1. オサナイ先生の朝礼
  2. #431 震災から14年あの日を忘..
2025-03-11 16:30

#431 震災から14年あの日を忘れない

東日本大震災から14年が経ちました。
今日はあの日僕が体験した出来事についてお話しいたしいます。

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✨今月のマンスリースポンサー✨
現代の武士こと佐野翔平さんです‼️

翔平さんは5月6日(火)に愛知県名古屋市にあるLEGOLAND Japan近くで刀鍛冶体験や切子体験など、日本文化版キッザニア「伝統万博」を開催いたします!

この伝統万博を開催するためのクラウドファンディングが3月10日(月)から5月11日(日)まで行われています!
https://www.kamofunding.com/projects/sano02

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✨デイリースポンサー✨
ジョージさんこと山本隆司さんです‼️

ジョージさんはPICTURE BOOKで「憧れの西野亮廣さんが、アルバイトに来られる日に、日本一の記録7,000匹達成したい!!!」というクラウドファンディングを実施中です!
是非皆さんご支援をお願いいたします!
https://www.picture-book.jp/projects/5039

そして、新店舗日本一たい焼広島福山柳津(やないづ)店は5月1日(木)にプレオープンです!
沢山の皆さんのご来場をお待ちしております!

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〜お知らせ〜
【鴨頭嘉人全国講演会】
鴨さんの全国講演会もいよいよあと1講演となりました!
https://kamogashira.com/tours/

「4/20(日)~青森県弘前市」
https://www.kamofunding.com/projects/osanai01

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他者貢献な挑戦のプラットフォームで行われているクラウドファンディング

【地元で感謝を伝えるため「奥水梅香講演会 in なかま」を開催したい!】
https://www.tashakouken.com/projects/t0017

【髙橋貴洋講演会 in 青森県弘前を開催したい】
https://www.tashakouken.com/projects/t0018

【高校3年生の挑戦!!トータルビューティーアドバイザーになりたい!】
https://www.tashakouken.com/projects/t0016

【挑戦×他者貢献!人生初のフルマラソン&書籍出版に挑戦したい!】
https://www.tashakouken.com/projects/t0019

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https://stand.fm/channels/61545154afa93b18fc129e45

サマリー

2011年3月11日の東日本大震災から14年が経過し、震災の記憶を語るエピソードが展開されています。参加者の体験を通じて、地震当時の状況やその後の影響が共有されています。また、当時の緊迫した状況や復旧の過程が振り返られ、この震災を通じて得られた教訓や備えの重要性についても語られています。

