赤ちゃんの名付けについて
9月21日、日曜日です。 ながらcastを始めます。
今日はね、めちゃくちゃ晴れてますね。 最高気温は30度という予想ですね。
空は、青い空が見えてます。結構広い面積。
少し雲がかかっているぐらいなんで、ちょっと秋晴れ感がありますね。
予報だと、昨日土曜日は涼しくて、今日一回暑さが戻るという話でしたが、
まあそんな感じかもしれませんね。 昨日は一日ね、ずっと雨だったり、
降ったり止んだりみたいな、一日でしたけどね。
今日は割と晴れ上がりそう。
かなり秋晴れって感じの空ですね。
こんな爽やかな日曜日。 今日はこれで1週間終わりですけどね。
ぼちぼちと頑張っていこうと思います。では、ながらcastスタートです。
この番組は、自分大好きな61歳、私笹行きの声のブログ、声の日記です。
通勤途中に歩きながら収録してますので、息がはぁはぁ上がったり、周りの雑音騒音、風切音などが入ったりしますが、何卒ご容赦ください。
はい、ほう。
今日は暑くなりそうですね。
今、神社の横通ってますけどね。
やっぱり木陰があるエリアって気持ちいいなぁって 思いますね。
やっぱり日差しを直接受けるのはきついんですけども、
影が欲しいなぁと思います。
さて今日はですね、 唐突ですけども、
赤ちゃんの名付け? 名前についてちょっとお話ししようかなと思います。
実はこの仕事柄、
お子さんの名前を見る機会が多いんですね。
本当にいろんな名前があって、
まあ一時期ね、キラキラネームとか、
DQN、ドキュンなのかな? なんていうのもあって、
まあかなり前とは違うんですが、それでもね、今結構、
まあこれなんて読むんだろうっていう、
名前、 それなりにありますね。
漢字の読みからはイメージできない読み方、
なんていうのもあったりしますよね。
僕はまあ、さっき言ったようにもう60超えた年齢なんで、
まあ考え方がちょっと保守的、古いっていうのは十分自覚した上で、
僕の考えをちょっと整理しておこうと思うんですが、
一つは、
本来の漢字の読みの中で収まる、つまり読めるかどうかっていうのが割と大きな、
分かれ目になってるかなと思います。 読みもね、漢字の場合何種類もあるじゃないですか。
一つの漢字に対して。だからちょっと、
そういうのは悩む、迷うかもしれないけども、
本当はそれも避けたいんだよね。読み方が2パターン考えられるとか、
3パターン、4パターン考えられるって言うと、僕も名刺もらった時に結構悩むことは多いです。
でもね、読めれば割と問題ないかなと思うんですけどね。
ただ読めない場合は、
その場で聞くことも多いですね。これは名刺交換の場合ですけどね。
仕事でお子さんの名前を聞くときは、もうフリガナ必須なんで、
わざわざ確認する必要はないんですけどね。
ただ、
気持ちもわかるんですけどね。つまり、
ありふれた名前にもしたくない。
だからちょっと、ありふれてない名前にしたいっていう気持ちも
わかるんだよね。 名前が被っちゃうとかっていうのは嫌だなって
思う気持ちもわからんでもないので、そこは避けたいってなった時に、
ないような名前を選びがち。ましてや、自分もそうだけど、名前を考えている時って、
いろいろな名前を見まくっているわけで、ちょっと感覚がね、おかしくなってるっていうところは
否めないと思うんだよね。 そんな中でさ、ちょっとすごい
親の思いと社会性
素敵だなっていうのに出会っちゃった時に、 多少
読み方が難しくても、
これ良いって思っちゃうと、もうちょっとそれを、
なんだろう、
排除することができなくなっちゃうんじゃないかなっていうのも、まあ、 わかるはわかるんですよね。
ただ結局、名前って、
親のものではないんだよね。 その子がずっと一生使い続けるものだっていうのはすごく
忘れてはいけない部分で、
そのキラキラドキューネームの一つ問題かなって思うのは、その親の思いが強すぎるっていうので、
これはね、 あくまで俺の感覚ね。
親と子って全く別の人で、別の人生を歩んでいって、
子供時代は一緒に過ごすんだけど、 自立してからは別の人間として、
自立して生きる。子育てはそれを目的としてやっていくわけなんで、 必ずそういう巣立ちの時が来るっていうのが、
前提なわけですよね。
あくまで一人の人格として扱わなきゃいけないという時に、
その名前に親の思いを載せすぎるのってどうなんだろうって、
これはあくまで俺の考えよって思っちゃう方なんですよ。
だからそういうものが、
俺なんかの場合はそこまでなくてもいい。軽く希望がある。
こうなってくれたらいいな。ふわっとした感じぐらいなら、
何らかの名前を付けなきゃいけないっていう時に、
こういう理由があって付けたんだよって、子供にも言ってあげたいなっていうのもあるんだけど、
そこに何か過剰な思い出みたいなものがあるのは、
親の都合で決めてる気がしちゃって、どうなんだろうっていうふうに思っちゃう部分もあるんだよね。
なんか作品じゃないよって感じ?俺の感覚で言えば。
ありがとうございます。
子供の名前って、親の思いを表現する。
短歌とか俳句とかを読むような表現場所ではない。
そこの欄っていうのはね。っていうところが、すごく俺の中では大きいんだよね。
結局のところ、私の好みというか考え方としては、
名前って親子関係、もちろん結びつきが強い時期もあるけども、
自立して一人で生きていくみたいな時に、年上の人とも付き合わなきゃいけないとか、
