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今日お話ししたいのは、清少納言を求めてフィンランドから京都へという、こういう本のことですね。
この本、別に検索したら見つかったというわけではなくて、
Amazonのおすすめに出てきたから、何か面白そうだなと思って無料サンプルダウンロードして、
もう本当に無料サンプルだけでも結構面白かったので、もうすぐ購入手続き取ったという感じですね。
でね、何でこの本が出てきたのかちょっとよくわからないんですよ。
僕今までそんなに古文とか全然、すみません、本当にはっきり言っちゃうと古文全然興味なかったです。すみません。
マクランの創始も紫式部の源氏物語もあんまり興味なくて、本も買ったことないです。
フィンランドの本も買ったことないので、どうしてこれが出てきたのか全然わからないんですけど、
とりあえず出てきたので無料サンプルを読んでみた、ダウンロードしてみたという感じです。
もちろんその後本編も全部読みました。
じゃあ皆さんにここで一つ質問したいんですけど、
たぶん皆さん授業で春は明け物ってやったと思うんですけど、
授業以外でマクランの創始を読んだことある方はどのくらいいらっしゃいますかね。
授業以外でマクランの創始を読んだことがある方はハートマーク、
読んだことがない方は涙のマークでリアクションをいただけますかね。
実を言うと僕も全然ないです。
中学か高校ぐらいでマクランの創始の春は明け物って、
白くなりゆく山際でしたっけ、そういうのをやりましたけど、
それ以外は全然縁がなかった人間なんですね。
今涙しかないですね。
無反応の方は多分パソコンとかで反応できない方だと思うんですけど、
少なくとも今いらっしゃるリスナーの中には、
授業以外で清少納言のマクランの創始に触れたことがない、
読んだことがないという方ばかりのような感じがします。
少なくとも読んだことがあるという方はいらっしゃいませんね。
じゃあ要するに多分、でもそれ普通の日本人はみんなそうだと思うんですよね。
僕もそうですけど。
そういう日本人にとってどういうふうに読めるかということを、
今日は主にご紹介してみたいんですけど、
まずこの本の具体的なところからご紹介していきます。
まずタイトルは清少納言を求めてフィンランドから京都へというこういう本ですね。
著者はミヤ・カンキマキさんというフィンランド人の方です。
この本を書いている時は38歳と書いていましたね。
2011年の時点で38歳の方。
今98の評価があって、平均は4.5です。
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これもうかなり高い方だと思いますね。
Kindle版は2090円、印刷版は2200円になっています。
ではこの商品ページに書いてある説明のところを読んでみますね。
以下引用です。
引用と言っても商品ページの引用なので本文の引用ではないですけどね。
引用です。
誠意というのはカタカナで誠意と書くんですけど、
これは清少納言に対してこの著者の人が呼びかけているところですね。
誠意というのは何回も出てきますこの本にね。
以下引用です。
誠意、あなたと私は驚くほど似ている。
遠い平安期に生きた憧れの女性。
誠意を追いかけてヘルシンキから京都、ロンドン、プーケットを旅する長編エッセイ。
仕事にも人生にもうんざりしたアラフォーシングルのフィンランド人。
私は長期休暇制度を使って日本へ旅立つ。
目的は清少納言を研究するため。
うだるような京都の夏の暑さ。
ゴキブリだらけの外人ハウス。
同居人とのドタバタ劇。
博物館や図書館での資料探し。
東日本大震災による精神的混乱。
深夜のバーでの友との語り。
この世のものとは思えないほど美しい桜。
女性が生きていくことの困難さ。
新しい人生へと旅立つ期待と不安を鮮烈に描いたデビュー作。
ページ数は467ページなので読み応えがあると思います。
日本語版が出版されたのは去年2021年の8月4日です。
日本語版が出たのは2021年ですが、
さっきの商品ページの説明にありましたように、
この著者の方が日本に滞在している間に
東日本大震災が起きるんですね。
