嫉妬の初めての気づき
ムカツキノタネ、たまです。
たいきです。
この番組は、日々の生活で出会ういろんなムカツキノタネに、いつか花が咲くことを願って、明日を耕すように、あれこれ話していきます。
今日は、ゲストに花さんに来てもらいました。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
こんにちは、花です。
ようこそ、ようこそ。
お二人のファンだったので、とてもファンなので、嬉しいです。
嬉しいですね。番組配信したら、聞いていただいて、感想とかもくれたりして、嬉しいですね。
今、冒頭のやつを読んでいて、花って入ってると思って嬉しくなりました。
私も嬉しいですね。
嬉しいですね、お二人が。
二人と収録できるなんて思ってなかったので。
そう言っていただいて嬉しいです。
なんか、花さんが最初にツイッター、原Xで。
原Xで。
原Xで、日々考えていることをなんか吐き出すと誰かを傷つけそうで、なんか言えない気がするっていうので、
なんかそれで人と誰かと喋りたいな、みたいな感じで書いてあったのを見つけて、これだと思って原Xに読んだっていう感じです。
そうですね、僕もね、多分同じタイミングぐらいで、話そうってリプライしてて。
そうそう。
そんな、お二人からそんな風にお声掛けいただけるなんて思ってなくて。
いやー嬉しいですね。
うまく話せるかわかんないんですけど。
なんか、ポストしてくれてあったやつの中で、一個嫉妬をテーマにしてノートを書いてあって、その話すと人を傷つけそうなことっていうのを多分一つの中にあったものだと思うんですけど。
なんか、なんだろう、どんな感じだったかをざくっと説明してもらうのをお願いしてもいいですか?
そうですね、なんか概要だけ、中学の時とかに結構嫉妬されるような機会があって、
それだけ傷ついたというか、嫌だなと思っていたので、自分は嫉妬はしないと思ってたんですけど、
大学受験からその後あたりに、私が全然お金がなくて、お金持ちに対してすごいうらやましいっていう感情が湧いてきて、
自分も嫉妬してるなってことに気づいた時に、何なんだこの感情はって、なんて結構考えたことがありまして。
何ですかね、私の周りには結構お金持ちの子たちがいて、そのお金持ちの子たちに対して嫉妬の感情が最初抜いてたんですけど、
結局考えていくと、その子が悪いわけではなくて、その子に感情を抜けるのが違うんじゃないかって、
結局やっぱり突き詰めていくと、自分の中にある満たされない感情だったりとか、社会のせいに対するムカつきみたいなものが根底にあって、
そこと向き合っていった方が解決できるんじゃないかと思ったみたいな話。
解決できるっていうところにたどり着けばいいんですけど、解決できないことも多いので。
そうですね、解決できないっていうところにたどり着いちゃうと結構世界に絶望しちゃうというか、
暗い、暗い考えのループの中に入って、結構苦しい世界だなと思っているみたいな節があってっていうような話を書いたつもりでした。
感情の処理と境界
なんかその中で、嫉妬の感情を自分でもった時に、羨ましいなって思ったっていう、それを自分が何がお望んでるのかっていうのに気づけたみたいな感じで、
その感情を処理するっていう風に書いてあるのを見て、それすごいいい消し方だなぁと思いましたね。
置いておいたら確かにそこの感情に逆に自分が飲み込まれていくような気もするし、
なんていうんだろう、その感情を人に伝えることがいいことなのかっていうのって、
前だったけ、たきくんと喋ったんやけど、感情で喋るのか、
感覚で喋るのか、
感覚で喋るのかみたいな話をちょっとしたんですけど、
感情をそのまま相手にぶつけるっていうことで、
自分が感じたってことは大事にしてあげたいけども、
それをそのまま何にも包まずというか、そのまま相手に投げるみたいなことで、
やっていいんだっけっていうのは、
やっぱり一回考えないといけないことだよなーっていうのはそう思って、
