始まりました、むにむに。この番組は、40歳を超えてNPOに関わり始めたじゅんと、20代のポッドキャストプロデューサーのひとしが、社会課題解決に取り組む方々から、誰も取りこぼさない社会を作るためのヒントを学ぶポッドキャスト番組です。
認定NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえさんの提供でお送りいたします。 よろしくお願いします。 よろしくお願いします。
前回お話聞きましたね。
こども食堂って今、割と一般的に知られるようになったと思うんですけど、そもそも10年前にはそんな概念なかったようなものなんですけどね。
社会にこども食堂を当たり前にしていった超本人なので、本物さがあれですね。
今回は三島さんのパーソナルな部分、なんでこの活動をやっているのかっていうところを中心に聞いていきたいなと思います。
はい。 緊張はだいぶ解けてきましたか? いや全く解けません。怖いです。どんな、本当はどんな人なんだろう、なんでこんな人になったんだろうを知って自分と比べるのが怖いです。
ぜひ今回の最後でまた2人でじゅんさんの心の変化も聞いていけたらと思いますので、それではお聞きください。 お呼びしましょう。
前半でもこの営利企業と非営利とか、その垣根がなくなっていけばいいよねっていうような話もあったんですけど、私個人としては割とソーシャルな領域で食べていくとか、
こっちで仕事をしていくっていうのは、結構なんか大きな壁、溝があるように感じたんですけど、三島さん自身はこの領域のやりがいとか、この領域に足を踏み入れて、だいぶいち早く足を踏み入れたと思うんですけど、どういったきっかけで、どういったやりがいでやってらっしゃるんですか?
いや、なんか自分自身は大先輩たくさんいらっしゃるので、全然いち早くなんては思っていなくて、なので、逆になんでむすびえで働いてんの?っていうことの方が。
逆質問。
なんでですか?
僕でも一番印象的だったのが、外資のアウトドアブランドさんが環境保護のための基金を集めるとかっていう活動を、その企業としてやったときはこのぐらいの規模にしかなりませんでした。
で、ここからNPOにして、同じ団体がNPOを作って、同じことをうたって、多くの人を巻き込もうとしたら、全く桁が違う人たちとお金が集まったっていうお話を聞いて。今まで、その営利企業の方がお金って集まりやすいし、なんか社会を動かしていく力を持っているのかな。
で、非営利企業は、それはなんか下でサポートするみたいな印象があったんですけど、いやむしろポテンシャルとしてはソーシャルな領域の方が、より多くの人を巻き込めるじゃんって、確かにって思って、ここから世の中をもっともっと良くしていくとか、世界中に影響を及ぼすっていうのは、むしろこっちの役割なんだなあ、すげえなあっていうのが、僕は割と興味があるところなんですけど。
最先端なんじゃない、そして最も力と影響力、世界を変え得るポテンシャルがあるなあっていうところが、自分は惹かれているところです。
なんかやっぱり目的に対して、NPOの活動っていうのは明確ですよね。なので、ある意味そこは一つ分かりやすいんだと思っていることと、逆に営利の活動だとどうしても収益性がずっとつきまとうから、やりたくてもできないことって多分たくさん出てくると思っているので、
むしろ、非営利の方が自由度高く、目的に対してやるべきだっていうことはやれるんじゃないかなとは思いますね。で、そこをやっぱり応援してくれる人たちっていうのがたくさんいるので、そこに対してちゃんと働きかけをすることができたら、
ここは自分たちが想像している以上のパワーが、お金という意味でのパワーと、応援してくれるっていう気持ちのところのパワーと、いろんな力がプラスオンされて活動が推進していく、進んでいくんじゃないかなと思いますね。
もう一個の壁で思っていたのが、個人の働き方なんですけど、もっと若い時もこういうことをやってる人すごいなと思って尊敬してたんですけど、身近で知り合う機会があっても、やっぱり自己犠牲がすごく大きそうだなとか、ちょっとつらそうだなっていう印象がすごく強くて、尊いことだけど自分には真似できないなっていうふうにすごく感じてたんですけど、
僕はちょっとそばで三島さんを見てると、つらそうにしないし、楽しそうでどんどんパワフルになるし、どんどん活動を広げていくしっていう、そういう感じでできるってあんま見たことがなかったんですよ。
そんなふうにしていいんだ、そんなふうな人がいるんだっていうのが結構希望というかなんですけど、どんな気持ちなんですかって。
どんな気持ち?
