション能力を生かして
そのプロデューサー営業部門に移動されたわけですけど
どうですか
だいぶ違うお仕事のような気もしますが
そうですね
どちらかというとそこから4年ぐらい
その会社で働いてる
そのプロデューサーとしてっていう方が
長くて
でもめちゃくちゃ苦戦しましたね
コミュニケーション能力はあるし
その何とかする力は
特に例えばもういきなりなんか
もうはい移動して
なんか数ヶ月2、3ヶ月ぐらいで
まだなんかそんなにこう
全体にこう会社の営業とかプロデューサー業の
なんか全体像もあまりよく分かってない中で
いきなり新規のミーティング
新規の問い合わせのミーティングを
なんか先輩と一緒に行く予定だったのか
なんか先輩が飛んで
飛んでっていうか
連絡したの
ちょっと今日俺行けないからってなって
一人で行ってきてみたいな感じになって
大丈夫かなって思ったんですけど
そういうのは結構大丈夫なんですよ
なんか何とか変な感じにならずに
なんかプロっぽくやることは可能なんですよ
みんななんかちゃんと提案業務みたいに
本当にいわゆる相手のビジネスを理解して
いろいろ市場とか競合とか
ざっくりでも調査して
それに対して仮説を立てて
課題を見つけて解決策を出してみたら
いわゆる提案のフォーマットみたいなのが
なかなかできるようにならなかった
その苦しさはめっちゃありましたね
なんかできそうじゃないですか
今までの話聞いてたら
苦しんでたね
そうなんでできないのって感じですから
それってなんかそのいわゆるその先頭だから
やっぱりこう責任的なものもあるじゃないですか
本当にこれを僕が決めたら
これ決まっちゃうんだみたいな
なんかそのなんていうのかな
そのお客さんがそれを採用するか
しないかはあると思うんですけど
なんか壮大なことを考えなきゃいけないのかなとか
なんでしょうね今振り返ると
でもとにかくもう字ができてないというか
そういういわゆるなんかいわゆる問題解決の
目的達成のための一般的なプロプロジェクトというか
そういうのが身についてなさすぎたなっていう
本当に何かいくら聞いて理屈では分かってても
全然できないみたいな感じだったんですよ
それはちゃんとした挫折って感じでした
全然なんかなんでできないんだろう
自分でもみんなも不思議がってました
なんかできそうでなんでなんだろうみたいな
提案業務での苦悩
本当になんかこういうことを
普通にセキュララに別になんでこんなに
私はできないようにならないんですよみたいな
確かにねそっかそっか苦しいですよね
それでも迫ってはいるし
技術は進めるわけですし
結果なんかなんとかできるようになったっていう感じでしたね
でも当時その時の会社の九大展
行くか行かないかみたいな
もうほんとなんかギリギリラインみたいな感じでした
そういう時はありますもんね
最初は必ず仕事でもあるから
つまずきましたね
あのですね芸人という職業がだいぶ違うからだと思うんですけど
いわゆるウェブ政策の戦略立案とか
提案書というのはコミュニケーション能力と一緒なんだけど
相手が言われたことに対して
こう答えるという即興のものではなくて
本質的な思考力というか
思考の基礎がないとできないんですよね
そこを鍛えられてないので
だから難しいんだと思います
仮説を立ててその前に課題を見つけるとか
そういうところはなかなか繰り返さないと難しい
本当に難しいんだなって思いました
正直に言うと
宮下さんの上司にそれを教える能力はないので
なんてかね超適当な天才肌のやつなんで
まあ確かに上司もなんか結構感覚でやってる感じ
感覚の割にはねまあまあロジカルなんですよ
アウトプットはロジカルじゃないですか
でもそのロジカルをどうやってやるかみたいなのは
なんか何回聞いてもわからなかった
あれはねノラにいた感覚的な天才を
その社長が仕掛け上げたみたいなタイプなんで
本当はロジカルじゃないんですよ
あいつ全然あいつ全くロジカルじゃないんですよ
根はそういう人じゃないですよ
それをパーリーピーポーみたいなやつ捕まえてきて
ノラのね教育されてない
そのネズミのウィッキーを捕まえてきて
お前こら夢の狂いでお前切るんだみたいな感じで
その社長が月っ切りで教えたからできてるんだって
で当時三浦さんにそこまで月っ切りじゃなかったのでね
なかなか難しいとは
あのその天才派だわ
