2025-08-13 28:00

#67 Appleの創業期からポストジョブズ期まで一気に確認!スティーブ・ジョブズとNo.2論②

▼今回のトーク内容: 

世界的企業Appleの沿革/4つの時代に分けられる/第一期:1976年(創業)~1985年/スティーブ・ウォズニアックとともに創業/ジョブズを支えた創業期のNo.2/生粋のエンジニア/最初はPCではなく基盤のみ(AppleⅠ)調達に奔走/個人投資家マイク・マークラ登場/1977年法人化/PC「AppleⅡ」開発/ペプシコーラのCEOジョン・スカリーをトップとして迎える/1984年「Macintosh」発表/こだわり過ぎてコストがかかった/値上げを主張したスカリーとジョブズが衝突/ジョブズが追い出される/ジョブズのいない第二期:1985年~1996年/事業を拡大しすぎて経営がまわらなくなる/MicrosoftやIntelに押される日々/やはりジョブズでないと/再びCEOに返り咲いた第三期:1997年~2011年/「iPod」「iTunes」「iPad」など次々と世に/一方でジョブズの持つ非情さ/全てはイノベーティブなプロダクトを世に出すため/2011年、肝臓がんで死去/ティム・クックが継承した以降の「第四期」/ジョブズ時代にCOOを経験

▼番組概要:トップを支える立場から組織を動かす力を探るビジネスポッドキャストです。経営実務と理論にとどまらず、歴史的な人物の意思決定をひもときながら、現代の組織課題やリーダーシップの本質に迫ります。製造業に特化したコンサルティング企業、オーツー・パートナーズ取締役の勝見靖英と、幻冬舎「あたらしい経済」編集長の設楽悠介がMCを務める。毎週水曜日配信。

▼番組ハッシュタグ:#二番経営

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▼パーソナリティ勝見 靖英(株式会社オーツー・パートナーズ 取締役)1971年生。慶應義塾大学文学部卒。ジャパンエナジー(現ENEOS株式会社)、PwC、デロイトトーマツコンサルティング、日本IBMなどを経て、2015年7月よりオーツー・パートナーズに参画、2018年4月より取締役。製造業を対象とした戦略策定、業務改革、ERP/PLM等大規模システム導入等のプロジェクトを多数経験。プロジェクトマネジメント、チェンジマネジメントを得意とし、現在は経営企画/会計/人事総務/組織開発/IT/マーケティング広報等を管掌。

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設楽 悠介(幻冬舎「あたらしい経済」編集長)1979年生。明治学院大学法学部卒。マイナビを経て幻冬舎に。同社でコンテンツビジネス局を立ち上げ。電子書籍、コンテンツマーケティングなど新規事業担当。2018年にブロックチェーン/暗号資産専門メディア「あたらしい経済」を創刊。幻冬舎コミックスの取締役を兼務。「Fukuoka Blockchain Alliance」ボードメンバー。ポッドキャスターとして、Amazon Audible original番組「みんなのメンタールーム」や、SpotifyやAppleにてWeb3専門番組「EXODUS」など配信。著書に『畳み人という選択』(プレジデント社)。

⁠⁠https://twitter.com/ysksdr⁠⁠

▼ディレクター:

関岡 憲彦

▼プロデューサー:

野村 高文 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/nmrtkfm⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

▼制作:

Podcast Studio Chronicle ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://chronicle-inc.net/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

▼カバーデザイン:

松嶋 こよみ ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/⁠

サマリー

このエピソードでは、Appleの創業期からポスト・ジョブズ期までの歴史的な流れを振り返り、スティーブ・ジョブズと彼のパートナーであるスティーブ・ウォズニアックの役割に焦点を当てています。Apple IやApple IIの開発過程、その成功の背景、そして経営者としてのマイク・マークラの影響力についても議論がなされます。さらに、Appleの創業期からジョブズの追放後の経営戦略、復帰後の革新までの経緯が振り返られ、スティーブ・ジョブズと彼の後継者ティム・クックによる影響力の変遷が明らかにされ、Appleの製品や経営における重要な出来事が掘り下げられます。また、スティーブ・ジョブズの影響力やその後のリーダーシップについて考察され、ジョナサン・アイブとティム・クックの役割についても触れられています。

