1. もりちゃんおざきのThink too much
  2. Ep.42 子どもを持つということ..
子どもを持つのは親のエゴか?なぜ子どもが欲しいのか、について話しています。https://forms.gle/7BLYN7Z7EJH2PtbV7 ⭐️ゲストも大歓迎!フォームに連絡取れるアカウント入力もしくは番組公式アカウントのDMまで!

サマリー

このエピソードでは、子どもを持つということについて考えられるメールを取り上げています。テーマは「子どもを持つって親のエゴなんだろうか」という話、なぜ子どもが欲しいのかという話、子どもを持つときの課題という3つに分かれています。子どもを持つことに対するハードルの高さや障害のある子供について考えている人々の話を通じて、子供を不幸にしない努力や幸せの定義について考えています。産むときは障害がなく、優秀な子に育ってほしいという気持ちで子を持つことが多いが、子供を不幸にしない努力を最大限することが子を持つ条件であり、子供の幸せを考えていく営みが重要であることを考えています。

00:02
おざき
もりちゃん、おざきのThink too muchです。
もりちゃん
もりちゃんです。
おざき
おざきです。
もりちゃん
この番組は、10年来の友人、もりとおざきが、最近考えすぎてしまうテーマについて話すトーク番組です。
何事も自分には関係ないのに、それで腹が満たされるわけでもないのに、考えすぎてしまう私たち。
テーマは、自分・社会・過去・現在・未来と何でも、Think too muchの話を一緒に考えすぎたり、考えすぎを笑ったりしてお楽しみいただければ幸いです。
おざき
幸いです。
もりちゃん
えっとですね、前回、子どものことについて、
おざき
はい。
もりちゃん
好きなメールをいただいていて、
うん。
ちゃんと考えたいのでって言って、
インスタなりGoogleホームとかで、ご意見くださいって言ったら、ちょこっとご意見いただきまして、
おざき
ちょこっとね。
もりちゃん
ちょっとそれについて話したいと思う。
おざき
OK。
もりちゃん
メールを、再度大事なとこだけ紹介しますかね。
おざき
そうですね。
もりちゃん
はい。えっと、コメダ初心者さんからいただいたメールです。
おざき
Thank you.
もりちゃん
結婚後、子どもが欲しいなと思っていたのですが、いろいろなところで、なぜ子どもが欲しいのかを聞かれることがありました。
正直なぜかと聞かれると、今もちゃんとした答えが出ていませんということで、
なんやかんや、そうね、子どもが欲しいのは親のエゴだよね、とか、
結婚した後、人生のイベントが、親として経験できたら、みたいな、いろんな言葉はあるけど、
結果、エゴなのでは?とか。
おざき
はい。
もりちゃん
でも実際生んでみて、障害があったら、とか、子育てって楽しいことだけじゃないよ、とか、金がかかるよ、とか、
いろんな現実の言葉が飛んできて、なんとなく子どもが欲しいなんて考えが甘すぎるのかなと思います。
いかがですか?というところでしたね。
おざき
改めて重たいメールだ。きちんと考えねばならないのですけれども、
今日は向き合いましょうという話ですね。
もりちゃん
はい。で、いただいたご意見を紹介します。
おざき
行こうぜ。
もりちゃん
1つが、欲しいと思わないが、欲しくないと思わない、という方。
あと、ずっと夫婦生活続くんだから、子どもがいた方がいい。
結局、子どもがいたらと、ifのことを考えるようになっちゃうじゃないか、というお話いただきました。
おざき
確かに。結構これ悲惨深いですね。
もりちゃん
そうですね。
おざき
ifのことを考えるなっていうのね。
もりちゃん
おさきくんいかがですか?