だってその飛んだって言いましたけど飛んだんじゃなくて
日常的になんか夕方5時に出社するようなやつだったんで
なんだそれはっていう
むちゃくちゃな人でしたね
やる気あるのかお前っていう
社長もそれもう半分公認みたいな感じで
一緒になってもう深夜まで仕事したり
仕事したら遊んだりしちゃってる人だった
悪いことばっかりではないけど
そういう人だったので
そういうつまずきがありましたね
チームワークの重要性
でも実際なんか楽しそうだなと思って入られたお仕事ですけどね
やっぱりそういう苦しい時期を経て
だから僕はもうそっからそっからというかその回その会社で
もうちょっと1回休職もしましたし
休職は結果しなかったのかしてないんじゃない
休職はしてないですね
次の会社で休職はそうそう
でもちょっともメンタルやられちゃって
2、3週間が休んで
その時はもう僕はいなかったはず
あそうかそうかもしれない
日立医科に住んだ頃
多分僕もいなかったんじゃないかな
そっから復活しなかった
そっから僕たち通院し始めて
いまだに薬飲んでまた
ていうぐらいちょっとやられましたね
あれはねちょっとね
そのプロデューサーチームに行ってしまったから
僕の配下じゃなくなったので
まあなかなか手も出しづらいっていうのも
お友達的には酒飲んだりね
こうだねって話をしてたけど
別にあのディレクションとして教えられるけど
別に直属の上司じゃないので
その辺はもがいてましたね
だからね
ただもがく中で転職活動みたいな感じ
なるほど
結局客先にいきなり一発目に行く時って
まあ社長は出てくる時もあるが
そうじゃないほどの規模の時には
そのプロデューサーが基本的に出ていくんですけど
プロデューサーとウェブディレクターが
だいたい2人でセットで行くわけですよ
まあ営業畑の人と
製作畑の人が2人で
よくあるパターンですね
宮下さんの上司が行く時には
適当な転職者が行く時には
そっちが捌けるから
一緒に行くウェブディレクターは
ちょっと格が下がるんですよ
逆の場合に宮下さんが行く場合には
全部が全部がそうじゃないけど
まあちょっと重要な案件だと僕が出てくるんですよ
そうですねそういうこともありましたね
そのウェブディレクターが
まあなんとかしてりゃ
プロデューサーが一般レベルでも
なんとかなるやろがいという
コンビが多かったので
まあなかなかそういうタイミングは多かったですね
そうすると会議に行けば
どっちかというと僕が引っ張るような感じになるので
そういう意味でもコンビまでは行かないけど
よく一緒に出かけることは多かったんですよね
そうですね確かに
それでねもっと大きな案件が問い合わせてくると
でも社長が行くことじゃないときには
そのプロデューサーのトップと
ディレクターのトップの僕が行くわけですよ
そうするとね
あのなんか山本たけしみたいなって
そのまああいつがいるから大丈夫だろうと
お互いを持って手を抜くんですよ両方ね
あれ?
そうそうそう
まああいつがいるからなんとかなるだろうみたいな
お互い信頼しきって
お互い油断して
お互い油断していくんですよ
とかそれに一緒についてきた女の子が
その外出する3人で行くクライアントの
最寄り駅のビルの前に着くまで
案件と全然関係ない
下ネタばっか言ってるから
もうやめてもらいますかって言って
下ネタとかゲームの話とかね
あれどうとか
本当にそういう人ですね
トップ君がさあれやってんの?みたいな
あれはさみたいな
いうことをずっとね東京メトロ乗りながら
そのアシスタントの女の子に嫌がられましたね
懐かしいですね
お二人と行くと緊張感がなくなるので嫌です
今から一部上々な企業に行くのに
なんでそんなにダラダラしてるんですかみたいな
そういう仲
それ楽しい会社でしたね
僕は割と良いコンビだったので
なるほどね
ご一緒されてた時期があったわけでね
でもそういう意味では
まあ僕は優秀だったと思っているので
一番分かりやすいエピソードだと
特にもう一人のミスターさんよりもっと前に入って
むしろ僕が一番教えてた子で
もう一人前のウェブディレクターになったんですけど
その子に一回説教というか
注意したことがあるんですよね
特に僕とミーティングに行くと逆に怠けるんですよ
同性特撮さんが何とかするからいいやみたいな
僕もクライアントに喋るじゃないですか
