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2024-07-12 20:43

「子どもって結局は親を超えられないよね」と言い切った、ある2代目の話。


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こんにちは、いわみです。7月12日の金曜日、いかがお過ごしでしょうか。ようやく金曜日って、毎週言ってる気がしますが、こう暑いと。
夏休みもうすぐ来ますけど、僕にとってはあまり関係ないというか、仕事ができなくなるから、あまり関係なくはないですね。だいぶ関係ある日々を送っていますが、皆さんはいかがでしょうか。
話す内容が思いつかないんですが、短くというか、頭の体操的に話してみようと思っています。
この間ね、ちょっとふっと思い出したことがあって、それについて話を広げてみようかなと思っているんですが、何の話かというと、
移住する前の働いていた職場で、ある人が言ったセリフなんですけど、どんなシチュエーションで、さらに言うと、誰が言ったかも2人の中で曖昧になってるんですけど、ニュアンスだけはよく覚えていて、
どんなことかというと、やっぱり子供っていうのは親を超えられないよねってしみじみ言った人がいたんですよ。なんかね、それがすごく心に残っているというか、聞いた時も考えさせられたんですけど、
それをね、たびたび僕は思い出すんですよ。何なのかなっていうね、その人が言った背景とかもあるし、なんで僕はね、それを聞いた僕はそれが心に残っているのかっていうのもね、割と興味深いなと思って、それについて思考を巡らせてみようかなと思いました。
聞いている人の役に立つのかわかんないけど、もしかしたらね、同じようなことを思っている人が聞いている人の中にいるかもしれないし、もしかしたら自分の周りに同じようなことを考えたり意見を持っている人がいるかもしれないんで、ぼんやりと投げかけてみるみたいな感じですけど、
まずね、誰が言ったのかっていう話なんですけど、僕ね、前働いてた職場、すごい小さいね、運送会社みたいなところだったんですけど、社長が2代目だったんですよね。創業者は一応会長っていう形で生きてて、生きててっていうか、存命で、その息子がね、いたんですよ、その人が。
たぶん50歳くらいだったかな、その人がついで2代目の社長ってことになったんですけど、確かね、それを言ったのは、その社長と片腕というか二番手みたいな人がいて、確か僕と同じくらいの年だったんですけど、その人のセリフだったんですよね。
それでね、その人のね、家はね、まあその人も2代目みたいなことなんですけど、セリフを言った人ですね。実家がね、お店をやってたんですよ。飲食店というか、食堂、なんか宴会もできる地方のね、食堂というかそば屋さんみたいなものをやっていたんですけど、そこの長男なのかな、うん、なんですけど、
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僕はその人とね、最初のね、10年くらいそこで働いてましたけど、最初の何年かは普通にね、仲良くっていうことでもないけど、普通にやってたんだけど、何かね、きっかけがあってね、かなり断絶というか、あまりそこの口を聞かなくなったことは、別に僕はあまりそのなんて言うんだろう、そっちの社長側とね、あまり関係、触れ合いがなかったので、そんなにダメージはなかったんですけど、
でもね、その人がね、言ってたと記憶してるんですけど、どんなシチュエーションで言ったかな、たぶんね、誰か別の人の話をしてたんですよ。それも同じ従業員というか、僕の同僚みたいな人の話をね、なんかあんまり脈絡だくね、そういうことを言う人だったんですけど、
僕は思うんですけど、子供っていうのはやっぱり親を超えられないんだよねって言ったんですよ。でね、僕はそれに対してどう思ってるかというか、その時どう思ったかということなんですけど、僕はそれが全く意味がわかんなかったというか、はい?っていう感じだったので、でもまあそんなにね、いや僕はそう思いませんって言ってもよかったけど、まあね、それにそこまでははっきり言わずに、
まあそんなこともあるんですかね、みたいなことを言ったんですよ。確かね、その時にその相手が割とね、なんかそれを受け入れなかったというか、割とムキになって反応してきた、そこの記憶は結構曖昧なんですけど、だからよく覚えてるのかな。
