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もりちゃん、おざきのThink too muchです。

もりちゃんです。

おざきです。

この番組は、10年来の友人、もりとおざきが、最近考えすぎてしまうテーマについて話すトーク番組です。
何事も自分には関係ないのに、それで腹が満たされるわけでもないのに、考えすぎてしまう私たち。
テーマは、自分・社会・過去・現在・未来と何でも、Think too muchの話を一緒に考えすぎたり、考えすぎを笑ったりしてお楽しみいただければ幸いです。

幸いです。

えっとですね、前回、子どものことについて、

はい。

好きなメールをいただいていて、
うん。
ちゃんと考えたいのでって言って、
インスタなりGoogleホームとかで、ご意見くださいって言ったら、ちょこっとご意見いただきまして、

ちょこっとね。

ちょっとそれについて話したいと思う。

OK。

メールを、再度大事なとこだけ紹介しますかね。

そうですね。

はい。えっと、コメダ初心者さんからいただいたメールです。

Thank you.

結婚後、子どもが欲しいなと思っていたのですが、いろいろなところで、なぜ子どもが欲しいのかを聞かれることがありました。
正直なぜかと聞かれると、今もちゃんとした答えが出ていませんということで、
なんやかんや、そうね、子どもが欲しいのは親のエゴだよね、とか、
結婚した後、人生のイベントが、親として経験できたら、みたいな、いろんな言葉はあるけど、
結果、エゴなのでは?とか。

はい。

でも実際生んでみて、障害があったら、とか、子育てって楽しいことだけじゃないよ、とか、金がかかるよ、とか、
いろんな現実の言葉が飛んできて、なんとなく子どもが欲しいなんて考えが甘すぎるのかなと思います。
いかがですか?というところでしたね。

改めて重たいメールだ。きちんと考えねばならないのですけれども、
今日は向き合いましょうという話ですね。

はい。で、いただいたご意見を紹介します。

行こうぜ。

1つが、欲しいと思わないが、欲しくないと思わない、という方。
あと、ずっと夫婦生活続くんだから、子どもがいた方がいい。
結局、子どもがいたらと、ifのことを考えるようになっちゃうじゃないか、というお話いただきました。

確かに。結構これ悲惨深いですね。

そうですね。

ifのことを考えるなっていうのね。

おさきくんいかがですか?

はい、そうですね。
これは考えるにあたってですね、私たち最近ノートをね。

そうです。

始めたというか、これからの、もうちょっと書いたんですけど、

まだオープンにはごめんなさいしてないですけど、

ノートで考えをまとめつつ、
ちょっと後で皆様にお読んでいただけるような形にして今いるのですけども、

このとても重いテーマにぴったりというか、良い機会だなと思い、
ちょっと言語化する機会として考えを書いていたんですけども、
まずちょっと3つね、これを考えるにあたって論点というかテーマをね、分けましたと。
一つは、子どもを持つって親のエゴなんだろうかという話。
二つ目は、なんで子どもが欲しいのかという話ですね。
三つ目は、子どもを持つときの課題みたいな。
この三つに今分けて、このラジオが始まる前に整理してたんですけど、
子どもを持つって親のエゴなんだろうか

まず子どもを持つって親のエゴなのかっていう話からいくと、
このコメダ初心者さんもメールの中に書いてくれてるんだけど、
結局子どもが欲しいって親のエゴだよねと。
なぜなら、子どもから産んでくれと頼むことがないからっていう。
これはまあ、そうじゃん。

それはね、いくら考えたってそうか、やっぱり。

そうでしかない、これは。

そうだね、切りごとにはできないね、やっぱり。

だから、まだ自分が欲しいから産みます。
で、まあいいと思うのよ。
いいと思うし、現実はほぼほぼそうなってるだろうと。
子どもを持つって。
でも、そこには1個条件があるのかなと思ってて、
子どもを不幸にしない努力を最大限することっていうのが、
このエゴを叶える上で必要な条件なのかなと思うわけ。
別に欲しいから産みましたでいいんですけど、
できる限りお子さんを不幸にしない努力を親はするべきっていう、
当たり前だけど、その条件さえあれば別にどんな理由で産んでも俺はいいと思う。