クライアントもなるほどって言ってくれる時に
その三矢さんの話を出して
いいって三矢さんはね僕が喋ってる時も
ものすごく良いタイプで
なるほどって言うんだよって
君一言も言わないで黙ってるでしょって
ダメだよそれって
それはねすごい最初から褒められた
意外と重要だからね横で
みたいな運にもパターンがあるからねって
やっぱそこ漫才やってたんでね
結構絶妙なんですよ
喋ってるこっちが気持ちよくなるような
いいですねそういうところがやっぱり
三矢さんの得意なとこですね
ベストはもちろん会話に入ってきて
自分はこう思っていた方がいいんですけど
キャリアが短いとなかなか言えないので
だけどねいるだけじゃ会議に出る意味ないので
じゃああなた出なくていいじゃんってなるので
自分は何のためにその会議に行って
何で貢献するのかということを考えていれば
出るよねっていう
運の一つでも出るよねっていう話をしてましたね
確かにそれもなかったら本当に
そうそう横に本当にいるだけの
クライアントにも軽視されるんでね
この人はもうただのお付きの人なんだっていう
喋りすらしないっていうね
そうですねそこまで最初考えてたわけじゃなかったですけど
でもまあなんかその笑いごと芸人特有の
やっぱいる意味出さなきゃみたいな
感覚は多分あったと思うんです
そうか空気になっちゃうもんね
目立たなきゃみたいな
何ならやっぱり何か一言でも喋んなきゃ
みたいな感覚はありました
それは私もありますね
何か言わなきゃみたいな
何かぶっこんじゃいかない
分かんないながらに何か
質問したりとか
それが絶妙だったなと
その当時も確か話しましたけどね
そうですね
すごいいいですね
確かにあんまりコンビで行ったことはないかな
私あんまりないな
一人で行かされる
そうずっと一人で最初から行ってこいみたいな感じで
ハードだったんですけどね
なんか好きだったんで
あんまり意外とね
ある程度キャリア立っちゃうと
一人の方が楽なんですよね
分かるそれもありますよね
未だに今も思いますよ確かに
社内の人間に対しての方が緊張するというか
特に僕は社長とかと一緒に行くってなると
別に査定されてる感とまでは言わないですね
やっぱお客さんより社長にどう思われるか
みたいな方が気になっちゃうというか
確かに確かに
そうそうそう
面倒くせえなっていう
僕でも最終末期はもう社長どうまくってやるか
ぐらいのこと思ってたからね
どうだ俺らのがプレゼン名だろぐらいのこと
戦ってる
ありましたね私なんか製作会社さんのその業務委託で
ディレクターで入った時に
その向こうの製作会社の担当さんと一応
社長と私と3人で打ち合わせ行ったんですけど
結局私が一番ずっと喋って
私だけが喋っちゃって
その担当さんが喋れなかったんですよ
そしたらちょっと反省会するから
ちょっと行き先に行こうかって言って連れかけて
めちゃくちゃ叱られてましたけど
担当さん社長に
そんな彼も専門やってますよね今
本当に未だにその話するんですよ
あの時ひどかったよね
と言ってる社長ともう十何年も間に合わなかったんですけど
本当に何にも喋らない
何も喋らないから困っちゃって
でもそういう時も一緒にやってるんだ感出さなきゃいけないですよね
自分がちゃんと
彼はこういう担当ですとかね
あーそうですね
ちゃんとパスしてあげなきゃいけなかったなってちょっと反省して
マネージャーになるとそういう発想になりますね
この人に鼻をもたつないとずっと僕がやることになるぞみたいな
そして突然俺明日行かねえって言われてどんびきされるんですけど
は?みたいな
行くんじゃなかったのみたいな
いやいいよ行かない大丈夫大丈夫って言って
なんとかなるよって言われた
なんとかなるよってよく言われます
僕がいると怠けるのでその後輩たちが
怠けるというか最後特撮さんがなんとかするだろうと思ってるから
そりゃあかんよって言う
確かに
起きませんよっていうそんなのあって
時にはね突き放していてこいってしないとね
そうですね
その感じで宮下さんがね
製作会社入っていろいろご苦労されたりもしておりましたが
2社目はどうやって選んだの?そう言われてみたら製作会社
2社目はねぶっちゃけエージェントに進められるままって感じでした
そこはもう本当にリアルに練習を上げたかった
それも製作会社なんですか?