最近ドキドキインスタとかで流れてくる動画で、
バウンダリー、人と自分の境界みたいなのを、
分けた方がいいよねっていう。
自分と相手の感じるその快適なゾーンっていうのは違うし、
自分がそれがいいと思っても相手がいいと思うかは分からないっていう、
そこにちゃんと境界があるよねっていうので、
子どもに対して、それこそ幼稚園とかぐらいの小学校とかぐらいの子どもに対して、
それを伝えるバウンダリーソングっていうのが英語圏であるっぽくて、
相手から何かを、
例えば相手から好きっていう気持ちで、例えばハグをされた。
でもそれが自分が嫌だった時に、嫌って言っていいんだよって、
それの嫌っていうのって、相手を嫌いっていう意味じゃなくて、
ただ単に今自分がそれ深いで、私のバウンダリーここまで、今快適なゾーンここだから、
ここに入ってこないでっていう意味だよっていう、
そこの切り分けみたいなものを訓練してないよなっていうのを何となく思ったんですよね。
ハナさんの最初の方のノートで、
嫉妬してきた友達が意地悪してくるじゃないですか。
そうですね。
嫉妬はもちろんしたっていいけど、
それを意地悪っていう形で相手に投げつけるっていうのって、
傷つけるってことやし、もちろんそれを傷つけるってことそのものをしたって、
それは傷つけるってことそのものをしたらあかんけど、
自分と相手っていうそのはっきりした境界みたいなのが、
何となくこう分かれてない感じみたいなのもあるし、
自分と相手が違う存在だったら、そこに嫉妬って生まれにくいのかなとか思ったり、
違う存在だったら嫉妬は生まれにくい。
自分とあまりにもかけ離れた人がそこにいたら、
同じ土俵で見てるから嫉妬するけど羨ましいと思うけど、
あまりにも相手が、例えば生まれた場所、肌の色とか喋る言葉とか、
色々違いすぎたらもはや嫉妬なんか思い浮かばないっていう、
それを多分日本っていう社会はすごく近い、
お互いが似た環境で育ってると思いがちだし、
そこを分けるっていうことを別に今まで教育の中でもされてこなかったし、
子供向けのそういう歌があるっていうのを見たときに、
これって教育でなんとかできる問題も含まれてるんじゃないかなっていうのを思ったという。
そういう流れだったんですね。
経済格差と自己意識
なるほど。
確かに。
そうですね。
嫉妬心を感じたときに、自分が低いってことは、
自分が低いって感じたときに、相手も同じくらい低くさせることで、
嫉妬心っていうかその欠乏を埋めるのって、寂しい行動ですよね。
足を引っ張るっていう。
そうですね。
そっちの方が楽だからなのかな。
なんでだろうな。
そうだね。
自分が足りないって思ったときに自分の環境をすぐに変えることは多分できないから、
自分が足りない分上がるよりも相手を下げた方が手っ取り早いって思っちゃうのかな。
嫉妬。自分が嫉妬したとき。
ちょっと言ってた。自分自身にちょっと欠落というか、
どこか不満だったりとか埋められない何かこう、
自分の中でのモヤモヤみたいな何かがあって、そこを
自分が嫉妬心を感じたときに、
自分の中でのモヤモヤみたいな何かがあって、そこを
満足させるという方向じゃなくて、なんかそのモヤモヤを
相手に投げてそのまま、
相手ももうちょっと下がってくるといいなみたいななんかあるんですかね。
自分の中の欠落的な何かが
満たされると結構変わるんかな。
解決する方法が多分すごい考えないと見つからないから、
すごくインスタントな、一旦目の前にある障害というか、
見えなくすることでそれについて考えるのをやめられるっていうか、
みたいなとこはあるのかなと思ったりもします。
問題をそうですね、
なかったことにしてるみたいな感覚ですよね。
インスタントってまさにそんな感じですよね。
でもなんかそれをこう発露させてしまうことで結局自分も長い間
それに飲み込まれる感じもしますよね。
自分も結局傷つけることにもなっている気もするな。
臭いものに蓋をしている感じというか、
