1. いとうゆうこの楽しく起業🌟お仕事ラジオ
  2. 緑野カエルさんとのんびりコラ..
2025-03-06 1:20:44

緑野カエルさんとのんびりコラボライブ☕️

緑野カエルさんチャンネルはこちら💁‍♀️
https://stand.fm/channels/6385719b82838c6aa3acafdb

要約(AIより)
この会話は、緑野カエルさんとのコラボライブの記録です。カエルさんはオーストラリア在住のアーティストで、27年間の海外生活を経て、日本とオーストラリアを行き来しながら活動しています。美容師として45年間のキャリアを持ち、最近美容師業を卒業し、アーティスト活動に専念する決断をしました。会話では、カエルさんの美容師としての経験、アート活動への転身、そして人生哲学について深く語られました。特に、技術職としての誇りや、人生の転機、そして新たな挑戦への意欲が話されました。カエルさんは、世界的なアーティストになることを目指し、和紙という日本の伝統工芸を使った作品制作を続ける意向を示しています。

チャプター
オーストラリアでの生活と活動について
アート活動のきっかけ、片岡鶴太郎さん
力を抜く?頑張る?(ゆうこ泣きタイム)
日本を離れる覚悟
愛しの旦那様
これからは何やる?
選んだお客様はどんな人かというと、、、
死ぬまで美容師
脱毛症のお客様のお話(ゆうこ泣きタイム)

#コラボライブ #コラボ #緑野カエル
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サマリー

緑野カエルさんとのコラボライブでは、彼女の和紙アートとその活動について語られています。過去の経験や思い出を通じて、カエルさんがいかにアートに向き合ってきたのかが述べられ、視聴者との交流も楽しむ内容になっています。このエピソードでは、人生における自己の道しるべや挑戦についても語られています。また、美容師としてのキャリアと和紙アートの創作との関係が深く考察され、自分らしく生きることの大切さがリスナーへのメッセージとして強調されています。ポッドキャストでは、移住や新しい人生を迎える覚悟に触れつつ、和紙アートの重要性やその文化を広める目標についても語られています。そして、苦悩や成功を通じて他者との関わりを深める美容師としての経験がシェアされています。このエピソードでは、宮城県仙台市や八戸の地名を交えながら、彼の美容師としての経験やお客様との関係性が述べられています。特に、身体的な限界を感じつつも、アート作品の制作を通じて美容師としての感覚を失わずに生きていく決意が示されています。また、美容師としてのキャリアや人生の経験についても語り合っています。特に、美容師の技術や経験がどのように自己価値や生きがいに繋がるか、異なる文化での美容師としての挑戦と成長に焦点が当てられています。コラボライブでは、ウィッグの重要性や美容師との心のつながりについても言及され、自己受容や美しさの意味について考察されています。

コラボライブの開始
こんにちは、いとうゆうこです。
今日はですね、久しぶりにコラボライブということで、
私の大好きな緑野カエルさんをゲストにお迎えして、のんびりコラボライブしようかなと思ってます。
皆さん、緑野カエルさんってご存知ですか?
ぜひね、今日いらっしゃったら一緒にお話ししますのでね。
やっほー!いらっしゃいましたので、お迎えしようと思います。
ちょっと、どうやってやるんだ?これだな。
こんにちは。
こんにちは、カエルさん。
お疲れ様です。
はい、こんにちは。なんか今日は嬉しいです、呼んでもらって。
嬉しいですよ、こちらこそ。ありがとうございます。
和紙アートの魅力
はい。
いつ日本から戻られたんですか?
えっとね、もう1週間ぐらいになるかな、ちょうど。
あ、もう1週間以上か。火曜日に乗って、水曜日の夕方ついてるので、ちょうど1週間ぐらいかな。
今日何曜日?木曜か。1週間ぐらいです。
結構、なんか飛び回ってるイメージですけど、なんかどうですか?疲れないの?
いや、疲れますよ。
疲れる、疲れる。
でも、あれですね、そうだね、なんかね、だんだん慣れてきちゃったよ。
すごい。
いつ、もうだいたい年間、どれぐらい飛び回ってるんですか?
いや、ゆう子ちゃん、私は、このオーストラリアに来て27年間、最初の10年は本当にどこも行かなくて、ここでじっとしてたし、
あと、それからは、2年に1回ぐらいかな、それぐらい帰るようになって、日本に行くようになって、
あと、それからは、結構ちょっとちょこちょこ海外、スペインとかニューヨークとか行きましたけど、
でも、この2年ぐらいですよ、日本とこんなに行ったり来たりしてるのは。
そうなんだ。
ちょこちょこ2年で、なんか行きかけするようになった、なんかきっかけとかってあったんですか?
きっかけは、もう和紙アートですね。
そうなんだ。
もう、和紙アートを、やっぱり真剣に世界に広めようと思ったぐらいからですよね。
あの頃そこまで思ってなかったのかもしれないですけど、なんかやっぱり和紙アートを日本の皆さんに知ってほしいなっていう思いぐらいからですよね。
経験と自己受容
そうなんだ。
つい先日も上野でやられていましたけど。
本当。
今日も、インスタで。
本当?ありがとう。
鶴太郎さん。
鶴太郎さん。
私のね、もうね、本当に14年間の思いだったんですよ。夢というか。
そうなんだ。
私が和紙アートを始めたきっかけになったの、あれ知ってますか?
前聞いたと思うんだけど、もしよかったらもう一回言ってもらってもいいですか?
言いましょうか。これね、知ってると知らないとではあの写真のね、意味がね、伝わるか伝わらないかなんですけど、
今日インスタにね、主催者さん側からもう上げて大丈夫だよって、皆さんと写ったのも上がってるからっていう感じで、
写真を送ってきたので上げたんですけど、私が和紙アートを始めるきっかけになったのが一つのテレビ番組なんだよね。
スマップスマップっていうテレビ番組。
そうそう、それでね、あの頃ね、私そうですね、えっとね、14年前って言ったらアデレードなんてその日本のテレビが見れるなんていう環境じゃなかったんですよ。
今でもテレビ見れないけど、今ほらネットとかあってさ、なんかこう適当にYouTubeとかで見れるじゃないですか。
でもあの頃まだインターネットっていう感じじゃなくて、ゆう子ちゃん知ってるかな、VHSとかいう大きいビデオテープ。
若者は知らないですよ、今時で。
あれにね、日本の家族がね、録画してね、いろんな人の家族が録画して送ってきてたんですよ、船便で。
そしてすごい古いビデオテープを、このアデレード自体ね、日本人が少ない町なんですね。
それで、私はヘアドレッサーやってたので、お店にお客さんが来た時にこう見るとか言って交換しながら見てた時代だったんですよ。
その中のビデオテープの中にスマップスマップっていう番組があって、しかもね、その番組がすっごい古いもんだったと思うんですね、その時代でも。
で、その時に片岡鶴太郎さんが司会で、スマップのみんながちぎり絵を貼るっていうね、アート番組があったの。
それを私がたまたま見て、かとりしんごさんが貼ったウグイスのね、あの花札の絵柄から選んだ梅とウグイスのね、ウグイスのこの羽毛のあたりがね、これがね、紙でできてるのって思って、もうね、本当にわしにね、もうね、フォールインラブした瞬間だったんですよ。
わー、そうだそう。
そう、そのね、テレビ番組がなかったら、私は和紙アートやってないのね。
いやー、すごいですよね。
だから片岡鶴太郎さんとかとりしんごさんにはいつかね、この和紙アートが始まったね、そのきっかけになったね、お二人っていうのでね、どこかで絶対に会ってみたいっていうね、そのためには私がね、ちょっとね、頑張らなきゃいけないなって思ってね、
たんですけど、その夢が本当に14年間の時を経てね、叶ったんですよ。本当に嬉しかった。
そう、ね。
わー、素晴らしいね。なんかお話されてるような写真も写ってましたけど。
そう、なんかね、いろんなこと聞いていただきましたよ。アドバイスもいろいろもらったりとかして。
あ、あきらさん。
嬉しかったですね。
ウエタ、懐かしいって言ってる。
そう、懐かしいですよね。そういう時代でした、あの頃。
あきらさんもわかる年代だ。
あ、そうですね、きっと。この2つがわかるということは。
そうなんですよ。
そうですね。
それで今回ね、あの審査員、特別審査員の中に鶴太郎さんのお名前を見つけたのは、
お知らせいただいたのは、私がこの上野に、あのなんていうかな、こう、応募する、応募するというか出典を決める、決めてからだったので、知らなかったんですよ、この方、鶴太郎さんが審査員の中にいるっていうのは。
で、それで特別審査員っていうのは毎年変わるんですよ。
いろんなベースの審査員は毎年同じ方いらっしゃるみたいなんですけど、
特別審査員は去年29回であっても31回であっても私とは出会ってない今回の30回が、
30回目の日本の美術全国選抜作家展っていう、30回目の特別審査員だったんですね。
それにたまたま私が応募してるので、もうなんかね、もうその名前見た時もびっくりした。
もうゾクゾクってかもうね、ゾゾゾっとしましたよ。
本当に。
そうですよね。
ね。
うーん。
えー、なんか良かったですね。
そうなんです。
なんかね、あの本当に、なんかね、いくらそうでも会えない、会えないかもしれないと思ったけど、やっぱりね、とりあえずは毎日行ってっていう感じですよね。
うんうんうん。
いや、ほんと良かった。
いやー。
えー、なんか、今あれですよね、2部、3部作の2つ目ですよね。
はい、そうですそうです。
うんうん。
最後の作品は、今もう撮りかかってらっしゃるんでしたっけ?
