今回放課後NPOアフタースクールの団体のことを主に聞いていくつもりなんですけど、一つが今ジュンさんが言ったように、ボランティアスタートで事業にしていったっていう、本当にスモールステップで小さく一歩始めてみたっていう経験があって、そこから団体にしていったっていう、
この過程をお聞きできると、リスナーの皆さんもボランティア確かにこんな感じでやってみるといいかもなと思えるかなと思ったのと、あともう一つ僕が気になっているのが放課後NPOアフタースクールさん、NPOなのにしっかり企業さんに対して価値を提供してお金をいただきながら運営してたりするので、
NPOでありながら収益をしっかり事業として立てているみたいなところがかなり気になっているポイントで、それは後半になるかもしれないですけど、聞いていきたいと思っております。
本当にね、この間もお深いもありましたけれどもね、社会にいいこと、社会活動をやりたいよっていう人がいっぱいリスナーさんの中にもいるんですけれども、じゃあ今の会社を辞めてゼロから100で飛び込むかって言ったら大変でしょうし、
どんなことを始めようかっていう悩みもあったりもするだろうし、ボランティア始めてても、ボランティアこれずっとやっててもどうなるんだろうとかね、これでなんかなるのかなとか、そういうことを思っている方いっぱいいると思うんですけれどもね、参考にしたいなと思いますね。
はい、ではお呼びしたいと思います。どうぞ。はい、平岩さんに来ていただきました。よろしくお願いします。
平岩 よろしくお願いします。お世話になります。
いろいろやられてると思うんですけど、簡単に自己紹介するとどういう話をいつもされてるんですか。
平岩 今3つ仕事をしてまして、放課後NPOアフタースクールという小学生の放課後のことと、三戸文化学園という学校法人、こちら子ども園から小中高短期大学まである学校ですね。それから渋谷区の教育委員っていうのをやってるので、3つの仕事をさせていただいてる感じですね。
教育委員もやってるんですか。
平岩 そうですね、はい。
教育委員って何される仕事なんですか。
平岩 教育委員はですね、教育委員会っていうのがあって、そこでいろんな教育のことを決めていったり運営をしていくんですけど、日頃のことは教育委員会事務局っていう人たちがいるので、そこがいろいろ毎日のことは回してくれていて、教育委員は教育委員会の中で決裁をして決めていくっていう感じの役割ですね。
嬉しいです。まさか来ていただけるとは思ってなくて、もう伝え伝えで無理ってお願いしてお忙しい中来ていただいて。
平岩 とんでもないです。嬉しいです。
ありがとうございます。
ゲストに出ていただいたタクトピアの永井さんにおつなぎいただいたんですか。
平岩 そうなんです。
永井さんお願いって言って。
永井さんとはどういうおつながりなんですか。
平岩 ずいぶん前からのお付き合いで、やっぱり永井さんタクトピア始められたあたりと、我々のアフタースクールも創成期だったような時期があって、一緒に励まし合い、高め合いっていうような感じで。なんでも連絡一本で、ぜひっていう感じで。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがたいです。この番組まだ何話目なんだろう。半年経ちませんけれども。
12話とかですね。
一応社会作りをしていこうというね、むすべえの中でも。社会作りに参画しやすいようにボランティアからでも、働くでも転職でもいろんな形で参加しやすい第一歩を踏み出してほしいな。
それをどんな形でもいいから一緒に活動したり働けたりする人たちが増えたらいいな、そういうコミュニティにしたいなっていう思いでやってる部分が大きいんですけど。
平岡さんだって大手からボランティアで5年、6年ですよね。ずっとボランティアを二足のわらじされていて。そこからNPOにし、もう今さらですけどね、平岡さん当時のそこの第一歩のところを前半は聞きたいな、そんな思いされていて。
ただですね、僕が放課後NPOアフタースクールの授業に興味がありすぎて、前半それで終わっちゃうかもしれない。
さらにね、教育授業をね、さんやってるからまた。 フリースクールをやっておりますので、かなり授業時代に関心があるので、そのあたりも聞きながら過去の話も聞いていきたいと思っております。