確かにね、そうだね。
それ以上のことはないか。

このコメダ初心者さんは、人と話してる時に、
なんで子ども欲しいの?みたいな話があって、
子どもがいると、人生のイベントとして、
もう1回子どもの、親の立場から子どもの人生を経験。
できたら面白そうっていうふうに言ったら、
子どもは自分の人生の追体験や趣味のために存在するのではないと、
話していた人からやんわり注意されちゃいましたというのを書いてくれてるんですけど、
別にこの理由、コメダ初心者さんが言った理由でも、
全然いいと思うわけ。
さっき言ったように、さっきのルールさえ守ってれば。
でも、どういう場面でこの会話が繰り広げられたのかわかんないけど、
その条件が相手に見えなかったっていうか、責任感がない感が触っちゃったから、
やんわり注意されちゃったんかなってだけで。
別にその理由、子どもを持ったら楽しそうとか、子どもと遊びたいとか、
別に何でもいいと思うわけ、それは。
だからそこは別に、ちゃんとした理由を持たないと、
子どもを持っちゃいけないみたいなのは、器用はなくていいと思ってます。
っていうのが1個目のテーマについて、俺の意見かなという感じですね。

そうね、今いろんなことを考えて、やっぱきれいごとにできないよね。

逆にさ、きれいごとの理由で子ども欲しい、
子どもを産む上できれいごとの理由って何だと思う?

何だろう?何だろうね。
えー、何だろう?確かに。

俺が思ったのは、例えば社会のため、少子化抑制のためとか、
あと家計を途絶えさせないためみたいな。

そういう家という感覚がまだあった頃は、そういう感じだよね。

あとは、これはきれいじゃないと思うけど、
資産としての子どもっていう考え方も昔はあったと思うんだよ。

そうね、子に養ってもらっている人もいるはいるわな。
子の扶養に入ったりとか。

この辺が、自分が主体じゃない、自分願望が点じゃない理由になる子どもを持つ理由みたいなイメージ。
これも言った。

何を言ってもさ、後付けの言い訳でしかないというか。
欲しかったんでしょ?あんたが。逃げんなよって感じするね。

そうだね。

やっぱさ、今想像してみると、私自身は欲しい、この話まだ後でするか。

どうぞどうぞ。

私自身は欲しいか欲しくないかで言うと、あんまり欲しくなくて、
それはちょっと責任が重すぎる。
というか、その幸運で育てていく、その人の人生を背負うという責任と、
自分が産むとか産まないとかにとらわれず、
自分が元気なエゴ充までいいばあちゃんでいて、楽しそうなんだよな、一人で。
母親にならない方が楽しそうって感じがするんだよね。

子供を持たない人生でも、自分は楽しくやっていける姿が想像できるという感じ。

そう、と思っているから。

なるほど。

ただ、めちゃ好きな人とかが現れたりすると、この人と幸せは糧を築きたいみたいな、
可愛い要望がめちゃくちゃ生まれてきたりすることもあるんだけど、
でもそういう時にいろんなタイミングが合えば、
持ったらいいんじゃないかな、みんな。
互いの同意で。
子どもを持つときの課題

ただやっぱり、不幸にしない努力を最大限することっていうのがついてくるから、
これが、やっていけそうかなと思うのであれば。

そうよね。

楽しいことは確かにいっぱいあるだろうから、
そこで仮に死ぬ間際になってさ、
子供にあなたのおかげで私の人生楽しかったよ、ありがとうと言って死ぬババアでありたいですね。

いいですね。
そうね。
なんで子供欲しいのかみたいなのは、
さっきの条件が満たされれば、別にオールオッケーだと思ってるから、
あんまディスカッションの余地がないんだけど。
そうね。
一応言っとくと、まず親を体験してみたいっていうのと、
死んだ後も自分が生きてた痕跡を世に残しておきたいっていう、
この2つがあるかなと思ってる。

親を体験してみたいっていうのは確かにな。
私ずっと教員とかさ、お子さんに関わる仕事してるから、
お母さん、お父さんの気持ちにいまいち一緒に乗り切れないなっていう。
自分が親だったら一緒に見える世界が揃って、
いろんな話できるんだろうになって思うことはいっぱいあった。