いや、今ね、まだね、あのー、まだまだね、ちょっとね、あのー、帰ってきたばっかりで、
うんうんうん。
ゆとりがないというか、
まだスコーンと降りてきてないので、一応ね、イメージとか、そのどういうことを描くっていうのはもう決まってはいる、大体の構想は決まってるんですけど、
さあ始めるぞーっていう感じのところまでは、あのー、行ってないですね。
なんだー。
うんうん。
なんか、自然にスコーンと降りてくるって前おっしゃっていたような気がするんだけど、
うんうんうん。
こう、意図的に降りてくる日を待つようにこう、健康的な生活してるとかなんかあるんですか?
あ、それはね、ない。
それはないよ。
もう普通に、あのー、あのー、なんだろう、いろんなことやってもダメなときはダメなので、
大変なときでもわーってイメージが、ここっていうときはもうそれはそれで、あのー、ゴーサインっていうか、
あまりそのー、イメージを下ろすためにどうこうするってことはないですね。
これはもう日頃から、なんかこういろんなことが自分に入ってきて、
なんていうかイメージに出てくるっていう感じなので、
あまり意識はしてないよ。
そうなんだー。
うんうんうん。
いやなんか今回ね、またゆっくりカエルさんとしゃべりたいなーって思った、
まあ元々はしゃべりたいなーっていうのは思ってたけど、
なんかこの前私ちょっとこう、大きなイベントがあって、
たくさんの人の前でね、自分の思いをこう発表する場があって、
それを聞いてくれた、私よりも年齢がもう10も20も上の方が、
すごい共感してくれたんだけど、一方でなんかもっとね、力抜いてもいいのにって思ったんだよねって。
そのご年齢だから見える景色もあると思うんだけど、
そのように言ってもらったときに、いや確かにこう、
まあ今ね、頑張りたい時期だから、よっしゃーって思ってやってるけど、
いいように力が抜けてるように、カエルさんとか私から見るとね、見えるんですよ。
なんかすごくいい意味だよ。
なんかそういう、カエルさんって昔から今みたいな、
なんかこういつも笑顔で、自然体なのか、
それともこうすごい力入れて、頑張って疲れてる時期とかあったのかなーとかね、
なんかそういうの聞きたいなーと思って。
あのね、ありますよ。そんな時期も、もちろん。
ただまあ結構笑顔だったっていうのは、笑顔。
私これね、なんだろう、人の顔見たら笑うように、なんか親から育てられたんだろうなと思って。
あ、そうなの?
そう、父親がね、とにかくニコニコよーって言ってましたね。
ニコニコしてるとね、いいこと、幸せがいっぱい来るんだよーぐらいのこと言われて。
とにかく人の顔見たら笑うっていうのが、なんかこう、私にはこうなんていうの、
こうなんかこう、うん、そんな風に気づいたらなってましたね、笑うのは。
ねー、本当に笑顔いいですよね、カエルさんの笑顔。
そうですか、ありがとうございます。
笑ってて損することはまあないですよね。
うんうんうん。
なんかこう怒られた時に、何ニコニコしてるのって言われては怒られることがありますけど。
そうね、そうね、力が抜けるとか、そうですね。
でもね、しょうがない時ってあるじゃん。
やっぱり、あんまりね、それもね、意識しなくてもいいのかなって思います。
私もいろいろこう、何か前にいっぱいいっぱい進みたくて、空回りしてる時期とか、
やっぱりこう、若いからさ、まだみんな、ゆうこちゃんとか、私なんかにしてみればむっちゃほら、
あの、若いじゃん。子供のような年代ですよね、きっと。
なので、その頃ってやっぱり、なんだろう、
自分より異常のものを求めてたりとか、やっぱりするのが普通じゃんね。
なんかこう、生きている中でさ、やっぱりそうじゃないとまた、
向上もしなかったりするわけだから、何がダメとか何がいいとか、全然思わなくて、
もうあの、受け入れてあげたらいいんじゃないですか。
今なんかこうバタバタしてる自分も、こうなりたい自分も、
全て受け入れてあげたらいいんだと思います。
あー焦っちゃったなーっていうのも、本当に焦っちゃったなーとか言っちゃってね。
うん、そうよ、焦っちゃってる自分が悪いとか、焦っちゃわない方がいいとか、
そんなことも思わなくていいのかなって、今振り返ったらね、思うんですよ。
人生の道しるべ
で、その、なんだろう、例えば、いろんな人がいて、いろいろこう、
一時的にサクセスフルな人って、このパッと、SNS上にも浮かんできたりするんだけど、
そういう人たちのことをあんまり追わなくてもいいのかなって。
なんでかというと、私ね、最近になって、
そうそうゆう子ちゃん、この前私のトークショー、栃木に来てくれたときに、
言ってた言葉を思い出してくれたらね、嬉しいんだけど、
人生の道しるべの話をしたじゃないですか。
人生の道しるべって、絶対に自分の進むべき先にはないっていうことを言ってましたよね、私。
そう、自分の後ろにしか自分の道しるべってないんだなーって、
本当にこの年になって、自分の手の中にしか進んでいける道ってないんだなーって思うんですよ。
なので、前ばっかりを見ないで、自分のやってきたことの中にあるものっていうのを、
すごく土台にして進んでいけたら、また1年経てばその間、
自分の後ろについてくるわけでしょ、進んできたことって。
なので、全然ね、焦ったりしてもいいし、ゆったり構えてもいいんじゃないっていう、
本当にその通りなんですけど、そんなに気にしなくてもバタバタしたいときはバタバタしてたらいいと思いますけどね。
美容師からの卒業
それはそれなりにいいですよ。
だから本当にバタバタしすぎちゃったなーって思うときは、休めばいいしっていう感じかな。
あれがいい、これがいいと私はあんまり思わないですね。
そのときに一生懸命だったら一番いいかなーって思っちゃいますけどね。
昔からそういう考えを持ってたんですか?
それとも年齢重ねてそういうふうに解釈できるようになったとか?
私ね、結構いつも一生懸命なんですよ。
あーそうなんだー。
だからきっと、どうだろう10年経ったらあのときはもうほんと釈迦力やったねって60代の私も思うかもしれないし。
そうですね、私結構どことってもっていうか、結構一生懸命だったから空回りしてるときもむちゃくちゃ多かったと思いますね。
そうなんだー。
そういうときはやっぱり、わーもうしんどいなーとかって思うときももちろんあったっていう感じ。
人生の半分じゃないですか。
半分以上じゃないの?
