00:08
おっすおっす、おはようございます。こんにちは、こんばんは。
こだまこまちプロジェクトではなく、
えーと、あれですね。
もう言い慣れてしまったとか、先に出てきてしまうんですけれどね。
里山をご案内させていただいております、もおちゃんでございます。
ぼくは普段、地球のお医者さんとして大地にお手入れをさせていただいたり、
それから自然栽培をしたり、
はたまた山のガイドをさせていただいたりということでね、
さまざまなことをさせていただいております。
薬膳を作ったりもします。
お、里山もおちゃんということでありがとうございます。
ゆっくりしていってください。
あ、ソラにゃんもこんにちはということでありがとうございます。
先日のオフ会メンバーが揃いましたね。
今、ワンちゃんが鳴いてますけど、大丈夫ですかね。
鳴き声がちょっと入っておりますけれども。
今ですね、家族はみんな家からちょっと出ていったので、
一人だけの空間、あとワンちゃんとの2人だけの空間ということでね、
今収録、ライブ配信にてさせていただいているというところです。
本題に入る前にですね、お知らせさせてください。
ソラにゃんもですね、この自分のご自身の名前の後ろに書かれていることですが、
11月27日木曜日13時からですね、
ソラにゃんとコラボレーションさせていただきます。
ソラにゃんのチャンネルで行いますので、
今のうちから猫たちと暮らす絵描きソラさんのチャンネルフォローをしておいてくださいね。
よろしくお願いします。
テーマはね、葉っぱのことということです。
よろしくお願いいたします。
さてさて、猫ちゃんの本日のインスタのリールはご覧いただくことはできておりますでしょうか?
ソラにゃんありがとうございます。よろしくお願いしますということでありがとうございます。
僕はですね、最近里山のこと、暮らしのことをね、
いろいろご紹介していけたらな、ご案内させていただけたらなと思って、
自然にまつわることをですね、ありとあらゆる手段を使って発信をしているところなんです。
大根の間引き作業
今日はですね、僕は大根の間引きという作業のことについて書かせていただきましたが、
僕はですね、できる限り説明チックにしたくなくて、
僕のエッセイですね、自然派エッセイをこうしたためさせていただき、
時にはちょっとポエムな感じになったりとかね、していきますけれども、
そんな説明、大根はこうやって育てるんです、みたいなことは他の人に譲って、
僕は僕の感性のままに発信をしていこうということになっております。
全然マーケティングができておりませんけどね。
佐藤さんありがとうございます。インスタの新しいアカウントでフォロー、いいねしました。
僕も後でフォローバックしていきますね。ありがとうございます。嬉しいです。
ということなんですが、昨日ですね、毛ちゃんお昼過ぎから山の方に上がって行ったんですね。
毛ちゃんに田んぼを貸してくださっている畑、田んぼの師匠がいます。
お山の師匠がおりまして、いろんなことを教えてくださるんですけれど、
その師匠がですね、とにかく忙しいと、本当に忙しいんだということで、
大根のお世話を手伝いに来てくれないかと言われておりました。
大根の世話をしに行くために山登るのかなんていうことを思ったんですけれど、
代わりにですね、代わりにと言ったらなんですけども、来年のお米のね、
種もみの準備とかを今しているんだということだったので、分かりました。
じゃあ大根代わりにやりましょうかということでですね、行かせていただきました。
大根のお世話っていうと、この時期何をするのかというとですね、
もちろんですね、もうボンと僕のですね、太ももと言ったら言い過ぎですけれども、
ふくらはびきぐらいの太さのある大根とかってもう市場にはどんどん出回ってきているところなんだけど、
大根のシーズンっていうのは本当にこれからなわけですね。
これからのその大根のシーズンに向けて何をするかというと、
大根のですね、葉っぱを取っていくっていう作業をするんですね。
根っこから引き抜いていくっていう作業をするんですね。
これ一体どういうことなのかっていうことをね、
まずじゃあこのラジオでは説明をさせていただけたらと思うんですね。
大根というのはすじ巻きという植え方が一般的なんですよ。
すじ巻きって何かっていうと、大根の種ってものすごくちっちゃいですよ。
あんなに太くてでっかい大根なのに最初の種って本当にもう点なんですよね。
この点みたいな種を一粒一粒ポットに植えていくとかね、
