1. むらスペ
  2. スマホを集めることの是非
2023-01-10 20:14

スマホを集めることの是非

ツイッターの日本語教育界隈で話題になったトピックです。まずは合意があるかどうかが問題で、合意なく取り上げるのは僕は違法行為だと思っています。ただ、スマホのメリットとデメリットを考えてもらった上で、形式的ではなく本当の自由意志で合意するのなら、僕は依存症になっている人が物理的にスマホと距離を置かなければならないと考えているのなら、預けたいという学習者のスマホを預かるというのは学習者に対するサービスの一つとしてあってもいいのではないかと思います。

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それでは本日の本題に入りたいと思います。 今日お話ししたいのは、
スマホを集めることの是非ということですね。 これを話そうと思ったのは、もう本当にツイッターでこの話がすごく
皆さんがいろいろご意見を共有しているからなんですけれども、
これにつきまして、今あまりリスナーの方はいらっしゃらないんですけど、 例えばスマートフォンとかあるいは携帯をですね、
授業中に集めるような学校で働いていることがありましたら、ハートマークいただけますかね。
はい、今もう一名いらっしゃいました。 携帯を集めるような
現場、職場で働いたことがある人はハートマーク いただければと思うんですけど、今のところ反応ないみたいですね。
はいはい。 まずですね、具体的な事実、僕がですね、認識している範囲では、
多分マレマレさんという方ですね、 ツイッターのマレマレさんという方が
自分が教育主任なのに、
いつの間にかですね、 授業の前に携帯を集めることが決まってしまっていたということで、
悩んでいるということが書かれていらっしゃいました。 これは別に鍵アカウントとかでもないので、
特に秘密という感じではないと思いますし、 ご本人も職場の名前とかね、ご本名とかも書いてないので、
特定されることはないと思うから、別にここで話しても問題ないと思うんですけど、 それに対してですね、本当にいろんな方がご意見を書かれています。
僕の見た範囲では、僕がフォローしている人の限定しても、 ラチハトさん、ナオタローさん、
コンさん、シノさん、ジャパニーズティーチャーさんさんさん、 日本語学校に生息する猫さん、ニャーさん、チャチャさん、中山純子さん、
静岡高田さん、木村健介さん、アトップさん、エイトップさんかな、 この13人ぐらい、12人かな、そのぐらいの方がこの件についてご意見を述べられています。
いろいろな意見があるんですけど、条件によってこの是非は簡単には言えないところがあると思うんですね。
なので、いろいろ論点を分けた方がいいんじゃないかと思うので、 まずその辺から話をしてみたいと思います。
やっぱり少しググってみただけなんですけど、10分か15分ぐらいググってみただけなので、 法律のことは詳しいことはわからないんですけど、
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やっぱり民法の206条というところに、所有物の使用権というのがあって、 それを合意なく取り上げたら、それは所有物の使用権の侵害ということで、
民法260条違反ということになってしまうような気がします。
だけど、それにもいくつか例外があって、法律の制限がない限りみたいについているんですけど、
それで、例えば公教育では、学校教育法というので認められているという弁護士の見解も見ることができました。
それは懲戒という場合とか、懲戒は叱る方の懲戒ですけど、聞く方じゃなくてね。
なので、スマホで勉強していなかったら罰として取り上げるということは、 学校教育法では認められているという弁護士の解釈がありましたが、
ただ、日本語教育の多くは学校教育法ではないですよね。
大学とかは学校教育法になるのかな、高等教育も。
一般的には国事校とか専門学校とか、そういうところは学校教育法の範囲ではないと思うので、
こういう所有物の使用権の侵害が認められるようには認められるという根拠を少なくとも、
僕は10分とか15分とかググってみた範囲では見つけることができませんでした。
あるかもしれないですけどね、僕専門家じゃないしね。
だけど、そう簡単には見つけることができないというもののように見えます。
ですので法的には合意なく取り上げるのはアウトのように、僕は今は認識しています。
だけどそれはあくまでも合意がない場合なんですよね。
合意があるときとないときは、ちょっと本当に話を分けて考えなければいけないと思うんですね。
それでですね、学習者が自分の自由意志で携帯を預けたいと思っているんだったら、
それは学習者に対するサービスとして検討してみる価値はあるんじゃないかと思います。
ただ多くの人もTwitterでも指摘されているんですけど、
スマホには決済機能がありますよね。
要するにお金を払ったりすることもできるわけです。
なのでそういう間違いが起こらないような注意は必要だと思います。
僕がどうしてこういうことを言うかというと、たぶん皆さん驚かれると思うんですよ。
僕は普段ICTに対して肯定的に考えているので、
あまりこの手のことは言わないんですよね。
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だけどやっぱりICTにも、人間の心の方にはいろんな問題があって依存症みたいなのは実際に存在するんですよね。
それが依存症みたいになっていて実際に勉強にできないという指標が出ていたら、
本当にそれは依存症と言ってしまっていいと思います。
例えば有名なのではアルコール中毒とかですよね、依存症とか。