そうそう。
いやだって、そんな思うけど、いいことばっかり人生続かないでしょ。
そりゃそうだ。
でもなんちゃかんちゃやってるうちに、例えば10のうち2とか3でもいいことがあったら、なんかその悪かった7が超消しになるぐらい人間って結構バカなんだなって私思うんですけど。
なんかそんな感じに思って。
あ、ももちゃん来た。こんにちは、ももちゃん。
そんな感じになんかこう思えてて、結構あれですよ、人生の半分以上大変なことの方が多くないですか。
だよね、ですよね。
そうそう、そう思ってると結構ね、いいのかもしれないです。
確かに。
だってみんな、いいところしか見せてないんだと思いますよ。
だから結構私、ゆう子ちゃんの配信なんか聞いてても、正直にいろんなことを喋ってるから、すごいなってある意味思いますね。
タレ流しで。
いやいや、そこがいいんじゃん。
そう。
そっか。
いやでも、カエルさんの配信も好きですよ。
本当にラジオだよね。
ちゃんとしてる。
ありがとうございます。
私はさ、そう言われるのが一番嬉しいな。
私、この緑のカエルのアイコンである、金曜日のエブリデイライフっていうラジオ番組、あれはね、自分では本当にね、ラジオ風にね、なんかこうやってるわけよ。
で、原稿もやっぱり真剣に書くんです。
そうなん、原稿書いてらっしゃるんですね。
もう金曜日の配信は私は一生懸命なんです。
そうなんだ。
もうね、私、一生懸命だよ。原稿書くのもすごい時間かかっちゃうよ。
へー。
そう。
でも毎週やってらっしゃるんですよね。
ほとんど、いっぱい書きたいことはあるんですけど。
でも、それをどんな風にしたら、みんなに届けられるのかなとか、やっぱり15分ぐらいの原稿でね、書けないときは4時間ぐらいかかるんだよね。
へー、そうなんだ。
書けないときっていうか、こうじゃない、ああじゃない、こういう言い方の方がいいなとか。
で、収録も練習するし、やっぱりあれはね、作り込んでるんです、あの番組は。
だから一生懸命やってるんですよ。
それをそこまでやる理由はなんなんでなんで。
理由は自分が聞いて楽しいから。
そう、いいね、最高。
楽しくないですか、自分の配信って聞くでしょ、やっぱり。
うんうんうん、聞く聞く。
そう、だから、あれ聞いて、自分の配信聞いて、あ、かえるさん素敵って自分で思う。
おかしい、私って。
ほんと。ね。
いや、ほんと。
いやでも、私思うんですけど、この前ほら、その時が来ました、この時が来ましただったかな、なんか先週の金曜日の配信で、美容師を卒業しますっていう配信をしたんですけど、
その時もね、あの言ったんですけど、やっぱりあの、あのなんていうかな、私がやっぱり一番の私の絵のファンであれるような作品を作っていきたいわけなんですよね。
絵にして、あの和紙アートにしてもね。
うんうんうん。
だからあの、配信も同じです。別になんでも一緒です。
うーん。
そう、それができなくなったから美容師は辞めました。
うーん。
私自分の作るヘアスタイル、あのお客様に似合う、そのなんだろう、私ができる限りのすべてのことっていうか、ほんとに誠心誠意私のところに来たお客様に対してずっとそうやって生きてきたんですね。
でも私が思う、私があの、あのなんていうかな、あのやらせてもらいたいヘアスタイルもできなくなったし、なんかこうちょっと、やっぱりこう肉体的にも美容師って肉体労働なんだよ。
うんうん。
引きついても、シャンプーしてたらさ。
そうね。
そう。
ね、それでなんかこう、仕事のスタンスも、あのね、プロフェッショナルっていうよりはなんかもう毎日の仕事をこなすっていうそのあわたっていうね、感覚っていうのがどうも私の生き方に合わないっていうか。
うーん。
でもね、それでやっぱり、自分の作り出すものが一番自分が好きじゃないと嫌なんです。
なので、あの配信も、ライブの時はね、ちょっとこうやって変なことも言っちゃったりするのであれですけど、
それでもライブも結構好きですよ。
音楽鳴らしたりとかみんなが来てくれたりとかしてね。
でも、金曜日の配信とか自分が作る和紙アートとかは、やっぱ自分が一番好きっていうものを作っていきたいなって思って。
うーん。
一生懸命作ってます、番組も。
えー。
うん。
もう本当に素敵。
素敵。
だからさ、だからあれじゃない、あの、ね、聞いてく、みんな聞いてくれたりするんじゃないですかね。
うん。
だってほら、桃さんも、かえるさんはいつでもハッピーを作品や音声に載せて、全力なところが魅力的。
かえるさん自身が楽しんでるから私も楽しい。
あらまー桃ちゃんありがとう。
うん。
きっとさ、あの、ゆう子ちゃんもそういうところなんだと思うんですよ。
あの、あの、なんだろう、こう、力を抜いたらいいよって言われるところは、私は別に力を抜かなくても、
本当に自分が好きなことを作り込んでいったら、それはもうバンバンに頑張っても全然OKじゃないと思っちゃいますけどね。
いやー、なんかね、ほんとね、かえるさんの配信とかかえるさんとね、お話をしてると、なんかね、泣けてくるんですよね。
そうなの?泣かないで。
いやでもね、なんていうの、悲しいとかじゃなくてね、ちょっとね、感動するっていうか、
こう、本当に自分を大事にしていいんだなって改めて思うっていうか。
いいですよ、もうもう、私なんかもう、もういい加減にしなさいって言われるぐらい自分を大切にしてますけどね。
っていうか私は本当にあの、今、あのね、素晴らしいなーって思えたことが一つね、
美容師っていうその一つの、私の人生の中では本当にあの一緒に、ね、それこそ人生の中でさ、大変な時の方が7割だと思うんですよね、生きてきててね。
でも、そのずっと私の人生を支えてきた美容師と卒業するっていうか、お別れしないといけないですよ、本当。
でも、あの、その先にあるものっていうのが、なんだろう、あの、私にあったんだなーって、和紙アートっていうことですけど、
これ美容師の集大成ですからね、道具も全部同じものを今から先も使って、
そして、美容師として生きていなかったら、私はあの和紙アートは誕生してないって思えるぐらい、あの、そういうことなんですよ。
自己を大切に生きる
本当に、あの、美容師の先にあったものが、この和紙アートの世界だったので、あのね、なんだろう、
本当に自分を大切にして、自分が楽しめるように生きていったら、本当ね、素晴らしいんだろうなと思います。
ゆう子ちゃんもそれできると思いますよ。
ね、本当。
そうしたい。
ぜひぜひ。
だから、今をやっぱりかなり一生懸命生きればいいのかなって。
今もがかないでいつもがくのって話でしょ。
そうだよね。
そうだよ。できないことを一生懸命もがくっていうのもいいことですよ。
だからできるようになるんであって、あの、なんだろう、今一生懸命しかやれない自分がそこにいるんだったら、
一生懸命もとことんやってみるっていうのもいいんじゃない?そんな今のうちからゆっくりしなくても。
いや、私全然ね、ゆっくりしてないですよ、人生の中で。
みんなゆっくりしてると思ってるけど。
カエルさんめっちゃ忙しそうな。
いや、もう今はね、結構あれです。
ただ、私もしかしたら心の中でオーストラリアに来て27年間、やっぱ日本との関係をパンと立ったので、
やっぱほらそれなりに私の人生でもいろいろあってさ、やっぱ日本っていうものを切り離して新天地を求めるっていう覚悟があったから、
そこでかなりね、リフレッシュっていうかね、生き返れたんですよね。
なんかこう、そういう自分を見つめる時間が30年ぐらいあったかな。27年ぐらいありましたよね。
だから、ゆう子ちゃんもね、今日と明日ってほんと生きてたら何も変わらないじゃん。
でも、きっと1年後と2年後、きっと3年後には全然違う花が咲いてると思うので、その辺だよね。
ピアノの練習と一緒なんじゃない?最初から曲弾けないけど、まずは一つ一つ、毎日毎日10分やれる人が、最後は弾けるようになるんじゃないの。
そうだよね。本当にそうだね。
だから、そういう思いってね、あっていいと思いますね。
みんな焦ってます。
みんなね。
みんな焦ってていいんじゃない?
焦るのもいいんだよね。
そう、焦るのもいいっていうか、飛び越えてどうせできないから、結局のところどうせできないんで、ゆっくりしたらって思えるのは、それを越えてきた人たちが言うことなんですけど、その渦の中にいる人は一生懸命やってくださいって私は思ってます。
確かに。
自分でわかっていくしかないじゃんね。
そうそう。そうなんだよね。結局やってみないとわかんないんだよね。
新しい人生の覚悟
大きなコンピティションっていうか、人の前で喋るあれって、私もずっと気になってたから、ゆう子ちゃんの配信聞いたりしてたんですけど、
そうやってあれだよ、自分を高めていくことによってさ、例えばじゃあ自分の今できることとか話せること以上のことを話したとしても、だからそれを原稿書いてみたりとか、それに対して考えてみたりとかさ、それがさ、やっぱり1年後2年後の糧になるというか。
確かに。
そうだよ。だからそれをしなかったら、バタバタしなかったら、何もないじゃん。いいんじゃない?