だからその人の中では、その価値観が絶対だったんですよね。子供は親を超えられないっていうね。その人も子供が2人いて、たぶん小学生とか中学生の子供が2人いる人だったんですけど、それはその自分の子供に対してっていうよりも、たぶんその自分の、自分が自分の親を超えられないみたいな、そういうことなのかなと思って、僕には聞こえたんですね。
やっぱり2代目ってのは結構大変なのかなとか思ったりとか、もしくは壁みたいのを乗り越えなくてもそれなりにやってこれたから、その気概というか気力がないのかというか、今更こんなこと言ってもなんですけど、僕はその人のことがあんまり好きじゃなかったというか、途中で全然口を聞かなくなってしまった。
それは向こうが本当に大人げない態度をとる人だったので、そういう関係にはなったんですけど、でもやっぱりそこで僕はつながりを感じてしまったわけですね。大人げないね、その40いくつになって、すごい人の好き嫌いをしたりとか、ちなみに食べ物の好き嫌いもその人めっちゃ多かったんですけど、そういうね、なんか人間として未熟だなって僕は思ったわけですけど、それと親を超えられないよねっていう定感みたいな、
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つぶやきみたいなね、僕はたぶんつなげて考えてしまって、だからいまだにね、それについてたまに考えることがあるんだと思ってるんです。
子供がその親を超えるとはどういうことなのかってね、何に対して超えるのかっていうのもよくわかんない問題ですけど、僕はそういうね、全くその親と自分を比較するってことが昔から今に至るまでほとんどなかったんで、父親も母親もそれなりにね、好きですけど、尊敬してるっていうのとちょっと違いますね。
だから人の中にその親を尊敬してるって人結構いるじゃないですか。僕にとってね、その両親っていうのはあんまりそういう対象じゃないんですよね。
普通に育ててくれてありがたいとは思っているけれど、それを別に自分で継承しようとか、反対に反抗しようとか、別の道を行こうとか、そういう考えはそもそも発想としてないというか、その線上にないんですよね、自分の親っていうの。
だから別の観点から考えてみると、僕がこうやってその自分の親とね、自分を比較することがないとか、その同一線上にもそもそも置いていないっていうこのね、僕の思考自体が、それが多分ね、もしかしたら親が与えてくれた環境というか、のおかげで今のこういう考え方に慣れているっていう可能性もありますよね。
ちょっと今何を言っているのか伝わらなかったかもしれないので、もう少し言ってみると、AさんとBさんがいて、Aさんと僕がいるとして、Aさんは親とね、自分をすごく比較して、あるときね、それをたぶん超えようとしたんでしょうね。
親に歯向かったりとか、親を超えていこうと思ったけど、大人になってそれを諦めたのか、未だに超えようとしているのかわからないけど、でも結局超えられないと思っていると。
それに対して、僕はですね、岩見さんは、超えられないとか超えるとかそういう問題じゃないよな、そういう発想自体がなかったっていうことですけど、僕は自分でそこにいるから思うのかもしれないけど、別にそういう発想で親を見るっていうのはあんまり健全なことじゃないような気がしますよね。
なんでそう思うのか不思議なんだけど、たぶん世の中には一定数、親と自分を比較したりとか、もしかしたら他人と自分を比較するのをやめられない人みたいなのが割といるんじゃないかなっていう、そこまで話は思考が広がるんですけど、そういう意味で言うと、僕は別に他の人との親だけじゃなくて、他人とも自分を比較することがあんまりなくて、
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それは言ってみれば、あんまり自分に対するコンプレックスがないからなのかもしれないですよね。僕は自分がコンプレックスのない人間だとはあんまり思っていないんですけど、それなりに劣等感というかコンプレックスみたいなのはあるけれど、
それは特定の他人と自分を比較して、自分なんてダメなんだって思うことはないけど、相対的な、抽象的な世界というか、他人として自分はまだ足りてないなっていう思いは常に持っているつもりなんですよ。
