Podcast、本当にビビるぐらいオタクいないんですよ。
もちろんいるかもしれないけれども、そのあんまり続いてなかったりとか、
あとは公式のいわゆる出版社さんとか声優さんとか、あとはラジオとかね、声優ラジオです。
そういうもののやつはあるんですけど、みんなオタクの話ってしないんですよね。
いやでもおかしいなと、オタクこそ早口でいっぱい喋るみたいなジャー語をよくね、描かれておりますし、
何なんだろうと思ったんですけど、ふとああそういうことかと思ったのが、
あのそういうある種インターネットに信用性の高いコンテンツ、日本のインターネットに信用性の高いネットミームであったりとか、
そのネットミームも現実の人とちょっとアニメっぽい、例えば進撃の巨人の何のせいかも得られませんでした、のネタであったりとか、
そういうミームみたいな、そういうのってXなり何なりYouTubeなりで、結構いわゆるやることいっぱいあるんですよ。
見るものもいっぱいあるし、作り手側、投稿する側も、なろうと思えば別になれる、Xで投稿すればいいから。
で、ああと思ったのが、たぶんなんですけど、ポッドキャスト、日本の、日本のですよ、日本のすごく狭い、
まあイトポルがまだ観測できてないっていうのもすごくあると思うんですけど、
たぶんアニメとか漫画とかネットミームとかに全く乗れなかった人たちっていうのが、ポッドキャストとかにいるんだろうなと思ったんですよ。
これチクチク言葉ですか?
でもこれリアルだと思っていて、で、親と思って、その仮説のもとに、ちょっと風邪ひいてる間バーって聞いたんですよ。
で、そしたら、実はそういったものに乗れない人ほど、めちゃくちゃ今の話をするし、有名人の名前とか、みんなの中で流行ってる話とかするんですよ。
流行りの話とか。
で、でも冷静に考えると、我々が小学生とか中学生とかの時に、クラスで誰かが話しているものって、そういうものだったじゃないですか。
何ですか?めちゃイケ見た?みたいな話?笑う犬見た?みたいな話ですか?
バラエティ番組の。でも確かにそっちの方が普通で、何というか、ナノハ見た?みたいな話は、クラスの中でする人って少なかったよな。
まあ冷静に考えたらそうですよね。でも今って逆転が起こっちゃってて、そのコロナでインターネットが人類にあまりにもスピーディーにインストールされたせいで、逆転現象が起こっちゃって。
そして漫画やアニメみたいなものも、おこもり授業を経て、非常にみんな見る、読むようになったじゃないですか。
ここで問題になったの、問題が起きてるだろうなと思ったのが、漫画とかアニメに乗れなかった人たちがガチで放置されている問題だと思って。
例えばイトッポイラとかは、そういうものをガッツリ摂取して育ってきたから、読み方を知ってるんですよ。漫画の読み方。
この漫画の読み方って、え、漫画は読めるだろうって皆さん思うかもしれないんですけど、例えば海外の人が日本の漫画、横書きで左から、ん?右下?ん?何?どっち?みたいな。逆ですよね。
漫画っていうのはこう、右にこうめくっていく、縦書きで書いてあるじゃないですか。これ謎なんですよね。で、コマが右上から左下にこうジグザグにこう読んでいく。
これって非常に特殊な文法で、学習しないと読めないんですよ。外国の方って日本の漫画、慣れ親しんでる方はもちろんトレーニングして、履修して読めるようになったんですけど、そうじゃない人って読めないんですよ。
そういう問題があるから、その縦型の漫画あるじゃないですか。ウェブトゥーン。これは、いわゆる日本の漫画の読み方を知らなくても読める。上から下にこうワーッて読む。
そういうことを考えられて、まあ流行らせよう流行らせようと。まあ、例えば韓国発とかで結構人気の作品ありますけれど、そういう意図があるんですね。それぐらい、見れない、読めないっていう障壁って実はあるんですよ。
で、アニメは映像作品だし、ある種その、なんだろうな、もちろんその翻訳であったりとか字幕であったりっていうような障壁はあるんですけれども、人間が何かを喋ってくれるので、
いわゆるこう、アニメは声だけが唯一生のもので、他が全部作り物じゃないですか。で、漫画は全部作り物なんですよ。いわゆる作り物っていう言い方だとちょっと乱暴かもしれないんですけど、その物理的な話ですよ。いわゆる生の現実の要素っていうのがあんまないんですよね。