割とやっぱりボランティアとか疲れちゃう人とても多いとは思うんですが。
疲れないことがもちろんないわけではないし、じゃあいつも楽しいかって言われると、もちろん頑張らなきゃいけない時もあるんですけど、基本的には自分がやりたくてやってるから自分の中では納得感は高いですよね。
だから楽しいし、やりたいと思ってやってるから、そんな犠牲感、誰かにやれって。むしろ親には、こんな活動やめたほうがいいんじゃないりえちゃん、ご飯食べれるのって、昔言われましたよ、2009年の時は言われましたけど。
でもうちの実家、お米とか作ってたので、だってお米はそれまで買ったことがなかったんですよ。だって親がずっと大学の時もお米送ってくれてたし、食べるものには困らなかったから、そういった意味ではすごい恵まれてたんだと思うんですけど、なのでどうやってご飯食べるのって母親から言われた時に明確に覚えて、だってお米送ってくれるじゃんって。
だから食べれないっていうことはないよねって本当に思って言って、そしたらもう母親は、この子に言っても伝わらないんだなって思ったっていう、自分の心配していることが全然伝わってないんだなって、それは後からですけど言われましたね。
なのでむしろ、やめておいたらとか、大丈夫?っていう周囲の声は、そうなんだねとかって思いながらやってたので、自分の中での納得感、自分が選んでるよねっていうのがあるから、大変なこともあっても大事なことだというふうには全部思ってるから。
大丈夫だよって思いますね。実際大丈夫だったし。でも、いろんな人たちに支えられてきてたり、サポートしてもらったりっていう意味ではありますけど、でも別にそれがNPOだからそういうのがあるっていうより、別に多分ここにいる皆さん一人一人が多分いろんな人に関わってもらっていると思うから、それとみんな一緒なんじゃないかなと。
なので、とはいえラッキーだったところも多分あるから、そういった部分はありがとうございますって感じですけど。
もともと楽観的っていうのと能動的な生き方が合ってるっていうところがあるのかなと思って僕は見てるんですけど、構造的には、別に営利企業がどうこうってわけじゃないですけど、もともと利益を上げる仕組みがあるから、やらされるじゃないか、仕事がありきでお給料が出てくるっていう、どうしてもちょっとやらされてるっていう気持ち、受動的な気持ちになりがちな環境と、
一方でこっちのソーシャルな領域って、まあ儲かるからこの仕事があるよではなくて、自ら選んでやる、やりたいからやるっていうようなところから最初回っていくから、より能動的な人たちが多いのかなっていうふうに思ってるんですけど、そこら辺はどうお考えですか。
まあそれもそうかもしれないですよね。で、あと能動的じゃないとやってらんないっていうところもあると思います。逆に言うと、営利の企業とかってやっぱりある意味仕組みにしていっていうことが一つ仕事じゃないですか。で、仕組みにしていく、システムにしていくってやっぱり代替可能なんですよね。マニュアルにしていくとかもそうですし。
替わりが。 うん、替わりが効くっていうこと。やっぱり替わりが効く自分って、なんか自分の存在って何なんだっけってつきまとうじゃないですか。でもまあこういったNPOの活動とかって、もちろん仕組みにしていかなきゃいけないところ、効率的にしていかなきゃいけないところはもちろん大前提としても持ちつつ、やっぱりその代替不可能な領域ってたくさんあるので、
やっぱりそういったところで、やりたいっていう気持ちがあるっていうのもそうですけれども、なんかそういった意味では能動的であるものなんじゃないかなとは思いますね。
本当にその競争だけしていって利益を求めると、いやお前じゃなくてもいいんだよっていうところとか、もっと安くできる人がいるんだよっていうところって非常に心を病むすごく大きな要因になるのかなと思ってて。
一方でこのむすびえ、すごいところって、こども食堂を通じて誰も取りこぼさない社会を作るって掲げてるのは、こどもの貧困を救うって書いてあるんじゃなくて、誰も取りこぼさないっていうことを内部にも外部にも本当にそれを貫こう、それを実現しようとしてるところをすごく感じるんですけど、最初それを設定されたときはその思いなんですか?
