ライブ配信の始まり
おすおす、おはようございます。
こんにちは、こんばんは。
こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
3日ぶりのライブ配信となりました。
いかがお過ごしでしょうか。
今日、僕はですね、今お仕事も終わって、
いろいろな用事が終わりました。
なかなか、長かったね、ここまでね。
用事が全部終わるまで長かったなと思ってます。
あ、そらにゃんこんにちは。
ゆっくりしていってください。
いつもありがとうございます。
はーい、うれしいです。
今日はですね、ほんとに、
今、雨がちょうど降ってきたんですけども、
降ってくる前に、さまざまな用事を終わらせることができました。
昨日ですね、掘りたてのらっきょうが、
なんと7キロぐらいあってですね、
今、そのらっきょうの処理っていうんですかね。
処理っていうか、らっきょうでそのまま食べるっていうか、
漬け込むんですよね、らっきょう酢に。
お酢とお砂糖とか、いろんなものを混ぜたものの中に
漬っ込むんですけれど、
そのためにはですね、らっきょうをしっかりと洗わなきゃいけないっていう、
そういった作業をさせていただいている、
さなか、このライブ配信を撮らせていただいております。
愛のテーマ
あ、りらさんこんにちは。
ゆっくりしていってください。
もーちゃん、風邪ひいた?ということですけども、
あの、僕これ、あれですか、風邪ひいてます?
なんか、そんな感じがします。
すいません、あ、りらさんでしたね。
すいません、そらさんって見えてたけど、
りらさんでした、失礼しました。
今日は背景がちょっと見にくくて、申し訳ありませんでした。
ちょっとね、もしかしたら鼻声に聞こえるかもしれませんね。
アレルギーが少しありましてね。
まあまあまあまあ、よしとしてくださいよ。
ということでですね、
今日は、嵐が去ってまた花がこぼれるようにというね、
お話をさせていただけたらなと思っております。
で、今日の話はですね、
まあ、どんな話になるのかな。
うーん、ちょっともう話しながら考えたいなと思うんですけれども、
多くの方に聞いてほしいなと思いますね。
で、あとは、よくね、スタンドFMでも取り上げられるようなテーマではあるかもしれませんが、
愛って何なのかなとかさ、
自分が愛を伝えることができているのかなとか、
愛をもって過ごすとか、暮らすとか、
そんなことがどうやってできているのかなということがね、
話せたらいいななんて思っているんですね。
ということで始めていきたいなと思います。
この番組はですね、
今月は色鉛筆画家の松梨花さんを応援させていただいております。
松梨花さんのポストカードブック、
松梨花の彩りがですね、
今公表予約受付中ということで、
もうちゃんのところにももうすぐ届くというところになっております。
予約は終わったのかな。
というところでですね、
もしよろしければ松梨花さんのこと、
番組の概要欄に載せておきますので、
見に行っていただけたらなと思っております。
よろしくお願いいたします。
あ、りらさん、30年ぶりに旧友が家に突然来てさ、
嬉しかった。
それは良かったですね。
嬉しいですね。
30年ぶりっていうのは、
ものすごい月日の流れですね。
この不思議なことに会えない期間も、
なんか育まれていくものってありますよね。
さっき、
その方にもりらさんの風が吹いたんでしょうかね。
風が運んできてくれたというか、
そんなご縁があったんでしょうね。
物に向けられる愛
教えてくれてありがとうございます。
今日はですね、
このスタンドFMのサムネイルっていうんでしょうかね。
この表紙のところに、
スギというキャラクターをね、
使ってるんですね。
このスギちゃんはですね、
ちょっと浮かない顔をしているんですよ。
この浮かない顔をしているスギちゃんのことを、
お客様方が見るとですね、
なんだかほっとけない気分になるのかですね。
この子が一番好きっておっしゃるんですね。
東京でビッグサイトというところで行われた
デザインフェスタっていうですね、
イベントがあって、
もーちゃんたち、
こだまこまちプロジェクトは
そこに出展をしたことがあったんですね。
そしたらですね、
このね、
こだまこまちプロジェクトの中で、
このスギのイラスト、
それから写真、
複製画、
これがですね、
ほんとにね、
売れたんですよね。
なんでこのスギが人気があるのかなーって、
ずっと考えてたんですよ。
それから、
あと、
まあね、
この中で誰か気になるものありますか?