Appleの創業と初期の成功
スピーカー 2
二番経営 〜組織を支えるNo.2の悲喜こもごもこの番組は、トップを支える立場から組織を動かす力を探るビジネスポッドキャストです。
経営実務と理論にとどまらず、歴史的な人物の意思決定を紐解きながら、現代の組織課題やリーダーシップの本質に迫ります。
スピーカー 1
こんにちは。株式会社オーツーパートナーズ 取締役の勝宮水礼です。
スピーカー 2
県当社新しい経済編集長のしだれゆうすけです。
二番経営 第67回 前回に引き続き Apple スティーブ・ジョブズとNo.2編のパート②となります。
よろしくお願いします。
スピーカー 1
前回は今のAppleの状況ということで、業績周りを中心に今どんなポートフォルムで当たっているかという話などもしておりましたが、
今回はその企業の遠隔ということで、いつも創業史は創業者の追い立ちから細かく見ていく感じなんですけれども、
今回は今日で創業から今までを語るというのをザザザザッとやっていければなというふうに思います。
遠隔に入っていくんですけれども、Apple社については大きく時代を4つに分けるとわかりやすいかなというふうに思っております。
一つ目の時代は創業から1985年まで。1985年というのはスティーブ・ジョブズ氏が内部対立でApple社を去った対立なんですけれども、
それが創業した1976年から1985年の約10年間ですね。これが第一期です。
その後スティーブ・ジョブズ氏がいないAppleですね。これが1985年から1996年が約10年ですね。
ここが定名と模索のジョブズ不在時代といったりしますけれども、そこがあります。
それから第3期目がスティーブ・ジョブズが復帰した時代なんですけれども、1997年から亡くなる2011年までですね。復帰と再興というか。
それからポストジョブズ時代ということで、2011年以降、現代に至るまでという4つあります。
今回のテーマがスティーブ・ジョブズとNo.2という感じなので、ジョブズさんが亡くなってからというのはそんなに深く使わないつもりではいるんですけれども、
当然今活躍されているマネジメントの中にはですね、ジョブズさんが存命の時にNo.2としてラッサムを振るった方たちがたくさんいらっしゃいますので、
そういったご紹介なんかも続きでできればと思います。まず第1期なんですけれども、1976年から1985年ですね。
アップル社はですね、1976年に創業されました。創業なので事業を始める年ですので、アップル社という法人が立ち上がったのは1977年なんですけれども、
1976年ですね、スティーブ・ジョブズ氏とそれから地元のちょい先輩ですね、4歳5歳年上のスティーブ・ウォズニアックさんとこの2人で創業します。
厳密に言うと3人で立ち上げて1人は途中でいなくなってとかいろいろあるんですけれども、共同創業者として出てきましたと。
スティーブ・ウォズニアックさんという名前は聞かれたこととか顔とかイメージ湧きます?
スピーカー 2
湧きますね。やっぱりある意味そのナンバー2としてのウォズニアックっていうのが初期の頃から言われていた、どちらかというとエンジニア寄りの人なんですかね。
システム寄りの人っていう印象がありますけど、ただジョブズを支えたっていう意味では非常に顔も見たことがあるし、
ちょっと前だと日本の人材会社のCMとかにも使われてたりとかした。
スピーカー 1
顔アップで出てましたね。
スピーカー 2
そう、まさにそうです。
スピーカー 1
巨漢でひげを生やされていてすごく愛くるしい笑顔をされるウォズニアックさんの。
スピーカー 2
最近だと賛否両論あるんですけど、ちょっと暗号資産ブロックチェーンプロジェクトなんかもやったり、それを手伝ってたりとかして。
そっちの活動はいろいろな賛否が起こってるんですけど、あったりはしずるので。
スピーカー 1
当時から有名人という感じかもしれませんね。
今おっしゃっていただいたように、創業期のナンバー2といったらウォズニアックを挙げるっていうのは一般的だと思いますね。
