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では、前回からの続きです。
前回は、たいきくんが最後、教育が課金芸だよねっていう話をしてたんですが、
せっかく花さんがおられてるので、花さんに話を聞こうかってなったところです。
そうですね。
いや、そうですね、なんか、思うのは、
お金の面だけじゃなくて、資本主義がどうにもならないよねっていう話ではない部分で、
いっぱいあるというか、加担せざるを得ない嫌な構造みたいなのが、
世の中にいっぱいあるなーって感じてて、
なー、わかる。
例えば、用紙、用紙について、
リズムについてとか、
それをちょっと感じる部分があったりして、
化粧をするのがすごく嫌だったんですよね、私。
化粧をすることにすごい抵抗があって、
なんですかね、自分を着飾るというか、
よく見せようみたいなのを女だけ教養される感じがすごい嫌だなと思ってたし、
だけど、会社に入ったりしたら、
入隊してこなきゃいけないみたいな風に言われたりして、
なんですかね。
結局、自分が用紙で判断しないって思っている人、思ってたとしても、
感じてしまうときがある。
なんですかね。
美しいものが好きみたいな気持ちって結構本能に近くて、
残酷だなと思うんですよね。
なんかその構造に加担したくないけど、
美しいものに対して美しいなって感じてしまったときとかに、
なんか嫌だなって思ったりします。
可愛くなりたいとか、
すごく小さい頃から自然に持った感情だったりして、
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それに対して可愛くなくていいじゃんって思い切れない部分みたいなのとか、
なんなんだろうなって、その辺結構もやもやしている部分なんですけど。
なんかいろんな問題が絡まってますね、それ。
そうですよね。ぐちゃっと話しちゃって。
どうやって話せばいいかわかんないけど。
美しいものを求めちゃうっていうのは、しょうがないことっていうか、
むしろいいことだと思うんですよね。
自分が美しいと思うっていうか、まず思えることがすごいいいし、
その感性が大事だと思うので、それ自体はいいんですけど。
そしてそれに近づこうとすることもいいことだと思うんですけど、
なんでしょうね、それが社会から求められているものと近いから嫌なんですかね。
そうかもしれないですね。
うん。
そうですね。なんていうか、その社会が、
なんですかね、こういうことを今言うのは絶対良くないと思うんですけど、
一般的に言われる美人と、一般的に言われるブサイクみたいなもののイメージが
みんなの中で結構共通化されていることとかも、すごい嫌っていうか。
結構多分、なんでそれが共通意識として成り立っているのかみたいなことが
よくわかんないけどわかるような気もしちゃうみたいな、
その感じがすごい嫌だなっていうか。
美しいと思うものは本来というか、何も社会から圧力がなければ
自分の美しいっていうのがあるかもしれないけど、
社会で生きていく中で、あるいは広告とかテレビとか雑誌とか、
ある意味お手本みたいなものを示されたりとか、
そういう情報に長く触れているっていう中で、
いつのまにか自分のその価値観がそこに寄っていっているっていうのは、
確かに抗いたくて抗えないみたいな、そこの葛藤みたいなのはすごくわかる気もして。
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そうですね。
その葛藤を持ち続けているっていうことがある意味抵抗でもあるのかなと思ったり、
多分、何て言うんだろう。
無意識に触れているその情報の多さみたいなのが、
これまで生きてきた時間に本当に擦り込まれているみたいな感じだろうと思うし、
広告って結構そういう擦り込みみたいなのにだいぶ貢献しているよなとは思うんですけど、
違和感を覚えるとともに確かに綺麗だなって思うっていう、両方あるのはすごくわかりますね。
そうなんですよね。
そうなんですよね。
場所がもしかしたら変わったら、まあ今は結構ネットもつながっているから、地域差が減っては来てるけど、
美の価値観とか美の基準みたいなのが、
多分、ヨーロッパ圏とかでそれを言うと、
ギャラリーって言うのかなって思うんですけど、