なんか点として植えていくっていうのは結構難しい大変な作業になりますので、
そういった細かい種はすじで線にして一直線にドワーッと巻いていくっていう方法が取られます。
そうするとその種を巻いたところがやがて緑の線ができるんですよ。
何かっていうと発芽して種からちょっと出てそこで葉っぱがワッと開いて、
この双葉が一直線にドワーッと並んでいくんですね。
しかしですね、これ種をちょっと厚く巻いてしまったところっていうのは、
同じようなところから2つも3つも葉っぱが出てきてしまいます。
これをずっとそのままにしておくと、
根っこの中で実が、大根って根菜なので根っこの方をいただくんですけど、僕たちは。
この白くなった大根のところの根っこがお互いに勝ち合っちゃって、
大きく大きく成長しなくなっちゃうんですよね。
これなのでここの10センチ、20センチに1個とか30センチに1個とかっていう間隔にどんどんしていくので、
元気のいいその芽だけを残して、
あとは20センチぐらいの間隔、25センチ、30センチの間隔で全部どんどん葉っぱを取っていくんです。
根っこごとゴッゴッゴッゴッと抜いていくんですね。
そうすると根っこの方がグワーッと育っていって、
そして大きな僕たちが見慣れている大根になっていくと。
これをしないと本当に大根ってちっちゃいんですよ。
本当に食べるところないんじゃないかっていうぐらい小さくできあがってしまうので、
この作業はものすごく大切で、
しかも今っていうタイミングがあるんだよね。
今じゃないとできない。
これ少し伸びてしまうと実が大きくならないだろうっていうこのタイミングがある。
早すぎたら早すぎたで、まだ育ちきってないからっていうことで枯れてしまうリスクもあるということがあって、
今っていうタイミングがある。
それが昨日だったんですよね。
どうでしょうか。
この大根の葉っぱを根っこごと取っていくっていう作業を間引きと言うんです。
間引きです。
江戸時代の背景
もうちゃんはですね、めちゃくちゃ歴史が大好きで、
深いところまで突っ込んで勉強をこれまでしてきたっていうことがあって、
特に歴史の表舞台には現れてない、
こぼれ落ちてしまっている教科書とか歴史的なことをね、
ひも解いていっても博物館とかでもこぼれ落ちてしまっているような、
そんな庶民の暮らしみたいなところにもすごく興味を持って突き進んで調べていってた、
学んでたっていうことがあったので、
僕はこのね、4年前初めてその大根を育てて間引くんだよって言われた時にギョッとしたんですね。
僕はね、間引きっていう言葉にいい印象を持ってなかったっていうことがありました。
それが今日の本題なんです。
大根の間引き作業から僕が連想したのは、というテーマなんですね。
今日は。
間引きっていう言葉って聞いたことありましたか?
これ大根の作業の上の間引きっていうのは、
毛ちゃんたちにとっては大根を大きく育てるために必要な営みとして残っているものです。
そしてこの間を抜いていく、
そして間を開けていくということなんですよね。
ここには大根が根っこの中で勝ち合っちゃうっていうようなところ、
プラスやっぱり地面に入っているこの栄養なね、
栄養をやっぱり一つの子にグッと集中して吸わせてあげたいっていうそんな思いがありますよね。
それがゆくゆく僕たちが食べられるぐらいの大きいおでんに入っている大根とかになっていくんですけど、
そもそもこの間引きという言葉は何だったのかというとですね、
これ江戸時代にまで遡っていくんですね。
今日はなんかちょっと勉強チックな話になるんですけどね。
それにありがとうございます。
果実とかそんなのでもそういうのしないと大きいのが作れないとかそういう知識です。
その通りですね。
これはもう選別、摘化という仕事なんですけど、
果物ではその果物の中で大きく育ちそうなものだけを残し、
綺麗そうなものとかを残すんですね。
傷がついてたりとか皮がちょっと汚かったりとかすると、
それだけで価値が落ちてしまうっていうのがね、
この果物業界の世界なので。
それ以外のものを取っていって、
一個に栄養がグッと入っていくっていうことをしていくんですね。
佐藤さんその通りです。
栄養の行き渡らせ方だよねということですね。
この栄養の行き渡らせ方ということがすごくキーワードになっていてですね、
この間引きという言葉がこの日本の中で初めて出てきたというか、
出てきて馴染みがあるような言葉になってきたっていうのは、
実は江戸時代の話なんですね。
この江戸時代に間引きっていうものが行われていくようになりました。
