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2025-03-10 36:14

【平岩国泰・前編】事業立ち上げにボランティア活動が適するわけ。日本へのアフタースクール伝道師(放課後NPOアフタースクール代表理事)

▼本日の内容

タクトピア長井さんのご紹介 / アフタースクール直営拠点が15拠点 / 3つの収益事業「アフタースクール運営」「企業との教育プログラム」「自治体へのコンサル」 / 立ち上げ当初は朝から晩まで企業へ営業 / 学校に門前払いされる・・・先駆者の洗礼 / 子どもに対してだと夢中になれる / 脳に衝撃が走ったアメリカのアフタースクールの仕組み / 5年間・毎週水曜日にボランティア活動 / 子どもの奇跡の成長・和食の料理人との出会い / 仕事はいい趣味

▼本日のゲスト

放課後NPOアフタースクール代表理事平岩国泰。1974年東京都生まれ。1996年慶應義塾大学経済学部卒業。株式会社丸井入社、経営企画・人事などを担当。2004年長女の誕生をきっかけに放課後NPOアフタースクールの活動開始。2017年より渋谷区教育委員。2019年より新渡戸文化学園理事長。

提供:認定NPO法人 全国こども食堂支援センター・むすびえ

▼お便りはこちら

https://forms.gle/nYfxQAzSctZRZBvL9

▼認定NPO法人 全国こども食堂支援センター・むすびえ

むすびえは、各地域のこども食堂ネットワーク(中間支援団体)がより活動しやすくなるための後押しを しています。こども食堂を応援してくれる企業・団体とこども食堂をつなぐほか、こども食堂の意義や実態を伝え、理解を広げるための調査・研究などを行なっています。

サイト:https://musubie.org/

▼MC

・川本潤(じゅんさん) 京都大学経済学部卒業。広告代理店・PR会社勤務を経て独立。現在は二社の経営をしながら認定NPO法人むすびえ経営企画に参画中。

・秋山仁志(ひとし) ポッドキャストプロデューサー。子育てのラジオ「Teacher Teacher」のプロデューサー兼MC。第5回JAPAN PODCAST AWARDSにて大賞 & 教養部門最優秀賞をW受賞。不登校の子どもが無料で通えるフリースクール「コンコン」を運営。


 

サマリー

平岩国泰さんは、放課後NPOアフタースクールの代表としてボランティア活動を通じて教育の機会を提供し、子どもたちに多様な体験をさせることの重要性を説いています。彼は、事業立ち上げのプロセスや地域の市民との連携による教育プログラムの運営についても触れています。平岩さんは、日本におけるアフタースクールの重要性とボランティア活動の意義について語っています。アメリカのシステムをモデルにし、日本の学校をより活用する方法を模索しながら、子どもたちや地域社会に貢献することを目指しています。平岩さんは、放課後NPOアフタースクールの設立とその成長過程を通じて、ボランティア活動が日本のアフタースクール事業においてどのような役割を果たすかを説明しています。彼の経験から、ボランティア活動が事業立ち上げの基盤となり、子どもたちの成長に寄与する存在であることが明らかになっています。また、平岩さんはボランティア活動を通じて得た経験や、子どもたちを預かる新たな試みの成功についても語ります。