結局ずっとその蓋をしてたら、
中のものは増殖していくというか、
だからずっとあるんですけど、
一個一個蓋をしていくことで見えないようにしているだけなので、
その中身をなんとかしないとずっと臭いよっていうことだと思うんですけど。
その中身をなんとかするときに結局結構エネルギーがいるんでしょうね。
自分と向き合うみたいなところがあったり。
回り回って自分を大事にするみたいなこと。
自傷しないみたいなことを、
自分は自分のままでいいよねっていうこと。
それでパーフェクトだよねみたいな、
子供の頃から日本ではあんまり言葉にしては言わないし、
時々思うのが、
親が子供のことを謙遜で下げたりする。
めっちゃあるね。
その絵見たくないね。
もちろんその謙遜って文化があるし、
今ちょっとたぶんスリッパで見ると、
ずっと無意識でか意識して聞き続けたらやっぱりスリ込まれて、
大人になってもなんとなくそこは引っ張ったりすることもあるのかなと思ったり。
そうですよね。
謙遜ってどこかを下げてあげるっていうんじゃないやり方をできると、
謙遜ってどこかを下げてあげるって言うのかなと思ったりする。
そうですよね。
人に対してポジティブな評価をするっていうこと?
そうですよね。
やり方をできると。
謙遜ってどっちか下げますもんね。
そうですね。
主に自分を下げるよね。
自分とか身内とかを下げますよね。
結局あんまりうまく言葉にできないんですけど、
どこまで言っても結構同層状態というか。
私がお金がなくて困ってたときに、
じゃあお金を稼ぎたいなみたいなことを思ったんですけど、
でも自分がお金を稼げるようになってしまったら、
結局その貧富でいう富の方に私が入ってしまったら、
貧を産むことになるから、
私みたいな、昔の私みたいな誰かを苦しめることになるなみたいな、
そういう嫌さもあって。
なんですか。
でもそういう社会の中で、
生きてるから、
どちらかに所属しないといけないことに対する嫌だなっていう感覚が
ずっと拭えないで今もあるなって感じがあります。
私はあんまり稼いだときに誰かが苦しむっていうことを想像してなかったですね。
何だろう。
本当に稼いだときに誰かって下がるのかな。
うん。
だから、
例えば稼ぎ方をしたら貧しい人を産むみたいなのは、
わかる気がするんだけど、
なんか、
うーん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
そういうやり方をせずに、
稼い、
普通にというか、
うん。
稼いだときに、
搾取してることになるのかな。
なんとなく、
羽生さんと感覚が一緒じゃないかもしれないですけど、
すごい共感できて、さっきの話。
うんうんうん。
たまさんも含め、この間ちょっと相談事を投げたじゃないですか、
多分それめっちゃシンクロしてて、
うん、なんかそんな気がした。
なんか、
まあ完全に2つに分かれてるわけじゃなくて、
それ全部グラデーションだと思うんですけど、
貧困と裕福なのって、
グラデーションだと思うんだけど、
その中で、
貧困じゃない、中間層以上の立場に立って、
それでも稼ぐっていう立場にいたときに、
その格差を助長してることに、
協力してることになっちゃうと思うんですよね。
っていう風に感じちゃうんですよね。
そんな感じでした。
貧困状態の方たちを、
貧困状態のままではいけないとは思ってるし、
思ってるけど、僕がその立場には立ちたくないっていう、
なんか、保診もあり、
なんというか、
より上を目指そうとか稼ごうとか、
お金を使ってより便利なものを得たりするのって、
経済格差を縮めることにはならない。
このままっていうのは、より格差を広げてることに、
一個力を貸してることになってるなっていう感覚です。
同じ感覚だったような気がします。
貧困状態を何とかするっていう方向じゃなくて、
自分が貧困というものそのものを何とかする方向にじゃなくて、
自分がその浮遊層の方に入ることで、