日本人にとって花が高いって言うのが素敵だって思うけど、
多分、ヨーロッパ圏とかでそれを言うと、
ギャラリーって言うのかなって思うんですけど、
日本人にとって花が高いっていうのが素敵だって思うけど、
多分、ヨーロッパ圏とかでそれを言うと、
逆にケナしてんの?何のこと言ってんの?みたいな。
日本は花を高くするような整形手術をするけど、
花を低くしたいっていう人もやっぱりいるっていう。
そこを崩すためというか、意識的に崩すみたいなことをしないと崩れないし、
だから、多分その価値観と違うものに時々でも触れてみるみたいなので、
もう一回揺さぶるみたいなのを意識的にしないといけないのかもなと思いました。
違う価値観に触れるっていうのは一個大事なことですね。
本当に日本っていう国だと、日本語だっていう縛りがあるし、
それ以外の情報がすごく入ってきにくいんだろうなって思うんですけど、
共通認識を作りやすいっていうのもなんとなく思ったりもしますね。
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さっきの自分と他人っていうのも繋がる気がするけど、
自分と他人っていうのも繋がる気がするけど、
さっきの自分と他人っていうのも繋がる気がするけど、
あまりにも地続きだと思いすぎてて、
自分の体型が、例えばそのヨーロッパ圏の人と自分比べたときにあまりにも違うんだけど、
同じ日本の人であったら、違うけどまだ地続き感があるから、
なんとなくそこにこうなりたいなっていう羨ましさみたいなものが含まれたりとか、
こうあるのがいいよねっていうのも、
込み込みになってくる感じもなんとなく思いましたね。
そうですよね。
一人はタコの形してて、一人は植物の形してて、一人は人間の形してたら思わないですね。
だけど人間同士だからそういうこと思っちゃうみたいなのも含まれます。
そうか、それは僕が現代に生きてる男性だからあんまり思わないんですかね。
人の様子に対してああなりたいっていうのは。
そうなんですかね。
極端に背が低かったりしたときに、周りの人がお背が高くて羨ましいなみたいな感じを抱かないかとか。
そうですね、その抱く環境にたまたまいなかったら、
そう思わずに住んでいる環境なんですよね、たぶん。
これがもし女性だったらそう思わずに住んでいるような環境っていうのはそう考えられないですよね。
そう考えます。
そうですね。
そう思わずに住んでる環境なんですよね、たぶん。
これがもし女性だったら、そう思わずに住んでる環境っていうのがたぶん男性よりも
狭くて、狭いというか少なくて、たぶんより求められると思うんですよね。美しさを。
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だから、だからたぶんそこまで感じてないのかな。男性だから、男だから。
私もハズレ地だからっていうのはあるかもしれないな。なんか、背が150くらいなんですよ。
もともとだから小さいっていうのと、あとそういう
比較されそうな環境っていうのがものすごく苦手なので、そもそも避け続けてきているっていう。
なんか、小中高時代は
人数がめちゃめちゃ少ない私立校にいたんですよね。
人数が少なくて、1クラス10人いないっていう感じで、
小学生から高校生まで全員顔も名前もわかるっていう。
で、一緒に運動会もあるみたいな感じだと、そもそも
それぞれが違いすぎて、それぞれの個性も見えすぎて、
確かに平均というものが楽しみですね。
ない、ない、みんな本当にバラバラっていう。
で、かつその学校生活で、そこでこう
比較が起きにくかったのは、指標がいくつもあったからかなと思って、
その勉強をするっていう、座ってやるっていう教室の中での得意不得意はもちろんあるし、
でもなんか結構イベントがいろいろあって、
運動会みたいなそういうスポーツ面もそうだし、
あとは一輪車みたいなのもみんなやったりもしたし、
あとはその点数がつけにくい、日本舞踊とか剣道とか、
あとはモダンバレーみたいなのとか、おのおとか、
なんかそういう分野でめちゃめちゃ発揮する人もいるし、それがすごく好きな子もいる。
めっちゃいい。
なんか音楽が好きな人もいる。
で、なんかそれぞれの得意をお互いに知ってるから、
その、こういう時はこの人輝くよねっていう。