00:05
おはようございます。熱血中小企業診断士、挑戦する経営者のパートナー、 オサナイ先生こと、オサナイ和志と申します。
50歳、虎年、ヤギ座のB型。好きな言葉は、Don't worry, be happy. 心配するな、楽しく行こうです。
皆様おはようございます。今朝のお目覚めはいかがでしょうか。 本日は、2025年の3月の11日火曜日でございます。
青森県弘前市はですね、昨日も天気が良くてですね、お日様が日中は出ておりまして、雪がどんどん溶けているという状況なんですね。
とはいえですね、雪はですね、積雪できますという青森県弘前市、現在91センチまでございます。
なんかね、減った感じはしてるんですよ。でも雪はあるのはあるんですけども、あのね、160センチ厚さに比べますとですね、
まあだいぶ減ったなというふうに思いますけどもね、多分これね、南の方から来た皆さんから見ると、すごい雪だなってまだまだ思うんでしょうけどね。
我々にとっては、まああともう少しそうですね、あと1ヶ月もすればですね、春が訪れるんじゃないかなというふうに楽しみにしているということでございます。
ということで今日も元気にやっていきましょう。まずはスポンサー様のご紹介でございます。
今月のマンスリースポンサー様、現代の武士こと佐野昌平さんでございます。昌平さんありがとうございます。
昌平さんでございますけども、5月の6日火曜日からですね、日本文化版キッタニアとも言うべき伝統万博の方を開催するということで、
昨日からですね、クラウドファンディングの方が、カモファンディングの方でスタートいたしました。
で、現在まで集まっている金額が約180万ということですごいですね。
1日で180万、目標金額30万でございましたから、1日でね、約6倍の支援を集めていると。
これもね、やっぱりカモさんがいつも言ってますが、この前のカモさんのね、ボイシーでも言ってました。日曜日のボイシーでも言ってましたけどね。
やっぱりぶっ飛んでる人はやっぱり違うよねということで、僕も沖縄で、実は昌平さんと一緒で僕もスポンサーやらせてもらったんですけども、
カモさんの楽屋にちょっとお邪魔させてもらいまして、10分くらいお話させてもらったんですけども、そこでもね、やっぱりカモさんがね、ベタモベでしたし、
もうね、本当にぶっ飛んでるよねっていうことで、カモビズ界隈の中でぶっ飛んでる人の中の一人だというふうに、
かかっているやつっていうふうに、いつもカモさんは言ってましたけどね。そのぐらいね、すごい、あの、昌平さんでございますので、ぜひ皆様方、伝統万博を名古屋で開催したいの方ですね、ご視聴いただければなと思います。
それからもう一方、デイリースポンサーでございますけれども、本日のデイリースポンサーは、日本一体役のジョージさんこと山本隆一社長でございます。ジョージさんありがとうございます。
ジョージさんはですね、なんと3月分のデイリースポンサー券をすべてチャックしていただきまして、そしてその他にですね、7月のマンスリースポンサーになっていただいているということで、本当にありがとうございます。
ジョージさんからいただいたスポンサーコールをちょっとお見上げさせていただきますと、憧れの西野晃弘さんがアルバイトに来られる日に、日本一の記録7000匹を達成したいプロジェクトのクラウドファンディングに挑戦中のジョージこと山本隆一です。ご支援よろしくお願いします。
ということでスポンサーコールをいただいておりましたジョージさんありがとうございます。ジョージさんのね、今ピクチャーブックで開催している、今申し上げました、この西野さんがアルバイトに来る日に日本一の7000匹を達成したいというこのクラウドファンディングでございますけど、現在まで集まっている金額が480万、もう490万になりました。あともうちょっとで500万ですね。
すごい500万がまもなくということになっております。こちらね、あの2年前にですね、西野さんの夢と金っていう本がありまして、これ1500冊ジョージさんが買ったんです。これ西野さんがね、自宅まで届けますと、届けますというふうなものだったんですけど、その時にジョージさんが西野さんアルバイトに来てくださいというふうなお話をしてたんですね。
で、それから2年経って、西野さんもその約束を覚えていてくださったということで、5月のですね、1日に日本一タイヤ機の広島福山屋内図展がプレオープンするんですね。で、このプレオープンの日の15時から17時に西野さんが来られるということなんですけども、はい。
一般客のお客さんもいらっしゃいますので、車もお互いしますし、リターンで来店の券出したんですが、すぐ売り切れてしまいまして、追加で出るかどうかというのは常にご覧いただければなというふうに思うんですけども、かなりね、西野さんも来るのもそうなんですけども、ジョージさんのファンもたくさんいらっしゃいますし、相当ね、かなり車も混むかと思います。