そこから逃れようとするみたいなずるさというか、
を感じてたのかな、なんていうか。
うん、なんか似てるかも。
その感覚ちょっと似てるかもしんないし、
裕福さと幸せの考察
僕が今というか、ここ数年しばらく悩んでいるところですね。
なんか、私、私、
なんか、私は多分その感覚があんまりなくて、
えっと、
稼ぐということはあんまり、
なんだろう、お金をたくさん持ちたいみたいな欲がないっていうのもあるかもしれないけど、
どっちにしろその、えっと、
裕福になった、例えばハッピーになった、
例えばハッピーになったとして、
幸せだっていう人が増えれば、
その幸せが人に伝播していけば、
幸せ増えるんじゃないみたいな、
なんか、えっと、
ベンサム的な、
から、もしかしたら、例えばその、
例えばその、
稼いだお金が、
何か貧困解決に使えるかもしれないし、
それが、えっと、もしかしたら、
そういう格差っていうことに対して興味がない人よりも、
自分がその興味というか、後ろめたさがあるということは多分興味があって、
で、そういう状態で稼いだお金っていうのって、
そこに還元しやすくなったり、
とか、
そうですね、その側面も感じる。
それはあると思う。
もしかしたらその格差があるっていう状態で、
えっと、
上の方が幸せで、下の方が、
えっと、もしかしたら幸せ度が低いかもみたいな、
のが、必ずしもそうじゃないかもなっていうのも何となくある。
それはそうですね。
その、各、えっと、
貧しいとされている人たちが、
もちろん苦しいことたくさんあるし、それを改善した方がいいとは思うけど、
幸せじゃないかって言われたら、その幸せ度ってお金持ってる人と比較はできないんじゃないかなっていうのも思うし、
だから、その、稼いだことで本当に幸せになるのかっていうのは何となくこう、
疑問。で、自分のいいところに落ち着いたらいいんじゃないっていうのも何かこう思ってることは多分あって、
で、だから自分がどこにいようと、
あんまり、なんか、その格差を広げてる感覚っていうのがないのかな。
あんまり、
格差というものを身近に感じてないのかもしれない。
格差と教育の役割
うん。
自分がなんか、その格差って多分同じものさしで測らないと格差にならなくて、
お金とか、
大輝くんが言ってたのは多分教育とか、
まあそれも結局は多分お金だと思うけど、
うん。
なんか、その同じものさしで測る必要性があるかなっていうのも。
いや、まさにそうですね。
そうで、なんか、えっと、僕がこの悩みを言った時に、
よく言われるのが、その稼ぐ人が増えたら、その稼いだお金を再配分して、
まあ格差を縮めることができるからいいことだよっていうようなことを言われるんですけど、
まあそれはもうもちろん、それができたら一番いいんですけど、
さっき玉さんも言ったように、その幸せの測り方って一個じゃないから、
その、さっきアドバイスくれた方の論でいくと、
その幸せを享受させてあげようっていう思いばっかりになっちゃうんですよね。
幸せの多様性、幸福の多様性が失われて、お金を稼いだ方が幸福になるよっていう価値観を貧困層にも与えて、
価値観というか、その価値観のもと貧困層に支援とか、道徳的な教育とかをしていって、
幸福の定量化、間違った定量化のせいで間違った広がり方を、
間違ったというか、そうですね、間違ったっては言い切れないけど、
幸福の種類を減らしていくような感じにもなるし、
今の現代社会で幸福とされている人、有福な人ってどうしてもマジョリティなので、
少数派の意見を聞かないまま多数派の幸福を何というか最大化するために、
みたいなふうに働いちゃってるように今見えるんですよね。
だからそう、ほっとくとそれがただ加速していくというか、
格差が広がっていく一方なんじゃって思うので、
ただ僕という人間がいなかったら広がっていくので、僕という人間はそうではない動きをしたほうが
いいのじゃないかなって思うっていう。
すごい、お二人の言語化がすごい。