そこにはいろんな思いが重なってますけど、私としては、私自身がなんでこういう活動をやるかっていうところの原体験で言うと、私自身がすごい田舎の生まれ育ちなんですよ。本当に山ん中で、近所のお家がぽつんと一軒家で紹介される。
すごい。
そういう環境で生まれ育ったんですよ。そういう環境だから、だっていうことは後から気づいたんですけど、母の娘さんが障害を持ってたんですけど、うちに時々遊びに来てて、私は年齢が近かったから一緒に遊んでたんですけど、うまく遊べなかったんですよ。なので障害を持っている人と遊ぶのって難しいなって子どもながらに思ってた幼少期があったんです。
まずお母さんも大変そうだし、私自身もその子はうまくしゃべることができなかったので、何考えているのか、今どんな気持ちなのかもわからなかったと。そういう経験が幼少期の時にあって、そこから少し大きくなって、高校1年生の時にカナダにホームステイに行ったんですよ。
ホームステイに行った時に、学校のプログラムで希望者が行けるホームステイだったんですけど、同じ学校から行った子がたまたま隣のお家にホームステイして、そのお家に障害を持っている子がいて、私自身が障害を持っている子がいて、大変なのにホームステイなんて受け入れてって思ったんですよ。
でもそれは自分自身の中に、すごく偏見があるんだなっていうことに気づかされて、ホームステイ先が隣同士だったから、よく湖に行ったりショッピングモールに行ったり、なんか行動するのが割と一緒だったので、一緒に行動してたんだけど、別にそんなに困ることって大きくなくて。
で、自分が最初そう思ったのって、自分の中にすごい偏見があるんだなっていうことと、帰った後かな、帰る頃にすごい思ったのは、やっぱりそういう偏見を生み出す社会なんだなっていうことを、その後も思って、それはなんか自分自身が偏見があるダメな人っていうよりは、偏見を持たせる社会があって、逆にカルガリーに行ったんですけど、
カルガリーはそういう人たちと一緒に暮らしていける社会なんだなと思って、ここはなんか日本と自分が生まれ育っているところとの違いを実感して、やっぱり社会をより良くしていきたいなって漠然と高校生の時に思い始めたのが自分自身の原体験で。
それはこう無意識的にこの社会が、無意識的に誰かを取りこぼしているっていう前提で生きていたんだなって気づいたっていうことなんですか。
うーん、悪気があるわけじゃないんだけど、そうなっちゃっているっていうのは、なんか気づいた人が、それをちょっとずらしていかないといけないよねとはちょっと思いましたね。
そこの原体験はあって、なんか具体的にこのタイミングで今やっている活動を本気でやろうと思ったみたいな出来事ってあるんですか。
なんかいっぱいいろんな出来事があるんだけど、でもなんか一つは、何の仕事をするってなった時に、自分自身がそう思っている価値観を持っている人でしたと。
あわせて、私、祖父にすごいいろんな言葉をかけてもらっていて、かけてもらった言葉のうちの一つが、ちゃんと自分の気持ちに正直になっていいんだよみたいなことを、祖父が言葉としてかけてくれてたので、そういう価値観。
だからそれを仕事にするって、私自身も当時あまりよく、何ができるんだろうかなとは思ってたんですけど、でもまあその価値観を大事にしながら仕事を選ぶことができたかなとは思ってます。
自分の気持ちに正直に言って、割と個人的には、働いていく上では言いたいことも言えない、こんな世の中な体験の方が多いんですけど、三島さんは一貫してそれができるように、現在でもそれを大事にされてるなっていうのはわかるんですけど、実現できてるんですよね。