おざき
はい、そうですね。
これは考えるにあたってですね、私たち最近ノートをね。
もりちゃん
そうです。
おざき
始めたというか、これからの、もうちょっと書いたんですけど、
もりちゃん
まだオープンにはごめんなさいしてないですけど、
おざき
ノートで考えをまとめつつ、
ちょっと後で皆様にお読んでいただけるような形にして今いるのですけども、
おざき
このとても重いテーマにぴったりというか、良い機会だなと思い、
ちょっと言語化する機会として考えを書いていたんですけども、
まずちょっと3つね、これを考えるにあたって論点というかテーマをね、分けましたと。
一つは、子どもを持つって親のエゴなんだろうかという話。
二つ目は、なんで子どもが欲しいのかという話ですね。
三つ目は、子どもを持つときの課題みたいな。
この三つに今分けて、このラジオが始まる前に整理してたんですけど、
子どもを持つって親のエゴなんだろうか
おざき
まず子どもを持つって親のエゴなのかっていう話からいくと、
このコメダ初心者さんもメールの中に書いてくれてるんだけど、
結局子どもが欲しいって親のエゴだよねと。
なぜなら、子どもから産んでくれと頼むことがないからっていう。
これはまあ、そうじゃん。
もりちゃん
それはね、いくら考えたってそうか、やっぱり。
おざき
そうでしかない、これは。
もりちゃん
そうだね、切りごとにはできないね、やっぱり。
おざき
だから、まだ自分が欲しいから産みます。
で、まあいいと思うのよ。
いいと思うし、現実はほぼほぼそうなってるだろうと。
子どもを持つって。
でも、そこには1個条件があるのかなと思ってて、
子どもを不幸にしない努力を最大限することっていうのが、
このエゴを叶える上で必要な条件なのかなと思うわけ。
別に欲しいから産みましたでいいんですけど、
できる限りお子さんを不幸にしない努力を親はするべきっていう、
当たり前だけど、その条件さえあれば別にどんな理由で産んでも俺はいいと思う。
もりちゃん
確かにね、そうだね。
それ以上のことはないか。
おざき
このコメダ初心者さんは、人と話してる時に、
なんで子ども欲しいの?みたいな話があって、
子どもがいると、人生のイベントとして、
もう1回子どもの、親の立場から子どもの人生を経験。
できたら面白そうっていうふうに言ったら、
子どもは自分の人生の追体験や趣味のために存在するのではないと、
話していた人からやんわり注意されちゃいましたというのを書いてくれてるんですけど、
別にこの理由、コメダ初心者さんが言った理由でも、
全然いいと思うわけ。
さっき言ったように、さっきのルールさえ守ってれば。
でも、どういう場面でこの会話が繰り広げられたのかわかんないけど、
その条件が相手に見えなかったっていうか、責任感がない感が触っちゃったから、
やんわり注意されちゃったんかなってだけで。
別にその理由、子どもを持ったら楽しそうとか、子どもと遊びたいとか、
別に何でもいいと思うわけ、それは。
だからそこは別に、ちゃんとした理由を持たないと、
子どもを持っちゃいけないみたいなのは、器用はなくていいと思ってます。
っていうのが1個目のテーマについて、俺の意見かなという感じですね。
もりちゃん
そうね、今いろんなことを考えて、やっぱきれいごとにできないよね。
おざき
逆にさ、きれいごとの理由で子ども欲しい、
子どもを産む上できれいごとの理由って何だと思う?
もりちゃん
何だろう?何だろうね。
えー、何だろう?確かに。
おざき
俺が思ったのは、例えば社会のため、少子化抑制のためとか、
あと家計を途絶えさせないためみたいな。
もりちゃん
そういう家という感覚がまだあった頃は、そういう感じだよね。
おざき
あとは、これはきれいじゃないと思うけど、
資産としての子どもっていう考え方も昔はあったと思うんだよ。
もりちゃん
そうね、子に養ってもらっている人もいるはいるわな。
子の扶養に入ったりとか。
おざき
この辺が、自分が主体じゃない、自分願望が点じゃない理由になる子どもを持つ理由みたいなイメージ。
これも言った。
もりちゃん
何を言ってもさ、後付けの言い訳でしかないというか。
欲しかったんでしょ?あんたが。逃げんなよって感じするね。
おざき
そうだね。
もりちゃん
やっぱさ、今想像してみると、私自身は欲しい、この話まだ後でするか。