ナンバー2の定義もいろいろあるんですけど、間違いなくこの2人だから立ち上がったっていうところがあります。
おっしゃられたようにウォズニアックさんはもう喫水のエンジニアですね。
会社立ち上げるときにウォズニアックさんはヒューレットパッカードで仕事をしていたんですけども、最初は僕はこっち辞めないからって言って、ずっとAppleに専業するのを嫌がってたっていうぐらい。
マイク・マークラの経営戦略
スピーカー 1
僕はもう経営とか全然興味なくて、作るのだけやればいいからっていう感じの方ですね。
1976年に創業したときに何作ったかっていうと、ここでApple Iというものを作るんですけど。
Apple Iっていう名前で想像するとパソコンのイメージがあるんですけども、一番最初に作ったのはむき出しのマザーボード、基板ですね。
ただその基板も非常に画期的で、それにキーボードとディスプレイをつなげればパソコンが出来上がると。
当時はパソコンっていうのはマニアと高額なお金を払うオフィスでしか使われないものでしたので、
それが個人レベルで買える、マニアのパソコンショップの店長さんというかですね、その会社やってる方が面白そうだから50台作ってみろと言って頼んで50個出来上がってきてみたら、
本当に基板だけだったんで、基板だけかよって言って。
で、ここもなんかすごいんですけど、スティーブ・ジョブスの返しが、その店長さんというか社長さんは基板だけは困るからキーボードとディスプレイ持ってこいって言ったんですよ。
そしたらですね、スティーブ・ジョブスがそのお店に、いやキーボードもディスプレイもお宅の店でしのうど売ってるでしょと。
一緒に売ればいいじゃんって言って、そのまま納品してお金もらったっていう。
それで小金じゃないですけれども、事業を始めてお金を貯めてですね、そっからいよいよ本格的なパソコンを作ろうというところで、どうしてもパソコンのお金がかかるので資金調達が必要になってきます。
そこで今でもありますよね、セコイヤキャピタル、当時の創業者のドンバレンタインさんに電話かけまくるんですね、スティーブ・ジョブスさん。
名もなき青年なんですね。かけて融資してくれというのをしのうど電話かけて、そのドンバレンタインさんを相手にして、
分かった、うちは融資出せないけど、なんか出せそうなやつ紹介してやるって言って、紹介してくれた人がマイク・マークラという方を紹介してくれました。
このマイク・マークラさんは個人投資家、エンジェルですね。
この方はインテルでマーケティング部長をされた方で、当時勃興したてのインテルでストックオプションでボロ儲けして、
30歳、そこそこ32、3歳だったんですけども、もう仕事辞めて、投資家になってたという自的な生活をしてたんです。
上がってたんだ。
33歳で上がってたっていう、もうなんかありえない感じなんですけども、
そのセコアキャピタルから紹介されてマイク・マークラが、じゃあ会ってみますって言って、アップルに行きましたと。
その時のアップルは有名ですよね、ガレージのオフィスっていう話がありましたけれども、
そこに行ってですね、スティーブ・ジョブス、ウォズニアック、それからそれ以外の仲間たちと会って、
もうはちゃめちゃなんですね、お金、最初9万ドル出すよ、みたいな感じだったんですけど、
いやいや全然足んねえから、もっと出せみたいなの言われて、言われるがままにお金を出して。
すごいな。
で、そこで法人化をしていくんですけども、その時にスティーブ・ジョブスとウォズニアックとマイク・マークラ、
この3人が平等で株を持ち、マイク・マークラが少なかったかな、というか最初の段階からいるっていう。
スピーカー 2
すごいよね、そこで。
スピーカー 1
そこでおそらくマイク・マークラが持ってたお金は結構な割合でぶっこんでるはずなんですよ。
すっごい挨拶もできないような、もうひげもじゃの、なんか人を人とも思わないような人。
でもなんか優秀そうだなっていう。
あともうあのけむくじらなパソコンオタクのウォズニアックがいてですね。