そうだね。
そうだよ。何も悪いことはないですよ。
そうだね。
だって若いうちにさ、もうそういう生意気なこと言わないでどうするのって言われてるでしょ。
私なんかそうだって今考えたら、生意気な女やったねって思いますよ。
もうなんだ。
すごいですよね。日本を立つっていう覚悟ってさ、本当に立つって思っただけなんですか?どうやって覚悟を。
覚悟はもうね、それはね、私は若い頃に会社とかやっちゃって、いろいろ本当にね、私の不甲斐なさでやっぱり会社を倒産させているので、それでもう新天地を求めてもう一回やり直さないと、もうちょっとどうしようもならないな、この気持ち的にっていうところまで追い得られてるので、私は移住ができたんだと思いますよ。
なるほどね。
本当にあの、その時にうちの父親が、みんなはさ、やっぱりね、そういう時に、なんだろう、頑張ってねっていう言葉をかけるんですよね、周りはさ、本当に。
でも、私ね、頑張ってねっていう言葉が大嫌いなんだよね。大嫌いっていうかあまり使わないんだよね。
だから、ゆうこちゃんにも頑張ってねなんて言う言葉をあんまりかけないです。
楽しんでねぐらいの話で、なんかね、頑張っても頑張ってもさ、どうしようもならない時に、頑張ってねの社交辞令の一言って、もうね、本当にそこの渦の中にいる人にとっては本当にもうつらい言葉なんだろうなと思うんですよ、頑張ってねっていうの。
どう頑張ればいいかわかんないから困ってるわけじゃんね、もう本当。
そう、だからね、その、はい、ありがとうございますとしか言いようがない、あの、ね、答え方。
なんか、英語にはないんですよ、頑張ってねなんて。
あ、そうなんだ。
へー。
ないね。
あの、無理、あまり無理をしないようにっていう言葉の方が、あの、多いですね。
頑張ってねとか言う言葉ってないな、そういうシチュエーションで言う言葉ね。
で、それで、なんだろう、あの、なんていうかな、一人だけね、あの、私にもう頑張るなって言ってくれた人がいたんですよね。
うんうんうん。
それがまあ私の父親であったんですけど、もう、うん、本当あの、例えば、あの、ちょっと沼の話をしてくれて、
うんうん。
あの、沼にずるっと足をね、こう滑らしてポチャンと落ちたときにね、人ってほら、あの、なんかもがい、もがくじゃないですか、沈まないように。
うんうん。
そしたらこの、いろんな表面のもに絡まって、もうがんじがらめになっちゃうじゃん。
そうね。
でも、もうどうしようならないときはね、本当に手をね、離してね、沼の底までね、沈みなさいと静かに。
へー。
そして沈んだら、沈んで足が沼の底に着いたら、それからひざまずいて、
うん。
あの、そうすると、なんていうかな、またこう、立ってたままじゃジャンプはできないけど、ひざまずいて足を曲げたら、
うんうん。
あの、その時が来たときに、ジャンプできるよっていうことを、あの、言われましたね。
まあまあ、うちの父親もね、あの授業してた人なので、
うーん。
まあその辺、まあね、あの、いろいろ私の心情も、
うんうん。
わかってくれてたのかなとは思いますけど、
うん。
で、そんな、そんな感じで、そしてもうあの、新天地を求めるように私はアドバイスされたので、
うん。
思い切ってオーストラリアに来れたっていうところはあるんですよね。
和紙アートの使命
ああ、そうなんだ。
うんうん。
素晴らしいお坊様。
うーん。
そうですね、すごいですね、本当。
うん。
そうなんですよ、ふしめふしめにね、深い言葉をくださいますね、デモウちゃん。
そうなんですよ、普段はもうふざけた、ふざけた男なんですよね。
本当にもうね、そう。
いやいや、うちの父親は本当にね、もうあの、本当あれですよ、いっぱいね、奥さんもいたしね、なんかね、
ああ、そうですか。
そんな感じ、そうそう。
そうそう、だから、まああの、素敵な父、男性でしたけどね、父親でしたね。
あの、うん、私は好きでしたけど、やっぱりやってきたことっていうのは、
うん。
そう、あれじゃないですか、世間一般に言われると、叩かれちゃうんじゃないですかね。
そうそう、うんうん、そう。
うんうん、ただまあ、そうですね、ふしめふしめには本当に私の人生を助けてくれるっていうかこう、
うん、軌道修正をかけてくれるような言葉はありますね。
うんうん。
うーん、素敵。
そう。
慣れてますね。
いろんな世界を知っている人の方が深みがありますね。
いや、本当そう。
ねえ、そうかもしれないね。
そう、そうですよ、きっとね、ほんと。
そう、なのでね、なんか、そう、なんか静かにここで暮らして、
っていうか、もうあの子供育てていくとか、知らない土地で生活していくっていうのがやっぱり精一杯。
だから一生懸命、もう本当に大変なことの方が多かったですけど、
うん。
今は本当にね、なんだろうね、その時が来ましたっていう感じです、30年経って。
そうか。
ジャンプできるのかなって、そう思う。
わー、30年経ってジャンプの時。
そうです、そうです。
そういう、あの時の言葉が、本当に今、今かなっていう風に思えましたね。
そうなんだー。
うんうん。
カエルさんちょっとあれだけど、話変わるかもしれないけど、
旦那さんとはどこで知り合ったんですか?
旦那さんはね、私の美容室のお客様でした。
あ、そうなんだー。
でもね、私がちょっとヘアショーとかをやる時に、
ショーのプロデューサーとして入ってくれたのが、
ADさん、今の旦那さん、ADさんと言われている。
だからADさんじゃなくてプロデューサーなんですけど、ADさんって言われてますね。
ADさん。
はい、そういう感じで、
まあでも、私の人生のね、一番どん底の時に知り合って、
本当に何もない時に知り合ったので、すごいなーと思いましたよ。
うーん。
だって、大体なんだろう、いろいろ、それまでって言ったら、
あれじゃないですか、会社やってたりとかさ、いろいろこうね、
私自身というよりはそれ以外のことでも、
いろいろプラスアルファがついて私っていう感じだったので、
全部なくなるときに、
あ、もう私ハサミしか持ってませんみたいな、
しかも子供が2人ついてきます、もれなくみたいな感じだったので、
でも、そういう時にね、運命だったんでしょうかね。
ADさんかわいそうに今も一緒にいますよ。
いや、幸せそうじゃないですか。
ね、きっともうどうなるんでしょうね。
もうこんなに、あれですね、もう今、
いや、でもどうなんだろう、60歳を超えたから、
なんかもうやってみようと思えるのかもしれないですね、これから。
うーん、そうか。
なんかこれからね、いろんな未来描いてると思うけど、
どんなふうになっていきたいって思ってらっしゃるんですか。
私ですか、私はね、3つ柱があって、
1つは和紙アートを世界に広げる、広めるってことですね。
もう世界の和紙アーティストになるっていうのが第一目標ですね。
それは叶えていきたいなと思っています。