おざき
どうぞどうぞ。
もりちゃん
私自身は欲しいか欲しくないかで言うと、あんまり欲しくなくて、
それはちょっと責任が重すぎる。
というか、その幸運で育てていく、その人の人生を背負うという責任と、
自分が産むとか産まないとかにとらわれず、
自分が元気なエゴ充までいいばあちゃんでいて、楽しそうなんだよな、一人で。
母親にならない方が楽しそうって感じがするんだよね。
おざき
子供を持たない人生でも、自分は楽しくやっていける姿が想像できるという感じ。
もりちゃん
そう、と思っているから。
おざき
なるほど。
もりちゃん
ただ、めちゃ好きな人とかが現れたりすると、この人と幸せは糧を築きたいみたいな、
可愛い要望がめちゃくちゃ生まれてきたりすることもあるんだけど、
でもそういう時にいろんなタイミングが合えば、
持ったらいいんじゃないかな、みんな。
互いの同意で。
子どもを持つときの課題
もりちゃん
ただやっぱり、不幸にしない努力を最大限することっていうのがついてくるから、
これが、やっていけそうかなと思うのであれば。
おざき
そうよね。
もりちゃん
楽しいことは確かにいっぱいあるだろうから、
そこで仮に死ぬ間際になってさ、
子供にあなたのおかげで私の人生楽しかったよ、ありがとうと言って死ぬババアでありたいですね。
おざき
いいですね。
そうね。
なんで子供欲しいのかみたいなのは、
さっきの条件が満たされれば、別にオールオッケーだと思ってるから、
あんまディスカッションの余地がないんだけど。
そうね。
一応言っとくと、まず親を体験してみたいっていうのと、
死んだ後も自分が生きてた痕跡を世に残しておきたいっていう、
この2つがあるかなと思ってる。
もりちゃん
親を体験してみたいっていうのは確かにな。
私ずっと教員とかさ、お子さんに関わる仕事してるから、
お母さん、お父さんの気持ちにいまいち一緒に乗り切れないなっていう。
自分が親だったら一緒に見える世界が揃って、
いろんな話できるんだろうになって思うことはいっぱいあった。
おざき
そうよね。
親になってみてわかる気持ちとか、社会の見え方とか、
得られる哲学みたいなものが、すごい想像できないというか、
ならんとわからんだろうから。
もりちゃん
得られる哲学って確かにちょっと気になるな。
得たいな。
おざき
得たいよな、この辺。
もりちゃん
ああ、なんか揺らぐな。
おざき
この境地みたいな。
もりちゃん
なるほど。
おざき
親にならないとたどり着けない境地みたいな。
あると思ってる。
もりちゃん
なるほどね、確かに。
おざき
死んだ後もっていうのは、仕事でもなんでもいいんだけど、
なんか、俺この世にいたなみたいなのが、
実感できるのってすげえ幸せなことだと思うのよ。
もりちゃん
そうだね。
生まれたからには死ぬまで生きるわけじゃん。
生きてた意味とか作ったものとかっていうのは、
確かに何かしらで残んないと悔しいよな。
おざき
うん。
そう、俺は思うね。
もりちゃん
なるほどな。
おざき
なんかこう、3日くらいずっと家にいたりするとさ、
うん、いいね。
別に最近の話でもないけど。
もりちゃん
3日くらい家にいたことがあるっていう時点で、
結構な人が振り落とされるんじゃないかと今思った。
おざき
なんかこう、俺今生きてても死んでても誰も気づかれないなみたいなさ。
もりちゃん
確かに。
おざき
瞬間。
もりちゃん
それあるよな。
おざき
これ俺今この瞬間、一瞬で死んだら多分、
1週間くらい気づかれないんじゃないかなみたいな。
っていうのが大学生とか思った時があって。
もりちゃん
あるね。
おざき
あるよな。
もりちゃん
あるある。
おざき
なんかそれにすごい恐怖というか。
生きてても死んでても一緒じゃんみたいな。
社会的にみたいな。
もりちゃん
世界に何も影響を与えていないという。
おざき
そうそうそうそう。
もりちゃん
なるほど。
うわーなんか面白そうだな。
生きる意味の話。
おざき
いやそうだね。
もうね、もうその辺なのよこれってもう。
もりちゃん
確かに。
でも今ちょっと聞いてて思ったのは、
確かに3日くらい家にいて、
遠くに気づいて怖くなる時はあんだけど、
私はそんなにこの死んだ後の自分が生きていた痕跡を残したいという気持ちがあんまなくて、
なんか聞きながら多分、
