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スピーカー 1
その創業期にですね、野生児2人みたいなところに大人の感覚で経営っていうのをですね、しっかりと引っ張っていた人材がいます。これが2人目のNo.2人材と申し上げていいと思うんですけども、マイク・マークラという人になります。
このマイク・マークラさんはですね、スティーブ・ジョブス、ウォズニアック、それからこのマイク・マークラさん、3人で3分の1ずつですね、Apple社の株式を保有するということで、法人組織になった時の最初の株主になったというふうに申し上げていいんですけども、この方遠隔の時にお話ししましたけれども、
インテルに所属をしていたことがあってですね、その時のストックオプションで大金持ちになってですね、30歳でファイヤーしちゃったという、アーリーリタイヤしたという感じの人なんですけども、この彼はですね、インテル社に入る前に2つの会社を経験しています。
学校はですね、南カリフォルニア大学で電気工学の学士号をとって、その後修士号までとって、電気工学の専門家としてですね、世の中に出てたんですけども、最初に入社したのがですね、ヒューズエアクラフトっていう航空機メーカーです。
ハワードヒューズっていうアメリカの大富豪がいるんですけども、岩崎八太郎みたいな感じですかね、日本で言ったら。その大富豪が作った飛行機を作るメーカーになります。そこにですね、新卒で入社をするんですね。その航空機メーカーでですね、最先端の航空機に向けた航空電子機器、レーダーとかそういったものを開発するっていう仕事をします。
ファーストキャリアはですね、そこそこの大企業でガチガチの技術者をやるというのが彼のキャリアのスタートでした。で、その後でですね、今度は転職をしてフェアチャイルドセミコンダクターっていう半導体メーカーですね、これはベンチャー企業みたいな感じなんですけども、そこに転職をするんですけども、エンジニアのキャリアをしてですね、いきなりマーケティングマネージャーとして転職をしていきます。つまりビジネスサイドにグンと振っちゃうんですね。
そこで半導体メーカーでマーケティングのマネージャー職をやって、ちょっと自分に知見たまったなというところで、当時勢いが出そうなインテルの方にですね、移籍をしてメモリチップのプロダクトマーケティングマネージャーに就任すると。
ここのヒューザーエアクラフトっていう大企業、フェアチャイルドセミコンダクター、インテルっていう本当にシリコンバレーを代表するような企業、大企業からベンチャー企業ですね、そういったところを経験して、かつ最初技術系でスタートしたキャリアが途中でビジネスの方に移ってるっていう、結構幅広くですね、やったというところがこのマイク・マークラーっていう人の特徴で。
32歳の時にですね、このインテルが上場をして、ストックオプションで小規模な億万長者っていう言葉があるんですけれども、それで一回会社員を引退して、企業カウントレープレーナーへのコンサルティングですとかメンターっていうのをやるというのを32歳でぼちぼち始めていたというのがこのマイク・マークラーさんのアップルジョイン直前の状況でした。
で、このマイク・マークラーが悠々自敵だったんですけども、なんでこうアップルに参画することになったかと言いますと、これ1976年なんですけども、アップル2を作んなきゃいけないわけですね、世の中に。
で、そのアップル2作るのにめっちゃお金が必要だったので、資金提供をしてくれる人っていうのをスティーブ・ジョブスは探しまくります。
当時ですね、スティーブ・ジョブスっていうのはアタリっていうゲームメーカーにちょっと行ったことがあるので、アタリの社長に相談してですね、誰かお金出してくれませんかと。
いや俺は出さねえと。
じゃあ出してくれそうな人を紹介するということで、今でもあるセコイヤキャピタルっていうベンチャーキャピタルの社長、ドン・バレンタインさんを紹介してですね、一回スティーブ・ジョブスと会いますと。
で、会ったんですけども、もう人間とも思えない連中のところにどうして自分を活かせたんだっていう、もう大激怒するぐらいですね、もうひどい2人だったみたいで。
で、お前ら俺が金出すんだとしたらもうちょっとマーケティングをちゃんと学びなさいと。
マーケティングできないと全然売れないしどうしようもないよっていうことをこのドン・バレンタインは言ったそうです。
で、それに切り返すスティーブ・ジョブスは、じゃあマーケティングの専門家3人紹介してくださいって言ってですね。
で、そこの中の1人がマイク・マークラだったそうなんですよ。
で、じゃあマイク・マークラを紹介してやるよということでマイク・マークラが早速と現れましたと。
で、ジョブス・オズニアック、ほんと野生児みたいな2人なんですけども、マークラはやっぱり元技術者なんですよね。
電気回路に詳しいわけですよ。
だからApple IIの設計の巧妙さっていうのにまず度胃も抜かれるんですね。
なるほど。
これ超やばいということをグッと感じます。
で、他の人が見過ごしてたような技術的な凄さ、あるいは市場に出していく可能性っていうのを即座に見抜くことができます。
マーケティングの専門家をやっていましたんでね。
で、結構いい人だったんですね、マイク・マークラが。
なのでジョブスも最初からですね、マークラ気に入って、オズニアックも惚れ込んじゃってですね。