ポッドキャストの趣旨とゲストの紹介
始まりました、むにむに。この番組は、40歳を超えてNPOにかかり始めたじゅんと、20代のポッドキャストプロデューサーのひとしが、社会課題解決に取り組む方々から、誰も取りこぼさない社会を作るためのヒントを学ぶポッドキャスト番組です。
認定NPO法人、全国子供食堂支援センター、むすびえさんの提供でお送りします。
どうも。
どうも。
今日も、いや僕はすごく興味のあるゲストの方に来ていただくんですよ。
ですよね。ほんと番組と関係なく、どうしてもお会いしたかった人なので。
ちょっと簡単に紹介いいですか。
はい。放課後NPOアフタースクールの代表理事でもありながら、学校法人の三戸文化学園の理事長もやられている平岩さんなんですけれども。
はい。
学校を使ったアフタースクール事業ですよね。
子供が学校終わった後に家に帰ったり塾に行ったりするんじゃなくて、学校の中で居場所があってそこに通えるっていう。
一番安全ですよね。移動しなくて済むし、学校の中で。
かつ、学校の中、お勉強とか運動とかだけじゃないことを市民先生といって、地元の例えば何なんでしょうね。
料理人の方だとか陶芸家の方だとかいろんな大工さんの方とか、いわゆる市民生活をやっていたその道のトップランナーみたいな方から生きた学びができるんですよね。
市民先生に学べる放課後って、学校の中でもしかして生き生きできなかった子どもたちも、この放課後の市民先生だったら自分の居場所があって生き生きとでき、かつ社会やりたい仕事とかと接続できる可能性がすごく高いっていうような非常に意味のあることをやられている。
日本にそれ自体をもたらした方ですよね。
毎回日本にそれをもたらした方を呼んでますよね。
第一人者ですもんね。でもそうなんですけど、ガツガツしたリーダーなのかなと思ったら、そういうタイプでもなさそうで、最初から計画された通りになったのかって言ったらそうでもなさそうで、
まず大企業に勤めながら休みの日にボランティアをして、長らくそれをやりながらNPOになり大きくなっていったというような、その最初のところ、最初の一歩、最初の5年間、ボランティア活動のところを聞きたいなーって最初思いますね。
平岩国泰さんの職務と役割
今回放課後NPOアフタースクールの団体のことを主に聞いていくつもりなんですけど、一つが今ジュンさんが言ったように、ボランティアスタートで事業にしていったっていう、本当にスモールステップで小さく一歩始めてみたっていう経験があって、そこから団体にしていったっていう、
この過程をお聞きできると、リスナーの皆さんもボランティア確かにこんな感じでやってみるといいかもなと思えるかなと思ったのと、あともう一つ僕が気になっているのが放課後NPOアフタースクールさん、NPOなのにしっかり企業さんに対して価値を提供してお金をいただきながら運営してたりするので、
NPOでありながら収益をしっかり事業として立てているみたいなところがかなり気になっているポイントで、それは後半になるかもしれないですけど、聞いていきたいと思っております。
本当にね、この間もお深いもありましたけれどもね、社会にいいこと、社会活動をやりたいよっていう人がいっぱいリスナーさんの中にもいるんですけれども、じゃあ今の会社を辞めてゼロから100で飛び込むかって言ったら大変でしょうし、
どんなことを始めようかっていう悩みもあったりもするだろうし、ボランティア始めてても、ボランティアこれずっとやっててもどうなるんだろうとかね、これでなんかなるのかなとか、そういうことを思っている方いっぱいいると思うんですけれどもね、参考にしたいなと思いますね。
はい、ではお呼びしたいと思います。どうぞ。はい、平岩さんに来ていただきました。よろしくお願いします。
平岩 よろしくお願いします。お世話になります。
いろいろやられてると思うんですけど、簡単に自己紹介するとどういう話をいつもされてるんですか。
平岩 今3つ仕事をしてまして、放課後NPOアフタースクールという小学生の放課後のことと、三戸文化学園という学校法人、こちら子ども園から小中高短期大学まである学校ですね。それから渋谷区の教育委員っていうのをやってるので、3つの仕事をさせていただいてる感じですね。
教育委員もやってるんですか。
平岩 そうですね、はい。
教育委員って何される仕事なんですか。
平岩 教育委員はですね、教育委員会っていうのがあって、そこでいろんな教育のことを決めていったり運営をしていくんですけど、日頃のことは教育委員会事務局っていう人たちがいるので、そこがいろいろ毎日のことは回してくれていて、教育委員は教育委員会の中で決裁をして決めていくっていう感じの役割ですね。
嬉しいです。まさか来ていただけるとは思ってなくて、もう伝え伝えで無理ってお願いしてお忙しい中来ていただいて。
平岩 とんでもないです。嬉しいです。
ありがとうございます。
ゲストに出ていただいたタクトピアの永井さんにおつなぎいただいたんですか。
平岩 そうなんです。
永井さんお願いって言って。
永井さんとはどういうおつながりなんですか。