スピーカー 2
そうですよね、ガレージで。
スピーカー 1
そこになんか若いとはいえお金を出すっていう。
これあの前回やったムーブメントの起こし方のファーストフォロワーがまさにマイク・マークラかなという感じなんですよね。
むしろウォズニアックとかも一緒にわけわからず踊ってるタイプで。
スピーカー 2
そうですよね。
スピーカー 1
そこにこういって最初にここ踊っていいよみんなおいでって言ったのがこのマイク・マークラかなという感じですね。
1977年に法人化をして、そこで資金調達を得たもので作ったのがApple IIというパソコンになります。
これがもう個人向けに成功した一番最初のパソコンと言っておそらくいいんだと思います。
当時もパソコンと言われる製品っていうのはXが出ていたようなんですけれども、
個人でとても買えるような金額のものではなかったということで、
このApple IIが本当に世界で初めて受け入れられたパソコンと言ってもいいと思います。
このApple IIの大成功で、創業して1977年に法人化してしばらくしてApple IIを出して、
それが大当たりして1980年までに年賞1億ドル、まあ150億、160億ですかね。
ひょっとしたら完全に200億くらいだったかもしれないですけども、急成長してその年にIPOをしますと。
これはあれですよね、マザーボードじゃなくて本当にいわゆるパソコンの形ですよね。
一体型の。
スピーカー 2
一体型の画面とキーボードがついてるみたいな。
スピーカー 1
でもそれの設計開発はほとんど大津に役一人でやった感じですね。
ただそれを花々しく世に放ったのはスティーブ・ジョブスが出したというところで、
まず企業として支えていたのは最初に投資をしたこのマイク・マークラがですね、
大人の立ち入り振る舞いで若い2人が開発をして製品の良さをアピールしているところで、
会社の経営機能っていうのは全部埋めていったのがこのマイク・マークラという人ですね。
ジョン・スカリーの起用
スピーカー 1
その後会社の規模が大きくなってですね、
マイク・マークラもインテルのマーケティング部長をやっていたんですけども、
もっと強力な経営者が必要だろうと。
ここまで話してなかったんですけど、初代のCEOっていうのがこの裏にはいてですね、
もう名前も別に出さないんですけども、
マイク・マークラもスティーブ・ジョブスもオーズニアックも初代CEOではなかったんですね。
もう一人別の人がいたんですけども、
その人がイマイチだっていうんでスティーブ・ジョブスがもう君いらないよって言って追い出して、
その代わりに連れてきたのが当時ペプシコーラのCEOをやっていたジョン・スカリーという人です。
上場したての会社がですね、
その国のトップの飲料メーカーの社長を、
もうあなたしかいないんだっていう感じで口説いてくるっていう。
口説き文句も有名なんですけど、これまたちょっとご実施軽くやりますけれども、
アップルの創業とジョブズの追放
スピーカー 1
そこでジョン・スカリーさんっていう名経営者が入ってきますと。
入ってきて翌年にはですね、有名なマッキン・トッシュですね、パソコンをリリースします。
マッキン・トッシュが何が画期的だったかっていうと、
そこにはGUIが入ります。
マウスで操作をする、初めてのパソコンですね。
それがアップル社が出したマッキン・トッシュというパソコンです。
これ1984年に大々的なCMと同時にですね、出されましたと。
ただこのマッキン・トッシュこだわりすぎてですね、もうすごい機能で、
原価がめちゃくちゃ高くなりました。
スティーブ・ジョブスとしてはですね、安く出したかったけれども原価割れちゃうということで、
この新たに来た新社長のジョン・スカリーが値上げを命じるわけですね、CEOとして。
そこから内部対立がどんどん行ってですね、スティーブ・ジョブスがこの社長のジョン・スカリーを追い出そうとして、
今度逆に自分が追い出されるというパワーバランスに負けてですね、
スピーカー 2
1985年ジョブスが退社するという感じです。
