千利休の影響
クリエイティブのためのクリエイティブをしちゃおう。
最近、めちゃくちゃ、千利休について調べていて、あらゆる書籍を取り寄せては、自分で読んで、自分の創作であったり、作品であったり、アウトプットであったり、思想に何かこう、いい影響を与えられるところがあるのではないかということで、最近のテーマが千利休なんですけれども、
色々こう調べていましてですね、ある種支配的な創作表現の部分であったりとか、もともとが魚屋さんというか魚丼屋だった。
堺の商人だったみたいな、いろんなところが非常にイトッポイドと相性がいいというか、非常に共感する感じがあるんですね。
まだちょっと調べ途中なので、というか掘れば掘るほどめちゃくちゃ面白いんですけれども、ちょっとその途中経過を報告というか、これ面白いなと思ったところを今日話したいと思います。
結局、例えば千利休であったりとかっていうのの世界観を一番最初に接種するの何がいいかといったら、ひらがなへうげもの、読み方ひょうげもの、歴史ギャグ漫画ですよね。
あれを見るのが非常に良い。あれ基本的にずっと千利休が出ていて、途中で千利休が歴史上切腹するじゃないですか。
切腹してからもやっぱり千利休の影響ずっと和美好き好き者の話がずっと続くので、あれって本当好きの世界の武士だったりとか、その周辺のお話っていうのを史実も交えながらギャグ的に非常に描いている名作でございますけれども、
普通のコミックスが今絶版になっているのかな。文庫版も出てるんですけれども、文庫版の方は最後まで完結してないんですよね。出てないそうです。
Kindle版で非常に安く読めるので、ぜひKindle版をウォッチという感じなんですけれども、今言ったように、小田信長、豊臣秀吉、そして切腹からの家康だと思うんですけれども、
当時結局美、美しさ、すなわちクリエイティブを表現する上で、茶道、茶の湯ですよね。茶の湯っていうのはめちゃくちゃアバンギャルドなものであったと。
千利休さんはお茶っていう口実を使って、自分の美しさ、美、和美好き、クリエイティブっていうのを表現していたんですけれども、
現在はその美、クリエイティブを表現する口実っていうのはいくらでもあると思っていて、
この口実の概念って分かってる人は分かってるんですけど、分かってない人は多分ずっと分からないものだなと思っていて、
これどういうことかというと、例えばクライアントワークで製作費をもらって何かを作る。
例えばこれはブランディングに効きますからとか、これはPRになりますからとか、見込み顧客を呼び起こす施策ですからとか、
いわゆる広告効果がありますから、地球に優しいですから、何でもかんでも理由をつけて、じゃあやったほうがいいね、じゃあ作ったほうがいいね。
美を表現する、そしてそれを社会実装まではいかないですけれども、ちゃんと理由をつけて形にして、そして見てもらうっていうのって、
結局昔の時代から口実があるんですよね。茶の与自体は、茶の与なんて本当口実の刷新の歴史といってもいいと思うんですけれども、
もともと日本の中で、あの小さな茶室、いつの時代の茶の与のことを言ってるかっていうので全く状況変わるので、
うまく糸っぽいのも説明できるかちょっと自信ないので、情報を説明したいんじゃなくて、そこからこれってこうだよね、こういうところがヒントになるよねっていうのを、
今日は糸っぽいのを話したい、そういう前提をお願いします。
ポッドキャストとかでよく歴史の解説だったりとか、こういうものだったんですよみたいなのを話すような内容が多いんですけど、
本を読んだ方が早いし、音読じゃないとわかんない、遅すぎと正直思っています。
調べ学習において本を読むのが一番早いし、それを踏まえて自分で考えることっていうことが多分本質なので、
情報が知りたかったら普通に、毎月場ですけどチャットGPTちゃんに聞いた方がいいんじゃないかと思うので、そこは期待しないでください。
そんなつまんないことは糸っぽいのはしたくないので、面白くないし。
お話戻すんですけど、結局茶の湯の中での真空状態、ある種全員の身分であったり、
いわゆる刀を刺しているのを強制的に置かせるみたいなのって多分日本史とかで習ったと思うんですよ、文化史とかで。
そういう身分の差であったりとか年齢の差みたいなものをある種なくすっていう真空にするっていうのが、