なので実際にその舞台となっているのは
2011年が中心になっています。
内容としては、
この本を書いたのは三谷さんという方ですね。
この三谷さんが清少納古に出会ってから
この本自体を書き始めるまでの調査、
その過程がドキュメンタリーっぽい感じで書いてあるんですよね。
ですので清少納古について体系的に分析しているというわけではなくて、
時系列でこういうことがあった、こういうことがあった、
ここの博物館に行ったとか、
こういう体験をしてみたというようなことが
時系列で書いてあります。
それ以外にも時系列から離れて、
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抽象的に三谷さんから見て清少納古はこういう人だとか
そういうことが書いてあったりもしますけど、
基本的には時系列に沿って
この人のやったことが書いてあるという感じですね。
なのでエッセイなんです。
本当にエッセイになっていて、
エッセイ的なドキュメンタリーで、
かつですね、やっぱりこの人は清少納古の大ファンなので、
すごくオマージュ、
清少納古の枕草子へのオマージュみたいなのもあって、
自分の好きなものっていって、
いろいろ羅列していったり、
リストを上げていったりとかですね、
そういうところとかも結構あります。
すごく少なくとも僕とは全然違うなと思ったのは、
この人は清少納古にすごく似ていて、
かつですね、清少納古がこの人本人に直接話しかけているように感じているんですね。
ちょっと該当するとこいくつか引用してみますね。
本文からの引用です。
私はあなたに話しかけられた世界中で唯一の人間だと思ってきた。
自分は選ばれた人間で、
他の人には見えていないものが見えていると思ってきた。
私だけが少なくとも霊的な通信ができる。
だからあなたについて他の誰にもわからないことがわかるんだと。
ここでちょっと飛ばしますけど、
こういった商談が、商というのは第何章、第何段というところですね。
こういった商談が千年の時を越えて、
言葉や文化の違いを越えて、
アジア大陸を越えて、
古代の平安京から2000年代のヘルシン紀にやってきて、
私の胸に届いたとき、宝物を見つけたと思った。
ここまで引用なんですけども、
なんかすごく運命的なものを感じているんですね。
僕は春は秋物とか読んだときも、
そういうものはあまり正直感じなかったんですけど、
この人はこういうものをすごく感じたというわけなんですね。
そういうところに何でそうなのかというと、
実はこの宮柑橘さんという著者の人が、
この戦勝名言自体とすごく共通点を持っているということがだんだんわかってきます。
ここもその一部をちょっと引用してみますね。
以下も引用です。
実を言うと、私自身字がうまいとかすごくうまい男たちとだけ付き合ってきたからだ。
ここはその戦勝名言が字のうまい男がいい男ですよね、
みたいなことを言っているところを紹介した後でこういうふうに言っています。
実を言うと、私自身字がうまいかすごくうまい男たちとだけ付き合ってきたからだ。
彼らとは異常なほど頻繁に手紙をやり取りしてきた。
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字と文采は特に重要なことだったのよ。
パートナー選びに直接関わりはしないだろうけれど、
長く付き合うことを考えると大きなプラス要因だった。
胸に手を当てて考える。
果たして私は救いようのない文字を書き、
自分のことを文章で表現できない、
または複合語間違いをするような男に恋をするだろうか。
なんて書いてありますね。
僕も本当にもう字は下手なので、
たぶんこういう人とは全く縁がないだろうなという感じなんですね。
それとものすごく面白いのは、
そうなんですよ。
この本には聖書名号に対して呼びかけるところが100箇所以上あると思います。
もしかしたら200箇所とか300箇所とかあるかもしれません。
最初はそれがすごく切ない感じがするんですよ。
もうだって1000年前には死んじゃっている人ですよね。
だから絶対その声は届かないということが分かっているんですけど、
途中から聖書名号が一緒にいるように身近にいるように感じ始めるんですよね。