で、なんかそれを共通認識としてあるっていうことで、
んー、そもそも私が比較をされ、
なんていうの、同じ、こう、あれで比較をされないみたいなものさしで。
なるほど、なるほど、めっちゃいいですね。
みんななんか進路もバラバラやったし、
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大学も比較されにくい、適当に自由にやってていい感じやったから、
なんかもちろんその学力という面では、あのみんな競争してやってくるわけやけど、
それぞれが自分のしたいことをやってるみたいな感じで、
私には何をあの人がやってるのかわからないが、なんかすごいみたいな。
なんかそういうのって、
んー、なんかあんまり外見だったりとかが、
自分の状況が不利になるところに見置かなかったし、
なんかそれを守り続けてきたから。
その環境と教育スタンスは同じを求めないってめっちゃ大事ですよね。
いやー、本当にそうですよね。
あのー、私は今、あのー、
化粧は基本的にしなくてごく稀にみたいな感じなんですけど、
着物を着るっていう選択をした時に、まあ一般的なその枠から外れるとか、
化粧しない人って一定数やっぱいるのはいて、
そういう人がポツポツいるとか、そういうの全く気にしない人の中にいたら、
自分も気にならなかったり、なんか自分あんまりこう、
気にしなくていいみたいな感じのところを渡り歩いてるから、
なんとなくその、距離を置いているっていう標準っていうものからみたいなのはありそう。
でも標準をね、やっぱり求めますよね、今社会はね。
社会が求めているものを標準としていることも、僕なんか嫌なんですよね。
標準じゃなくてただ社会が求めているだけだなって。
確かに、本当そうですよね。
なんか化粧で言うとこれもう本当に、男性の俺が何、僕が何言ってるんだって感じですけど、
何回か前の自分の個人のポッドキャストでも話したんですけど、
本当にポジショントークですよ、僕男性なんで。
車運転してる時とかにすれ違うと運転してる女の人が化粧したりしてるんですね、運転中に。
とか僕は直接は見たことないけど、電車の中とかでもパパッと化粧するみたいな話を言って、
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何を通勤時間まで化粧させとんだ社会は?って思って。
多分ですけど、その人たちはお化粧がしたくてしてるわけじゃなくて、
マナーとしないといけないと思っててしてるからで。
そうですね。
そんなの社会圧すぎるから、化粧してほしくないそんな人にされることが、
化粧はしないといけないことに加担してると思うので、
化粧しなくていいって言ってあげたいなっていう怒りがありましたね。
無言の化粧がマナーだよっていう社会圧に対して。
だけどこれは僕が化粧から離れて暮らせてるので、今現代の男性だから言えることですけど、
化粧を本当にしたい人だけがしていい社会になってほしいなって思っていました。
本当にそうだと思います。本当にそうなんですよね。
化粧したい人もいるから、化粧したい人がするのは全然自由だと思うし、
自分のなりたい顔になるっていうのもいいんじゃないかなと思うんですけど、
今全員外出るときにしてないと恥ずかしいみたいな意識がある社会がすごく嫌で、
でも自分もしてて、すごい加担してるなっていうか飲み込まれてるなというか、
抗えない自分みたいなのがすごいイラダチが多い。
あとなんか、してるときとしてないときの、いつもしてるのに今日してなかったら、
ただ今日してないだけなのに今日してないっていう評価がくだされたりするじゃないですか。
逆もしかり、いつもしてないのに今日していたら、今日しているねっていう評価がくだされて、
化粧の仕方も変えただけで言われると思うんですけど、
それも触れてやんなよって思うんですよね、なんとなく。
だからしたい人がすればいいし、したい人がしたいときにしたい化粧をしてほしいから、
その圧力やめてよって思うし、その圧も多分社会が求めるもの。
だからいわゆる男性が求めてるものだと思うんですね。
会社で言うと、看板的に使ってる女性を。
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受付状態?