それと、その和紙アートでなんでそういうふうに世界に広めたいかっていうのは、
私が和紙アートに込めているメインテーマっていうかメッセージですよね。
言葉のない大自然からのメッセージっていうのがメインテーマですけど、
その思いをやっぱり環境問題だったりとか、命の大切さだったりとか、
無限の可能性だったりとか、その辺を和紙アートに落とし込んで、
世界の皆さんに届けられたらな、ビジュアルアートの世界で届けられたらなって思っているのが第一番ですよね。
その次がやっぱり、それを私はなぜか日本の伝統工芸の和紙で作っているっていうところで、
和紙って物って使われなければ、需要がなければ先細りしていっちゃうじゃないですか。
和紙もコロナの時に思ったけど、本当に生産がストップしちゃって、私の取引している工房さんが2軒潰れちゃったんですよ。
要するにみんながお土産とか買わなくなって旅行に行かなくなったし、和紙って包装紙とかにいっぱい使われてるじゃないですか。
そういう需要がなくなって、存続できなくなった時があったんですね。コロナの自粛期間というか。
それで思ったのが、結局需要がなければどんな良いものもなくなるんだなと思って、
その時に和紙アート、日本の伝統工芸ってすごく良いものいっぱいあるのに、日本人に継承していくのをちょっと忘れてませんかねって思っちゃって、
それで考えた時に、私の和紙アートが世界的に見ていただけるようになったら、これをやりたいっていう子どもたちも出てきたりして、
やっぱりやる人口が増えたら世界中で、そしたら日本にしか注文こないんだよ、和紙って。
そうなんだ。
だってそうでしょ、日本でしか作られる。日本の和紙だから。
そう考えると、世界から日本を元気にできるじゃんね。
そういう思いもね、本当に大きすぎる夢ですけど、あるんですよ。
いいね。
和紙を使ってほしいっていう、日本の伝統工芸を継承していきたいなって、真剣に思っています。
美容師としての経験
なので、私の個展とかの時は、親子ワークショップと大人のワークショップと、あと何か私ができること、ちょっと社会貢献っていう意味で障害者のワークショップ、この3つは必ずセットでやるようにはしてますけどね。
おお、素晴らしい。
ね、そう。それともう一つは、あれですね。
やっぱり私せっかく45年間、美容師として生きてきたので、やっぱり人の人生と伴奏して進むっていうことが本当に、それが日常だったんですよね。
美容師さんって不思議な立ち位置じゃないですか。
いろんなことを知っちゃってしまっちゃうみたいな。
なので、そういう意味でも、幸せの在り方とかさ、なんかよくわかんないんだけど、美しくおいるということの意味っていうテーマで、お話、トークショーとか、生き方の、50歳からの生き方みたいな感じで、ちょっとお話できるようになったらいいなって。
素敵。
なるほど。
ね。
そうそう。そうだよ。だからこれもみんなバタバタと、若い時に苦しんだので、苦しんだっていうかバタバタと、ゆうこちゃんみたいにやってきましたので。
なので、今そんな感じで、私が生きてきた後ろ側にそれがあるっていうだけで、前には私何もないですよ。
みんなそこはおんなじじゃない。
私はこうやって足跡を世界に広めますって言っても、それは夢であって、ビジョンであって、私が今からやることであって、やったことではないので。
そこらへんはみんな一緒です。
仙台市と八戸の話
若くても、歳とってても。
かえるさん、日本の宮城県仙台市には来ないんですか。来ますか。どうですか。
宮城県仙台市ってさ、場所ってどこらへんにあるんだったっけ。この前行ったところの八戸部の下のあたり。
そう、八戸部の下の方ですね。
あの辺ね、日本を全部上から回っていきたいねと思っているので、そのうち行くんじゃないですかね。
ね。
イオンモールとかあるんですか。
あるよ。どういうこと。
私のスポンサーの美香さんがね、大きいイオンモールを拠点にいろいろワークショップとかしていこうかな、全国展開って言ってたから、
イオンモールあるんだったら行けるかもしれない。
全然ありますよ。
そうなんだ。
あるある。八戸よりは都会ですよ。
そうだよね。八戸も面白かったよ、でも。
ねえ、八戸いるんだと思って。
そう、八戸はね、それこそほら、栃木のトークショーの時に八戸から来てくれてたヒーローちゃん、スタイフではヒーローちゃんっていうAビジョンの方ですけど、
が、ぜひって言って呼んでくれて、ヒーローちゃん主催で今回は呼ばれていて。
そうなんだ。
なので八戸だった。
そうなんだ。
美容師としての選択
え、じゃあ私が主催したらカエルさんも来てくれます?
もちろん行きますよ。
ここにボランティアスタッフのももちゃんも来てます。
おー、ぜひやったら。
許可ですか?
ねえ。
いいですね。
そういう中心になってやってくれる人がいたら行きますよ。
ただもう私本当に自分で集客したりっていうのが、本当にそれをガンガンやっていくと作品が作る暇がなくなるので、
だから誰かが呼んでくれるんだったら行きます。
そりゃそうですよ。
ねえ、仙台いいね。
ぜひ。
なんかおいしそう。おいしそうっていうか食べ物よ。
牛タンとか、あと海の貝、貝の柿とか。
はい、いいですね。仙台行ってみたい。
おー、ぜひ。
それはまた言って。いいねいいね。
そっかー。
そうなんですよね。美容師さんでしょ?
本当、特別な存在ですよね、美容師さんは。
そうだね。本当に、私は美容師になりたくてなったわけじゃないですけど、
今考えたら銀座のママさんより転職だったなって思いますね。
はい、そうそう。よかったです。本当に。
人ってやっぱり、お金とかいっぱいあっても、
幸せを感じ方がわかんなかったら、みんな不幸なんだなとか思ったりして、
私がどんどんどんどんお客様を少なくしていかないといけない時期っていうのが、
55歳ぐらいからあったんですよね。
やっぱ体調の問題とかも、昔みたいにフルタイムで朝から晩までシャンプーしてられないなとかさ、
あって、その時にね、皆さんね、本当に長年の、本当に長いお客様だったんですよ。
特に、私は一対一でやるようなスタンスだったので、
みんな、部屋をしに行くっていうだけの関係ではないじゃないですか、喋ってるとね。
そこでね、第一回目にお客さんを半分ぐらいに減らすとき、
贅沢な選択ですよ、美容師としてはこちらから選ぶっていうね、
もう申し訳ありませんって言わないといけないんですけど、
その時ね、今までね、社会の常識って言ったらさ、
乗客って言うとさ、どういう人だと思います?
いわゆる皆さんが言うのはやっぱり、歯振りのいいというか、
お金をいくら落としてるか、使ってくれてるかっていうところになるんですけど、
私が選んだ人はね、そういう人は残らなかったね。
そうなんだ。
なんかもう、そこはね、全然違いました、自分が選んだお客さんっていうのは。
どんなあれで選ばれたんですか?