どういう角度から言っても、結構自己賛美みたいになってしまいますけど、僕はこの考え方はとっても健全だなと思っているんですよ。
親を超えられないとか、他人と自分を比較してしまうっていうのは、あんまり健全じゃないなと思っていて、それが多分、生まれ持った性格っていうよりも、育った環境に起因しているんだとしたら、やっぱりそれはある意味可哀想というか不幸なことですよね。
それで冒頭に言った僕に対して、子供は親を超えられないっていうボソッと言った人のことについて考えてみると、その人は家がお店をやっていて、多分結構お金持ちだと思うんですよ。
なぜかというと、その人は親の敷地内、お店が田舎だから広くて土地がいっぱいあるんですけど、畑とかも持ってたかな。
その敷地内に自分の家を建てて、そこに家族、子供が2人いて多分4人で住んでいるんですけど、そのお店で結構傍年会とか会社の傍年会とかやったこともあって、何回か行ったことあるんですけど、
家も綺麗で立派で、車もすげーでかい車に乗ってたんで、多分そこの会社の給料だけだとそんな生活はできないんで、多分親の庇護みたいなのがあるんじゃないかなって勝手に思っているわけですけど、多分そうなんですよね。
そういう経済的に援助を大人になっても受けている状態っていうのは、ある意味では恵まれていると言えるけど、裏返しみたいなところで精神的に自立できていないというか、親の手の中から抜けられないままずっと生きているんじゃないかなっていう気もして、
どっちもどっちだよなって。それで僕がいた会社の社長も2代目だったわけですけど、その人もね、その現社長っていう人も何というかあまり好きではなかったというか、覇気のない人だったんですよね。
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よく典型的な頼りにならない2代目社長みたいなね、ちょっと難しいですけど、今までそれまでは一般的に見て、2代目の社長っていうのは割とプレッシャーみたいなのはあるっていう話は聞くけど、
メディアとかで見ていると、メディアに出てくる2代目社長っていうのは結構しっかりしているというか、初代よりも会社を盛り上げたりとか、うまく新しいことをやっていこうって思っている人しかメディアとかには出てこないから、目につかないから、だから僕は2代目っていうのはそういうものなのかなって、なんとなく固定観念みたいなのがあったんですけど、
実際に現実問題として2代目の人を見てみると、キラキラしたタイプばっかりじゃないんだなってことを見せつけられたというか、思い知ったわけですけど、超現状維持の超保守的になる人っていうのもいるんですよね。
一旦敷かれたレールに乗っていれば、とりあえずは反対だからっていうことですよね。新しいこととかをやろうとするとリスクもあるし、失敗したときに恐ろしいから、多分そういうはみ出たことはしなくなって。
創業者の息子っていうのは結構みんなそれぞれプレッシャーというかコンプレックスみたいなのを抱えているんだと想像しますけど、でもそれにしてもね、なんていうんだろう、全くレールに乗っていることに疑問を抱いていないのか、もしくは若いときにそれなりに葛藤みたいなのがあった末に、今の超現状維持のスタンスに落ち着いたのかは分かりませんけど、
従業員として働いている身からすると、あんまり居心地のいいところではなかったんで、そんなんもあって僕は辞めたりしたわけですけど、別にブラックとかで全然なかったので、別に給料も高くはなかったけど、普通に子どもと家族をやっていくには問題なかったし、
そのおかげで残業とか全くなかったから、僕はその間にいろいろ副業とか個人の準備をすることができたから、そういう意味では感謝はしているんですけど、でも今こうやって思い出してみると、
彼らはこの先、年老いてからというか、今でも40代、50代ですけど、普通にいくとあと20年くらいは会社を経営しなきゃいけないわけじゃないですか。後継とかもいないと思うんですよね。社長は独身だったんで、
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そうなると、あの会社の未来はどうなるんだろうなって、一言ながらにたまに考えたりするんですけど、古い会社なんで、別にホームページもSNSもないから現状を知ることは基本的にはできないんですけど、想像はしてしまうわけですね。
