追悼式典の感想
はい、今日は8月6日、水曜日です。
80年前の今日、 ヒロシマに原爆が落とされた日ですね。
今朝は、その、 追悼の式典っていうんですかね。毎年
平和公園から 集計される
あの式典を、 100パーじゃないんですけど、ほぼ
見ました。
毎回ですね、ヒロシマ市長の
挨拶が、 結構絶望鋭いというか、
そういう印象なんですよね。
ただ今年は、ちょっとそれが、 トーンが若干弱いなって感じがしたのは、
僕と妻も見てたんですけど、 今年はそんな印象を持ちました。
まあ 何かがあったのか、ちょっと
そこはあれなんですけども、 今年の話はその
平和文化 っていうものを
広げていくことによって、これは市民の間にですね、 平和文化を広げていくことで、
異性者、要は権力者たちに対する
プレッシャーになっていくっていうような 感じの
話をしていましたね。 異性者に対しても、例年通りメッセージを
発していたんですが、そこもややちょっと弱めな感じはしました。
今日はね、 静岡市の最高
予想気温が40度 ということになっているので、かなりやばい
一日になりそうです。
まあ いつもね、お昼休みに
ちょっと歩いて、お弁当買いに行ってるんですね。 日吉町駅のそばにある、生きる力っていうところに行くんですが、
それはね、地味に 大変なんですよ。暑くて。
今日はもう40度なので、 今日はちょっと
それをパスしようかな。 もう一気にコンビニで
お弁当買ってこっかななんて 思ってますけどね。
まあ、とにかく なんとか
うまくやり過ごしたい。 そんな感じで、ながらキャスト始めます。
広島訪問の思い出
この番組は、自分大好きな61歳、私笹井区の声のブログ、声の日記です。
通勤途中に歩きながら収録してますので、 息がハァハァ上がったり、周りの雑音と
風切り音などが入ったりしますが、何卒ご用にしてください。 今、めちゃくちゃうるさいです。
JRの貨物列車がね、
走っていったもんですから、 めちゃくちゃうるさいです。
セミも鳴いてますね。
あれなんですよ。 収録しているSHOXのイヤホン、ヘッドセットは
ノイキャンがついているせいで、
喋ってない時はセミの声をカットしてくれるんですけども、 私の声が入った瞬間にノイキャンオフになるので、
私の声プラスセミの音、無音。
私の声プラスセミの音、無音みたいな感じで、 俺が喋るとセミの音がプラスされるっていうね、
ちょっと聞きづらいと思うんですが、 ちょっとお得な夏を感じられる、
そんなね、味付けになってますんで、 ちょっと我慢してお付き合いいただけたらと思います。
今日せっかく8月6日っていうこともあるんで、 ちょっと、
例年喋っているかもしれないんですけども、 広島の話していこうかなと思います。
そうですね、広島でほとんど思い出というのは、
結構最近になって初めて行った、 その平和記念公園なんですね。
まあ学生時代とかに行ってもおかしくなかったんですけども、
なんとなくね、多分、 心のどこかで避けてたんだろうな、逃げてたと言ってもいいんですけどもね。
で、それがですね、ひょんなことから、 広島方面に
泊りがけで行く用事ができて、 その時にね、
同行した人たちと一緒に、 平和記念公園に行きました。
資料館は、 半分工事中みたいな時期だったんですけどね。
それでも結構な展示を、 それなりに見ることができました。
ちょうど、オバマ大統領が、 そこを訪れた後で、
そのサインと、 あと彼が折った折鶴が、
展示されていたのを覚えています。 その時に一番印象に残ったのは、
ちょうどね、原爆ドームのところで、 説明してくれる、
女性がいたんですよ。 僕よりも高齢だったと思うんですけども、
その人が、その場で、 観光客を相手に、
その原爆のことを説明してくれたんですよね。 その話がすごく
リアリティがあって、 その原爆の凄まじさ、威力みたいなものが、
本当によくわかる話でした。
結構そうやって話をしている人の映像を、
テレビで、ニュースとかで見たりすることがあるんですけども、
本当にね、自分もそういう話を聞けるなんて、 思ってもなく、
全く期待もせずに行ったんですけども、
そういう方がいたので、話を聞かせてもらえたのは、 本当にありがたかったですね。
資料館の方も、
オバマさんのメッセージと、
折り鶴があったっていうことは覚えてるんだけど、
もうちょっと記憶の中に埋もれてしまってはいますけどね。
でもまあ僕にとっては、長年、
行かなければならなかったような場所に行けたな、 という思いはありましたね。
僕が広島の原爆っていう話をするときに参照するのは、
戦争と書籍の紹介
西村茂雄さんかな、絵本作家の方が書いた、
