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2025-08-20 26:40

ながらcast4/202 映画「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」

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サマリー

映画「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」は、現代の女子高生ユリが1945年の特攻隊員と恋に落ちる感動的な物語です。作品は戦争の悲劇を描きながら、戦争に対する視点や感情移入の難しさについて考察しています。また、映画は戦争の真実や個人の葛藤を描写しており、主人公ユリは愛する人のために命を落とすことが無意味だという現代的視点から、当時の戦争に対する考え方を問いかけています。

映画の概要とイベント
今日は8月9日、土曜日です。
今日は、薄曇り青空も少し見えてますけど、全体的に雲がかかった日ですね。
今日の最高気温は31度ぐらいだったので、今日は涼しいかなと思います。
今日は、今、原画展をやっている、絵本作家でもある画家の麻生智子さんが
イベントがあって、ギャラリートークということで、1時間ほどお話をするっていうイベント。それからサイン会もある。
そのトークイベントの方は、私の方で録画をして、
その後、編集した上で、
見逃し配信っていう感じで、やるもんですからね。
まあ、その録画をミスらないように。
昨日も一昨日も、ちょっとテストはしてるんですけどね。若干緊張気味の、そんな朝でございます。
では、ながらキャストスタートです。 この番組は、自分大好きな61歳。
私笹行きの声のブログ、 声の日記です。
通勤途中に歩きながら収録してますので、 息がハーハー上がったり、
周りの雑音・騒音、風切音などが入ったりしますが、何とぞご容赦ください。
相変わらず暑いです。 昨日はズンバとメガダンスをやって、
なかなか疲れてはおりますね。 そして、
帰ってからというか、帰りがけの
車の中でテレビを見るんですけども、
昨日は、やはり金曜ロードショーでしたね。
映画のあらすじと感想
昨日は、「あの花が咲く丘で、君とまた出会えた。」をやってました。
たぶんゴジラマイナス1をやってた頃に、
予告編をやってたか、
確か予告編をやってたんだよな。 前にこれ話したんだけど、あの時なんか、
映画館が、 めっちゃ気が臭かったんですよ。
戦争関係の映画やら、
展示やらがあって、
なんとなく、 俺の中ではちょっと嫌だなって思った記憶があって、
予告編でもこんなのをやってたんで、 実はめちゃくちゃ気にはなってたんですね。
興行的にも、 確かこれ大ヒットしたんですよね。
それもあって、 昨日は良い機会だったので、
見てみました。 その感想をお話ししたいと思います。
あらすじとしては、現代の女子高生、
ユリっていうね、 彼女が
タイムスリップして、1945年6月の20日ぐらいだったかな? その辺で
タイムスリップして、 そこの
特攻隊員の男性と、 恋に落ちるのかな?
で、 また戻ってくるっていう、
結構泣けたっていう感想が多いらしいです。
もともとは、原作を書いたのは先生で、
今の子供たちが戦争や特攻のことを知らなくて、 それが
書いた動機だったらしいですね。 僕は原作は読んでないんで、
ちょっとわからないんですが、
それを映画化したっていうことで、 制作者の意図も、そこには当然どの部分を
映画化するのか、脚本にするのかっていうのはあるので、 あくまでこれは
原作は全く読んでいない、 映画のみの感想でお話したいと思っています。
結構この映画に対しては、いろんな
見方で
話ができるかなと思うんですが、 まず全体的な感想として、
泣けた人もいっぱいいると思うんだけども、 お茶の間で、
自宅で、 だらだら見てたっていうのもあって、
泣けなかった。 これは、もう俺の感性が枯れてるからかもしれませんがね。
まあちょっとそこはまず、 正直に言っておきましょう。
まあ、
俺がね、心を身構えて見てたっていうのもあると思うんだよね。 この映画が、
極端なし、
戦争を肯定するのか否定するのか、 どういう視点で戦争っていうものを見るのか、
そういったところがどうなっているのかっていうのが、 それをチェックしながら見てるわけじゃないんだけど、
どうしてもそういう視点も自分の中にあるんでね。 純粋にあの二人の
ラブストーリーに入っていけなかったっていうのもあるんだけど、
多分ね、俺が泣けないっていう、別に泣きたくて見てるわけじゃないんだけど、
結構ね、 感情移入をして、
見れたかどうかっていうのとも関係しているかなと思うんですけど、 なんかね、うまく
その世界に入れない。 入れなかったんだよな。
つまり主人公のユリは、高校生で進学するか就職するか、みたいなところで、
いる、そういう。 原作は中学生らしいんですけどね。
そんな 女子高生なんだけども、母親の
パートの スーパーでの魚の仕事をしていて、遅れてきて、その三者面談に