それで僕はどう思っているのかというと、別に言うまでもないと思っているからあまり口には出していないですけど、僕は最初に親と自分を同一線上に置いていないということも言った通りに、親と自分は関係ないと思っていると、だから他人と自分も関係ないと思っているから、自分は自分のやりたいように思うわけで、その傾向は今でももっと強くなってますよね。
基本的に僕の今の人生のテーマみたいなのは、自分の人生の主導権をいかに自分に持たせて、それを強固なものにしていくかっていうのがある意味僕の一つの大きなテーマなんですけど、
そうじゃない言い方をしている人の人生を別に否定するつもりはないし、そもそもラジオとかで独り語りをしてもそれが本人に届くことはないし、そういうところで僕はこうやって自分の意見を言っているだけなわけですけど、
でもまあね、僕は自分みたいな人生を今まで歩んできたことを誇りに思っているって言ったらちょっと臭いですけど、幸運だったなって思うのと、これから多分こういう方が幸せだよなって思っているのもあるし、
同時に座って親とか保護者の束縛から逃れられない人が世の中にいるっていう事実を知って、ちょっと気の毒だなって思うこともありますけど、それを選んだのはやっぱりある意味では自分なわけだから、かわいそうじゃないのかもしれないですよね、本人にとってみたら。
あとは一般論として親が創業者みたいな形で成功すると、それを継いだ人間ってのは諦めがちな性格になりやすいのかなってこともちょっと考えちゃいましたね。
別に僕は創業者ではないし、別に会社を起こそうと思っているというか、個人で事業はやっていますけど、別に会社を作ってそれを子供に継がせようみたいな、そういうのは全くないわけだから、だから状況としては違うのかもしれないけど、自分で会社を起こすなり個人事業をするなりするのは別に関係ないとして、その事業をね多分ね、後継者ある意味譲り渡すと、
特に子供ですよね、譲り渡された方は現状維持バイアスというか保守的になりやすいんじゃないかなっていうね、これは多分会社だけじゃなくて、いろんな会社だけじゃなくて親子関係だけじゃなくて、その後を継いだ人っていうのはある意味その制約が多いから保守的になりやすいんだなと思って、
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これはある意味であれですね、僕はその日本人類を全体に感じているのとちょっと類似しているというか似ている部分があるんですけど、共通点を見つけてみると、前例を踏襲しないといけないというか、前例を踏襲することのメリットというかが大きいってことですよね、前例を踏襲した方が楽というかメリットが大きいからそうなるっていうことですね。
逆に言うと僕みたいのはその前例を踏襲するメリットがないし、そもそも前例みたいなものから遠ざかっているというか前例みたいのがないわけだから、自分でやっていくしかないっていうことで、そうなるとそれなりにね、大変、レールを自分で引かなきゃいけないわけだから、大変っていうのはあるけど、でもすごく自由ですよね。
どっちがいいのかなって言ったら、それは人それぞれですけど、僕は自分の人生がいいなと思っているっていう、そんな結論になってしまいましたが、皆さんはどんなふうに考えているでしょうか。
本当は今みたいなことをね、あまり話が広がらなかったからチャットGPTに投げてみたんですよ。
そうするとね、あとチャットGPTだとGoogleのジェミ内にこういう話をしていた人がいたんですよねって投げてみたら、それなりに意見というか返してくれるんですけど、
でもやっぱりね、AIの回答はつまらないというか、あんまり役には立たなかったというか、僕の聞き方がもしかしたら悪いのかもしれないけど、だからAIをね、ブレストというかブレインダンプ的に使うっていうのはね、
なんかやっぱり技術がいるのか、もしくはその向き不向きね、その話題に対して向き不向きがあるのかわかりませんけど、でも結局こうやってね、長々と何十分も喋れたってことは、もしかしたらその話す前にちょっとAIとやり取りをしたから、
無意識の効力みたいなのはあったかもしれないんで、AIは使っていこうかなと思っていますが、そんな感じで今日もまとめずに終わります。
お聞きいただいてありがとうございました。良い1日をお過ごしください。良い週末を。さよなら。
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