茶の湯の小さな空間にあったわけですよね。真空状態にする。
日本って、例えばヨーロッパ圏だとそれは貴族の話であったりとか、いろんなヒラルキー、いろんな権力とかあると思うんですけど、
日本の茶の湯ってめちゃくちゃ真空状態にするんですよね。
真空状態にした上で話す、いわゆる無礼講だからのめちゃくちゃ全員が儀式的に、
共犯的にやるのが茶の湯の席なわけですよ。
その真空状態の中でのコミュニケーションっていうもので、実際にある種の歴史が決まってきた、
世の中の数勢が決まってきた、勝ち負けが決まってきた、そのためのネゴシエーションみたいなものがそこでされてきた。
その真空状態にする、これもある種そういう役割を担えるんです茶の湯はっていう風にしてやってきたっていうのもあるし、
そもそも小田信長が名物、いわゆる名作品みたいなのがあるんですよ。
お茶のお茶っぱい入れるやつとか、ちっちゃいスプーンとかいろいろあるんですけど、
現代のクリエイター
それを名物だからこれっつって大量に買い集め、武士にお前マジ頑張ったから名物をあげよって言って、
お金とか土地の代わりになぜか名物を与えるっていうアプローチをした。
それによってある種このお茶の入れ、お茶入れのちっちゃい瓶みたいなのがあるんですけど、
その瓶っていうのはそういう価値がある。このチャンネルってそういう価値があるんです。
そういう風な前提ができると、お茶の瓶を作るっていうのに後日が生まれるんですよね。
これは必要なものだから。これをいいものをうちの土地で作ることができればめちゃくちゃいいことになるっていう。
だからこれって売れるから作るとかじゃなくて、いわゆる表現の上での後日っていう話なんですよね。
ミトポールは最近どんどんマーケターからどんどんアイデンティティがアーティストの方に変化してるなっていう実感があるんですけれども、
求められるから作るっていうんじゃなくて逆なんですよね。
作りたいっていうのがあって美を表現したいっていうのがあって、ただそのままだと作れないから何かの後日にカゴつけて美を表現する。
これがうまくやっていくアーティストというか歴史的にもパトロンをつけてじゃないですけど、
あとは壁画とかの後日をつけてみたいな、宗教的な後日つけてとかもいろいろあると思うんですけど、
この概念って昔の時代は本当に限られてたけど、今の時代って死ぬほど後日作ることができる、作れるんですよね。
この概念をわかんない人って多分何かものを作るっていうとそれが売れなきゃいけないし、お金にならなきゃいけないしって考えるんですよ。
例えば数年前とかにめちゃくちゃ流行ってたクリエイターとして食っていくためには云々みたいな、
みんなが血まなごなってそれを見るっていうのもいいんですけど、それは多分美を表現したいのではなくて、
クリエイティブのためのクリエイティブじゃなくて、すなわちクリエイターという特権階級みたいなものになるためにはどうすればいいか、
すなわち成り上がるためにはどうすればいいかっていう話だったんですよね。
これって非常に下等的というかヒップホップっていうかロックンロールになりたいかとか一発逆転したいかみたいなと、
実は同じなのではないかと、実は伊藤ポールはそういう言説に対してそれは辛くなるだけだろうってずっと思っていて、
あまりそういうものに加担をしないんですよ。
実はたとえその似たような業界やジャンルでそういうことが行われたとしても伊藤ポイドは固くなりそれをやらなかったんですよね。
それはそれが何かなんだろうな、人間さんたちを幸せにするとは思っていないからなんですよね。
夢を与えるかもしれないんですけれども、その先に確実に幸せが待っているかっていうと難しいし、
どちらかというとマッチポンプ的な感じになってしまう。
すなわちゴールドラッシュの時にGパンとかシャベルとか売った方がいいみたいな話でしょ。
別にそれやりたいわけではなかったので、固くなりそれをやらなかったんですけれども、
伊藤ポイドのハンケイチクリニックの人だったらよくわかってると思うんですけど、それとはまた違うんですよね。
とにかく美を表現したい、クリエイティブをやりたい。クリエイティブのためのクリエイティブだっていうのがやりたい。
それのための口実を作りたいんだっていう。
基本、伊藤ポイドが多分近々というかこれから何かやっていくものというのは全てそれになるのかなと思っていて、