人に、
なんか人というか自分以外のものに何かこうアプローチしたり、
何か影響が届いたということに、
あまり魅力を感じなくて、
自分がどう満足して生きてるかっていうことの方が大事だな私。
おざき
なるほどね。
もりちゃん
なんか前にちょっと話ずれるんだけどさ、
先生をやりながら、
やりながら、結構その、
どうモチベーション高めていくかとか、
目の前のお子さんに対してどうこう、
1たす1を教えるんじゃなくて、
どうやったら机に向かう気持ちが作れるかとか、
どうやってこう、もっとやりたいみたいな気持ちがどうやったら生まれるかっていうところに特化した先生っていて、
なんかそういう心理学とか、
そうね、持ち上げ方みたいなところをすごい注視しててめっちゃ上手い人とかいるんだけど、
なんか私そこにやっぱなんか全然魅力を感じなくて、
結果自分がどう納得したかだな。
なんか超閉じてるな自分の世界。
だからあれか、子が欲しい感があんまないっていうことになってくるのか。
おざき
なるほど。
そうだね、繋がったね。
もりちゃん
なんか多分子供いてもそれなりに無関心だろうな。
めっちゃ愛すと思うけど、
最後の最後はあなたが決めるからねって、
子供を持つことへの責任とハードルの高さ
もりちゃん
あなたが決めるからねっていうのは自由ではあるんだけど、
その突き放しているとも言えるね。
私は思考を放棄しますよっていうところも裏面にはついてくる。
おざき
なるほど。
なるほど。
もりちゃん
遠いところまで来てしまったけど。
おざき
いやいや、なるほどね。
もりちゃん
何に喜びを感じるかっていうところに子供の問題も肉迫してきますね。
おざき
そうだね。
うん。
いや、なんかそうだね。
このなんか、俺のいた痕跡みたいなものになんか、
より近年こだわりじゃないけど強い気持ちがちょっとなんかこう生まれてきてんだけど。
なんかこう、例えばなんかすげー久しぶりにこう友達とかから、
なんか何年も会ってない友達とかから連絡が来たりすると、
なんかこの人の中で俺ってちゃんとまだいたんだなーみたいな。
わー。
って思うわけ。
いいね。
その人の心の中にちゃんと、なんかまだ俺がこう存在してるっていうか。
もりちゃん
なるほど。パーツが。
おざき
そうそうそう。それってなんかめちゃくちゃ嬉しいなと思ったわけ。
もりちゃん
うーん。
おざき
だからなんか、もうほんと何でも会ってないんだよ。5年とか。
うん。
なんか成人式ぶりとかさ。
もりちゃん
うん。
おざき
それってでもなんかもう物理的に俺はいる必要ないわけ。究極。
その、存在しているってことって。
うん。
心にいてくれたら、ほぼほぼなんか俺存在してるってことになるなってなんか感覚として思ったわけ。
もりちゃん
うんうんうんうん。
おざき
プラス、なんかガーナ行ってたときの話なんだけど。
なんかまあ一応ガーナのなんかその俺の働いてた会社で、なんか現地の人たちとなんかいろいろやって、
まあちょっと良くなったりしたこととかあるんだけど。
もりちゃん
うん。
おざき
なんかそれをなんかこうバイバイするときとかに現地の人たちが、
まあなんかハヤトがいてくれたから、まあなんかこれはずっとなんか使っていくよとか。
もりちゃん
ああ。
おざき
これはなんか、ハヤトなんとかって名前をつけるわとか。
もりちゃん
ああ。
ああ、そこに名前が残っていくということか。
おざき
そうそうそうそう。
うおー。
もりちゃん
それは確かにそれを私がまだ成してないからかもしれないな。
その引力すごいね。
おざき
そうそうそう。
だから多分もう一生会わない人とか、もうガーナの人なんてほとんど会わないと思うけど。
うん。
でもなんかその人たちの中にはまあ、俺は存在してるわけ。
もりちゃん
うわー。
おざき
なんかそれのなんか究極版というかもっと濃いものが、なんか親子みたいなものに、
こう、存在する父親とかさ、おじいちゃんとか。
もりちゃん
そうね。
おざき
うん。
もりちゃん
に、なんか俺がなんかなれるのであれば、なんかそれは豊かだなって思うわけ。
なるほどー。
おざき
っていうのでなんか。
もりちゃん
急に薄っぺらい話になっちゃうんだけどさ。
うん。
あの、教育会でアクティブラーニングというのが流行った時があるんですけど、
まあ今も流行ってるというか、時代そうなんですけど、