って聞いた時に、
やっぱり商品を買う買わないにせよ、
このスギっていうことを言うんですね。
しかもやっぱりね、
男性の方が特に多かったりするんですけども、
女性の方でもですね、
このスギちゃんをほっとけないなーって、
思われる方が結構いらっしゃるようでですね、
嬉しいなと思っておりました。
なぜ僕たちはこの憂いを浮かべた、
憂いを含んだですね、
そんな表情に惹かれていくのだろうか、
なんていうことをね、
今日は皮切りにお話をしてみたいな、
と思っているんですね。
今日ね、
なんか思ったんですけど、
この愛をさ、伝えるとかさ、
愛するっていうことを、
人に向けて語る、
人って人をどう愛していくのか、
ってことを語る人っていうのは、
ものすごく多いなーって思うんですよ。
多いですよね。
スタイフとか聞いていても、
多いと思うし、
YouTubeとか見ていたりとかしても、
すごく多いと思うし、
それだけこの愛ということについて、
何やらそうですね、
思い悩んでいる方って、
多いんだろうなーと思うんですよね。
その愛って向けられる矛先っていうか、
愛が向けられる先っていうのは、
人だけなのかなーっていうことを、
ふと思ったんですね。
人だけなのかなーと思うと、
いやーそうではないよなーと思うんですね。
例えば、もーちゃんの今周りにはですね、
猫がめちゃくちゃいるんですけども、
囲まれたなー。
そんな猫ちゃんたちがですよ、
可愛く泣いてくれたりとか、
もくとことを癒してくれたりとかします。
そうすると、
なんだかね、
あ、いたいた。
なんか走ってますね、猫ちゃんがね。
なんか愛らしいなーって思ってね、
愛苦しいなーって思って、
愛は苦しいんですね。
愛苦しいって。
なんかそんな風に思ったりもする。
それから、ふと思えばですよ、
猫とか犬とか、
自分の飼っている動物たちだけではなくて、
自分が育てている花とか植物とか、
自分の近くにある木とか、
そういうものにもさ、
この愛っていうものを向けたりもしていくじゃないですか。
ともすればですよ、
生きているのかいないのかっていうのは、
その人によるのかもしれませんけれども、
人形、ぬいぐるみ、
これもなんかすごく可愛いなーって思って、
もう愛が止まらないとかさ、
あと物ですよね、
本当にこの純粋なる物、
時計とかさ、
あと食器、
お茶碗とかさ、
お箸とかさ、
あとその中に込められている、
片身ですよね、
その生前のその人の記憶とか思い出が
こもっているものであれば、
なおのことやはり、
すごくこのものが大事だなーって思うところから、
何やら、
愛というものがあふれてくるような気が、
モウちゃんはするんですね。
このキャラクターたちもですね、
また同じようなことが言えてですね、
なんだかほっとけないとか、
なんだか自分のことのように考えてしまうとか、
感情移入をしてしまうとか、
そういうことがあって、
多くの方に愛される、
そんなキャラクターになっていく。
すると、
そのキャラクターたちが、
なんか動き出すような気がするんですね。
その人の中で息づく、
動き出す、
大切なものになっていくというものは、
もちろんのことですね。
その愛というものが、
なんか広がっていく、
深まっていく、
他の人にも映っていくような気がしておりまして、
このこだまこまちプロジェクトっていうのは、
キャラクターというものから通してですね、
キャラクターで一つで押しのき、
好きなキャラクターを見つけていただくっていうところが、
入り口で構わないから、
そこから自然とか、
木とか、
自分の身の回りの植物たちに、
愛情を向けていくことができればなと思っているんですね。
かなり回りくどい話になってきておりますけれども、
その中で、
もうちょっと思ってたことがありまして、
物に向けられる愛っていうものがあるんだよっていうことです。
それは大切な人が使っていたものかもしれないし、
ふとした瞬間に目の中に飛び込んできた文化的な作品、
芸術作品かもしれないし、
絵かもしれないしね、
本かもしれないし、
悲しみの感情
なんかそういうものが自分の中にふと浮かぶことがあるんですよね。
そういう時って、
いつだって、
おそらくですよ。
いつだって、
なんか自分の中にある、
なんかこう、
あの時つらかったなとか、
あの時もっとわかってほしかったんだよ、
寂しかったんだよっていうことだとか、
あの人がいてくれたことが、
自分の中に残っているんだけど、
でもその人が今はいないという、
なんかこの、
会いたいけど会えないというこのもどかしさだったりとか、
漢字の深い意味
そういうものが自分の中にあって、