どこか出かけるときにも、
せい一緒に行きましょうとかそういうことを言ったりとか、
あるいは喧嘩をしたりもするんですよ。
この辺がちょっと僕から見ると、
ほんとに推してこういうところまで行っちゃうのかって、
ちょっと僕から見るとすごく新しい世界なんですけど、
例えば喧嘩をした後にこんなことが書いてあります。
以下引用です。
せい、あなたとよりを戻したい。
ねえ、またあなたと私の関係になりましょう。
二人だけの関係に私たちが気づいたもの、私たちが好きなもの、
私たちが嫌いなものをリストアップして、
月明かりの下、涼しいベランダに静かに座って、
おいしかったら声に出して笑いましょう。
あ、すみません。おかしかったら声に出して笑いましょう。
これで引用終わりなんですけども、
ほんとにすぐ身近に聖書名号がいて、
その笑い声も聞こえるような感じなんですね。
でね、一番最後のところまで。
これが本当に最初に言いましたけど、
この本は聖書名号に出会ってから、
この本自体を書き始めるまでのその過程が本になっているんですね。
ですからいろいろメモとかしておいて、
やっと本文の執筆に取り掛かるまでが、
この本の内容なんですね。
この本の最後はですから、
その本を書き始めるところが一番最後なんですけど、
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そこに来ると実際に見えるんですよ。
この著者にはこの聖書名号が自分と同じ部屋にいて、
同じ部屋のソファーに座っているところまで見える。
そしてその聖書名号に向かって、
さあ始めましょうというふうに呼びかけるところで、
この本が終わるんですけど、
もうね、なんかそうか、
僕ね、あんまり、
別に聖書名号みたいな高尚な人に限らず、
その普通のね、
例えば松田聖子とかそういう僕の時代のアイドルとかね、
それに対してもそんなにですね、
ここまで、何ていうかな、
熱を上げて好きだと思ったりしたことも全然なかったんですね、
正直な話ね。
なので、いわゆる最近だと推しって言いますよね、
推し活動とか言ったりしますけど、
それって本当にすごいなというふうに思いました。
もちろん今だったらそのABKとか、
そういうところで、
その中で誰が好きとかね、
そういう話してる人もいらっしゃいますけど、
彼女はその対象が本当に千年前の、
本当に地球の反対側に住んでいた日本人の女性だったということなんですね。
それはね、もう本当に、
こんなふうにここまで一緒に同じ部屋にいて、
ソファーに座っているのが目に見えちゃうぐらい、
身近に感じてしまうものだというのに、
それがすごく印象深かったですね。
今日最初にこの村スペの最初にお伺いしましたけど、
みんなその授業以外では、
枕草子とか触れたことない人が多いわけですよね。
それが普通のほとんどの日本人だと思うんですけど、
僕もそうなんですよ。
そういう人間にとって、
枕草子ってこんなに面白い本だったのか、
それもすごいびっくりでした。
その後、この本を読んだ後、
NHKの100分で名調というので、
枕草子とかの解説とかもあったので、
そういうのも読んだりしたんですけど、
それで古典の先生、
少なくとも僕が勉強した学校の古典の先生は、
本当に申し訳ないんですけど、
こういうことの魅力を全然教えてくれなかったですね。
試験に出るのは古典の文法の掛かり結びとか、
枕言葉とか、
そういうのは教えてもらったんですけど、
正直それにそんな意味があったのかなって、
僕は今となっては本当に思います。
この著者みたいに、
この本の面白さみたいなのを厚く語ってくれると、
本当にここまで、
著者が同じ部屋に、
枕草子の正常な分が、
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同じ部屋の同じ側に座っているのが見えてるとか、
そこまで来ちゃうと、
引いちゃう、
ドン引きしちゃう人もいるとは思うんですけど、
少なくともこの本の面白さみたいなところを、
教えてもらった方が、
たぶんその後、
もしかしたら僕も自分で、
枕草子自分で、
現代語訳でいいかもしれないけど、
現代語訳かもしれないけど、
それを読んでみたいと思ったかもしれないし、
今実際僕が、