こんな素敵な人に会ったことがないって思ったっていう記録を残しているぐらい、超いい人。
かつ、自分たちの技術とか製品っていうのをこんなに理解してくれる人がいるんだっていうことで、めちゃめちゃ嬉しい状況になります。
21歳ぐらいのスティーブ・ジョブスと、33、34歳のマイク・マークラが出会ったという。
一回り上のお兄さんって感じですね。
やっぱりこのマイク・マークラがエンジニアとマーケティングのエグゼクティブっていう2つの人間的なキャリアを持っているハイブリッド人材っていうところが、
彼らを理解させたっていうベースですね。
なんでオズの技術的な輝きとスティーブ・ジョブスが見る市場への目っていうのをしっかりと理解をすると。
かつですね、大人なので上から押さえつけるというのではなくてですね、
うまく社会との接点になってくるような、そういう立ち振る舞いっていうのをこのマイク・マークラがするとし続けるっていう感じになります。
お金を出すと資金提供者を探してくれ、でマーケティングが分かる人っていうことでマイク・マークラが入ってきたんですけど、
マーケティング分かりますと。
お金を出すんだけれども、まず事業計画を作ろうよということでスティーブ・ジョブスとですね、何回もこう話し合って作るんですけども、
じゃあジョブス君、これ明日までにここ書いてきてって言っても何もやってこないと。
なんでしょうがないから私が書いたんですみたいな感じで。
ほとんどですね、マイク・マークラがアップルの初期の事業計画書をほとんど一人で作成してですね、
当時25万ドルまでいったらいくらでしょう、5000万近い、もっとですかね、1億近いかもしれませんね。
その金額をアップルに入れて、株式の3分の1を経てですね、厳密に言うと26%ずつジョブスとオズニアックとマークラが取って、
残りは将来の幹部の人に出すように取っておこうっていうふうにしてですね。
そういう設計までしましたと。
マークラっていうのがマーケティングの専門家っていうのと、あとプロダクトマネージャーもしていたので、
営業するっていうこともハンドタイメーカーでやってきたので、そのマーケティングとか営業っていうのをジョブスに教え込んだと。
そういう本当ビジネスのお父さんみたいな感じですね、そういう役割も務めてます。
これは珍しくジョブスがですね、褒めていて、マイクには本当に世話になった。
彼の価値観は僕とよく似ていたよ。
その彼が強調していたのは、金儲けを目的に会社を起こしてはならないという点だ。
真に目標とすべきは自分が信じる何かを生み出すこと。
長続きする会社を作ることだって言うんだっていう、そんな訓導を受けたっていうことを言うんですね。
そこでマークラっていうのが事業計画書を作って、
スピーカー 1
株式もですね、しっかりと整理して、当時まだ法人なりできていなかったアップルコンピューターという組織をですね、
アップルコーポレーションということで会社を法人化します。
銀行の信用枠っていうのを確保してしっかり口座を作るということをしたのがこのマイクマークラですね。
なんでこのマイクマークラ自身はお金をちょっと出してマーケティングのアドバイスすればいいっていう感じだったので、
ゴリゴリ働くっていうイメージはあんまりなかったようなんですね。
なのでまだまだ未熟な2人のために、じゃあこの会社に経営者が必要だっていうことを言うわけです。
これなんか創業メンバーって自分が社長になるの当たり前っていう感覚が。
スピーカー 2
いやそうなんですよね。
スピーカー 1
なんとなくあるんですけども、ここが今回調べててすごいなって思ったところなんですけども、
スティーブ・ジョブスは自分がCEOになるとかトップになるってことは言わないんですよ。
追い出される手前のところっていうのは。
だから確かに俺経営まだできねえから、じゃあちょっとプロの経営者必要じゃないみたいな感じで、
それで初代CEO、マイケル・スコットっていう半導体メーカーでサプライチェーンとかを見ていた人材を招聘してですね、
初代の社長に据えおくと。
これもマイクマークラの元同僚なんですけども連れてきてやると。
ただこのマイケル・スコットっていう初代の社長とスティーブ・ジョブスはめちゃくちゃ仲悪くてですね。
本当に喧嘩して、マイケル・スコットが攻撃されすぎて精神的におかしくなって、
途中で辞めちゃうみたいな感じになるぐらい。
もうジョブスを抑えなきゃって言うんで、
従業員番号、社員番号を作るわけですよ、法人に作ったんで。
従業員番号1番ウォズニアック、2番マイクマークラ、3番スティーブ・ジョブス。
渡したらジョブスがブチ切れてですね、
デメふざけんな、俺が1番だって言って。
でもそういった問題で結局0番をお前にやるって言って。
ただシステムの中では0番っていうのはないので、3番か6番のまんまみたいな感じだったみたいなんですけど。
でもそれぐらい子供の喧嘩みたいないざこざが起きるぐらい、
スピーカー 2
当時のCEOとスティーブ・ジョブスは揉めたりしていたそうです。
スピーカー 1
なんで会社としてのトップCEOがいるんですけども、
スピーカー 2
なるほど。今で言うDXみたいなことですよね。
スピーカー 1
そうですね。まさにまさに。
スピーカー 2
それがすごい70年代とかそのくらいでそういう話をしてるっていうのは。
スピーカー 1
集中管理をしていくっていうところですね。
オーズもジョブズも多分そういうところは全く考えないと思うので、
このシステムいい製品に何関係あるの?