魚臭いっていうのに腹を立てて、勝手に帰っちゃう。 みたいな。
夜になったら、お父さんがね、多分
溺れてる子供を助けるために、飛び込んで、自分が犠牲になっちゃったっていうお父さん。
のせいで私はこうなってるっていう。お父さんを責めるんだよね。お母さんの前で。
そういうさ、親祖こそ思ってるかどうかわかんないけども、感情の流れの中でそういうセリフを吐いて、
お母さんにビンタされちゃう。そして出てっちゃう。
防空壕で、夜を明かすと、
タイムリープして、タイムスリップしてた。みたいな物語なんだけど、その彼女の言動があまりにも
子供っぽすぎるっていうか、わがまますぎて、 全く寄り添う暇もないというか、
そうだよね、みたいな気持ちには全く慣れないまま物語が始まっちゃうんだよね。
逆に、1945年の世界で、
ユリを助けてくれた、
佐久間明かな。
彼がラブストーリーのお相手なんですけども、
すごい優しい人なんだけど、
なんか独特の笑顔、笑みを浮かべる、
優しい人だとは思うんだけど、その感情みたいなものはあまり出てこない。
その一緒のタイにいる石なんとかさんは、すごいムードメーカーで、
あれもただムードメークしてるだけで、何ていうか、心の動きは読みづらいんだけど、
とにかくお相手のアキラも、なんとなく感情が見えづらい、そういう性格っていうのもあるし、
そういう役目を背負っている特攻っていうのもあるのかもしれないけど、
そこもうまく寄り添えないまま見てたもんでね。
そこで、ちょっと泣けるっていうところに至らなかったのかなって自分では思ってるんですけどね。
全体として見た時に、戦争時代のパートが本当にこの話のメインにあって、
その前後に主人公ユリの本来生きている時代が最初と最後に出てきて、
生きて帰りし物語というんですかね。
そういった構造を持っている話なんですね。
こういった場合は、異世界なりファンタジーの流れで言うと、
その旅に出て、帰ってきた時に主人公が成長しているっていう物語になるかなと思うので、
この映画もそのパターンを踏襲していると思います。
さっき言ったようにね、自分の進路の問題、大学に行けるレベルの学力は持っていて、
三者面談でも教師から、実は彼女はその進路希望に、第一希望のところに就職って書いてあって、
教師からね、お前の成績なら大学行けるんだけどいいのか、みたいなことを言われていて、
そこに遅れて母親がやってきて、みたいなところが一番最初のシーンなんですね。
そんな流れで、たださっき言ったように、父親への恨みみたいな部分も言うんだよね。
母親への恨みもある、みたいな感じで始まって、
帰ってきて彼女は、そこでやっぱり幾百かの成長は見せているっていう意味では、
わかりやすかったとも言えますよね。 ただそこが何だろう、
はっきりと描かれているわけでもなく、彼女の中の心の変化みたいなものは、
モノローグ的に語られるわけでもなく、もちろんこれ映画的な面では良いと思うんですけどね、
いろいろ心の動きを説明しちゃうっていうのも、それはそれで部粋なものになってしまうと思うんですけど、
大学に行きたいっていう話をしたり、あるいは母親のために夜食を作るみたいなシーンもありましたね。
ただ一個引っかかったのは、飾ってあった父親。
さっき言ったように、溺れている子供を救うために死んでしまった父親の写真を見て、
一回そのカメラは袖を収めるんですけども、そこが、
俺ね、読めなかったんだよね。そこに対する彼女の気持ちの変化。
ここが金曜ロードショーなので、カットされちゃってる可能性もあるんで何とも言えないんだよね。
冒頭では、
そんな、
他所の家の子供を助けるために自分は死んで、
その妻や子供を置き去りにしてというか、残して死んでしまったことに対して、
主人公のユリは、
なじるというか、否定するんだよね。
それが、この戦争の時代にタイムスリップした経験を経て、
その父親がどう見えたのか、
どう見えるようになったのかっていうのは、
実はすごく気になってはいますね。
はい、そんなわけで今日は、
作品のテーマと視点
昨日の金曜ロードショーでやっていた映画、
あの花が咲く丘で君とまた出会えたら、
についてお話をしてきました。なかなかね、
中身の話してませんが、
戦争を描いている映画なんだけども、
これは果たして反戦映画なのかっていうところが一つ、
疑問としては残りますね。
特攻を描いてるんだけど、
特攻をどう描いてるかっていうあたりも、
ちょっと気になるところではありますが、
今回一番俺が気になったのは、
現代から1945年にタイムワープした、
タイムリープした主人公のユリが、
彼女の感性で、
戦争のおかしさを批判する場面が何度か出てくるんですね。
これ細かいんだけど、一つは、
6月なんですよね、1945年の。
戦争とその影響
8月には戦争は日本の敗戦という形で終わるわけで、
彼女はそれを知っているんですよね。
だから結果がわかっているから、
行かなくていい、無駄なんだっていうようなことを言うわけですよ。
結果が勝っていたとしたらどうなのよっていうのは、
ちょっと疑問としては残りますね。
勝ち負けに関わらず、
特攻に行く人たちを止めるべきではないのかっていうふうに、