あと覚醒剤とか。
そういうのもお金がどんどんかかって人間関係も壊れていって、
それでもやめることができない。
そういうのが依存症だと思いますけど。
もしそういうふうな感じになって自分をコントロールできないんだったら、
それを物理的に学習者とスマホを物理的に距離を取る、
実際に触れないようにするというのは、
僕はやってもいいというか、むしろしてあげた方がいいことだと思います。
それはもちろん決済機能とかあるから、
それに注意しなければいけないというのは全くその通りなんですけどね。
なんでそういうことが起きるかというと、
それについて詳しいことをお知りになりたかったら、
スマホ脳というのがありますね。
スマホ脳という本があります。
この本の中にはかなり明らかな間違いとかもあって、
僕はこのスマホ脳というのを全面的に支持していることは全くないです。
むしろかなり一方的にスマートフォンの使い方を非難している本なので、
僕は全面的にはこのスマホ脳という本を支持はしていないんですけど、
だけど、いくつかの研究、この本で紹介されているいくつかの研究を見てみると、
それは確かにあるかもしれないというふうに思うことがあるんですね。
それの中のいくつかは、
もうスマホを使わなくても、
それがそばにあるだけで、
スマホを使わないように、
スマホをチェックしないように努力しなきゃいけない人たちがいるんですよね。
もう半分依存症になっちゃっているそういう人だと思うんですけど、
そういう人たちが実際に存在していて、
それを見ないようにすることに、努力することによって、
それでもう認知リソースを消費してしまうんですよ。
つまり、勉強に集中できないんですよね。
見ないようにしなきゃ、見ないようにしなきゃってずっと思ってなきゃいけないので、
それで勉強に身が入らない。そういうのは実際に僕もあるんじゃないかと思います。
実を言うとね、僕もですね、
2018年の12月に父を亡くしたんですけど、その直前にですね、
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依存症みたいになってましたね、正直言うと。スマホであるゲームをやっていたんですけど、
それがですね、もう本当に自分でなんでこんなことに時間を費やしているのか正直わかんない。
そのゲームがものすごい楽しいってわけでもないんだけど、
もうやってしまうっていう、それが自分でコントロールできない感じだったんですね。
だけど、僕の場合は、
父が亡くなって、もう本当に亡くなる2ヶ月くらい前に、
がんが見つかったんですね。
で、それでそのもう亡くなった直後っていうのは、本当にいろいろそのいろんな手続とかですごく忙しいしね。
それで、
それがそういう忙しさが終わってみたら、なんかふと気がついたら、そのゲーム依存症みたいなのがなくなっていました。
本当にね、月が落ちたようにって言いますよね。
月っていうのは取り付く、その悪魔が取り付いたりする月ですよね。
月が落ちたようにっていう言葉がありますけど、本当にそんな感じで、
葬儀とかのね、そういう一連の手続とかが終わったら、もうそのゲーム依存症がなくなっていました。
その時はね、ゲームやってる時はね、僕実は全然、それが自分の肉身がね、今はもう死のうとしているっていう、そういう状況だから、
それだから、現実逃避のためにそれをやってるなんて認識は全くなかったんですよ。
本当に全くなかったんですけど、でも後からそういう状況を経験して、それが本当に月が落ちたようにね、なくなってから気がついたのは、
もうあれは本当に現実逃避のために依存症みたいになっていたんだなというのが、ちょっとすごくよくわかったというのがあります。
なので、それでですね、そういう状況の人たちは、やっぱり別に僕一人の特別な状況ではなくて、他にもそういう方はいらっしゃると思うので、
そういう時には、やっぱり一番本質的に大事なことは、やっぱり問題を解決するということですよね。
加食症とか、加食症というものは食べ物に対する依存症みたいなものだと思うんですけど、そういうものとか、全部、
何らかの問題があるわけですよね。スマホが問題なんじゃなくて、スマホ以外に人間関係とか、あるいは日本に来た留学生の場合は、それまでのね、
社会的なネットワークから、物理的には切り離されてしまっているわけですよね、空間的にはね。
だから、それをオンラインの世界で必死に維持しようとしているとか、
なんかそういう、あるいは日本に来たばっかりでそれで日本に馴染めないとか、あるいは勉強そのものに馴染めないとか、新しい言語を勉強しているわけですから、
そういういろんな状況があって、それ多分本人も分からないとは思うんですけど、
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だから、本質的な解決は、そういう依存症の原因になっていることを解決するしかないんじゃないかと思います。
僕の場合はね、父親の末期がんというのがあって、それは本当に、ある意味ね、幸いなことに期間限定だったので、
自分で解決することなく過ぎていってしまった話ですけど、でもそれが、そういう期間限定じゃない場合は、
どうしてもその原因を見つけて、それを特定して解決するように努力するというのが一番根本的な解決方法なんじゃないかなとは思います。
だけどそれは、さっきも言いましたように、そんな簡単なことじゃないですよね。
末期がんなら期限は決まってるというか、長期にはならないけどそうじゃないような病気もあると思いますし、
病気以外にもそんな簡単には解決できないようなこともたくさんあると思います。
それで、まずすぐにできるということは、
スマホに、そういう依存症になっているような人が自分でコントロールできないわけですよね。