どういうものが今素敵なんだろうというか、今癒してくれるんだろうというか、
何か生きていくにあたって希望を持てるのだろうっていうのを実験みたいなものをやはりしていきたいっていうふうに思っています。
そのための口実作りとかみたいなものは言ってしまえば慣れたもんというか、
それのプロではあるので、それはどんどんやっていきたいし、
その口実を作って何かをだまくらかしてるかといったらそうではなくて、口実というのはまさに茶の湯的なものであって、
全員が一応得するんだよね。全員がウィンウィンウィン三方良しな状態になる。
クリエイティブの考察
基本的に何か良し悪しみたいなものは主観的なものでしかないので、ある種儀式的なものでもあるんですよね。
口実作りというのはある種三方良し作りとも言えるんですよ。結局よかったじゃんみたいな。
例えばご飯を食べてお腹いっぱいになりました。お腹いっぱいになれてよかったですというのと、
初めて作ったものを人に食べてもらえてよかったという人と、
ここの場所でご飯みたいなのを提供しているような場所というような印象を与えることができてよかったという事業者側。
これ三方良しじゃないですか。全員それぞれ見てない部分ってあるじゃないですか。
お客さんが満腹になったかどうかっていうのは実は関係ないとか、めちゃくちゃ美味しいと感じたかどうかは別に関係ないとか、
三人それぞれ見方が違うんですよね。なのでそういうもんなんですよ。
誰かが騙されてるとかそういう話ではない。ただここの物の見方というのを分かっていないと、
まあめちゃくちゃ損をするんだろうなっていうのは思いますし、
実際それで分かっていないから茶の屋の席でセンス良い振る舞いできなくて、
全然出世できなかったみたいなのも歴史上に全然あるわけですよ。
イトプルはもうコロナ以降のXとかを見ていると、もう一度歴史を勉強した方がいいな。
それぐらい人間が退化してしまっているというよりも、
新しいゲームに対してみんなあまり習熟度が高くないという状況だと思っていて、
そうすると歴史を振り返って反面教師にしたりとか、
先輩として背中を学ばせていただいたりっていうものが、
今一番自分にとって非常に飲み込みやすいんじゃないかっていう風に考えて、
近々では千利休であったりとか茶の湯周りの文化であったりとかっていうのをディグってるっていう感じですね。
人に言われても納得いかない可能性もあるじゃないですか。
あとなんかこの人が何か得をしたいから言ってるのかなと、
この人が何かを実験したいから言ってるのかなっていう。
とにかく現代を生きる人はみんなある種下手くそなので、人生一回目なので、
なかなかちょっとすっと素直に受け取れないっていうのってどうしても無意識化ではあってしまう。
だから全然そこにいない人の方がいいんじゃないかっていうのと、
あと勝手に解釈できるので自分が。
それが正しいとか正しくないとかの話ではないんですよ。
それが自分の何か成熟であったり成長であったりとか新しい気づきであったりとかにつながるか、
何かしらの変化を生むかっていうところを非常にいとっぽど重要視していて、
こういった調べ学習をしていますと。
今言った話が前提で、これからちょっと突っ込んだ話、これからの話をしたいんですけど、
ただ一方でクリエイティブのためのクリエイティブというのが本当に全ていいかというと、
実は結構微妙で、この散歩良し後日作りっていうのをミスったりすると、
商業施設の例
原宿の原門の地下1階にこのポッドキャストでもめっちゃいいよって言った、
高円寺の小杉優さん、銭湯があるじゃないですか。
その小杉優の原宿バージョンみたいなのがあるんですよ。
明治神宮前原宿の地下鉄駅、副都心線とかいとっぽど一発で行けますけど、
そこを地上に出てすぐのところに新しい商業ビルができてるんですね。
そこの中はお店どこも直いいので、ぜひまだ行ってない人はレッツゴーという感じなんですけれども、
その地下1階の、もちろん小杉優全体もそうなんですけども、
インタビュー記事でクリエイティブのためのクリエイティブはあまりやらない方がいいっていうことを言っていて、
その理由もすごく納得がいったんですよ。
それはですね、結局お年寄りとかもめちゃくちゃ来るわけですよ。
公共施設なわけですよ銭湯っていうのは、スーパー銭湯じゃなくて銭湯なので、