これはですね、大根の葉っぱを引っこ抜いていくとかっていうようなレベルじゃない話なんです。
ちょっと朝からですね、
気分が落ちてしまうような話に聞こえるかもしれませんけども、
僕たちはそういう歴史、そういうですね暮らしの上に成り立って、
今っていう穏やかな日々とか考え方倫理観というものが身についてきてるんだよっていう話です。
歴史との関連性
江戸時代何が起こってたかっていうと、
当時ね、基金というものがあったんですね。
つまりですね、これはお米が取れない、畑の作物が全然取れないっていうことですね。
江戸時代でですね、三大基金と言われているのがあって、
あの徳川義宗の時に行われていた教法の改革、
あの時代に起こった教法の大基金、
それからですね、天命の大基金、そして天保の大基金、
この3つのですね、基金というのが日本を襲いました。
あの時何が起こったのかっていうと、
例えば川がですね、大氾濫してしまって大洪水起こってしまったとか、
そういうことでもう水浸しになっちゃって、
作物が全部流れてしまったとかとか、
あとはね、やっぱり雨が逆に降らなかったとか、
いろんなことがあったと思うんですけども、
そういったいろんな意味があって、基金というのが原因があって、基金というのがありました。
その時に間引きというものが、この私たち一般民衆の中で行われてきたんですね。
特にこれは江戸時代の話ですので、
関東地方に多い栃木県とかもそうですし、
それから峠川って言ってたかな、その辺りですね。
その辺りの地域とかで起こってきたことなんですけど、
間引きの歴史と風習
子供、特にまだ物心ついていない赤ちゃんを、
命を奪っていくっていう、こういう風習がありました。
間引きっていうのはそういうものだったんですよね、当時ね。
これは限られた栄養ですよね。
僕たちがとっている限られたその食料っていうものが、
やっぱり赤ちゃんたちに食べさせているような、そんなものはないということで、
この口べらしっていう言葉がありますけど、
口の数を減らすためにですね、子供の命を奪っていったっていうことがありました。
このですね、絵っていうのは残っているんですね。
これはですね、いろんなお寺とか、
あと博物館とか民族的な資料館とかにも残っているんですけども、
これね、結構リアルな絵でですね、
お母さんが子供の赤ちゃんのですね、
本当にもうちっちゃな玉のようなサイズの赤ちゃんの首をぐっと締めているっていう、
この絵がですね、描かれた絵馬が至るところに出土しているというか残っているんですよね。
これをですね、まびき絵馬と言います。
絵馬と言えば、お寺とかね、神社とかで描いてお願い事するようなものだと思うんですけど、
そうじゃない、そんなサイズじゃない、ものすごく大きい木の板にそういう絵を描いたっていう絵馬があるんですね。
これがまびき絵馬というふうに言われています。
どういうものなのかっていうとですね、
言ったようにちっちゃい赤ちゃんが画面の中央にいまして、
そこをですね、女性の方が鉢巻きを締めてですね、
そして着物を着てその子を殺めているっていうその絵なんですね。
そしてその模様っていうのは、家の中でこうひっそりと行われていたんでしょうね。
障子なんかも全部締め切った状態で行われています。
そしてその障子にですね、そのお母さんの影が映っているんですけど、
そのお母さんの影っていうのには鬼の角が生えていると。
つまりそんな何でしょうかね、食糧ということをめぐって、
その自分の和楽を手にかけているっていうようなことが影になってですね、
その鬼の行走というような言葉がありますけど、
そんな感じでキーと映っているなんていう絵が結構各地で見つかっているんですね。
そして間引絵馬って1枚じゃなくていろんなとこであるので、
そのですね、僕が見た感じでは赤ちゃんのところからですね、
魂が抜けていくようなそういう描写などがあって、
こういう描写があるといろんなことがそこから読み取ることができますよね。
これを描いたっていうことは、
この間引きということの風習というものが現にここにあったんだということ、
そしてこれは今しめるべきものだったんだっていうことがね、
ここに含まれているように思いますね。
子供の命と社会的背景
佐藤さんちょっと外行くからまたねということでありがとうございます。
またよろしくお願いします。
後でインスタフォローバックしていきますね。
アイドネさんやっほー久しぶりですということでありがとうございます。
元気です元気も元気ですございます。
ありがとうございます。
アイドネさんも元気ですか?