まさにそうなんですよ。
この清少納言を求めて、
フィリランドから京都へというこの本を読んだ後に、
もうすぐ100分で明朝で、
枕草子の解説をちょっと読んだわけですね。
なのでそうやって自分で、
どんどん世界を広げていくことができると思うんですね。
要するに係り結びとか枕言葉とか、
そういうことを教える前に、
そういう本の面白さとか、
そういうことを古文の先生は教えてくれた方が良かったんじゃないかなと、
僕は今になって思います。
もちろんそういう先生方もたくさんいらっしゃると思います。
そういう先生方に教わった先生方、
その時の高校生とか中学生がその後、
もちろん古典の研究者とかになっていくんだろうと思いますけど、
僕の場合はそういう先生には巡り合わなかったので、
本当にもう50、半ばになるまで、
枕草子の春は秋物以外は全然知らないで育ってきた。
それがちょっと僕は今になってみると残念だったなと思いますね。
本当に非常に豊かな世界がそこにあるのに、
それに気がつかないで、
しかもそれに気がつかせてくれるべき先生がいたのに、
それに気がつかせてくれなかったっていうのは、
ちょっととても残念に思っています。
この本はどんな人にお勧めかというと、
まず僕みたいに古典のことを全然知らなかったんだけど、
知らない人にもそういう人にお勧めしたいと思いますね。
むしろ古典のことに詳しい人には、
この人の解釈についていろいろ疑問に思ったりすることは、
もしかしたらあるかもしれません。
特に最後の方に、
この人が発見した新しい新解釈のように書いてあることが、
実はもしかしたらそれほど新解釈ではないのかもしれないというようなことも、
100分で名著とかを読んで考えたりもしました。
でもこれはもう11年前にこの人が考えたことなので、
逆に言うとそれをもとにいろんな人が
同じようなことを言い始めたということもあるかもしれないんですけどね。
あともう一つは、
基本的には京都に住んでいる、京都で時間が過ぎていくんですね。
なので京都に住んだことがある人とか、京都の地理に詳しい人とかは、
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僕よりもっと身近にこの人たちの、
この著者のやっていることとかがすごくわかるんじゃないかなというふうに思います。
あともう一つは紫色紙の方なんですけど、
つまり要するに清少納言ではなくて、
同じ時代の紫色紙についてバージニアウルフが、
自分一人の部屋とかで結構フェミニズムについていろいろ書いているバージニアウルフが、
紫色紙についてかなり詳しく、
Vogueっていうファッション雑誌かなんかっぽいやつですよね。
僕はあまり縁がない雑誌なんですけど、
それにバージニアウルフがすごく詳しく紫色紙のことを書いているというのを見つけて、
バージニアウルフの調査までこの人はするんですよね。
そういう意味でフェミニズムですよね。
バージニアウルフだけではなくて、
それに関するところ以外にもフェミニズムに関心がある人にもいろいろ、
そういう視点からこのフィンランドから京都へ、
紫色紙を求めてフィンランドから京都へ、
この本を読むのも面白いんじゃないかと思います。
フェミニズム的な視点もかなり強く書いてありますね。
それでは時間もだいぶ過ぎておりますので、
僕の話はここまでにさせていただきたいと思いますけど、
リスナーの皆さんで、
今日の僕の話を聞いて、
もし本文を買う前に、
無料サンプルぐらいはダウンロードしてみてもいいかなというふうに思う方がいらっしゃいましたら、
ハートマークでリアクションいただければと思います。
自分にはちょっとまだ早いかなとか、
あるいは自分にはちょっと向いている本ではないかなという方は、
涙のリアクションいただければと思いますが、いかがでしょうか。
それでは本日もムラスペにご参加くださいまして、ありがとうございました。
今日のこの聖書名言を求めて、
フィンランドから京都へ、
こういう本について僕が言ったことに関して、
質問とか感想とかコメントとかありましたら、
ぜひムラスペのハッシュタグ付きでご共有いただければと思います。
それでは本日も良い一日をお過ごしください。
そして冒険は続きます。