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ひふみんの訃報から考えた、信仰心について
2026-01-26 10:59

ひふみんの訃報から考えた、信仰心について

加藤一二三さんの訃報を受けて、カトリック教徒だったことを初めて知りました。

エニアグラムのことと絡めて、信仰について考えてみたので残しておきます。

#エニアグラム
#自己理解
#他者理解

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00:07
こんにちは、エニアグラムという人間学についてお話をしています、あきなです。 今日は先日、将棋の騎士であった、ひふみんこと加藤ひふみさんが亡くなったのですが、そのことで、ちょっと信仰心について考えることがあったので、お話ししてみたいと思います。
加藤ひふみさんは、史上最年少の14歳7ヶ月で騎士になり、その記録は藤井聡太さんが14歳2ヶ月で騎士となるまで、62年間破られなかったそうです。 また、2017年に引退されたのですが、それも現役最高齢ということで、天才騎士として活躍されました。
引退後に私たちは、バラエティなどでもお姿をよく拝見するようになりましたね。 ひふみんの愛称で、とってもチャーミングなキャラクターでしたよね。
そんなひふみんの不法に、残念な気持ちで一杯立ったのですが、私は不法の後に、ひふみんがキリスト教、カトリック信者だったということを知りました。
というのも、SNS上に、羽生義晴さんや藤井聡太さんからのコメントについて触れているものを見つけたのです。
こんなふうにコメントをされていました。 まず羽生さんは、加藤ひふみ先生の語気転の方に接し、中略します。
どうぞ安らかに憩われますよう、心よりお祈り申し上げます。 語気転というのは、まさに天に帰るという字を書きますね。
次、藤井聡太さんなんですが、安らかに天に召されたことと思います。中略します。心より平安をお祈りしております。
といったような、よくある不法に対するコメントではありませんでした。
ひふみさんがキリスト教徒であることへの深い敬意を表したものになっていました。
キリスト教では、お悔やみという言葉は使わないんですね。
でも、普段の生活で私たちって、あまり人の信仰について知らなかったりするので、すぐね、不法を聞くと、ご冥福をお祈りします、お悔やみ申し上げますと言ってしまいがちかと思います。
将棋の世界では、皆さんがご存知のことだったとは思うのですが、日本人は宗教や信仰についてあまり話さないし、タブーな話題のように思われていることも多いと思います。
でも、こうして信仰に対しての敬意を表現されているのを見て、将棋の方たちの人間としての素晴らしさを思ったんですよね。
ここからは私の話なんですけれども、私は特別な宗教はありません。
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私は今、エニアグラムを伝えるにあたって、エニアグラムは宗教ではないですよっていうのを、そういう言い方をしてしまうんですが、やはりそこにちょっと違和感はあるんですよ、実は。
もちろんエニアグラムは現在、特定の宗教の結びつきはありません。
その上で宗教ではないと、私自身認識しています。
そしてエニアグラムという名前から、宗教かもしれないって、なんか思われがちっていうところもあって、そこで入り口を狭めたくないっていう気持ちもあり、宗教ではありませんっていうことは、これからも言っていくとは思うんです。
ただ、エニアグラムの本来の出自をたどるのであれば、1900年代初めにエニアグラム図、見たことありますかね。
丸の外側に1から9の数字が振ってあって、線と線で結びついている、そういった図がシンボルとしてあるんですけれども、そちらのエニアグラム図を発見したグルジェフという方がいるんですね。
その方の肩書きというか、その方はどういう人かっていうと、神秘思想家っていう感じで出てくるんです。
心理の探求を目指し旅をしているうちに、修道院でこの図を見つけたと言われています。
そしてこの図自体はどこの誰が作ったのかも明確にはなっていないようなんですね。
明確なことはなので言えないんですけれども、やはり何らかの神のような存在ですとか、あるいは宗教性、信仰心っていうのが最初の段階にはあったのではないかと予想ができます。
後に精神医学、心理学の専門家の手によって、正確な類型としてのエニアグラムの体型が構築されていったのですが、
その大元にある宗教性っていうものを考えると、宗教じゃないですっていう言葉に自分で多少なりとも違和感は感じるところがあるんですね。
私の師匠が前におっしゃっていたんですが、特定の宗教との結びつきは否定していても、人間の宗教性というものは尊重しているのがエニアグラムだって確かそのようなニュアンスのことをおっしゃっていました。
私たちは特別な信仰心を持っているとは思わずに生きている人が大半かもしれませんが、それでも子供の時には神様に心の中で切実なお願いをしたり、大人になってもピンチの時に神にすがる思いが自然と出てくるのではないかなって思います。
私なんかはまさに日本人らしいかもしれないんですけれども、幼稚園が仏教の幼稚園に通っていまして、その時幼稚園に神蘭ってひらがなで書いた、浄土神宗の神蘭聖人の像があったんです。
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それで神蘭っていう人が神様なんだって思っていて、幼稚園の時は神蘭を神様だってなんか思っていましたね。
その後は小学校、公立小学校だったんですけど、中学からまた今度はキリスト教の私立の中学高校に通っていました。
こういうのはとても日本人にはよくあることかなと思うんですけれども、その都度もちろん宗教教育みたいなものもそこではありましたし、
比較的宗教とか信仰っていうものに関しては、教育というか接する機会が私は割とあったかなとは思います。
ただそれでどこか特定の宗教にっていうことはなくて、家は普通に仏式の浄土神宗のお寺にお世話にはなっていますけれども、そんな感じです。
ちょっと話が逸れました。だけど誰でも子供の時には神様っていう存在が結構近くにあって、大人になっても何かに縋りたいっていう時、
そういう信仰のような気持ちっていうのは自然と出てくるものではないかなって思うんですね。
宗教っていう言葉に何となくアレルギーを持ってしまう人が多いのは、宗教それ自体ではなくて、組織としてですね。
どうしても宗教って昔、人を束ねる力、人を統率する力を持っていたこととかもあって、今でも組織的な問題っていうのをはらむ信仰宗教などもあるので、
組織としての不健全な形っていうのをよく耳にしたりっていうことがあって、そういったマイナスな印象を持つっていう人も多いっていうのはそういうところからかなと思います。
そこをやっぱり区別して考えなくてはいけないと思っています。
健全な信仰心のもとに生きている人がいるってことを忘れてはいけないのだなっていうのを今回なんか思ったんですね。
とはいえ今の現状から考えると、今のこの日本人が、多くの日本人が持っている宗教観というものの土台の中で活動していく中で、
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私はやっぱりエニアグラムって宗教ではないですよっていうのを言っていくことにはなるとは思うんですけれども、
でも本当はそのあたりのことについても、宗教と宗教性というか信仰とか出自のところですよね、エニアグラムっていうものに関しての、
そのあたりについてもちゃんとお伝えができるような講師になったらいいなと思っています。
今はまだその時期ではないかなというような、なんかちょっとその自分の中でそのあたりを考える機会になったので、今回はちょっとその話をしてみました。
最後にですね、現在エニアグラムカードのセッション、モニター様と何名かお話をさせていただいています。
本当にとてもいい献金を積ませていただいていますので、エニアグラムっていう言葉をね、本当に言葉は聞いたことあります。
初めて聞くぐらいですっていう方も来ていただけて、本当によくわからないけれど、お時間をいただけるっていうことに感謝しています。
現在はちょっといったんモニターさんは締め切らせていただいているんですけれども、また何らかのセッション、セミナー等、あるいはもしかしたらモニターさんもまた募集することがあるかもしれないんですけれども、
またそういう時にはお声掛けさせていただきたいと思っています。
それでは今日はこのあたりで。失礼します。
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