そうよね。
親になってみてわかる気持ちとか、社会の見え方とか、
得られる哲学みたいなものが、すごい想像できないというか、
ならんとわからんだろうから。

得られる哲学って確かにちょっと気になるな。
得たいな。

得たいよな、この辺。

ああ、なんか揺らぐな。

この境地みたいな。

なるほど。

親にならないとたどり着けない境地みたいな。
あると思ってる。

なるほどね、確かに。

死んだ後もっていうのは、仕事でもなんでもいいんだけど、
なんか、俺この世にいたなみたいなのが、
実感できるのってすげえ幸せなことだと思うのよ。

そうだね。
生まれたからには死ぬまで生きるわけじゃん。
生きてた意味とか作ったものとかっていうのは、
確かに何かしらで残んないと悔しいよな。

うん。
そう、俺は思うね。

なるほどな。

なんかこう、3日くらいずっと家にいたりするとさ、
うん、いいね。
別に最近の話でもないけど。

3日くらい家にいたことがあるっていう時点で、
結構な人が振り落とされるんじゃないかと今思った。

なんかこう、俺今生きてても死んでても誰も気づかれないなみたいなさ。

確かに。

瞬間。

それあるよな。

これ俺今この瞬間、一瞬で死んだら多分、
1週間くらい気づかれないんじゃないかなみたいな。
っていうのが大学生とか思った時があって。

あるね。

あるよな。

あるある。

なんかそれにすごい恐怖というか。
生きてても死んでても一緒じゃんみたいな。
社会的にみたいな。

世界に何も影響を与えていないという。

そうそうそうそう。

なるほど。
うわーなんか面白そうだな。
生きる意味の話。

いやそうだね。
もうね、もうその辺なのよこれってもう。

確かに。
でも今ちょっと聞いてて思ったのは、
確かに3日くらい家にいて、
遠くに気づいて怖くなる時はあんだけど、
私はそんなにこの死んだ後の自分が生きていた痕跡を残したいという気持ちがあんまなくて、
なんか聞きながら多分、
人に、
なんか人というか自分以外のものに何かこうアプローチしたり、
何か影響が届いたということに、
あまり魅力を感じなくて、
自分がどう満足して生きてるかっていうことの方が大事だな私。

なるほどね。

なんか前にちょっと話ずれるんだけどさ、
先生をやりながら、
やりながら、結構その、
どうモチベーション高めていくかとか、
目の前のお子さんに対してどうこう、
1たす1を教えるんじゃなくて、
どうやったら机に向かう気持ちが作れるかとか、
どうやってこう、もっとやりたいみたいな気持ちがどうやったら生まれるかっていうところに特化した先生っていて、
なんかそういう心理学とか、
そうね、持ち上げ方みたいなところをすごい注視しててめっちゃ上手い人とかいるんだけど、
なんか私そこにやっぱなんか全然魅力を感じなくて、
結果自分がどう納得したかだな。
なんか超閉じてるな自分の世界。
だからあれか、子が欲しい感があんまないっていうことになってくるのか。

なるほど。
そうだね、繋がったね。

なんか多分子供いてもそれなりに無関心だろうな。
めっちゃ愛すと思うけど、
最後の最後はあなたが決めるからねって、
子供を持つことへの責任とハードルの高さ

あなたが決めるからねっていうのは自由ではあるんだけど、
その突き放しているとも言えるね。
私は思考を放棄しますよっていうところも裏面にはついてくる。

なるほど。
なるほど。

遠いところまで来てしまったけど。

いやいや、なるほどね。

何に喜びを感じるかっていうところに子供の問題も肉迫してきますね。

そうだね。
うん。
いや、なんかそうだね。
このなんか、俺のいた痕跡みたいなものになんか、
より近年こだわりじゃないけど強い気持ちがちょっとなんかこう生まれてきてんだけど。
なんかこう、例えばなんかすげー久しぶりにこう友達とかから、
なんか何年も会ってない友達とかから連絡が来たりすると、
なんかこの人の中で俺ってちゃんとまだいたんだなーみたいな。
わー。
って思うわけ。
いいね。
その人の心の中にちゃんと、なんかまだ俺がこう存在してるっていうか。