あれですよね、放課後に、僕も当時小学校の時あった記憶があるんですけど、学校終わった後に学校の体育館とかで、その後また別の地域の先生たちが授業してくれたりスポーツしてくれたりする場所を運営してるっていうことなんですよね。
あ、そうですね。特徴で言うと3つあって、1つがとにかく学校施設を使いますっていうところなんで、今おっしゃっていた体育館、グラウンド、家庭科室、理科室、図工室、いろいろ使えれば使っていきたいっていう感じなんですね。それが1つ目で。
2つ目がいつでも誰でもっていうことなんですけど、毎日やってますし、どなたでも。一般的な学童保育って呼ばれてるやつは就労の過程でないと使えないよっていうのがあるので、子供からするとなんで就労はこっちで就労じゃないと関係ないからみんなで遊ばせてよっていうのがあるので、それが2つがいつでも誰でもってところですね。
3つ目が多様な体験があるということで、ここに地域の市民とか大学生とか企業の人とかいろんな人が来てくれて、スポーツやったり音楽やったりアートやったり、いろんなことがいろんな地域の市民たちと一緒にできて、多様な体験がみんなができる。この3つを兼ね備えたものを私たちはアフタースクールって呼んでいて、自分たちでも直営を今15カ所でやってるんですけど、加えてこれが仕組みとして世に広がってくれるっていうのを目指していて、
自分たちの直営拠点をもう50、100って増やそうと思えばチャレンジできない目標じゃないんですけど、よりは社会全体、日本全体の放課後のアップデートに貢献するっていうのを第一の目標にして今動いてるって感じですね。
直営拠点っていうのは学校から委託を受けて運営してるって意味が直営ですか?
そうですね。公立の場合は自治体からの委託になるんですよね。区とか市とかからですね。丸々小学校の放課後をあなたたちに任せますよということで。我々としては区が決めた仕組みの中で運営することもあるんですけど、できればアフタースクールって仕組み自体を導入してもらう投げかけを今いろんな区や市にしていってますので、それを代表例として僕らが実践するみたいな感じでやったりもしてますね。
時系列的には最初新卒で入った会社は
マルイグループっていう優通業の会社にお世話になって
そこで何年くらい
15年間結局サラリーマンさせていただいたんで37まで
NPO作ったのが35の時ですね
そのタイミングでその衝撃のお団子に屈しの
お団子が30くらいの時ですね
お団子30なんですか
お団子屋さんも決めましたよね
衝撃が走った後も仕事はしながらボランティア活動でやっていくみたいな
やっぱりいきなりそういうのもやっても本当に全然教育のことも分からなかったですし
子供もまだそういう意味では小さいので小学生のことも分からないし
それで自分でちょっとずつやってみようと思って
ある意味では自分の気持ちも確かめたかったし
それが本当に世に役に立つのかも試したかったし
大きい一歩って皆さんすごく決断するの大変ですよね
僕も決して決断力がすごくあるとか
いきなりボーンって思い切ってやっちゃいましたみたいな人とは全然違う
逆の方にどっちかっていうタイプなんですよね
でもまずとにかく水曜日にボランティアで
自分だけで公民館でやってみるっていうスタートが僕のちっちゃい一歩なんです
会社員として水曜日がお休みだったんですよね
あまたまこれ流通業だったんで本社が水日休みだったっていうのがあって
それもちょっと運命のいたずらだと思うんですけど
平日のお休みがあった
ある意味最初はいつか辞めても別に誰かに迷惑かかるじゃないし
ちゃんとそれが世に役に立たないんだったら
もっと役に立つこと探した方がいいしっていうのは
そういう感覚でやってて今でもそういうふうに思ってて
もっとこうなんか違うことで役に立てることがもしあるんだったら
そっちにした方がいいよねぐらいには思うので
そういうふうにこう世の中のニーズと自分の気持ちを両方確かめる意味で
毎週水曜日をちょこちょこやってたっていう感じですね
でも普通はですよ貴重なお休みを休みたいでしょうし
子供の相手もしたいでしょうし
なんかさらに社会課題の意識持っていても既存の団体に入って
ボランティアをするとかがほとんどだと思うんですけど
平日はそれを手作りというか手探りで始められるわけですよ
そうですねまあそれは多分育った環境があったかなとも思うんですけど