ぐらいに思っちゃうと思うんですね、普通はね。
当時なかったですけど、今だったらもうExcelでいいじゃんみたいな感じで、
みんなここで置いといて続けばいいじゃんみたいな感じだったところを、
いやいやこれちゃんとしなきゃいけないんだっていう感じだと思います。
そういう会社の組織としての企業としてのインフラを整えながらですね、
そのときに企業活動をしていくのに必要な基本概念っていうのを
しっかりと落とし込むということをしているんですけども、
先ほどお話したようにですね、初代の社長のあれですね、
もうなんかちょっとマイケル・スコットもうお前いらないっていう感じで、
ジョブズに言われちゃったので、じゃあどうするかっていうんでしょうがないので、
もう自分が2代目の社長をやるということで、
1981年から83年までちょっと短い期間ですけども、
Appleの第2代CEOをこのマイク・マークラが務めることになります。
ただこれはもう臨時当番だよっていうふうに言っていて、
本当の社長をとにかく探してくるからちょっと待ってろということで探しに行きますと。
その探したのがですね、当時ペプシでペプシコーラでもう八九の勢いの最年少社長になってですね、
もう天才経営者と言われていたジョン・スカリー、
この人をCEOとして招聘しようということを探してきて決めたのもマイク・マークラですね。
ジョブズもそれに乗っかってという感じでございました。
この後ジョン・スカリーが入ってからっていうのは、
ジョン・スカリーもよくスティーブ・ジョブズのナンバー2的にですね、
言われることがあるんですね、有名な経営者でもあるので。
ただ最初はですね、めちゃくちゃスティーブ・ジョブズと仲睦まじい感じが見えるんですけども、
途中でですねもう最悪の中になって、
そこで結局スティーブ・ジョブズが放逐されるっていう感じになっちゃったので、
ナンバー2的な動きっていうのはジョン・スカリーは全然なくて、
むしろ俺ナンバーワンになったからお前言うこと聞けみたいな感じだったので、
今回のスティーブ・ジョブズとナンバー2っていうところではちょっと合わないかなということで、
ちょっとあんまり触れないんですけれども、
いずれにしてもですね、このマイクマークラーという創業の時に資金を提供してですね、
3人目の社員になったこのマイクマークラーがですね、すごいんですよね。
本当に、オーズニアックはシュタラさんご存知でしたけど、
スピーカー 2
マイクマークラーは知らなかったと思うんですよ。
スピーカー 1
世の中の人ほとんど知らないと思うんですよ。
今回スティーブ・ジョブズは当たり前ですし、スティーブ・オーズニアックも、
それからさっきちょっとナンバー2じゃなかったって言ったジョン・スカリーもですね、
本とか辞伝の本とかあるんですけども、
マイクマークラーの書籍ってほとんど全然なくてですね、
今回も昔の記事を漁りながらいろいろと調べたんですけれども、
もう体系的な情報というのもすごく少ないです。
ただこの人がいないと絶対にアップルは立ち上がってないなって感じるような方。
決して天才ではないと思います。
めちゃくちゃ優秀だと思うんですけども、
普通の人が頑張ってできる一番上をやったと。
めちゃくちゃ性格が良くて、若い者の意見もちゃんと吸収して、
未来の技術というのを理解するっていう大人の役割っていうのもしっかり果たした。
そんなマイクマークラーさんっていうのが、
アップルでのナンバー2の2人目という感じですね。
スピーカー 2
バランス感覚がすごい人でしょうね。
スピーカー 1
本当おっしゃる通りですね。
スピーカー 2
だからジョブストンもうまくやっていけるっていうのもあったし、
そもそもさらにそこにエンジニアとしてのスキルも知識もあるっていうのも。
確かにでもその創業時に、
今だからこそめっちゃそれで株3分の1持っても大モテじゃんとか言えますけど、
よくわかんないちょっとクレイジーな若者2人に10個も離れた。
イグジットしてたとはいえ、
結構なそのうちの財産を預けるかっていうと、
すごい決断してますよね。
すごいですね。
でもそれは自分でやっぱり製品見て、
やっぱりこいつらすごいって思ったのもあるかもしれないですけど、
この出会いはめっちゃ大事ですね、アップルにとって本当に。
スピーカー 1
本当にそうですね。