平岩 ずいぶん前からのお付き合いで、やっぱり永井さんタクトピア始められたあたりと、我々のアフタースクールも創成期だったような時期があって、一緒に励まし合い、高め合いっていうような感じで。なんでも連絡一本で、ぜひっていう感じで。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがたいです。この番組まだ何話目なんだろう。半年経ちませんけれども。
12話とかですね。
一応社会作りをしていこうというね、むすべえの中でも。社会作りに参画しやすいようにボランティアからでも、働くでも転職でもいろんな形で参加しやすい第一歩を踏み出してほしいな。
それをどんな形でもいいから一緒に活動したり働けたりする人たちが増えたらいいな、そういうコミュニティにしたいなっていう思いでやってる部分が大きいんですけど。
平岡さんだって大手からボランティアで5年、6年ですよね。ずっとボランティアを二足のわらじされていて。そこからNPOにし、もう今さらですけどね、平岡さん当時のそこの第一歩のところを前半は聞きたいな、そんな思いされていて。
ただですね、僕が放課後NPOアフタースクールの授業に興味がありすぎて、前半それで終わっちゃうかもしれない。
さらにね、教育授業をね、さんやってるからまた。 フリースクールをやっておりますので、かなり授業時代に関心があるので、そのあたりも聞きながら過去の話も聞いていきたいと思っております。
あれですよね、放課後に、僕も当時小学校の時あった記憶があるんですけど、学校終わった後に学校の体育館とかで、その後また別の地域の先生たちが授業してくれたりスポーツしてくれたりする場所を運営してるっていうことなんですよね。
あ、そうですね。特徴で言うと3つあって、1つがとにかく学校施設を使いますっていうところなんで、今おっしゃっていた体育館、グラウンド、家庭科室、理科室、図工室、いろいろ使えれば使っていきたいっていう感じなんですね。それが1つ目で。
2つ目がいつでも誰でもっていうことなんですけど、毎日やってますし、どなたでも。一般的な学童保育って呼ばれてるやつは就労の過程でないと使えないよっていうのがあるので、子供からするとなんで就労はこっちで就労じゃないと関係ないからみんなで遊ばせてよっていうのがあるので、それが2つがいつでも誰でもってところですね。
3つ目が多様な体験があるということで、ここに地域の市民とか大学生とか企業の人とかいろんな人が来てくれて、スポーツやったり音楽やったりアートやったり、いろんなことがいろんな地域の市民たちと一緒にできて、多様な体験がみんなができる。この3つを兼ね備えたものを私たちはアフタースクールって呼んでいて、自分たちでも直営を今15カ所でやってるんですけど、加えてこれが仕組みとして世に広がってくれるっていうのを目指していて、
自分たちの直営拠点をもう50、100って増やそうと思えばチャレンジできない目標じゃないんですけど、よりは社会全体、日本全体の放課後のアップデートに貢献するっていうのを第一の目標にして今動いてるって感じですね。
直営拠点っていうのは学校から委託を受けて運営してるって意味が直営ですか?
そうですね。公立の場合は自治体からの委託になるんですよね。区とか市とかからですね。丸々小学校の放課後をあなたたちに任せますよということで。我々としては区が決めた仕組みの中で運営することもあるんですけど、できればアフタースクールって仕組み自体を導入してもらう投げかけを今いろんな区や市にしていってますので、それを代表例として僕らが実践するみたいな感じでやったりもしてますね。
地域社会との連携とプログラムの運営
それで言うとやっぱり収益はその運営費として公立だと自治体からいただくお金と、市立だと市立から直接いただく運営費と、あとなんか企業と共同プログラムみたいなこともやられてますよね。あれはどういうものなんですか?
そうですね。企業さんとは企業の持っているいろんな資源とか人とか技術とかありますので、それらを教育プログラムにしていって、これは日本全国の北海道から沖縄までの子どもたちに届けていくっていうプログラムをずっと創業のときからやってまして、アフタースクールの授業とこの企業の授業っていうのを二本柱でしばらくずっと収益を立ててきたんですね。早かったのは企業の方が先に立ち上がってきて。
そうなんですか。
アフタースクールはやっぱり学校でやるんだなのに一定の実績とか体力とかがないと任せてもらえないんですよね。企業はある程度機動力よくいきますので、最初はもう本当に朝から晩まで企業回りしてたような時期があって、それで二本柱で。今もう一つそこに自治体のコンサルティング的な事業が加わってきて、今その三本で基本的には収益を立ててる感じですね。
最初に始められようとしていた時、ボランティアでやられてた時、学校でやろうって言って、みこを連絡したそうですけども、門前払いだなと。やれるもんだと最初は思っていたという感じなんですよね。
そうですね。最初に始めようと思った時に、まず市民先生と僕たち呼ぶんですけど、その社会のいろんな面白いことを教えてくれる人を探したらすぐ料理人の方が見つかったんですよね。