東京都のその銭湯価格そのものですし、だからめっちゃ安いんですよ。
460円とかだったかな。とりあえず500円より切るんですよ。めっちゃ安いんですよ。
サウナとかは別料金とかになったりしますけど、小杉優さんはサウナないんですよ。
公共空間全員に開かれているからこそ、行けすぎているものとかをやっても、
ちょっと客を選んでしまうことになるだろうみたいな。
だからクリエイティブのためのクリエイティブはあまりやらない。
ちょっと気抜けた感じぐらいでいいみたいなことを意識してちゃんとディレクションしているというか。
若者が着いた銭湯とかって結構浴槽の壁に壁新聞みたいなのが貼ってあるんですよ。
それこそユトナミシャさんとかかな。
いろんなスタッフとかの近況とか書いてあるわけ。
アルバイトの大学生とか京都のサウナの梅湯とかに行ってみると、
いっぱい過去のバックナンバーとかがブワーって壁に貼ってあるから、
京都に住んでいる方はぜひ行ってみてほしいんですけれども。
お土産とかもおしゃれだしね。かっこいいしかわいいしね。
ああいうちょっと気の抜けたやつ。別に内容もめちゃくちゃ読まなきゃいけないものってわけでもないんですよね。
ある種どうでもいいことが書いてあるんですけど、バチバチにいけすぎてない。
全部手書きだったりするんですよ。
フチとかデザインとかもほぼされてなくてぐちゃぐちゃなんですよ。
選択の価値基準
でもなんかそれがいい。
みんなお風呂の中ですっぱだかだからっていうのもあるかもしれないですけど、
その環境で読むのはそれがいい。
いわゆる刀もすべて置いたすっぱだか状態だからこそ、
そして何もやることがないからこそ、
ぼーっと自分と関係ない他人の近況報告とか、
最近この映画が面白いですみたいな。
どうせ出たら覚えてないくせにみたいな。
そういったものを見るのがすごいいい。
もちろんそれもあるんですけど、
クリエイティブのためのクリエイティブ。
おしゃれなものを作りたいからのおしゃれっていうだけのおしゃれなものっていうのは、
あまり良くないんじゃないか。
我々の場合はっていうふうなことをインタビューでおっしゃっていたのを拝見しました。
それはそうかもみたいな思ったんですよね。
それも後日作りを丁寧にやらないとそうなってしまう何かしらの利益ではない害というか、
マイナスが生まれてしまうコストを払いっぱなしになってしまうステークホルダーがいるっていう話なんですよね。
だから全部が全部クリエイティブ市場主義というわけでは全くないんですよ。
そこはまず違う。
違うんだけれども、
後日という概念、
美を表現する後日という概念っていうものは、
多分もうちょっと我々は考えてもいいんじゃないか。
それこそ美を気軽に表現できるからこそ、
そしてその表現する後日も多種多様だからこそ、
いろんな知恵もあるし、
GPTちゃんに聞けばいろいろ言葉も教えてくれるわけですよ。
言葉っていうのは情報じゃなくて言い回しとかの話ですよ。
言語化みたいな話です。
最近の言葉で言うとね、流行りの言葉で言うと。
たくさんできるからこそですね、
何をやるかというかどうやるかというか、
なぜ自分がそれを選んだのかっていう選択は、
AIじゃなくて人間が最初に選択をすると思うんですよね。
選択が人間の仕事なので、
そこの選択の価値基準、価値判断の物差しというものは、
我々はしっかりと考えていった方がいいんじゃないかなっていうのを、
イトーポイドはこれから先の未来として、
そこちゃんと勉強していかないとまずいなっていう危機感があるので、
今勉強してるって感じです。
実際にやっぱり周りとか、自分もそうなんですけれども、
そこをわからなかった、もしくは今まで経験することができなかった、
若いうちに経験すべきだったところを今までできなかったっていう人が、
大事故を起こしてたりとか、
なんでそんなのやっちゃったんとかっていうのも、
結構散見されるようになってきて、
でもこれって本当はそんなに発生しないはずなんですよ。
世の中のスピードが速すぎて、
振り落とされる人がめちゃくちゃ事故って振り落とされてるってだけなんですよね。
でも別にいいんですよ。
振り落とされる時に大怪我してるかっていうとそんな怪我しないわけです。
静かに離れられてるだけみたいな。
でも別に離れられてもいいじゃないですか。
それも別に言っちゃいいと思うんですよ。