ちょっとこいつは天才ですごいぞって思っても、
いやですよ、当時のスティーブ・ジョブスってめちゃくちゃ人間的に。
スピーカー 2
そうですよね、そういうマイナス状況もあるんですよね、いくら製品が良くても。
本当にきついと思う。
スピーカー 1
確かにね。
でも横を見たらニコニコして大津二役がいるっていう感じではあったと思うんですけれども、
というかもう本当に忍耐強い感じだったなと。
このマイク・マークラーは創業時に欠かせないナンバー2でしたっていうのを私すごく思っているんですけども、
どうなったかっていうのは気になりますよね。
そこの話をして今日終わりにしたいと思うんですけども、
このマイク・マークラーは途中で先ほど言ったジョン・スカリーというペプシコーラのCEOを連れてくるということをやります。
ただ連れてくるんですけども、見つけてコンタクト取ってなんですけども、
具体的に届いたのはスティーブ・ジョブスが届きます。
アップルのCEOになってくんないおじさんみたいな感じで44歳のジョン・スカリー。
でも44歳でペプシのCEOなんですけども、彼が最年少社長になったのは38歳ですからね。
ペプシの。
すごいペプシチャレンジっていうマーケティングのイベントでですね、
もう世の中に大成功をして最年少の社長を就任して、
それで6年経っていたっていう状況です。
そこに27歳のスティーブ・ジョブスが会いに行くわけですね。
だからこの若くてせっかちな天才に見せられ、
彼のことをもう少し深く知ってみたいと思ったというふうにジョン・スカリーは言います。
スティーブ・ジョブスの方もこれほど刺激的な夜は初めてです。
会った時にレストランに行っていろんな話をして、こんな刺激的な夜は初めてです。
言葉では表せないほど楽しい時間を過ごさせてもらいました。
めっちゃ相思相愛ですという感じします。
で、アップルのCEOになってくれませんかってお願いをして、
ここでですね、なんか後世に語り継がれる名言らしいんですけど、
スティーブ・ジョブスがどうやってくどいたか。
一生サトウミズを売り続けたいか、それとも私と一緒に世界を変えたいか選んでくださいって言って、
世界変えましょうかっていうのを選んだという感じです。
スピーカー 2
なるほどなるほど。
スピーカー 1
で、この時は恋愛の直前でくどいてバーンみたいな感じですよね。
で、ジョン・スカリー思うわけです。44歳、27歳の天才。
俺に似てんな俺の若い時にって思うわけです。
スピーカー 1
ほんと二人そっくりだという感じ。
だからもう才能にあふれた彼を自分が育てなきゃいけない。
次のCEOにしなきゃいけないって思うんです。
なんかまあそんなことありそうじゃないですか。
でもですね、これがなんかねスティーブ・ジョブスがもっと上行ってるんですよね。
スティーブ・ジョブスはジョン・スカリーに自分は特別な人間だっていうふうに思わせてですね、
あなたに夢中ですっていう振りをずっと見せ続ける。
だからジョン・スカリーが自分のこと好きになるっていう、
その感覚を操作するっていうことをスティーブ・ジョブスはやっている。
なので本心で超あなた大好きですっていうわけでは別になくて、
ただCEO経営者としては優秀だから来てもらいたいという感じで、
自分がコントロールするような感じになってきて、
だんだん手の内に入ってくるとどんどんどんどん下げ進むようになります。
スカリーもう全然プロダクトのことわかんないから。
全然エンジニアの気持ちもわかんないしどうしようもないあいつはみたいな悪口ばっかり言うようになる。
それをマイク・マークラーがまあまあとかオーゼリアックもまあまあって言いながらやるんですけども、
何度かお話に出ていたマッキントッシュっていう世界の革新的なパソコンを出すときにですね、
それの販売価格をいくらにするのかっていうので大揉めに揉めてですね、
お二人がもう大バトルになるんですね。
それ以外に当時ジョブスは開発の責任者っていうポジションだったんですけども、
そこから剥がされてですね、マッキントッシュもリサもアップル2とかそういうものも全然関係ない感じにしますって言われたんで、
ジョブスはブチ切れてですね、やめたるわって言ってやめちゃったっていう感じです。
その時にですね、ジョン・スカリー対ジョブスっていう構造になったんですけども取締役会で決議を取るんですね。
