1. 高校国語について話すラジオ
  2. 89.教員の負担とは
2025-10-03 10:45

89.教員の負担とは

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志望理由書や小論文といった推薦型入試の時期ですね。

そんな時に添削がありますが、さて、それを負担と思う人がいるわけで、、、

サマリー

このエピソードでは、高校教員の負担や授業における課題、特に国語の添削作業について議論されています。進学指導の必要性や、教員同士の助け合いの重要性が強調され、職場環境の改善についても考察されています。

教員の負担を考える
第何回か教えてしまいました、高校国語について話すラジオの時間となりました。
この番組では、高校の高校科教員であるなんばが、普段の授業の話や研究の話などをして、
高校科の先生のみならず、いろんな先生に授業や教育について考えてもらうことを目的としたラジオです。
みなさん、こんにちは。パーソナリティを進めます。なんばむっとです。よろしくお願いします。
教員の負担ってなんだろうって、最近ちょっと考えていて、
今、笠原先生も大学入試のいろんな制度の話を詳細にしてくれていて、
本校でも、今、総合型とか、公募制とか、続々と大学入試の推薦型の対策が始まってきました。
もう既に進んでいるところもあるんですけど、いよいよ本格的にという感じです。
同時タイミングで、国公立とかの二次試験の対策とかも、すぐに取り掛かるわけではないけれども、
事前の調査でどんなことが必要ですか、個別で対策が必要ですか、
特に小論文とか英語のエッセイだとか、そういったところが話題に上がって、
生徒の方に調査をしているところなんですけど、学年段の構成にもよるんですけど、
例えば国語科がいないと、結構文章添削という意味では課題感が残るかなと思うんですね。
他の学校はどうやっているかわからないんですけど、
現任校だと、そういうような推薦の一覧とかを作って、生徒が希望している一覧を作って、
これは国語にお願いしようとか、これは他人でやろうとか、
そんなような仕分けをしながら埋めていくタイルなんですね。
とはいえですよ、志望流書とかのノウハウが、自分はずっと進路、ここ6年ぐらいやっているので、
なんとなくですけど、自分も少し知識を入れたのもあって、それなりにわかっているつもりなんですね。
ただ、そういうことがノウハウとして共有されていないと、どこまで添削をしたらいいかもわからないし、
やっぱり一日の調理ではないですけど、国語科はそういう文章添削というところは強いかなと思いますので、やりやすいと思うんです。
その学年にそういう人が一人でもいると、なんか寄りどころのように、
そういう単人レベルで指導しなきゃいけないけど、ちょっと気になるから、国語科の先生これってさ、みたいな話ができるかなと思うんですよ。
やっぱり今の現任校だと学年の色が、というか学年っていう枠組みが結構強くて、
学年外の人にももちろん助けを求めるけれども、でも頼みづらいみたいな。
学年外の人も手を出してもいいのかな、でも学年のことはしないみたいなところで、結構歩み寄りが難しいですよね。
所属意識が強い反面そういう課題もあるなと思うんですが、
それでちょっと今、単人のところでずっと持ち上がってきた国語科がいない学年が今、最高学年3年生でいて、
いろいろとこの添削のあたりはいろいろ試案をするわけです。
そんな中で添削をしていったわけなんですけど、
ある方が添削をあまりポジティブなイメージじゃなくてネガティブなイメージで捉えている方がいて、
もちろんプラスアルファの内容になってくるので、業務量的にちょっと負担だとかきついなみたいな。
そんな話をしているわけではないけれども、そんなような捉えだなということを感じるんですよね、節々。
いろいろと理由は自信がないのかなとか、そもそも忙しいのかなとか、いろいろあるので何とも言えないところはあるんですけれども、
添削作業の実態
そういう添削を僕とかは仕事だし、誰かが見なきゃいけないんだから見るしかなくないっていう、
誰かが困ったときに寄りどころとしていたいので、安うけって言い方あれですけど、割といいよみたいな、見ちゃうよみたいな感じでするんですよ。
ただ、それで難職を示す方も中にはいて、もちろんいろんな事情があるので一概にこうした方がいいとは言えないですけれども、
そういうのを聞いて、どうなんだろうなって思う人はあるんですよね。
っていうのも、もちろん添削、教員もサービス業じゃないんですが、進路指導も大事な業務の一環としてあると思うので、
その中で個別の対応が必要だろうというときには、受けてやっていくしかないんだろうなと。
それをやっぱり普段って考える人とどうやって歩み寄っていくかっていうことがすごく自分の中でも、