製作会社ではなかったんですけど
製作部門みたいなところに
コミュニケーションの進化
新しく製作部門を作るっていうちょっとデッカめの人材会社の
あそこ名前変わったね
変わりましたね
ちょいちょい変わってくるんだけど
なんか見たことある名前だなと思って
何社か受けて
そこは本当に結構大手をいっぱい受けました
全職活動とか
練習を上げたかった
大手って規模が違うよね
その製作会社としての大手じゃないから
そうですね本当にエージェンシー的なところ
あのグループはもうね
日本全国で知ってる人が多いグループだから
それはまぁ練習上がるし
友達の紹介とかで受けたりね
いろいろやりましたね
でもまぁやっぱ
なかなかそういう超大手事業会社とかも受けましたけど
やっぱちょっと事業会社への憧れもあったので
受からずいいとこまで行くんだけど
受からずみたいな感じでしたね
今思うとちょっとそれは無理だよなって感じですね
なるほど
でもウェブ業界自体は9年間になるんですよね
その2社目を働かれてる時に副業で
今の副業さんをたどり着きました
今に繋がる
今に繋がる
2社目もだから4年ぐらい働いたんですけど
2社目でかなり
別にすごいしんどい仕事会社ではなかったんですけど
なんかやっぱちょっとその前職からの
そのメンタルやられを引きずってたんですよね
ある時もほんとちょうどコロナになって
なんだろうもう結構すぐもう完全在宅になったんですよ
別にそれがきっかけっていう
何か大きなきっかけがあったわけでもないんですけど
ずっとしんどい時期が続いて
ある日突然パソコン開けなくなっちゃって
やばいもう全然できないってなっちゃって
もう急遽ジャスとかも入ってたんですけど
急遽上司にだけちょっと連絡して
ちょっと動けなくなりましたすいませんつって
そこから2ヶ月ぐらい給食しましたね
それがもういわゆるちゃんと病院に行って
まあ病名打つ病ってつけてもいいけど
そのどうするみたいな感じでした
会社が打つ病って言わなきゃ
あの給食できないようなところで打つ病って書くし
そうじゃなかったらまあいわゆる適応障害みたいな感じで書くよ
みたいなそういうレベルなんかそこまで
体に症状がめちゃくちゃ出ちゃうとか
本当に死にたくなるみたいな
そこまでではなかったものの
もう仕事は全くできなくなっちゃった
初期の初期の初期症状みたいなもんだもんね
そう2ヶ月ぐらい休んで
でもうその間に妻とかとその間にだから
その間ちょっと前に第2子が誕生したりして
家も買っちゃったりして妻は専業主婦なんで
ちょっとやばいよねみたいな話し合いもし
まあでもまあ妻は結構ポジティブな人間なんで
まあとりあえず休む
そんなこと言ったってしょうがないから休むだけ休もう
素敵とはいえ頑張って
まあとりあえず2ヶ月ぐらいで何とか復職して
まあでもちょっと仕事量というか抑えさせてもらって
そういうことその2ヶ月休んでたり
そもそもこれちょっと私はこれ一生仕事
この仕事できないなってちょっと思ったんですよね
こんな風になってたら絶対いつかもっと
そうね
もう向いてないもうはっきり言うと向いてないんじゃないか
まあその仕事できるできないというよりかは
なんかとにかくこのままの働き方じゃ無理みたいな
でまあその時にはやっぱりどうしてもお金のことが
やっぱりつきまとうので
一旦復職して何かで数々コロナで結構時間はできた
タイミングで復業しようって思ったんですよね
とにかくなんか別の手段でキャッシュを得る
力を得とこうみたいな
でなんかいろいろやり始める
やり始めるというか模索し始めるんですよ
いわゆるアフィレートみたいなのとかやろうかなとか
なんかウェブライティングみたいなのやってみようかなみたいな
いろいろやってみようの中の一つに
その妻の作品を売ってみようがあったって感じですね
はいということで宮下さんゲスト回
2社目の転職から体を少し壊されて
ここから復業を始めようというところまでたどり着きました
副業の模索
第3回目は無垢党が始まるきっかけお話いただきますので
ぜひお楽しみに聞いていただければなと思います
ではまた来週
このポッドキャストのBGMはカイムミュージックのサウンドを利用しています
はいということで宮下さんゲスト回第2回ということで
2社目に制作会社のディレクターとして転職をされた後に
体を壊してしまってその後どうしようということで
復業をいよいよ始めるというところまでたどり着きました
ということで第3回目は復業無垢党が始まるところをお聞きいただくことになります
ぜひお楽しみに
45:03

コメント

スクロール