俺なんかは思っちゃうもんだからね。
そこはちょっと気になったところですね。
負けるから、負けるんだから、いいじゃん。
勝つんだったらいいのかっていう話です。
彼女が外に出ている時に、
路地の、家と家の間の隙間にいた小さな男の子、小児なんだけど、
その子に対して、
あと2ヶ月の我慢だよ、日本は負けるんだからねって、
それ言う必要があるのかなって結構不自然さは感じるんだけど、
それを何度も言っていると、
後ろから憲兵に難癖つけられる被告民っていうふうになるシーンがあるんですね。
これね、出撃前夜の石丸とか、
特攻隊員たちに、逃げ出したじゃんね、あの一人。
彼に逃げ出した彼に対して、それをなじる。
加藤だったかな、あの時は。
に対してもまた彼女はクッてかかるんだけども、
その論理は完全に現代の感覚なんだよね。
ただそれで幕立てられて、どっちも怯むんだよね。
そこがなんかね、いやいやこれ怯んでる場合じゃなくて、
問答無用でしょみたいな気がしちゃうんだよね、あの時代の考えだったら。
まあそういう部分で怯んで、
ただまあ突き飛ばすぐらいの描写ですけども、
もしリアルに描くんだったら、もっとひどい目に合ってるんじゃないかなっていう気もします。
そこのところで、まあかなり憲兵が緩いんじゃないか説もありますし、
その後、あきらが割り込んできて、
結果的に憲兵を追い返すことに成功するんだけど、
その後、その周りの野獣馬たちも、
なんだか特攻隊員を生神様、なんとか神様として、
その鶴っていうね、主人公のユリが世話になっている大衆食堂のお神が、
そうやって言って、生神様に何かするのかい、みたいな感じで言ったら、
まあ憲兵が逃げ出すっていう流れがあったんだけど、
その後、周りの野獣馬たちも、そうだそうだ、なんだかんだとか言っているんだけど、
あの、俺も別に当時を知ってるわけじゃないんだけど、
戦争を描く物語の中で、
やっぱり市民同士、民衆同士の相互監視がすごい厳しかったっていう、
まあ俺はそういう印象を持っていて、
今のアサトラ・アンパンでも、五名予兆の婦人会、
愛国婦人会みたいな連中をはじめとして、
要は、そういう流れに逆らうものっていうのは、かなり厳しく当たられるっていうのかな、
そういう時代だった中で、そのユリが主張するのって、
これって意味あるんですか、こんな愛する人を置いて、
国のために命を落とすなんて、無意味ですよね、みたいなことを、
今の現代の視点で見ての論を展開するんだけど、
それって当時から考えたら、もう理解できないと思うんだよな、俺の考えだけど。
そういう考え方って、最も取り締まられるべきものっていうような風潮だったんじゃないかなって思った時に、
まるでユリの主張が一定理解を得られたって言うて変なんだけど、
少なくともその後、憲兵がいなくなってから、
野獣魔たちは別にユリの考えを批判したりはしなかったんだよね。
このあたりに、描き方に許さがあるな、
さっき言った、渡航を抜けようとしている彼を守るかのごとく、
ユリがまた言葉で説得というか主張した時にも言い淀んじゃう、ひるんじゃう。
結果的には他の4人も、行けや、っていう感じで生かせる、
みんなが認める形で渡航を抜けていくんだけどさ。
あれなんかもう、じゃあ彼これから陸路で帰るのかとか、いろいろ考えちゃいますよね。
大阪なのかな彼は。舞台がどこかがよくわかんないんだけど、
原作を描いた人は九州の方で、それこそチランの特攻平和記念館かな。
そういうところに、高校教師だったかな、中学教師だったかな。
どっちかの先生で、で、印刷したりすることもあったんだけど、
あまりにも今の学生たちが知らないっていうことが動機で小説を書いたらしいんですけど、
その書いた人自身も自分が中学の頃にそういう展示を見て、
多分ショックを受けたっていう経験も持ってる人なんですね。
だから原作の動機としては、そういう戦争について、特攻について知ってほしいっていうところでね、
書かれているんじゃないかなと思うんですが、映画としてはね、
今言ったように、現代の論理で過去に異論を唱えていく。
これは別にありだと思うんですけどね。映画としてはそうしないと物語として面白くもなんともないじゃんね。
だからそこでそれがまた受け入れられていくのかな、みたいなところの個々人の葛藤とか、
ゆり自身の心の動きみたいなものがやっぱり見えづらいんだよな。
最終的にアキラと夜の花の丘で話をする中でも、誰が悪いわけでもない、みたいな話になっちゃったのかな、確か。
戦争って良くないよね、みたいな話になると、これは反戦とは言いづらいなっていう気もするんだよね。
これは僕の狭い考え方かもしれないんだけど、戦争って良くないよねって言ってるだけだと、やっぱり力にはならないっていう気もするんだよな。
ユリの葛藤
そんなところでね、ふわっとした感想になっちゃいましたけど、今日はここまでです。最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。
ではまたね。チュース。
26:40

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