スピーカー 1
ちょっとなんか、なかなか言葉だけではあれだったんですけど、創業の時にオズニアックっていう天才がですね、
いくつかのマシンを作って、それが当たって上場をしましたと。
で、企業ということでですね、主の経営者を迎えて経営を良くしていこうというところで、
大企業の経営のやりざまっていうのがスティーブ・ジョブスに合わないところもあって、
追い出される形で出ていったと。
オーナーなんですけどね、圧倒的な株を持っているものなんですけれども、
で、辞めた時にはですね、追い出された時にはアップル株を一株だけ残して残り全部売っ払っちゃったそうですね。
ジョブズ不在の上昇と失敗
スピーカー 1
で、ここからはまた違う会社をスティーブ・ジョブスが立ち上げて、
ピクサーを作っていくという話に行くわけですけども、
一旦ここはアップルの遠隔ということで続けていきますと、
スティーブ・ジョブスがいない1985年から1996年っていうのはですね、
良かれと思ってやったその経営判断とかっていうのは、
最初当たって成長したかに見えたんですけれども、
戦線を拡大しすぎてですね、それを追っかけられなくなって非常に業績が悪くなるということがあります。
例えばですね、レーザーライターっていうプリンターが当時アップル社から出てて、
ニュートンさんと共同開発したものなんですけども、
これ自体は良くてですね、当時Macでフォントもすごい活かしてましたし、
デスクトップパブリッシング、DTPというこれまでなかった市場っていうのが生まれて、
独占するっていうこともありましたし、
ジョン・スカリーがですね、ニュートン、PDAっていう言葉を作って、
今だったらiPhoneになるわけですけども、
インベット型の端末っていう選挙区が8年度の終わりぐらいありましたね。
ちょっと大きい感じでしたけども、
ただそういうことをやりながらですね、
でもなかなか大ヒットには当たらず、マニア向けのパソコンというふうにもなってですね、
もともとソフトウェアとハードウェアを一体で開発するっていうのが、
アップル社の製品の強みというかですね、こだわりだったんですけども、
そこもですね、どんどんどんどん横にマイクロソフト、インテル連合、
ウインテルって言ってましたけども、
そこどんどんどんどんシェアを奪われていったところで、
その間の経営者ですね、いかにアップルを売るかと、
その売るかっていうのはアップル製品を売るというよりもですね、
もう会社を売るっていう戦略を取って、売れないから責任を取ってやめるとか、
Mac OSっていうのをもう外反して他の製品でも使えるようにするですとか、
そういった施策を取っていくんですけども、ことごとくそれが外れて、
何人かジョン・スカリーの後もですね、3人ぐらいの経営者に変わっていくんですけれども、
なかなかうまくいかないというところで、
この第3期になるんですけども、1997年から2011年までジョブス復帰と最高期ということで、
ジョブズの復帰と革新
スピーカー 1
最後に頼ったところはやっぱり創業者のスティーブ・ジョブスしかいないということで、
当時スティーブ・ジョブスがですね、NEXTっていうパソコンの会社を作っていました。
そこも同じくハードウェアとソフト、OSまで作っている会社だったんですけども、
そのNEXT社で作っているOSをアップルのパソコンに使おうというふうに当時のCEOが考えて、
このNEXTを買収します。
なるほど。
はい。なので、NEXTの社長がジョブスですので、その会社をまるっと買収したら、
当然ジョブス氏もアップルに戻ってくるって感じになるわけですね。
それで最初はCEOではなくて顧問という形で、ジョブスの電気企業で3年間で年望が1ドルとかそういう感じだったみたいです。
お金もらわないで、アップル最高のために顧問として働きまくるみたいなことをずっと延々とやっているっていう感じだったみたいです。
当時ジョブスが住んでた家があるんですけども、すごい御殿で警備がしっかりしているっていう家ではなくて、