なんかアクティブラーニングって主体的で対話的で深い学びと呼ばれるんです。
おざき
はいはいはい。
もりちゃん
で、その対話的っていうのが、なんか単にグループワークをしなさいということではなくて、
なんか本を通じて本の作者との会話を対話になるらしい。
おざき
へー。
もりちゃん
っていうのを今思い出して。
うんうん。
なんかそういう、やっぱこの残したもの、それこそ本なり、
なんかこれをガーナで、ハヤトなんとかというものが残って、
で、未来の誰かが、ハヤトさんがここに来てこれを作った意味とかを、
それを見ながら対話してくれるっていう未来があるってことだよね。
おざき
あー、そうだね。
もりちゃん
うん。と思いました。
おざき
うんうんうんうん。そうですね。
もりちゃん
なるほど。
おざき
うん。
もりちゃん
子供かー。
そうか。
そう。
おざき
森が責任重すぎるみたいな子供を持つということ。
もりちゃん
うん。
おざき
俺もあるわけ、それ。もちろん。
もりちゃん
うん。
おざき
それはつまり、なんかその、幸せにできるのか的な感じなのかな。
お金と子育て
もりちゃん
うーん、そうだなー。
あー、そうねー。なんか、子供って形がないんですよ。
おざき
うーん。
もりちゃん
なんか水風船みたいな。
おざき
ほうほう。
もりちゃん
水の風船部分がすっごい柔らかくて、
おざき
はい。
もりちゃん
ブヨブヨしてるイメージなんだよね。
おざき
うんうん。
もりちゃん
だから、うーんと、その、産んだ後ネグレクトしちゃうかもとかじゃないんだけど、
うん。
ポロッと言った一言とかに、簡単に形が変えられてしまうんですよね。
おざき
なるほど。
もりちゃん
それはなんか、私が仕事しながらヒヤヒヤしてきたっていうのが大きいのかもしれないけど、
おざき
なるほど。
確かに。
もりちゃん
なんかその、うーん、そうね、なんかその度にちゃんと対話したいなとは思うけど、
おざき
うん。
もりちゃん
だからそれを、なんかそういう小さながかりみたいなものにできればちゃんと向き合いたくて、
うんうんうん。
なんか、そうね、難しいな、なんかできなそうだからやらないっていう結論に向かいそうになっちゃってるな。
おざき
うーん。
もりちゃん
なんかまあでもそれは、うーん、やっぱこう、どっちが楽しそうかなっていう、
おざき
うん。
もりちゃん
とこかな、やっぱり。
おざき
うーん、それ込みで、
もりちゃん
うん。
おざき
まあ、持つ人生と持たない人生ということ。
もりちゃん
うん。
どうすんだろうな。
おざき
確かになんか俺も、親とか先生とかからなんか、
うん。
なんかマジ忘れられない言葉とか悪いよね。
そうね。
まあみんなあると思うけど、
うん。
もりちゃん
まあでもそんなのあるもんだと思って、
うん。
やっていくんだろうな。
おざき
そうだね。
もりちゃん
うーん。
おざき
うーん。
そう、この、
もりちゃん
うん。
おざき
ノートの3つ目に書いた、
うん。
その、子どもを持つときの課題みたいな話で、
うん。
なんかさっき言った、子どもを不幸にしない努力をしないといけない、
うん。
もりちゃん
っていうので、
おざき
うん。
なんかその不幸にしないみたいな、
うん。
これ抽象的で主観的じゃん。
うん。
まあここがかなりなんか厄介なんだろうなと思うわけ。
もりちゃん
そうね。
うん。
あんたを幸せにしたいのよ、という言葉、親子の主観、
おざき
うん。
もりちゃん
果たしてみたいな。
おざき
とかなんか他人から見たら、
もりちゃん
ああ、そうね。
おざき
いやそれは、あんた子どもを持つべきじゃないよって、
もりちゃん
うーん。
おざき
いう人もいるかもしれんじゃん。
もりちゃん
うん。
おざき
なんかシングルマザーは子どもを持つべきじゃないとか、
もりちゃん
うーん。
うーん。
おざき
なんか大学行かせられる保障がないんだったら、
もりちゃん
うーん。
おざき
子どもを持たないほうがいいとか、
もりちゃん
うーん。
おざき
幸せとか不幸が何なのか、
もりちゃん
そうね。
おざき
がちょっと人によりすぎるから、
もりちゃん
うーん。
ああ、そうだね。
おざき
うーん。
もりちゃん
うーん。
まあでもいろんなところで話してはいるけど、
おざき