で、それを読み取るって結構特殊技能で、こと日本の作品とかに関してで言うと、まあそれこそ、なんだろうな、ツンデレキャラってツンデレキャラだからこれは別に意地悪じゃないんだよみたいな、そういう前提知識とかってあるじゃないですか。
こういう、まあいわゆる、なんだろうな、悪者と良い者がいて、ヴィランとヒーローがいてみたいな、まあそういうアメコミの文脈とかってあるじゃないですか。それ知らないとわかんないじゃないですか。
で、そういったものっていろんな作品を踏まえてこうわかっていくものだと思うんですよね。まあいわゆる海外ドラマとかを見ていて、なんかすげえ長いじゃん。1話1時間ぐらいあって、で、なんか13話ぐらいあって、でそれが何シーズンもあってみたいな。
だから途中で主人公っぽい、主人公の相方っぽいポジションの人どんどん変わるし、キャラとかも死ぬよみたいな。そういうの知らなかったらさ、え、死ぬの?みたいな感じになるじゃん。
誰見ればいいの?いや別にあまりキャラにフォーカスせず、ちょっと広角で見ればいいんだよっていうのってわかるまでは結構時間かかると思うんですけど、まあその話。で、まあ今ちょっと日本と海外のその文化の違いというか、そこの障壁にフォーカスした話しちゃったんですけど、いやこれ日本人同士でも起きてて、
いやポッドキャストで喋ってる人ってアニメとか漫画乗れない人多いんですよね。いやもちろんあの実はすごい好きだよっていう方もいらっしゃると思うんですけど、ただ聞いているとめっちゃ今の話するっていう。で、ああなるほどねみたいな。だからクラスの中のセンスのいい人たちが話してますみたいな雰囲気を出していたけど、別にそうでもねえんだみたいな。ああそうみたいな。クラスの中のあの人たちね。了解みたいな。
いやそれにちょっと気づいてしまって、ふーんって思ったんですよね。これチクチク言葉かな。いやでも問題はですね、たぶん話してる人たちがじゃあ本当にそれしか話せないしそれしか興味を持てないっていうパターンではないと思うんですよ。そうじゃなくて需要に応えるとそうなるっていうことだと思っていて、で実際ニットっぽいのもそれを感じているんですよね。実際数値としてそういったような話をした方があのクリック数が多いっていうのはもうわかるんですよ。
いやそれってどうなのっていう話なんですよね。そのそもそもポッドキャスト自体がマネタイスが不可能なメディアである。でかつなんだろうな商業的にすぐ商業的な感じにならない、なれない日本では。だからこそできる面白さみたいなのがいいなと思ってしまうぐらいにはちょっとそのなんだろうなインターネット原理主義と言ってしまうとちょっと老人会っぽいんですけれども、
だからそこって豊かだなと思っているんですよ。ただ実際にそういう需要が多すぎるとコンテンツ自体がどんどんそっちに行っていくって果たしていいことなんだろうかっていうのはちょっと思うところがあるわけですね。
いわゆる自分の好きを貫き通すギャルの方がまだ面白くないって話なんです。これ性別の話じゃなくてそのギャルは精神性なので全然ギャルじゃないじゃん。ただねじゃあなんでそうなるのかって考えたときになんで有名人同士の絡みとかを注目してしまうのかって多分それが適度に自分が知らない情報かつ情報と情報がつながって線になったり実際は違う勘違いなんだけど面と考えられそうだからだと思うんですよね。
誰々さんが誰々さんが仲良さそうにしている。実際はそんな仲良くないかもしれないけどなんかちょっと妄想できるとか実はこういう話があったんじゃないかとかあこことここつながってたんだあへえそうかそういう界隈なんだとかいろいろ想像できるじゃないですか。
たださあこれってさあそこで駆動している想像力ってフィクションに対して働いている想像力と結構似てるんだよね。妄想じゃんそれっていう線と線があってそれを線に妄想したり面に妄想したりすることってその物語じゃんそれって。だから結局物語を求めてるけど物語の読み方がわからないから有名人同士のやつで妄想して物語的なものを消費してるということでしょ。
それってどうなん?いや別にいいと思うんですよ。別に別にいいけど意図っぽいのがすごくつまらないなと思う。個人的な趣味として。で何がつまらないかというと時間を超えて残らないからというところだと思って。その現実世界って時間止められないじゃないですか。どんどん流れるんですよね。だからそこでした妄想っていうのは絶対に更新されるし残らないんだよね。