和食の料理人の方だったんですか。
そうですそうです。
そもそもそれをどうやって探すんですか。市民先生という言葉があるようでないような作られた概念だと思うんですけど。市民先生集まれって言って集まるものでもないですよね。
今でもそうなんですけど、割とそういうのって人づての口づてというところがネットを介してというよりは多くて、すぐ見つかったんですよ。でもすげえ順調だなと思って。和食のことを教えたいって言って。
調理室あるじゃないか。
その方の住まいの近くの学校で地域の和食の素晴らしい方がいましてと。これを教えすることができますと。アメリカでアフタースクールっていうのがあって、あなたの小学校でぜひみたいな電話を僕はしたんですよね。
学校に電話をかけたんですか。
直伝でして。
絶対行ける。絶対入学できるだろう。
すごいいい話ですよくらいの気持ちで。したら1個目で何なんですかあなたはという感じになってすげえ冷たく切られまして。
何者ですかみたいな感じかな。
それであれと思って。でもたまたまこの学校は運が悪かったもしくは機嫌が今日悪かったのかな。
かもしれないですよね。
かもしれないなと思って。2校目に隣の小学校に次に電話したんですよね。次はかなり冷たく切られまして。
その後その小学校で後で笑い話で教えてくれたんですけど。
イライラっていう新社から電話が入ってると。アフタースクールとか名乗ってるから気をつけろ。で朝礼で言ってたよと。
アフタースクールの必要性
その時でだからもう放課後を別のところに学校が放課後を別のところに委託して運営してもらうみたいなこれ自体ほぼなかった時って感じですか。
そうですね。まだ。
じゃあ先駆者の先例というか。
まあそうですね。あと学校を使って放課後をやるっていうのはまだまだこう理解が遅かったというか今でもまだまだなんですけど。当時はまださらに。
あの体育館で夜にママさんバレーをやるとかなんか代々その景色はあるんですけど。
はいはい。
それができるんだったらそれこそ家庭科室もそうだし教室もそうだし校庭もそうだしとは思うんですけど。
確かに。
まだまだそういうふうにはなってない。
なってないですね。僕はもともとアメリカのアフタースクールっていうのを知ったのが原点なんでアメリカはもう本当に学校中を使いまくるんですよね。
全部日中もともとあのホームルームってあんまなくてあの移動しながら子供が勉強してるような感じも強いのであんまりこの専有っていうのがなくてなのでもう本当に全部使い切るんで
これが当たり前になったら日本でもとってもいいよなと思って確かにママさんバレーとかも本当使ってるので結構でもそれはそれでママさんバレーさんがもうずっとこの時間夕方使うみたいなのが残っちゃって子供が使えないとかそういうのも未だにあるんですけどそういうのを日本でもっと学校活用ってできんじゃないのって思ったのはスタートですね。
放課後NPOの設立背景
原点のところにねまた戻らせてもらうんですけどお子さんが生まれたときに当時の今でも変わらないのかもしれないですけどちょっとこうお子さんの誘拐だったりとかそういう情報があってまずいなっていうところからの動機だというふうに伺ったんですけれども普通はですよ多分ニュースで見てお子さん生まれてた人いっぱいいると思うんですけど自分が何とかしようって思われたんですか。
そうですねあのそこが放課後っていうのに注目したきっかけでは間違いないんですけどもう一つ多分あの夢中になれる仕事を社会人になってからずっと探したってとこあって会社員はとてもあの素晴らしかったですしあの今でもとっても好きな会社ではあるんですけれどもどっかやっぱりこう大きい会社なればなるほど組織の目指していることと個人の目指していることっていうのはそれなりに多様になるなぁとやっぱりどんどんどんどん職績が上がってくると全然こう目的の
違う社員がいっぱいいてそれを一つにこうある部分ではまとめ上げてっていうのを求められると思うんですねマネジメントで僕は野球部だったもんですから野球部ってこうなんかやや無茶な目標をみんなで立ててそれに対してとにかく一丸となるみたいな
選手として試合に出て貢献できる人もいるし試合に出られないベンチに入れなくなると今度は偵察隊になるとかマネージャーになるとか
お前マネージャーでいいのかみたいなそういうめんどくさいドラマも含めて野球部は必ずあってそれでこうあのみんなで一つの目標を追っかける
なんかその気持ちよさがずっとあって社会人になっても40代あっても50代あっても一つの目標を追いかけられるようなそういう仕事をしたかったのもあって
それでちょっと夢中になれるものを探した時にこれ子供だったら夢中になれる世界があるんじゃないかって思ったのももう一つの理由かなと思いますね
両方からですねその課題感っていうのと自分のこういうふうに働きたいというのがそろそろかなと
そうですねその時に放課後の問題に悩んでた時に僕の同級生がアメリカでアフタースクールの取材をしてきてたまたま話したんですよね僕にそれを