なるほど。パーツが。

そうそうそう。それってなんかめちゃくちゃ嬉しいなと思ったわけ。

うーん。

だからなんか、もうほんと何でも会ってないんだよ。5年とか。
うん。
なんか成人式ぶりとかさ。

うん。

それってでもなんかもう物理的に俺はいる必要ないわけ。究極。
その、存在しているってことって。
うん。
心にいてくれたら、ほぼほぼなんか俺存在してるってことになるなってなんか感覚として思ったわけ。

うんうんうんうん。

プラス、なんかガーナ行ってたときの話なんだけど。
なんかまあ一応ガーナのなんかその俺の働いてた会社で、なんか現地の人たちとなんかいろいろやって、
まあちょっと良くなったりしたこととかあるんだけど。

うん。

なんかそれをなんかこうバイバイするときとかに現地の人たちが、
まあなんかハヤトがいてくれたから、まあなんかこれはずっとなんか使っていくよとか。

ああ。

これはなんか、ハヤトなんとかって名前をつけるわとか。

ああ。
ああ、そこに名前が残っていくということか。

そうそうそうそう。
うおー。

それは確かにそれを私がまだ成してないからかもしれないな。
その引力すごいね。

そうそうそう。
だから多分もう一生会わない人とか、もうガーナの人なんてほとんど会わないと思うけど。
うん。
でもなんかその人たちの中にはまあ、俺は存在してるわけ。

うわー。

なんかそれのなんか究極版というかもっと濃いものが、なんか親子みたいなものに、
こう、存在する父親とかさ、おじいちゃんとか。

そうね。

うん。

に、なんか俺がなんかなれるのであれば、なんかそれは豊かだなって思うわけ。
なるほどー。

っていうのでなんか。

急に薄っぺらい話になっちゃうんだけどさ。
うん。
あの、教育会でアクティブラーニングというのが流行った時があるんですけど、
まあ今も流行ってるというか、時代そうなんですけど、
なんかアクティブラーニングって主体的で対話的で深い学びと呼ばれるんです。

はいはいはい。

で、その対話的っていうのが、なんか単にグループワークをしなさいということではなくて、
なんか本を通じて本の作者との会話を対話になるらしい。

へー。

っていうのを今思い出して。
うんうん。
なんかそういう、やっぱこの残したもの、それこそ本なり、
なんかこれをガーナで、ハヤトなんとかというものが残って、
で、未来の誰かが、ハヤトさんがここに来てこれを作った意味とかを、
それを見ながら対話してくれるっていう未来があるってことだよね。

あー、そうだね。

うん。と思いました。

うんうんうんうん。そうですね。

なるほど。

うん。

子供かー。
そうか。
そう。

森が責任重すぎるみたいな子供を持つということ。

うん。

俺もあるわけ、それ。もちろん。

うん。

それはつまり、なんかその、幸せにできるのか的な感じなのかな。
お金と子育て

うーん、そうだなー。
あー、そうねー。なんか、子供って形がないんですよ。

うーん。

なんか水風船みたいな。

ほうほう。

水の風船部分がすっごい柔らかくて、

はい。

ブヨブヨしてるイメージなんだよね。

うんうん。

だから、うーんと、その、産んだ後ネグレクトしちゃうかもとかじゃないんだけど、
うん。
ポロッと言った一言とかに、簡単に形が変えられてしまうんですよね。

なるほど。

それはなんか、私が仕事しながらヒヤヒヤしてきたっていうのが大きいのかもしれないけど、

なるほど。
確かに。

なんかその、うーん、そうね、なんかその度にちゃんと対話したいなとは思うけど、

うん。

だからそれを、なんかそういう小さながかりみたいなものにできればちゃんと向き合いたくて、
うんうんうん。
なんか、そうね、難しいな、なんかできなそうだからやらないっていう結論に向かいそうになっちゃってるな。