そうだね、まず、美容室に来なくなったとしても会いたいのかなって。
お客さんじゃない場合に、この人と会いたいかなって。
やっぱこう、私は美容師として、サロンにいるときはもう、
私は特にそうですけど、プロフェッショナルとしているんです、そこにね。
なので、その人のことだけしか考えてないんですよね。
なので、きっとね、私とプライベートで付き合うと、私はそういう私ではないんだろうと思う。
だって、その人が本当に気持ちよくなるように2、3時間、
本当にここに来てよかったと思えるように、思ってもらえるように、
全てを集中して、その人のために時間を捧げているわけじゃないですか。
でも、プライベートとなると、やっぱ私も話したい話がするだろうし、
思うんですけど、
私が、美容師さんのハサミを持ってなくても、
プライベートでもお茶飲みに行きたい人かな、この人っていうところからですね、
相手がどう思うかしわかりませんけど。
向こうはね、会いたいから来てくれてるっていうのもきっとあるだろうから、
そうですけど、
お客さんと美容師じゃなくても、この人とお話ししたいのかなっていうところで、
本当に決めさせてもらいましたね、最初。
そうなんだ、なるほど。
なんかね、
お金いっぱい使ってるからっていうような感覚の人っていうのは、
もうね、体きつくなったらね、
もうね、めんどくさくなるじゃん。
そんなこと言っちゃいけないんだけど、なんとなく、
もっと人間的に触れ合える人の方が、私はこう、
見入りが少なくなってもよかったなっていう感じでしたね。
僕も真似したいって。ありがとうって。
いや、本当に贅沢な選択でしたね、お客さんを選ぶっていうのはね。
でもまあしょうがないですよ、私の体の声も聞いてあげないと。
そうですよね、そうですよね。
1回以上やるともうダメだなっていう感じで、今回本当に決めましたけどね。
なるほどね。
お客様の髪はカットしないですよ、ゆう子ちゃん。
そうなんだ。
はい、すいません。
なんだか感慨深いですね。
感慨深いね、本当にね。
なんかこう、ちょっと聞いただけだとやっぱり、
それまでの日々を想像して寂しいと思うけど、
でも、かえるさんがちゃんと悩んで決めたことだから、やっぱそれは尊重したいですよね。
ね、そう、もうね、もうね、あれですよ、私できない。
本当に体もきついっていうのもあるんですけど、
自分がやっぱり納得する仕事をしてないので、
ちゃんとした仕事をしてないですね。
できなくなってたね、ヘアカット一つにしてもね。
そうなんだ。
イメージとは違ってました。
そんなこと言ったらお客さん、今まで来てたお客さんに申し訳ないですけど、
でもこれが限界です。
そうか。
そこに気づけるっていうのは、
ずっとこれが私の最大限の力を入れるみたいな日々があったからこそ気づけるっていうのはありますよね。
ずっと頑張って。
そうです。
それしかないかな、やっぱり。
そうだね、妥協していくっていうのがね、どうもね、やっぱり仕事のクオリティの面でね、自分でね、苦しかったですね。
あー深いね。
深いね、深いね。
でもほら、ね、生活を考えればそんなこと言ってられないから、とりあえずやらなきゃいけないと思いますけど、
でもなんだろうね、もう本当にそれは体からのメッセージとかで、もうダメなんだなって思いました。
2つの藁地はもう吐けないなっていうところに来ましたね。
なるほどね。
でも次はね、もう全力でアートに、アート作品に込めて。
そうですね。
ね。
そう、でもね、きっとね、私はね、死ぬまでね、美容師として生きますよ。
うーん。
なぜかというと、私が見る、私の感覚で、私が見るもの、聞くもの、触れるものとか感じるものとか、すべてね、私はね、美容師としての感覚で45年間生きてきてるんですよね。
人をパッと見た時にやっぱりパッとこう、ヘアスタイルとのバランスっていうのがやっぱり一番最初に目に入るし、
私、アメリカにさ、脱出した時の、日本に逃げ出した時の話をしたことありますよね。
あの配信で。
あの時に本当に手も足も出なくて、もうやることなくて、ハリウッドブルーバードでじーっと座ってて、いろんな人の、道行く人の姿を見てた時に、
私、あの時美容師はやめてやると思って、反抗して言ってたんですけど。
でもね、ほんとその時に気づかされたんですよね。
私がパッと人の、人を見た時にもう絶対ヘアスタイルから順番に見ていくんですよ。
ヘアスタイル、そしてなんかこう洋服のバランスとか、それとかこうヘアカット素敵だなとか、
この髪の毛色いいなとか、どうやって染めるのかなとか、どうやってカットするのかなとか、
もう見る目がね、たった3年しか美容師してなかったのに、
もうすべてが美容師として、ものを考えているんですね。
辞めるために行ったんですけど。
そして結局ね、自分の身を救ってくれたっていうのが、
ハサミを持って行ってたっていうところで、カットができたっていうところで、
また美容師という職業に出会って日本にまた戻ってくるわけなんですけど、
やっぱね、そういうことを考えたら、きっとね私ね、和紙アートをしながらでも、
美容師としての感覚で、美容師としてものを見て、美容師として聞いて触って感じて、
和紙アートができていくんだろうなって、本当に思っていますね。
そんな感じですね。
あらま、あきらさんですか。
これから美容師になりたい人へのメッセージってありますか?
いい質問。
あきらさんって美容師さんなんですか?
あきらさん違う。あきらさんね、大工さんです、大工さん。
通じるところありますね。大工さんもやっぱり肉体労働なので、やっぱね、そうなんですよ。
本当にね、私こんな日が来ると思わなかったんですよ。
よくあるじゃないですか、本でも80歳まで美容師してましたみたいな。
私きっとそうなれるんだろうと思ってたんですけど、やっぱり60何歳ぐらいで限界ってくるんだなって思いましたね。
お弟子さんみたい、お弟子さんじゃないけどさ、シャンプーする人が別にいて、
私カットだけをずっとできて、お仕上げだけっていう状態で、この30年を昔みたいにね、
会社やってた時みたいな感じでやれてたら、また息は違ったと思うんですよ、美容師の。
でもこちらに来てからすべて1から10まで一人でやってきて、大変なんですよね。
若い人たちがやるパートの仕事をするっていう。
技術の価値とメッセージ
マッサージだったりとかシャンプーだったりとか、そういうのをずっと一緒にやってきたから、
ちょっと限界早かったのかなとも思うんですけどね。
肉体労働きついですよね。
これから美容師になりたい人へのメッセージ。
私は美容師になって本当に、
素晴らしいなって、技術って素晴らしいですよっていうところを、もっと価値を見出してほしいなと思います。
なぜかというと、私、美容師を辞めるっていうのがこれで3回目ですね。
本当に真剣に。
1回目は、ももちゃん、私の本を読んでもらったらわかると思うんですけど、
1回目は美容師3年目にこんな辛い仕事が絶対に嫌だ。
私はアメリカに行って、新しい何かを見つけてくるぐらいのことを言って、飛び出したわけなんですよね。
その時に、本当にまた父親から、何しに行くのかわからないけど、何かしら見つけてくるだろうと言われて、
日本を出たんですけど、確かにね、私が出会った新しいものっていうのは美容師だったんですね。
そこで素晴らしいなって技術って素晴らしいんだなって。
世界どこへ行ってもハサミ1本あったら仕事ができるんだ、生きていけるんだっていうのが、
アメリカで出会った私の新しい職業の美容師です。
その次に日本に帰ってきて、やっぱり美容師になって、色々ありましたけど、
お店を出すわけですよね。
そしてそのお店がおかげさまでいい感じで、どんどん会社とかになっていっちゃって、
そこで私はハサミを置くというか、もう経営だけみたいになっちゃって、
経営能力がない人が経営するから潰れるんですけど、美容師しとけばいいんですけどね。
そこでやっぱり美容師がやってない実感があるじゃないですか。
でも会社がダメになった時に私は何をしたかというと、やっぱりハサミを握り返すんですよね。
ハサミで次の日からまた仕事をしだすわけですよね。
本当に何もなくなるんですけど、私の技術だけは誰も取っていけないんですよ。
手でも折られたらそれはできませんけど、そこまでの人はいないでしょう。
全てなくなったとしても、私の中にある技術って本当に誰も取っていけないんですよね。
だから素晴らしいなって。芸は身を助ける。そういう感じですね。
だから私大切なものって何一つなくしてないんだなって家族もそばにいて、明日からまた同じ職業につけて。
しかも明日からの仕事って、だってさ、いくら大きく仕事を回してても、何千万何億って回してても、それ以上払うものが大きかったらマイナスじゃないですか、その人の人生って。
だからただ大きいお金がその人の周りを回ってるっていうだけで、でも全然ゼロになったら、そこをどう捉えるかだったんですね、私。
私明日一人カットしたら1万円、自分のものって思いましたね。
だから私いつも考えるのがゼロの原点だったらいいかなって思います。
ゼロの原点。
だからいくら大きい感じで仕事を回してても、回ってるだけの人って結構会社経営してる人多いんじゃないかなと思うんですよ。
だからその辺で、私は地に足がついてる方がこんなに幸せなんだなって思いましたけどね。
なるほどね。
カエルさんみたいな本当に専門的な美容師さんの技術と、同じって言ったらちょっとおこがましいんだけど、私もその人の話を聞くっていうね、コーチングみたいな技術があって、
そこをもちろんもっともっと高めていかなきゃいけないけど、でもやっぱり自分の中に結構誇りがあったり。
だから今の技術は、私の技術は誰にも奪えないっていうのが、確かにそうだな。
だから本当に何もなくなっても、ほんのちょっとの体価を。
口さえあれば。
私の体さえあれば。
言うですよ。ハサミもいらないって素晴らしいじゃないですか。上を行ってますよ。
話だけ聞く。
新しい美容師さんに一言って言うんだったら、やっぱり技術って素晴らしいですよっていうことかな。
そしてその先に、今回で3回目ですよ私が美容師とさよならするのは。これが最後ですけれども。
でもその美容師をしてきた先に、これだけの道が開けてるっていうところが素晴らしかったなっていうふうに今思いますね。
文化の違いと専門性の発揮
だから、私の作品ってハサミの技術がなかったら作れないですよ。
やっぱりその辺は、美容師としての生きてきた45年っていうのは、私の足跡の中に本当に生き続けるだろうなと思うので。
私が美容師として見てきた色とか感覚とか、そういうのがすべてこれから先に生かされていくんだろうなってまたね思うので。
あとはとにかく何でもいいから一生懸命やったらっていう話でしょ。
そうですね、本当本当。
どんな仕事でも何かそれをベースに絶対に何かが開けていくんだろうなって、これを私が実感して思ったことですね。
なるほど。
真剣にやるためには真剣にがむしゃらじゃないと答えは絶対出てこないんですよ。
結局何も始まらないと思うんですよね。
だから、私ユコちゃんなんか見てていいんじゃないって思いますよ。
それがめんどくさくなった時は、もうお疲れなんだろうなって思わないと。
そうだね。
若い間は走ってくださいよ。
そうします。
だから一生懸命ってすごい素晴らしいと思うので。
だから今さ、みんながいい時代だとは思いますよ。
自分の時間も持てて、家族との時間も持てて、昭和の時代とは変わってきた風潮ってあるじゃないですか。
それはすごくいいと思います。オーストラリア自体がそんな国だからさ。
いっぱい働く人の権利も本当にちゃんとあって、本当にそれをちゃんとやってる国なので、
絶対それは日本もいいようになってきたなと思うけど、
それとなんとなくぼーっと仕事していいとは全然かけ合わないと思うんですよね。
ちゃんとやらないといけない時っていうか、一生懸命やらないといけない時、その時にほら休むなとか言ってないんですよ。
それはそれでライフスタイルでいいんだけど、そういうやらないといけないものとか、やらないといけないことって今も昔も全然変わってないですよね。
美容師さんだって、大工さんだって、令和の時代になったから見習いしなくて上手になれますってことはないでしょ。
そうそう、かかる時間とかかけないといけない時間っていうのは全然同じだと思うんですよね。
なので、なんだろう、やらないといけない時は、いつの時代もやらないといけないですよ。
そうですね。
好きなことだから、よくほら好きなことをさ、仕事にしたらいいですよってみんな今言ってるけど、
仕事にしたらさ、何でも大変だよ。
そうなんだよね、そうなんだよ。
仕事にしたら何でも大変だから、好きなことだから耐えられるって思ったらいいんだな。
なるほどね。
好きなことだから耐えていけるんだよ、これ好きなこと仕事にしたら楽なんですよっていうのとは全然違ってるでしょ、仕事として捉えたらね。
そうだね、確かに確かに。
そうだね。
オーストラリアの人と日本人のカットの仕方って違うんですか?
