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第41回、高校国語について話すラジオの時間となりました。
この番組では、高校の国語科教員であるなんばが、
普段の授業の話や、研究の話などをして、
国語科の先生のみならず、いろんな先生に授業や教育について
考えてもらうことを目的としたラジオです。
みなさん、こんにちは。パートナリティを進めます。
なんばむっとです。よろしくお願いします。
前回のところでは、第40回で
間の一枚ラボの紹介をさせていただきました。
今回、第41回では、評価について話していこうと思います。
いろいろ、形成的な評価だとか、総括的な評価だとか、
いろんな評価の話がキーワードとともにあると思うんですけれども、
今回はその根本というか、その評価観、
授業者の評価観ということについてお話をしていこうと思います。
いつもながら車の中で撮影をしていて、
今は子供も後ろに乗っているんですけれども、
途中で子供の声が入ったらすいません。よろしくお願いします。
ではでは、評価観なんですけど、
前回行った間の一枚ラボ、勉強会だけではなくて、
今、ブレストの会というのも、まだ2回ぐらいしかしていないんですけれども、実施しています。
校内のSNSじゃないけどに、今からブレストやります。
暇な人来てください。というふうにして、
集まってみようというので、今2回ぐらいやって、
両方3人ずつで、まだまだ少なくやっているんですけれども、
初任の先生が1人、地歴公民科で参加してくれました。
その先生についていろいろ深掘っていく中で、
評価の話になったんですよ。
その時に、その先生が描いている生徒像だったり評価像だったり、
教育館にくくられると思うんですが、
というものと、僕とかが抱いていた評価観というものが、
まあ違くて、
間の一枚という大きいメモ用紙で、
プロセスを書き出させるものなんですけど、思考のプロセス。
それをやろうと思わない理由とか、
それに対して魅力的に映らない理由というのも、
その授業者、初任者の評価観にすごくよるんだな、
ということがわかったので、
ちょっと僕も衝撃だったので、
皆さんにも報告したいなと思って、今回撮影をしています。
でね、この僕とかは、
あーごめんなさい。
例えば、皆さんにもあるあるかなと思うんですけど、
提出物が出されなかった。
何か授業内に論述なり何かの課題を出して、
提出物が出てこなかったとするじゃないですか。
で、その時に皆さんどう考えるのかなんですけど、
僕とかは、例えば提出物が出てこなかった。
もう少しでできるんだけど終わらなかったパターンだとか、
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そもそもやってないパターンとか、
やってみたけど途中で投げ出しちゃったパターンとか、
そもそも他の授業の課題が多くて、
手につかなかっただとか、
やろうと思ってた日に急に何か頼まれてできなかった。
やろうと思ってた日の前日に彼女に振られて気分が乗らなかったみたいな、
めちゃくちゃいろんな背景があるかなと思って、
それが良いとか悪いとかではなくて、
その生徒のエピソードをすごく気にするんですね。
だけど、出しなさいよっていう風にするんですけど、
多様な提出物が出てこなかったという現象に対して、
いろんなアプローチがあるというか、いろんな背景があるだろうという風に、
生徒理解の方に進むのがどうやら僕みたいなんです。
だからその生徒がどういう風にこの結論を出したのか、
同じ回答用紙には白紙しかない。
未回答という状況なんだけれども、
その考える過程とかは全然違う。
出そうで出ないっていうことなのかもしれないし、
そもそも考えることを放棄したのかもしれないし、
ということが多様に分かるのがいいなという風に思ってます。
だからその間の一枚で思考のプロセスを書き出させる、
それを見るということにすごく魅力を感じていて、
その方向性が観点別の評価の主体性とかとすごくマッチをしているというのが、
僕の教育観なり授業者観、評価観なんですね。
で、ただ初任者の話を聞くと、
どうやらその…あれではなくて、
例えば論述で事前にこういう論述を出します、
ということを銘打って授業をしていくと。
で、初任者にとっては、
まず論述が事前に出されて、
その分からない単語とかがあったら、
当たり前に調べてくるだろうし、
それは課されているものだから、
当たり前に課されているだろうし、
やらなきゃいけないものだろうし、
何が何でもやってくるのが当然のことであろうと。
だからそもそもやっていない生徒なんか存在しないし、
調べない生徒っていうのも存在しない。
そういう生徒ならこれはやらなきゃいけないものだから。
っていうかそういう人だと、
なんか局界して育ってしまうかもしれないので、
補足をしていくと、
なんか森とか木とかがいろんなレベルが、
次元があると思うんですけど、
僕とかは森があって育っていってるなーってなったときに、
一本一本、あ、ここの木なんか木立ちが悪いな、
なんでだろう、日射条件が悪いからなのかなとか、
他の木の邪魔なのかなとか、
っていう風にいろんな細かく細かく木を一本一本見ていくんですけど、