でもそうだと思います。私もそうなんじゃないかなって今聞いてて。
結局、お金を稼いで、稼いだお金を再配分して、
貧困層に与えるというか投資するみたいな形で、
金銭的な現状だったり教育だったりいろいろあると思うんですけど、形は。
するとなったとしても、結局はやっぱりお金があるからそれができるってことになるので、
っていうようなことだと思います、やっぱり。
すごいですね。
詳しい情報を完全に忘れましたが、
ある国がある国で、
一応その国としてこれ以上そういうことしてもらったら困るっていう、
他の国の合意があっての経済封鎖とかそういうことだったりするんだろうけど、
本当にそれって一つの国を、
ある国の理論で抑えることができるのかどうか、
確かにその、
稼ぐっていうことで、結局その資本主義的なお金が、
いろいろあるんじゃないかなって思うんですけど、
その資本主義的なお金が、
そうですね。
確かにその、
稼ぐっていうことで、結局その資本主義的なお金が、
力を持つっていうところに加担はしてるよねっていうのは確かにあるけど、
多分私はお金は回るかなって思ってるのもあるかもしれない。
だから、使わないことはいいことではなくて、
その入ってきたものを回していく。
だから循環させていけばその、
お金というツールみたいなものを、
いやまさに。
生物交換では難しかったものに変えることができるから、
なんか天下の回り者的な、
入ってきたら出せばいいじゃないっていうのを、
が多分強くっての感覚なのかもしれないなと、
確かに。
思いました。
だからそのお金を使うときにどこを選ぶのかとか、
それでちょっとずつ社会を変えることに貢献するか、
ちょっとでもいい方向に行くっていうのに貢献するみたいなのが、
今できることなのかなーみたいなのを持ってるから、
なんかお金そのものを、
お稼ぐということに対して、
できる人がやったらいいんじゃない?
得意な人がやったらいいんじゃない?みたいな。
できるならみたいな。
いやまさにそうですよね。
そうです。
今玉さんも言ったけど、
ツールなんですよね、お金って。
なのにそのツールをいっぱい集めることがいいゲームをしてるじゃないですか。
ツールじゃなくて、そのツールを使ったお金を目的にするんじゃなくて、
お金を飛ばしても別にいいと。
極論ですけど、お金飛ばしてもいいと思うんですよね。
ただの信用なんで、今お金って。
だからそう、実際お金なくても回ってるはずなのに、
お金がないとダメって勘違いしちゃってるのが。
そうですね。
ありますね。
お金を稼ぐのは得意な人がやればいいと私も思うんですけど、
お金がないと実際問題、
私が大学に行けなかったり、予備校に通うお金がなかったりとかっていう問題があって、
全然平等じゃない社会だなと思ってるから、
お金がないとやっぱりすごく生きづらいというか権利が結構ない部分が多いというか、
多いというか、全部そうですよね。
そうじゃないことが逆にないぐらい。
その構造がすごい嫌だなって思ってるんですけど、
どうにかできることじゃなくて、今のところ私には。
せめて自覚的でありたいなと思って、
でもそれくらいしかできなくて、
それが私が世界終わってるなって思うところの部分が結構あるような気がしますね。
終わってるね。
終わってるっていうか。
教育面だったりとかは、最低限の生きるっていうところは、
国がもうちょっとちゃんと保証しないといけないところでは多分あるんだろうなーっていうのも多いし、
お金が届こってるよなーっていうのが今すごく、
なんか課金芸なのが全部おかしいと思ってて、教育に関して。
教育なんだから、最低限というよりは全部無料で受けれるべきなんで、
だからその予備校に行けない、お金がないと予備校に行けないっていうのも予備校行く前提っていうのも。
そこにお金が欲しい人が、お金を得るために教育を道具にしてる。
次回への引き継ぎ
子どもと教育っていうものを道具にしてる。
このゲームも嫌なんで、
次回へ続く。