うん、違う違う。
そうですね、根本的に、西洋人とアジア人の髪の質が違うので、同じようにカットしたら違うようになっちゃいますね。
そうなんだ、そうなんだ。
なので、私は一つ良かったなと思うのは、私はこっちではアジア人のヘアのスペシャリストとして生きたんですね。
なるほどね。
だって同じことをしても西洋人の頭は本当にかっこよくなりますけど上手に切れないっていうか、かっこよくなるんだよ、もともとの持ってるものがふわっとしてピタッとくっつくような毛質だからかっこよくなるんだけど、
相手が望んでいるものを与えられないんです、私。
日本で技術を習得しているのでアジア人向けなんですよ。
例えば一つ例を出すと、日本人の人ってアジア人全般的にちょっと髪の毛のボリュームを抑えたいくないですか?
うんうん。
抑えたいですね。抑える技術だよね。美容師さんが上手って言われるって言ったら、
例えば同じカットしても膨らまないとかさ、収まりがいいとかさ、
でもこちらの人って頭ちっちゃいし、ふわっと見せたいんですよ。
頭ちっちゃいからね。
そして毛質も、マルチーズっているじゃん。マルチーズってさ、ふわっとしてるじゃん、乾いたら。
でもシャンプーしたりして濡れてる時ぺしょっとしてさ、体にくっついてさ、まさかあんなふわっとした白い犬が乾いたら出てくるって感じしないじゃない。
まったくあの感覚なんですよ。
そうなんだ。
だから求めているものを私はね、多分与えてあげれないですね。提供できない。
でもアジア人が、アジア人の人には、アジア人の人が求めている毛質でこうしてもらいたいっていうのがわかるので、
私はここで仕事27年間しましたけど、アジア人の髪のヘアのスペシャリストとしてやれましたね。
顧客との関係性と共感
アジア人も結構いらっしゃる土地柄だったんですか?
ほら、オーストラリアはいろんな国の人がいるので、アジア人、中国人もいれば、インドネシア人もいるし、インドの人もいるし、なんかいろいろいますよ、コーリアもいるし。
日本人は少なかったかな、アデレード。
うん、そっか。
遠いからね。南の果て、南半球の果てだからさ。
私、カエルさんに聞きたかったんですけど、髪の毛がなくなってしまった奥様がいたっていうね。
いました。
その話、今聞いてくださってる方、状況がわかんないかと思うんですけど、私自身が全身脱毛症という病気になって、髪の毛が全部なくなってしまった経験があるんですよね。
すごくずっと、当時新潟に住んでたんですけど、ひっくりの人に髪を切ってもらっていて、なくなっちゃって、しばらく連絡できなかったんだけど、ウィッグのカットをどうしてもしてほしくて、
勇気を持ってその人に連絡したら、心よく聞いてもらって、そこからまた関係性ができてきたんだけど、カエルさんのお客様のエピソードも聞きたいなって思ってたんです。
いいよ。
ありがとう。
あのね、私その話をね、ゆう子ちゃんがスタイフでしてたのを聞いてね、私のお客様の中にもいらっしゃるなと思って、その方とはね、本当に27年のお付き合いなんですよ。
すごい。
そこに来た時にね、私が最初にシティの方で店を、サロンを出した時に、最初の頃のお客様で、その方ね、日本から来られて、結婚で来られたんですね。
そしたらね、結婚できたら、なんか旦那さんに、旦那さんが前結婚してて、子供が2人ぐらいいて、その子供がいるっていうことを知らせていなくて、そんなことあるの?っていう話で。
まずそこで、なんか驚くじゃないですか。
で、それで、その人の結婚式のヘアメイクをしたんですよ、私。その時、結婚式の日に予約が入っちゃったから、ヘアメイクして、なんか、子供がいてねっていう話をして、マジですかって言って、そうなんだって、何とも言えないからとにかく、じゃあ結婚式はとにかくやりましょうみたいな感じになって。
で、それからしばらくして、やっぱりね、子供も結構思春期だったっていうのもあって、ものすごくね、心痛だったんですよね、彼女。そういう想行しているうちに、弟さんがね、亡くなったんですよ、日本で。
で、それで、弟さんがいるから、自分の両親はもう任せて、自分は海外に結婚してきたっていうところがあったのが、両親が、年取った両親が2人だけになるっていうことになっちゃったんですよね。
で、それで、そんなことがね、なんか続いてて、最初ちょっと遠景脱毛症が非常に目立つようになって、最初はこう、遠景脱毛症、やっぱりね、もう大変なんだねっていう話をしてたけど、あまりにもね、ちょっとね、大変で、もう病院に行くっていうか、それがいいねっていう話でしてて、そしたら、やっぱりゆう子ちゃんと同じ診断ですね。
髪の毛が生えるっていうことを、MUシステムっていうか抗体っていうんですかね、免疫か、免疫システムが、髪の毛が生えるっていうことを悪いと認識してしまって、全部やっつけちゃう、毛を。
なので、全身の毛が抜けて、ほんとにね、毛がなくなっちゃって、それで、その方もね、最初、ほんとこう、私はずっと最初から知ってるので、ですけど、
そうですね、いろんな治療をされたけど、もう治療もやめますって言って、一緒だからやめますって言って、かつらをね、やっぱり、どうしても私に切ってほしいっていうので、
ウィッグと美容師の関係
オーストラリアだと、もうとにかくアジア人の毛質だと下手なのでね、どうしても前と同じようなヘアスタイルにしてほしいっていうことで、年にね、かつらもさ、何回も買わないとダメじゃん。
そうなんですよ、消耗品なんですよね。
そう、知らなかったわ、私は。
本当?