嬉しいです。来てくださって。
おゆっくりしていってください。
今日はですね、大根のまびきという作業ありますよね。
あれから連想するものっていうことでね、
僕お話をしているんですけども、
江戸時代に起こった本当に起こってたまびきという話をね、
させていただいております。
これはまびきというのは赤ちゃんを謝るということであり、
くちべらしという意味があって、
それは戒められるべきものだと。
当時の政府はそんなまびきなんていうことはやめましょう
っていうことを言ってたんですよね。
特にですね、この0歳から7歳までの期間っていうのは、
これはですね、聖なる期間であって、
昔の日本ってただでさえ子どもたちがですね、
順調に生きていくことができるかどうかっていうのは、
この子ども時代に決まってしまっていて、
子ども時代で命を落としてしまう子たちって多かったんですよね。
それは栄養失調とかもそうですし、
今みたいに医療が盛んではなかった、進んでなかったんだよね。
江戸時代になってようやく卵学っていうものが入ってきて、
オランダからの医学を学んで、
それで過ぎた原爆たちが解体心象なんていうふうなことを
やってるような時代じゃないですか。
そんな時代だったのでね、
あんまり医療も発達してないよっていう前提があるということで、
ちっちゃい時に命がなくなってしまう子たちっていうのは、
すごく多かったっていうのが当時の時代です。
それが何歳ぐらいまでに決まるかっていうと、
7歳ぐらいなんですよね。
だから僕たちでいうと、
小学校に入学するかどうかっていうところなんです。
ここまでは神の領域ということで、
それの子が生きていけるのか、
逆にどこかで力尽きてしまうのか、
命尽き果ててしまうのかっていうのは、
神様に任されたっていうこの危機感があるんですよね。
そんなこともあって、
また倫理的におかしいでしょっていうこともあって、
政府とか社会一般ではこの間引きなんていうことは、
なってはならないことだよねっていうことは言われてた。
でも庶民も庶民でこの暮らしっていうものを、
なんとか自分たちが暮らしていくためには、
口を減らすしかないということで、
団長の思いっていうことでやります。
あ、ソラニャ素晴らしいです。その通りです。
七五三のお祝いとかそんなこともあるのかなって、
実はこれそうなんですよね。
この七五三っていうのはその都度その都度で、
その子の成長をお祝いしていくわけですけれども、
このなんで最後は7歳で終わるのかっていうと、
この場所部分が神の領域というふうに言われてきたからなんですよね。
素晴らしいですね。今から言おうと思ってたことを、
ソラニャが先にお話をしてくださいました。
そうなんですそうなんです。
で、いうことが僕の中にはあって、
そうだよ間引きっていうのは江戸時代に起こったあの風習だよねっていうことをね、
僕はねもうねパパパーンと思い浮かんじゃったんですよね。
大根間引きやるからね。
え、間引き?みたいなことをやってて。
だからね僕はそんなこともあって、
その大根、そこにあるのは言ってしまえばたかが葉っぱかもしれないんですよね。
そしてまだまだ生育の期間の浅い、
ちょっとした根っこしか持ってないような、
ちっちゃなちっちゃな葉っぱかもしれないんだけど、
それをね引っこ抜いていくっていうことに、
すごく僕は罪悪感を感じたんですよね。
愛の根さんどういうこと?神の領域っていうことはですね、
江戸時代の時とかってまだ医学が発達してない時だったから、
子供たちっていうのがですね、
生きるか死ぬかっていうことが分かんない時代だったわけですね。
安定して成長ができるかどうかっていうのは、
7歳ぐらいまでに決まるということで、
その時には生かされるもそうじゃないかとしても、
神の領文ということで、
子供たちを謝めたりすることはやっちゃいけないことだよっていうことをね、
それは人を謝めたりすることは絶対いけないんですけど、
そういう神聖な時期として言われてたっていう、
そういう民族学的な話です。
伝わりましたでしょうか。
けどそのところで間引きということが風習として行われていたんですと、
口減らしのために、食料のために、
子供を自らの手で謝める母親っていうのが結構の数いたんですよっていう話をさせていただいております。