そしてその思いっていうものが、
様々なこの芸術作品をはじめとして、
ものを見るにつけてですね、
呼び起こされていくものなのかなって思うんですよ。
なんかさ、
ふとした瞬間に目に飛び込んできたそのお箸がさ、
その自分が大事な人が使っていた、
愛用していたお箸に見ていたそれだけで、
その目の前のお箸っていうものは、
なんか自分にとって、
大事なもののように思えてくる、
なんていう不思議なことが起こりませんか。
僕はそう思うんですよ。
でね、その時に、
いつも自分の中に移り変わるのは、
移るのはさ、
お、ナオミさんお久しぶりです。
もーちゃんやっほやっほということでありがとうございます。
ナオミさんの放送めっちゃいいですね。
毎日のようにあれから聞かせていただいております。
ありがとうございます。
ゆっくりしていってください。
その中で、
この自分の中にさ、
いわゆる悲しいという、
悲しみっていう感情がふと浮かぶんですよね。
このさ、悲しみっていうのは、
実は様々な表し方、書き表し方がある。
僕は今日はこれを伝えたいんですね。
悲しいっていう言葉がある。
この悲しいということの漢字っていうのは、
あのさ、非常の日に、非常口の日に心って書いて、
悲しいって書くじゃないですか。
あとはさ、哀れむっていう字を書いて、
悲しいって書くじゃないですか。
この2つの漢字でも、
大きな意味の違いが実はあるんですよね。
あの哀れむっていう方の漢字の方が、
下に心がついている非常の日の悲しいよりも、
実はぐっと深みがある、
そんな意味になっているんですね。
心が下についている非常の日の漢字にはですね、
単なる悲しいな、寂しいなっていう涙が出ちゃう、
みたいなそういうことが起こるんですけど、
哀れむっていうことになると、
相手向けていく悲しみになっていくんですね。
哀れむっていうのは、
自分自身ではなく人に向けられるっていうことなんですね。
だからこの哀れむを使う悲しみっていうのは、
相手のことをなんか思うと、
自分のことのように思えてしまって、
なんか悲しいみたいな、
そういうことになっていく。
名探偵コナンのハイバラアイちゃんはさ、
愛っていう字がこの哀れむっていう字だったと思うんですけど、
この愛っていう字には、
そういう相手への哀れみ、悲しみっていうものを、
自分のことのように引き受けて、
感じてしまいますっていうような意味合いがこもっている。
ここからなんですけど、
さらにこの悲しいっていう字には、
二つの字があるんですよ。
この二つの字をぜひ、
今日はですね、紹介したいなと思ったんです。
一つはですね、
これね、
愛って書いて、
悲しいって読むんですよ。
愛で、
あと送り仮名でしみと書いて、
悲しみって読むんですよね。
ちょっとコメント欄に書いてみましょうかね。
愛でしみ、
これで悲しみって読むんですよ。
このさ、
愛っていう字が持っている意味って、
ものすごい深いと思いません?
愛情って、
ただ好き好きっていうことではなく、
相手への何でかこの、
あーつらかったねーとかさ、
あー大変だったねーとかさ、
なんかそういう、
なんかすごく情緒的なことなんで、
なんかね、あれなんですけど、
愛と美の関係
ふともすれば、
ネガティブにも受け取ってしまうような、
そういうような気持ちがありますよね。
あ、ナオミさん、
慈しみだと思ってた。
そうなんですよ。
僕もこれ慈しみだと思ったんだけど、
これで悲しみって読むんですよ。
これ本当にそうなんですよね。
日本語ってすごい妙技だなと思います。
本当にすごい噂がここに入ってんだなー
なんて思うんですよね。
その相手が叱ってきた、
ほんと様々なきついなーっていう、
厳しかったなーっていう、
その思いも全部含めて、
まるっと包み込んでいくのが、
この愛なのかなーと、
もーちゃんは思うしね。
それからやっぱり今さ、
毎朝さ、
アンパンっていう連続テレビドラマ小説、
やってるじゃないですか。
あれ舞台が高知県なので、
もーちゃん毎日見てるんですけどもね。
今そのアンパンはさ、
柳瀬孝一先生、
アンパンマンの作者は、
とにかく戦争の時代を生き抜いた方なんですよね。
その中で出会いもあったし、
別れもあったし、
本当は別れなくてもよかったような、
そんな別れもあったし、
そういうさ、
さまざまななんだろうね、
積了の念っていうんですかね。
もう寂しい、
別れた、
別れの寂しさっていうものを、
たくさんたくさん味わってきて、
そして、
あのアンパンマンというものが生まれた。
この、
愛と勇気だけが友達のね、
アンパンマンですけども、
その愛と勇気っていうのはさ、