で、5月1日でございますけども、近隣にね、車止めていただいて、歩いてご来店したお客様にはタイヤ機1匹など無料でいただけるということでございまして、太っ腹なジョージさんでございます。
で、グランドオープンが5月2日なんですけども、両方、オープンの日はですね、どうしても混み合いますので、種類がね、クロワンとカスタードの2種類のみというふうになっておりますので、それをご了承いただきたいということでございました。
はい、いずれにしてもですね、このもう14店舗目ですね、この日本居宅ジョージさんがね、運営している日本居宅は14店舗目となりますけども、相当ね、当日は混むことは間違いないなというふうに思っておりますし、ぜひね、このクラウドファンディングの方で皆様方ご支援いただければなと思います。
様々なね、リターンが出ておりますので、ぜひよろしくお願いしたいなというふうに思っております。
震災の日の思い出
ジョージさん、スポンサーありがとうございます。ということで、今日のテーマですけども、震災から14年、あの日を忘れないというテーマでお送りいたします。
今日3月11日は我々東北寺にとっては忘れられない1日です。東日本大震災が発生した日でございます。
2011年の3月11日午後2時46分でしたけども、あれからね、もう14年も経つんだなと思いますと、本当にあっという間の14年だったなというふうに僕は思いますね。
あの当時僕は青森県の戸和田市というところにおりました。日本地図でいきますと青森県の約左側、太平洋側に近いところなんです。南部地方というところなんですけども。
なので、地震の影響ももろに受けた地域でございました。僕があの当時ですね、前の会社にいましたけども、ビルの4階にいたんですね。その時間2時46分ですけども、今でも覚えてますけども。
自分のデスクで仕事をしていますとガタガタというふうな揺れがありまして、だんだんだんだん揺れが強くなってきて、これはただ事ではないなという感じがしたんですね。
実はこの2日前にも震度5ぐらいの大きな揺れがあったんですね。
なので、また地震。でもその時はそんなに危機感はなかったんですよ。また地震が来たなという感じだったんですけども、どうやらちょっとおかしいと。
揺れがどんどんどんどん激しくなってきて、ついにはもう棚から荷物が、書類が落ちてきたりとか、机の引き出しが飛び出してきたりとか、これはさすがにただ事ではないということで、机の下にすぐ隠れた記憶があります。
揺れが収まった瞬間に電源が、電気が切れたんです。停電したんですね。非常用電源に切り替わって、本当に豆電球ぐらいかな、ついたんですけども、すぐもう書類を全部ね、金庫の中にしまって外に退避ということで、階段でね、もう普段使わない非常用階段を使って降りて、
もちろんテレビも見れませんから、何が起きたのか、どこが震源なのか全くわからない状態でした。特にあの時はまだスマートフォンがなかったんですね。ですからテレビなかった。で、僕たまたま持ってた携帯がワンセング使えたんで、ワンセングの電波が過路地で繋がったんで、それで見たら宮城県が大変なことになっているということで、震度7の地震が発生したということで、
これはただごとではないなということだったんですね。で、一応、僕もどちらかというと会社の中で上の方にいた人間だったんで、とにかく下の人間をまず返して、自分はね、ちょうど金曜日でしたんで、金曜日は毎週広崎の方にね、100キロ離れた広崎に帰るんですね。なので帰らなければいけないということで、とにかくもう仕事にならないんで、
みなさん解散しましょうということでね、上の方から言われまして。で、帰ったんですよ。ところが、帰るはいいんですけども、全然途中の信号機も全くついてない状態ですね。で、帰る頃にはもう5時ぐらいだったもんですから、あたりも暗くなってきてる。
帰宅の苦労
で、もう明かりもね、街中も街灯も全くついてない状態の中で、ただ車だけは大渋滞だったんですね。で、大渋滞の中で、普段はね、戸和田から広崎まで1時間半ぐらいで帰れるんですけども、あの日はもう何時間、4時間ぐらいかな、かかったんですね。
大渋滞でしたし、もうあちこちがパニックでしたね、本当にあの時は。なので、そういう状況の中で帰ったということだったんです。
で、帰って、まずね、携帯がつながらなかったんで、ようやく帰って家族の顔を見てね、子供たちはもう9時、10時ぐらいか、10時ぐらいだったんでもう寝てましたけども、とにかくもうストーブもつかないし、ダウンを取る、布団に入ってないからダウン取りましょうということで、僕らはもう部屋の中寒いんで、車の中でエアコンつけてね。
で、ちょっと時間をね、テレビ一応見れたんで、車のね、車の中から見れたんで、それを見ながら、もうそこで僕は初めて津波の状況を見たんですね。で、なんか本当に映画見てるようでしたね。
こんなこと現実に起きるんだっていうぐらいの、本当にひどい状況が、皆さんテレビでご覧になっていたかもしれませんけど、それだけではなくて、福島のね、原発が大変なことになってたということもあってですね。