意外と普通の家だったみたいなんですよ。
だからそこの前をジョギングして歩くとですね、デスクに向かって仕事しているスティーブ・ジョブスが見えたらしいんですよ。
スピーカー 2
なるほどね。
だからもう早朝その前をジョギングしても夜中ジョギングしてもずっとスティーブ・ジョブスが仕事してた。
スピーカー 1
すごいな。
で、もらってた報酬は年間で1ドルだけっていう。
スピーカー 1
もちろんピクサーの代表をしてたりとかっていうのはもう刑務だったからっていうのもあるんですけども、
そういうことをしながらですね、そこでいよいよCEOに復帰をして、そこからの活躍も皆さんご存じの通りでiMacが出てiPodが出て、
iTunes、それからオンラインのApple Storeですね。
iPhoneが出てiPodが出るというこのイノベティブな製品をどんどん出し続けるという感じですね。
この辺は皆さんが一般的に思っているスティーブ・ジョブスなんかすげえっていう、なんかいろんなもん出てくるっていうあの感じの時代でしたと。
すごい。
スピーカー 1
復帰が成功したというところなんですけれども、第1期の時にいか追い出されてるわけですね。
その中の権力争いみたいな感じではあったんですけれども、ちょっとまた次回以降触れるんですけども、
追い出されても仕方ねえなっていうような、なんかやっぱり振る舞いというか、そういうものがやっぱ随所にあるんですね。
で、何ですかね、スティーブ・ジョブスさんが、スティーブ・ジョブスがすごいのはそうだと思います。
で、誰しもがみんな天才って言うんですけど、人としてありえないっていう感じの感想もみんな持っていて。
で、それが何ですかね、芸術家とかそういう感じのとちょっと違う、何ですかね、人のことを考えてるっていうことはなんか一切ないっていうぐらいのなんか非常さ、ずるさ、なんかそういうものもある。
でもそれは素晴らしい製品を世に出すためっていうところに全部帰着はするんですけれども、
トヨタ・サキチさんの話をトヨタ編でやったときに、生まれたばっかりの子どもと奥さんをほっぽり出して発明をしてたって話があるんですけども。
確かに。
はい、もっとひどいですね。
なるほどね。
そういうのもあったりという感じです。
で、そういう若い時代だったんですけど、一家で。
で、3期目で戻ったときには感触持ちとか、そういうベースの性格はあったとは思うんですけども、
ただと最初のときにやっていなかったその経営者として、CEOとして、本当のトップとして活躍するっていうのはこの時期ですね。
はい。
で、そこで2011年に肝臓が再発してですね、それでお亡くなりになるというところなんですけども、
その後継いだのが前回でも紹介しました、第7代CEOのティム・クックですね。
で、そこからの成長っていうのも前回触れることができました。
もうそこからはですね、会社の業績は半端ない感じだったんですけども、
ティム・クック体制になってオリジナルで出した製品っていうのはApple Watch、それからAirPodsなどもありますし、
スティーブ・ジョブスがいたときの目をどんどん育てたっていうところもあるんですけども、
やはりティム・クックなりの経営の手腕っていうのが光って成功するというのがすごくあったと思います。
で、これは経営者として花開いてるっていうところもあるんですけども、
実はスティーブ・ジョブスがCEOのときにCOOをティム・クックがやっていたので、
そのときのスティーブ・ジョブスが後継者としてティム・クックを選んで育てたっていう感じもすごくありますので、
それも今後ちょっと触れていければなというふうに思います。
スピーカー 2
はい、ありがとうございます。すごいですね、振り返るとこの歴史。
でもやっぱり明確にジョブスがいなくなってからの後付けかもしれないけど、
やっぱり復帰してからの伸びみたいなのが明確に現れてますし、
何なら我々も今ポッドキャストを配信してますけど、
このポッドキャストという言葉だってジョブスが復帰してなかったから、