広島の原爆っていう絵本が、 僕にとっては割となじみが深い。
これは子供向けに描かれていて、どちらかというと、
俯瞰で見た感じで淡々と描かれていくような、
どちらかというと物語というよりも、 科学絵本に近い事実を描いていく、
みたいな絵本だったかと思います。
あとは今もうちにあって、
今日も電車の中でパラパラッと読んでいたんですけども、
岩波ジュニア新書の1945年8月6日っていうタイトルの新書ですね。
これも非常にわかりやすくて、
知らないことも本当たくさんあって勉強になりました。
例によって忘れちゃってはいるんですけどね。
出だしの最初の第1章が、何人かの被爆者のお話、
手記なのかインタビューなのかわからないんですけども、
そういった実際に体験した物語があまり長くない感じで、
コンパクトにまとめたものが何人か紹介されていくっていう構成になっていて、
最初に原爆の悲惨さ、実装というんでしょうかね、
体験談からまずスタートするっていう構成で、
その後、わりと客観的にというか、そういった話が始まっていく、
そんな紙面構成になっています。
そんなわけで今日は、1945年8月6日広島に原爆が落とされてから80年という節目にちなんで、
ふわっとお話をしてきました。
さっきの岩波ジュニア新章、本当に今も電車の中でパラパラと読んでいたんですけども、
大変よくまとまってますね。
さっきの体験談から始まって、
戦時中がどんな時代だったかっていうのが第2章で描かれます。
これもなかなかすごい話で、
要は徴兵が17歳だったかな、になったら徴兵されて、
後押兵、後首合格のものを中心に徴兵されて、
そこから3歳ぐらいしたまでは飛行少年兵とか、
そういう少年兵として訓練を受けるっていうこともあり、
あるいは工場で働いていた若者や農業に従事していた若者なんかも徴兵されていて、
その穴を埋めるために小中学生が勤労奉仕っていう名前で借り出されるっていうような時代だったようです。
とにかくいろんな物資が不足していて、
終戦の年、1945年ぐらいになるともう戦車も作れないみたいな状況だったと書いてありましたね。
その勤労奉仕もなかなか過酷だったようで、
早朝から夕方まで11時間とかそういう感じで働かされていて、
やっぱり工場とかは、僕も工場のある会社で働いていたのでわかるんですけども、
工場ってやっぱり労災事故って必ず起こるんですよね。
本当に残念な話なんですけど、
これはちゃんとした大人って経験を積んだ人でも起こす場合もあるし、
考えると、そんな中学生のレベルだと、
ましてや、そんな長時間労働だったり、あるいはその労働環境がどのぐらい整備整頓されていたのかわからないんだけども、
いろいろ考えるに、やはりそこでも事故があって大変な光景を目にしたなんて話も書いてありました。
本当に怖いです。
例えば指を落としちゃうみたいな話もあれば、回転するものに髪の毛を巻き取られちゃって亡くなっちゃうとかですね。
本当にそんな子供たちを駆り出してでも、
戦争を続けていたっていう、そういう割と淡々とした事実。
疎開なんていうのも最後の頃にはあって、
特に大都市が空襲の危険性があるっていうことで、
子供たちが疎開して、ある時帰ってきた時のお父さんの
なんか手記が残っていて、自分の息子が帰ってきて、風呂に入れたんだけども、服からは茶碗いっぱいぐらいの白身の卵が出てきて、
もう痩せこけててお腹だけポコーンと出てる。
満足に物を食べてないみたいな状況。そんな話も書いてありましたね。
日本軍の状況も書いてあって、一時はかなり勢力を伸ばしたんだけど、
徐々に肌色が悪くなって、
負けてしまって、
撤退するのを転戦、転身と読むのかな?と呼んだり、あるいは
日本軍が全滅することを玉砕と呼んだり、そうやってショックが少ないようにカムフラージュはしていたんだけど、
子供でもやっぱり肌色が悪くなっていくのを感じていたなんて話も出てきます。
この本でこの後、なぜ広島長崎が選ばれたのかっていうところを、多分アメリカ側の資料をもとに読み解いていくと思いますけども、
この辺りなぜ落とされなければならなかったのか、みたいな話も出てくるかなと思います。
今日も夜、特番NHKで広島で、たぶん9日もありますしね、80年という節目なのでね、僕もちょっと今年は普段はあまり見ないんですが、
そういう戦争についての特番を見てみようかなと思います。NHKの場合は、NHKプラスで1週間追っかけで見ることができますんでね。
よかったら見てみてください。俺も見てないから何とも言えませんけどね。
はいじゃあ今日はここまでです。最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。
ではまたね。ちゅーす。