でも自分の中でこう本当にお団子にぐさーって櫛が脳内で刺さったみたいな感じ
他のでそれを拝見して脳の中のお団子に櫛が刺さったという表現を初めて聞いて
なんかすごいやったことないけど自分も刺さった気がしますと聞いて
僕もそんなにお団子好きでもないんですけど
それは自分の子供の状況をなんとかしたいっていうのとアメリカのアフタースクールの仕組みがマッチしたみたいな
そうですね問題意識を持ってたこととこのソリューションになるかもしれないことっていうのが目の前に両方出てきて
あとやるのやらないのみたいなのを自分に問うみたいな感じになったんですよね
それが長くある程度ボランティア機関でいきなり会社辞めるわけにも僕の場合はちょっと行かなかったのもあったし
それで少しそういう期間があったって感じですね
そうですよ大手で働いていらしてお子さんも生まれての段階ですもんね
活動のスタートと挑戦
時系列的には最初新卒で入った会社は
マルイグループっていう優通業の会社にお世話になって
そこで何年くらい
15年間結局サラリーマンさせていただいたんで37まで
NPO作ったのが35の時ですね
そのタイミングでその衝撃のお団子に屈しの
お団子が30くらいの時ですね
お団子30なんですか
お団子屋さんも決めましたよね
衝撃が走った後も仕事はしながらボランティア活動でやっていくみたいな
やっぱりいきなりそういうのもやっても本当に全然教育のことも分からなかったですし
子供もまだそういう意味では小さいので小学生のことも分からないし
それで自分でちょっとずつやってみようと思って
ある意味では自分の気持ちも確かめたかったし
それが本当に世に役に立つのかも試したかったし
大きい一歩って皆さんすごく決断するの大変ですよね
僕も決して決断力がすごくあるとか
いきなりボーンって思い切ってやっちゃいましたみたいな人とは全然違う
逆の方にどっちかっていうタイプなんですよね
でもまずとにかく水曜日にボランティアで
自分だけで公民館でやってみるっていうスタートが僕のちっちゃい一歩なんです
会社員として水曜日がお休みだったんですよね
あまたまこれ流通業だったんで本社が水日休みだったっていうのがあって
それもちょっと運命のいたずらだと思うんですけど
平日のお休みがあった
ある意味最初はいつか辞めても別に誰かに迷惑かかるじゃないし
ちゃんとそれが世に役に立たないんだったら
もっと役に立つこと探した方がいいしっていうのは
そういう感覚でやってて今でもそういうふうに思ってて
もっとこうなんか違うことで役に立てることがもしあるんだったら
そっちにした方がいいよねぐらいには思うので
そういうふうにこう世の中のニーズと自分の気持ちを両方確かめる意味で
毎週水曜日をちょこちょこやってたっていう感じですね
でも普通はですよ貴重なお休みを休みたいでしょうし
子供の相手もしたいでしょうし
なんかさらに社会課題の意識持っていても既存の団体に入って
ボランティアをするとかがほとんどだと思うんですけど
平日はそれを手作りというか手探りで始められるわけですよ
そうですねまあそれは多分育った環境があったかなとも思うんですけど
両親とも小さい会社を経営するような今で有機業家のおじいちゃんだったんですよね
だから両親ともそうだったんで何かお得かチャレンジしたい気持ちもあって
その辺がもろもろ合わさって自分で始めたっていう感じなんでしょうかね
一応その時点ではどこかのMPOさんとかでボランティアしようという選択肢はなかったんですか
自分でやろうとか
そうですね自分ででしたねそこはあまり見もしなかったっていうぐらいですけど
実際にもなかったと思うんですねそういうのをやる団体は
自分で考えたことをその通りにやってみたらどうなるんだろうっていうのを試してみたかったっていうのはあるし
よそ様に入ってやるほど自分の覚悟も最初は固まってなかったら
むしろ最悪自分でやめて閉じちゃえばいいんだっていうぐらいの
ちょっと逃げ道を当時は逆に作ってたんじゃないかなと思いますね
一人でなんですか
そうですね基本は一人で
アメリカから帰ってきたお友達からの話は聞いたはあるけど一緒に活動しようということでもないんですか
そうですね最初はそのでも一緒に帰ってきた友人と2人でさらに後輩を誘って3人でっていう時期が最初の方ですね
ただ動けるのが当時は僕だったんで友人は当然会社員だし後輩も会社員だったし
それこそ水曜日休みじゃない
そうなんですよ水曜日休みは僕だけだったんで水曜日は基本一人で回したという感じですね
逆に個人でボランティアを作る
どこかに所属するんじゃなくて自分でやるっていうのが逆に楽っていうのはなんか面白いなと思いました
あんまりそういうふうに思ってる人いなさそうだもんね
じゅんさんボランティア経験とかあります
いやなんかやっぱり我々はちょっと阪神淡路大震災の時にね学生だった時にボランティアがんねってボランティアしなきゃみたいなところからあれですけど
なんか団体でやるものとかなんかそういう認識がすごい強かったので
お一人でボランティアで市民活動ですよねを始めるっていう人いるんだと思ってすごいですよね