このたくさんの悲しみを、
まあ乗り越えてきたからこそ、
生まれたものなんだろうな、
なんていうことを思うわけです。
あー、
ナオミさん深いね。
深いですよね。
これねー。
ねー。
そうなんですよ。
だからさ、
この悲しさっていうものを、
経験した人っていうのは、
なんか、
もーちゃんが言うとさ、
なんだろうね、
薄っぺらくなってしまうような気がするというか、
言葉にすると、
薄くなってしまうような気がする。
心で捉えていただけたらなと思うんですけど、
悲しみをいっぱい味わった人っていうのは、
愛が深くなれる人なんですよね。
それをすごく思う。
だから思い悩んだ経験がいっぱいあるとかさ、
そういうのがいっぱいあればあるほど、
きっと、
愛が深くなって、
その人は幸せを、
もっともっと感じる、
かみしめることができるんじゃないかなって思います。
はい。
あとね、
もう一つ悲しみっていう言葉があるんですよ。
この漢字、
当てるんですよね。
当てるというか、
そういう読ませる悲しみがあるんですよ。
はい。
どういう字かって言うとですね、
これなんですよね。
美しいと書いて、
悲しみって読むんですよ。
愛がさ、
本当に相手に思いを馳せて、
相手の悲しみも自分のことのように、
本当に深く深く感じて、
それでもなお、
相手のことを、
相手の存在を、
君はいていいんだよって言えた時に、
きっとそれは、
愛になる。
愛の悲しみになる。
そしてその悲しみが、
相手の存在を、
愛の悲しみになる。
そしてその、
やっぱりね、
楽譚に楽譚を重ねた、
もうあの人に会うことはできないっていう、
そういう思いだったりとか、
ものを見るとさ、
あの人のことをついつい思い出してしまう、
みたいなその悲しみだとかさ、
そういうものは全部この愛に変わる。
そしてこの愛を見出した時に、
美しさっていうものを感じることができるんですね。
美しいっていうのは、
すごく抽象的な形容詞だなって、
もーちゃんは思うんですけどもね。
この美しいっていうのはさ、
なんか心が震えるような感じが、
もーちゃんはするんだよね。
ここで、
だから何だろうね、
ものに行くんですよ。
ものしか、
僕たちに伝えてくれないものって、
きっとあるんですよね。
目に見えないものが大切、
もちろんそりゃそうだ。
あと人が大事、
もちろんそりゃそうなんですけど、
そのものをよくよく見た時、
見るっていうのもたくさんの字がありますけどもね、
その目に見えるものっていうものは、
ただのカバーであり柄ですよね。
だけどその目に見えるもののその先にも、
やっぱり何かこの美しさを見出すっていうことがあるんですね。
それっていうのはきっと、
愛とか悲しみっていうものを、
すごく受け取って感じた時なのかな、
なんて思ったりもします。
伝統工芸品だとかさ、
あと遺跡から発掘されてくる、
さまざまな品ってあるじゃないですか。
はい、ありがとうございます。
なんていうか、
人生の悲しみと美しさ
その伝統工芸品みたいなものとかは、
皆さんなんかこう、
手から手へとどんどん渡ってくるものだと思いますよね。
つまりそこにはかつて使っていた人がいて、
その人の暮らしがあって、
みたいなことを思うんですよね。
そうするとさ、
なんだろうね、
その昔の先人たちが使っていた、
茶碗だったり壺だったり、
そういうところの奥、
そこには何か悲しみめいたものを感じることがあってさ、
その人がいろんなものを人生の中で味わってきたんだろうな、
っていうことがあってさ、
そして美しさを見出すような感じかな、
なんて思いますね。
ありがとうございます。
リラさんは遺跡発掘現場に勤めてたんですが、
土器とかヤジとか骨とかね、
この土器とかヤジとか骨とか、
もーちゃんはこの辺は本当に
よだれが出るほど大好きな分野なんですけれども、
この土器とかヤジとか骨とかっていうのは、
今は亡き人たちが使ったその記憶とか思いというものが、
そこに含まれてますよね。
ナオミさん思いを馳せるっていうことなんだと思うんですよね。
その対象っていうのはさ、
きっと人とか動物とか植物とか、
それだけではない場所だけでも、
あとは場所とかもあるかもしれないし、
ものとかっていうのもあるかもしれないよね、
なんていうことを思うんですよね。
今日はね、タイトルに
嵐が去ってまた花が零れるようにっていう話を、
タイトルをつけたんですけど、
嵐ってさ、人生においての嵐って本当にいろいろあってさ、
僕、人生の話をし始めちゃうと抽象的になり始めちゃうので、
今は置いとこうかなと思ってるんですけども、
自然界の中で嵐とか火事とか、