そういう人のためのアプリとかがあります。
多分有名で僕も使っているのは、Forestというやつですね。
Forest、Stay Focusedというサブタイトルみたいなのもついています。
これを入れると、特定のウェブサイトに、
無料版の場合はForestという、それを開いていて、それを閉じてしまうと、
木が生えてくるようになります。
前にもこの村スペで話しましたので、聞いた人がいるかもしれませんけど、
例えば10分、一番最低でも10分間、長ければ2時間くらいかな。
そのくらい他のアプリが使えなくなるようにできるんですね。
無理して他のものを使うと、木を育てるんですよ。
集中してForestのアプリを開いている間に、だんだん木が育っていくんですね。
Forestのアプリを閉じて他のアプリを使ってしまうと、木が枯れてしまうんですね。
そういうメタファーがあるので、実際この木を育てなきゃという風になるし、
実際に点数が溜まっていくんですよ。
1回やると3分とかそのくらいかな。
それが何点か溜まると、結構な点数2500点とかそのくらいなんですけど、
そのくらい溜まると、実際の本当の木がどこかで、
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アフリカかどこかだったかな、ちょっとすみません、覚えていませんけど、
NPOと連携していて、その点数が溜まると、
木が1本、本当の木が実際にアフリカの方で植樹されるというようなことにもつながるわけですね。
なので、できるだけそういうことをスマホをいじらないようにしようということができます。
このForestというのは実際に僕にとっても効果があるので、お勧めできると思いますね。
あともう一つはもう少し難しいんですけど、
一斉事業を脱却するということです。
直太朗さんから話を聞く限りは、やっぱり彼の学校でも一斉事業をやっていることが前提になっているみたいなんですね。
なので、一斉事業があるから、時間が空いてしまうというのはあると思うんですよ。
例えば、わからないから先生に聞き返してしまうとか、そうするとできる人がそれにイラついてしまうとかですね。
自分より遅い人のサポートを先生がしている間の時間というのは、
自分にとってあまり価値がないのでその間にスマホを見てしまうとか、
そういうふうに悪循環がどんどんつながっていく状況の前提として、
やっぱり一斉事業というのがあるみたいなんですよね。
それを例えば、自由振動学習というんですけど、
これはクモンみたいなやつですね、クモン式の算数とか塾とか皆さんご存知だと思いますけど、
ああいう感じにすると、こういう他の人のやっているのを待っていなければいけないから、
その間についスマホを触ってしまうという時間がなくなるので、
自分のペースでどんどんどんどん進めるし、
それから一斉事業じゃないから、事業についていけなくなるということ自体がないんですよね。
もちろん自分より早く進んでいる人はいるけど、
自分は自分のレベルに合った課題をやっているので落ちこぼれてしまって、
事業がわからないからスマホをいじってしまうということもないわけです。
これについては、前にもこのムラスペでご紹介しましたけど、
自由振動学習という、ミノテ・ショウゴさん、彼も有名ですけど、
そういう本について、その本でかなり詳しいことを読むことができます。
ただこれは小学校の話なので日本語学校の話ではないですね。
これは行動中心アプローチとかディスカッションとかそういうことをやっている授業よりも、
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むしろみんなの日本語みたいな文系シラバスの積み上げ式の授業の方が向いているんじゃないかと思います。
この自由振動学習でやることはですね。
たださっきも言いましたけど、今言ったようなことはあまり本質的な問題ではなくて、
本質的には依存症の原因になっている、多分スマホ以外の問題があると思うので、
そちらの問題を可能なら解決するというのが最終的には本質的な問題の解決になるのではないかと思います。
いずれにせよ大事なのは合意しているかどうかということですよね。
合意なく強制的に日本語学校で学生のスマホを取り上げるというのはちょっと僕はあり得ない。
正直あり得ないと思いますし、僕は現時点では違法行為だと思っています。
だけど、それが合意の上で学習者の、
合意の上というのはしかも強制的に合意させるのではなくて、自由意思でですよ。
自由意思で自分はスマホを持っていると勉強ができないから、
物理的に距離を取りたいという学習者がいるんだったら、それを決済機能とかで問題が起きないように、
注意した上で預かるというのは僕はありだと思うし、むしろそれはやった方が日本語学習のためにはなるんじゃないかと思いますね。
それともう一つ言い忘れましたけど、授業でバンバンスマートフォンを使うような授業をした方がいいというのもあります。
それのためにもさっきちょっとご紹介した自由振動学習というのは非常に役に立つんですけど、
これについては僕はいつも喋っていることなので、また別の機会にしたいと思います。
それでは本日のムラスペはここまでになりますね。
今日もご参加くださいまして、ありがとうございました。
今日のこのスマホを集めることの是非について、感想とかコメントとか、あるいは僕が言ったことについて質問とかありましたら、
是非このムラスペのハッシュタグ付きでご共有いただければと思います。
それでは本日も良い一日をお過ごしください。そして冒険は続きます。
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