なんか私自身は、これ両親からもそうでしたけど、あなたは何を考えてるのって、あなたの意見はっていうことを結構聞いてもらってましたと。で、親からもリエさん、リエさんって呼ばれてて、ちっちゃい時はリエさんって呼ぶのがすごい嫌だったんですよ。すごい他人行儀じゃないですかね。
リエちゃんじゃないっていう。だからなんか、それを母親に言ったことがあって、なんで私のことをリエさんって呼ぶのって聞いたことがあって、で、その時の母親の回答は、あなたのことを個人としてちゃんと見てるみたいなことを母親に言われて、だからリエさんの意見はとか、私の意見を結構聞いてくれたんですよね。
何歳ですかそれ。
ちっちゃい時からずっとですよ。なので、自分の意見をちゃんと言っていいっていうこととかが、わりと環境的にあったので、それは本当、なんか、食べるもので体ができてるって言われますけど、同じように、かけてもらう言葉で自分自身の価値観だとかができてるよねって思うから、
それはもう本当に、両親だとかおじいちゃんおばあちゃんだとか兄がいるんですけど、かけてもらった言葉は大きな影響を受けてるなぁとは思います。
リエさん、初回に出ても言いたいことを言えないなとかっていうふうにあんまり困らなかったんですか。
いやいやいや、なんでわかんでも喋ってるわけじゃないですよ。グッと堪えなきゃいけない時もきっとあっただろうに言っちゃったことあるかもしれないし、グッと堪えたことも多分あるんだと思いますけどね。
でもまあなんか、それはそれで、その場面で言わなかったとしても自分の中ではちゃんと解釈をしてたりすることはありますね。だからそんなに自分の中では溜め込まないか。
これを聞いているリスナーさんが、じゃあ社会に対して何かしたいって気持ち自分もあったなぁと思って、なんか一歩目踏み出そうと思ったらできることってどんなことだと思いますか。
まあなんかいろんなことできますけど、まあ寄付するだとかボランティアするっていうのもやれることだし、関心持ってなんかイベント行ってみるとかね。
なんか今だといろんなこう社会に働きかけていくイベントがあったりするし、あのLGBTQのパレードがあったりだとか、アースデイみたいなのがあったりだとか、環境系のイベントとかも結構いろいろあるので、
そういうのに行ってちょっと楽しみながら、ちょっと身近なこととして感じてもらったり、団体のこと、活動団体のことを知ってもらったりして行ってもらえたらなとは思います。
ぜひ僕とじゅんさんと一緒にリスナーさんを巻き込んでそういうのに行こうと思ってます。
ありがとうございます。はい、ということで三島さんをお呼びしましたがどうでしたか。
いやーなんかあの対談みたいな感じじゃないですかここで。何か聞くとこっちの顔見て話してくれるじゃないですか。
僕あのそもそもがそんな正面から人のこと見て話せないので、三島さん見るだけじゃなくて多分心からまっすぐこっちを向いてるんですよね。
ずっと別に私だけじゃなくて、なんか社会に対してもずっとそうなんだなっていうのが、やっぱりね自分が斜に構えてなんかかわして生きてきたなっていうのがね実感しました。
なんかこうソーシャルビジネスとかNPOの楽しさやりがいとかそのあたりへのアップデートはどうですか。
やっぱりなんか楽しいよ大丈夫だよっていう言葉がすぐに出てきたじゃないですか。
なんか本当それに尽きるんだなぁと思って、あと自分で決めてるっていう話とか、能動的だよっていうところがなんかやっぱ一貫してそうだし、もっともっとそういう生き方ができるんだろうなって思いました。