うーん。

なんかまあでもそれは、うーん、やっぱこう、どっちが楽しそうかなっていう、

うん。

とこかな、やっぱり。

うーん、それ込みで、

うん。

まあ、持つ人生と持たない人生ということ。

うん。
どうすんだろうな。

確かになんか俺も、親とか先生とかからなんか、
うん。
なんかマジ忘れられない言葉とか悪いよね。
そうね。
まあみんなあると思うけど、
うん。

まあでもそんなのあるもんだと思って、
うん。
やっていくんだろうな。

そうだね。

うーん。

うーん。
そう、この、

うん。

ノートの3つ目に書いた、
うん。
その、子どもを持つときの課題みたいな話で、
うん。
なんかさっき言った、子どもを不幸にしない努力をしないといけない、
うん。

っていうので、

うん。
なんかその不幸にしないみたいな、
うん。
これ抽象的で主観的じゃん。
うん。
まあここがかなりなんか厄介なんだろうなと思うわけ。

そうね。
うん。
あんたを幸せにしたいのよ、という言葉、親子の主観、

うん。

果たしてみたいな。

とかなんか他人から見たら、

ああ、そうね。

いやそれは、あんた子どもを持つべきじゃないよって、

うーん。

いう人もいるかもしれんじゃん。

うん。

なんかシングルマザーは子どもを持つべきじゃないとか、

うーん。
うーん。

なんか大学行かせられる保障がないんだったら、

うーん。

子どもを持たないほうがいいとか、

うーん。

幸せとか不幸が何なのか、

そうね。

がちょっと人によりすぎるから、

うーん。
ああ、そうだね。

うーん。

うーん。
まあでもいろんなところで話してはいるけど、

うーん。

幸せってお金かみたいなさ、

うーん。

議論もありますじゃないですか。
はい。
まあお金の部分もあるよ。

もちろんもちろん。

うん。
部分もあるというか、
それがあった上で、

うん。

それが保障された上でどう生きるかっていう話になるだろうから、

うん。

うーん。

なんかそのお金と、

うん。

練習のなんか総感図みたいなやつ見たことある。

ああ、幸福度と練習のみたいなやつか。

ああ、そうそうそうそう。

聞いたことあるような気がするな。

まあなんか200万、400万、600万、800万、
うん。
なんか2500万とか、

うん。

がなんか横軸にあって、
縦軸が幸福度で、

うんうん。
ああ。

200万、400万とかは、
こう、なんていうか、ほぼ比例っていうか、

うん。

そんだけど、
まあ800万とか1000万くらいからは、
だんだんその傾きが小さくなっていって、みたいな。

ほんとだ。
うん。
800万を超えると幸福度はそう上がらない。

うん。
だから、まあその生活していくために必要なライン、
200万とか400万かな、

うん。

までは、なんか多分極端に低いと極端に幸福度低いと思うけど、

うん。

まあ俺の感覚的には、もうなんか400とか600とかからもう別に、
うん。
なんか死なないラインだろうから、
そうだね、死なない。
うん、まあ楽ではないかもしれないけど、

うん。

環境によっては。
うんうん。
でもまあ別にね、あの、食ってはいけるだろうから、
アルファのゾーンに入ると思う。

うん。

だからなんか、なんかそこのライン、最低水準の生活が、

うん。

なんか子供に対しても保証できるんだったら別に、なんていうかな、

うん。

だからそれを不幸にしない最大限の努力の条件クリアしてると俺は思うので、
確かに。
まあ俺がそういう立場の人だったら別に、もしかしたら大学とか行かせられないかもしれないけど、

うん。

まあ別に、それはそれで別に不幸ってわけじゃないかなとかと思って、
障害のある子供と向き合う

うん。

全然産むの選択肢に上がってくるかなみたいなライン。
そうね。
お金と子育てみたいな話で言うと。
うんうん。
だからなんかその当たり前みたいなものが多分どんどんこう上がってきてて、
まあ例えばなんかマーチ以上の大学に行かせてあげられないと、
なんかそのしょうもない人生になるとか、
うん。
なんかピアノとか塾とか行かせてあげられないと、

うん。

まあかわいそうとか、ちょっと極端だけどそういうようなことが、
うん。
まあなんかちょっとこう、なんていうか、まあどんくらいの割合かわかんないけど、
うん。
多分結構無視できないくらいの、

うん。

勢力になっているような気がしており、
うんうん。
まあ俺ももちろん全然気持ちはわかるけど、
うんうん。
そういう人たちの。
だからなんかその水準、なんか優秀な子みたいなのに育てられないんだったら、
産まないほうがいい、あるいはまあ産まなくていいかなみたいな、