大根の間引きとその影響
そういったことが連想してあったので、
大根の間引きっていうことは、
これ間引きなとかって言うんですけどね、
なっぱを間引いていく。
これはですね、僕たちにとってはすごくこう罪悪感を感じるものでした。
これ本当に連想されてしまったのでね、
いやーこれ抜いていいのかなって。
だって自然界のことでやってるのに、
人が人の都合でもっと大きくなってほしいからとか言ってですね、
そこで選別をするんですよね。
命の選別をするんですよね。
これを抜く、これは残すみたいなことを選別していくんですよね。
ここから先、もしかしたら大きくなっていくかもしれない、
そんなところまで抜くし、
あとは感覚をどうしても開けなきゃいけないから、
元気なのに抜くっていうこともしていくっていうことなんですよね。
口減らしっていうのは口を減らすっていうことです。
つまり食料を食べていく、口を減らしていくっていうことです。
命をそこで奪っていって、
それでそうすると、
例えばご飯じゃわん2杯しか今日はありませんって言ったときに、
そこに5人いると困るじゃないですか。
それを分けていくとお腹いっぱいならないっていうことで、
じゃあご飯じゃわん2杯しかないから、
じゃあ3人口減らししましょうかっていうことで、
あやめていくとかっていうことですね。
そっか、ありがとう、もちゃ先生ってことでありがとうございます。
こういうことがあったわけですね。
大根の間引きなんていうと、
もう本当にこれ抜いていいのかどうかっていうことを本当に思うんですけど、
やっぱりでもそうやって思えているうちっていうのが、
すごく大切な機関なのかなと思ったりもします。
やっぱりそんなこと言っても一つ一つ考えてもしょうがないから、
ゴソゴソ抜いていくっていう現場って本当によくあって、
でもそんなこと考えてたら農業の現場ってやっていけないからね。
やるんですけども。
けどこれはですね、実は農家さんであっても、
これは落農家とかそういう畜産業ですね、
お肉に携わる人でない人たち、
この植物に携わる人たちであってもですね、
この命にすごく関わっていくっていうタイミング、
瞬間っていうのがあるんですよね。
スーパーに並んでいるこの大根とかっていうのは、
この間引きとかに耐え抜いた子たちだったりとか、
命の選別をくぐり抜けてきたような子たちっていう感じなんですよね。
愛の根さん、優しいもんちゃんありがとうございます。
私はぴゅって抜けるかも。
いいんですよ、いいんですよ、いいんですよ、全然。
それが悪いことではなく、むしろこのたくさんの作物を作っていく上では、
すごく大切なことだと思うんですよ。
僕は当初すごくそれが手が震えながらやったっていう記憶があります。
本当にこれ4年前に初めてやったことなんですね。
こんなにもいっぱい種をまいたのに、できる大根ってこんなに本数少なくなるんだって。
大根の間引きと栄養
多分2000も3000も種をまいたのに、
なんですかね、できていく大根っていうのは多分100とか200とか300。
本当は本当に筋巻きじゃなくてポンポンポンポン巻いてって、
初めから感覚が空いてればいいんですけども、
種が小さいってことは何を意味するのかっていうと、
それってそこに含まれている栄養素が初めから少ないってことなんですよ。
大根は発芽率がすごく大きいので、目が出る可能性はものすごく高いです。
高いんですけど、その小さいところから成長ができるかいないかっていうのは、
この種の養分はもう使うことができないので、
なので広げた葉っぱにどれだけ光が当たるかっていうところでかけていくしかないっていうことなんですよね。
だからそこでちょっとでもかけたりとかしてると、
その葉っぱはもうしおれていってしまうし、
っていうようなことがあって結構厳しい世界ではあります。
なのでどうしても筋巻きをしていって確実にっていうことになっていくんですけれども。
まあね、何とも言えないですね。
アイノレさんありがとうございます。
そうなんだ、優しい人ですね。
育児がないだけかもしれませんけどもね。
本当にそんなことを思います。
はい。
そうですね。
はい。
そんなことがあってですね。
大根のまびきっていうのを結構感傷に浸りながらですね、やるわけですね。