だからその茶の湯という文脈と、あと茶道っていう文脈と、いわゆるなんかちょっと頭沿ってるからなんかお坊さんなんじゃね。
まあ実際にお坊さんではあるんですけど、その仏教の文脈と禅の文脈、全部違うんですよね。
全部違うけどなんか全部異色体にされて、でデザイン系の人って妙にワビサビみたいな一言で終わらせていて、いや禅ですからみたいな、いや全然違うんだけどみたいな。
いやガチで違うみたいな。ただ本を読むとやっぱりそこに着目してる人あんまいなくて、多分フィクション作品だけど表現物が一番近いと思いますね。かなり近い。
やっぱり主役はその切った旗の喧嘩というか、喧嘩ミーティングなので。
で、まあそういうことを最近ちょっとうーんって考えていて、多分もうそろそろポッドキャストで話せると思うんですけど。
で、いろんな本を読んでて、まともな中で、かつ概要を拘束にビジュアルで学習する本ってなんだろうな、一冊目ってなったときに、二冊がこれでしたって感じです。
千利休の講座。講座って書いてあるけど別に講座ではないと思うんですけどね。まあいろいろすごく影響を与えたっていう意味での講座っていうことなんでしょうね。
前者に関して言うといろんな図があったりとかして、そこで誰かが喋っている千利休に対してコメントしていることに関しては別に読まなくてもいいと思うんですけど。
いろんな写真があるのでへーってこうやって見ると、こんなのも作ったんだみたいな感じで学習ができていい。
講者に関してで言うと、外国目線から見たわびさび。もちろんあるんですよ、そういう本が。ツイッターの元CEOのジャック・ドーシーが読んだ本、リストみたいなのがその一冊しかなかったですみたいなので。
一応その本はあるんですけど、それが海外の人から見た日本のわびさびっていうのを言語化するっていう本で、非常に良い本だしコンセプチュアルな本なんですけれども。
それ一発目で読むとちょっとあまりにもちょっとチルすぎるというか、ちょっと気合い入りすぎてるので、それよりはもっと漫画とかでなんかさらっと読めた方が良くない?みたいな感じとしてはこの一冊なんじゃないかな。
日本人以外がやっぱりね、見た方がいいですね。なんか妙にね、妙に内面化したというか、他の文化と混ざった状態のコメントがやはり日本人だと出てきてしまっているなっていうのを感じるので。
なんかね、そうなんだよね、なんかデザイン文脈の人で話すとなんか妙にオシャレっちな感じになっちゃうんですよね。
そもそも当時なぜそれが必要とされていたのかっていう、その泥臭いというか血なま臭いというか、いわゆるダサいんですよ。
すごくダサい要素が商業的というか、なんかやったったれ的な、そういう色、なんかいやらしい色気狙いみたいな、そういうのがクリーンな状態になっちゃってるので、あんまりお勧めしないな、糸っぽいのは。
そういう意味で、他の人から見た日本のワビサビっていうのを一冊目で学習するのはこの2冊かなっていうのを思っています。
なんでこれを紹介したかというと、まだちょっとズバリでまとまってないので、手探りで話しますけど、結局戦国時代における千利休の茶の湯の茶室っていうのは、
あれはただのミーティングというものを重要なことが決定した、もしくはここにいる人たちはとりあえず合意したのであるといったようなストーリーの概念を作るための茶室であったっていうのを糸っぽいのを考えていて、
すなわち時間を切り取る、まさに今日話してきたことなんですよね。普通のミーティングに擬似録を残して、その擬似録というのを括弧たる状態で、いわゆる変わらない状態でやる。
しかも参加した人たちというのが、それを心変わりしない状態で、うんこれはこのストーリーで固まったなってやるっていう、そういう儀式的空間としての役割は絶対にあったと思っていて、
それに美を、美の価値観というのをつけて、美の評価、評価軸っていうのをつけて真改造したっていうのが、まあ千利休、ある種口座いではあるんですけど。
それもやっぱり時間を、時間を超えて残さない、擬似録っていうのが時間を超えて残さないといけないじゃないですか。
なんか歪まれたら嫌だし、むしろ擬似録というのはわざと歪んで書いた状態で、理想の状態で時間を超えて残したいっていうのって、社会人だったらわかる大企業仕草だと思うんですけど。