これは僕、日本がもうひっくり返るんじゃないかなって思うぐらいの、やっぱり生まれてこんなことね、人生でもなかったですし、こんなこと現実に起きるんだっていうことを目の当たりにしたんですね。それが14年前でした。それからね、本当にいろんなことがあって。
僕のところは3日、2日、3日ぐらいで電気は復旧したんですね、弘前は。とはいえ、やっぱり食料がないというのと、あとガソリンですよね。これがなかったっていうのが本当に非常に辛かったですね。
食料はもう近くのスーパーにみんな寒い中並んで、人数制限かけられてるんですね。結局全員入ってしまうとパニックになりますし、しかも電気がつながってなかったものですから、電子が打てない。みんな電卓を叩いて、一個一個計算して、買い物していたということもあって、もう1時間以上並んだかなっていう記憶はありますし、
ガソリンも物量が止まってしまっているので、タンクに入っている分しか買えないという状況だったんですよね。なので、それももうみなさんガソリン足りない、足りないっていう話だったので、制限かかっていて、現金で2000円か、もしくは20リッターまでというふうな感じでですね。
みなさんあちこちのガソリンサンドをはしごしていたという状況。だから1回入れてはまた2時間並んで、また1回並んではっていうふうな感じですね。ようやく満タンにするということがですね、この地震があった週末ですね、続いていたかなというふうに思います。
僕は週末終わって、月曜日からまた戸肌に戻って仕事をすることになるんですけれども、まあとはいえね、本当にもうどこもかしこもみなさんパニック状態であったんで、まずは復旧しないとどうにもならないなということがありましたけれども、それでも戸肌もね、割と早く復旧した方なんで、沿岸地域の八戸がね、やっぱり津波の影響をもろに被ったということもありまして、
そちらの状況は結構きつかったんですけれども、青森に関しましては、東北の岩手、宮城、福島の太平洋側3県と比べても被災した地域というのは限られていたというところだったんですね。
とはいえ、僕はあのやっぱり震災の教訓から得たものというのは、やっぱり準備って必要だなというか、何があっても備えて必要だなというふうに思いましたんですから、あれ以降僕はもう常に防災袋ですか、あれを家に携帯しておりますし、冬の間停電になった時のために、僕の家はオール電化なんですね。
震災からの教訓
だから止まってしまうと完全にアウトになるんですけれども、タンクの中にお水が溜まっていて、夜の電力であったかくなるので、450リッターのタンクの中にはお湯が入っているという状況にはなっているんです。
あとはガスコンロがありますよね。家庭用のガスコンロ。あれのガスがあるじゃないですか。ちっちゃいガスボムがあるじゃないですか。あれで動くストーブが実はあるんですよ。これだと灯油はどうしても使うか使わないか、オール電化の家だと使わない可能性が高いんですよ。
そうすると灯油が古くなっていっちゃうんで、中に水滴が溜まって、逆に悪くなっちゃうんで、灯油を持たないようにしたんですね。代わりに持ったのがカセットコンロのガスで使える携帯用のストーブっていうんですか。それは僕は今常に家に置いていると。
出番がないのは幸いなんですけど、何かあった時のために灯油はそれで最低限ダウンは取れるというふうにしているんですね。本当に蓄電池があればいいんでしょうけど、バッテリーですか。さすがにバッテリーまで用意できないのは高いですしね。
最低限のところ用意。その前は震災の教訓から今でもいつ何が起きてもいいように準備しているということでございます。皆さんのお住まいの地域でも、本当に最近九州地方でも何回トラフの情報が出たりとかもしてますし、いつ何が起きてもおかしくないということなんで、この日、東日本大震災があった日というのは僕らは決して忘れてはいけませんし、
亡くなった方々がたくさんいらっしゃいますので、その方々のご冥福を祈りする日ということでもあるというふうに思っているというところでございます。
はい、ということで今日はですね、本当に僕の震災の思い出というか、そこからちょっと気づいたことについてお話しさせていただいたというところでございます。ということで今日はですね、震災から14年、あの日を忘れないというテーマでお送りいたしました。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。この放送が良かったと思ったら、いいねをそしてコメントをいただけると僕はめちゃくちゃ嬉しいです。
そしてこの回をシェアしていただきますと、僕は泣いて喜びますので是非よろしくお願いいたします。
メンションしたりね、タグ付けしていただければ僕が引用しますのでよろしくお願いいたします。ということで火曜日の今日もワクワクする1日になりますように。ではでは、今日も元気にいってらっしゃい。
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