ただね、この大根のまびき菜っていうのは、
その時にしかですね、いただくことができないようなご馳走でもあるということは伝えておきたいと思いますね。
この大根のまびき菜、抜いたらですよ。
抜いてしまったらもう栄養をですね、土から取り入れることができなくなってしまうのでね。
できなくなってしまうので、枯れてしまったりとか悪くなってしまうのも早いんですけれども、
その大根のまびき菜っていうのは、ご飯に混ぜて炊いたりとかしてすごくそれがおいしかったり、
あと大根菜のお浸しとかそういうものとか炒め物とかそういうことにもできてって、
すごくね、栄養満点でおいしいものなのですよ。
だからそれっていうのはすごくこう、なんていうかですね、
小さいうちだからこそ、若いうちだからこそ、もうたくさんのものをやっている。
まだ根っこの方に栄養を集めていないような状態の、
すごく葉っぱにすべての命の生命エネルギーが集まっているっていうようなのを、
僕たちは食べることができると、いただくことができるということでね。
それはそれで、僕たちは大切に使っていきたい食材になりますので、
引っこ抜いたですね、そのまびき菜をポンとその辺にして大地に返すっていうことも一つの選択肢だし、
あとは引っこ抜いたものをまた僕たちがいただくっていうことも一つだし、
間違ってもそれをですね、焼却炉とかにですね、ゴミ箱、ゴミ袋に入れて、
それでゴミとしてポンと出すとか、そういうことではなくて大地に返すとか、
それから僕たちがいただいて自分たちの命の源にしていくとか、
なんかそんなようなことが大切なんだろうなっていうのをね、ちょっと感じたところでございます。
命の大切さと自然との関わり
ありがとうございます。若い葉っぱ元気いっぱいでしたね。
ということでね、見ていただいてありがとうございます。
そうなんですよ、本当にアオアオしているんですよね。
そしてまだ虫に食われたりとかもない。
虫に食われるっていうのはどういうことかっていうと、
元気がないから食われていくっていう解釈を僕はしていきます。
虫たちもですね、この世界のお掃除屋さんをしてくれているのでね、
なので元気がなかったり弱っている葉っぱはどんどん食われていきます。
でも元気がある、もう生命エネルギーに溢れている緑、アオアオした葉っぱっていうのは、
虫たちが食べることができないぐらい細胞ががっちりしているんですよね。
そんなものを人はいただくことができるということだから、
やっぱり虫には食べることができないものっていうものを、
僕たちは口に入れることができるということですね。
はい、ということでいかがだったでしょうか。
今日は大根の間引き作業から僕が連想したのはという、
そんなテーマでお話をさせていただきました。
本当に江戸時代の間引きというところを僕は連想してしまったんですけれども、
そういったことがあって倫理観的にそんなのは間違ってるよね、
おかしいよねっていうことの上に僕たちは成り立っているということを思うとですね、
そんなような暮らしがあった、文化があった、風習があったっていうことは、
語り継いでいきたいものであるし、やっぱり間引きというこの大根の作業を一つ取ってもですね、
どんなに小さいものでも五分の魂みたいなね、
一寸の虫にも五分の魂みたいなそんな話がありますけど、
本当に一つ一つの命を大切にしていきたいなと思っております。
僕はこれからですね、春菊を植えに行きます。
昨日ですね、その大根を植えた、植えたじゃない、間引きをお手伝いさせていただいた、
そのお礼にですね春菊の苗も大量にいただいたので、
今からですね春菊を畑に植えに行っていきたいと思います。
ということでありがとうございました。
今日コメントをくださったのはソラニャンとアイドネさんと、それから佐藤さんでございました。
最後まで聞いてくださったあなたも本当に本当にありがとうございました。
お相手は里山暮らしをご案内しているもうちゃんでございました。
またお会いできることを楽しみにしております。
今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ。
ソラニャンこちらこそありがとうございました。
あなたとあなたの大切な人に森の精錬のご加護が訪れますように。