うーん。
もりちゃん
幸せってお金かみたいなさ、
おざき
うーん。
もりちゃん
議論もありますじゃないですか。
はい。
まあお金の部分もあるよ。
おざき
もちろんもちろん。
もりちゃん
うん。
部分もあるというか、
それがあった上で、
おざき
うん。
もりちゃん
それが保障された上でどう生きるかっていう話になるだろうから、
おざき
うん。
もりちゃん
うーん。
おざき
なんかそのお金と、
もりちゃん
うん。
おざき
練習のなんか総感図みたいなやつ見たことある。
もりちゃん
ああ、幸福度と練習のみたいなやつか。
おざき
ああ、そうそうそうそう。
もりちゃん
聞いたことあるような気がするな。
おざき
まあなんか200万、400万、600万、800万、
うん。
なんか2500万とか、
もりちゃん
うん。
おざき
がなんか横軸にあって、
縦軸が幸福度で、
もりちゃん
うんうん。
ああ。
おざき
200万、400万とかは、
こう、なんていうか、ほぼ比例っていうか、
もりちゃん
うん。
おざき
そんだけど、
まあ800万とか1000万くらいからは、
だんだんその傾きが小さくなっていって、みたいな。
もりちゃん
ほんとだ。
うん。
800万を超えると幸福度はそう上がらない。
おざき
うん。
だから、まあその生活していくために必要なライン、
200万とか400万かな、
もりちゃん
うん。
おざき
までは、なんか多分極端に低いと極端に幸福度低いと思うけど、
もりちゃん
うん。
おざき
まあ俺の感覚的には、もうなんか400とか600とかからもう別に、
うん。
なんか死なないラインだろうから、
そうだね、死なない。
うん、まあ楽ではないかもしれないけど、
もりちゃん
うん。
おざき
環境によっては。
うんうん。
でもまあ別にね、あの、食ってはいけるだろうから、
アルファのゾーンに入ると思う。
もりちゃん
うん。
おざき
だからなんか、なんかそこのライン、最低水準の生活が、
もりちゃん
うん。
おざき
なんか子供に対しても保証できるんだったら別に、なんていうかな、
もりちゃん
うん。
おざき
だからそれを不幸にしない最大限の努力の条件クリアしてると俺は思うので、
確かに。
まあ俺がそういう立場の人だったら別に、もしかしたら大学とか行かせられないかもしれないけど、
もりちゃん
うん。
おざき
まあ別に、それはそれで別に不幸ってわけじゃないかなとかと思って、
障害のある子供と向き合う
もりちゃん
うん。
おざき
全然産むの選択肢に上がってくるかなみたいなライン。
そうね。
お金と子育てみたいな話で言うと。
うんうん。
だからなんかその当たり前みたいなものが多分どんどんこう上がってきてて、
まあ例えばなんかマーチ以上の大学に行かせてあげられないと、
なんかそのしょうもない人生になるとか、
うん。
なんかピアノとか塾とか行かせてあげられないと、
もりちゃん
うん。
おざき
まあかわいそうとか、ちょっと極端だけどそういうようなことが、
うん。
まあなんかちょっとこう、なんていうか、まあどんくらいの割合かわかんないけど、
うん。
多分結構無視できないくらいの、
もりちゃん
うん。
おざき
勢力になっているような気がしており、
うんうん。
まあ俺ももちろん全然気持ちはわかるけど、
うんうん。
そういう人たちの。
だからなんかその水準、なんか優秀な子みたいなのに育てられないんだったら、
産まないほうがいい、あるいはまあ産まなくていいかなみたいな、
もりちゃん
へー。
おざき
感じに思ってる人が結構いいんじゃないかなとかと思ったりしますね。
もりちゃん
まあ、あ、それは人の子供について。
おざき
あ、いや、自分。
自分も。
もりちゃん
おー。
まあそうか。
おざき
なんかそれが、そう、責任とか、
ここを持つことに対するハードルの高さみたいな、
もりちゃん
うん。
おざき
のに繋がっている人は結構いるような気が、俺も含め。
もりちゃん
まあそうか。
うーん、そうね。
あー、なんか、まあ今、障害があることについてすごく考えていて、
おざき
はいはいはい。
もりちゃん
優秀であったり、
おざき
うん。
もりちゃん
マーチ異常があったか、
おざき
うんうんうんうん。
もりちゃん
まあ、なんだろう、確かに、
そうね、これ普通みたいなのの水準が上がっていて、
おざき