ジョブスがポッドキャストサービスにどこまでかかってたか存じ上げないものの、
ジョブス化においてiPodが出て、その後このポッドキャストという言葉が生まれてるんですよ、
iTunesストアができて、だからポッドキャストって言ってなかったかもしれないですからね。
スピーカー 1
いや本当ですね、iPodのポッドですもんね。
スピーカー 2
そう、iPodのポッドから撮ってますから、ジョブスが復帰してなかったらそうなってたかもしれないなって考えると。
いやそうですね、だから僕本当に前回も話したかもしれないですけど、
ちょうどこのやっぱり97年のジョブス復帰の時に高校3年生で、
そこから大学行ってみたいな感じなので、本当にジョブス復帰のものを全部買ってきた世代、
iMac買ってiPod買ってっていう。
ただそれを前を考えると、やっぱり世の中ではWindows95みたいなのがワーッと売れてる。
それがある意味定名機ですよね。
そうですね。
その頃はやっぱりWindowsがすごい強かった時期みたいなのを見てるので、
まあこうやって変わってきたんだなと思うとすごい感慨深いですよね。
スピーカー 1
本当そうなんですよね。
iMacも出た時の衝撃というかね、CMの音楽も思い浮かぶんですけど。
クルクル回るやつですよね。
Appleの創業期とスティーブ・ジョブズ
スピーカー 1
パソコンでなんでこんなにスケルトンで綺麗な色のものがっていう。
パソコンっちゃパソコンなんですよね。ちょっとカラフルな。
スピーカー 2
パソコンなんですよ。
スピーカー 1
それでも何か欲しくなってしまうっていう、そこの凄さっていうのは感じますよね。
スピーカー 2
ありますよ。おしゃれな喫茶店には何か置いてた。
スピーカー 1
そうですね。本当そうですね。
スピーカー 2
そうですよね。
何か僕も欲しくて欲しくてバイトして買ったのを覚えてるし、
何ならすぐ触りたかったから、余談ですけど、
僕上級してきて品川の方に住んでたんですけど、秋葉原で買って、
山本先生に抱きかかえて、もう明日送りますよって言われたんだけど、
いやすぐ開けたいからって言って、でかいですよあれ。
スピーカー 1
でかいですよね。
スピーカー 2
テレビでもめちゃくちゃ重い。
ブラウン管ですよね。
ブラウン管を持って、僕でかい箱を持ってみんな見られながら帰ったのをめっちゃ覚えてるし、
すごい私事なんですけれども、
そんな経緯で僕就職がマイナビにしてるわけですよ、当時。
スピーカー 1
なるほど。確かに。
スピーカー 2
で、ポッドキャストは今もやってるじゃないですか。
余談なしで、iPadが出た2010年。
これiPadが出るってことで、実はうちの会社が電子書籍が来るんじゃないかってことになり、
当時営業部にいた僕が抜擢されて、お前部署作れと。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
で、その電子書籍協会に入り、その前にも実は日本の電子書籍サービスっていくつかあったんですけど、
儲かってなかったんで、そんなにやってなかったんですよ。
で、それをでもiPadが来るなら、もうこれはKindleも来るだろうしみたいな、iBooksもあるしみたいなことで、
部署を作り、経費で初代iPadを並んで買う。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
これは仕事だと思って買うっていうことをやったので、実は僕がいわゆる新規企業をやる部署を作るきっかけになったのがiPadなんですよ。
スピーカー 1
すごいですね。
スピーカー 2
だから結構人生翻弄されてるかも。
スピーカー 1
ちょっとごめんなさい、翻弄。
スピーカー 2
あれですね、本題とは関係ないんですけど。
スピーカー 1
いやいやいや、でもまさにそれが多分スティーブ・ジョブズが考えた社会じゃないですかね。
考えたことなんだと思うんですよね。
プロダクトで業を変えるっていう。
変えてますね、人生。
スピーカー 2