両親とも小さい会社を経営するような今で有機業家のおじいちゃんだったんですよね
だから両親ともそうだったんで何かお得かチャレンジしたい気持ちもあって
その辺がもろもろ合わさって自分で始めたっていう感じなんでしょうかね
一応その時点ではどこかのMPOさんとかでボランティアしようという選択肢はなかったんですか
自分でやろうとか
そうですね自分ででしたねそこはあまり見もしなかったっていうぐらいですけど
実際にもなかったと思うんですねそういうのをやる団体は
自分で考えたことをその通りにやってみたらどうなるんだろうっていうのを試してみたかったっていうのはあるし
よそ様に入ってやるほど自分の覚悟も最初は固まってなかったら
むしろ最悪自分でやめて閉じちゃえばいいんだっていうぐらいの
ちょっと逃げ道を当時は逆に作ってたんじゃないかなと思いますね
一人でなんですか
そうですね基本は一人で
アメリカから帰ってきたお友達からの話は聞いたはあるけど一緒に活動しようということでもないんですか
そうですね最初はそのでも一緒に帰ってきた友人と2人でさらに後輩を誘って3人でっていう時期が最初の方ですね
ただ動けるのが当時は僕だったんで友人は当然会社員だし後輩も会社員だったし
それこそ水曜日休みじゃない
そうなんですよ水曜日休みは僕だけだったんで水曜日は基本一人で回したという感じですね
逆に個人でボランティアを作る
どこかに所属するんじゃなくて自分でやるっていうのが逆に楽っていうのはなんか面白いなと思いました
あんまりそういうふうに思ってる人いなさそうだもんね
じゅんさんボランティア経験とかあります
いやなんかやっぱり我々はちょっと阪神淡路大震災の時にね学生だった時にボランティアがんねってボランティアしなきゃみたいなところからあれですけど
なんか団体でやるものとかなんかそういう認識がすごい強かったので
お一人でボランティアで市民活動ですよねを始めるっていう人いるんだと思ってすごいですよね
そうですね周りに迷惑かけたくなかったみたいなのはあったんでしょうかな
あのそれはなんか結構たってから母親にも言われたことで
あなたはそうやってね夢中になってすぐ周りを巻き込んじゃうからそういうのはダメだとか言って母親が珍しくなんか言ってましたけど
でももう当時自分もずいぶんおじさんなんで母親がいるから怒らない
年齢で言うとそのボランティアとして水曜日始められたのが30
そうですね30代前半ですね
水曜日にいろんなことやってたんですよね最初全然人が集まらなくて
ゼロ人だったと書いてありましたけど
初回はゼロ人だったんでもう第ゼロ回にしちゃったみたいな感じなんですけど
それは本当に集まらなくてびっくりそれもびっくり
公民館の部屋をお借りして先生をブッキングして子供たち来ていいよってやってたけど
蓋を開けてみたらいなかったっていうスタートなんですね
またそこで今度はチラシを作りましてで学校にこれを持ってこうと思うわけですよね
でもうまた喜んで訪問してこの間のでわかってますよと
あの学校でできないのはもう僕はわかってますさすがにと
ただこのチラシをどうぞ配っていいですよぐらいの気持ちでいたらですね
ダメだってまた言われて教育委員からどうしたらいいだろうって
教育委員から知らないのとか言われてすいませんって言って
ただ先生たちもいい人でじゃあ玄関のあそこに置いときなよとか言われて
置いたんですけど翌週見に行くともうめちゃくちゃにぐちゃぐちゃになってて
もう1枚も減ってないばかりかゴミがいっぱいみたいな
自動館に持って行ったりいろんなことしたんですけど初回はゼロでしたね
ゼロ人だった時にどう思いましたか
普通諦めませんそのちょっとさすがに何人だったらあれですけど
もうニーズがないのかなとかっては思わなかったんですか
そうですね最初だったんでもわかんなかったっていうのもあって
とにかく未知の世界だったんですよね
会社でもなければお家でもないっていう自分にとってのサードプレイスで
だから起きること起きること全部新鮮で
あっこんなうまくいかねえんだみたいな面白さがあって
それでなんかこうだからロールプレインゲームやってるみたいな感じもありますよね
なんかこんなにうまくいかないじゃあ次どうするんだろうっていうのがあって
まあさすがにまだ始めたばっかりだったんで