へー。

感じに思ってる人が結構いいんじゃないかなとかと思ったりしますね。

まあ、あ、それは人の子供について。

あ、いや、自分。
自分も。

おー。
まあそうか。

なんかそれが、そう、責任とか、
ここを持つことに対するハードルの高さみたいな、

うん。

のに繋がっている人は結構いるような気が、俺も含め。

まあそうか。
うーん、そうね。
あー、なんか、まあ今、障害があることについてすごく考えていて、

はいはいはい。

優秀であったり、

うん。

マーチ異常があったか、

うんうんうんうん。

まあ、なんだろう、確かに、
そうね、これ普通みたいなのの水準が上がっていて、

うんうんうんうん。
苦しい人たちは、

を割とたくさん見てきているので、

おー。

うーん、そうね、だって、小学校入って、

うん。

もし、自分の子供が、
あなたのお子さんは、支援学級がいいと思いますよって言われて受け入れられるかね。

いやー、そうですねー。

へー。
なんか、割とそういうご家庭と向き合ってきているんだけど、

うんうんうんうん。

いや、これはその、じゃあみんな用水検査して障害のある子供なら産むなとかってことじゃないんだけど、

うんうんうんうん。

だから、
あのー、
産むという気持ちと子供の未来

まあみんな産むときは、障害がなかったらいい、優秀な子に育ってほしいという気持ちで、
あのー、産んで良いと思う。
というか、そうじゃんみんな。

うんうんうんうん。

そんで、ただ、なんかあれーって、すごく絶望するときもあると思うんだけど、

うんうんうん。
まあ、そのときにはそのときで、なんかまた別の未来があるよっていう感じかな。

うんうんうん。
だから、その、逆に、
なんか、そう、実際そうなったときに、

うん。

例えば、その、思い描いてた町以上の四代に行って、
養生企業に入って、みたいな。
で、道に子が乗らないと思ったときに、その、
うん。
そうなったときに、
うん。
なんか、子が、お子さん、子供が、何とか頑張って塾に行かせたりするのが、
果たして子が幸せなのかってことだね。

うんうんうんうん。

だから、そのときには、
あのー、その、子供を持つっていうことの条件が、
えっとー、子供を不幸にしない努力を最大限することだから、

うん。

あそこに立ち会ったら、じゃあどう生きるのが子にとって一番幸せなのかっていうことを、
子供を持つ条件とは

都度考えていく営みから、そういうことだね。

なるほどなるほど。
うん。
いやー、頑劇のある言葉ですね。

まあでもなんか、今喋りながら、でもやっぱり結局私はそう支援する側にしか立ったことないから、
うん。
親の思う持ちがに、
うん。
ちょっとやっぱこう、視点がすぐずれちゃうな、支援者側に。

うーん。

ただ、そうね、その子、今やってることは子にとって、子が幸せになることをやれてるのかなっていうことを、
都度考えていく。

うんうんうんうん。

そうやって、そういうことができる人間でありたいと思いながら、こう埋めたら素敵やな。

なるほどね。
いやー、そうですよね。

常に自分の常識を変えていく、そこに楽しみを見出せたらこそだって素敵だね。

そうだね。
なんか、いやこれちょっとうまく話せるかわかんないけど、

うん。

なんていうのこの、生まれた瞬間からうちらこの資本主義とかさ、除列化されるのが当然の世界でずっと生きてきてるじゃん。

うん。

で、その中で学校とかももちろんそうだし、大学も偏差値っていうもので除列化されてて、
できるだけ偏差値の高いところに入ると良いこと。
で、そうじゃないのは、まあなんていうか、努力とか、頭、自分の頭が足りないみたいな、良しとされないことなわけじゃん。

うん。

で、それがずっときてて、だから大きい会社とか良い大学に入れたら嬉しいし、喜ばしいことで、そうじゃなかったらそうじゃないなりの人生になるというのがあって、
その、どっかで障害がありますとか、特別な配慮支援が必要な人間っていうことがわかった時点で、
その物差しにおける除列の高い方には、もうほぼ100%いけませんってことが確定しちゃった時に、