そうですね周りに迷惑かけたくなかったみたいなのはあったんでしょうかな
あのそれはなんか結構たってから母親にも言われたことで
あなたはそうやってね夢中になってすぐ周りを巻き込んじゃうからそういうのはダメだとか言って母親が珍しくなんか言ってましたけど
でももう当時自分もずいぶんおじさんなんで母親がいるから怒らない
年齢で言うとそのボランティアとして水曜日始められたのが30
そうですね30代前半ですね
水曜日にいろんなことやってたんですよね最初全然人が集まらなくて
ゼロ人だったと書いてありましたけど
初回はゼロ人だったんでもう第ゼロ回にしちゃったみたいな感じなんですけど
それは本当に集まらなくてびっくりそれもびっくり
公民館の部屋をお借りして先生をブッキングして子供たち来ていいよってやってたけど
蓋を開けてみたらいなかったっていうスタートなんですね
またそこで今度はチラシを作りましてで学校にこれを持ってこうと思うわけですよね
でもうまた喜んで訪問してこの間のでわかってますよと
あの学校でできないのはもう僕はわかってますさすがにと
ただこのチラシをどうぞ配っていいですよぐらいの気持ちでいたらですね
ダメだってまた言われて教育委員からどうしたらいいだろうって
教育委員から知らないのとか言われてすいませんって言って
ただ先生たちもいい人でじゃあ玄関のあそこに置いときなよとか言われて
置いたんですけど翌週見に行くともうめちゃくちゃにぐちゃぐちゃになってて
もう1枚も減ってないばかりかゴミがいっぱいみたいな
自動館に持って行ったりいろんなことしたんですけど初回はゼロでしたね
ゼロ人だった時にどう思いましたか
普通諦めませんそのちょっとさすがに何人だったらあれですけど
もうニーズがないのかなとかっては思わなかったんですか
そうですね最初だったんでもわかんなかったっていうのもあって
とにかく未知の世界だったんですよね
会社でもなければお家でもないっていう自分にとってのサードプレイスで
だから起きること起きること全部新鮮で
あっこんなうまくいかねえんだみたいな面白さがあって
それでなんかこうだからロールプレインゲームやってるみたいな感じもありますよね
なんかこんなにうまくいかないじゃあ次どうするんだろうっていうのがあって
まあさすがにまだ始めたばっかりだったんで
いきなりそこでくじけたりはせずにじゃあ次どうしようっていうのが
ボランティア活動の意義
まあ思ってたことかなと思いますね
その1回の結果で落ち込むとかじゃなくて
新しい経験がわかって結果がわかって楽しいと
まあそうですねそういう意味でも一人でやってたんで
別に何か誰かにっていうのはなかったんで
そういう人なんですかね
まあそういう部分はありますね
あの起きちゃったことにある部分では興味がないというと失礼なんですけど
起きちゃったことってどうしようもないから
次どうするっていうのがもう常にこう回ってるようなところはありますね
すごいスタンス
ちょっと関係ないかもしれないですけど
お会いしてねすごいわかったのが
なんかジャンプの主人公みたいな感じなんですよ
あの魂が
魂が
なんかTHE LEADERっていう感じじゃないんですけど
俺が俺がっていうついてこいよじゃないんですけど
心の中がなんか何が起こっても別にめげないよっていう
すぐヒーローを僕は今見れています
なんか納得したんですよ
あのちょっとそれを言語化していきたいなと思うんですけど
だからかと思って
そうですねまあそんなかっこよくはないけれども
割とそういう意味ではめげない落ち込まないとかっていうのはあると思いますね
すっごい納得しました
だから周りにみんながついてくるし
いろんな夢の方も含めて
パーティーが増えていくんですよ勇者に
いやまあそうね
応援してくれる人が増えたのは確かにそうで
それが増えていくとなんかやめられなくなっちゃってて
あのすいませんやめますわってちょっとこう応援してる人がいると
言えなくなってきちゃったみたいなのはありますね
ぶれない強さがあるんですよね
そう言うとねかっこいいですけどあんまりこう器用にいろんなことできないんで
まあずっと放課後NPOを一生やっていきたいと思ってますし
あのまあ迷惑をかけること時期が来ると思うのでその時はやめなきゃなと思うんですけど
あんましいろいろできないんでもう今やってることをずっとやりたいっていうぐらいは思ってますね
すいませんもう飛んじゃいましたけど
あのゼロ人のところから
すいません
全くメゲルでもなくこうやって楽しいな新しい発見だな
もうその発想が勇者だもんね
そこからワクワクするぞみたいな感じじゃないですか
その後改善してこう人を来るようにするにはどうしたらいいかみたいなことをやっていったって感じですか
そうですねもう一回ちょっとそういうのやってて
でまあ何ヶ月後かにもう一回仕切り直してやろうってことになって
でそこもまた集まりが悪かったんですけど
うろうろしてる間に民政委員っていう人に会ったんですよね
で民政委員っていう名前も正直知らなかったぐらいなんですけど
その方がですねあなたそういうのを頑張ってんのねって言われて