いきなりそこでくじけたりはせずにじゃあ次どうしようっていうのが
まあ思ってたことかなと思いますね
その1回の結果で落ち込むとかじゃなくて
新しい経験がわかって結果がわかって楽しいと
まあそうですねそういう意味でも一人でやってたんで
別に何か誰かにっていうのはなかったんで
そういう人なんですかね
まあそういう部分はありますね
あの起きちゃったことにある部分では興味がないというと失礼なんですけど
起きちゃったことってどうしようもないから
次どうするっていうのがもう常にこう回ってるようなところはありますね
すごいスタンス
ちょっと関係ないかもしれないですけど
お会いしてねすごいわかったのが
なんかジャンプの主人公みたいな感じなんですよ
あの魂が
魂が
なんかTHE LEADERっていう感じじゃないんですけど
俺が俺がっていうついてこいよじゃないんですけど
心の中がなんか何が起こっても別にめげないよっていう
すぐヒーローを僕は今見れています
なんか納得したんですよ
あのちょっとそれを言語化していきたいなと思うんですけど
だからかと思って
そうですねまあそんなかっこよくはないけれども
割とそういう意味ではめげない落ち込まないとかっていうのはあると思いますね
すっごい納得しました
だから周りにみんながついてくるし
いろんな夢の方も含めて
パーティーが増えていくんですよ勇者に
いやまあそうね
応援してくれる人が増えたのは確かにそうで
それが増えていくとなんかやめられなくなっちゃってて
あのすいませんやめますわってちょっとこう応援してる人がいると
言えなくなってきちゃったみたいなのはありますね
ぶれない強さがあるんですよね
そう言うとねかっこいいですけどあんまりこう器用にいろんなことできないんで
まあずっと放課後NPOを一生やっていきたいと思ってますし
あのまあ迷惑をかけること時期が来ると思うのでその時はやめなきゃなと思うんですけど
あんましいろいろできないんでもう今やってることをずっとやりたいっていうぐらいは思ってますね
すいませんもう飛んじゃいましたけど
あのゼロ人のところから
すいません
全くメゲルでもなくこうやって楽しいな新しい発見だな
もうその発想が勇者だもんね
そこからワクワクするぞみたいな感じじゃないですか
その後改善してこう人を来るようにするにはどうしたらいいかみたいなことをやっていったって感じですか
そうですねもう一回ちょっとそういうのやってて
でまあ何ヶ月後かにもう一回仕切り直してやろうってことになって
でそこもまた集まりが悪かったんですけど
うろうろしてる間に民政委員っていう人に会ったんですよね
で民政委員っていう名前も正直知らなかったぐらいなんですけど
その方がですねあなたそういうのを頑張ってんのねって言われて
この活動はすごくいいことだから私にちょっと誰か声かけとくわとか言われたんです
すごく女性の高齢の方だったんですけど
でまあその頃は結構実施慣れてたんで
ありがたいんだけどいやもう俺の活動はゼロ人なんですよと
すいませんよろしくお願いしますとか言ったんですけど
そしたらなんかその方がですねある日電話をくださって
あなた4人集まったわよとか言われたんですよ
民政委員っていうのは地域の何ですかね地域活動している方っていう感じですかね
地域のまあお相談役というかまとも役を行政から委託されてる方がいて
その方が4名
その方が集めてくださって
ほんと何百枚のチラシで一人も集まらなかったんですけど
その方を一人の声かけて4人集まって
それでびっくりして4人で始められたっていうのが一番最初の初回ですね
とはいえそれあの事業としてやっていけるかどうかとかっていうのはまだまだ
どういう見通しだったんですか
ほとんどなかったですねどうやって食べていけないのかも全然わかんなかったですし
それで今から考えるとものすごいすごいことなんですけど
それでいただいてで長居さんにお礼を言いに行ってすいませんちょっとうちのロゴを作ってくださいとかめちゃくちゃビックな長居さんに
お礼を言いに行っちゃうかと思いきや
思いきや思わず口を出したのがロゴって言って
仕事頼んでいる
であの今も使わせていただいてるロゴを長居さんがプレゼントしてくださったので
はいということなんです
その5年間続けられたのは徐々に広がってる実感があったから頑張ろうと思えたとかっていうその動機は何だったんですか