ジョブスにこの仕事をもうやめさせるかどうかっていう。
その時に先ほどから話しているマイク・マークラーがジョン・スカリー側に立ったわけです。
つまりジョブスを追い出す側に回ったんですね。
この辺は当然マイク・マークラーもですね、スティーブ・ジョブスからいろんな言葉投げかけられることもありましたと。
おっさんとろいよみたいな感じがあったと思います。
でも彼がすごいのはですね、その時めちゃくちゃ中立に判断したんですね。
ジョブスの気持ちわかる、でもアップルっていう会社を存続させるためには、
君が言う価格設定だったり開発の仕方っていうのだと企業は回らないよ、経営はできないよっていうことを判断してジョン・スカリー側に立ってですね、
ジョブスが出てったということになります。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
その後ですね、ジョン・スカリーがCEOになって、目の上の担当部のジョブスがいない状況で拡大戦略をいろいろ取っていって、
一時成功はするんですけども、やっぱりこううまくいかなくなっちゃうんですね。
ジョン・スカリーも10年ぐらいは社長やるんですけども。
その時にジョン・スカリーを追い出す決意に賛成したのがやっぱりマイク・マークラーなんですね、取締役からのメンバーで。
ちょっと今の責任はあなたにあると思います、出てってくださいって言って取締役の決議で追い出すと。
その後社長2人ぐらい変わるんですけども、いよいよですね、1996年、7年のタイミングでスティーブ・ジョブスがアップルに復帰するということになります。
ジョブスが当時経営していた会社をアップル社が買収するという形なんですけども、
1996年から97年というのはアップルは破産数前のどうしようもない会社でした。
そこでも一輪の望みをかけてですね、Mac OSをですね、ジョブスが開発していたその会社のものを使おうということで買収をして、スティーブ・ジョブスが暫定CEOのような感じで戻ってくるんですね。
その時に改革をジョブスがどんどんどんどんやって今のアップルにつながってくるんですけども、最初にやったのは取締役全員並んで、
みんないらないですから、つって追い出すってことをやったと。
マイク・マークラー、あなたもやったよね、出ててくださいって言って追い出したと。
スピーカー 2
すごいですね。
本当に言ったか分かるんですけど。
スピーカー 1
映画になっててマイク・マークラー、俺は20年間この会社のために頑張ってきたんだぞって言って、捨て台詞を吐いて、
でも出ててください、関係ないんでって言われて出ていくっていうシーンが映画になりましたけどね。
スピーカー 2
いやーすごいなー。
スピーカー 1
社長会任、取締役会任みたいなやつがガンガンガンガン起きてるんですよね。
スピーカー 2
そうですね。なんか順調に大きくなった会社っていう感じではないですね。人事を見るとね、よく考えると。
スピーカー 1
本当に、都度都度最適な選択をされてきたんだと思うんですね、当時の経営者っていうのは。
それはなんかあり得ないよとか、ジョブスが正しいよとかっていう意見ももちろんあると思うんですけども、大人が会社を経営していくっていうときに、
おそらく一番賞率の高い選択をしていって、それもうまくいかないことも当然あるということの積み重ねかなと感じですね。
スピーカー 2
なるほど。なんか過去にやったトヨタとかは逆にこう、だから家族で経営するんだみたいな。
そういう形と真逆というか、すごい自由な資本主義的な経営の仕方だからこういうことが起こってるっていう、なんか対比すると面白いなと思いました。
スピーカー 1
いや、まさにそうですよね。
スピーカー 2
どっちが良い悪いとかじゃない気もする。なんかその戦い方の違いで。
スピーカー 1
すごく感じますね、そこは。
スピーカー 2
はい、ありがとうございます。
いばんけい、組織を支えるNo.2の引きこもごも、ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
気に入っていただけましたら番組のフォロー、五つ星評価をお願いします。
エクセやお便りサイトでの感想もお待ちしております。
ここまでのお相手は、しだれゆうすけと
スピーカー 1
勝宮すいででした。ありがとうございました。
ありがとうございました。