この活動はすごくいいことだから私にちょっと誰か声かけとくわとか言われたんです
すごく女性の高齢の方だったんですけど
でまあその頃は結構実施慣れてたんで
ありがたいんだけどいやもう俺の活動はゼロ人なんですよと
すいませんよろしくお願いしますとか言ったんですけど
そしたらなんかその方がですねある日電話をくださって
あなた4人集まったわよとか言われたんですよ
民政委員っていうのは地域の何ですかね地域活動している方っていう感じですかね
地域のまあお相談役というかまとも役を行政から委託されてる方がいて
その方が4名
その方が集めてくださって
ほんと何百枚のチラシで一人も集まらなかったんですけど
その方を一人の声かけて4人集まって
それでびっくりして4人で始められたっていうのが一番最初の初回ですね
とはいえそれあの事業としてやっていけるかどうかとかっていうのはまだまだ
どういう見通しだったんですか
ほとんどなかったですねどうやって食べていけないのかも全然わかんなかったですし
初めての成果
もしかしたらこのままボランティア活動のまま一生あるかもしれなくて
それはそれでそれでもいいなとは思ってたんですけど
でもやっぱりそれで終わったらもったいないはもちろんあって
しっかりできたら日本の仕組みにしていきたいっていうのは最初からあったんで
その模索をどうしたらいいかっていうのを探しながらやってきたって感じですね
そういう地域で子供を受け入れるっていうのは
よしじゃあ事業になるぞって思えたタイミングって何があったんですか
そうですねまあ今でもなんかちょっとねどうやってっていうのは模索が続いているような感じはあるんですけど
期間でいうとそこから5年ぐらい
そうですねがボランティアですね
2009年に法人化をしたんでただそこまでの色んな実績があったんで
9年に一つ仕事が早速ある自治体からいただけたっていうのがあって
それにプロポーザルの応募をしたくて法人化を急いだみたいなところはありましたですね
5年間でその信頼と実績を作っていたということなんですか
そうですね言い換えるとそうでその時期に実はグッドデザイン賞とかもいただいているので
まだ法人格のない団体にくださった
グッドデザイン賞ってその段階なんですね
それは活動内容に対して良いデザインだねって
それも最初知らなくてでもなんかその頃からグッドデザイン賞がすごく社会に対して良いデザインをしたっていうのを強化するようになって
当時最初は家を作るプロジェクトやってたんですよね
学校の中に家を建てるっていうのを子供たちと大工さんとか建築家でやるっていう1年がかりぐらいのプロジェクトでそれがすごく面白いって言ってくれて
それでグッドデザイン賞をくださってその時に審査委員長だったのは長居さんって博報堂の方なんですけど
その方が会場内でもう何千点の中から私の選んだ一品って言って1個だけなんか自分が個人的に面白いと思うものっていうのをその分野を超えて選ぶみたいなのがあって
長居さんが選んでくださったんですよね
それも僕らはそんなすごいことだとわかんなくて
子供たちの変革
それで今から考えるとものすごいすごいことなんですけど
それでいただいてで長居さんにお礼を言いに行ってすいませんちょっとうちのロゴを作ってくださいとかめちゃくちゃビックな長居さんに
お礼を言いに行っちゃうかと思いきや
思いきや思わず口を出したのがロゴって言って
仕事頼んでいる
であの今も使わせていただいてるロゴを長居さんがプレゼントしてくださったので
はいということなんです
その5年間続けられたのは徐々に広がってる実感があったから頑張ろうと思えたとかっていうその動機は何だったんですか
そうですねやっぱり子供が変容してたっていうのはあってその手応えはあったんですよね
なんでやっぱりこの活動はいいものだって信じられましたし
実際に広がってもいったのでいいもんだと思っていて
そのうちさっき言ってたような応援してくれる人が出てきてやべえこれやめられなくなってきたなみたいな感じもありながら続いていたって感じですね
あのよくお話しされてるのはその和食の料理人清水先生来ていただいたときに
お子さんがあのそこで自分の居場所を見つけて変わっていったで君がいないとダメなんだよって言われて
あの見る見ると成長していったというか自己肯定感を高めていったってことなのかもしれないですけど
そういうシーンがそのお子さんだけじゃなくてやっぱこう何度もあって
これはやっぱり価値があることだっていうふうに実感を深めていかれたんですね
最初のその来てくれた4人のうちの1人が今行ってくれたった証明で
その4人のうちの1人なのか
彼が本当に変わったので彼はやっぱ学校のクラスでもすごく苦労していたと後で聞きましたし
親御さんもまあそういう息子さんを見てなかなか手を差し伸べられずにいたっていうのはあったんですけど
その和食の料理人さんとの出会いで一気にこう変わっていい場所ができて
保護者のコミュニケーションも変わっていってってなってなったんで
まあなんかまあ今思えば本当こう奇跡のような成長なんですけど