今2年生なので来年3年生になるんですけど、直面する課題かなと思っていて。
宇宙兄弟の話の中には、こんなエピソードがあって、
そのエピソードっていうのが、あるニュースキャスターが宇宙なんかに投資をするのであれば、
もっと地球の中で解決しなきゃいけないものがたくさんあるのに何を考えてるんだみたいな、
そんな趣旨のことを言っているコメンテーターがいて、それに対して宇宙飛行士の候補生たちが抗議文を送ろうみたいな。
そんなようなテーマなんですよ。
いろんな人たちが論理立てで説明をしている中で、
今回宇宙兄弟の主人公でナンバムーターっていう人が何も抗議文は出さないと。
そういう人たちには宇宙に連れていくしかないよみたいな話をするわけなんです。
結局自分が見ている世界が全てだから、体験したことないところには考えが馳せられない、思いが馳せられないっていうような捉えなんですけど僕は。
それが二次元ありと三次元ありみたいな説明もされていて、
平面しか歩けない二次元ありは立体的な壁とかも登れる三次元ありを信じられないし、そんなものがいるなんてことは思わない。
けど一度壁とかも登れるような立体的に動ける三次元のありになると、もうその世界が全てではないけれども広がっていくみたいな。
まさしくそうだなと思っていて、死亡流所の添削を負担に感じているときに、
やっぱり僕とかはあまり負担に感じない、むしろワクワクしちゃうんですけど、
そういうワクワクするというか、添削をして楽しいというか、そういう不安をなくせるようなことが一緒にできるといいんだろうなと思うんですね。
だからやっぱりやってっていうよりも一緒にやっていくっていう方法しか僕はあまりないんですけど、
もちろんトップダウンでやれっていうこともあるんだろうと思いますけど、
ネガティブな指導というか、死亡流とかもその人の本質に関わってくることなので、
職場環境の改善
やっぱりどうせるならポジティブな感じでやってほしいなと思うので、
来年はそういうような、何か一緒にやりましょうっていう風土をできるだけ作っていきたいなと思っています。
いろんなところでやっぱり大変だし、人の熱中力っていうところはあるので何とも言えないところもありますけど、
でも何とも言えないで会話を止めてしまったら、それぞれ独立して勝手にやってくださいとあまり変わらないかなと思うので、
できるだけ今自分のポリシーとしては、自分ができることは何かやる。
それが一緒に働けるんだったら一緒にやりたいしっていうところをすごく大切にしたいなと思っています。
最近自分も進路行事でちょっと人を集めてやったときがあったんですよ。
もちろん次の動きがあるんですけど、ある場所があって広いホールみたいな、それ準備をして、
それで僕は全体の会を終わらせて、生徒も次の会場に移っていくみたいな。
教員は正直やることがないんですけど、その時に二学年合同だったので教員自体は20人くらいいたんじゃないかなと思うんですが、
残ってくれた人が二人だけだったんですよね、片付けに。
もちろんそこの片付けは役割とかにはもう誰も振ってなかったので、自発的な行為。
で、話は僕なんですけど、同じ文章の担当者は次の準備があるのでそっちには行ってもらった、
なので実は18人くらいが会場内で動けるようにはあって、その時に最後片付けて残ってくれたのは二人だけだったみたいな。
その時にいろいろ感じるところがあって、やっぱりこれが自分の人望なんだなと。
職場での評価なんだなってことをすごく感じましたね。
自分でもいろいろやってるつもりでも、結局そういう時にちょっと手伝ってあげようかなみたいな、
そういうところまでは雰囲気として醸成できてなかった、関係性が作れてなかったんだなと思って、
自分はまだまだだなと、もっともっと垣根を越えていろんなところの仕事を手伝っていくというか、
人付き合いなのでそういったところを大切にしていかないと、なかなか職場の環境も良くなっていかないんだなってことをすごく反省しましたね。
なのでどっちかというと、ここ1ヶ月くらいは夏休みも明けて、新規一転がんばるぞというところもありました。
その中でいろいろやったんですけど、自分の中の課題としては、まだまだ自分がやってる枠組みとしてはちっちゃくて、
もっともっと大きな視点でいろいろと取り組んでいかなきゃいけないなというところで、
反省もありつつですけど、自分がやるべき方向がまた見えたので、また頑張っていきたいと思います。
ということで、リスナーの皆様、改め馬の皆様、いつもいつもありがとうございます。
皆さんも一緒に頑張りましょう。ありがとうございました。
10:45

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