そうそう、かつらってほら、おしゃれで使う場合はさ、そんなに一個買えばさ、毎日つけてるわけじゃないから、あれじゃないですか。
でも、毎日つけないといけない人たちにとっては、やっぱり、ほんと消耗品で、毛も痛むし、なんだろう、毛も抜けるし、なんだろうね、なんかこう、ヘアスタイルもおかしくなってくるし、
なんか、ほんと年に何回も、あんな高いかつらを買わないといけないとなる。
そしてやっぱり、ヘアカットもね、気に入った美容師さんにしてもらいたいっていうことで、その彼女がね、明るい彼女だったんですけど、
いやー、美容室に予約ができるっていう、自分っていうのは幸せなことだったんだなーって、ポツッと言われて、
なんかこう、前はさ、ヘアカットに行くとか、ヘアカラーに行くとか、ほんとに毛があった時代って、当たり前の誰でもできる予約っていうか、誰でも与えられる時間じゃないですか。
お金があれば、お金があれば、てかそこにカットのお金があれば。
でも、そのお金があっても、カットに行くっていう予約もできないっていうことで、なんかほんとにね、今まで自分が感じてきた、感じてきてたその美容室に予約をするっていうね、
なんていうかな、行為っていうか、それがあんなに幸せなことだったんだなーっていうのをね、感じましたっていう話をしてくれたのがね、私はほんとにね、なんかね、胸を打たれましたね、ほんとに。
他のウィッグするとき、カットするときもウィッグかぶってカットするじゃない。その時もやっぱり、前持ってきてたウィッグと交換するときも、やっぱり他の美容室だと一回取らないといけないぐらい、もう嫌なわけですよね、恥ずかしい。
で、私は一対一の美容室だったから、そういうこともなくなんか心を開いてくれて、ずっと、今もね、通ってくれてて、私もほんとにね、美容室辞めるの、心置きないな、彼女にはと思ったんですけど、彼女はもう日本にね、そろそろもう帰るかもしれない。
そうかそうか。
あの方は私よりちょっと年上の方なので、そろそろ元気なうちに日本に帰ろうかなと言っていました。
そんな感じで本当に、あの、そういう人の、その、やっぱね、想像を、その人になったら想像を絶する思いですよね。私、そばにいたとしても、その本人の深いところの気持ちとか、絶対にね、分かってあげてないんだろうなーって思いましたね。
そう。
心のつながりと感謝
いやー。
でも、ゆう子ちゃんもよく、あれだね、あの、頑張ったね。
いやー。
いや、ほんとそう思いますよ。
うん。そう、だから、ね、あの、そうなんですよ。でも、私が思ったのは、その髪の毛がないと私の仕事をできなくなるって言うんじゃなかったなーと思って。
だって、そうなんですよ、あの、なんだろう、最初は髪の毛を切るっていう行為から始まった、まあもちろん私美容師なんで、あれですけど、やっぱこう、そういう人とのつながりって、本当に彼女とは、なんだろう、心でつながりましたよね、最後って。
うーん。
だって私に切るものない、やることないんですよ。
いやいやいや、そんなことはないんだよね。
いや、だって、そうじゃん、その、なんかまあ、かつらを切らせてもらう、そのウィッグを切らせてもらうっていうことはあっても、
うんうん。
あの、なんだろう、うん、うん、そうね、なん、なんていうかな、あの、毛がなくなっていっているときって、
もう私の、その、範疇を超えているので、
うんうん。
もうあの、美容室にも、ほら、来なくなるわけじゃん。
うんうんうん。
どんどん抜けるばっかりだし、
うん。
ヘアカットっていう感じじゃなかったでしょ、きっと、ゆう子ちゃんの場合も。
そうね、そう。
うん。
でもなんか、その、ウィッグを切ってくれたりとか、
うんうんうん。
あのウィッグでもこうまとめ髪とかできるじゃないですか、プロの人だったら。
うんうんうん。
それで、なんか、失った当たり前を、
うん。
手に入れることができたんだよ。
あーいいね。
うんうんうん。
それが、なんかすごく、
うん。
あの、感謝。
うん。
すごいお仕事だなって思いましたよ、美容師さんに。
あー、ねー。
そう言っていただけると本当に嬉しいですけどね。
うーん。
いやもうね、あの、なんだろう、
本当私あの、
いやだって、髪の毛ないと私仕事にならないですよ、本当に。
うふふふふ。
その、美容師というわけじゃなくて。
そうだよね、ほんとそうだよね。
もうどうすればいいですかっていう話。
そうだよね、世の中から髪の毛がなくなったらね。
そうそうそうそう、そうだよ。
うんうん。
でも、あのー、本当にあの、なんだろう、
いやー、そう、彼女とは本当に心でつながれたんだなーって。
うーん。
あのー、髪の毛なくても会いに来たいとか、髪の毛なくてもじゃあお茶でも、
うんうんうん。
飲むっていう時間を作ったので、
うーん。
あのー、それはね、それでとっても私としては、
うーん。
やっぱりこう、美しくおいるということの意味っていう中の中に、
彼女はいっぱい出てきますよね、話がね、話が。
うーん、そうだね。
彼女から、うん、あのー、何か教えてもらったことってね、
すごかったなーと思うんですね。
うーん、うんうん。
だってその彼女は、そのそういう中でも、本当に、
あのー、それを受け入れるしかないわけじゃん。
うん。
もう、あのー、ゆう子ちゃんだってそうですけど、
うん。
本当に受け入れるしかないわけじゃん。
うん。
泣いても髪の毛生えてこないわけで、
うん。
だからそこで、自分がその中でどう幸せに生きていくのかっていうことを私は、
彼女を見てて、
うんうんうん。
なんか本当になんかこう、
ああ、あのー、本当にこう気づかされたなーっていう部分がこう、
このーね、20年以上一緒にいますので、
うーん。
そんな感じでしたね。
うーん。
そう、年に何回しか会えないんですよ、
うんうんうん。
もうウィッグになってからはね。
ああ、そうですよね。
うんうんうん。
そうそう。そうなんですよね。
え、ももちゃん、髪が髪に変わっても、
人生に彩りっていうもの、彩りを添えてくれる髪になるから。
そう。
すごい。なんかラップみたいな。
そう。
すごいな。
そう、あのー、そうなのよ。扱うものが髪だったのが、
髪に変わって、
そうねー。
そう、髪を作り出すっていう、なんかね、そういうことをね、
なんか言ってますね、ちわたでは。はい、そうそうそう。
素晴らしい。
うーん。
すごい。
ほんと、あのー、かえりさんにはね、この話を通して、
私は当時お世話になった美容師さんと離れちゃったし、
連絡先とかもね、調べればお店の電話番号分かるけど、
なかなか会えないけど、感謝をね、もう一生持ってるわけ。
で、それをかえりさんを通して、なんかそういう美容とか、
日常を支えてくれるお仕事をしてる人に感謝をね、
代表してかえりさんに伝えたかった。
まあ、なんてことも、私が辞めるときに最高のなんか、ご褒美だね。
ありがとうございます。
いやいや、ほんとに。
いや、そういうふうに思ってくれてる人がいるっていうと、
それこそ、美容師さんは今からなる人が、
美容の未来とアート
うん、うん。
本当に励みになると思いますよ。
素晴らしい仕事だと思う。
今考えたらね、もう本当に美容師でよかったと思います。
ね、そんな美容師のかえりさんがこれから作り出す、
ね、紙のアート。
紙のアート。
そうですね。
白い日本語って、日本語だから紙紙紙ですけど、
英語だとヘア、ペーパー、ゴッドになるから、
全然かみ合わないね。
いやいや、すっかり時間をいっぱい作ってもらって。
本当にありがとう。
今日楽しかったですよ、私。
私もですよ。
本当にありがとうございました。
いやー、人のチャンネルに呼んでもらえるって超嬉しい。
誰か私もまた呼んで。
ぜひね、ぜひかえりさん呼んでください。
お願いします。
今までずっとね、私ご招待ずっとし続けてて、
たまには人に呼ばれてみたいなとか思ってたんですよ。
そうなの?
そうなの、そうなの。
全然呼ぶよ。
本当?ありがとう。
いやー、じゃああれですね、仙台だったっけ?宮城県仙台。
私が行ける日も近いかな。
絶対実現させますので来てください。
喜んでいきますよ。
ありがとうございました。
ということで今日はみどりのかえりさんゲストに来ていただきました。
またゆっくりお会いできる日楽しみにしてます。
じゃあね、ももちゃんもあきらさんもありがとうございました。
ありがとうございます。
ゆう子ちゃんありがとう。
また。
きなりちゃんも来てた、きなりちゃん。
ありがとうね。
ありがとうございます。
バイバイ。
失礼します。
失礼します。
はい。
01:20:44

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