そう。それでずっとiTuneで聞いてたポッドキャストをラジオ好きだったから聞いてて、じゃあポッドキャストやってみるかみたいな。
なんかそんな流れですからね。
自分でも作れるようになったし、それもMac上で編集できるしみたいな。
スピーカー 1
いやあ、繋がってますね、そこは。
スピーカー 2
しかも拡大していくとこういうものってベタになっていき、なんかダサくなっていくっていう印象があるわけですよ。
要はWindowsを倒しそうなときのMacが一番確かにかっこいいんですよ。
CMとかも含めてちょっとWindowsバカにしたりとかしながらロックなんですよ。
でもこういうのがマスになっちゃうとちょっとダサくなるんだけど、Appleってなんないんだよな。
それがさっきのブランドランキングって前回言ってましたけど、そこが不思議なんですよね。
だからそこら辺ももしかしたらなんかDNAがあるんだろうなと思いながら。
スピーカー 1
それこそiMacが出たあたりにTHINK DIFFERENTっていうCMが出て、
それこそジョン・レノンとかガンジーとかマリア・カラスとかそういうヒチコプとかワーッと出て、
THINK DIFFERENTっていうのが出るCM、製品じゃなくてやっていたのがめちゃくちゃかっこよくて。
スピーカー 2
めちゃくちゃかっこよかった。
スピーカー 1
どんな天才代理店がついてんだっていう感じだったんですけど、
もちろん代理店はついてたんですけど、その写真、この写真じゃなくてこっち使えってスティーブ・ジョブズの写真出してたみたいで。
スピーカー 2
やっぱりそうなんだ。
スピーカー 1
あのCMのナレーションはプロの方がやってるみたいなんですけど、スティーブ・ジョブズバージョンもあったみたいで、
それも撮ってたみたいなんですね。
なるほど。
そこのこだわりはえげつない感じですね。
えげつないですね。
ちょっとこれポスト・ジョブズのところで触れなかったんですけども、最近サム・アルトマンさんが。
そうなんです。
ものすごいね。
スピーカー 2
僕もそれ気になって。
スピーカー 1
そう。
出張されたジョナサン・アイブさん。
はい。
それこそiMac、iPod全部出張されたアップルのCDをやられてた方ですけれども、この方もティム・クックと同様に、本当に2番系というか。
大騙しですけどそんな言葉を使うのは。
そうですね。
本当にスティーブ・ジョブズを支えた人で、実はティム・クックじゃなくてジョナサン・アイブの方が後継者としてふさわしいっていう話も当時あったようですね。
スピーカー 2
なるほどなるほど。
そうだよな。
だからデザインって部分でね、支えた部分が大きいですからね。
スピーカー 1
圧倒的に。
そこは重なるところがありますよね、スティーブ・ジョブズと。
なのでそういう話もあったんですけれども、ティム・クックを後継者に選んだのはスティーブ・ジョブズ本人なんですよね。
で、ジョナサン・アイブさんがどういうふうに思ってるかわかんないですけども、彼としてもデザインをやりたいっていう思いもあって、経営じゃなくてっていう思いも終わりなようなので。
そういう意味では役割がしっかりして、もう今アップル去られてますけれども、うまく噛み合ってたポスト・ジョブズの時代もあったんだなという感じですね。
はいはいはいはい。
その辺りもちょっと触れていきたいと思います。
スピーカー 2
はい、ということで2番K、組織を支えるNo.2の引きこもごも、ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
ポスト・ジョブズのリーダーシップ
スピーカー 2
気に入っていただけましたら番組のフォロー、5つ星評価をお願いします。
エックスやお便りサイトでの感想もお待ちしております。
ここまでのお相手は、しだれゆうすけと、
スピーカー 1
はつみやすいれいでした。
ありがとうございました。
28:00

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