うんうんうんうん。
苦しい人たちは、
もりちゃん
を割とたくさん見てきているので、
おざき
おー。
もりちゃん
うーん、そうね、だって、小学校入って、
おざき
うん。
もりちゃん
もし、自分の子供が、
あなたのお子さんは、支援学級がいいと思いますよって言われて受け入れられるかね。
おざき
いやー、そうですねー。
もりちゃん
へー。
なんか、割とそういうご家庭と向き合ってきているんだけど、
おざき
うんうんうんうん。
もりちゃん
いや、これはその、じゃあみんな用水検査して障害のある子供なら産むなとかってことじゃないんだけど、
おざき
うんうんうんうん。
もりちゃん
だから、
あのー、
産むという気持ちと子供の未来
もりちゃん
まあみんな産むときは、障害がなかったらいい、優秀な子に育ってほしいという気持ちで、
あのー、産んで良いと思う。
というか、そうじゃんみんな。
おざき
うんうんうんうん。
もりちゃん
そんで、ただ、なんかあれーって、すごく絶望するときもあると思うんだけど、
おざき
うんうんうん。
まあ、そのときにはそのときで、なんかまた別の未来があるよっていう感じかな。
もりちゃん
うんうんうん。
だから、その、逆に、
なんか、そう、実際そうなったときに、
おざき
うん。
もりちゃん
例えば、その、思い描いてた町以上の四代に行って、
養生企業に入って、みたいな。
で、道に子が乗らないと思ったときに、その、
うん。
そうなったときに、
うん。
なんか、子が、お子さん、子供が、何とか頑張って塾に行かせたりするのが、
果たして子が幸せなのかってことだね。
おざき
うんうんうんうん。
もりちゃん
だから、そのときには、
あのー、その、子供を持つっていうことの条件が、
えっとー、子供を不幸にしない努力を最大限することだから、
おざき
うん。
もりちゃん
あそこに立ち会ったら、じゃあどう生きるのが子にとって一番幸せなのかっていうことを、
子供を持つ条件とは
もりちゃん
都度考えていく営みから、そういうことだね。
おざき
なるほどなるほど。
うん。
いやー、頑劇のある言葉ですね。
もりちゃん
まあでもなんか、今喋りながら、でもやっぱり結局私はそう支援する側にしか立ったことないから、
うん。
親の思う持ちがに、
うん。
ちょっとやっぱこう、視点がすぐずれちゃうな、支援者側に。
おざき
うーん。
もりちゃん
ただ、そうね、その子、今やってることは子にとって、子が幸せになることをやれてるのかなっていうことを、
都度考えていく。
おざき
うんうんうんうん。
もりちゃん
そうやって、そういうことができる人間でありたいと思いながら、こう埋めたら素敵やな。
おざき
なるほどね。
いやー、そうですよね。
もりちゃん
常に自分の常識を変えていく、そこに楽しみを見出せたらこそだって素敵だね。
おざき
そうだね。
なんか、いやこれちょっとうまく話せるかわかんないけど、
もりちゃん
うん。
おざき
なんていうのこの、生まれた瞬間からうちらこの資本主義とかさ、除列化されるのが当然の世界でずっと生きてきてるじゃん。
もりちゃん
うん。
おざき
で、その中で学校とかももちろんそうだし、大学も偏差値っていうもので除列化されてて、
できるだけ偏差値の高いところに入ると良いこと。
で、そうじゃないのは、まあなんていうか、努力とか、頭、自分の頭が足りないみたいな、良しとされないことなわけじゃん。
もりちゃん
うん。
おざき
で、それがずっときてて、だから大きい会社とか良い大学に入れたら嬉しいし、喜ばしいことで、そうじゃなかったらそうじゃないなりの人生になるというのがあって、
その、どっかで障害がありますとか、特別な配慮支援が必要な人間っていうことがわかった時点で、
その物差しにおける除列の高い方には、もうほぼ100%いけませんってことが確定しちゃった時に、
おざき
じゃあ、そうじゃない物差しの幸せに切り替えましょうってことができるってすごい、それはそれで豊かだなと思う。
そっちの方が豊かだと思うわけ。本来。
一つの物差しじゃなくて、なんていうかこう、もっと違う、昨日できなかったことが今日できるようになったとか、
もっとそういうミクロな、除列じゃない向上による幸せとか達成感みたいなもので、得られる幸福を探す人生というか、