看板的に使ってる。
それがまかり通ってる社会もなんだって思うし、今までこそそんな多くはないと思うんですけど。
だから選択しよう。選択しようって思います。
そうですね。
これは僕が女性だったらここまで多分思われて、
化粧しなきゃな、こんな時間だってなってる気がする。
そうですね。
やっぱり知ってる人が多い中にいたときに、なんとなく比べてしまう自分とか、
それが標準になってるように感じるとか。
だから人のことをやっぱりすごく意識してるんだよなぁと思いますね。
そうですね。
人は自分は自分でいいよなって思いきれないというか。
オーストリアウィーンに来て半年ぐらい経つんですけど、
化粧を知ってる人もいれば知ってない人もいて、
知ってる人は結構ガッツリしてるみたいな。
お年を召した方でしっかり目にしてる人もいるし、
仕事的にしたほうがいいから知ってるみたいな、
職業的なものもあるのかなぁとも思ったり、
でもなんか知ってない人も多分あんまりものすごく気にしちゃわないけど、
7割ぐらいはしてないんじゃないかなぁと思います。
7割してなかったら、全然化粧しないことに勇気が日本とは全然違いますね。
そうですね。
なんかそれでも、なんて言うんだろう。
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相手のことを褒めたりとか、ちょっとした会話みたいな時に、
それ素敵ね、みたいなことって、なんて言うんだろう。
日本だと多分、ちゃんとしてるにプラスアルファで、
ちゃんとしてるに化粧も入ってて、ちゃんとした清潔感がある。
プラスアルファはその人の個性だったりとかが乗ってないと褒めにくいというか、
褒めるっていうのがすごくプラスアルファな感じがあるんだけど、
なんかこっちの人は、自分が気に入ったら褒めてるっていう、
いいねっていう、私それ好きよっていう褒め方をしてるような気がします。
なんとなく今違う感じがしたんですけどね。
やっぱりなんか自分っていうものがあるのかな。
なんとなくその、自分は自分でこれでオッケー。
で、私それ気に入ったみたいな、なんかこう、
自分が同じ土俵に立ってるとか立ってないとかあんまり関係ない感じ。
そうですね、なんか標準がないから、過展も減点もない感じなんですかね。
確かに日本は過展なんかもしれないですね。
過展があるし、ちゃんとしてるのをちゃんとしてなかったら減点がある。
減点されるっていう感じが確かにすごくある。
減点されちゃうと他でどう過展してももうプラスを超えないみたいな、
ちゃんとしてないんだから他でどう頑張ってもみたいな。
確かにな。なんだろう。
それさっきの嫉妬ともすごいつながる感じしますね。
足を引っ張るみたいな。
なんかこれはできてないといけないみたいなものが多すぎる。
なんですかね。これはみんなができているものみたいな。
全員できなきゃいけないものとされてることがすごく多くて。
たまさんの学校みたいに、この人はこれが得意だよねみたいな。
なんですかね。それぞれの個性が伸ばせる場所を知ってるとか、
いろんな尺度を知ってるっていうことがすごい大事そうというか。
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そうですね。
いっぺん当にこれが正しいみたいなのも小さい頃からずっとされてたりすると、
そこから逸脱された人に対して、
なんで自分はルールを守ってるのにこの人は守らないんだみたいな風に思ったりしたりするよなと思いました。
確かに。
たまさんみたいな学校があるっていうことをちょっと勉強不足で知らなかったですね。
たぶんね、人数の少なさもあると思う。
もちろんその学校としての思想みたいなので、
先生のことを先生じゃなくてなんとかさんって呼んでたっていう。
一人の同じ人間ですよっていう。
もちろん先生から授業はしてもらうけど、
僕が教育に関してもやもやしてることがだいぶないかも。
そこが掃除をしますってなったら一緒に掃除はするし、
先生っていう立場にたまたま私ができることがあるからついています。
私がしてることは教えるんだけど、同じ一人の人間ですっていうスタンスであるっていう。
人数が少ないから一人一人の顔が見える、個性も見える。
もちろんそれは先生もそうやし、