そういうことが起こり得るんだなーっていうのはあってそれはすごく自分の中でのきっかけになっていて
今でもやっぱり自分の好きなものとかそういうのを大事にしてくれる大人の人とかとの出会いってやっぱり子供を変えるので
それはずっと信じて今も彼の姿を追いかけているようなところありますね
こういう子育てようみたいなことって多分考えてらっしゃるじゃないですか
それは今だとどういうふうに言語化されてるんですか
そうですねあのあんまりこの育てたい子供像的な話は置いてなくて
あのまあ当然人それぞれ100人いたら100通りの育ち方があるので
そこをなんか僕らはこうなりましょうっていうのはややおこがましいっていうか
ちょっと日本の教育に起きている基本的なズレがなんかそこにもあるなと思っていて
誰かがなんか素敵な理想像を描いちゃってみんなこれになろうぜみたいに言われるように聞こえるんですよね
それってやっぱりなんか根本的に苦しいよなと思って
なんか昔で言うとこうみんなジャイアンツが好きであろうぜとかみんなバンドのボーカルになろうぜみたいな話にちょっと近くて
今違うよねというふうにした時に
でも一番まあそれでもみんなで共通なのはまあ子供たちが幸せであるってことが共通なんで
今の幸せ子供の今の幸せも大事にしたい今のこの子供の状態をぜとして
でこうなりなさい今の君はダメだじゃなくてですね今の君もとっても良くて
でもあのこういうね好きなこととかこういうとこに興味あるんだよねっていうのに寄り添ってあげられるような
そういう子供時代を過ごしてくれれば結果的に将来また彼らが子供を大事にしてくれるような
世の中になっていくんじゃないかなと思ってそれを今我々としては目指している感じですね
前半部分ではなきゃいけないけどその5年間ボランティアをお休みを返上して
水曜日活動されていくで実質そんなに収益としては見入りはない
状態でもうやられてたんですよねそれご自身の心の中とかはどうだったんですか
結構いい趣味を見つけたみたいな気持ちもあってもともと趣味がそうなかったのもラッキーだったんですけど
ゴルフができるわけでもないしギャンブルするわけでもないですし
それまでの休日はどうでしたか思い出せないですが確かにたまに会社の先輩と水曜日空いてていいねとか言ってゴルフ行ったりしてたような
あの時期もあったですしもともと水曜日の休みって結構アクティブに過ごすんですよね
もったいないんで1日しかないからゴロゴロしてるといきなり終わるみたいなところがあって
それであったですけど僕の場合は子供のことやり始めてお金は全然もちろん儲からないけれども
まあ少なくともそんなにかかりはしないんですよね
でみんなが喜んでくれるしこれなんかいい趣味としては素晴らしいなと思って
ようやくのめり込める趣味を見つけたなその感覚いいですね
なんか社会活動とか社会起業家みたいな風に考えると全然ちょっと事業としてはまだまだだしとか
ボランティア活動の始まり
ちょっとなんか嫌悪になっちゃうかもしれないですけどそれでいいんですもんね自分の最初の一歩って
最初はそれでライフワークを見つけたなっていう感じがすごくありましたね
趣味がいつの間にかこれだけ日本代表する日々をなってお仕事にもなってはラッキーみたいな感じですか
とても充実してると言えるんじゃないかなと思っていて
おまけがついてきたおまけがついた趣味っていう
そうですねまあ辛いこともいろいろありますけどでもそれも含めて
なんか一生懸命に24時間365日を過ごしてる感覚ってのはすごくあってそれはとてもなんか嬉しいことですね
実は僕もボランティアスタートだったんですよ
もともとは働きながらランスやってた友達が保育士もやってて
彼が日曜保育とかって来れてない親御さんに対してなんか子供預かることとかできたらいいみたいな話をしてて
なんかそれで子供を預けるって結構こう親御さんからすると仕事ない日に預けるってちょっと心理的に重かったりとか
そもそもそういうのを認めてない保育園とかもあったりするのでなんかそれを
ダンスを教えますっていうフックでやったら親御さんも預けやすいし
なんか面倒見れるんじゃないかみたいな話をして1年半とかぐらいやったんですよ
こう代々木公園で子供を本当数百円とかで預かるっていうやつをめちゃくちゃ楽しかったんですよねそれが
楽しいからやっぱ1年半もやれる
ただそこから授業になるかっていうのは別の話すぎて
そこから法人としてアクセル踏もうってなったこととかも聞きたいなと思って
授業化した時の話はちょっと後半にお聞きしていきたいと思います
じゃあ一旦前半このぐらいにしておきたいと思います
ゲストは放課後NPOアフタースクール代表オリジナリー
二戸部文化学園理事長の平岩邦康さんでした
後半もよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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それではさようなら
さようなら
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