その2つの物差しっていうか、そういう立場にある人じゃなくても、どっちとも持ってるっていうのはすごい重要なように思ったな、話し聞きながら。
二つの物差しの幸せ
もりちゃん
あー、そうね、2つの物差しか、確かに。
そうそうそう、なんか昨日できなかったことが今日できるようになるとかっていうので、
良かったね、すごいねっていう世界で、
っていう物差しはすごくね、ハピネスなんですよ。
ハピネスなんですよ、その世界にいるとき。
ただ、逃げられない資本主義の中にもいるから、
そうね、ダブルスタンダードなんだけど、2つの物差しを持ちながら、どっかで納得させてきているのかなと。
おざき
いや、そう、そうなんよ。
誰々君、東大・京大受かったのすごいねって。
本当にすごいしさ、尊いことだと思うのよ。
肯定されるべきことだし。
それを肯定することが、そこには絶対にたどり着けない特性を持っている人たちの存在を否定することになっちゃうのかもって、
たまに思ったりするんだけど、
それこそなんか、なんていうかな、そっちはそっちの物差しで、すごいんであって、
別に、あえてこういう言い方するけど、どの序列にいる人たちの中でも、
なんか別に昨日できなかったこと、今日、昨日よりもちょっと良くなったってのが、
どの立場の人でもあるわけだから、
そこはそこで、やっていける幸せがあるっていうか。
もりちゃん
そこに、そうね、どちらが優で劣でってことは、
優しいことは、つけ、なんて言ったらいいのかな、つけることに意味がないと思うな。
ただ意外と東大、京大とか行ってる人の方が、あれですよ、意外と就職活動難しかったり、
あ、そうなんですか。
そういう方多いです。
おざき
あ、そうなんですか。
あんまりそのサンプルを持っていなかった、俺は。
もりちゃん
ちょこちょこ聞きますね、意外と。
おざき
あ、そうなんだ。
もりちゃん
まあ、でもね、それは東大とかって言ったって、センサーいろいろいるでしょうから。
その中にも、なんかこう、就職したものの、あれ、なんかうまくいかないなということに気づく方もいらっしゃる。
なるほど。
そうだね。
おざき
はい。
もりちゃん
そうだな、なんか2本物差しがあるっていうの、なんかいいな。
いいな。
おざき
そこは矛盾しないということで。
まあまあ、この話の終着は、というのがあるので、子どもを持つということで、
狭い意味での幸せではなくて、もっと広義の意味での幸せを追求することは、どんな境遇でもできるはず。
もりちゃん
なので、そこまでこう、もちろん軽視しなくてもいいんですけど、軽視してはいけないんだけど、そこまで重く受け止める必要もないのではないかという話。
そうですね。
うん。
素敵だよ、子どもいる人生。
おざき
そんな感じです。
もりちゃん
はい。
いやー、ちょっとそうだな、親になって見て得られる哲学はちょっと魅力的だな。
うん、だよね。
うん、絶対あるもんな。
おざき
なんかそれ知らずに死ぬってちょっとなんかもったいない気がするわけよ。
もりちゃん
わー、ちょっとなんか覚えとこう。
どっかで、なんかそれを理由にしてそっち側に舵切る可能性出てきた。
おざき
マジか。
そう。
オーケー。
もりちゃん
はい。
おざき
さあ、ということで。
いやー、楽しかったな、今日。
やっぱあれだね、ちゃんと、ちゃんとこう、準備するといい収録ができますね。
もりちゃん
よかった、ありがとうございます。
おざき
いやー、とんでもない。
はい。
もりちゃん
考えよう、私も。
考えましょう。
漫画もノートと連動していけたらいいな。
うん。
おざき
みんな読んでね。
もりちゃん
ねー。
さて。
おざき
この番組では皆さんの感想・質問、私たちに話をしてほしいテーマを募集してます。
もりちゃん
はい。
おざき
番組概要欄にあるGoogleフォームから応募できるので、皆さんのご意見をぜひ送ってみてください。
もりちゃん
はい、ぜひこの子供のことについては、もっともっとご意見聞きたいです。
おざき
ちょうだーい。
もりちゃん
うん。
待ってまーす。
おざき
はーい。
もりちゃん
それではまた次回お会いしましょう。
おざき
森ちゃんと。
もりちゃん
尾崎でした。
おざき
ばいばーい。
ばいばーい。
54:25

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