そうですねやっぱり子供が変容してたっていうのはあってその手応えはあったんですよね
なんでやっぱりこの活動はいいものだって信じられましたし
実際に広がってもいったのでいいもんだと思っていて
そのうちさっき言ってたような応援してくれる人が出てきてやべえこれやめられなくなってきたなみたいな感じもありながら続いていたって感じですね
あのよくお話しされてるのはその和食の料理人清水先生来ていただいたときに
お子さんがあのそこで自分の居場所を見つけて変わっていったで君がいないとダメなんだよって言われて
あの見る見ると成長していったというか自己肯定感を高めていったってことなのかもしれないですけど
そういうシーンがそのお子さんだけじゃなくてやっぱこう何度もあって
これはやっぱり価値があることだっていうふうに実感を深めていかれたんですね
最初のその来てくれた4人のうちの1人が今行ってくれたった証明で
その4人のうちの1人なのか
彼が本当に変わったので彼はやっぱ学校のクラスでもすごく苦労していたと後で聞きましたし
親御さんもまあそういう息子さんを見てなかなか手を差し伸べられずにいたっていうのはあったんですけど
その和食の料理人さんとの出会いで一気にこう変わっていい場所ができて
保護者のコミュニケーションも変わっていってってなってなったんで
まあなんかまあ今思えば本当こう奇跡のような成長なんですけど
そういうことが起こり得るんだなーっていうのはあってそれはすごく自分の中でのきっかけになっていて
今でもやっぱり自分の好きなものとかそういうのを大事にしてくれる大人の人とかとの出会いってやっぱり子供を変えるので
それはずっと信じて今も彼の姿を追いかけているようなところありますね
こういう子育てようみたいなことって多分考えてらっしゃるじゃないですか
それは今だとどういうふうに言語化されてるんですか
そうですねあのあんまりこの育てたい子供像的な話は置いてなくて
あのまあ当然人それぞれ100人いたら100通りの育ち方があるので
そこをなんか僕らはこうなりましょうっていうのはややおこがましいっていうか
ちょっと日本の教育に起きている基本的なズレがなんかそこにもあるなと思っていて
誰かがなんか素敵な理想像を描いちゃってみんなこれになろうぜみたいに言われるように聞こえるんですよね
それってやっぱりなんか根本的に苦しいよなと思って
なんか昔で言うとこうみんなジャイアンツが好きであろうぜとかみんなバンドのボーカルになろうぜみたいな話にちょっと近くて
今違うよねというふうにした時に
でも一番まあそれでもみんなで共通なのはまあ子供たちが幸せであるってことが共通なんで
今の幸せ子供の今の幸せも大事にしたい今のこの子供の状態をぜとして
でこうなりなさい今の君はダメだじゃなくてですね今の君もとっても良くて
でもあのこういうね好きなこととかこういうとこに興味あるんだよねっていうのに寄り添ってあげられるような
そういう子供時代を過ごしてくれれば結果的に将来また彼らが子供を大事にしてくれるような
世の中になっていくんじゃないかなと思ってそれを今我々としては目指している感じですね
前半部分ではなきゃいけないけどその5年間ボランティアをお休みを返上して
水曜日活動されていくで実質そんなに収益としては見入りはない
状態でもうやられてたんですよねそれご自身の心の中とかはどうだったんですか
結構いい趣味を見つけたみたいな気持ちもあってもともと趣味がそうなかったのもラッキーだったんですけど
ゴルフができるわけでもないしギャンブルするわけでもないですし
それまでの休日はどうでしたか思い出せないですが確かにたまに会社の先輩と水曜日空いてていいねとか言ってゴルフ行ったりしてたような
あの時期もあったですしもともと水曜日の休みって結構アクティブに過ごすんですよね
もったいないんで1日しかないからゴロゴロしてるといきなり終わるみたいなところがあって
それであったですけど僕の場合は子供のことやり始めてお金は全然もちろん儲からないけれども
まあ少なくともそんなにかかりはしないんですよね
でみんなが喜んでくれるしこれなんかいい趣味としては素晴らしいなと思って
ようやくのめり込める趣味を見つけたなその感覚いいですね
なんか社会活動とか社会起業家みたいな風に考えると全然ちょっと事業としてはまだまだだしとか