同じ趣味のやつでどんどん固まっていくっていう時代になってくるはずなので、
趣味が合わない者同士というのが、
つるん必要っていうのは多分ないっていう状況になってくる。
ただ一方で、こういう趣味が合う感じでやっていきたいと思うのであれば、
趣味が合う人同士でいられるような自分でやっぱりいないといけないっていう問題もあるわけですよね。
やっぱり魅力的な人の周りには魅力的な人が集まるし、
魅力的な人じゃない人の周りには魅力的じゃない人しか集まれないんですよ。
やっぱり理由はあるんですよね。
それはあれですよ。
喧嘩が始まる理由は喧嘩吹っかけられた方に原因があるとか、
利休の美意識とクリエイティブな探求
そういう変な世知辛い話じゃないですよ。
それとは全く関係がない。
もうちょっとこれはあくまでも社会問題の話じゃなくて、
好きの話、好き、好き者の話、好き、好き三昧の好き、数に奇妙な奇の話をしています。
だから千利休もいわゆるところの利休好みと言われるものであったり、
すごくソリッドなもの、用の美、いわゆる道具的機能美みたいなものがあったり、
逆に利休を更新している人もいるわけですよ、全然。
利休も尊敬しつつ全く違うかなり装飾性が神なものっていうのもやってるわけですよね。
でもマインド、美を追求するんだっていうマインドはみんな同じで、
すべて口実として同じ茶の湯を使っていたっていうことなんですよね。
ここはすごく何かヒントがある気がしていて、
どうやったら楽しく作っていけるかっていう話なんですよ。
今イトッポイドがすごく興味があるのが楽しく作っていくことっていうのが興味あるし、
逆に言うと繰り返しになっちゃうけど、人間にはあまり興味がないかもしれないって思っています。
個別の人間というのにフォーカスしていられるほど、
今時代がゆっくりではない、爆速になってしまっているっていうのと、
あと何よりも現実問題として今の瞬間のイトッポイドが、
自分のスタイルっていうのを更新しようとしているタイミングで、
結構暗中模索な感じがあるんですよ、自分の中では。
だから調べ学習がちってるんですけど、
そのタイミングはすごく非常に内面と向かい合うタイミングなので、
固有結界、心象風景を形にすべく、
外縁を手触りでやろうとしているタイミングなので、
もう少ししたら見えてくる気がするんですよね。
もう少しっていうのは本当に来月とかの話ですけど、
もうすぐじゃんって話なんですけど、
それぐらい今結構ホットに考えているというか、っていう感じですね。
なんというか、今日の話、リキューの話もそうですし、
美を表現するための口実みたいな話を、
分かる分かる、なるほどねっていうような人と、
何かものを作っていきたいと思うし、
これ結構高度な話をしているので、ある程度経験を積んだ上での、
やっと一方でも理解することができた概念なので、
なかなか同じ姿勢で話すことができる人がたくさんいるか、
全員そうかというとそうではない。
もちろんそれは自分が強いとかのボスティングではなくて、
時代的にいろんな分散化の時代もあるから楽しいんですけどね。
クリエイティブな活動への取り組み
でもそういうのしたいですね、と思っています。
もちろんやはり口実作りにフォーカスした活動っていうのも、
いわゆる遊ぶ金星さんのお小遣い稼ぎっていうのも、
引き続きやっていきたいなと思うけれども、
優先度としては、全部一緒にやるというよりは、
美を表現することと、
半径1クリックを幸せにすることと、
口実作りをうまくできるようにすることっていう、
たぶんこの3つの課題がいとぽいの目の前にあって、
それぞれをしっかりと別の自分の中の部署として、
やっていきたいなというふうに思っています。
はい、感想などがありましたら、
シャープな会話に対して是非レッツポストでお願いします。
そしてお便りもお待ちしています。
基本的に最近いとぽいが読んだ本、
2025年からはディスコードの方で、
概要欄にディスコードの招待リンクあると思うんですけど、
読んだ本っていうチャンネルがあって、
そこにバカバカ書き込んでいますね。
ポッドキャストで話すよりも、
よりその本とかの感想、
具体的な感想みたいなのをペコペコ書いています。
それをいろいろ読んだ上で抽出されるのが、
このポッドキャストっていう感じなんですよね。
ということで、ではまた次回。