土砂が崩れることとかっていうのは、
新たな命とか芽吹きの再生のための、
大事な営みだったりもするんですよね。
こういうのを自然界では拡乱って言うんですね。
拡乱って言って、嵐があると太い木が折れたりとかですよ。
これまで生えていた草花たちが全部折れたりとかするんだけども、
それによって次にチャンスが巡ってくる人たちがいるとか、
草たちがあるということがあってさ、
そういったことがきっと僕たちの心の中にもあるんじゃないかなって思いました。
なので、この悲しみっていうことをね、
今日はテーマにしてちょっとお話をさせていただいたんですけれども、
きっと僕たちはそこから美しさまで見出すことがきっとできるんだろうなって思うんですよね。
そしてそれは何も人とか見えないものだけではなくて、
この目に見えるものというところからね、
もう見ることができるんだろうなと思っております。
もう何の話をしたのかちょっと今日も分からなかったですけども、
でも結構この話は大事なことかなと思ったのでさせていただきました。
物に込められた思い
いかがだったでしょうか。
最後まで聞いてくださったあなた、ぜひいいねやフォローで足跡を残していってくださいね。
今日ね、本当に伝えたかったことって何だったのかなっていうと、
多分この悲しみっていう字はいろいろあるよっていうことだったんですよね。
僕が今やっているこのこだまこまちプロジェクトのキャラクターっていうのはさ、
キャラクターって生み出したキャラクターとしてあるんだけど、
でもキャラクターが育っていくのにはですね、
やっぱりね多くの人に愛されていくことが欠かせないんですよね。
このキャラクター好きだよって皆さんに磨かれて磨かれて、
そしてそのキャラクターが育っていくっていうことがあってさ。
だからモーちゃんは今物を作るっていうことをしています。
イラストを作るとか物語を作るとかさ、
あとグッズを作るとかさ、
あとモーちゃんはナイフを持って今食器を作るっていうことに
いろいろチャレンジをしているんですね。
その食器を作るって結構僕やりたいことでさ、
スプーンを作る、お箸を作る、お皿を作る、
あと一番やりたいのは調理器具を作る。
木のヘラ、木べら、スパチュラっていうんでしたっけね。
なんか混ぜるやつとかさ、そういうのを作る。
しゃもじを作る。これねやりたくってね。
ここのやっぱり物の中に込められていくっていうものはきっとあるだろうし、
そのものを透かして見たときに、
これを作ったモーちゃんのことまできっと見てくれる人がいるんじゃないかなって思うと、
なんだかくすぐったい気持ちにもなるんですけど、
そういう世の中だといいなと思います。
だからね、今アンパンでも話があるけど、戦争の話なんですけど、
とにかく戦争というものは物を壊すということですね。
戦争から物が生まれることはない。
物はずっと壊され続けるっていう、
本当にその道しか歩むことができないんですよ。
しかしながら僕たちはその歴史があったからこそ、
物の大事さ、大切さっていうことがわかる。
この間漫画かアニメか見たときに、
どうしても遺跡が戦場になったときに爆破スイッチを押すことができないって言って、
すごくためらってしまって、
そして味方兵隊たちを何人も怪我を負わせてしまった、死なせてしまった、
なんていうエピソードを見ちゃったんですけれども、
それってその遺跡を見たときに、
どうしてもその遺跡を壊すような爆破スイッチを押すことができなかったっていう、
その遺跡そのものに、
物ってちっちゃいものだけじゃなくて、
その場所そのものに、
愛、悲しみ、慈しみ、
そういったものを感じたんじゃないかなって思うんですよね。
ありがとうございました。
ということでお時間をいただきありがとうございました。
今、高知県で大絶賛放送中の、
舞台になって放送中のこのアンパン是非ご覧いただけたら嬉しいなと思います。
今回から福岡の小倉の方にですね、
舞台が移動してしまったんですけれども、
明後日からまた始まりますね。
ということでお時間をいただきありがとうございました。
お相手は、こだまこまちプロジェクトのもうちゃんでございました。
またお会いできることを楽しみにしております。
今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ。
今日コメント送らさったのは、
ナオミさんとリラさんでした。
そして最後まで聞いてくださった皆様も本当にありがとうございました。
またお会いできることを楽しみにしております。
またねー。
あなたとあなたの大切な人に森の精霊の子学校が訪れますように。