初任者とかは、その方は木を一本一本とかではなくて、
もう森全体を見ていく。
木が育ってないとかじゃない。
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もう森が全体として育ってるかどうか。
やらなきゃいけないことが育っていなきゃいけない、
っていうような結構マインドだったんですね。
その人の話を聞いていくと、
やっぱりその方はずっと課されたものって、
小学校とか幼少期から暗記が得意っていう風に言われていて、
それがスムーズに、いわゆる新学校でどんどんどんどん上がっていった。
勉強とかはやるべきものでやっていて、
当たり前っていう環境で育ってきた。
っていうような感じだから、周りもそういうような背景だったし、
だからその話を聞いていくと、
提出物を1割とか2割しかやってない学習者なんか、
その初任者の中には存在がしないっていう。
認識されてない。
提出物は丸三角×とかってどうしてるの?って話をしたら、
例えば100%やってるのは丸。
90%は三角。
80%は×。
それ以下は存在しない。
っていう衝撃的な評価感でした。
もちろん教育学的な知見というよりも、
どっちかというと地域で歴史学的な知見をやっていて、
好きなものを伝えたいっていうようなところだったので、
そういうこともありながら、
授業で苦しいことある?っていう話をしても、
別に特にありませんみたいな。
けど授業的にはなかなか課題感があるように見えてしまうんですが、
そんなような形でした。
だからなんで思考のプロセスとか気にならないの?みたいな話をしたら、
いや、もう思考してるのは当たり前なんですと。
むしろ、ある程度の最低限が確保された状態で、
最後のところを見とればいいと思ってるから、
そもそもそのプロセスではなくて、
最後の論述の成果だったりとか、
そういうところを見ればいい。
あとは最後の振り返りがちゃんとかけてればいい。
っていうようなところの価値観でした。
これなかなか今までないというか、
例えば、給食の時に、
よく小学校とかで、
たまに時間をとって全部食べさせる担任が、
ちょっと前に話題になっていたかな、
結構前か、話題になっていたかなと思うんですけど、
僕とかは、なんでそんなことが起きるの?みたいな。
食べられないんだったら、
アプローチを変えるなり、
本人の話を聞くなりとかって思うんだけど、
その初日の話を聞くと、
やっぱり時間が取れれば食べられるでしょ、みたいな。
っていう、食べなきゃいけないものから食べるよね、みたいな、
そういう発想の人とかだと、
給食指導の時とかも、
やっぱり全部食べなさい、みたいな感じに、
ちょっと論理飛躍しちゃってるんですけど、
そういうとこにもつながっていくのかなと思いました。
それが、僕の中ではすごく衝撃的で、
え?って、そんなことあるんだっていうこともそうだし、
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やらなきゃいけないことはやらなきゃいけない、
それは当たり前の話で、
もちろんやるべきだと思うんですけど、
でも、そういう発想だと、
プロセスを見ましょうとか、
観点別で学びの調整をしましょう、みたいなところは、
全く本人、授業者の中では、
価値があるものだと見出されず、
結局は成果物で見ていいよね、
っていう発想にもつながるな、っていう。
だからベテランの方がね、
ベテランの方って括り方もおかしいな、
思考のプロセスとか、
学びの途中っていうものをチェックというか、
あまり関心がない方にとっては、
やるべきことはやらなきゃいけないし、
その上のものを見ればいい、
っていうマインドなのかな、
っていうことを、
すごくブレスの回で感じました。
僕とかはね、
この時代の流れでもあって、
そのプロセスとかは気になってしまって、
見ていくんですけど、
大事なのは、
その人の、
なんていうかな、
事業者観、評価観、教育観を修正しよう、
ってなかなか難しいし、
傲慢だとも思うんですが、
そういう人が同じ職場内にいる、
その環境で自分はどういう風に働いていくか、
授業をしていくか、
っていうことかなと思います。
パパですね、一応パパです。
ありがとうございます。
うちの子が参加してくれました。
ということで、
皆さんもね、
多分、
割と勉強なさる方が僕の周りには多いので、
そういうプロセスとかを見とった方がいいよね、
っていうところのことも受けているけれども、
そういう風にやらなきゃいけないことをやった上、
やらないなんてありえないっていうような方もいて、
その中でうまく攻め合って、
妥協点を見出している方もいれば、
それ何でおかしいのっていう風に、
今のものとそれが合わないとして、
拒絶していく方もいるだろうし、
いろいろな方がいると思うんですけど、
僕の中ではすごい衝撃だったので、
皆さんにも共有していこうと思いました。
ということで、
長くなってしまいましたが、
リスナーの皆様、
改め、
マナーの皆様、
いつもいつもありがとうございました。
今回の衝撃を誰かに伝えたかったので、
録音させていただきました。
では、またの機会をお楽しみに。
じゃねー。