電話で自分の名前を説明しなきゃいけないとかっていう時に、
あまりに説明しにくい、分かりにくい、読みにくいような名前は、
ちょっと単純に損だなっていうふうに思っちゃうんだよね。
そこでその社会性が問われるというか、
やっぱりその子が一人で生きていくっていう時に、
あまり足枷にならない名前であったらいいなとは思う。
もちろん悪い意味で付けてるわけでもないからさ、
そこは思いっていうのはあるという前提なんですけどね。
でもやっぱりその人が周りの人たちとうまくやっていくというか、
説明しやすいような名前であったほうがいいし、
そういう視点で名前を付けてあげるのが親心、
親がやってあげられることじゃないかなっていう気もするんですよね。
まあ、やっぱり自分の名前の説明するのが難しくて、
私もそこまでというか、むしろよくある名前なので、
説明はそこまで大変じゃなかったんですけども、
名前のうち一文字がうまく説明できなかった時期があったんですよ。
それ大人になってからでもしばらくあったんですが、
ある時、有名なものでみんな知っているようなものの名前の中に、
僕の名前の文字があるっていうことに気づいてからは、
それを言って、これのこれですっていうふうに言うことができるようになったので、
それでずいぶん楽になりましたけど、
それまではそれなりに苦労していましたね。
だからそこでちょっと苦労するっていうのはやっぱり大したことではないんだけど、
地味に大変っていうのはあるなと思うんでね。
聞いてわかる、読める、
あるいは電話で説明すればわかるみたいなところは、
そこに逆に心を配るっていうのも大事じゃないかななんて思ったりしております。
子どもの名付けについて
はい、そんなわけで今日は子供の名付けについてちょっと話をしてきました。
まあぶっちゃけね、当人たちが良かれと思ってつけてるんで、
まあ他人がとやかく言うことではないかとは思いますがね、
まあちょっと自分としてはこう思うよという話をしてみました。
どっちかっていうと、キラキラネームとかを見ちゃうときと、
ちょっとね、ああああっていう気持ちになっちゃうのは何でなんだろうね。
なんかやっぱりちょっと親の身勝手さみたいなものを感じちゃうからかなとは思いますね。
本当に悪気はないっていうところがちょっと難しい部分ではあるんだけど、
子供が自分、親の思い通りには育たないっていう大前提があるんですけども、
まあそうやって夢を託すというか、こうなってほしいっていうような願いを込めるっていうのも、
まあ本当理解できるんですけどね。
ただそれがどう過ぎちゃうと、社会的にもね、周りが、周りというか、本人が一番困ると思うんですけどね、
周りも困るっていう部分があるので、そこがね、本当閉じた世界の中でやってる分には良いんですけどね。
本当、自分の自宅の中でやってる話とかであればね、全然本当に他人がとやかく言う話ではないんですけどね。
まあ名前って本当にずっと社会と繋がる中で使われているものなのでね、
ある程度社会性を考えてつけてあげるのが良いような気はします。
ただまあね、今の時代の名付けの感覚って、今20代とかの人たちが、30代もそうですけど、つけてるわけなんで、
まあジェネレーションギャップがあるのは仕方ないなとは思うんですけども、ただなんだろう、今の若い人たちが、みんながみんなキラキラネームをつけてるわけでもないんだよな。
ここはね、見落としちゃいけないというか、忘れちゃいけない部分で、
多分今の若い親御さんたちの中でも、キラキラ度の少ない、もしくはゼロみたいな名前をつけてる人たちも間違いなくいるんで、
どっちかっていうと、大きなマクロで見れば年代とともに変わってきてる、主流がっていうところはあるにはあるんだけど、キラキラに関してはもう個人の持ってるものなんだろうなっていう気はしますけどね。
名付けの許容と個性
でもまあ、やっぱりそれ系が増えてるなっていうのはありますね。
だからなんだろう、そういう比率がもしかしたら徐々に増えてるのかもしれないですね。
個性的な名前の付け方っていうものが、だんだん世の中的に許容されてきているというか、
逆にすごいキラキラネームが話題になったりしたときに、多分その事例がフォロワーを生み出してるというか、
あれよりはいいじゃんねっていうところで、次に来る人たちのハードルを下げてるような気もしますね。
まあ、俺の勝手なイメージですけどね。
あれよりはいいじゃん、みたいな感じで、許容していく、認めていくみたいなのってやっぱあると思うのでね。
っていう流れの中で徐々に増えてくる。
あるいは自分の周りとか、自分の知っている人の中で、やっぱりいろんな名前が出てくるっていうところでね、今の時代の名付けをキャッチしてる。
ただまあ、やっぱり自分の身の回りってことは、自分のこういう範囲の中なんで、
その人の付き合ってる人の中っていうと、ある程度似た人たちがやっぱりつるんでるって考えれば、
まあそういうセグメントというか、そういう近い属性を持った人たちの感覚の中でね、
やっぱり名前も付けられていくのかなって気はしますね。
だから所属する集団が違ったら全然感覚が違ってもおかしくはないですもんね。
はい、まあそんなとこでね、今日はそんな別に結論が出る話でもなく、
ただ私の感想をお話ししてみました。
最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。
ではまたね。
ちゅーす。