そこで子供自身も一人の人ってなってるのかもしれないかな。
やっぱり今の教育制度でなった時に、
私1年生の時だけ公立に行って、
その時一クラス40人で一人の先生で、
すごく保育園でのびのびしてた分、
一斉に同じことをやらされるっていう、
すごい不自由さとか違和感みたいなのが強くて、
やっぱり何て言うんだろう、
今多分変わりつつあるところは変わりつつあるんだけど、
一番高度経済成長とか、
そういうみんなが同じように同じことをできるっていうのが必要だった時代に、
必要な教育から、戦後とかもそうやし、
それこそ多分明治維新後とかもきっとそうだっただろうし、
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そのためには一人の人が大勢の人に一斉に伝える、
同じことを同じようにやらせるっていう、
その基準を作ってしまうっていうのがすごく大事だったし、
それがある意味一定の効果を出してきたっていう、
そこから効果を出してきたが故に逃れられないみたいなのは、
なんとなくある気もして、
便利なんですよね。
一人で大勢を教えるときに同じルールで縛ってしまう。
そこから逸脱した人をはじくっていう。
でもこれからこれだけ価値観も多様化して、
どうやって生きていくってなって、
今ある職業が続くかわからへんし、
社会もどんどん変わっていくしってなった時に、
やっぱりその教育スタイルでやってたら、
やっぱしんどいよなっていうのは思いますね。
そうですね。
僕、たまさん、たまさんじゃない、
はなさんの最初の記事読んだときに思った教育っていうのが本当にそこで、
そこでっていうか、
現代の教育の在り方が根本にあるから、
最初にそこを直さないと、
そういう人いっぱい生まれちゃうよなって思って、
その悩みをしちゃう人が。
そうですね。
なんか、僕が今思う教育において、
ここが嫌だなっていうのがさっきたまさんが、
さっき言ったっていうか言ってないところなんですけど、
強制しないところ。
強制っていうか、強制は無理やり強いるじゃなくて、
正しい道に、正しいのがこれだよっていう形を整える意味の強制しないことと、
競争させないことだと思ってるんですけど、
現代の学校の教育ではもうそればっかりなんで、
たまさんの学校のようなものが増えると、
僕がいいと思っているものと近かったりするのかもなって思いましたね。
あと同時に支配も嫌だと思っているので、
支配っていうのは先生っていう人と、
生徒っていうのの力関係による支配とも、
嫌なので、すごい理想的に見えますね。
たまさんの通われてた学校。
私もその学校に通いたかったです。
たぶん私が公立に行った時、1年生の時に、
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あまりにも体調が悪そうみたいな、
健康じゃなさそうな雰囲気になっていたのを見て、
たまたまその保育園が一緒やった子が行ってるよみたいな感じで、
一回じゃあ見学に行ってみようかみたいな感じになっていきましたけど、
保育園の友達が行ってた?
で、電車に乗って行ってたけど、
そのお姉ちゃんも行ってたから一緒に電車通学みたいな感じやって。
そうか。
これ配信しないかもしれない。
言っていいかわかんないけど、一回聞きましたよね、学校の名前。
言ったかな。
山下なの?
そうそうそう。
一等園っていう。
一等園。
ともしび、ひへんにのぼるとその。
言っていいかわかんなかったんだよ。
全然大丈夫。
あれだ。
全然大丈夫です。
結構豪快してると思う。
僕が勤めてる会社がすごい一等園推しなんですよね。
そんな学校だったんだ。
一等園自体の教えはすごい共感してるんですけど、
学校までそれはいいですね。
多分いろいろ課題はあるんだろうけど、
私が通えてよかったなーっていうのは思うかな。
現代に合わせるっていう意味では課題はありますけど、
そんなことしなくていいかも。
そう、そんなことしなくていいんだけどっていうところはね、
やっぱりあるのはある。
コロナの時とかもね。
あと1分。
ほんとやん。
まだ後編は後ほどということで。
じゃあ一旦感想は、
XQ Twitterでハッシュタグもガチ機能だね。
全てカタカナでポストしていただくか。
概要欄のお便りフォームにお願いします。
次回へ続く。