じゃあ、そうじゃない物差しの幸せに切り替えましょうってことができるってすごい、それはそれで豊かだなと思う。
そっちの方が豊かだと思うわけ。本来。
一つの物差しじゃなくて、なんていうかこう、もっと違う、昨日できなかったことが今日できるようになったとか、
もっとそういうミクロな、除列じゃない向上による幸せとか達成感みたいなもので、得られる幸福を探す人生というか、
その2つの物差しっていうか、そういう立場にある人じゃなくても、どっちとも持ってるっていうのはすごい重要なように思ったな、話し聞きながら。
二つの物差しの幸せ

あー、そうね、2つの物差しか、確かに。
そうそうそう、なんか昨日できなかったことが今日できるようになるとかっていうので、
良かったね、すごいねっていう世界で、
っていう物差しはすごくね、ハピネスなんですよ。
ハピネスなんですよ、その世界にいるとき。
ただ、逃げられない資本主義の中にもいるから、
そうね、ダブルスタンダードなんだけど、2つの物差しを持ちながら、どっかで納得させてきているのかなと。

いや、そう、そうなんよ。
誰々君、東大・京大受かったのすごいねって。
本当にすごいしさ、尊いことだと思うのよ。
肯定されるべきことだし。
それを肯定することが、そこには絶対にたどり着けない特性を持っている人たちの存在を否定することになっちゃうのかもって、
たまに思ったりするんだけど、
それこそなんか、なんていうかな、そっちはそっちの物差しで、すごいんであって、
別に、あえてこういう言い方するけど、どの序列にいる人たちの中でも、
なんか別に昨日できなかったこと、今日、昨日よりもちょっと良くなったってのが、
どの立場の人でもあるわけだから、
そこはそこで、やっていける幸せがあるっていうか。

そこに、そうね、どちらが優で劣でってことは、
優しいことは、つけ、なんて言ったらいいのかな、つけることに意味がないと思うな。
ただ意外と東大、京大とか行ってる人の方が、あれですよ、意外と就職活動難しかったり、
あ、そうなんですか。
そういう方多いです。

あ、そうなんですか。
あんまりそのサンプルを持っていなかった、俺は。

ちょこちょこ聞きますね、意外と。

あ、そうなんだ。

まあ、でもね、それは東大とかって言ったって、センサーいろいろいるでしょうから。
その中にも、なんかこう、就職したものの、あれ、なんかうまくいかないなということに気づく方もいらっしゃる。
なるほど。
そうだね。

はい。

そうだな、なんか2本物差しがあるっていうの、なんかいいな。
いいな。

そこは矛盾しないということで。
まあまあ、この話の終着は、というのがあるので、子どもを持つということで、
狭い意味での幸せではなくて、もっと広義の意味での幸せを追求することは、どんな境遇でもできるはず。

なので、そこまでこう、もちろん軽視しなくてもいいんですけど、軽視してはいけないんだけど、そこまで重く受け止める必要もないのではないかという話。
そうですね。
うん。
素敵だよ、子どもいる人生。

そんな感じです。

はい。
いやー、ちょっとそうだな、親になって見て得られる哲学はちょっと魅力的だな。
うん、だよね。
うん、絶対あるもんな。

なんかそれ知らずに死ぬってちょっとなんかもったいない気がするわけよ。

わー、ちょっとなんか覚えとこう。
どっかで、なんかそれを理由にしてそっち側に舵切る可能性出てきた。

マジか。
そう。
オーケー。

はい。

さあ、ということで。
いやー、楽しかったな、今日。
やっぱあれだね、ちゃんと、ちゃんとこう、準備するといい収録ができますね。

よかった、ありがとうございます。

いやー、とんでもない。
はい。

考えよう、私も。
考えましょう。
漫画もノートと連動していけたらいいな。
うん。

みんな読んでね。

ねー。
さて。

この番組では皆さんの感想・質問、私たちに話をしてほしいテーマを募集してます。

はい。

番組概要欄にあるGoogleフォームから応募できるので、皆さんのご意見をぜひ送ってみてください。

はい、ぜひこの子供のことについては、もっともっとご意見聞きたいです。

ちょうだーい。

うん。
待ってまーす。

はーい。

それではまた次回お会いしましょう。

森ちゃんと。

尾崎でした。

ばいばーい。
ばいばーい。